シーナ (歌手)

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シーナ
生誕 1953年11月23日
出身地 日本の旗 日本 福岡県北九州市若松区
死没 (2015-02-14) 2015年2月14日(61歳没)
ジャンル ロック
職業 歌手
担当楽器 ボーカル
タンバリン
活動期間 1978年 - 2015年
共同作業者 シーナ&ザ・ロケッツ
公式サイト SHEENA & THE ROKKETS' OFFICIAL WEB SITE a.k.a. RokketWEB
ビートルズ
エルヴィス・プレスリー
ディープ・パープルほか

シーナ(SHEENA、1953年11月23日 - 2015年2月14日[1])は、日本歌手。本名、鮎川 悦子(あゆかわ えつこ)旧姓、副田。夫でギタリスト鮎川誠と共に結成したロックバンドシーナ&ザ・ロケッツにてボーカルを担当。1978年にメジャーデビュー。1970年代当時、女性ロック・ヴォーカリストがまだ少なかった時代にメジャーシーンに躍り出て、第一線で活躍し続けた草分け的存在。初ステージから晩年に至るまでブランク期間なく活動した。

来歴[編集]

  • 1953年福岡県若松市(現北九州市若松区)生まれ。ひとり娘である。父はアメリカ軍基地のハウスボーイを経てダンスホールマネージャーになった(後に洋装店を継いだ)。子供の頃から父の経営するダンスホールで様々なダンスを踊っていたという。幼い頃は虚弱児だったが、体を鍛え、中学2年生の時に陸上部でNHK放送陸上の九州大会に出場、ハードル部門で予選1位通過するまでになる[2]。また、小学校の卒業アルバムの寄せ書きには「私は歌手になって世界中を回りたい」と書いていた。中学3年生の時に一人で福岡から東京まで家出をしたことを皮切りに、中学・高校時代は自由と様々な音楽を求めて家出を繰り返す「夢見る家出少女」だったという。
  • 1971年、高校3年生の夏休みに家出をして京都へ行く。その帰りに博多のダンスホール“ヤング・キラー”に立ち寄った際にロックバンド「サンハウス」で演奏する鮎川と出会う。ステージ終了後に意気投合、すぐに交際を深め、同棲生活を始めた。4年ほどの同棲を経て妊娠を機に結婚。1976年、双子の女児を出産。
  • 1978年、鮎川が所属いていたバンドが解散。同年、鮎川の楽曲を女性シンガーが歌うことになり、レコーディングスタジオについて行ったところ、その女性シンガーから唐突に水を向けられ、チャック・ベリーの「カム・オン」を歌うこととなった。それまでシンガーの経験はなかったが、幼い頃から「一枚でいいから自分で歌ったレコードを作りたい」という夢が再燃、「歌いたい」と鮎川に告白した。それを受けた鮎川が「シーナがヴォーカルをとるバンドを作ろう」と決意。シーナ&ザ・ロケッツを結成する至り、シーナはヴォーカルを担うことになった。同年、福岡から上京(幼い娘を両親に預けての決意だったという)。
  • 1978年10月25日、『涙のハイウェイ』でデビュー。ニュー・ウェーヴパンク旋風にあって、サウンドやビジュアル面で60'Sポップスから大胆なリスペクトをした内容になっている。バンド活動をするにあたり、活動名を「シーナ」とする。この名は、夫・鮎川の祖母の名前が「鮎川シナ」であったことと、2人が好きなバンド・ラモーンズの「シーナはパンクロッカー」という曲が由来[3]
  • 1980年ロサンゼルスの大手、A&Mレコードから英語版を全世界に向けて発表。
  • 1982年細野晴臣をはじめとするYMOチームのバックアップによるテクノとガールズ・ポップを融合させたソロアルバム『いつだってビューティフル』を発表する。 また、「ベイビー・メイビー」、「ハッピー・ハウス」、「キッチン・パニック」などキャッチーな言葉のセンスと飾らない自身の気質を活かした作詞でも定評を得た。
  • 2004年、北九州若松の野外音楽堂を使用した初のロック・フェスティバル「高塔山ロックフェス」を発案、以降シーナ&ザ・ロケッツとして11年間参加。
  • 2009年、北九州市の観光大使に任命される。同年、ロックでハッピーに生きる術を語った 『YOU MAY DREAM〜ロックで輝きつづけるシーナの流儀〜』を上梓。
  • 2010年テレビ西日本のテレビドラマ 『ハートブレイク屋台』で女優に初挑戦。また、出演者全員「GIRL!」にこだわったイベント「BAD GIRL ROCK」を発起した。
  • 2015年2月14日子宮頸癌のため東京都内の病院で死去[1]。61歳没。通夜は2月18日告別式2月19日に東京・下北沢の葬祭場で行われた。シーナの通夜には、アマチュア時代から親交があった海援隊武田鉄矢中牟田俊男千葉和臣)や内田裕也石橋凌YMO細野晴臣高橋幸宏浅井健一甲本ヒロト、映画監督の崔洋一、歌舞伎役者の中村獅童、写真家の鋤田正義ら多くの著名人をはじめ2000人が参列した。

人物[編集]

家族[編集]

鮎川と結婚後、3人の娘を儲けた。長女はモデルの鮎川陽子、次女はロックバンドDARKSIDE MIRRORSの鮎川純子。陽子と純子は双子である。三女に知慧子がいる。

著書[編集]

  • 『YOU MAY DREAM ロックで輝きつづけるシーナの流儀』(2009年12月、じゃこめてい出版) ISBN 9784880434148

出典[編集]

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  1. ^ a b シーナ&ロケッツのシーナさん死去”. デイリースポーツ (2015年2月14日). 2015年2月14日閲覧。
  2. ^ 後にステージ上で何時間も歌い踊れる体力はこの頃についたと本人は語っている
  3. ^ 『YOU MAY DREAM』p.103-104

外部リンク[編集]