アカシアの雨がやむとき

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アカシアの雨がやむとき
西田佐知子シングル
B面 夜霧のテレビ塔
(原田信夫)
リリース
時間
レーベル 日本グラモフォン
作詞・作曲 作詞:水木かおる
作曲:藤原秀行
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アカシアの雨がやむとき」(アカシアのあめがやむとき)は、1960年4月西田佐知子の歌唱により発表された楽曲名、及び1963年に公開された日活制作の歌謡映画(後述)である。シングルレコード盤の発売はポリドール・レコード(日本グラモフォン、現:ユニバーサルミュージック)。レコード品番はDJ-1062。

解説[編集]

A面とB面に異なる歌手の歌唱楽曲が収録されたシングルレコードの片面として、1960年4月に発売された。もう片面は、原田信夫が歌う「夜霧のテレビ塔」である。

その「アカシアの雨がやむとき/夜霧のテレビ塔」は、ポリドール・レコードから発売された西田佐知子の4枚目のシングル盤である。それ以前に発売された3枚も、異なる歌い手とカップリングされたシングルレコードであった。発売時のレコード・ジャケットは名前表記が当時の本名[1]とされる「西田佐智子」になっており、原田信夫の顔写真も掲載されていた[2]。しかし本楽曲が浸透した結果、レコード・ジャケットが西田佐知子のみの写真にレイアウト変更され、名前も現芸名の「西田佐知子」に修正されたリニューアル盤が制作され流通していった[3]

シングル盤の発売自体は前述の通り1960年であったが、『NHK紅白歌合戦』(以降「紅白」)では1962年第13回で初披露された。歌唱順は、紅組のトリ(島倉千代子)前である[4]。尚、紅白には前年の第12回に「コーヒールンバ」で初出場をしている[5]。紅白同様、年末に放送される日本レコード大賞では、1962年の『第4回輝く!日本レコード大賞』においてロング・セールスが評価され、「特別賞」が授与された。

紅白では、20回目の記念放送となった1969年第20回でも披露された。1962年の紅白映像はNHKに残されていないとされ、現存するのは第20回の映像のみである(モノクロ映像)。民間放送で本楽曲を歌う西田佐知子の映像が放送される場合、この第20回の歌唱映像が貸し出される事がある。カラー映像は、1968年12月27日にTBS系で放送された『日本レコード大賞10周年特別番組』に出演した時の映像と、結婚して仕事を大幅に減らしていた1975年にNHKで放送された『あの歌この人半世紀』に出演した時の映像が現存する。

1963年には、浅丘ルリ子主演、高橋英樹が相手役で西田佐知子本人も出演した日活制作の歌謡映画『アカシアの雨がやむとき』が封切られた。2002年の年末、NHK-BS2で放送された特別番組『あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白』において、VTR出演した浅丘が「もう一度聴きたい曲」として本楽曲を挙げ、第20回の映像が放送された。この第20回は、審査員として西田が独身時代親しかった浅丘も出演していた。

本楽曲で歌われるアカシアは、本当のアカシアではなくニセアカシアとされる。また、「アカシアの雨が止むとき」「アカシアの雨が止む時」「アカシヤの雨が止む時」など表記は幾つか散見されるが、近年発売される西田佐知子のベスト・アルバムではJASRAC届出の「アカシアの雨がやむとき」で統一されている。

ヒットした背景[編集]

「アカシアの雨がやむとき」が支持された背景として、「日米安保闘争」と関連付けて語られることが多くある[1]。その話りの中身とは、1960年1月の「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」調印を発端とした安保闘争後、反対運動の成果ゼロという結果に疲れた若者たちが西田佐知子の乾いたボーカルと廃頽的な詞に共鳴し、歌われたことで広まっていった、というものである[6]。そのため、テレビ番組では当時の世相を反映する楽曲として、安保闘争(とりわけ樺美智子死亡による抗議デモ)の映像のバックで流れることがある。

エピソード[編集]

西田佐知子がこの「アカシアの雨がやむとき」をレコーディングする際、なかなか上手く歌えず苦労していた時に、この曲の作詞者である水木かおるから『この曲は、芹沢光治良の『巴里に死す』という小説モチーフにして書いたものなの』と言われ、パリの風景をイメージして歌うようにしたことを語っている[7]

作者名[編集]

  • アカシアの雨がやむとき(3:32)

主な収録作品[編集]

アカシアの雨がやむとき

主なカバー[編集]

「アカシアの雨がやむとき」は、多くの歌手にカバーされている。1960年70年代前後では美空ひばり青江三奈ちあきなおみ藤圭子といった当時の第一線で活躍していた歌手がレコードに吹き込んだ。小林旭氷川きよしなど、男性歌手にもカバーされているほか、1980年代以降では『第16回思い出のメロディー』(NHK、1984年)において松田聖子が「母がよく口ずさんでいた」という理由で披露したり、工藤静香がカバー・アルバムで取り上げたりと[8]、世代を越えて演歌系でない歌手にもカバーされている。特に戸川純のカバーは、曲の初めと終わりに学生運動風の効果音を挿入しているのが特徴的である[9]

主なカバー例

映画[編集]

アカシアの雨がやむとき
監督 吉村廉
脚本 棚田吾郎砂山啓三
原作 川野京輔
製作 浅田健三柳川武夫(企画)
出演者 浅丘ルリ子
高橋英樹
西田佐知子
音楽 藤原秀行
撮影 姫田真佐久
編集 井上親弥
製作会社 日活
公開 日本の旗1963年4月14日
上映時間 89分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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本曲を題材にした歌謡映画が、1963年4月14日日活系で公開された。主演は浅丘ルリ子高橋英樹で、西田も助演している。日活カラー、日活スコープ、89分。

2012年2月29日に「オフィスワイケー」よりDVDが発売された。

スタッフ[編集]

出演者[編集]

同時上映[編集]

川っ風野郎たち

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 2007年3月28日にユニバーサルミュージックから発売されたCD-BOX西田佐知子歌謡大全集』(UPCY-9096/100)のブックレットライナーノーツ「60年代の歌姫 西田佐知子」(鈴木啓之著)参照。
  2. ^ 2003年11月26日にユニバーサルミュージックから発売されたベスト・アルバムGOLDEN☆BEST 西田佐知子』(UICZ-6041)のCDジャケットに掲載されている。
  3. ^ リニューアル盤の西田佐知子の写真も複数パターンが存在する。
  4. ^ 対戦相手はフランク永井。白組のトリは三橋美智也
  5. ^ 紅白での歌唱映像は第12回・第13回のどちらも現存しない。第12回における西田佐知子の歌唱写真は、『紅白50回 栄光と感動の全記録』(財団法人NHKサービスセンター、平成12年1月16日発行)に掲載された。現存する最古の紅白出演映像は、「エリカの花散るとき」を歌った1963年の第14回である。
  6. ^ 室伏哲郎著『ニッポン風俗・芸能グラフィティ』(2003年、自由国民社刊)参照。
  7. ^ 「特別企画:安保と青春 されどわれらが1960」のインタビューより /『文藝春秋』2010年12月号
  8. ^ 工藤静香はカバー・アルバム『昭和の階段 Vol.1』(規格品番:POCE-3202)で、本作の他に「コーヒールンバ」もカバーしている。
  9. ^ アルバム『昭和享年』(規格品番:TECN-20005)に収録された。