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中牟田俊男

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中牟田 俊男
出生名 中牟田 俊男
生誕 (1949-07-21) 1949年7月21日(75歳)
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市
学歴 西南学院大学
ジャンル フォークソング
職業
担当楽器 ギターコーラス
活動期間 1972年 -
事務所 ネクストワン
共同作業者 海援隊

中牟田 俊男(なかむた としお、1949年7月21日 - )は、日本シンガーソングライターギタリスト作曲家であり、海援隊のメンバー。通称「ムーさん」。福岡県福岡市出身。

来歴・人物

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西南学院大学在学中の1971年武田鉄矢を誘い、海援隊を結成。1972年にデビューする。武田は福岡県立筑紫中央高等学校の同級生[1]1982年にグループを解散後、『IT(イット)』『プレーン・グラス』などのアルバムをリリースした。『IT(イット)』では、海援隊時代の曲「涙がらがら」や武田がソロで歌った「声援」などをセルフカヴァーしている。1993年に海援隊を再結成する。また、現在は海援隊と並行してのソロ活動を、東京の「四谷コタン」を中心に展開している(イベント名:「点景」)。

大学時代、武田ともう一人の高校の同級生の野田を誘い、ヤングラディーズ(後の海援隊)を結成する。アメリカンフォークを得意としていた。その後、海援隊はオリジナル曲を歌うことが中心となり、メンバーが激減、中牟田と武田のみとなるが、中牟田が千葉を誘い、海援隊は3人組としてデビューすることとなる。

海援隊では大ヒット曲の「人として」(『金八先生』第2シリーズ主題歌、千葉和臣と共作)や「あんたが大将」などを作曲することとなる。また、『3年B組金八先生』の主題歌では、歴代8シリーズの主題歌は千葉の作曲が多いが、第6シリーズの「まっすぐの歌」は中牟田の作曲であり、海援隊が一時解散期で武田がソロ名義でリリースした第3シリーズの「声援」も中牟田の作曲である。

2016年1月6日食道癌を発症し、入院している事が海援隊ホームページにて公表された。ホームページに掲載された武田のコメントによると、中牟田から報告があったのは昨年12月半ばで、1月に入院して治療にあたるという。武田は「数年前は私自身の病で中牟田を待たせたことがありますので、今度は私が待つ番だと前を向きました」と記すとともに、「しばらく中牟田のいない海援隊が続きますが、この事情と中牟田の思いを汲みおかれましてどうぞお待ち下さい」とファンに呼びかけている。

同年7月11日、博多座公演の第二部海援隊トーク&ライブで仕事復帰を果たす[2]

代表曲

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  • 踊り子(『贈る言葉』B面)
  • 涙がらがら
  • 路上にて
  • 俺の人生真中あたり

出演

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脚注

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出典

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