戸川純

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戸川純
出生 1961年3月31日(54歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都新宿区
ジャンル J-POP, アバンギャルド
職業 女優
歌手
活動期間 1979年 -
レーベル

アルファレコード
1982年 - 1987年
テイチクエンタテインメント
(1987年 - 1990年
東芝EMI
1991年 - 1992年
コロムビア
1995年 - 1996年
God Mountain
2000年 - 2004年

ソニー・ミュージックダイレクト
(所属はしていないが、アルファレコードから原版使用権が委託されたため)
共同作業者 ゲルニカ
ヤプーズ
東口トルエンズ
公式サイト ソニー・ミュージック
テイチクレコード

戸川 純(とがわ じゅん、1961年3月31日 - )は、日本歌手女優である。本名は戸川 順子(とがわ じゅんこ)。歌手としてはゲルニカヤプーズなど、またはソロのヴォーカリストとして活動している。

関東学院大学文学部英米文学科中退。女優の戸川京子は妹。

経歴[編集]

高校卒業まで[編集]

東京都新宿区出身。

日本テレビのバラエティ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』をみて芸能界を志望。妹の戸川京子とともに小学校在学中に劇団ひまわりに入る。エキストラ役が当初多かったが、小学五年生のとき、新国劇『王将』に子役として舞台に上がり、辰巳柳太郎の娘役を演じる。この経験から、本格的に芝居をやりたいとの気持ちを抱く。しかし、妹の京子に比べ地味だと判断されたことや、学校が休みがちになるのを家族が懸念したことにより、劇団を辞める。家族からは大学生になったらまた芝居をやって良いと言われる。[1]

高校時代では演劇部に所属。部ではシェークスピアの作品等を扱う。

1980年代 - 1990年代[編集]

1982年に『刑事ヨロシク』で初めてレギュラーで事務員の役を演じる。

戸川純の存在を全国的に知らしめたのはCM出演であった。ヤマハエレクトーンCM出演を経て、1982年9月に衛生設備メーカーTOTOの発売した画期的な新製品ウォシュレットのCMキャラクターに起用される。このCMは「おしりだって洗ってほしい」「あなたのおしりを洗いたい」のキャッチコピーとともに話題を呼び注目を集めた。本人曰く「子供のときから、ずっと、メジャー志向」であり、このCMでポピュラリティを得たと実感する。[1]

女優業と並行して音楽活動も展開。ボーカリストとして、1982年6月に、細野晴臣プロデュースで「ゲルニカ」の『改造への躍動』でアルバム・デビュー。1983年5月にはバンド「戸川純とヤプーズ」名義でライブ・デビュー。ボーカルを担当し、そのサイケな世界観と圧倒的なライブパフォーマンスで話題になる。1984年にアルバム『玉姫様』でソロ・デビュー。独特な感性を活かし、以降は作詞も行う。その後も、長きに渡り様々なバンドでボーカルを務める。

以上の活動からメディアの関心も高まる。1984年には『森田一義アワー 笑っていいとも!』や「徹子の部屋』などの人気番組に相次いで出演。雑誌『宝島』でも特集が組まれるなど人気を博す。この年以降も上記2つの番組に加え、『11PM』『さんまのまんま』『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ[2]パラダイスGoGo!!』等々、数々の番組に出演した。

1990年代から女優としての活動が比重を増す。すでにその個性を活かしたテレビドラマでの特異な役柄や、『パラダイス・ビュー』『ウンタマギルー』のような先鋭的なインディーズ作品への出演を果たしていたが、松竹映画のメジャー作『男はつらいよ』『釣りバカ日誌』の両作にも出演する[3]など、活躍した。

1995年11月、当時の所属事務所への方向性や金銭を巡る不信、バンドメンバーの脱退、ライブビデオの編集(無断発売)などの度重なる人間関係のトラブルを苦に、自宅マンションにて首を剃刀で切り自殺を図る。幸い頸動脈に達していなかったことから一命を取り留めた。狂言自殺疑惑、自傷時に流れ出た血液で部屋の壁に「皆憎」という文字を書いたなどの話題でマスコミを騒がす。その7年後に実妹の京子が自殺。

2000年以降[編集]

2006年2月22日に完全限定生産でゲルニカのデビューアルバム『改造への躍動』、ソロ作品『玉姫様』から『好き好き大好き』、妹の京子のアルバム『B.G』などアルファレコード時代のアルバムがソニー・ミュージックダイレクトより紙ジャケットとして、ライブビデオ『玉姫伝』がDVDで復刻版として再発売された。

2006年、足と腰を負傷して入院。10月に予定されていたライブが延期になる。

2007年12月23日よりウェブラジオサイト『オールニートニッポン』より、パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」の代表人月乃光司と共にウェブラジオ『ハート温泉』のパーソナリティを務めていた(2008年12月末をもって放送終了)。

2008年7月9日『TOGAWA LEGEND SELF SELECT BEST & RARE 1980-2007』(GT MUSIC)発売。当初は2月20日にリリースする予定だったが延期、戸川によると版権問題が大変なことになり延期したと語る。

2009年6月現在、初の長編小説を執筆中。また、詩集の刊行が予定されている。

2009年7月22日テイチク時代の作品をあつめた9枚組BOX SET『TEICHIKU WORKS』(テイチクエンタテインメイテント)発売。*限定盤のため生産終了。

2010年に公開の映画『名前のない女たち』では主題歌として「バージンブルース」が使用された。

2010年12月1日『ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜』(アリオラ・ジャパン)に参加。遠藤ミチロウの「カノン」をカヴァー。

2011年5月11日に完全限定生産のBlu-spec CDでゲルニカのデビューアルバム『改造への躍動』、ソロ作品『玉姫様』から『好き好き大好き』、などアルファレコード時代のアルバムがソニー・ミュージックダイレクトより紙ジャケットとして再発売された。

2012年7月14日公開の映画『ヘルタースケルター』では挿入歌として「蛹化の女」が使用された。同年7月25日には、同映画の監督選曲のベストアルバム『蛹化の女〜蜷川実花セレクション』(SONY MUSIC DIRECT)を発売。

2012年10月22日に完全限定生産のSHM-CDでヤプーズ『ヤプーズ計画』、ソロ作品『昭和享年』、DVDでヤプーズ『ヤプーズ計画 LIVE&CLIP+2』、東口トルエンズ『東口DVD』と、テイチク時代のアルバムと映像作品が紙ジャケットとして再発売された。

2014年4月9日VampilliaのCD『the divine move』にゲスト参加。(2曲)

人物・エピソード[編集]

  • 笑っていいとも!』の1コーナー「オレンジスキャンダル」で話題を呼ぶ。このコーナーは視聴者から寄せられた男女関係の相談に対し答えるというもの。タモリ兵藤ゆきの丁々発止の論議の合間に戸川が独特のリズムで意見を入れるやり取りがコーナーのひとつの魅力であった。
  • 『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」のコーナーにゲスト出演した際、芸能界入りの動機として「小さい頃いじめられっ子だったので、(出世して)見返してやろうと思った」と語った。「宝島」誌におけるいしかわじゅんとの対談によると、戸川は子供のころ大変醜く、「太った山下達郎」と呼ばれていたという。いじめの理由を問うと、加害者たちは「ブスだからだよ」と笑いながら答えたとのこと。
  • 中高生の頃は女優志望であこがれは李香蘭クレオパトラだったともいうが、吉永小百合のような女優を目指し、高校時代、毎日屋上で発声練習や腹筋運動などをかかさず行うなど地道な努力を重ねた。
  • 高校時代の門限は17時。思うように外出できず、また憧れの芝居にも十分に取り組めない中、唯一の楽しみは食べることであった。そのため、62キロまで太った。[4]
  • 高校時代に父親が経営する喫茶店でアルバイトをした際、コーヒーのミルクを2つ要望する客がいた。戸川はその客の顔を覚え、再び来店した際に言われないでもミルクを2つ出した。客は特に反応しなかったが、仕事をした達成感を密かに味わった。[1]
  • 妹の戸川京子とは対照的な姉妹と見られることが多く、本人たちも自分とは異なる性格の相手を疎ましく思う時期もあった。しかし、高校のとき、京子と徹夜で議論を交わしたことをきっかけに、お互いに結構似た者同士であることが判り、それ以降はあたかも親友同士であるかのような親密な姉妹になった。[5]
  • 厳格な家庭で高校生までは「日曜日は外出禁止」であった。大学に入学した1979年から「日曜日も外出可能」となり、映画を見るため出かけていた日比谷公園で、たまたま、後にゲルニカでコンビを組む上野耕路が所属していたパンク・バンド「8 1/2」のライブを見てファンとなり、二回目に観に行ったライブでメンバーに声を掛けられ知人となり、彼らが出入りしていた渋谷の伝説的ロック・カフェ「NYLON100%」に入り浸るようになる。戸川は女優志望でミュージシャンになるつもりはなかったが、「NYLON100%」で彼女がよく歌っていた李香蘭の「蘇州夜曲」を上野が気に入り、ゲルニカが結成されることになった[6]
  • 芸能界で活動するようになったとき、「芸能人はこうでなければ」等々、勝手に様々な制約を背負い込み、それが大きなプレッシャーになった。戸川にとって音楽活動はそうしたストレスを発散させるものとして当初は位置付けてられており、本人はあくまでも本格派女優を目指していた。[5]
  • 1980年代初頭は、山崎春美率いるバンド「TACO」のボーカリストであったロリータ順子(1987年死去)とキャラがかぶっており、また個人的にも親交が深かった。
  • 1982年に『刑事ヨロシク』で初めてレギュラーの役を演じる。本人はこの役(事務員の西ツヤ役)を「性格のよい子」であるとし、とても気に入っていた。
  • 話のリズムや作品世界から、「変わっている」「個性的だ」との評価を受けることが多い。しかし、なかには「わざと個性的であるかのように見せている」「ネクラや病気を売りにしている」との誤解もあり、戸川本人はそうした誤解に苦しんだ。[4]
  • 自分とは違う人物になりきることが出来る点に芝居の魅力を見いだしている。また、ライブでの一見奇抜な衣装も、作品世界の様々な状況における人物になりきりたいという変身願望に基づいている。[1]
  • 自分の中に複数の人格が存在しているのではと感じており、どれもが自分の姿ではあるが、状況によってどの人格が出てくるかが異なると考えている。そのためか、撮影現場での自分の様子等を後日他人から話されると驚くことがある。様々な衣装で扮装するのが好きなのも、特定の何者かになりきることが出来るからである。[7]
  • 話し方に独特の間があるため、歌番組などのトークではその場が水を打ったような静けさになることがある。その間に聴き手が予想する答えと実際の答えが異なることが多く、これが聴き手を驚かせたり笑わせたりする要因であるといわれる。しかし、1人でしゃべるときはこの間があまり出ない。
  • 視力は0.01で乱視。このためか、人と話すとき相手の顔ではなく壁や机を見る癖がある。
  • 1990年に椎間板ヘルニアのため2か月ほど入院する。その間、髪を三つ編みにするなど、薄幸の少女になりきろうとしたが、治療のため病室用浴衣を後ろ前に着ざるを得ず、薄幸の少女にはなりきれなかった。[8]
  • 戸川本人の寝煙草が原因でボヤを起こしてしまいマスコミの標的になる。
  • 不思議少女」キャラであるため、周囲にその種の女性が寄って来ることが多かったが、本人はその種の人物が近寄ってくることを嫌悪していた。また、『笑っていいとも!』のコーナー「私、新聞・雑誌に出たことあります」に出演時には司会のタモリに「ちょっと近寄りがたいものありますが」と言われていた。
  • 香山リカの1980年代回顧本『ポケットは80年代がいっぱい』に、デビュー前の戸川は「クリスタル族の女子大生」として登場している。しかし、イケイケギャル風に描かれているので戸川本人はちょっと違うのではないかと思っている。

主な出演作品[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

テレビドラマ[編集]

テレビバラエティ[編集]

ラジオ[編集]

テレビCM[編集]

音楽作品[編集]

歌詞提供[編集]

書籍[編集]

  1. 樹液すする、私は虫の女 (1984年、勁文社 ISBN 9784766901122/1987年ケイブンシャ文庫 ISBN 9784766905434/2001年ABC出版より復刻 ISBN 9784900387836
  2. 戸川純の気持ち(宝島編集部編、1984年、JICC出版局 ISBN 9784880633930
  3. 戸川純のユートピア(1987年、廣済堂出版 ISBN 9784331502372
  4. ハート温泉 (月乃光司共著、2009年、新紀元社 ISBN 9784775306796

写真集[編集]

  1. JUN TOGAWA AS A PIECE OF FRESH(1988年、勁文社 ISBN 9784766908213/2005年ブッキングより「Jun Togawa as only a lump of meat」と改題し再刊 ISBN 4835441982

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 徹子の部屋』1984年8月9日放送分より[要高次出典]
  2. ^ 番組内のコーナー「THE DETECTIVE STORY」で大金持ちのマイペースな令嬢役を演じた。
  3. ^ この両方の作品に出演することは、松竹内で暗黙のうちに「禁止」されていたが、戸川がはじめてその禁を破った。
  4. ^ a b 徹子の部屋』1991年頃の出演より[要高次出典]
  5. ^ a b さんまのまんま』 1986年出演時より[要高次出典]
  6. ^ ばるぼら著『NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』(アスペクト)収録の戸川へのインタビューより。
  7. ^ 森田一義アワー 笑っていいとも!テレホンショッキング 1989年9月12日出演時より[要高次出典]
  8. ^ 森田一義アワー 笑っていいとも!テレホンショッキング1990年10月15日出演時より[要高次出典]
  9. ^ 戸川が歌う「怒涛の恋愛」とは同名異曲

参考文献[編集]

  • 樹液すする、私は虫の女 (1984年、勁文社
  • 戸川純の気持ち(宝島編集部編、1984年、JICC出版局
  • JUN TOGAWA GOES ON 〜ROOFTOP SPECIAL ISSUE〜 (2013年、Loft Project

関連項目[編集]

  • パール兄弟 - ハルメンズ時代から交流が深い
  • 平沢進 - 戸川は平沢の数々の楽曲に参加、逆に平沢もヤプーズに楽曲提供を行なう
  • 野坂昭如 - 戸川は野坂の「バージンブルース」をカバーしている
  • トリコミ
  • 大友良英 New Jazz Ensemble
  • BSマンガ夜話(準レギュラー)
  • 月乃光司 - 月乃の対談集に登場。また、ネットラジオ「オールニートニッポン」で、二人で、お悩み相談番組「ハート温泉」を放送。
  • 遠藤賢司 - シングル「エンケンのミッチー音頭」参加
  • 寺田創一 - 廃盤アルバム「KIMIGAYO」収録曲を昭和享年ライブオープニングで使用。「いかしたベイビー」でも使用。
  • 8 1/2 (バンド)(ハッカニブンノイチ) - 所属の泉水敏郎「LIFE STYLE」のアルバムに参加(8 1/2の100%レコードから発売されたソノシート「メモアール」は発行枚数が少なくほとんど流通しなかった。「NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流」より。)。
  • ハルメンズ - 2ndアルバム「20世紀」にボーカルとして参加。また「レーダーマン」、「少年たち」、「電車でGO」、「母子受精」、「昆虫群」(カバー曲名は「昆虫軍」)等の楽曲を多数カバーする。戸川がハルメンズのファンであったため。
  • 高見知佳 - シングル「怒濤の恋愛」で詞を提供。戸川の曲とは同名異曲である。
  • 泯比沙子 - 「戸川純の再来」「博多の戸川純」など話題となる。デビューアルバム「LOVE&WAR」のレコーディングにはその当時ヤプーズに在籍していた吉川洋一郎と比賀江隆男が参加。
  • 後藤まりこミドリ(G.Vo.) - 「平成の戸川純」と評され、新宿ロフトで「激突!戸川純VS後藤まりこ After the Drive to 2010」なるタイマン勝負イベントが行われた。後藤は公演後に『戸川さん、凄かった。直視できんかった。ほんま、凄かった。僕、彼女に、影響、受けてしまいそうやから、見たり、聴いたり、せんようにします。ほんま、凄かった。戸川純、とゆう人を、今まで、見ていなくて、よかった、と思いました。もし、見てたら、僕、影響、受けまくってた、と思います。かっこよかった。』などの感想を涙を流し語っていた。
  • ロリータ18号 - アルバム「NUTS THE ANIMAL」で「パンク蛹化の女」をカヴァー。
  • 日本橋ヨヲコ -(戸川純のファン)
  • 伊集院光 -(戸川純のファン)
  • 鳥居みゆき -(戸川純のファン)
  • 山田花子 -(戸川純のファン)
  • 宝野アリカALI PROJECT)-(戸川純のファン)
  • 神聖かまってちゃん -G.Voの子がファンであり、影響を受けていることを公言している。また戸川純もバンドを評価している。
  • 幽☆遊☆白書 - 作品に(名前のみ)登場。
  • 遠藤ミチロウ アルバム「I.MY.ME:AMAMI」で「蛹化の女〜パンク蛹化の女」をカヴァー。LIVE DVD「Just Like a Boy」には、戸川純と共演した「21世紀のニューじじい」が収録された。
  • 好き好き大好き! - 戸川純に影響を受けていると思われるゲーム
  • 松本都 - (戸川純の大ファン)2013年5月4日、大ファンが故に自身が代表を務める崖のふちプロレス横浜大会(対鈴木みのる戦)に本人に手紙を渡す格好で観戦を促すも、現れなかった。
  • BiS階段 -非常階段BiSの合体ユニット。avex traxから「好き好き大好き」のカヴァーをリリースしている。

外部リンク[編集]