ゲット・バック・セッション

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ゲット・バック・セッション (英語: Get Back Session)とは、1969年1月にビートルズが「原点に返ろう=Get back」というコンセプトのもとで行ったレコーディング・セッション。特に前半のセッションはトゥイッケナム・セッション英語: Twickenham Session)とも呼ばれる。

デビュー当時のようにオーバー・ダビングを一切行わないアルバム『Get Back』の制作にあたって行われたセッションだが、アルバム『Get Back』は未発表のままとなり、1970年フィル・スペクターのプロデュースにより再編集された形でアルバム『レット・イット・ビー』となって発売された。

背景[編集]

崩壊しつつあるビートルズをまとめるため、メンバーたるポール・マッカートニーが「原点に返ろう=Get back」というコンセプトを掲げて行われた。そのため、デビュー当時のようにオーバー・ダビングを一切行わないアルバムを制作し、そのレコーディング風景を録画して映画にしようという試みが進められた[1]。愛用しているアビー・ロード・スタジオではなく、撮影しやすいという観点から映画『ヘルプ!4人はアイドル』などの撮影に使用されたトゥイッケナム映画撮影所でセッションが開始された。

トゥイッケナム映画撮影所とアップル・スタジオでのセッション[編集]

1969年1月2日から16日まで、ビートルズと映画監督マイケル・リンゼイ=ホッグはトゥイッケナム映画撮影所においてリハーサル・セッションと撮影を行った[注釈 1]。セッション開始当初はビートルズのメンバーも多少なりとも手ごたえを感じていたようだが、その後は覇気がなくなっていき、特にマッカートニーとジョージ・ハリスンは対立し、口論の光景は映画にまで記録された。1月10日にジョン・レノンとハリスンで意見の相違があり、ハリスンがセッションを放棄するという事件が起こり、その後話し合いによりジョージの復帰とアップル・コア本社への移動が決まった。なお、トゥイッケナム映画撮影所でのレノンの"Queen says 'No' pot-smoking FBI members."という語りがアルバム『レット・イット・ビー』に採用されたのみで、録音機器を持っていなかったことからここでのテイクはアルバムに採用されていない[2]

1月21日よりメンバー4人はサヴィル・ロウアップル・コア本社に場所を移し、その地下にあるスタジオにおいて正式なレコーディングに取りかかった[3]。この日よりマルチトラック・レコーダーを使用した録音が開始され[4]、1月31日まで同スタジオでセッションが行われた[5]。また22日のセッションよりジョージの発案で、バンド内の緊張状態を和らげることを目的にキーボーディストで旧友のビリー・プレストンが参加したほか[6]、1月30日にビートルズとビリーを加えた5人はアップル本社ビルの屋上に上り、2年5か月ぶりのライヴ・パフォーマンスを行った。後者は後に「ルーフトップ・コンサート」として知られることになる。

2月22日にはトライデント・スタジオで新たなセッションが始められ、7月1日からは本格的にアルバム『アビイ・ロード』のレコーディングに取りかかった。なお、その間の4月11日にはゲット・バック・セッションから初めての収獲となるシングル『ゲット・バック』がリリースされた。

発売にあたってのミキシング[編集]

3月にビートルズの要請によりエンジニアのグリン・ジョンズは、ゲット・バック・セッションの内容をアルバムにまとめる作業を開始。3月10から5月28日にかけてオリンピック・スタジオでミキシングが行われ、5月28日にマスター・テープを完成させた。

1969年5月28日盤ではルーフトップ・コンサートから「ワン・アフター・909」のみが採用され、「アイヴ・ガッタ・フィーリング」と「ディグ・ア・ポニー」はスタジオでレコーディングされた音源が採用された。また、「トゥ・オブ・アス」や「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」についてもアルバムで採用された1月31日以前のテイクが採用され、この他に即興演奏の「ロッカー」とドリフターズのカバー曲「ラストダンスは私に」、「ディグ・イット」の5分バージョンが収録された[7]

1969年5月28日盤の収録曲は、以下のようになっていた[7]

A面
#タイトル作詞・作曲
1.ワン・アフター・909(The One After 909)レノン=マッカートニー
2.「ロッカー」(Rocker)
3.セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォ・ミー[注釈 2](Save the Last Dance for Me)
4.ドント・レット・ミー・ダウン(Don't Let Me Down)レノン=マッカートニー
5.ディグ・ア・ポニー(Dig a Ponny)レノン=マッカートニー
6.アイヴ・ガッタ・フィーリング[注釈 3](I've Got a Feeling)レノン=マッカートニー
7.ゲット・バック[注釈 4](Get Back)レノン=マッカートニー
B面
#タイトル作詞・作曲
1.フォー・ユー・ブルー[注釈 5](For You Blue)ジョージ・ハリスン
2.テディ・ボーイ(Teddy Boy)ポール・マッカートニー
3.トゥ・オブ・アス(Two of Us)レノン=マッカートニー
4.マギー・メイ[注釈 6](Maggie Mae)民謡
(編曲:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リチャード・スターキー)
5.ディグ・イット[注釈 7](Dig It)
  • ジョン・レノン
  • ポール・マッカートニー
  • ジョージ・ハリスン
  • リチャード・スターキー
6.レット・イット・ビー[注釈 8](Let It Be)レノン=マッカートニー
7.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード[注釈 9](The Long and Winding Road)レノン=マッカートニー
8.ゲット・バック (リプライズ)」(Get Back (Reprise))レノン=マッカートニー

アルバム・デザインは、マンチェスター・スクエア英語版にあるEMI本部の吹き抜けからメンバーが見下ろしている写真が使用された。これは1963年に発売の1作目のデビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のジャケットを真似たもので、構図や配置も同じものになっている。また撮影には『プリーズ・プリーズ・ミー』のジャケットも手がけたアンガス・マクビーン英語版を起用して撮影が行われた[9][注釈 10]。撮影された写真はレノンも気に入っていた。同時にテスト盤も制作されたが、リリースには至らなかった。

12月15日、ビートルズはジョンズに再編集を指示し、映画の内容に沿ったサウンドトラックを作ることを要請した。1969年12月15日から1970年1月8日にかけて改めてミキシングが行われた。1970年1月5日盤では、映画に登場しなかった「テディ・ボーイ」が外され、リハーサルのシーンに登場した「アクロス・ザ・ユニバース」、ジョンがヨーコとワルツを踊っているシーンで登場した「アイ・ミー・マイン」[注釈 11]が追加収録された。また、1月4日には「レット・イット・ビー」にマラカスリードギタージョージ・マーティンのプロデュースによりブラスストリングスなどがオーバー・ダビングされたが、このテイクは採用されなかった。しかし、1970年1月5日盤もビートルズによって拒否され、アルバム『Get Back』は未発表となった[7]

1970年1月5日盤の収録曲は、以下のようになっている[7]

A面
#タイトル作詞・作曲時間
1.ワン・アフター・909(The One After 909)レノン=マッカートニー
2.「ロッカー」(Rocker)
3.セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォ・ミー(Save the Last Dance for Me)
4.ドント・レット・ミー・ダウン(Don't Let Me Down)レノン=マッカートニー
5.ディグ・ア・ポニー(Dig a Ponny)レノン=マッカートニー
6.アイヴ・ガッタ・フィーリング(I've Got a Feeling)レノン=マッカートニー
7.ゲット・バック(Get Back)レノン=マッカートニー
8.レット・イット・ビー(Let It Be)レノン=マッカートニー
合計時間:
B面
#タイトル作詞・作曲時間
1.フォー・ユー・ブルー(For You Blue)ジョージ・ハリスン
2.トゥ・オブ・アス(Two of Us)レノン=マッカートニー
3.マギー・メイ(Maggie Mae)民謡
(編曲:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リチャード・スターキー)
4.ディグ・イット(Dig It)
  • ジョン・レノン
  • ポール・マッカートニー
  • ジョージ・ハリスン
  • リチャード・スターキー
5.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(The Long and Winding Road)レノン=マッカートニー
6.アイ・ミー・マイン[注釈 12](I Me Mine)ジョージ・ハリスン
7.アクロス・ザ・ユニバース(Across the Universe)レノン=マッカートニー
8.ゲット・バック (リプライズ)」(Get Back (Reprise))レノン=マッカートニー
合計時間:

アルバム『レット・イット・ビー』へ 〜 海賊盤の流通[編集]

ゲット・バック・セッションのテープは、アメリカ人プロデューサーのフィル・スペクターへ3月23日に委託。スペクターはオーヴァー・ダビングするなどして音源を編集。ビートルズが事実上解散した4月10日の約1か月後(5月8日)にビートルズ13枚目のアルバム『レット・イット・ビー』を発売。続いて5月20日に映画「レット・イット・ビー」が劇場公開された。

リハーサルやレコーディングなどでサウンドトラック用に録音された100時間以上のテープのうち、その大半が海賊盤として流通している[12]。代表的なものに『Kum Back』がある[13]。レノンによると「俺が誰かに渡したアセテート盤をそいつが持っていって、先行プレスだか何だかだと言って放送された物が基になっていると聞いた。」と語っており[14]、図らずもレノンがソースの流出元となった可能性がある[15]。また、1980年にはLP5枚組の『The Black Album』という海賊盤が発売されたほか、セッション・テープを完全収録したCD38枚組の『Day by Day』が発売されたが、2003年1月にセッション・テープ500本がイギリスとオランダの警察によって回収され、5名が逮捕された[16]。また、「Purple Chick」レーベルは、自ら所有するテープ音源を『A/B Road』というタイトルで、無料でデジタル配信している。

また、公式では2003年にスペクターによって装飾されたアレンジが除去され、異なるテイクを繋げるなどの編集が加えられた『レット・イット・ビー...ネイキッド』が発売された。同作に付属のボーナスCD「Fly on the Wall」には、1969年1月のトゥイッケナム映画撮影所でのセッション音源の一部が収録された。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ このリハーサルの模様は、映画『レット・イット・ビー』に一部採用されているほか、2003年に発売された『レット・イット・ビー...ネイキッド』のボーナスCD『Fly on the Wall』に一部音源が収録された。
  2. ^ ドリフターズのカバー曲。なお、ドリフターズ版には「ラストダンスは私に」という邦題が付いているが、ビートルズ版が未発表かつ1966年以降一部の例外を除いて原題をカタカナ表記にしたものが邦題となっている観点から、ここでは便宜上原題をカタカナ表記にしたもので表記する。
  3. ^ 1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されたテイクと同じ音源[8]
  4. ^ シングル盤に収録されたテイクと同じ音源。
  5. ^ 『レット・イット・ビー』のものとはベース・トラックは同じであるが、『レット・イット・ビー』のものは1970年1月8日にヴォーカルを録音し直し、オーバー・ダビングしたものである。なお『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されたものとは同じ日の録音であるが別テイクである。
  6. ^ 『レット・イット・ビー』とは同じテイクであるが、こちらではフェード・アウトして終わる。
  7. ^ 『レット・イット・ビー』には短く編集された音源が収録された。
  8. ^ シングル盤とは同じテイクであるが、オーケストラはフィーチャーされていない。オーケストラがオーバー・ダビングされたのは、前述の通り1970年1月4日のセッションである。
  9. ^ 『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録されたものと同じ。『レット・イット・ビー』とは同じテイクであるが、オーケストラはフィーチャーされていない。
  10. ^ この写真はのちに『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』のジャケットに用いられた。
  11. ^ ただし同曲は正式なレコーディングが行われていなかったため、1970年1月3日にアビー・ロード・スタジオの第2スタジオでレコーディングが行われた。また、この日のセッションでもオリジナル・コンセプトに反してオーバー・ダビングがなされている。
  12. ^ 『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』収録テイクと同じ音源 [10]。『レット・イット・ビー』にはオーケストラが加えられ、一部歌詞が繰り返されるように編集が加えられている[11]

出典[編集]

  1. ^ Kot, Greg (2003年11月17日). “Let It Be, Paul”. Chicago Tribune. https://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-2003-11-17-0311180043-story.html 2020年4月26日閲覧。 
  2. ^ 内田 2009, p. 269, 322.
  3. ^ “20 Things You Need To Know About The Beatles' Rooftop Concert”. Mojo. (2014年1月30日) 
  4. ^ Schweighardt & Sulpy 2007, p. 154.
  5. ^ Schweighardt & Sulpy 2007, p. 257.
  6. ^ 奥田 1996, p. 384.
  7. ^ a b c d Lewisohn 1998, p. 196.
  8. ^ Winn, John C. (2009). That Magic Feeling: The Beatles' Recorded Legacy, Volume Two, 1966-1970. New York: Three Rivers Press. pp. 250-251. ISBN 978-0-307-45239-9 
  9. ^ Spizer 2003, p. 162.
  10. ^ Lewisohn, Mark (1996年). The BeatlesAnthology 3』のアルバム・ノーツ, p. 41 [ライナーノーツ]. Apple Records.
  11. ^ Lewisohn 2005, p. 197, 199.
  12. ^ Unterberger 2006, p. 226-230.
  13. ^ Winn 2006, p. 5.
  14. ^ Unterberger 2006, p. 371.
  15. ^ Unterberger 2006, p. 282-283.
  16. ^ Fricke, David (2008年1月20日). “Buried Treasure: The Story of the Beatles' Lost Tapes”. Rolling Stone. オリジナルの2009年5月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090525054135/http://www.rollingstone.com/news/coverstory/the_beatles_buried_treasure 2020年4月27日閲覧。 

参考文献[編集]

関連文献[編集]