アビイ・ロード

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アビイ・ロード
ビートルズスタジオ・アルバム
リリース
録音 EMI・レコーディング・スタジオ(現・アビー・ロード・スタジオ)
1969年2月22日 - 8月18日
ジャンル ロック
時間
レーベル アップル・レコード
プロデュース ジョージ・マーティン
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 1位(Billboard 200UKチャート
    ケント・ミュージック・レポート
  • 3位(オリコン
  • ビートルズ U.K. 年表
    イエロー・サブマリン
    (1969年)
    アビイ・ロード
    (1969年)
    レット・イット・ビー
    (1970年)
    ビートルズ U.S. 日本 年表
    イエロー・サブマリン
    (1968年)
    アビイ・ロード
    (1969年)
    ヘイ・ジュード
    (1970年)
    テンプレートを表示

    アビイ・ロード』(Abbey Road)は、イギリスにおいて1969年9月26日(金)に発売されたビートルズ12作目[注釈 1]のオリジナル・アルバム。

    解説[編集]

    概要[編集]

    事実上頓挫した「ゲット・バック・セッション」の後にビートルズ解散が危惧される状況のなか制作されたアルバム。録音は1969年2月22日の「アイ・ウォント・ユー」に始まり断続的に続けられた。7月1日に正式にアルバム制作が開始され、録音は8月25日に完了した。ちなみに本盤の制作を正式に始めた3日後(7月4日)にジョン・レノンプラスティック・オノ・バンド名義で初のソロ・シングル「平和を我等に」を発売している。こうした状況の中にあったビートルズのアルバムをプロデュースしたジョージ・マーティンは当時の経緯を「『LET IT BE』の悲惨な経験のあと、彼らがまた集結するとは思いもよらなかった。ポールが電話をくれた時はひどく驚いたよ。『もう1枚レコードを作りたいんだ。僕たちをプロデュースしてくれない? 本当の意味でプロデュースしてほしい』と言われて『いいとも、もし本当の意味でプロデュースさせてもらえるならね。また私にあれこれ指図して困らせようというんなら断る』と答えたんだ。結果的にはとてもよかった。もっとも連中は自分のことにかまけがちで、それぞれ違うスタジオにいたりしたから、私はあっちこっち飛びまわらなきゃならなかったがね」と語っている[1]

    覇気のない「ゲット・バック・セッション」から一変しビートルズが「最後にアルバムを1つ制作しよう!」と頑張ってアルバムを制作した。特にB面の大部分を占めるメドレーへの評価は非常に高い。このメドレーについてジョン・レノンは「A面は良いけどB面はちょっとね。あれはジャンク(ガラクタ)を集めただけだと思うよ」と述べているが[2]、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは「B面のメドレーは僕らの最高傑作のひとつ」と発言している。ポール・マッカートニーは解散後のソロ・コンサートにおいてもメドレー「ゴールデン・スランバーズ~キャリー・ザット・ウェイト~ジ・エンド」をコンサート終盤にしばしば演奏している。

    ローリング・ストーン誌は「本作のB面のみで、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に匹敵する」と評している。イギリスの「ミュージック・ウィーク」誌では17週連続、アメリカの「ビルボード」誌では11週連続1位を獲得し、1970年度年間第4位を記録している。「キャッシュボックス」誌でも14週連続第1位獲得し、1970年度年間ランキング第5位を記録している。アメリカだけで1,200万枚以上、全世界では2,900万枚以上の販売を記録している。EMIレコーディング・スタジオは、このアルバムの大ヒットをきっかけにビートルズに敬意を表して「アビー・ロード・スタジオ」と改称された。『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』(1979年 クイックフォックス社)の英米編では9位、日本編では2位にランクされ、『ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』では14位にランクされている。

    なお、イギリスでは前作の『イエロー・サブマリン[注釈 2]まで、ステレオ盤とモノラル盤が併売されていたが、このアルバムからステレオ盤のみの販売となった。そのため本アルバムのモノラル盤は販売されていない[注釈 3]

    制作時期[編集]

    1969年9月の『アビイ・ロード』発売後に1970年5月にビートルズ最後のオリジナル・アルバムとして発売された『レット・イット・ビー』の多くの部分が、本作録音前の1969年1月22日から31日にかけての「ゲット・バック・セッション」において録音されていることが知られていた[3]。そのため、かつては『アビイ・ロード』がビートルズの事実上ラスト・アルバムと言われていた。

    しかし、1990年にビートルズのレコーディング・セッションの詳細が公にされたことで『レット・イット・ビー』に収録されている一部の曲については本作録音後1970年1月3日から8日までジョン・レノン不在のまま追加録音が行なわれるとともに[注釈 4]1970年3月23日から4月2日にかけてフィル・スペクターが再プロデュースしていることから、現在では『レット・イット・ビー』がラスト・アルバムとされている。

    ジャケット写真[編集]

    概要[編集]

    ロンドン・EMIスタジオ前の横断歩道で撮影されたジャケット写真は、レコードジャケット史上最も有名なものの一つである。エンジニアのジェフ・エメリックは「アルバム・タイトルを僕が吸っているタバコの銘柄に因み "Everest" にしてジャケット写真をエヴェレスト山の麓で撮影しようと思っていた」と述べている[2]

    しかし「ヒマラヤにまでジャケット写真を撮りにいくのはごめんだ。ちょっと外に出てそこで写真を撮り名称を(通りの名前)アビイ・ロードにすれば良いのでは?」とポールが提案[注釈 5]し、1969年8月8日(金)午前10時頃に撮影。撮影に関する打合せはあったようで、ポールによるアイデア・スケッチと簡単なメモが残っている。ヨーコと仕事した事が有ったのでジョンがイアン・マクミラン(写真家)に撮影を依頼。横断歩道を右に左に動く4人を10分間ほど掛けて6枚撮影し「2枚+ジャケットに使った写真」(計3枚)を公表。3枚ともジョン・リンゴ・ポール・ジョージの順番に歩いているので意図的と解釈されている。ジャケット向かって右一番手前の黒いワゴン車は回転ライトが屋上に付いているロンドン警視庁パトカー。パトカーが他2枚に写ってなくジャケット写真だけに写っているので撮影終了直前に通り掛かったパトカーが交通規制をして撮影に協力したと考えられている。

    本作がヒットしたので「EMIスタジオ」(愛称アビーロード・スタジオ)を「アビイ・ロード・スタジオ」に正式改称している。

    なおこのフォトセッションの直前に撮影された写真が日本のシングル盤「オー!ダーリン/ヒア・カムズ・ザ・サン」のジャケットに用いられている。

    裏ジャケットの写真はスタジオ近くの"ABBEY ROAD"と表示のある塀を撮影したものだが、その際に偶然青い服の女性が横切ってしまった。これを面白がったメンバーがその写真に「BEATLES」の文字を合成したモノが裏ジャケット写真になっている。

    ジャケット写真の背景の歩道に立っているのはアメリカ人観光客のポール・コール(Paul Edmund Cole, 1911年 - 2008年2月13日[5])という人物であり、彼は撮影の数か月後に本アルバムが発売されるまで自分が撮影されていたことに気付いていなかった。

    イギリスの初回プレス盤は、表裏ともジャケット写真がそれ以降のものより若干大きく印刷されており、その影響で裏ジャケットのアップル・レコードのロゴマークの青リンゴがクレジットの文字とずれて印刷されており、コレクターの間ではこのジャケットは『レフト・アップル』と呼ばれている。日本盤では、ジャケットの裏に記された「サムシング」と「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」の曲順が長年入れ替わっていた。

    観光スポット[編集]

    カッシーニスタッフによるアビーロードのジャケットのパロディ写真(2001年6月)

    アビー・ロード・スタジオ前のこの横断歩道は人気の観光スポットとなっており、道路は現在も通常に使用されているのにジャケット写真のポーズを取る人が多く以前から接触事故・死亡事故などが起こっている。

    ロンドン地下鉄における最寄り駅はジュビリー線セント・ジョンズ・ウッド駅(英: St John's Wood station)。なおドックランズ・ライト・レイルウェイアビー・ロード駅という駅があるが横断歩道から16kmほど離れた場所にある。

    横断歩道の文化遺産指定[編集]

    この横断歩道は世界中から多くのビートルズ・ファンなどが訪れる場所となり、その文化的背景から景観の保存が検討され、横断歩道を英国政府が2010年12月に英国の文化的・歴史的遺産に指定している。建物以外が指定されるのは初[6]

    「ポール死亡説」の根拠[編集]

    『アビイ・ロード』のジャケット写真においてメンバー4人のうちポールが1人だけ目をつぶって裸足であり[注釈 6]、左利きなのにタバコを右手に持っている。路上に駐められたフォルクスワーゲン・タイプ1のナンバープレートが「28IF」であるのが「もし(IF)ポールが生きていれば数え28歳」。白いスーツで長髪にひげを蓄えているジョン・レノンは「牧師」・黒いスーツを着ているリンゴ・スターは「葬儀屋」・スーツ姿で目をつぶって裸足のポール・マッカートニーは「死人」・デニムシャツにジーンズ姿のジョージ・ハリスンは「墓堀人」などと解釈され、いわゆる「ポール死亡説」の根拠の一部になった[7]。この「28IF」のフォルクスワーゲンは1980年代に行われたサザビーズのオークションにおいて5000ポンドで落札された。当時のロックンロールコレクション相場では異例の高価格であった。

    パロディ[編集]

    レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『アビイ・ロード E.P.』やサザンオールスターズの『キラーストリート』、ずうとるびの『明日の花嫁さん ビバ・ジャパン'77』など、世界中で最もジャケットがパロディー化される、いわゆるパロジャケが多いジャケット写真としても知られる。ポール・マッカートニーは自身のアルバム『ポール・イズ・ライブ』において、自らパロディーを披露している[8][注釈 7]かぐや姫の曲「アビーロードの街」では横断歩道をこのジャケット写真になぞらえている。

    収録曲[編集]

    アナログA面
    全作詞・作曲: レノン=マッカートニー(特記を除く)。
    #タイトル作詞作曲・編曲リード・ボーカル時間
    1.カム・トゥゲザー[注釈 8]
    Come Together
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ジョン・レノン
    2.サムシング
    Something(ジョージ・ハリスン)
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ジョージ・ハリスン
    3.マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー
    Maxwell's Silver Hammer
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ポール・マッカートニー
    4.オー!ダーリン
    Oh! Darling
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ポール・マッカートニー
    5.オクトパス・ガーデン
    Octopus's Garden(リチャード・スターキー)
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)リンゴ・スター
    6.アイ・ウォント・ユー
    I Want You (She's So Heavy)
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ジョン・レノン
    合計時間:
    アナログB面
    全作詞・作曲: レノン=マッカートニー(特記を除く)。
    #タイトル作詞作曲・編曲リード・ボーカル時間
    1.ヒア・カムズ・ザ・サン
    Here Comes the Sun(ジョージ・ハリスン)
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ジョージ・ハリスン
    2.ビコーズ
    Because
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ジョン・レノン
    ポール・マッカートニー
    ジョージ・ハリスン
    3.ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー - You Never Give Me Your Moneyレノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ポール・マッカートニー
    4.サン・キング
    Sun King
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ジョン・レノン
    ポール・マッカートニー
    ジョージ・ハリスン
    5.ミーン・ミスター・マスタード
    Mean Mr. Mustard
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ジョン・レノン
    6.ポリシーン・パン
    Polythene Pam
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ジョン・レノン
    7.シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー
    She Came in through the Bathroom Window
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ポール・マッカートニー
    8.ゴールデン・スランバー
    Golden Slumbers
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ポール・マッカートニー
    9.キャリー・ザット・ウェイト
    Carry That Weight
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)リンゴ・スター(主部)
    ポール・マッカートニー(主部および中間部)
    10.ジ・エンド
    The End
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ポール・マッカートニー
    11.ハー・マジェスティー[注釈 9]
    Her Majesty
    レノン=マッカートニー(特記を除く)レノン=マッカートニー(特記を除く)ポール・マッカートニー
    合計時間:

    各国における販売形態[編集]

    発売日 レーベル 販売形態 カタログ番号
    イギリス 1969年9月26日 Apple Records/EMI LP PCS 7088
    アメリカ 1969年10月1日 Apple, Capitol Records LP SO-383
    日本 1969年10月21日 東芝音楽工業(現:ユニバーサルミュージック (日本))/Apple LP AP-8815
    Worldwide reissue 1987年10月10日 Apple, Parlophone, EMI CD CDP 7 46446 2
    日本 1987年10月19日 EMI/ODEON RECORDS/Apple/東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック (日本)) CD CP32-5332
    日本 2004年1月21日 Parlophone/Apple/東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック (日本)) Remastered LP TOJP-60142
    日本 2014年12月17日 ユニバーサルミュージック (日本)) CD (2009年リマスター音源) UICY-76978 英国E式ジャケットを復刻した紙ジャケット仕様 日本初発売時のアップル帯も復刻されている。
    • ちなみに日本で1983年5月21日にCDが発売されたが(CP35-3016)、東芝EMIが独自に企画したものだったのでEMIが苦情を申し立て販売中止された。このCDが事実上世界初のビートルズのCDである。

    関連文献[編集]

    脚注[編集]

    注釈[編集]

    [ヘルプ]
    1. ^ 1987年のCD化においてイギリス盤公式オリジナル・アルバムと同等の扱いを受けたアメリカ・キャピトルレコード編集アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』が、2009年9月9日に発売されたデジタル・リマスター盤において発売日順に従い9作目に位置づけされたので1作繰り下がり12作目になっている。イギリス盤公式オリジナル・アルバムとしては11作目。
    2. ^ ただし、『イエロー・サブマリン』はステレオ盤をそのままモノラル化したものである。
    3. ^ なお、モノラルのオープンリールも存在するが、これはステレオ盤をそのままモノラル化しただけのものである。
    4. ^ フォー・ユー・ブルー」のヴォーカルと「アイ・ミー・マイン」が追加録音されている。その後2月28日を以てビートルズは自らのアルバム制作を断念した。
    5. ^ しかしエメリックは「アビイ・ロードでの写真撮影およびアルバム名の発案者はリンゴ」と述べている[4]
    6. ^ ポールは「これは思いつきでやった」と述べている。
    7. ^ このアルバム・タイトルは、ライヴ・アルバムである点と、前述の「ポール死亡説」とをかけている。
    8. ^ アメリカで発売されたカセットテープでは「カム・トゥゲザー」と「ヒア・カムズ・ザ・サン」が入れ替えられたヴァージョンが存在したが、その後発売された全てのヴァージョン(CDを含む)はオリジナルの曲順に修正されている。
    9. ^ B面11曲目である「ハー・マジェスティー」はジャケットに当初クレジットされていなかった。詳細は「ハー・マジェスティー」を参照。

    出典[編集]

    [ヘルプ]
    1. ^ 「ビートルズ/レコーディング・セッション」(1990年 シンコー・ミュージック)225頁。
    2. ^ a b ジョニー・ディーン編『ザ・ベスト・オブ・ザ・ビートルズ・ブック 日本語翻訳版』平林祥・新井崇嗣・上西園誠訳、2005年、リットーミュージック、pp.228-231。
    3. ^ MacDonald, Ian (1997). Revolution in the Head: The Beatles' Records and the Sixties (First Revised ed.). London: Pimlico (Random House). ISBN 978-0-7126-6697-8. 
    4. ^ 『The Beatles アンソロジー』、2000年 リットーミュージック、337ページ。
    5. ^ DeYoung, Bill (2008年2月15日). “Paul Cole, man on Beatles' 'Abbey Road' cover, dies”. TCPalm. 2012年11月28日閲覧。
    6. ^ ビートルズ「アビーロード」の横断歩道、文化・歴史遺産に指定=英 - 2010年12月23日、時事ドットコム。
    7. ^ Scott, Jane (1969年10月24日). “Paul's death 'exaggerated'”. The Plain Dealer (Cleveland, Ohio) 
    8. ^ Cooney, Caroline (2012年4月6日). “Every Parody Tells A Story”. grammy.com. 2014年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月17日閲覧。

    外部リンク[編集]