サンハウス

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サンハウス
出身地 日本の旗 日本 福岡県福岡市博多区
ジャンル ブルースロック
活動期間 1970年 - 1978年
レーベル BLACK
公式サイト HELLO!! SONHOUSE
メンバー
旧メンバー
  • 篠山哲雄(ギター)
  • 浦田賢一(ドラムス
  • 後藤龍一(ベース)
  • 浜田卓(ベース)
  • 坂田紳一(鬼平)(ドラムス)
  • 川嶋一秀(ドラムス)
  • 浅田孟(ベース)
  • 坂東嘉秀(ギター)

サンハウス (SONHOUSE) は、1970年に結成された日本ブルースロックバンドである。

メンバー[編集]

菊(柴山俊之
ボーカルハーモニカ担当。結成時から解散まで在籍。
鮎川誠
ギターハーモニカ担当。結成時から解散まで在籍。
奈良敏博
ベース担当。1973年1月から1977年10月まで在籍。1970年冬頃、臨時メンバーとして参加していた。
松田優作からの信頼も厚く、脱退後は“松田優作with EX”のメンバーとして活動。
シーナ&ザ・ロケッツのデビュー前のオリジナルメンバー。1988年に復帰。1989年発売アルバム『DREAM + REVOLT』リリース後に脱退。2011年復帰。現在まで活動中。

旧メンバー[編集]

篠山哲雄
ギター担当。結成時から1976年12月まで在籍。
浦田賢一
ドラムス担当。結成時から1974年2月まで在籍。
アルバム『CRAZY DIAMOND』(1983年)にクレジットされている。サンハウス脱退後は、SHOT GUNHAKATA BEAT CLUBで活動。博多時代から交流のあった武田鉄矢の薦めもあり、俳優としても活動。代表作はドラマ『3年B組貫八先生』。2003年に公開された映画『ROCKERS』では、主人公の父親役を演じた。
後藤龍一
ベース担当。結成時から1971年1月まで在籍。
浜田卓
ベース担当。1971年4月から1973年1月まで在籍。
坂田紳一(鬼平)
ドラムス担当。1974年3月から1977年10月まで在籍。
川嶋一秀
ドラムス担当。1977年10月から解散まで在籍。
浅田孟
ベース担当。1977年10月から解散まで在籍。
坂東嘉秀
ギター担当。1977年10月から解散まで在籍。

概要・来歴[編集]

バンド名の由来はアメリカ合衆国ブルース歌手サン・ハウス英語版の名前から。

アタックというバンドで演奏していた篠山が久留米のダンスホールに出演していた時、鮎川と知合う。アタックに鮎川も参加し、しばらくホールに出演演奏をするが、アタックはメンバーの音楽に対する意見の食い違いにより解散。その後鮎川が中洲のダンスホール「美松」でアルバイトを始める。その時のバンドマスター福間より制服のスーツを作れといわれ鮎川はそれが嫌で篠山に交代を頼む事に。その事で篠山がそのバンドで演奏する事になった。しかし福間は篠山の演奏が気に入らず、その時博多駅前に新しく出来るダンスホール「ハニー・ビー」に新しくバンドを組んで出演するよう篠山に仕事を斡旋。篠山は、やりたい音楽が出来ると鮎川を誘いメンバーをさがす、ボーカルは鮎川が少し前に知り合っていた柴山(後の菊)を篠山に紹介、三人は博多の喫茶店で「ブルースをやるバンドをやろう」と話し合った。福岡県にてホールなどで歌っていた当時大学生の菊こと柴山が、バンド結成のためオーディションを開催、ブルースギターを弾く久留米市から来た大学生、鮎川と出会い結成。

1975年テイチクレコード/BLACKより1stアルバム『有頂天』にてメジャー・デビュー日比谷野外音楽堂にてデビューライブ敢行。その後、ゴダイゴCharと共に全国ツアーを回る。

3rdアルバム『ドライヴ・サンハウス』の発売と同日の1978年3月25日、解散を決定。解散後、柴山は作詞家としてシーナ&ザ・ロケッツルースターズ、アクシデンツ、UP-BEATなど福岡県、北九州のバンドに詞を提供。鮎川は妻シーナと共にシーナ&ザ・ロケッツを結成。奈良敏博(Ba)、後期メンバー川嶋一秀(Dr)、浅田孟(Ba)を従えて活動。

1982年、12月31日、新宿ロフトでの企画ライブに出演。柴山俊之(Vo)、鮎川誠(Gu)、花田裕之(Gu)、川嶋一秀(Dr)のメンバーで、サンハウス時代のナンバーを演奏。この時の映像は、非公式ながら1990年代に『PREVIOUS LIVE/SONHOUSE』として発売された(10曲収録・VHS)。

ライブステージの柴山

1983年、サンハウス再結成。以下4箇所でライブを行う。東京(6月18日 渋谷LIVE INN、9月23日 日比谷野外音楽堂)、福岡(8月7日 福岡Super Live '83 小戸公園)、仙台(8月11日 ロックンロールオリンピック)。メンバー:柴山俊之(Vo)、鮎川誠(Gu)、奈良敏博(Ba)、浦田賢一(Dr)。日比谷野外音楽堂での演奏は、『CRAZY DIAMONDS〜ABSOLUTELY LIVE』というタイトルで、LPとカセットテープ2形態で同年11月25日にリリース。カセットテープは全20曲完全版であったが、LPは12曲収録であった。1990年8月21日にビクターから同タイトルのCDがリリースされるが、CDの収録分数の関係で18曲収録に留まり(「ロックン・ロールの真最中」「ミルク飲み人形」が未収録)、長く完全版が揃わない音源となっていた。2008年8月20日、紙ジャケ仕様の2枚組CDがリリースされ、漸くカセットテープと同じ20曲を収録した完全版となった。カセットテープ・LPでは「ステディ・ドライバー・マン」の歌詞が数箇所、断片的にテープ逆回しで処理されているが、CDではその処理は行われていない。

2010年、3度目となる再結成を果たし結成35周年を記念して全国5箇所のツアーを行った。2015年9月12日、サンハウス初期のメンバー、柴山、鮎川、奈良、浦田の4人で、鮎川主謀のライブ「マディ・ウォーターズ生誕100年祝賀祭」のために再び結集(イベントの出演は、シーナ&ザ・ロケッツ、サンハウス、永井”ホトケ”隆)。その際のライブ音源は2016年3月に『TIGER IN YOUR TANKーマディに捧ぐ』というタイトルでライブ盤としてCD(17曲収録)で発売。同年シーナ&ザ・ロケッツデビュー38周年を記念して博多で再結集。シーナ&ザ・ロケッツ、サンハウスの2バンドで11月28日福岡ドラムロゴスにてライブを行う。このライブの為にサンハウスの全盛期のメンバーで再集したサンハウスのリハーサルテープは40周年を記念して『サンハウス / HAKATA』としてCD化された。

2016年4月7日、「シーナの日」にシーナ&ザ・ロケッツ、サンハウス(菊、鮎川、奈良、篠山、鬼平)の2バンドで2日間ライブを行った。2日間のセットリストは、鮎川の運営するROKKET WEBにアーカイブとして残されている。

作品[編集]

シングル[編集]

  1. 地獄へドライブ/キングスネークブルース (1975年1月15日)自主制作盤
  2. ロックンロールの真最中/レモンティー (1975年6月25日)
  3. 爆弾/雨
  4. 夢みるボロ人形/あの娘は18才 (1975年11月25日)

アルバム[編集]

  1. 有頂天 (1975年6月25日)
  2. 仁輪加 (1976年6月25日)
  3. ドライヴ・サンハウス (1978年3月25日) - ライブ盤
  4. STREET NOISE (1980年) - 未発表曲集
  5. CRAZY DIAMOND (1983年) - ライブ盤
  6. POISON (1983年) - ベスト盤
  7. HOUSE RECORDED (1991年) - ブートレグ
  8. Back To The Live 1972 (1991年) - ライブ盤 ※ブートレグ
  9. Highway '61 Vol.1&2 (1994年) - 未発表曲集 ※ブートレグ
  10. ROCKIN' BLUES BEFORE SONSET (1998年) - 全曲集ボックス・セット
  11. 風よ吹け (2000年) - 1998年ライブ盤(CD/VHS/DVD)
  12. SONHOUSE TWIN PERFECT COLLECTION (2001年) - 全曲集
  13. THE CLASSICS 〜35th ANNIVERSARY〜(2010年) - 全8枚組ボックス・セット(CD:7枚/DVD:1枚)

脚注[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]