金沢明子
金沢 明子 | |
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生誕 | 1954年10月25日(68歳) |
出身地 |
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ジャンル |
民謡 演歌 |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1975年 - |
事務所 | カナザワオフィス |
公式サイト | カナザワオフィス |
金沢 明子(かなざわ あきこ、1954年10月25日[1] - )は日本の民謡歌手。千葉県市川市出身[1]。豊南高等学校女子部卒業[2]。
概要[編集]
3人兄弟の末っ子(姉と兄がいる)[1]。津軽民謡を得意とするアマチュアの民謡歌手であった父の影響で子供の頃から民謡を始める。
1970年に16歳で日本民謡協会主催の第19回全国大会個人優勝杯戦優勝。この大会で『秋田船方節』を歌った[1]。
1975年にアルバム『若い民謡』(ビクターエンタテインメント)でデビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「民謡界の百恵ちゃん」であった。1979年にゴールデン・アロー賞新人賞芸能部門受賞、芸術祭優秀賞受賞。
原田直之と共にNHKの番組『民謡をあなたに』の司会を務める。出演時にはジーパン姿で民謡を歌うという当時としては異例でもあったが、逆にそれが新鮮に映り彼女の人気と知名度の向上に繋がった。しかし当初はジーパン姿での出演には苦情の方も多くあったという。津軽民謡を得意としたが三味線奏者の本條秀太郎に師事したことによりレパートリーを広げ、民謡のレパートリーは300曲とも言われ、その場でリクエストに答えて即座に歌うコーナーもこなしていた。結果、1979年から2年連続『NHK紅白歌合戦』に出場。1日に3時間しか睡眠時間が取れなかった事もあった程の売れっ子歌手となり民放でも大活躍したが、フジテレビの社員と結婚後、人気が急落してしまった。この社員とは後に離婚し、歯科医師と再婚をする。
1982年に大瀧詠一プロデュースの「イエロー・サブマリン音頭」がヒットした。この曲はビートルズ結成20周年記念として企画された。現在でも自身の代表的な持ち歌となっている。
1991年6月21日に発売された、民謡をハウスミュージック風にアレンジしたアルバム『金沢明子HOUSE MIX(I・II)』がヒット。発売元のビクター発表で発売から約2か月で約5万5000枚(2作計)を売り上げた[3]。
清酒大関のCMのほか、ロウソクの炎を揺らさずに歌う日東あられ(現在は廃業、商品の一部は越後製菓などに譲渡)のCMでも当時話題になったが、その後充電期間を置きながらも地道に歌手活動を続ける。現在は民謡よりも演歌を主体にしており、ラジオパーソナリティーとしても活躍している。
他の活動では1984年に自身初のヌード写真集を発売している。
インターネットのヘビーユーザーでもあり、公式サイトのBBSの返答は本人自ら書き込みを行なっている。
楽曲[編集]
- イエロー・サブマリン音頭(訳詞:松本隆)
- タケちゃんマン音頭(田中真弓の『さすがの忍豚音頭』との両A面シングル)
- 浜千鳥情話(テレビドラマ『必殺仕事人』主題歌)
- 夢を飲まないか(「イエロー・サブマリン音頭」のB面だったが好評になり改めてA面で再発売)
- おしんの子守唄/おしん音頭
- 平成ミックス東京音頭
- ポケモンかぞえうた
- 大!天才てれびくんのテーマ2012(「大!天才てれびくん」2012年度OPテーマ)
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
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1979年(昭和54年)/第30回 | 初 | 津軽じょんがら節 | 08/23 | さだまさし |
1980年(昭和55年)/第31回 | 2 | 津軽あいや節 | 16/23 | 菅原洋一 |
※その他、1978年の第29回に原田直之と共にゲスト出演し、秋田音頭で応援合戦を行った。
出演歴[編集]
テレビ番組[編集]
- 民謡をあなたに(NHK総合)
- 民謡の祭典(NHK総合)
- ザ・スターボウリング(テレビ東京)
- どんとこい民謡(NHK総合)
- オレたちひょうきん族(フジテレビ系)
- 唄声チャチャチャ(チバテレ)
- 新・BS日本のうた(NHK BSプレミアム)
ほか多数
テレビドラマ[編集]
ラジオ[編集]
CM[編集]
脚注[編集]
関連項目[編集]
- 1975年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
- 千葉県出身の人物一覧
- オレたちひょうきん族
- おしん
- 本條秀太郎