小堺一機

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小堺 一機
本名 小堺 一機
ニックネーム ムックン
生年月日 1956年1月3日(60歳)
出身地 日本の旗 日本 千葉県市川市
血液型 A型
身長 165cm(公称)
方言 共通語関東方言
最終学歴 専修大学経営学部卒業
師匠 勝新太郎
出身 勝アカデミー第1期生
コンビ名 コサキン(正式なコンビではない)
相方 関根勤
芸風 コントものまね
事務所 浅井企画
活動時期 1977年 -
同期 ルー大柴
所ジョージ
村上ショージ
ラサール石井
松本竜助
現在の代表番組 小堺一機と渡辺美里のスーパーオフショット
サタデープラス
過去の代表番組 ザ・トップテン
欽ちゃんのどこまでやるの!?
ライオンのいただきます
ライオンのごきげんよう
他の活動 司会者、歌手
配偶者  既婚
親族 小堺翔太(長男)
ほかに娘(2人)
受賞歴

小堺 一機(こさかい かずき、1956年1月3日 - )は、日本お笑いタレントコメディアン俳優である。

千葉県市川市出身。浅井企画所属。

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]

幼少時代を市川市真間で過ごした。その後、寿司職人であった父の職場移動に伴い、少年時代を東京・浅草で過ごす。ここで映画への興味を深め、またストリップ劇場など大人の世界にも触れた。さらに児童合唱団に所属するなど、華やかな世界への興味を抱くようになった。幼少の頃はデザイナーになることに憧れていたが、小学校の健康診断で色弱と診断されたために断念したという[1]。また、小学校(文京区立関口台町小学校[2])時代の同級生の一人に土方隆行がいる[3]

新宿区立牛込第二中学校[4]東京都立市ヶ谷商業高等学校研数学館を経て、専修大学に合格した。

芸能界入り[編集]

専修大学在学中の1977年昭和52年)、テレビ番組『ぎんざNOW!』(TBSテレビ)の「素人コメディアン道場」で第17代チャンピオンとなり、芸能界入りした。大学卒業後、勝新太郎が主宰する「勝アカデミー」に第1期生として入校し、翌年卒業した。勝アカデミーでは岸田森らに師事し、同期生にはルー大柴がいた。

その後浅井企画と契約し、本格的な芸能活動を始めた。『ぎんざNOW!』初代チャンピオンであり、浅井企画の先輩で長年の親友でもある関根勤(旧:ラビット関根)とコンビ「コサキン」(当初は『コサラビ』)を組み、ライブハウスの舞台に立ち修行を積む一方、『ザ・トップテン』(日本テレビ)の中継リポーター[5]として出演したのに続き、萩本欽一の看板番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日)の「クロ子とグレ子」で関根と共に人気を獲得。

「お昼の顔」[編集]

活躍が認められ、1984年(昭和59年)10月にフジテレビのテレビ番組『ライオンのいただきます』(1989年10月より『-いただきますII』に改題)の司会に抜擢、その後、後継番組として1991年(平成3年)1月から『ライオンのごきげんよう』(2016年3月放送終了)が開始、以来お昼の顔となっていた。また、関根と共にパーソナリティを務めたTBSラジオのラジオ番組『コサキン』シリーズは、深夜番組としては驚異的ともいえる27年半続いた長寿番組となった(2009年3月放送終了)。

1980から90年代にかけては俳優としてもテレビドラマ出演を多くこなした。『いただきます』『ごきげんよう』で司会者のイメージを確立しているが、原点となるものまね芸も続けており、『コサキン』シリーズで新ネタを卸し続けたほか、2010年代以降も『とんねるずのみなさんのおかげでした』で若手芸人に混じってものまねを披露している。

がん手術・休業[編集]

2004年平成16年)7月、首の腫瘤(しゅりゅう)の摘出手術のためにレギュラー番組を一時降板した。摘出の結果一部に癌化した細胞が検出され、後に自身がに罹患していることを公表した[6]。テレビ番組には同年8月30日の『ごきげんよう』の生放送で復帰したが、その際には、髪を白く染めるという意表をついた登場で注目を集めた。それ以後は金色の頭髪がトレードマークとなっていたが、現在は白髪であると本人が語っている。なお、従前より「髪の毛の後退」は小堺自身のネタであった。癌になったことをきっかけに禁煙し、現在は非喫煙者である。

家族[編集]

  • 妻と長男・長女・次女の5人暮らし。長男の小堺翔太はフリーアナウンサー(タイムリーオフィス所属)で、2006年(平成18年)からエフエム世田谷で大学生制作の番組のDJを務めていた。父の小堺秀雄は、第9次と第15次の南極地域観測隊に同行したこともある寿司職人であり、民間人としては初の南極越冬隊員[7]。1997年にはテレビ番組の企画で親子で南極を訪れている[8]。一機は父の縁で『南極観測の将来を考える会』の発起人を務めている。なお、会の代表である村山雅美[9]は、小堺の仲人である。父は以前「鮨一機」という名の寿司店を経営していたが引退。弟子が店を引き継いでいるが店名は変更された。
  • 幼少時代に、NHK専属の「東京放送児童合唱団」に所属し、同局公開番組『歌はともだち』等にも出演。タレントになった後も、レコード・CDも数枚リリースするほか、ドラマ舞台ミュージカル・CM等、幅広く活躍している。萩本欽一曰く、「小堺は『お笑い芸人』というより『エンターテイナー』」。タップダンスも得意である。また、デビューのきっかけとなったモノマネ芸(萩本欽一・田中邦衛田村正和など)でも知られている。
  • 人物評は「人畜無害」「お昼の顔」「当たり障りの無い司会者」「サイコロの達人」。ただし、「人畜無害」「当たり障りの無い」というのは「テレビでの顔」であり、実は自身の舞台公演やコサキンでのラジオ番組では毒舌コメントや辛辣なコメントをしている。テレビでは所謂・人畜無害キャラの小堺だが、それは本人曰く「氷山の一角に過ぎない」とのこと。爆笑問題が1993年(平成5年)ごろに都内のバーで偶然小堺と酒席を共にしたとき、テレビとは一転して「ブラック・コサカイ」と化した小堺の毒舌ぶりを目の当たりにしたという[10]
  • エネルギッシュな性格で、司会番組『ごきげんよう』や出演CMなどでも常にテンションが高い。自身の担当するラジオ番組『コサキンDEワァオ!』では「120%のパワー全開」とネタにされ、清水ミチコには「出たばっかりの若手芸人じゃないんだから」とたしなめられている。本人は「あれでも抑えているつもり」と発言している。
  • 30代に入ると頭髪が徐々に薄くなり、当時、本人が「前頭部後退」として頻繁に自虐ネタにしていた。現在でも「『危機一髪』を後ろから読むと『一機ない』や『一機うし』となる」などとネタにしている。
  • 童顔であり、顔は20代の頃と殆ど変っていない。

趣味・嗜好[編集]

映画好きで、無類の服好き。特にブランドものの洋服や靴、映画のDVDなどには目がなく、気に入ったものはすぐに買ってしまう。TAKEOKIKUCHIでは、小堺が足繁く通うことを知った菊池武夫が、自らコーディネートをするようになった程の上得意である。このこと(同じ服を色違いで買うことも多い)を、かつてラジオ番組(のちの『コサキンDEワァオ!』)内で告白してしまったため、関根やリスナーに「服の中に家がある」などといつもネタにされている。買って殆ど着ないという服も多いらしく、ラジオ番組のリスナーや後輩芸人にあげたり、家に遊びに来たルー大柴に小堺が着ないからと勝手に持って行かれたりしている。しかも季節の変わり目になると、ルーから「小堺、服くれ」という催促のハガキが送られてくる。

関根が格闘技マニアでゴルフが得意であるのとは対照的に、スポーツに対する興味が薄い(ジムで体を鍛えることはしている)。ラジオ番組では、スポーツ選手の名前が読めないことがたびたびネタにされている。高望山を「たかのぞみやま」、川相昌弘を「かわそう」、野茂英雄を「のしげ」、現役時代の高木豊内野手を「たかぎとようち野手」と誤読したほか、沢村忠沢村栄治を混同したこともある。

キャロル時代からの矢沢永吉の大ファン。矢沢と対談した関根から、矢沢の飲み残しのミネラルウォーターをお土産として貰い、それを冷蔵庫で大切に保管していたと語っていた。

熱狂的なゴジラファンであり、自宅にはフィギュアを飾っている。年の瀬になると東宝の怪獣映画を無性に見返したくなるという。ゴジラのライバルで好きなのはキングコングモスララドン。モスラについては「政治家でいうと石破茂さんみたいなタイプ」、ラドンについては「『七人の侍』で宮口精二さんが演じた久蔵とイメージがダブる」と語っている[11]

エピソード[編集]

少年時代にNHK総合の歌番組『歌はともだち』に塩屋浩三、長谷川コッペ、山尾百合子、山田隆夫らとグループを組んで出演していたが、番組の企画変更に伴いグループは解散。しかし数週間後に小堺が番組を観ると、小堺以外のメンバーは全員出演していたため、自分だけが降板させられたことを知る。その後大学時代に山尾からTBSの『ぎんざNOW!』への挑戦を勧められる。その場では固辞するが山尾が勝手に出場希望のハガキを出したため、オーディションに参加することとなった(『伊集院光 日曜日の秘密基地』2005年9月18日放送分より)。

若干28歳で『いただきます』の司会に抜擢された際、小堺は放送開始当日まで「ドッキリか何かだと思っていた」と語っている。また、小堺に番組司会を大抜擢した横澤彪は、番組開始当初「アルタへ遊びに来るような感覚で司会をしてください」と緊張をほぐすような発言をしていたが、番組開始2ヶ月後には「いつになったら面白くなるんですか」とバッサリ斬り捨てるような発言をするようになり、小堺は肝を冷やしたという。

『ごきげんよう』放送開始当初は、前身番組『いただきます(Ⅱを含む)』が生放送だったということもあって生放送と勘違いされ、放送時に道を歩いていると通りすがりの人から「番組は?」と声を掛けられることが多く、タクシー運転手には小堺をスタジオへ送ろうと声を掛けられたことがある。現在でも勘違いしている人がいるため、放送時間帯はなるべく家を出ない様にしている。

『ごきげんよう』での、自分は聞き役に回ってゲスト出演者の話をうまく引き出し、引き立てる技術は知られるところである。盟友の関根は、小堺の代役で司会を務めた際に、改めて小堺の司会の上手さが分かったと語っている。しかし『ごきげんよう』に関根がゲスト出演する時には、ラジオ番組『コサキン』出演時のテンションになってしまい、他のゲスト出演者や観客を置き去りにして2人だけの世界でトークをしてしまう。

薄い頭髪と丸顔は、しばしば共演者からもイジられる。『ごきげんよう』に2代目林家三平泰葉がゲストで来た時には、泰葉が「金髪豚野郎」と呼称した春風亭小朝に似ていると評された。明石家さんまからは「死にかけのマリモ」「草むらのテニスボール」とあだ名されたこともある。

毎年、後輩芸人や「おすまし」の出演者などを連れてニューヨークへ行き、ブロードウェイミュージカルや本場のショー・ビジネスを観ている。小堺がいわゆる「お笑い芸人」ではなく、スマートに笑いを提供する「エンターテイナー」を志向していることを証明する一面であり、ナンセンスコントやマニアックな笑いを追求する盟友の関根とは対照的である。なお上記のように服好きであるため、ニューヨークに行っても服を買っている。このため、ラジオ番組では「ニューヨークに服を買いに行った」などと言われることもある。

『ごきげんよう』が不動の人気を博してからNHKから出演オファーあり、その際NHK側から「どうですか? (売れたから)そろそろウチの局に出てみますか?」と高飛車に言われ、呆れると同時にNHKという組織に改めて強い怒りが湧いたという体験談をバラエティ番組の中で明かした。

以前、出演していたドラマで沢口靖子とのキスシーンがあり、その撮影当日になってからそのことを告げられ、びっくりしたらしい。しかも、自分はそのことで落ち着かない気持ちになったのに、沢口は平然と「じゃ、宜しくお願いします」と言ってきたので、「女優さんってすごいんだな」と改めて感じたらしい。

三宅恵介を通じて明石家さんまとも意気投合。80年代よりさまざまな番組で共演している。さんまの「引き笑い」を「伝授」されるなど仲が良く、さんまが「あなた誰ですか?」と知らないふりをすると、小堺が(はげ上がった)額を手のひらで隠し、それでさんまが「小堺!」と気づくというギャグが定番になっている。

2003年(平成15年)春頃に『めちゃ2イケてるッ!』内のコーナー「クイズ$マジオネア」に出演した際、小堺が若手時代に萩本欽一から受けた仕打ち(小堺曰く「やることなすことすべてを大将(萩本)に否定され、『お前なんか売れない』と言われ続けていた」など)を番組上の流れでやむを得ず告白した。その頃の小堺は本人曰く「週末はディスコで必ず踊りながら『萩本死ねーっ!』と言ってた」という。

2015年4月4日よりMBS制作で土曜日午前8時から放送開始のサタデープラスのMCに就任した。小堺が在阪局制作のレギュラー番組を担当するのはこの番組が初めてである。更に生放送番組であることから小堺は毎週土曜日は大阪で朝を迎えている。

2016年4月19日NHK総合スタジオパークからこんにちは』に初出演をした[12]

出演番組[編集]

バラエティ・情報番組[編集]

太字は現在出演中の番組。

その他[編集]

  • ザ・トップテン(日本テレビ) - レポーター・前説を担当。前身番組である『紅白歌のベストテン』放送末期より、前説やコーナー出演を務めていた。
  • ザ・ヒットステージ(TBS) - 1983年7月~1984年3月まで、愛川欽也の後任の2代目司会として出演。
  • 火曜ロードショー(TBS) - 1988年10月下旬〜1989年1月下旬までの解説者を担当。
  • 「2012年12月21日 マヤ暦の真実(前編)マヤ暦とは」(2010年3月23日、BS-TBS
  • 「2012年12月21日 マヤ暦の真実(後編)マヤ長老のトップ ドン・アレハンドロが語るマヤ暦の真実と祈り」(2010年3月24日、BS-TBS)
  • プレミア・ナビムービープラス

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

吹き替え[編集]

ラジオ[編集]

映像作品[編集]

  • 小堺一機&柳沢慎吾LIVE ライブマン★コミック君!!テレビくん登場の巻
  • コサキン仮面
  • コサキンDEラ"ジオ"! クロ盤
  • コサキンDEラ"ジオ"! グレ盤

CM[編集]

  • エバラ食品工業「焼肉塩だれ」(終了)
  • リフォームのナカヤマ(終了)
  • ライオン
    • アクロン」(終了)
    • 「ハリックス55」(終了)
  • シチズン時計「ジャンクション」(1985年)
  • 日立製作所日立カラーテレビ EXCITING」
  • 江崎グリコ
    • 「ギャグンシー」(フーセンガム、1980年代半ば)
    • 「ギャグメイト」(フーセンガム、1980年代半ば)
    • 「明るい農村」(クッキー、1980年代半ば)
    • 「ジャイアントコーン」(アイス、1988年
  • JR東日本「奥の細道300年キャンペーン」(1989年)
  • エースコック「スーパーカップ1.5」(1990年代)
  • ヤマハ発動機「TY50」(バイク、1978年・雑誌広告、広告コピーが「コメディアンでいえば、小堺一機。 バイクでいえば、YAMAHA TY50」だった)

ディスコグラフィ[編集]

特記の無いものはフォーライフミュージックエンタテイメントから発売。

シングル・EP[編集]

  • With (1986年8月発売、作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:瀬尾一三) - 小堺のプロポーズをテーマにした歌で、ドラマ『痛快!OL通り』の挿入歌。TBSラジオの番組『コサキン』のエンディングテーマとして20年近く使用された。またTBSラジオ『小堺一機のサタデーウィズ』やニッポン放送『小堺一機と渡辺美里のスーパーオフショット』のエンディングテーマとしても使用されており、こちらではアルバム『WITH』収録のリアレンジバージョンが使用されている。『コサキン』では、小堺の頭髪のことを歌ったWithの替え歌「ボウズ」がリスナーから送られてきて、番組内で話題になった。
  • ムーンライト・シィンギィング - 岡本一生の同名曲のカヴァー。『コサキン』で番組開始直後に流れていたことがあったが、「曲を聴いているうちに寝てしまい、番組を聴けなかった」というリスナーからの投書があり、番組内で「ムーンライト・スリーピング」と呼ばれたことがある。
  • 今夜だけ少年に帰りたい(1988年2月発売) - 自身主演ドラマ『空に星があるように』の主題歌。佐野めぐみとデュエット。
  • とりあえず大丈夫 …ひとりでいたい夜(1992年5月発売) - 自身司会番組『小堺一機の恋愛専科 色恋ざうるす』のエンディングテーマ。
  • フィナーレで出逢えたら(1998年2月発売)
  • I LOVE TOYS! (1998年7月発売)
  • 想い出して下さい(歌:サンドイッチ[18]

アルバム[編集]

  • The Nextdoor Boy (1986年8月発売)
  • Someone Like You -あなたに似た人- (1987年8月発売)
  • ポケットの砂(1988年7月発売)
  • マージナル(1989年2月発売)
  • 雑踏(1989年10月発売)
  • The Nextdoor Boy (1990年3月発売:復刻盤)
  • WITH (1990年5月発売:セルフカヴァーアルバム)
  • スノーマン〜お話し&サウンドトラック〜(1990年11月発売、ソニー・ミュージックレコーズ
  • 大のオトナが…(1991年5月発売)
  • 迎えにきたよ(1992年7月発売)
  • with K(1995年8月発売:デュエットアルバム)
  • 20 FAVORITE SONGS(2005年8月発売:ベストアルバム・通信販売)
  • サンドイッチのどこまでやるの(1986年1月発売)(歌:サンドイッチ

ものまねレパートリー[編集]

以下の6人に関しては、ラジオ『コサキン』の企画で本人の目の前でモノマネをし、本人から直々にモノマネをしていいという公認をしてもらった芸能人である。

他多数。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 雑誌『WaWaWa』のインタビューより
  2. ^ 2013/08/31(土)放送 | TVでた蔵 美の巨人たち
  3. ^ 2015年1月12日NHKBSプレミアムにて放送された『ザ・テレビっ子〜“懐かし番組”大集合!第3弾〜』内、小学校時代の写真の説明時に共に写っていると自身が発言
  4. ^ 2014.08.07 | Mediacrit ライオンのごきげんよう
  5. ^ 小堺の後任は事務所の後輩だった堀敏彦(現:テレビ新潟アナウンサー)が担当した。
  6. ^ 『ETVワイド ともに生きる 働き盛りのがん』 NHK教育テレビ、2006年4月8日放送
  7. ^ 出発の際にはまだNHKのアナウンサーだった野際陽子にインタビューされている。
  8. ^ 小堺一機「南極で流しソーメン」文藝春秋 2004年1号
  9. ^ 第9次と第15次の南極地域観測隊隊長。日本人として初めて南極点に到達。
  10. ^ 2009年8月9日放送の「爆笑問題の日曜サンデー」に小堺がゲスト出演した際の田中裕二の発言。
  11. ^ 週刊文春 2014年5月8・15日号より
  12. ^ 2016年3月31日までは13時から13時30分に放送されていたライオンのごきげんようのMCを務めていたため裏番組には出演できなかったが、番組が終了したためこの番組にも出演できるようになった。
  13. ^ “サンボマスター山口隆、小堺一機の新番組に2週連続出演”. 音楽ナタリー. (2016年4月8日). http://natalie.mu/music/news/182835 2016年4月8日閲覧。 
  14. ^ “コサキンラジオをテレビで再現、関根勤「小堺くんと会うと27歳の頃に戻る」”. お笑いナタリー. (2016年8月22日). http://natalie.mu/owarai/news/199029 2016年8月23日閲覧。 
  15. ^ 柄本時生、お笑い芸人役で連ドラ主演 恋の相手役に松井玲奈”. ORICON STYLE (2016年1月25日). 2016年1月26日閲覧。
  16. ^ 小堺一機、嵐・大野の父親役 6年ぶり共演に「波長は合う」”. ORICON STYLE (2016年4月18日). 2016年5月11日閲覧。
  17. ^ タイトルコールはテレビ東京放映時のみで、カートゥーンネットワークで放送される時はない
  18. ^ 欽ちゃんのどこまでやるの!?』内で企画されたユニットで、小堺と鳥居かほり藤井暁の3人組だった。この曲は、わらべに次いで番組のエンディング曲となった。

外部リンク[編集]