三浦光紀

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三浦 光紀(みうら こうき、1944年6月27日 - )は、山形県酒田市出身の音楽プロデューサー。(石坂敬一は三浦を「現在の日本の音楽産業分野において、最強のアントレプレナー(起業家)型プロデューサーである」とコメント[1]しており、三浦本人は音楽事業家と言っている)

人物[編集]

  • 1968年4月キングレコードに入社。文芸部教養課に配属され、長田暁二プロデューサーのアシスタントとしてスタート。1969年に先輩プロデューサーの小池康之小室等を紹介される。教養課所属のために小室等との仕事をカタチにする企画としてギター教則レコード「フォーク・ギターの世界」を制作。それをきっかけに、アメリカのフォークソングに興味を持つ。1970年に中津川の全日本フォークジャンボリーの野外録音を強行。そこで高田渡はっぴいえんどと出会う。1971年の全日本フォーク・ジャンボリーではあがた森魚はちみつぱいムーンライダースの前身)を発掘。こうした一連の才気溢れる若いアーティスト達と仕事をしていく内に、英・米のフォークやロック、特にルーツ系ミュージックやそれらを体系的に記録するレーベルを深く知るようになる。
  • 1972年、キングレコード内に「ニュー・ミュージック(まさしくカテゴライズされたロックでもフォークでもない新しい音楽としての意味、このネーミングはこの時期三浦が名付けた。これは70年代半ば以降TOKYO SOUNDSとして完成され、90年代には渋谷系に発展する。)」を標榜するメジャーレコード初の独立レーベルである「ベルウッドレコード」を設立、取締役制作部長となる。社名の由来は当時の三浦を応援していたキングレコード文芸部長の鈴木実の「鈴木」から小室等が命名。マークは高田渡の長兄がデザインした。レーベルコンセプトとしては三浦が好きな「URCレコード」や「フォークウェイズレコード」にバーバンク系のサウンドカラーを加味したものをイメージしたとされている。三浦はベルウッド在籍中にアルバムを約50タイトル程制作している。代表作には「HAPPY END」(はっぴいえんど)「大瀧詠一」(大瀧詠一)「HOSONO HOUSE」(細野晴臣)「ごあいさつ」(高田渡)「私は月には行かないだろう」(小室等)「乙女の儚夢」あがた森魚「センチメンタル通り」(はちみつぱい)等々がある。
  • 1979年、自身の独立レーベル設立の為、日本フォノグラムを退社。(1995年に会長として復帰)
  • 1994年、「徳間ジャパンコミュニケーションズ」専務取締役(全体統括)に就任。
  • 1998年、コンテンツ制作への投資会社「アート・ネット(株主 伊藤忠)」設立。代表取締役会長に就任。
  • 2000年6月、徳間社長の要請により、マーキュリー・M・E社を退社し、徳間社長の後継者になるべく特別相談役に就任。10月、徳間社長の逝去により退任。
  • 2002年、アート・ネット退社。以降、音楽業界から離れ、C型肝炎治療もあり、日本とハワイの往復生活。
  • 2012年、キングベルウッドレコード創立40周年を記念し、「CD40タイトル」の総監修と「三浦光紀の仕事(CD4枚組BOX)」を出す。

現在、自身の関わった作品を中心に、日本のフォークやロックの名盤保存及び伝承につながる仕事のみマイ・ペースでやっている。

担当作品[編集]

LP[編集]

1970[編集]

小室等・小林雄二「フォークギターの世界」

V.A.「自然と音楽の48時間 1970年全日本フォークジャンボリー実況盤」

1971[編集]

小室等「私は月に行かないだろう」

高田渡「ごあいさつ」

V.A.「自然と文化の72時間 1971年全日本フォークジャンボリー実況盤」

1972[編集]

六文銭「キングサーモンがいる島」

高田渡「系図」

山平和彦「放送禁止歌」

西岡恭蔵「ディランにて」

あがた森魚「乙女の儚夢」

武蔵野タンポポ団「武蔵のタンポポ団の伝説」

大瀧詠一「大瀧詠一」

1973[編集]

はっぴいえんど「HAPPY END」

及川恒平「忘れたお話」

細野晴臣「HOSONO HOUSE」

高田渡「石」

山平和彦「風景」

岩井宏「30才」

南正人「南正人ファースト」

はっぴいえんど「CITY」

はつみつぱい「センチメンタル通り」

小室等「東京」

1974[編集]

はっぴいえんど「1973. 9. 21/ライブ!!はっぴいえんど」

西岡恭蔵「街行き村行き」

あがた森魚「噫無情」

オリジナル・ザ・ディラン「悲しみの街」

いとうたかお「いとうたかお」

はっぴいえんど「シングルス」

六文銭「シングルス」

及川恒平「名前のない君の部屋」

ザ・ディランⅡ「この世を悲しむ風来坊に捧ぐ」

加川良「アウト・オブ・マインド」

小室等「デッド・ヒート~’74年ライブ」

1975[編集]

ザ・ディランⅡ「ライブ!時は過ぎて」

朝野由彦「巡礼」

あがた森魚・大瀧詠一「僕は天使ぢゃないよ」

小室等「小室等コンサート70年9月16日」

武蔵野タンポポ団「もうひとつの伝説」

1976[編集]

矢野顕子「JAPANESE GIRL」

つづく〜

手がけたアーティスト[編集]

ベルウッド時代[編集]

発掘・育成[編集]

所属[編集]

日本フォノグラム時代[編集]

発掘・育成[編集]

所属[編集]

ジャパンレコード時代[編集]

発掘[編集]

所属[編集]

徳間ジャパン時代[編集]

所属[編集]

ズームリパブリック時代[編集]

所属[編集]

マーキュリー時代[編集]

所属[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 1995年5月29日付『ミュージック リポート』

関連項目[編集]