霞 (暁型駆逐艦)

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Kasumi Torpedo Boat LOC ggbain 16980u.jpg
艦歴
計画 1900年度[1]
起工 1901年2月1日[1]
進水 1902年1月23日[1]
就役 1902年2月14日[1]
その後 1905年12月12日駆逐艦に種別変更[1]
1912年8月28日三等駆逐艦[1]
1914年8月23日雑役船編入、標的船指定、霞丸に改称[1]
1920年7月1日霞に改称[1]
除籍 1913年4月1日[1]
性能諸元
排水量 常備:363トン
全長 67.2m
全幅 6.3m
吃水 1.7m
主缶 ヤーロー式石炭専焼缶4基
主機 2軸推進、6,000shp
最大速力 31ノット
航続距離
乗員 62人[2]
兵装 8.0cm単装砲1基
57mm単装砲5基
45cm水上発射管2門

(かすみ)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、暁型駆逐艦の2番艦である。同名艦に朝潮型駆逐艦の「」があるため、こちらは「霞 (初代)」や「霞I」などと表記される。

艦歴[編集]

当初の艦名は第十四号駆逐艦。1902年1月23日に進水し「霞」と命名[3]。同年2月14日、イギリスヤーロー社で竣工し、軍艦に編入され駆逐艦に類別[1]。同年3月10日、日本へ回航[4]。同年6月15日、横須賀に到着[1]

1904年日露戦争が勃発した際には第1艦隊第1駆逐隊に所属していた[5]。同年8月12日、僚艦朝潮とともに芝罘でロシア駆逐艦「レシーテリヌィ」(後に「山彦」へ改名)を捕獲した[5]1905年5月10日、第3駆逐隊へ移り日本海海戦に参加[5]

1913年4月1日、駆逐艦籍を除籍[6]。同年8月23日、雑役船(掃海船、のち標的船)に編入され、霞丸と改称。1914年青島の戦いに参加[1]

1920年7月1日、霞に再改称。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
艦長
  • 大島正毅 少佐:1902年2月13日 - 1904年9月11日
  • 白石直介 少佐:1904年9月11日 - 1905年12月12日
駆逐艦長
  • 井口第二郎 大尉:1905年12月12日 - 1906年1月25日
  • (兼)相羽恒三 少佐:1906年1月25日 - 1906年3月14日
  • (兼)平岡善之丞 大尉:1906年3月14日 - 1906年4月1日
  • 角田貫三 大尉:1906年4月1日 - 1907年3月9日
  • 三浦英晃 大尉:1907年3月9日 - 1908年4月20日
  • (兼)阿部真一郎 大尉:1908年4月20日 - 1908年9月25日
  • 松下芳蔵 大尉:1908年9月25日 - 1909年2月20日
  • 森田但次 大尉:1909年2月20日 - 1910年7月16日
  • 杉浦正雄 大尉:1910年7月16日 - 1912年5月22日
  • 阿部恒雄 大尉:1912年5月22日 - 不詳

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本海軍史』第7巻、287頁。
  2. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇要目表」51頁。
  3. ^ 『官報』第5568号、明治35年1月28日。
  4. ^ 『官報』第5603号、明治35年3月12日。
  5. ^ a b c 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、405頁。
  6. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 74頁。◎大正二年四月一日(達六六) 艦艇類別等級別表中軍艦ノ欄内「鈴谷」「葛城」ヲ、驅逐艦ノ欄内「文月」「皐月」「漣」「卷雲」「敷波」「霞」ヲ、水雷艇ノ欄内「第三十號」「第二十五號」「第五十五號」「第五十六號」「第五十七號」「第三十一號」「第三十二號」「第三十六號」「第三十七號」「第三十八號」「第三十九號」「第四十號」「第四十一號」「第四十三號」「第四十四號」「第四十五號」「第四十六號」「第六十二號」「第六十三號」「第六十四號」「第六十五號」ヲ削ル。

参考文献[編集]

  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。

関連項目[編集]