鮎川誠

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鮎川 誠
出生名 鮎川 誠
生誕 (1948-05-02) 1948年5月2日(70歳)
出身地 福岡県久留米市
学歴 九州大学農学部
ジャンル ロックンロール
ブルースロック
ソウルミュージックR&B
パブロック
ガレージロック
プロトパンクパンク・ロック
職業 ギタリスト
作曲家
俳優
活動期間 1974年 -
共同作業者 サンハウス
シーナ&ザ・ロケッツ
公式サイト SHEENA & THE ROKKETS' OFFICIAL WEB SITE a.k.a. RokketWEB
ビートルズ
レイ・チャールズ
ローリング・ストーンズ
ピーター・アッシャー
エルヴィス・プレスリー
ヤードバーズ

鮎川 誠(あゆかわ まこと、1948年5月2日 - )は、日本ギタリスト作曲家俳優ロックバンドシーナ&ザ・ロケッツ」のリーダー。1970年代博多を中心に勃興しためんたいロックの草分けの一人である。70年、ブルースロック・バンド、 サンハウスのギタリスト、コンポーザーとしてデビュー。78年、シーナ&ザ・ロケッツ結成、以降40年間にわたりロックのパイオニアとして疾走し続け、そのロック・スピリットと“カッコよさ”は、多くのファンの尊敬と憧れを抱かれている。福岡県久留米市出身。身長180cm。アメリカ人とのハーフ。トレードマークの黒縁眼鏡は、ピーター&ゴードンピーター・アッシャーの影響による。黒人ブルース音楽、トラディショナルなロック、ルーツミュージックに造詣が深く、その研究家としても知られ、音楽への愛情とその博識レベルは日本の音楽評論家を凌ぐほど高い。

経歴[編集]

  • 1948年福岡県久留米市に生まれる。父親がアメリカ人で母親が日本人。アメリカ軍軍人だが、会った記憶はない[1]。母親は料亭仲居で、のちに久留米市高牟礼会館で住み込みの管理人を務めた[2]。父が転任するとき母は誠と共に日本に残ることを選んだため双方は離れ離れになったが、誠は懸命にローマ字を覚えて父に手紙を書き送り、父からローマ字でしたためた日本語の返事を受け取るなど連絡は相互に続いていた[1]。しかし誠が中学生の時、父の訃報を伝えられた[1]。父が家に残したフランク・シナトラビング・クロスビーレコードが誠のアメリカとの最初の出会いだったことから、彼は後年「僕らのロックへの思いって、個人的なイマジネーションの問題なんですよ」と語っている[1]。「進駐軍」「あいのこ」などと呼ばれて差別を受け、母が紙芝居屋に抗議したこともある[2]。8歳まで母とともに高牟礼会館で暮らした[2]
  • 小学校5年生の時、誕生日のプレゼントとして母からガットギターを贈られ、「シューベルトの子守唄」や「トム・ドゥーリー」を練習。小学校高学年の頃、久留米の「小川レコード店」の試聴コーナーに入りびたり、レイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ (なんと言ったら)」を、続けて「ベスト・オブ・レイ・チャールズ」を買う。さらにエルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」「ハウンド・ドッグ」「冷たくしないで」などシングル盤を買う。
  • 中学時代はロックの他、野球バイクプラモデル、山歩き、魚釣りなどに熱中。中学2年生の時、リトル・リチャードに夢中になる。1964年1月頃、中学3年の時、隣席の生徒が弁当を包んできた新聞を見てビートルズの名前を知る。高校受験勉強中のFENでビートルズの音楽に接し、1964年、久留米の名門福岡県立明善高等学校に入学。同年、ローリング・ストーンズを知る。高校在学中に友人からマディ・ウォーターズなどブルースレコードを借りて聴いた事や、KBCラジオの当時の人気番組「ヤング・ポップス」の影響で洋楽に興味を持つ。高校時代は、部室にレコードプレイヤーがあるというだけの理由で新聞部に在籍。部室に友人のギターアンプを持ち込んで「ジェニ・ジェニ」「ルシール」「カンサス・シティ」などを練習していた。1965年冬、修学旅行に行く代わりに、その費用を払い戻させて、友人からエレクトリックギター(テスコのセミアコ)を4500円で購入。
  • 1966年、ビートルズ日本武道館公演に刺激されてアマチュアバンド「ザ・スランパーズ」で活動を始め、ローリング・ストーンズやビートルズ、ヤードバーズをコピー、久留米で一度だけライブを開く。親の反対にあったが、九州大学への進学を条件に許され、現役で九州大学経済学部を受験するもロックに熱中しすぎたために失敗。大学入学後のバンド活動を目的に1年間必死に独学で勉強し、1968年九州大学農学部に入学。同時期、浪人時代に知遇を得たバンド「ジ・アタック」に加入。家庭が貧しかったため、奨学金を貰って大学に通いつつ、福岡市中洲のダンスホールでハコバン(専属バンド)生活を送る。この当時は、主にフォー・トップステンプテーションズなどのモータウンナンバーや、ウィルソン・ピケットソロモン・バークオーティス・レディングジェームス・ブラウンブッカー・T&ザ・MG'sなどのスタックスナンバーを演奏していた。音楽活動の傍ら、生活のためモデルの仕事をしていた時期もある。
  • 数々の大手CM、映画、テレビドラマにも出演。渋谷エフエムにてBLUESVILL SHIBUYAのラジオ・パーソナリティをシーナと2001年から2013年まで12年間以上務めた他、「MONO」「ローリング・ストーンズが大好きな僕たち」「DOS/Vブルース」「200CDロックンロール」2007年「鮎川誠 '60s自伝」等、執筆した著作も数多い。
  • 1970年、ジ・アタックのギタリストだった篠山哲雄や、バンド活動を通して知り合った柴山俊之らとサンハウスを結成。1974年、九州大学農学部農政経済学科を卒業。同年、ワンステップフェスティバルにてジョン・レノンプラスティック・オノ・バンドと共演。1975年にメジャーデビューを果たし、リードギタリスト兼作曲家として、ボーカル兼ソングライターの「菊」こと柴山とともにバンドの顔となった。1978年の解散まで在籍。
  • 1976年シーナの妊娠を機に結婚。1978年、シーナの父に励まされて夫婦で上京し、シーナ&ザ・ロケッツ結成。この年に母を亡くしている。同年、エルヴィス・コステロの来日公演のオープニング・アクト(名目上・看板では対バンと明記)を福岡・大阪・東京で務めたとき、東京初日のステージで高橋幸宏から注目され、YMOのライブ・セッション(二度目の六本木ピットインでのライブ)に参加。その後、YMOの1980年のツアーに参加。ゲストでギターとして、神戸、福岡と武道館のステージを務める。
  • 1979年にアルファレコードへ移籍。イエロー・マジック・オーケストラメンバーの協力を得て、アルバム『真空パック』を発表。シングル「ユー・メイ・ドリーム」が、日本航空の「マイ・ハート・キャンペーン」のCMに起用され、ブレイクを果たす。その後、アメリカのA&Mレコード、フランスのスカイドッグ・レコードなど海外でもアルバムを発売。
  • 1984年ビクター・レコードへ移籍。またビクター内レーベルのSPEEDSTAR RECORDSには創設以来20年在籍している。
  • 1988年にはニューヨークのCBGBでライブデビューを果たす。ジョン・レノンオノヨーコの専属写真家で知られるBOB GRUENの写真集には"日本の最高峰パンクバンド"として幾度も取り上げられる他、国内・海外の様々なアーティストとの交流も深い。海外のアーティストからのラブコールも多く、2013年1月のウィルコ・ジョンソンとの東京セッションをはじめ、エルビス・コステロボ・ディドリーなどのツアーメンバーであるホーン・セクション/The Uptown Hornsらとライヴで共演・アルバムを共作している。ジョンソン来日時には、1990年のジャパン・ツアー(全国6か所)、2000年2006年とシーナ&ロケッツと一緒に国内でライブを行う他、2009年、2013年と2度東京でセッション・ライブを開催している。1993年には「LONDON SESSION」というタイトルでウィルコ・ジョンソンバンドと誠とシーナとでロンドン・レコーディングにて2枚のアルバムを制作しているほか、ジョンソンとのプライベートでの交流も深いことがよく知られている。
  • 1990年放送の学生援護会(現・パーソルキャリア)『サリダ』のテレビコマーシャルで「憲法第22条の歌」(職業選択の自由・アハハン)を歌ったことでも話題になった。
  • 1996年2月、まだインターネット黎明期に日本のバンドとして初となるホームページを鮎川が立ち上げ、インターネットとの奮闘を書き下ろした「DOS/Vブルース」を幻冬舎から発売。1998年AMDアワードを受賞し、シーナ、鮎川陽子と出席して賞を受ける。
  • 1998年フジロックフェスティバル'98 in Tokyoに出演。沖縄・北海道ツアー開催。5月鮎川誠生誕記念オールナイトパーティ開催。
  • 1999年3月、新宿ロフト最後の日にワンマン出演。5月ウィルコ・ジョンソン SHEENA & THE ROKKETS JAPANツアーを開催。12月、『ブルースフェス』at 新宿パークタワーに出演、ロイ・ゲインズと競演する。
  • 2001年初期の名曲から最近のヒット・ナンバーまでを網羅したライヴ・ベスト『爆音ミックス』を発売。鮎川が自ら運営するオフィシャルサイトにてファン投票により選曲された。4月、テレビドラマ『ちゅらさん』(NHK)にジョージ我那覇役で出演。那覇在住のロックの師匠という役柄。北九州博覧祭2001に出演。郡山ワンステップフェスティバル復活イベント『ワンステップへの旅 in うつくしま未来博』に出演。
  • 2002年鮎川のソロとして『Japan Blues Carnival 2002』に出演。SHIBUYA-AXにて開催された日韓交流イベントに出演。シーナ&ロケッツとラモーンズのDee Dee RAMONEのジョイントライブが急遽Dee Dee RAMONE死去により、追悼ライブとして行われる。
  • 2003年SHIBUYA-FM7周年を記念するライブ『SHIBUYA-CALLING』に出演。7月にベストアルバム「Dream BOX」、「The Greatest Sheena & The Rokkets」をリリース。フジロックフェスティバル'03、ライジング・サン・ロックフェスティバル2003 in EZO、ミュージックシティ天神に出演。11月にSHIBUYA-AXにてSHEENA & THE ROKKETS25周年ライブを開催。12月には福岡CBにて『HAPPY 25th ANNIVERSARY』を2Daysで開催。
  • 2004年シーナ&ロケッツ25周年を記念してリミックス盤『ELECTROKKETS』発売。さらに25周年を記念DVD『LOVE LIVE』発売。シーナが小学館・PRECIOUS創刊CMに出演。鮎川が大塚製薬のポカリスエットのCMに出演。シーナ&ロケッツで霧島酒造の黒霧島のCMに出演。黒霧島は大ヒットとなり、製造が追いつかない事態となる。北九州若松の野外音楽堂を使用した初のロック・フェスティバル「高塔山ロックフェス」を発案(以降シーナ&ロケッツとして14年出演)。
  • 2005年8月、鮎川が監修・執筆する『200 CD Rock'n'Roll〜俺たちが愛したパンク/ロック/ブルース』を学習研究社から発売。8月、鮎川とシーナが、リチャード・ヘルの映画『BLANK GENERATION』のトークショーに出演。存続の危機に立たされているCBGBを救済するために署名を呼びかける。10月ボロフェスタ'05@京大西部講堂イベントに参加。
  • 2006年3月、レコードコレクターズ誌3月号に28年分のレコードとともにシーナ&ロケッツ特集が組まれる。4月、RKB毎日放送「味わい・ぶらり旅~河童伝説を訊ねる、紀行」にシーナと出演。5月、布谷文夫と北海道ツアーを開催する。7月、第3回『T-JAM a.k.a. 高塔山フリー・ロック・フェスティバル2006』に出演。
  • 2007年2月、鮎川がデザインしたローリング・ストーンズ公認のTシャツがロサンゼルスで公式グッズとして発売される。8月、熊本市現代美術館にてトーク&ライブ開催。11月、福岡で一夜限りのサンハウス・ライヴを開催。ムツゴロウ動物王国にて初のシーナ&ロケッツのライブを行う。『GOLDEN HITS THE ALFA YEARS』ベストが発売。
  • 2008年シーナ&ロケッツ結成30周年を迎え、オリジナルアルバム『JAPANIK』をリリース。5月恵比寿ガーデンホールにて新作『JAPANIK』発売と結成30周年を祝う『S&R HAPPY 30th ANNIVERSARY SPECIAL』を開催。内田裕也、細野晴臣、高橋幸広、柴山俊之、永井隆、花田裕行、チバユウスケ、大貫憲章、DJ.IHARAらがゲストとして駆けつけた。5人編成となり、30th Anniversary Tourを開催。40本を超えたツアーは各地で、30年目が最もフレッシュなグループのライブとして話題を集める。6月日テレ開局55周年のCM『日テレGO!GO!』に、日本人アーティスト第一弾として出演。 Johnny B. Goodeを鮎川誠がカバー。7月映画『ジャージの二人』 堺雅人と鮎川誠のダブル主演。『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008 in EZO』に出演。北海道から沖縄まで36ヵ所にてツアー開催。ブルーノート東京にて『MAKOTO AYUKAWA "KOOL SOLO" plays Rock'n'Roll Hall Of Fame #1』、ビルボードライブ福岡にて2Daysを開催。
  • 2009年、シーナとユニクロのCMに出演。4月、プライベートで来日中のウィルコ・ジョンソンと共にライブを企画「TOKYO SAKURA SESSION 2009」をレッドシューズで開催。大人のロックショウ”、6地区14公演 ブルーノート名古屋、ブルーノート東京、ビルボードライブ大阪を始めとする。 各地ソールドアウト。着席でもロックンロールを体感できる事を証明。12月、シーナ自書伝的エッセイ著書「『YOU MAY DREAM』ロックで輝きつづけるシーナの流儀」(シーナ/シーナ&ロケッツ著)に鮎川も執筆。シーナはこの本で初めて手術のことを告白し、鮎川誠と共に爆音の中ステージで歌える喜びを綴っている。
  • 2010年鮎川誠が久留米のふるさと大使として久留米市から任命される。福島県郡山市立美術館にて鮎川・シーナによるトークショー『60'sロック談義』を行う。久保田麻琴プロデュース『京浜ロックフェスティバル2010』に出演。南青山RED SHOESにてシーナ主催による『BAD GIRL ROCK!』を開催。5月鮎川の誕生日にあわせて名古屋ダイアモンドホールにてライブイベントを開催。7月サンハウスを再結成し、35th ANNIVERSARY TOURを全国6ヵ所開催する。
  • 2011年3月九州新幹線開通式典に鮎川とシーナで出演していた当日、東日本大震災が起きてイベントが中止となる。7月シーナの故郷、北九州で東日本大震災復興支援チャリティーライブを開催、北橋健治市長にライブの全売上金を寄付する。9月布谷文夫と『スーパーセッション2011』を東京・北海道計4ヵ所にて開催。世界的なロック・フォトグラファーBOB GRUENの歴史的なロックスターばかりを撮影した写真集「ROCK SEEN」に唯一日本人アーティストして、シーナ&ロケッツのNY・CBGBでのライブ写真が2枚掲載されたことが話題となる。(2004年のボブ・グルーエンによるCBGB写真集にも同写真が掲載されている他、CBGB救済にも名を連ねている)
  • 2012年シーナの故郷、北九州市若松の若戸大橋50周年イベントにトークライブで出演。公開された映画『I'M FLASH!』は、豊田利晃監督が鮎川の作曲した「I'M FLASH」からインスパイアされて10年以上の構想を経て制作された。またI' M FLASH! BAND(Vocal:チバユウスケ、Drums:中村達也、Guitar:ヤマジカズヒデ、Bass:KenKen)による「I'M FLASH」の同曲カバーが映画のテーマソングとして使用されている。
  • 2013年、シーナ&ザ・ロケッツ結成35周年を迎える。結成当初よりバンド活動には一切のブランクがなく、日々積極的に全国各地でライブ・ツアーを行う。SHEENA & THE ROKKETSがウィルコ・ジョンソンのホストバンドとして、WILKO JOHNSON TOKYO SESSION 2013を開催する。ライブDVDを発売し即完売する。鮎川誠がレコード・コレクターズ1月号の”ニッポンのギタリスト名鑑”のトップ3ギタリストに選ばれる。4月から35TH ANNIVERSARY TOUR を全国25ヵ所にて開催する。5月富士スピードウェイにてハーレーダビッドソン日本上陸100周年を祝。1万人規模の来場者を魅了する。7月代々木公園のフリーフェス『EARTH GARDEN』に出演、投げ銭ライブにて過去最高の動員と投げ銭額を記録する。ウッドストック継承、長野の『フォーク&ロックフェス』に出演。FUJI ROCK FESTIVAL'13に5年ぶり、かつ5回目の出演。12月鋤田正義写真展にて鮎川誠&シーナのトークショーを開催。12月ニューイヤー・ロックフェス36年連続完全出場記録を更新。
  • 2014年5月鮎川誠 生誕 66年祭2デイズを行う。7月6年ぶりとなる18枚目のオリジナルアルバム「ROKKET RIDE」を発表。12曲の新曲は2日間で全て録音された。9月日比谷野外音楽堂にてワンマンライブを開催。福岡にてミュージックシティ天神、シーナの故郷・北九州若松にて高塔山ロックフェス開催。11月ヒステリックグラマーの30周年イベントに出演。
  • 2015年2月、シーナが病により急逝。今後の活動について鮎川はシーナの遺志を継いでいくことを明言し、シーナ&ロケッツを続行。鮎川が全曲のボーカルを取り、オリジナルメンバーの奈良敏博、川嶋一秀と共に3ピースで活動を続け、以降も数々のイベントやロックフェスに出演している。また鮎川とシーナの末娘であるLUCYが2015年4月7日「シーナの日#1」よりゲストボーカルをつとめる。特別なライブのみLUCYが入った4人編成でライブを行っている。シーナの四十九日を機に行われた鮎川誠のインタビューがCROSS FMのラジオ番組「HAPPY HOUSE〜The family's starting point」として放送。同番組は、第11回日本放送文化大賞・ラジオ部門グランプリを受賞し全国でも放送された。RKB毎日放送でも テレビ番組「豆ごはん〜追悼!愛され続けたロック歌手シーナ 若松の商店街からロック界永遠の女王へ!」として特集番組(2015年6月3日放送)が組まれ放送された。2016年6月にサンハウスの菊の69歳を記念したソロアルバムをプロデュース。シーナ&ロケッツの全面バックアップにより「ROCK'N ROLL MUSE」を発表する。
  • 2016年8月、最愛のパートナーであり、妻であり、日本の女性ロックボーカリストの先駆けであったシーナとの出会いから、シーナ&ロケッツ結成秘話、そしてずっと一緒に歩んできた日々を語ったロングインタビューをノーカットで「シーナの夢 若松、博多、東京、HAPPY HOUSE」(西日本新聞社)として書籍化。発売後2週間には増版される。またそのロングインタビューを放送したCROSS FM「HAPPY HOUSE」は、日本放送文化大賞グランプリを受賞。
  • 2017年、69歳(ロック年)を記念して、シーナ&ロケッツ史上初の全国47都道府県ツアー「47(SHEENA)ROKKET RIDE TOUR」を全県踏破して40周年目に突入した。4月には、 福岡ソフトバンクホークスから直々の指名を受けて、シーズン開幕の対 東北楽天ゴールデンイーグルス戦(4月23日、ヤフオクドーム)初の始球式に出演。(その後ホークスは2年ぶりの日本一となる)
  • 2018年デビュー40周年を迎えるにあたって鮎川誠の監修・選曲による41曲がリマスターされた最新ベスト盤「ゴールデン☆ベスト EARLY ROKKETS 40+1」、「ゴールデン☆ベスト VICTOR ROKKETS 40+1」をソニー・ビクターからそれぞれ2月28日、3月28日に2ヵ月連続Wリリース。また鮎川は、シーナの亡くなった年より4月7日をシーナの日として追悼イベント「シーナの日」を主謀し、細野晴臣をはじめ、縁の深いアーティストがゲスト出演している。2018年の4回目の「シーナの日」はベスト盤のリリースにちなんで、一夜に42曲を演奏してファンを魅了した。同年3月2日には、シーナ&ロケッツを題材とした、NHK福岡放送局制作の『福岡発地域ドラマYou May Dream〜ユーメイ ドリーム」』が九州・沖縄地方で放送[3][4][5]、同年9月24日には、NHK総合テレビジョンで全国放送された。

人物など[編集]

  • 長身と黒いサングラス・黒縁眼鏡、大のブラックコーヒー好きとしても知られ、コテコテの九州弁筑後弁/シーナの故郷の北九州弁とミックスした鮎川弁)、そして40年以上もメインで使用しているギブソン・レスポール・カスタム(1969年製、1970年のサンハウス時代に入手)がトレードマーク。1本のギターを40年以上ライブで使用し続け第一線で活躍しているギタリストは世界を見ても鮎川一人であり、ギネス世界記録ものだとされている。
  • 愛犬家としても知られ、上京以来、40年に渡り、犬を飼っている。ムツゴロウ動物王国から譲られた大型犬(ラブラドール・レトリバー、アイリッシュ・ウォーター・スパニエル)を一代目とし、3代目は近所のたばこ屋のおばあちゃんが飼えなくなった為、老齢のヨークシャーテリアを引き取った。同じくヨークシャーテリアの四代目は2011年の震災孤児を引き取っている。
  • 上京以来、東京都世田谷区下北沢に在住。これまで劇団の街だった下北沢を一気にミュージシャンの街に塗り替えた。1991年から始まったホームタウンの「下北沢音楽祭」では、鮎川のギターが音楽祭のモチーフとして用いられ下北沢の各所に旗が掲げられる他、2017年の世田谷区広報誌の巻頭インタビューにも選出されるほど。また、下北沢の地元商店街と共同して開催する保護犬猫を救う動物愛護イベントにも積極的に参加している。
  • 長女はモデル鮎川陽子。次女鮎川純子(JUNK THE RIPPER/陽子とは二卵性双生児)と三女鮎川知慧子(LUCY MIRROR)はロックバンドのDARKSIDE MIRRORSで活動中。
  • 著書に、パソコンとの出会いを熱く語った『DOS/V BLUES』、小説家山川健一との対談『ローリングストーンズが大好きな僕たち』がある。またソフトバンクの孫正義とアマチュア時代に交流があったことを、前出の『DOS/V BLUES』で記しており、孫正義の事を孫君と呼ぶ数少ないロックミュージシャンでもある。
  • 俳優として、テレビドラマ映画にも出演している。主な出演テレビドラマには、『ちゅらさん』(2001年-2004年、NHK)、『いつも心に太陽を』(1994年、TBS)、『愛情物語』(1993年、フジテレビ)などがある。近作は映画『ユモレスク〜逆さまの蝶〜』(2006年)、『ジャージの二人』(2008年)。『愛情物語』では、同郷出身で同じビートルズに影響を受けた財津和夫と共演している(財津は福岡市出身)。
  • 単独、あるいはシーナや鮎川陽子との共演でCM出演も多数。特に九州ローカルでは極めて多く、コンビニエンスストア「ポプラ」や焼酎の「三楽」「黒霧島」などのCMに登場している。全国向けでもジャノメミシン、「角瓶」(サントリー)、「博多んもんラーメン」(日清食品)、「WITH CLASS」(JT)、「サロンパス内服液」(久光製薬)、「ポカリスエット」(大塚製薬)、「ビッグジョン」、パルコ、ユニクロなど著名企業のCMへの出演が多い。日本テレビ開局55周年CM「日テレ55(GoGo)」にも出演。
  • 物書きにもファンは多く、マンガ家の岡崎京子、小説家の吉本ばななをはじめ、数々のマンガ・小説に鮎川と共にモデルとなって登場している。
  • トラディショナルなロック、ルーツ・ミュージックに造詣が深く、自身もそうした音楽からの影響を色濃く反映したロックサウンドを長年プレイし続けているが、ロキシー・ミュージックデヴィッド・ボウイルー・リードなどのほか、ザ・ストゥージズMC513thフロア・エレベーターズなどのガレージロック、ラモーンズクラッシュテレヴィジョンリチャード・ヘルなどのパンク・ロック、ジミ・ヘンドリックスクリームグレイトフル・デッドなどのサイケデリック・ロック、レッド・ツェッペリンなどのハードなロックも好む[6]
  • ウィルコ・ジョンソンイギー・ポップラモーンズの各メンバー、エルヴィス・コステロらとは面識・親交がある。
  • 中学時代の親友で後に一緒にバンドを組んだ親友は、鮎川の成績は常にトップクラスだったが、当人はそれを自慢にしたことは一度もなく、800人以上いた学年で1位だったことも成績表をある日こっそり盗み見てわかったことだという。一緒にやんちゃしていたが、当時から天才肌だったと語っている。[7]

アルバム[編集]

  • クール・ソロ(1981年、アルファレコード
  • LONDON SESSION #1(1993年、SPEEDSTAR RECORDS
  • LONDON SESSION #2(1993年、SPEEDSTAR RECORDS)
  • キングスネーク・ハイウェイ 鮎川誠 Early Works1975-1979(2007年、テイチクエンタテインメント) - サンハウス、シーナ&ザ・ロケッツ(アルファとの契約前)時代のコンピレーション

著書[編集]

映画[編集]

CM[編集]

その他、アサヒビール、トヨタ自動車、三菱電機、日本テレビ放送網、キリンビール、メルシャン、ユニクロ/UNIQLO、KITSON、三井ホーム、日本たばこ産業(JT)、森永製菓、小学館、ヤクルト、明治製菓、東洋水産、デジタルツーカー九州、ボーダフォン、ユニチャーム、東レ、BIG JOHN、キングジム、和光、ユニー/アピタ、クレディセゾン(セゾンカード)、マンダム、renoma/レノマ、東京サマーランド、ほっかほっか亭/プレナス、ドイ(カメラのドイ)、他、多数出演。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 『AERA』1996年6月3日号
  2. ^ a b c NHK九州沖縄スペシャル「ただいま!〜鮎川誠 還暦ロックンローラーふるさとへ〜」2008年4月13日。
  3. ^ “シーナ&ロケッツの半生がNHK福岡でドラマに!” (日本語) (HTML) (プレスリリース), 日本放送協会, (2017年10月20日), http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=12060 2017年10月21日閲覧。 
  4. ^ “ロックバンド「シーナ&ロケッツ」半生をドラマ化 NHK福岡”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年10月20日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/10/20/kiji/20171020s00041000239000c.html 2017年10月21日閲覧。 
  5. ^ 福岡発地域ドラマ「You May Dream」”. NHK福岡放送局. 2018年1月9日閲覧。
  6. ^ フジテレビ系の音楽番組「MUSIC SOUP -45r.p.m.(revolution per man)」にて。
  7. ^ 読売新聞 「道あり」全7回連載(2018年10月)にて。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]