はっぴいえんど

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
はっぴいえんど
別名 ヴァレンタイン・ブルー(旧名)
出身地 日本の旗 日本東京都千代田区
ジャンル
活動期間
レーベル
事務所
  • マネージメント
  • 風都市(1969年 - 1973年)
  • 音楽出版
  • アート音楽出版(1969年 - 1972年)
  • 新興楽譜出版(1972年 - 1973年)
共同作業者
  • 小倉栄司(ディレクター)(1969年 - 1970年)
  • 三浦光紀(ディレクター)(1971年 - 1973年)
  • 石浦信三(マネージメント)(1971年 - 1972年)
旧メンバー

はっぴいえんど (英語: HAPPY END) は、日本フォークロックバンド

細野晴臣大瀧詠一松本隆鈴木茂らによって結成されたバンドグループ。日本産ロック史の草創期に活動したグループの一つ。

概要[編集]

はっぴいえんどは、ビートルズを英語で歌うグループサウンズの様な音楽性ではなく、日本語でロックを歌う事を目指した。バンドの作詞担当だった松本隆が、ダブルミーニング等の技法を歌詞に取り入れ、日本語ロックを構築した。松本は後年、ジャックスの楽曲「からっぽの世界」の歌詞に影響を受けた事を公言し、この曲がなければ、はっぴいえんどはなかったかもしれないという趣旨の発言をしている[2]大瀧詠一細野晴臣は音楽性を重視していた為、ロックに日本語の歌詞を付けるという、この提案に反対した。また、サウンド面においてはアメリカのバッファロー・スプリングフィールド等に影響されたサウンドだった[注 1]。メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観がバンドの音楽性にまで影響しているようである[3]全日本フォークジャンボリーの第二回に登場し、第3回全日本フォークジャンボリーにも出演した。

しかし、ブリティッシュロックが人気だった当時の日本において、フォーク、フォーク・ロックの音楽性を標榜したのは、日本のロックを作る為にはアメリカのロックをやらなければならないという考えがあった為である[注 2]。はっぴいえんどが取った方向性は後続のバンドに少なからぬ影響を与え、乱魔堂センチメンタル・シティ・ロマンス等の後継者を生んだ。

「風をあつめて」は、2003年のアメリカ映画『ロスト・イン・トランスレーション』と2009年の日本映画『おと・な・り』の他、漫画『うみべの女の子』でそれぞれ取り上げられた。

遠藤賢司岡林信康加川良高田渡小坂忠らのバックバンドとしても、コンサートやスタジオ録音等を行なっている。

評価[編集]

『月刊平凡』1980年6月号に「日本で作詞・作曲家になる方法」という特集があり、この記事で松本隆の紹介に「今をときめくテクノポップ『Y・M・O』の細野晴臣さんや鈴木茂さんと一緒に、"はっぴー・えんど"でドラムをたたいていたのは知っていたかナ?」と書かれている[4]。はっぴいえんどは、1970年代には一般的な知名度がないことは勿論、『月刊平凡』のような影響力の大きな音楽誌の編集部にもバンド名を間違えられるほど知名度が低かったものと見られ、『月刊セブンティーン』1979年8月号のニューミュージック特集「1970年代ニューミュージック年表」にもはっぴいえんどの名前はなく[5]、『月刊明星』1976年12月号「'76フォーク&ロック資料館」の「アーティスト図鑑」にも「決定版 にっぽんフォーク&ロック年表 1968~1976」にもはっぴいえんどの記載はない[6]。『月刊明星』の発行部数は1973年で170万部、1979年で175万部[7]。ロックの専門誌を別にすれば、1970年代の主たるマスメディアからは、はっぴいえんどは、ニューミュージックの世界でもフォークの世界でもロックの世界でも、存在自体がほとんど認識されていなかったものと見られ[4][5][6]、1970年代に於ける日本のフォークロックの歴史に於いては功績がある存在とは認識されていなかったものと考えられる[4][5][6]

1970年代は、テレビラジオを通じて、歌謡曲演歌、フォークの大ヒット曲が続出した時代であり[8]、ロックより先にフォークがオーバーグラウンドに浮上し、これを契機としてロック色の強いニューミュージック市民権を得た[8]。はっぴいえんどは全く売れなかったバンドで[8][9]、よっぽどのロックファンしか知らないようなバンドが今日より遥かに情報量の少ない時代に於いて、当時、また後の音楽界や後続ミュージシャン、音楽界にどの程度の影響を与えられたのか分かりにくい部分もある。日本に於けるロックの伝承に関しては、多くのロック・ミュージシャンが影響を受けたと話す沢田研二西城秀樹などテレビに毎日のように露出して、ロック寄りの楽曲を歌った歌謡曲歌手の影響も無視できない[10]。1970年代後半から、1990年代にデビューしたロックミュージシャンは、それら沢田研二や西城秀樹[10]キャロル[11]吉田拓郎井上陽水などから影響を受けたと話す者も多い[12]鮎川誠は「フォークの人たちが日本語で歌っているのを見て、自分たちも日本語のオリジナル曲を作ってみた」と話している[13]

はっぴいえんどは、「日本語ロック論争」を誌面に残せたことで[8][14]、当時日本語ロックをやっていたのは、はっぴいえんどだけかのような印象を与え、1980年代以降に元メンバーの活躍があり、「彼らが昔、日本語でロックをやっていた」と発掘され、『ミュージック・マガジン』を中心とした「はっぴいえんど史観」などの影響で[8][15][16]、先駆者的評価が高まり、音楽評論家にもてはやされるようになったもので[17]、元メンバーの活躍が無ければ、はっぴいえんどの今日的評価は全く違っていたものになっていたと見られる。北中正和が書いた『バラエティ』1978年7月号の内田裕也のインタビューで、北中は内田を「'60年末から'70年代初頭にかけて、日本のロックのムーブメントの中では、はっぴいえんどや吉田拓郎の音楽に対して、海外に通用する英語のロックを主張して"ロック論争"を展開。'75年、'76年とワールド・ロック・フェスティバルをプロデュース...」などと紹介している[18]。内田の仮想敵ははっぴいえんどだけではなかったのである。

つのだ☆ひろ[19]宇崎竜童[20]、恩蔵茂[21]近田春夫[22]は「はっぴいえんどはフォーク」と述べている[19][20][21]。当時フォークは普通に日本語で歌っていて、フォークシンガーやフォークグループの中にはロック寄り、フォークロックのような音作りをする者もいて[23][24]、日本語を歌詞に乗せることに関してはフォークの方が先行していた[24]ザ・モップスの1972年7月リリースのアルバム『モップスと16人の仲間』は、そのコンセプトを基にフォーク系シンガーソングライター16人から楽曲提供を受けたもので[24]シングルカットされてヒットした『たどりついたらいつも雨ふり』は、吉田拓郎が1960年代のアマチュアロックバンド時代に制作していた日本語ロックのオリジナル曲の歌詞を書き直したもの[24][25]。後に同曲をカバーした氷室京介は「吉田拓郎さんはフォークシンガーと見られているけど、自分の中では吉田拓郎さんはロック歌手。ボブ・ディランとかニール・ヤングとかと変わらない存在」と話している[26]相倉久人は、1976年6月14日、21日号の「日本読書新聞」に掲載した「日本語ロック」に関する評論で「アメリカの物まねからスタートしたフォークが、吉田拓郎や泉谷しげるたちの成功によって、ロックやソウルにさきがけて、現代にふさわしい日本語的な表現に到達した」と評している[27]

つのだひろは「ここ何十年で、日本のロックのルーツがはっぴいえんどだと喧伝しているヤツがいて、評論家でもそれに加担している一派が多いものだから、いつの間にか、日比谷野音(10円コンサート)ニューロックの時代が歴史から消されましたよね。無かったことにされてるんです。僕の中では、はっぴいえんどはフォークでしたよ。彼らは「唄の市」コンサートとかのフォーク・イベントに出ていたバンドで、僕たちロックをやっている仲間にいなかった。これは、ハッキリと言っておきたいですね」と述べている[19]長戸大幸は「日本のロックの元祖は何かという議論になると、たいていはグループサウンズよりも後に出たはっぴいえんどになっています。しかし、テレビを見ていた少年たちがエレキギターエレキベースの音を生まれて初めて耳にしたのはグループサウンズです。エレキの音を来た少年たちがその後、イギリスやアメリカのロックを聴くようになっていき、そのうちの何人かが自分たちのバンドを組んで、日本の音楽シーンに入ってきたのです。それが事実です」などと述べている[28]。 

メンバー[編集]

東京都港区白金出身。
岩手県江刺郡梁川村(現奥州市)出身。
東京都港区青山出身。
東京都世田谷区出身。

年表[編集]

1969年[編集]

  • 3月、“エイプリル・フール”結成。
  • 9月27日、エイプリル・フール、アルバム『Apryl Fool』発売。
  • 9月、はっぴいえんどの前身“ヴァレンタイン・ブルー”結成。
  • 10月、エイプリル・フール解散。
  • 10月28日、ヴァレンタイン・ブルー、デビュー・ライブとなる“ロックはバリケードをめざす”(全電通ホール)に出演。

1970年[編集]

  • 3月6日、遠藤賢司『niyago』レコーディングに参加。
  • 3月、ヴァレンタイン・ブルー、バンド名を“はっぴいえんど”に改名。
  • 3月23日、岡林信康『見るまえに跳べ』レコーディングに参加。
  • 4月、アルバム『はっぴいえんど』レコーディング。
  • 4月12日、“ロック叛乱祭”に出演(文京公会堂)。
  • 8月5日、アルバム『はっぴいえんど』発売。
  • 8月8日、“第2回全日本フォークジャンボリー”出演。
  • 10月、岡林信康とのコンサート・ツアー開始。
  • 12月1日、“岡林信康コンサート”をライヴ録音。

1971年[編集]

1972年[編集]

  • 5月6日、“第2回春一番コンサート”出演。
  • 6月25日、大瀧、ソロ・シングル「空飛ぶくじら / 五月雨」発売。
  • 7月1日、“ラスト・はっぴいえんどツアー”開始。
  • 10月、渡米してロサンゼルスでアルバム『HAPPY END』をレコーディング。
  • 11月25日、大瀧、ソロ・アルバム『大瀧詠一』発売。
  • 12月31日、はっぴいえんど、正式解散。

1973年[編集]

1974年[編集]

1985年[編集]

2015年[編集]

  • 6月24日、松本隆の作詞家活動45周年記念トリビュート・アルバム『風街であひませう』発売。スペシャル・トラックとして松本と細野晴臣、鈴木茂の演奏で再レコーディングされた未発表曲「驟雨の街」を収録[29]
  • 8月21日・22日、東京国際フォーラムで開催された松本隆作詞活動45周年記念コンサート『風街レジェンド2015』に松本の他、細野と鈴木が揃って出演[30]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

KING
  1. 12月の雨の日 / はいからはくち1971年4月1日)- 7":BS-1366 ※両曲ともアルバムとは別ヴァージョン
    • 12月の雨の日
    • はいからはくち
  2. 花いちもんめ / 夏なんです(1971年12月10日) 7":BS-1467
    • 花いちもんめ
    • 夏なんです
Bellwood ⁄ KING
  1. さよならアメリカ さよならニッポン / 無風状態1973年2月25日 - 7":OF-10
    • さよならアメリカ さよならニッポン
    • 無風状態
URCTOSHIBA-EMI
  1. あしたてんきになあれ1999年11月26日)- CD:TOCT-22045

オリジナル・アルバム[編集]

URC
  1. はっぴいえんど1970年8月5日)- LP:URL-1015
  2. 風街ろまん1971年11月20日)- LP:URG-4009
Bellwood ⁄ KING
  1. HAPPY END1973年2月25日)- LP:OFL-8

ベスト・アルバム[編集]

Bellwood ⁄ KING
  1. CITY ⁄ HAPPY END BEST ALBUM1973年9月1日)- LP:OFL-15
    コーラスに小坂忠参加の「はいからはくち」の別ヴァージョン、第3回全日本フォークジャンボリーのライブ音源の「かくれんぼ」を収録。
  2. SINGLES1974年6月25日)- LP:OFL-26
    A面に大瀧詠一と細野晴臣それぞれのシングル、B面にはっぴいえんどのシングル曲を集めたベストアルバム。

ライブ・アルバム[編集]

  1. ライブ!! はっぴいえんど1974年1月15日)- Bellwood ⁄ KING LP:OFL-20
    1973年9月21日文京公会堂で行われた“CITY -LAST TIME AROUND”での模様を収録した、はっぴいえんど唯一のオリジナル・ライブ盤。すでに解散していたので実質的には再編という色合いが強い。三部構成のイベントのうち、はっぴいえんどのメンバーがプロデュースを務め、風都市がこれから売り出そうとする吉田美奈子南佳孝ムーンライダース、ココナツ・バンクの曲は同日発売のライブ・アルバム『1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出[注 3]に収録。
  2. THE HAPPY END(LP:1985年9月5日 CT:1985年11月3日)- CBS/SONY LP:18AH-1933, CT:18KH-11755
    1985年6月15日国立競技場で行われたイベント“ALL TOGETHER NOW”での再結成ライブを収録。LPは45回転盤。初回特典として「THE HAPPY END パンフレット」という24ページの7/12はっぴいえんど宣言や6/15再結成ライブの座談会などが収録されているブックレットがついている。
  3. はっぴいえんど GREEEATEST LIVE! ON STAGE(1986年7月15日)
    ロック叛乱祭」(1970年4月12日)、「第3回全日本フォークジャンボリー」(1971年8月7日)、「加橋かつみコンサート」(1971年4月14日)での演奏を収録。
  4. はっぴいえんど LIVE ON STAGE(1989年8月25日)
    CDでのみ発売。「第2回全日本フォークジャンボリー」(1970年8月9日)、「ロック・アウト・ロック・コンサート」(1971年8月21日)、「加橋かつみコンサート」(1971年4月14日)、「第3回全日本フォーク・ジャンボリー」(1971年8月7日)での演奏を収録。

ボックス・セット[編集]

  • はっぴいえんど〜HAPPY END(1993年5月25日)
    レコード各社共同企画の“シンガー・ソングライター・ルネッサンス”の一環として発売された4枚組ボックス・セット。ライブも含めたオリジナル・アルバム4作とブックレット付き。その内『風街ろまん』『HAPPY END』の2枚は、吉野金次によるオリジナル・マルチトラック・マザー・テープを使用したリミックス盤で、発売当時、物議を醸した。またこのリミックス盤については、その内の数曲が細野のボックス・セット『HOSONO BOX 1969-2000』に収録されたのみで以後、再発売されていない。
  • はっぴいえんどBOX(2004年3月31日)
    オリジナル・アルバム『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』、ライブアルバム『ライブ!! はっぴいえんど』『THE HAPPY END』と、はっぴいえんどがバックで演奏を務めた楽曲を集めた『バッキング音源集』、未発表ライブ音源を多数収録した『ライブ・ヒストリーVOL.1』『同VOL.2』がセットになったボックス・セット。
  • はっぴいえんどマスターピース(2014年12月26日)
    URCレコードより発売したオリジナル・アルバム『はっぴいえんど』と『風街ろまん』のアナログ・マスターからのダイレクト・カッティングによるアナログ完全復刻盤に加え、メンバー公認でデジタル・リマスタリングしたCDを付属したボックス・セット。94k 24bitのハイレゾ音源を期間中ダウンロードできるダウンロード・カード、当時のレコーディング資料や、野上眞宏所蔵の写真等を掲載した資料集、松本隆作詞ノート・レプリカを併せて収納。
  • 岡林信康withはっぴいえんど 7インチBOX(2018年7月25日)
    はっぴいえんどが岡林信康と共にURC時代にリリースしたシングル盤を収納した限定7インチBOXセット。ボーナス・レコードとして、岡林との最後のスタジオ録音となった「私たちの望むものは」を加えた6枚組。

関連作品[編集]

  • はっぴいえんど(1983年6月)
    センチメンタル・シティ・ロマンスによるカバー・アルバム[注 4]
  • はっぴいえんどに捧ぐ(1993年9月9日、再発:2004年11月3日、再々発:2010年12月15日)
    SME所属アーティストによるカバーを収録。ジャケットのイラストは、つげ義春の短編漫画「紅い花」の主人公キクチサヨコ。2010年12月15日にボーナス・ディスクを追加した2枚組CD『はっぴいえんどに捧ぐ +』として再々発。吉田美奈子矢野顕子清水ミチコ太田裕美ピチカート・ファイヴ小坂忠葡萄畑などがライブでカバーした曲を追加収録。ブルースペックCD仕様。
  • HAPPY END PARADE〜tribute to はっぴいえんど〜(2002年5月22日)
  • はっぴいえんどかばあぼっくす(2002年5月31日)
    5枚組CDボックスセット。はっぴいえんどが現役当時に発表した3枚のスタジオアルバムと1枚のライブアルバム全曲を、本ボックス発売元のOZ disc所属アーティストを中心に、様々なアーティストがカバー。さらにボックス・セット収録の未発表曲までカバーされている。ライブ・アルバム「ライブ・はっぴいえんど」のカヴァーについては、1973年9月21日に行われたライブ「CITY - LAST TIME AROUND」を、2002年1月10日に同じ文京シビックホールにて完全再現またはカバーを行っている。ライブ・アルバム未収録の「CITY - LAST TIME AROUND」参加アーティストの曲もカバー。それらは『-はっぴいえんどかばあぼっくす外伝-素晴らしき船出かな』に収録され、ボックスには未収録。また、「レア・トラックス」と題されたボーナスCDには、はっぴいえんどが当時ライブで演奏していた曲のカバーが収録されている。Oz discで予約注文および注文を行うと、はっぴいえんどのシングル3枚をカバーしたアナログシングル盤3枚と、ベスト盤『CITY』のカヴァーを収録したCD-Rが特典として配布された。
  • 風街クロニクル 〜another side of happy end〜(2004年11月3日、MHCL-427)
    解散後に細野・大瀧・鈴木のいずれかが作曲、松本が作詞を手掛けた各メンバーのソロ、他者提供曲、カバーなどを収録した2枚組コンピレーション・アルバム。
  • ひっぴいえんど(2009年2月18日、CD+DVD:COZP-354【初回限定盤】, CD:COCP-35382【通常盤】)
    加藤和彦坂崎幸之助のユニット「和幸」(かずこう)の2枚目のアルバム。はっぴいえんどのバンド名や曲名、アルバム名をもじった曲を収録。
  • CITY COVER BOOK(2010年12月15日)
    はっぴいえんどのベストアルバム『CITY』を丸ごとカヴァーしたアルバム。

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ もっとも60年代末から70年代初頭には、日本でも既にハードロックやプログレッシブ・ロックが注目されていた。しかし、1970年の洋楽専門雑誌では、特集で彼らが回顧された
  2. ^ 細野がアメリカ音楽からの影響を強く受けていたことや、単に売れている物を否定するというアンチの精神もある。
  3. ^ 1974年1月15日発売 SHOW BOAT ⁄ TRIO LP:3A-1014
  4. ^ ファースト・アルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』(1975年)では細野がチーフ・オーディエンスとしてクレジットされている。

出典[編集]

  1. ^ a b c Jackson, Leon. Happy End | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月12日閲覧。
  2. ^ 『TJ MOOK 聴け! 伝説の日本ロック1969-79』宝島社、2004年、32頁。ISBN 4-7966-3862-8
  3. ^ 劇場アニメ『銀河鉄道の夜』(LD解説書の細野の発言)
  4. ^ a b c 「日本で作詞・作曲家になる方法」『月刊平凡』1980年6月号、平凡出版、 114頁。
  5. ^ a b c 「保存版 音を2倍楽しむためのニューミュージック百科」『月刊セブンティーン』1979年8月号、集英社、 32-33頁。
  6. ^ a b c 「'76フォーク&ロック資料館」『月刊明星』、集英社、1976年12月号、 165-167頁。
  7. ^ 田島悠来 1970年代の『明星』読者ページにおける 読者共同体 ──「ハローキャンパス」の事例分析を中心に── (PDF) . DOORS(同志社大学図書館).41頁.2021年2月28日閲覧。
  8. ^ a b c d e Jロック&ポップスCD名盤ガイド編集委員会『Jロック&ポップスCD名盤ガイド』立風書房、2001年、199頁。ISBN 4651820484
  9. ^ 『MUSIC×WORDS』MUSEUM TALK 松本 隆(作詞家) × 佐野 史郎(俳優/ミュージシャン)」(Internet Archive)
  10. ^ a b 川崎浩 (17 May 2018). "西城秀樹さん死去 評伝 ポップス歌謡の先駆者". 毎日新聞. 毎日新聞社. 2018年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月3日閲覧富澤一誠 (21 May 2018). "歌謡ロック開拓、一大市場に 西城秀樹さんを悼む". 毎日新聞. 毎日新聞社. 2018年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月3日閲覧ダイアモンド・ユカイが語る“新御三家”郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎アーティストの音楽履歴書 第12回 奥田民生のルーツをたどる 音楽好きの母親がきっかけで始まった長いロックンロール人生GACKT、西城秀樹さんとの出会いを振り返る「背中の大きい兄貴でした」河村隆一 兄のように慕い、憧れた西城秀樹さん悼む「安らかな眠りについてほしい」【LOVE LOVE あいしてる:トーク】 HomePageだけの特別編集版 T.M.Revolution編 –フジテレビ公式サイト、SOPHIA;松岡充 - 堂本兄弟 –フジテレビ公式サイト、千聖、ソロ20周年記念イベントで森重樹一とのZIGGY曲セッションが決定ヒデキ、還暦! | ZIGGY 森重樹一 オフィシャルブログ 「11P.M.」 Powered by Ameba清春が明かす、黒夢やソロイストとしての活動で磨き上げた美学 「人間的な魅力のある、強い人だけが最終的には残る」What's IN? 佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」 vol. 164 『永遠の西城秀樹』と呼ぶにふさわしい特別な存在)
  11. ^ GOOD OLD ROCK AND ROLL キャロルから始まる、不良の、不良による、不良のためのロックンロール 横浜銀蝿「中森明菜ちゃん、ピンク・レディーさん、三原じゅん子さん…」今だから話せる80年代秘話あの伝説のバンド”キャロル”トリビュート、リリース決定!藤井フミヤ【この人の哲学】鎌田俊哉氏 ギターとレコード抱えて家出第40回【対談⑪ 大友康平 × DJ OSSHY[前編]】小堺一機のすうぃんぐ人生 – BS朝日MUSIC TALK「作曲屋」目指した、もどかしい青春 クレイジーケンバンド 横山剣(前編)
  12. ^ 40年前、吉田拓郎と井上陽水に人生を変えられた若者たちの証言まだCDがなかった頃…日本で初めてミリオンセラーを達成したアルバムが『氷の世界』だ桑田佳祐と吉田拓郎との隠された過去。今日までそして明日から。堂本兄弟、2004年2月29日【氷室京介】『WOWOW presents KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR、 [https)、完全引退へ!小室哲哉が“負けを認めた”アーティストとはハードロック! ROLLY(寺西一雄) 山本恭司 Webマガジン 月刊チャージャー(Internet Archive)、真心ブラザーズ4週連続企画 『YOUNGER THAN YESTERDAY』 - 第3週目
  13. ^ 【昭和ロックを語る時が来た】鮎川誠が明かす博多に現れた内田裕也さんとの秘話
  14. ^ 中川右介『松田聖子と中森明菜』幻冬舎幻冬舎新書064〉、2007年、151頁。ISBN 978-4-344-98063-1
  15. ^ 『BAND LIFE―バンドマン20人の音楽人生劇場独白インタビュー集』メディアックス、2008年、270頁。ISBN 9784862016140
  16. ^ バンド少年たちから<神>と呼ばれた超テク・バンド! 伝説の最強ロック・トリオ「フライド・エッグ」。(Internet Archive)、サザンが「40周年」まで成功し続けたワケ なぜ本格的な低迷に陥ることもなかったのか1979年はなぜ歌謡曲にとって特別な年だったか 栗原裕一郎が話題の書に切り込む
  17. ^ 書評・エッセイバックナンバー | 波 -E magazine Nami-|Shincho LIVE
  18. ^ 北中正和「新シリーズ〈第2回〉 『フォーク&ロックの巨人たちは、今…』 内田裕也 走り続けるロック界の一匹の犬 『俺はロックの船首で旗を振る』」『バラエティ』1978年7月号、角川書店、 69頁。
  19. ^ a b c 「ニューロック基礎講座 証言#2 つのだ☆ひろ」『ROCKS OFF Vol.04』2008年3月16日発行、シンコーミュージック・エンタテイメント、 21頁、 ISBN 9784401631827
  20. ^ a b 「特集 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 宇崎竜童インタビュー」『ROCKS OFF Vol.04』2008年3月16日発行、シンコーミュージック・エンタテイメント、 165頁、 ISBN 9784401631827
  21. ^ a b 恩蔵茂『ニッポンPOPの黄金時代』KKベストセラーズ、2001年、234頁。ISBN 4584120250
  22. ^ 近藤正高 (2021年2月25日). “[(2ページ目)70歳になった近田春夫が憧れた“イカれたおとな”とは? 芸能界で「しがらみにとらわれない」生き方を振り返る 70歳になった近田春夫が憧れた“イカれたおとな”とは? 芸能界で「しがらみにとらわれない」生き方を振り返る]”. 文春オンライン. 2021年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月1日閲覧。
  23. ^ 小貫信昭『歌のなかの言葉の魔法』ヤマハミュージックメディア、2003年、112頁。ISBN 4636206541
  24. ^ a b c d 高木龍太・前田雅啓「ザ・モップス星勝インタビュー」『Hotwax 日本の映画とロックと歌謡曲 vol.2』シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年、108 -109、117頁。ISBN 4636206541
  25. ^ What's IN? 佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」 vol. 135 仲間たちの力を借りて完成したアルバム『モップスと16人の仲間』(その4)
  26. ^ 『ぴあMOOK 氷室京介ぴあ 完全保存版! 25th Anniversary Special Book』、ぴあ、2013年9月20日、 13頁、 ISBN 9784835622439
  27. ^ 相倉久人『相倉久人の70年代ロック&ポップス教養講座』音楽出版社〈CDジャーナルムック〉、2007年、228-234頁。
  28. ^ 野地秩嘉『芸能ビジネスを創った男-渡辺プロとその時代』新潮社、2006年、96 - 99頁。ISBN 9784104141029
  29. ^ 松本隆トリビュートに細野晴臣、YUKI、マサムネ、小山田壮平ら参加”. ナタリー. 株式会社ナターシャ (2015年5月4日). 2020年5月5日閲覧。
  30. ^ 松本隆の作詞曲を豪華ゲスト&風街ばんどが実演!フォーラムで2日公演”. ナタリー. 株式会社ナターシャ (2015年5月14日). 2020年5月5日閲覧。