プラスティック・オノ・バンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プラスティック・オノ・バンド
別名
  • エラスティック・オズ・バンド
  • プラスティック・オノ・エレファント・メモリー・バンド
  • プラスティック・ユー・エフ・オノ・バンド
  • プラスティック・オノ・ニュークリアー・バンド
  • ヨーコ・オノ&プラスチック・オノ・スーパー・バンド
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン[1]
ジャンル
活動期間
レーベル
  • アップル(1969年 - 1975年)
  • キメラ・ミュージック(2009年 - )
共同作業者 フィル・スペクター
公式サイト プラスティック・オノ・バンド 公式サイト
メンバー バンド名の変遷と参加メンバーを参照

プラスティック・オノ・バンドPlastic Ono Band)は、1969年から1975年にかけて、ジョン・レノンが主にオノ・ヨーコとともに音楽活動を行う際に使用したバンド名、並びに、活動のたびに変遷を重ねたバンド名を含む総称である。

レノンの死後、オノは2009年より「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」として音楽活動を再開している。

解説[編集]

バンドのコンセプトは「実在しない概念的なバンド」「固定メンバーがいない」「観客もバンドのメンバー」[注釈 1]というレノンの構想が基になっている[1][2]。そのため、レコーディングやライヴを行うたびに招かれたミュージシャンがメンバーとしてクレジットされ、バンド名もその都度変化していった[注釈 2]。バンド名は、オノがレコーディングのためにプラスティック製のスタンドを使っていたことから、レノンが命名したものである[3]

始動:ジョン&ヨーコ[編集]

1969年1月の「ゲット・バック・セッション」を終えたビートルズの各メンバーは個別に活動を行っていた[注釈 3]。レノンは3月20日、ジブラルタルでオノと結婚すると、3月26日から31日にかけて新婚旅行先のオランダアムステルダムで「平和のためのベッド・イン[注釈 4]を行うなど、二人の動向を大々的に報道するマスコミを利用して、「平和活動パフォーマンス」を行っていった[注釈 5]

5月12日、レノンとオノはEMIスタジオで、3月にジョージ・ハリソンビリー・プレストンと行ったジャム・セッション[注釈 6]の音源のミキシング作業に参加し、ハンドクラップ音をオーバーダビングした。この曲には「Jam Peace」というタイトルが付けられ、アーティスト名は「プラスティック・オノ・バンド」とクレジットされた[注釈 7]。これがバンド名の最初の公式使用であった[6]

5月26日からレノンとオノは カナダモントリオールで2回目の「ベッド・イン」を行い、6月1日には様々な著名人をホテルに招いて「平和を我等に」のレコーディングを行った。さらに2人で「ヨーコの心」のレコーディングも行った。この2曲は「プラスティック・オノ・バンド」名義初のシングルとしてイギリスでは7月4日にリリースされ、シングル・チャートで2位を獲得、アメリカでも7日にリリースされ、ビルボードで14位まで上昇した。

8月にアルバム『アビイ・ロード』のレコーディングが終了すると、レノンとオノはエリック・クラプトンらとともに、9月13日にカナダのトロントで開催された「ロックン・ロール・リバイバル・コンサート」に「プラスティック・オノ・バンド」として初めてのライヴ出演をした[注釈 8]。9月末から10月はじめにかけて、コンサートで新曲として演奏した「コールド・ターキー」と「京子ちゃん心配しないで」をリンゴ・スターやクラプトンらと録音し、10月24日にセカンド・シングルとしてリリースした[注釈 9]。「コールド・ターキー」はBBCなどで放送禁止曲に指定されてしまった[注釈 10]が、イギリスでは14位、アメリカでも30位を記録した。

11月26日、レノンは1967年のセッションで録音されていた「ユー・ノウ・マイ・ネーム」と『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム)』のレコーディング・セッションで録音されアウトテイクとなっていた「ホワッツ・ザ・ニュー・メリー・ジェーン」を「プラスティック・オノ・バンド」のサード・シングルとするために編集作業を行った。12月5日にリリースすることがアップルから公式に告知されたが、直前になって中止となった[注釈 11]

レノンは12月15日にロンドンで行われるユニセフ主催の『ピース・フォー・クリスマス』コンサートに出演するため、9月のトロントでのメンバーに招集をかけた[7]。すると、デラニー&ボニーのツアーに同行していたクラプトンがハリスンらツアー・メンバーを引き連れて参加した。この模様は後にアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収められ、メンバーは「プラスティック・オノ・スーパー・グループ」と名付けられた[8][9]。また同時にニューヨークタイムズスクエアなど世界11都市[注釈 12]で一斉に「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT Happy Christmas From John & Yoko 」とクリスマス・メッセージが書かれた看板を設置するとともに、ポスターを貼り出したり新聞広告を出したりなどの平和キャンペーンを行った。レノンは看板の費用を尋ねられたとき、「私は知らないが、それは誰かの人生よりも安い」と答えた[10]

1970年1月27日、「インスタント・カーマ」を作曲からレコーディングまで丸1日で仕上げ[11][12]、オノの「誰が風を見た」とともに「プラスティック・オノ・バンド」のサード・シングルとして僅か10日後の2月6日にリリースした[13]フィル・スペクターがプロデュースしたこの曲はイギリスで5位、アメリカでも3位を獲得する大ヒットとなった[注釈 13]

9月26日~10月9日にかけて、レノンはスペクターを迎えてアルバム『ジョンの魂』のレコーディングを行うと、引き続き10月10日~11月6日にかけてヨーコのアルバム『ヨーコの心[注釈 14]のレコーディングを行った[14]。12月11日に「ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド」「ヨーコ・オノ/プラスティック・オノ・バンド」の名義で2枚同時にリリースした[15]

1971年1月21日、イギリスの労働運動家との対談[注釈 15][16]で触発を受けたレノンは、より強く直接的なメッセージソングを作ろうと考え、「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を作曲すると、翌日すぐにレコーディングを行った。3月12日にイギリスでオノの「オープン・ユア・ボックス」とともに「ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド」「ヨーコ・オノ/プラスティック・オノ・バンド」の名義でリリースした[注釈 16]

5月22日、わいせつ雑誌の出版にあたるとして前年に訴追されたイギリスのアンダーグラウンド雑誌『オズ』の支援を依頼されていたレノンは「ゴッド・セイヴ・オズ」と「ドゥ・ジ・オズ」の2曲をレコーディングした[17]。しかし、契約上の理由でそのままリリースすることは出来なかったので、6月16日にマル・エヴァンズが連れてきたビル・エリオット[注釈 17]と、オノのボーカルをオーバーダビングした。その際、アメリカでは『オズ』の認知度が低かったため、レノンは題名と歌詞が理解されないと考え直し、「ゴッド・セイヴ・オズ」から「ゴッド・セイヴ・アス」に変更した[17]。7月にリリースする際には「(ビル・エリオット・アンド・)エラスティック・オズ・バンド」[注釈 18]名義で行われた。

一方6月6日にはニューヨーク・フィルモア・イーストでのフランク・ザッパ&マザーズ・インベンションのライヴにレノンとオノがゲスト出演し、この模様も後にアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収められた[注釈 19]

6月23日から7月5日の間、レノンはアルバム『イマジン』のレコーディングを行うと、ほぼ同時期にオノもアルバム『フライ』のレコーディングを行った。

停滞:アメリカ移住[編集]

1971年9月、レノンとオノは活動の拠点をアメリカのニューヨークに移すと、9日に「ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド」名義で『イマジン』を、21日には「ヨーコ・オノ/プラスティック・オノ・バンド」名義で『フライ』をリリースした。

10月28日から31日にかけて「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」と「ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ」をレコーディングし、アメリカで12月1日に「ジョン&ヨーコ&プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・ザ・ハーレム・コミュニティ合唱団」と「ヨーコ&プラスティック・オノ・バンド」名義でリリースした[注釈 20]

12月10日にレノンとオノはミシガン州アナーバーで行われたジョン・シンクレア支援コンサートに出演、さらに12月17日にはニューヨークのアポロ・シアターで行われアッティカ刑務所暴動の犠牲者の家族のためのベネフィットコンサートにも参加した。レノンはこれらの音源も『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録するつもりでミキシングを行ったが、結局実現はしなかった[注釈 21]

12月15日、レノンは世界中をクルーズ船で巡りながら寄港地で地元のバンドとセッションやコンサートを行うという「ザ・ジョン&ヨーコ・モービル・ポリティカル・プラスティック・オノ・バンド・ファン・ショー」の構想を発表した[19]。しかし、当時レノンは大麻不法所持による逮捕歴を理由としたアメリカへの再入国禁止処分中で、自由にアメリカ国外へ出ることができなかった[注釈 22]ため、地元ニューヨークのロック・バンド、エレファンツ・メモリージム・ケルトナーらセッション・ミュージシャンとの活動に限定されてしまった。

1972年3月に『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』のレコーディングを終えると、レノンとオノはセッションに参加していたエレファンツ・メモリーのアルバム制作を4月から5月にかけて行った。「ローカル・プラスティック・オノ・バンド」という曲も録音され、アルバムの最後に収められた[注釈 23]

4月24日、先行シングル「女は世界の奴隷か!シスターズ・オー・シスターズ」を「ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー・アンド・インヴィジブル・ストリングス」名義でリリースしたが、世の中には日常的に差別が存在していることを明らかにする目的で、あえて差別用語「ニガー」を使ったために放送禁止となってしまった。しかし、5月11日にエレファンツ・メモリーを引き連れて出演した「ディック・キャベット・ショー」では、レノンは「女は世界の奴隷か!」を、オノは「ウィー・アー・オール・ウォーター」を披露した。

6月12日にアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』をアメリカでリリースしたが、政治色の強さが災いしたために低評価で、チャートもビートルズ解散以降最低の48位にとどまった[注釈 24]

8月30日、レノンとオノはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた、テレビ司会者ジェラルド・リベラ主催の精神発達遅滞児童を援助するためのチャリティ・イベント「ワン・トウ・ワン」コンサートに「ザ・プラスティック・エレファンツ・メモリー・バンド」として出演した[20]

9月6日には筋ジストロフィー患者を援助する24時間チャリティTVスペシャル『ジェリー・ルイスレイバー・デイ・テレソン』にエレファント・メモリーとともに出演した。

その後、レノンは『サムタイム・イン~』への不評、FBIによる監視[注釈 25]、そしていくつかの訴訟[注釈 26]を抱えたことの影響で創作意欲を失い[21]、1972年10月~11月にかけて行なわれたオノのアルバム『無限の大宇宙』のレコーディングと、1973年3月にロサンゼルスで行われたリンゴ・スターへ提供した「アイム・ザ・グレイテスト」のレコーディングへの参加を除き、音楽活動から遠ざかってしまった。

分裂:二人の別居[編集]

1973年1月8日、オノは「ヨーコ・オノ/プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー、エンドレス・ストリングス・アンド・クワイア・ボーイズ」名義で『無限の大宇宙』をリリースすると、シングル「女性上位万歳」を「ヨーコ・オノ・アンド・プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・エレファンツ・メモリー」名義で、日本限定リリースを行った。

4月1日、レノンはオノとニューヨークで会見を開き、概念上の国家「ヌートピア」の建国を宣言した[22][23]

6月3日、オノはマサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学全米女性機構(NOW)の主催で行われた第1回国際フェミニスト会議に招かれ、講演を行った[24]。その際、レノンを従えてライヴ・パフォーマンスも行った[注釈 27]。この会議の参加者との交流で触発され多くの曲を作ったオノは、出来上がった曲をアルバムにすべく、デヴィッド・スピノザなどニューヨークのセッション・ミュージシャンを集めてレコーディングを開始した[25]。このアルバム『空間の感触』が完成すると、レノンも新しいアルバムを同じメンバーで録音したいと考え、7月から8月にかけてレコーディングを行った[26]。セッション開始直後にオノの提案で別居が始まると、レノンは終了後にロサンゼルスに移住した[27]

10月29日にアルバム『マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)』を「ジョン・レノン/ザ・プラスティック・ユー・エフ・オノ・バンド」名義でリリース、続いて11月2日に『空間の感触』を「ヨーコ・オノ/ザ・プラスチック・オノ・バンド・アンド・サムシング・ディフレント」名義でリリースした。

1974年7月から8月にかけて、レノンはアルバム『心の壁、愛の橋』のレコーディングを行った[注釈 28]。9月23日に「ジョン・レノン・ウィズ・プラスティック・オノ・ニュークリアー・バンド」名義でリリースした、エルトン・ジョンが参加した先行シングル「真夜中を突っ走れ」はレノン初の全米1位となり[注釈 29]、3日後の26日にリリースされたアルバムも『イマジン』以来の全米1位となった。

一方、オノは8月10日から19日の間、「ヨーコ・オノ&プラスティック・オノ・スーパー・バンド」として5都市6公演の日本ツアーを行った[注釈 30]。ツアーに先立ち、日本限定シングル「夢を持とう/イット・ハプンド」[注釈 31]をリリースした。ツアーの初日は7月31日から8月10日の間、 福島県郡山市開成山公園で開催された『ワンステップフェスティバル』の最終日に行われた野外ロックコンサートだった[29][注釈 32]。なお、当時レノンとオノは別居状態が続いており、「プラスティック・オノ・バンド」の音楽活動の中で生前唯一レノンが全く関わっていないものとなった。

停止:ジョンの死[編集]

1975年2月にカバー・アルバム『ロックン・ロール』をリリースすると、レノンはEMIキャピタルとのレコーディング契約が満了する前に新曲のアルバム制作を計画していた[注釈 33]が、折しも前年末に和解したオノが妊娠したため[注釈 34]、過去の作品を集めたコンピレーション・アルバムをリリースすることにした[31]。10月20日にベスト・アルバム『シェイヴド・フィッシュ〜ジョン・レノンの軌跡』を「ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド」名義でリリースした後、息子ショーンの育児に専念するため音楽活動を停止した[注釈 35]。これによりこのベスト・アルバムは生前レノンが関わった「プラスティック・オノ・バンド」最後の作品となった。

1980年11月にオノとの共作アルバム『ダブル・ファンタジー』をリリースした後、レノンは翌年にワールド・コンサート・ツアーを行う計画を進めていた[3]が、12月に殺害されてしまったため、「プラスティック・オノ・バンド」の名称を彼が使う機会は失われてしまった。またオノもレノンの死後、断続的に音楽活動を行っていたが、「プラスティック・オノ・バンド」の名称を使うことはなかった。

再始動:ショーン&ヨーコ[編集]

2008年9月に息子ショーンチボ・マット本田ゆからと音楽レーベル「キメラ・ミュージック」を立ち上げると、オノはレーベルのコンピレーション・アルバムに「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」として参加することを決め、レコーディングを行った[注釈 36][32]

2009年1月21日、キメラ・ミュージックはコンピレーション・アルバム『Chimera Music Release No.0』の日本先行リリースに合わせて、東京渋谷のLIQUIDROOM ebisuでショーケース・ライヴ「Chimera Music Show」を行った[33]。その際、オノはゲスト出演していたコーネリアスこと小山田圭吾とそのバンドの演奏を非常に気に入り、彼らをニューヨークに招き、ダニエル・カーターなど地元の即興演奏家たちとともに新しいアルバムを制作することにした[34]。アルバム『ビトウィーン・マイ・ヘッド・アンド・ザ・スカイ』が完成すると、9月16日の日本先行リリースに合わせて来日し、テレビ番組に出演するなど[注釈 37]、積極的にプロモーション活動を行った。さらに11月18日に東京国際フォーラムで、24日には大阪芸術ホールで35年ぶりの来日公演を行った[37][41][注釈 38]。また11月26日には東京でショーケース・ライヴ『CHIMERA MUSIC SHOW #1』に出演した。

2010年2月16日、ニューヨークにあるブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックのハワード・ギルマン・オペラハウスで、約40年ぶりとなる1日限りのコンサート『WE ARE PLASTIC ONO BAND』を開催した[42]。このライヴには、クラプトン、ポール・サイモンベット・ミドラーらがゲスト出演した[43]。また10月1日、2日には『WE ARE PLASTIC ONO BAND スペシャル・アンコール・パフォーマンス』として、ロサンゼルスのオルフェウム・シアターでコンサートを開催した[43][44]。このライヴには、ネルス・クラインイギー・ポップレディ・ガガキム・ゴードンサーストン・ムーアらがゲスト出演した[45][46]

2011年3月27日、オノとショーンはニューヨークのコロンビア大学 ミラー劇場で行われた『ジャパン・ベネフィット・コンサート』、さらに29日には ル・ポアソン・ルージュで『YOKO ONO & FRIENDS TO JAPAN WITH LOVE』に「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」として出演した[47]。これらは3月11日に発生した東日本大震災 の被災者に対する義援金を集める目的のチャリティ・コンサート[注釈 39]であった。10月9日、アイスランドレイキャビクで行われた「イマジン・ピース・タワー[注釈 40]の点灯式にオノとショーンが出席、「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」がライヴ演奏を行った。終盤には元ビートルズのスターや故ハリスンの妻オリビア、息子のダーニ、クリスジャンスドッティル・レイキャビク市長も登場し、全員で「平和を我等に」を熱唱した[49]。さらに10月13日には、音楽フェスティバル「アイスランド・エアウェイブス・フェスティバル」に他のキメラ・ミュージック所属アーティストとともに「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」も出演した。12月5日、オノが「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」名義で参加したアメリカのバンド、ザ・フレーミング・リップスのクリスマス・ソング「アトラス・イーツ・クリスマス」の新しいヴァージョンがストリーミング配信された[50]。さらに、12月31日から翌1月1日にかけてオクラホマシティで行われたリップスのライヴに出演した。

2012年4月21日、リップスが レコード・ストア・デイのために限定リリースした2枚組コンピレーション・アルバム『ザ・フレーミング・リップスと愉快な仲間たち』にコラボレーション曲「DO IT!(フィーチャリング・ヨーコ・オノ/プラスティック・オノ・バンド)」が収録された[51]

2013年2月17日、「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」はオノの80歳の誕生日にベルリンのフォルクスビューネでライヴ・パフォーマンスを行った[52][53][54]。4月、オノは20周年を迎える総合芸術イベント『 メルトダウン・フェスティバル2013』(6月14日~23日)のディレクターに就任[55]。初日にロイヤル・フェスティバル・ホールで「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」がライヴ・パフォーマンスを行った[56][57]。8月28日には、「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」名義のアルバム『地獄の果てまで連れてって』を発表した[58][59]。4年ぶりのこのアルバムにはレニー・クラヴィッツらが参加していた。10月2日、「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」はアメリカCBSのバラエティ番組『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に出演。ニュー・アルバムから「笑い猫が泣いている(Cheshire Cat Cry)」をリップスと共演した[60]。12月24日にはTHE HUFFINGTON POSTによる2013年度のミュージックビデオベスト20に、『地獄の果てまで連れてって』収録の「バッド・ダンサー/BAD DANCER」が選ばれた[61]

2014年6月29日、「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」はイギリスの『 グラストンベリー2014』に出演した[62][63]。7月26日には『FUJI ROCK FESTIVAL ‘14』に出演した[64][65]

2015年5月17日から9月7日までニューヨーク近代美術館で展覧会『オノ・ヨーコ/ワン・ウーマン・ショー1960-1971』が開催された[66]。期間中のイベントとして8月14日、15日に「ヨーコ・オノ・プラスティック・オノ・バンド」のライヴ・パフォーマンスが行われた[67][68]。なお、これ以降もオノやショーンは音楽活動を続けているが、「プラスティック・オノ・バンド」としての活動は行われていない。

バンド名の変遷と参加メンバー[編集]

PLASTIC ONO BAND

THE PLASTIC ONO BAND

PLASTIC ONO BAND

  • 1969年9月30日、10月3日 シングル「コールド・ターキー/京子ちゃん心配しないで」レコーディング
    ジョン・レノン(ボーカル、ギター)、オノ・ヨーコ(ボーカル)、エリック・クラプトン(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、リンゴ・スター(ドラムス)

JOHN & YOKO/PLASTIC ONO BAND(PLASTIC ONO SUPERGROUP)

YOKO ONO LENNON/PLASTIC ONO BAND

  • 1970年1月 シングル「誰が風を見た」レコーディング
    オノ・ヨーコ(ボーカル、フルート、リコーダー)、ジョン・レノン(ギター)、 ジョン・バーハム(チェンバロ)

JOHN ONO LENNON/PLASTIC ONO BAND

  • 1970年1月27日 シングル「インスタント・カーマ」レコーディング
    ジョン・レノン(ボーカル、キーボード)、オノ・ヨーコ(バック・ボーカル)、ビリー・プレストン(ピアノ)、クラウス・フォアマン(ベース、バック・ボーカル)、アラン・ホワイト(ドラムス、ピアノ、バック・ボーカル)、ジョージ・ハリスン(ギター、ピアノ、バック・ボーカル)、マル・エヴァンズ(チャイム、手拍子、バック・ボーカル)、アラン・クライン (バック・ボーカル)、近くのナイトクラブの客[70](バック・ボーカル)

JOHN LENNON/PLASTIC ONO BAND

  • 1970年9月26日~10月9日 アルバム『ジョンの魂』レコーディング
    ジョン(ボーカル、ギター、ピアノ、オルガン)、クラウス・フォアマン(ベース)、リンゴ・スター(ドラムス)、ビリー・プレストン(ピアノ)、フィル・スペクター(ピアノ)

YOKO ONO/PLASTIC ONO BAND

JOHN LENNON/PLASTIC ONO BAND

  • 1971年1月22日~2月 シングル「人々に勇気を」レコーディング
    ジョン(ボーカル、アコースティック・ギター、ピアノ)、ボビー・キーズ(サックス)、ビリー・プレストン(ピアノ、キーボード)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ゴードン(ドラムス)、ロゼッタ・ハイタワー 他(バック・ボーカル)

YOKO ONO/PLASTIC ONO BAND

  • 1971年1月~3月 シングル「オープン・ユア・ボックス」レコーディング
    オノ・ヨーコ(ボーカル)、ジョン(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ジム・ゴードン(ドラムス)

ELASTIC OZ BAND

  • 1971年4月17日 「ゴッド・セイヴ・オズ」レコーディング
    「マジック・マイケル」ラムスデン(ボーカル)、ジョン・レノン(アコースティック・ギター)、チャールズ・マレー(アコースティック・ギター)、モーリーン・グレイ(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ティナ・ヨルゲンセン(ピアノ)、リンゴ・スター(ドラムス)、スティーブ・ブレンデル[注釈 42](コンガ)、マイク・ダウド(マラカス)、フェリックス・デニス(マラカス)、スタニスラフ・デミジュク(タンバリン)、その他のオズ支援者(バック・ボーカル)
  • 1971年5月22日、6月16日 シングル「ゴッド・セイヴ・アス/ドゥ・ジ・オズ」レコーディング
    ビル・エリオット(ボーカル)、ジョン・レノン(ボーカル、エレクトリック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、フィル・ケンジー(テナー・サックス)、ジェフ・ドリスコ(テナー・サックス)、デイヴ・コックスヒル(バリトン・サックス)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、オノ・ヨーコ(ボーカル)

JOHN & YOKO PLASTIC ONO BAND with FRANK ZAPPA AND THE MOTHERS OF INVENTION(PLASTIC ONO MOTHERS)

JOHN LENNON/PLASTIC ONO BAND

  • 1971年6月23日〜7月5日 アルバム『イマジン』レコーディング
    ジョン・レノン(ボーカル、エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター、ピアノ、ハーモニカ、ホイッスル)、クラウス・フォアマン(ベース、コントラバス)、ジョージ・ハリスン(エレクトリック・ギター、スライド・ギター、ドブロ・ギター)ニッキー・ホプキンス(ピアノ、エレクトリック・ピアノ)、アラン・ホワイト(ドラムス、ティンシャビブラフォン)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、ジム・ゴードン(ドラムス)、キング・カーティス(サックス)、ジョン・バーハム(ハーモニウム、ビブラフォン)、ジョン・トゥアウト(ピアノ)、テッド・ターナー(アコースティック・ギター)、ロッド・リントン(アコースティック・ギター)、ジョーイ・モランド(アコースティック・ギター)、トム・エヴァンズ(アコースティック・ギター)、アンディー・クレスウェル・デイビス(アコースティック・ギター)、マイク・ピンダー(タンバリン)、スティーヴ・ブレンデル(コントラバス、マラカス)フィル・スペクター(バック・ボーカル)、ザ・フラックス・フィドラーズ[注釈 43](弦楽器)

YOKO ONO and THE PLASTIC ONO BAND with JOE JONES TONE DEAF MUSIC CO.

  • 1971年1月~7月 アルバム『フライ』レコーディング
    オノ・ヨーコ(ボーカル、クラベス)、ジョン・レノン(エレクトリック・ギター、ピアノ、オルガン、キーボード)、クラウス・フォアマン(ベース、エレクトリック・ギター、ベル、シンバル、パーカッション)、ボビー・キーズ(クラベス)、エリック・クラプトン(ギター)、ジム・ケルトナー(ドラムス、タブラ、パーカッション)、リンゴ・スター(ドラムス)、ジム・ゴードン(ドラムス)、クリス・オズボーン(ドブロ・ギター)、ジョー・ジョーンズ(キーボード)

JOHN & YOKO AND THE PLASTIC ONO BAND with THE HARLEM COMMUNITY CHOIR

YOKO ONO AND PLASTIC ONO SUPER BAND

  • 1971年10月30日 シングル「ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ」レコーディング
    オノ・ヨーコ(ボーカル)、ジョン・レノン(アコースティック・ギター)、ヒュー・マクラッケン(アコースティック・ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、ジム・ケルトナー(ドラムス)

JOHN & YOKO/PLASTIC ONO BAND with ELEPHANT’S MEMORY and INVISIBLE STRINGS(PLASTIC ONO ELEPHANT’S MEMORY)

  • 1971年11月~1972年3月20日 アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』レコーディング
    ジョン・レノン(ギターボーカル)、オノ・ヨーコ(ボーカル)、ジム・ケルトナードラムスパーカッション
    エレファンツ・メモリー : ウェイン・テックス・ガブリエル(ギター)、ゲーリー・ヴァン・ショク – ベース、スタン・ブロンスタイン(サクソフォーンフルート)、アダム・イッポリート(ピアノオルガン)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス、パーカッション)、ジョン・ラ・ボス(ピアノ)、

PLASTIC ONO ELEPHANT'S MEMORY BAND

  • 1972年2月15日『マイク・ダグラス ショー』出演
    オノ・ヨーコ(ボーカル)、ジョン・レノン(ギター)、バーバラ・ローデン(アフリカンドラム)、ジェリー・ルービン(アフリカンドラム)、
    エレファンツ・メモリー : ウェイン・テックス・ガブリエル(リードギター)、ゲーリー・ヴァン・ショク(ベース)、スタン・ブロンステイン(サックス)、アダム・イッポリート(キーボード)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス)
  • 1972年5月11日『ディック・キャベット・ショー』出演(収録は5月3日)
    ジョン・レノン(ギター、ボーカル)、オノ・ヨーコ(ボーカル)、
    エレファンツ・メモリー : ウェイン・テックス・ガブリエル(リードギター)、ゲーリー・ヴァン・ショク(ベース)、スタン・ブロンステイン(サックス)、アダム・イッポリート(キーボード)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス)
  • 1972年8月30日『ワン・トゥ・ワン』コンサート出演
    ジョン・レノン(ボーカル、ギター、キーボード)、オノ・ヨーコ(ボーカル、キーボード)、 ジョン・ワード(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)
    エレファンツ・メモリー : ウェイン・テックス・ガブリエル(リードギター)、ゲーリー・ヴァン・ショク(ベース)、スタン・ブロンステイン(サックス)、アダム・イッポリート(キーボード)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス)
  • 1972年9月6日『ジェリー・ルイス・MDA・ショー・オブ・ストレングス(レイバー・デイ・テレソン)』出演
    ジョン・レノン(ギターボーカル)、オノ・ヨーコ(ボーカル)、
    エレファンツ・メモリー : ウェイン・テックス・ガブリエル(リードギター)、ゲーリー・ヴァン・ショク(ベース)、スタン・ブロンステイン(サックス)、アダム・イッポリート(キーボード)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス)

YOKO ONO/PLASTIC ONO BAND with ELEPHANT’S MEMORY, ENDLESS STRINGS and CHOIR BOYS

  • 1972年10月~11月 アルバム『無限の大宇宙』レコーディング
    オノ・ヨーコ(ボーカル、ピアノ)、ジョン・レノン(ギター、バッキング・ボーカル)[注釈 44]ミック・ジャガー(ギター)
    エレファンツ・メモリー : ウェイン・テックス・ガブリエル(リードギター)、ゲーリー・ヴァン・ショク(ベース、トランペット)、スタン・ブロンステイン(サックス、フルート、クラリネット)、アダム・イッポリート(ピアノ、ハモンドオルガン、ハーモニウム、トランペット)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス、パーカッション)、ダリア・プライス(カスタネット)

YOKO ONO AND THE PLASTIC ONO BAND with ELEPHANT’S MEMORY

  • 1972年12月 シングル「女性上位万歳」レコーディング
    オノ・ヨーコ(ボーカル)
    エレファンツ・メモリー : ウェイン・テックス・ガブリエル(リードギター)、ゲーリー・ヴァン・ショク(ベース)、スタン・ブロンステイン(サックス)、アダム・イッポリート(キーボード)、リチャード・フランク・ジュニア(ドラムス)

YOKO ONO/THE PLASTIC ONO BAND and SOMETHING DIFFERENT

PLASTIC U.F.ONO BAND

  • 1973年7月~8月 アルバム『マインド・ゲームス』レコーディング
    ジョン・レノン(ボーカル、ギター、クラヴィコード、パーカッション)、ケン・アッシャー(ピアノ、ハモンドオルガン、メロトロン)、デヴィッド・スピノザ(リード・ギター)、ゴードン・エドワーズ(ベース)、ジム・ケルトナー(ドラムス)、リック・マロッタ(ドラムス)、マイケル・ブレッカー(サックス)、スニーキー・ピート・クライノウ(ペダル・スティール・ギター)、サムシング・ディファレント(バッキング・ボーカル)

PLASTIC ONO NUCLEAR BAND

YOKO ONO AND PLASTIC ONO SUPER BAND

  • 1974年 アルバム『A STORY』、シングル「夢を持とう」レコーディング
    オノ・ヨーコ(ボーカル)、デヴィッド・スピノザ(ギター)、ヒュー・マックラケン(ギター)、ゴードン・エドワーズ(ベース)、ケン・アッシャー(キーボード)、レオン・ペンダーヴィス (キーボード)、アーサー・ジェンキンス(パーカッション)、リック・マロッタ(ドラムス)、マイケル・ブレッカー(テナー・サックス)、ランディ・ブレッカー(トランペット)、アラン・ルービン(トランペット)、ルー・デル・ガット (バリトン・サックス、バス・クラリネット)、ジョージ・ヤング(フルート、クラリネット)、アン・E・サットン(バッキング・ボーカル)、エリン・ディキンズ(バッキング・ボーカル)、ゲイル・カンタ(バッキング・ボーカル)、ルイーズ・メッシーナ(バッキング・ボーカル)、サムシング・ディファレント(バッキング・ボーカル)
  • 1974年8月 『ワンステップフェスティバル』出演時
    オノ・ヨーコ(ボーカル)、スティーヴ・カーン(ギター)、アンディ・ミューソン(ベース)、ドン・グロルニック(キーボード)、スティーヴ・ガッド (ドラムス)、リック・マロッタ(ドラムス)、マイケル・ブレッカー(サックス、フルート)、ランディ・ブレッカー(トランペット)

YOKO ONO PLASTIC ONO BAND

  • 2009年9月25日『僕らの音楽』出演時
  • 2009年11月18日、24日『BETWEEN MY HEAD AND THE SKYコンサート・ツアー』
  • 2009年11月26日『CHIMERA MUSIC SHOW #1』
    オノ・ヨーコ(ボーカル)、ショーン・レノン(ギター)、本田ゆか(キーボード)、小山田圭吾(ギター)、清水ひろたか(ギター、パーカッション)、あらきゆうこ(ドラムス、パーカッション)、細野晴臣(ベース)
  • 2010年2月16日 「WE ARE PLASTIC ONO BAND」ニューヨーク公演出演時
    オノ・ヨーコ(ボーカル)、ショーン・レノン(ギター)、本田ゆか(キーボード)、小山田圭吾(ギター)、清水ひろたか(ギター、パーカッション)、あらきゆうこ(ドラムス、パーカッション)、細野晴臣(ベース)
    スペシャルゲスト:エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、サーストン・ムーアキム・ゴードンポール・サイモンベット・ミドラー、ジム・ケルトナー、マーク・ロンソン
  • 2013年 アルバム『地獄の果てまで連れてって』レコーディング
    オノ・ヨーコ(ボーカル)、ショーン・レノン(ボーカル、ギター、ベース、ドラムマシーン、キーボード、パーカッション、シンセサイザー)、本田ゆか(キーボード、ローズ・ピアノ、シンセサイザー)、小山田圭吾(ギター、シンセサイザー)、清水ひろたか(ギター)、あらきゆうこ(ドラムス、パーカッション、シンセサイザー)、クリストファー・シーン・パウエル(パーカッション)、 レニー・クラヴィッツ (ドラムス、クラリネット)、メリル・ガーバス (空き瓶、ドラムス、パーカッション、ローズ・ピアノ、声)、ネイト・ブレナー(ベース、空き瓶、パーカッション、声)、ケビン・ハーパー(空き瓶)、アドロック(プログラミング・ドラム)、マイクD(プログラミング・ドラム)、マイケル・レオンハート(メロフォン、パーカッション)、ネルス・クライン(ギター、ラップ・スチール・ギター、ループ・ステーション、パーカッション)、クエストラブ (ドラムス)、ジャレッド・サミュエル(パーカッション、シンセサイザー)、シャザド・イスマイリー(ギター、ベース、パーカッション)、アンドリュー・ワイアット(ローズ・ピアノ)、エリック・フリードランダー(チェロ)、ジョイス・ハンマン(バイオリン)、ロイス・マーティン(ヴィオラ)、ビル・ダブロウ(ドラムス、パーカッション)、ジュリアン・レイジ(アコースティック・ギター)、トーマス・バートレット(ピアノ)

作品[編集]

アルバム[編集]

シングル[編集]

映像作品[編集]

ライヴ演奏[編集]

ドキュメンタリー・記録[編集]

  • ギブ・ピース・ア・チャンス - JOHN & YOKO THE BED IN(1991年) [VHS& LD]
  • ジョン・レノン&オノ・ヨーコ イヤー・オブ・ピース - JOHN & YOKO’S YEAR OF PEACE(2002年)[DVD]
  • JOHN & YOKO GIVE PEACE A SONG~メイキング・オブ・平和を我らに~ - JOHN & YOKO GIVE PEACE A SONG(2005年) [DVD]
  • メイキング・オブ・『ジョンの魂』- JOHN LENNON JOHN LENNON PLASTIC ONO BAND – CLASSIC ALBUMS(2008年) [DVD]
  • イマジン/ジョン・レノン 特別版 - IMAGINE / JOHN LENNON DELUXE EDITION (1991年)[VHS & LD & DVD]
  • イマジン - IMAGINE: THE FILM (2000年)[VHS & LD]
  • ギミ・サム・トゥルース - GIMME SOME TRUTH(2000年)[VHS & DVD]
  • JOHN & YOKO THE DICK CAVETT SHOW(2006年) [DVD]
  • ジョン&ヨーコ イン マイク・ダグラス ショー - THE MIKE DOUGLAS SHOW with JOHN LENNON & YOKO ONO(2001年) [VHS &DVD]
  • ヨーコ・オノ・レノン、ゼン・アンド・ナウ - YOKO ONO THEN & NOW(1984年)[VHS & LD]
  • PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン - PEACE BED THE U.S. vs JOHN LENNON(2008年)[DVD]
  • ジョン・レノン、ニューヨーク - LENNONYC(2011年)[DVD & Blu-ray]

ミュージック・ビデオ集[編集]

  • ジョン・レノン・ビデオ・コレクション - The JOHN LENNON Video Collection(1992年)[VHS & DVD]
  • レノン・レジェンド ~ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン - JOHN LEGEND The very best of John Lennon(2003年) [DVD]

その他[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 「You Are The Plastic Ono Band」というスローガンを掲げていた。
  2. ^ 「プラスティック・オノ・バンド」という名称(別名も含む)がレコード盤レーベルにクレジットされているアルバムは『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』までであり、オノの『空間の感触』を除き、ジャケットに記載されることもなくなった。レノンのシングル盤でも「マインド・ゲームス」以降は「真夜中を突っ走れ」のレーベルに「WITH THE PLASTIC ONO NUCLEAR BAND」とクレジットされたのが最後である(ベスト盤、再発盤を除く)。またオノのシングル盤では「ウーマン・パワー」以降は2枚の日本限定シングルを除きクレジットされていない。
  3. ^ ポール・マッカートニーはメリー・ホプキンの、ジョージ・ハリソンはビリー・プレストンのプロデュースを行い、リンゴ・スターは主演映画『マジック・クリスチャン』の撮影に入っていた。
  4. ^ この模様の一部は『ウェディング・アルバム』のB面に収録されている。
  5. ^ この一連の行動は「ジョンとヨーコのバラード」の題材となっている[4]
  6. ^ プレストンのアップル・レコードのファースト・アルバム『神の掟』の制作に入る直前の3月29日にオリンピック・サウンド・スタジオで行われた[5]
  7. ^ その後さらにハリスンがモーグをオーバーダビングし、タイトルを「アイ・リメンバー・ジープ」と変更して自らのアルバム『オール・シングス・マスト・パス』に収録した[5]
  8. ^ このライヴの模様はアルバム『平和の祈りをこめて』として12月12日にリリースされた
  9. ^ この間の9月20日、レノンはアップル本社で行われた会議でビートルズからの脱退を宣言したが、当時このことはレコード会社との契約更新に悪影響があることを恐れたアラン・クレインの説得で秘密にされていた。
  10. ^ レノンは「反ドラッグ・ソング」のつもりだったが、題名や歌詞の内容がドラッグを助長するものと捉えられてしまった。
  11. ^ ビートルズとしてレコーディングした楽曲を、当時すでにグループを脱退していたレノンが発表することに一部のメンバーが反対したためであった。その後「ユー・ノウ・マイ・ネーム」は1970年3月にシングル「 レット・イット・ビー」のカップリング曲となった。また「ホワッツ・ザ・ニュー・メリー・ジェーン」は1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録された。
  12. ^ ニューヨーク、ロサンゼルス、トロント、ロンドン、パリアムステルダムベルリンローマアテネ香港東京[10]
  13. ^ これがきっかけとなり、スペクターはビートルズの『レット・イット・ビー』、レノンやハリスンのソロ作品の制作に関わることになった。
  14. ^ 発売当初の邦題は『ヨーコの芸術』だった。
  15. ^ マルクス主義新聞『レッド・モール』によるイギリスの労働運動家 タリク・アリ と歴史学者 ロビン・ブラックバーンとの対談。
  16. ^ アメリカでは「オープン・ユア・ボックス」がキャピトル側から拒否されたため、アルバム『ヨーコの心/プラスティック・オノ・バンド』に収録されていた「タッチ・ミー」を編集した短縮版に差し替えて22日にリリースされた。
  17. ^ エリオットは、その後、1974年にジョージ・ハリスンが設立したダーク・ホース・レーベルからデュオグループ、スプリンターとしてデビューした。
  18. ^ 「プラスティック・オノ・バンド」をもじり、「ゴム製のバンド」という意味の「Elastic Band」と「Oz」を組み合わせて命名された。
  19. ^ レーベル面のクレジットは「JOHN & YOKO PLASTIC ONO BAND with FRANK ZAPPA AND THE MOTHERS OF INVENTION」となっていたが、ジャケットの見開き面には「PLASTIC ONO MOTHERS」と記載されていた。
  20. ^ イギリスでは「ハッピー・クリスマス」をレノンとオノの共作としたことについて、ノーザン・ソングスからソングライティング契約違反にあたるとのクレームがあったため発売は見送られ、1年後の1972年11月24日にリリースされた[18]
  21. ^ 1998年にリリースされたジョン・レノン・アンソロジーに10日のライヴから「ラック・オブ・アイリッシュ」「ジョン・シンクレア」の2曲、17日のライヴからは「アッティカ・ステート」「イマジン」が収録された。
  22. ^ さらに1972年2月に滞在ビザが切れた後は延長を認められず、3月に移民管理局から国外退去を命じられていた。以後1975年10月に命令を取り消す判決が出るまでアメリカ政府との法廷闘争が続いた。
  23. ^ 日本では先行シングルとして「リバレーション・スペシャル」とカップリングで発売された。
  24. ^ イギリスでは逆に高評価で11位を記録した。
  25. ^ アメリカ移住後の政治的な発言や活動、ジェリー・ルービンなど左翼活動家との交流などが影響して、当時のニクソン政権から危険視されていた。
  26. ^ 移民管理局による国外退去命令に対する取り消し訴訟やノーザン・ソングスからの契約違反訴訟、元マネージャーのアラン・クラインからの融資返済訴訟など。
  27. ^ この模様の一部「I Learned to Stutter/Coffin Car」は1997年にリリースされた『空間の感触』の再発盤にボーナス・トラックとして収録された。
  28. ^ 1973年10月から、後に『ロックン・ロール』としてリリースされるオールディーズのカバー・バージョンを集めたアルバムのレコーディング・セッションを、ロサンゼルスのA&Mスタジオフィル・スペクターとともに行っていたが、スペクター側の問題で中断してしまったため、ニューヨークに戻ってオリジナル曲の新しいアルバムの制作をした[28]
  29. ^ もう1曲の全米1位シングル「スターティング・オーヴァー」はレノンの死後に獲得したものだったので、このシングルが生前唯一の全米1位であった。
  30. ^ 開催地は郡山の他、東京(11日:中野サンプラザ、12日:新宿厚生年金会館)、名古屋(13日:名古屋市公会堂)、広島(17日:広島県立体育館)、大阪(19日:厚生年金会館)。
  31. ^ オノのソロ・アルバム『ア・ストーリー』のレコーディング・セッションで録音された楽曲。セッションに参加していたミュージシャンを含む7名が日本ツアーに同行した。その後アルバム『ア・ストーリー』は長い間未発売となっていたが、1992年に発売された『オノボックス』のディスク6に一部収録された。また1997年になってオリジナルの形でリリースされた。
  32. ^ この野外コンサートは8月4日、5日、8~10日の5日間行われ、内田裕也沢田研二井上堯之バンド上田正樹安全バンドイエロートランザムかまやつひろしクリエイション加藤和彦外道四人囃子ウエスト・ロード・ブルース・バンドダウン・タウン・ブギウギ・バンドつのだひろはちみつぱいめんたんぴんりりぃセンチメンタル・シティ・ロマンスサディスティック・ミカ・バンドシュガー・ベイブサンハウスらが出演していた。オノは大トリを務め、圧倒的なステージを披露した。最後に歌った「夢を持とう」はこのイベントの趣旨に賛同して作られた新曲だった。
  33. ^ このアルバムは『ビトウィーン・ザ・ラインズ』(Between the Lines)というタイトルで、1975年後半にリリースする計画だった。レノン本人も『オールド・グレイ・ホイッスル・テスト』出演時にニューアルバムとテレビスペシャルを計画していることを語っていた[30]
  34. ^ もしシングル「真夜中を突っ走れ」が全米1位になったらコンサートで共演する約束をしていたレノンが、1974年11月28日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたエルトン・ジョンのコンサートに出演した後、来場していたオノと和解したと言われている。なお、共演の模様はシングル「メイド・イン・イングランド」に収録されている。
  35. ^ 10月7日に国外退去命令破棄の判決が下され、9日にはショーンが誕生していた。
  36. ^ 「ASK THE ELEPHANT!」と「CALLING」の2曲
  37. ^ 9月25日にフジテレビ系列で放送された『僕らの音楽』には細野晴臣を含む全ツアー・メンバーが揃って出演し、スタジオ・ライヴを披露した[35][36][37][38]。また、ヨーコとショーンは10月6日放送の『徹子の部屋』にも出演した[39][40]
  38. ^ 東京公演は翌年1月24日にフジテレビNEXTで放送された。
  39. ^ このチャリティ・コンサートは日本在住経験もある、アメリカ現代音楽家ジョン・ゾーンの提案による『コンサート・フォー・ジャパン』の一環として行われた。[48]
  40. ^ 「イマジン・ピース・タワー」は愛と平和のシンボルとして、2007年にオノがレイキャビクのヴィーズエイ島に建設した、世界平和を祈念するモニュメントである。
  41. ^ レコード盤のレーベルには "a cast of 1000's"、ジャケットには "STAR STUDDED CAST OF THOUSANDS" とクレジットされている。
  42. ^ 『イマジン』のレコーディングにも参加しているイギリスのミュージシャン。
  43. ^ ニューヨーク・フィルハーモニックの弦楽団員。
  44. ^ 「ジョエル・ノーン」という変名でクレジットされている。
  45. ^ 「ジョン・オーシャン」という変名でクレジットされている。[26]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g Deming, Mark. Plastic Ono Band | Biography & History - オールミュージック. 2020年6月20日閲覧。
  2. ^ Congratulations on a hit, everybody! By Derek Taylor of The Plastic Ono Band”. 'Disc and Music Echo' (1969年7月26日). 2013年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月10日閲覧。
  3. ^ a b Yoko QandA day – Fridays on Twitter”. Imagine Peace (2010年1月1日). 2010年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月20日閲覧。
  4. ^ Guesdon, Jean-Michel; Margotin, Philippe (2013). All the Songs: The Story Behind Every Beatles Release. New York, NY: Black Dog & Leventhal. p. 542. ISBN 978-1-57912-952-1 
  5. ^ a b Harrison & Cooper 2021, p. 55.
  6. ^ Harrison & Cooper 2021, p. 55、85.
  7. ^ Madinger & Scott 2015, p. 165–166.
  8. ^ Lewisohn 1992, p. 339.
  9. ^ 15 December 1969: Plastic Ono Band live at Lyceum Ballroom, London”. The Beatles Bible (1969年12月15日). 2015年8月24日閲覧。
  10. ^ a b WAR IS OVER!”. IMAGINE PEACE (2018年11月11日). 2022年1月26日閲覧。
  11. ^ Winn 2009, p. 364.
  12. ^ John Lennon writes and records 'Instant Karma' in a single day”. history.com (2010年1月27日). 2012年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月26日閲覧。
  13. ^ Du Noyer 2010, p. 31.
  14. ^ Badman 2001, p. 14.
  15. ^ Womack 2014, p. 490–91.
  16. ^ Ingham 2003, p. 117.
  17. ^ a b God Save Oz”. The Beatles Bible (2010年8月24日). 2022年2月17日閲覧。
  18. ^ Blaney 2005, p. 93.
  19. ^ 藤本 2020, p. 279.
  20. ^ Badman 2001, p. 81.
  21. ^ Spizer 2005, p. 74.
  22. ^ Toy, Vivian S. "A Brush With a Beatle," New York Times. March 7, 2010.
  23. ^ John Lennon and Yoko Ono write the Declaration of Nutopia”. The Beatles Bible (2020年4月1日). 2022年2月17日閲覧。
  24. ^ 1973 The German women’s movement creates publicity with imaginative and provocative campaigns. Homosexual women, having previously been co-operating with men, now join the feminists.”. Frauen Media Turm. 2022年2月17日閲覧。
  25. ^ Yoko & John Coffin Car at First International Feminist Conference 1973”. Papablues Scrapbook (2020年2月11日). 2022年2月17日閲覧。
  26. ^ a b Blaney 2005, p. 127.
  27. ^ Harry 2001, p. 698-99.
  28. ^ Blaney 2005, p. 142,154.
  29. ^ 音楽のパワー!!~広がる輪。つながる心~広報こおりやま”. 福島県郡山市 (2008年9月). 2022年1月16日閲覧。
  30. ^ Blaney 2005, p. 143.
  31. ^ Blaney 2005, p. 173.
  32. ^ “特集:ショーン レノン キメラ・ミュージックを語る”. CDJournal. (2009年2月18日). https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/sean-lennon/2000000443 2022年1月28日閲覧。 
  33. ^ “ショーン・レノンのレーベル・イベントに、小山田圭吾や豪華メンツが集結!”. チケットぴあ. (2008年12月12日). https://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=200812120001 2022年1月28日閲覧。 
  34. ^ “オノ・ヨーコ、小山田圭吾らと新生「Plastic Ono Band」結成!”. OPENERS. (2009年9月). https://openers.jp/lounge/lounge_music/7382 2022年1月28日閲覧。 
  35. ^ “僕らの音楽#274 オノ ヨーコ”. フジテレビ. (2009年9月4日). https://www.fujitv.co.jp/ourmusic/ono2.html 2022年1月28日閲覧。 
  36. ^ “オノ・ヨーコ、ショーン・レノン、細野、小山田らがTV番組『僕らの音楽』に出演”. rockinon.com. (2009年9月3日). https://rockinon.com/news/detail/25249 2022年1月28日閲覧。 
  37. ^ a b “オノ・ヨーコ、待望の来日ライヴ・ツアーに細野晴臣の参加が決定!”. TOWER RECORDS ONLINE. (2009年9月17日). https://tower.jp/article/news/2009/09/17/100019911 2022年1月28日閲覧。 
  38. ^ “オノ・ヨーコ「僕らの音楽」で小山田、細野らと豪華競演実現”. 音楽ナタリー. (2009年9月24日). https://natalie.mu/music/news/21587 2022年1月28日閲覧。 
  39. ^ “今週の徹子の部屋10月6日(火)出演オノ・ヨーコ「愛息と共にオノ・ヨーコ亡夫の思い」”. テレビ朝日. (2009年9月5日). https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/091006.html 2022年1月28日閲覧。 
  40. ^ “オノ・ヨーコが息子ショーンとともに「徹子の部屋」訪問”. 音楽ナタリー. (2009年10月2日). https://natalie.mu/music/news/21971 2022年1月28日閲覧。 
  41. ^ [http:// http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200912090263.html “オノ・ヨーコ 23年ぶりに著作、音楽活動も本格化”]. 朝日新聞DIGITAL. (2009年12月9日). http:// http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200912090263.html 2022年1月28日閲覧。 
  42. ^ “オノ・ヨーコさんのバンドが限定コンサート-細野晴臣さんらも出演”. ニューヨーク経済新聞. (2010年2月15日). https://newyork.keizai.biz/headline/90/ 2022年1月28日閲覧。 
  43. ^ a b “PLASTIC ONO BANDのLA公演にLADY GAGA、IGGY POPら参加”. TOWER RECORDS ONLINE. (2010年9月1日). https://tower.jp/article/news/2010/09/01/69308 2022年1月28日閲覧。 
  44. ^ “元smorgasドラムス・あらきゆうこ、レディ・ガガと共演”. BARKS. (2010年10月5日). https://www.barks.jp/news/?id=1000064644 2022年1月28日閲覧。 
  45. ^ “プラスティック・オノ・バンドのライブでレディー・ガガとオノ・ヨーコが共演”. rockinon.com. (2010年10月5日). https://rockinon.com/news/detail/41186 2022年1月28日閲覧。 
  46. ^ “オノ・ヨーコとレディー・ガガ夢の共演、ガガの衣装は「ソマルタ」”. MODE PRESS. (2010年10月4日). https://www.afpbb.com/articles/modepress/2763610?pid=6283210 2022年1月28日閲覧。 
  47. ^ “チャリティーコンサート「YOKO ONO & FRIENDS TO JAPAN WITH LOVE」のご報告”. キメラ・ミュージック. (2011年3月31日). http://www.chimeramusic.jp/news/index.html 2022年1月28日閲覧。 
  48. ^ “オノ・ヨーコ、坂本龍一さんら、NYで復興支援公演”. 朝日新聞DIGITAL. (2011年3月28日). https://www.asahi.com/special/10005/TKY201103280524.html 2022年1月28日閲覧。 
  49. ^ “ジョンとヨーコとアイスランド 世界一平和な国から発信するメッセージ~北欧・福祉社会の光と影”. JBpress. (2013年10月17日). https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38934 2022年1月28日閲覧。 
  50. ^ “オノ・ヨーコ、フレーミング・リップスとX'mas曲で共演! 「情熱大陸」にも登場”. =TOWER RECORDS ONLINE. (2011年12月7日). https://tower.jp/article/news/2011/12/07/n07 2022年1月28日閲覧。 
  51. ^ “Flaming Lips & Heady Fwends: フレーミング リップスと愉快な仲間たち”. HMV ONLINE. (2012年7月25日). https://www.hmv.co.jp/artist_Flaming-Lips_000000000003335/item_Flaming-Lips-Heady-Fwends-%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0-%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9%E3%81%A8%E6%84%89%E5%BF%AB%E3%81%AA%E4%BB%B2%E9%96%93%E3%81%9F%E3%81%A1_5072474 2022年1月28日閲覧。 
  52. ^ “D/B Recommended: Yoko Ono & The Plastic Ono Band @ Volksbühne Berlin”. digitalinberlin.de. (2013年2月). https://www.digitalinberlin.de/yoko-ono-volksbuehne-berlin-2013/ 2022年1月28日閲覧。 
  53. ^ “Happy 80th Birthday, Yoko!”. The Fest.com. (2013年2月17日). https://www.thefest.com/happy-80th-birthday-yoko/ 2022年1月28日閲覧。 
  54. ^ “Yoko Ono Plastic Ono Band Setlist at Volksbühne, Berlin, Germany”. setlist.fm. (2014年8月10日). https://www.setlist.fm/setlist/yoko-ono-plastic-ono-band/2013/volksbuhne-berlin-germany-bdb35de.html 2022年1月28日閲覧。 
  55. ^ “オノ・ヨーコ、2013 Meltdown Festival のディレクターに就任! YOKO ONO PLASTIC ONO BANDのライブパフォーマンス決定!”. キメラ・ミュージック. (2013年4月5日). http://www.chimeramusic.jp/news/index.html 2022年1月28日閲覧。 
  56. ^ “今年のメルトダウン・フェスにオノ・ヨーコ、イギー・ポップ、サーストン・ムーア、パティ・スミスらの出演が決定”. rockinon.com. (2013年4月5日). https://rockinon.com/news/detail/80577 2022年1月28日閲覧。 
  57. ^ “Yoko Ono Plastic Ono Band Setlist at Royal Festival Hall, London, England”. setlist.fm. (2014年8月10日). https://www.setlist.fm/setlist/yoko-ono-plastic-ono-band/2013/royal-festival-hall-london-england-3d9c5fb.html 2022年1月28日閲覧。 
  58. ^ “Take Me To The Land Of Hell: 地獄の果てまで連れてって”. HMV&BOOKS online. (2013年7月26日). https://www.hmv.co.jp/artist_YOKO-ONO-PLASTIC-ONO-BAND_000000000095840/item_Take-Me-To-The-Land-Of-Hell-%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%81%A7%E9%80%A3%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%A3%E3%81%A6-cd_5480162 2022年1月28日閲覧。 
  59. ^ “YOKO ONO PLASTIC ONO BAND 4年振りの新作「地獄の果てまで連れてって」(TAKE ME TO THE LAND OF HELL)特別ディスク「愛」(オノ・ヨーコ: 歌 / 横尾忠則:画) 付き豪華仕様にて9月12日に日本先行発売が正式決定!”. キメラ・ミュージック. (2013年7月26日). http://www.chimeramusic.jp/news/index.html 2022年1月28日閲覧。 
  60. ^ “Yoko Ono, Flaming Lips Deliver Message on ‘Letterman’”. RollingStone.com. (2013年10月3日). https://www.rollingstone.com/movies/movie-news/yoko-ono-flaming-lips-deliver-message-on-letterman-89448/ 2022年1月28日閲覧。 
  61. ^ “「バッド・ダンサー/BAD DANCER」MVが2013年度のミュージックビデオベスト20に選出!”. キメラ・ミュージック. (2013年12月24日). http://www.chimeramusic.jp/news/index.html 2022年1月28日閲覧。 
  62. ^ “Yoko Ono Plastic Ono Band at Glastonbury 2014 review – between ludicrous and lovable”. The Guardian. (2014年6月29日). https://www.theguardian.com/music/2014/jun/29/yoko-ono-at-glastonbury-2014-review 2022年1月28日閲覧。 
  63. ^ “Yoko Ono Plastic Ono Band Setlist at Worthy Farm, Pilton, England”. setlist.fm. (2014年6月29日). https://www.setlist.fm/setlist/yoko-ono-plastic-ono-band/2014/worthy-farm-pilton-england-1bc19530.html 2022年1月28日閲覧。 
  64. ^ ONLINE “今年のヘッドライナーはフランツ・フェルディナンド、 アーケイド・ファイア、ジャック・ジョンソン! 元祖野外フェス『FUJI ROCK FESTIVAL '14』が いよいよ来週末開催へ”. (2014年7月17日). http://kansai.pia.co.jp/news/music/2014-07/FUJIROCKFESTIVAL14.html=ぴあ関西版WEB ONLINE 2022年1月28日閲覧。 
  65. ^ “Yoko Ono Plastic Ono Band Setlist at Naeba Ski Resort, Yuzawa, Japan”. setlist.fm. (2014年7月26日). https://www.setlist.fm/setlist/yoko-ono-plastic-ono-band/2014/naeba-ski-resort-yuzawa-japan-43c16b57.html 2022年1月28日閲覧。 
  66. ^ “YOKO ONO @ MOMA – NEW YORK – MAY 17 – SEPT 7 – 2015”. The Untitled Magazine.com. (2015年6月4日). http://untitled-magazine.com/yoko-ono-moma-new-york-may-17-sept-7-2015/ 2022年1月28日閲覧。 
  67. ^ “YOKO ONO PLASTIC ONO BAND – LIVE @ MOMA”. madelinex.com. (2015年8月16日). https://madelinex.com/2015/08/16/yoko-ono-plastic-ono-band/ 2022年1月28日閲覧。 
  68. ^ “Yoko Ono Plastic Ono Band Setlist at Museum of Modern Art, New York, NY, USA”. setlist.fm. (2015年8月15日). https://www.setlist.fm/setlist/yoko-ono-plastic-ono-band/2015/museum-of-modern-art-new-york-ny-3bf7f490.html 2022年1月28日閲覧。 
  69. ^ British singer Petula Clark reminisces about the night she was heckled in Montreal and went to John Lennon for advice” (2019年7月31日). 2022年1月16日閲覧。
  70. ^ Blaney 2005, p. 52.
  71. ^ uDiscover 2020b.
  72. ^ レコード・コレクターズ』2007年1月号、株式会社ミュージックマガジン、2006年12月15日、 60頁、 ASIN B000LUYOYM

参考文献[編集]