レノン=マッカートニー

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ポール・マッカートニー(向かって左)とジョン・レノン(向かって右)(1964年撮影)

レノン=マッカートニーLennon-McCartney)はジョン・レノンポール・マッカートニーが作詞作曲した楽曲における共同名義。

解説[編集]

ザ・ビートルズの楽曲のうち約8割がレノン=マッカートニー名義の作品である[要出典]。ザ・ビートルズ時代に共作またはジョン・ポールどちらかが単独で作詞作曲しても Lennon-McCartney 名義を遣っている。「レノン / マッカートニー」、"Lennon / McCartney"、"Lennon, McCartney"、"John Lennon - Paul McCartney"、"John Lennon & Paul McCartney"など表記は数パターン在る。

ジョン・レノンは「ポールと俺は15歳時に取り決めたんだよ。法律的なものじゃないんだけれども、協力して曲を書こうって決めたとき、それが何であっても、ふたりの名前で出すことにするって取り決めをね」と1980年に述べている[1]。デビュー前に2人が作った曲としては、「ワン・アフター・909」、「アイル・ビー・オン・マイ・ウェイ」などが挙げられる。

デビュー・シングル盤「ラヴ・ミー・ドゥ / P.S.アイ・ラヴ・ユー」は「レノン / マッカートニー」("Lennon / McCartney")。2枚目「プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ」と3枚目のシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー / サンキュー・ガール」およびアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は「マッカートニー=レノン」("McCartney / Lennon")、アルバム『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」では "JOHN LENNON AND PAUL McCARTNEY" と表記されており、表記の仕方は複数ある。

当初は、作詞・作曲への貢献度が高い方の名前を先に入れるようにしていたが、それも徹底したものではなく、結局、1963年に「アルファベットでは、LMの前に来る」、「実際に口に出した時の語感の良さ」、「ジョンの方がポールより年上」等という理由により、貢献度に関係なくジョンの名前を先に入れることになった[2]

作詞作曲の過程や、2人の貢献度の割合は楽曲によって大きく異なる。初期のシングル曲はジョンとポールの共作が多く、特に1963年は発売された4枚のシングル中「プリーズ・プリーズ・ミー」を除く3枚(「フロム・ミー・トゥー・ユー」「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」)がジョンとポールの完全な共作曲である。一方が曲を作った場合のケースでは、「ミッシェル」の場合、ポールが「こういう曲を作ってみたんだけど、どうも何かが足りない」とジョンに相談した。すると、ジョンが「サビ部分をコーラスにしてみたら?」と助言して曲が完成した。結局、この部分が同曲の中で最も印象的なフレーズになった(他の楽曲については、ビートルズの作品を参照)。

ポールのライブ・アルバム『バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002』のライナー・ノーツでは、同アルバムに収録されているレノン=マッカートニーの作品のすべての作曲者名を"Paul McCartney and John Lennon"と表記したので「オノ・ヨーコがポールへの提訴を検討している」と報道された[2]。しかし、ポールがソロで歌う場合、特にジョンが実際には作詞作曲に全く関与していなかった曲(「イエスタデイ」など)に関しては、名義を逆にしても良いという了解事項がジョンとの間にあったという[2]

レノン=マッカートニー名義で発表されたものは、ビートルズ以外にも1969年にジョン・レノンがプラスティック・オノ・バンド名義で発表したシングル盤「平和を我等に」は、ジョンとヨーコの共作であるにもかかわらずレノン=マッカートニーのクレジットになっており[3]、ビートルズ関連の作品としては唯一の例外である。このことについて、生前のジョンは前述した『PLAYBOYインタビュー ジョン・レノン』で、ビートルズから離れることへの後ろめたさのようなものがあったからであると語っていた。

また、ブライアン・エプスタインがプロデュースした他のグループ(ザ・フォーモストアップルジャックスなど)や、ブライアンの死後にアップル・コアからデビューしたピーター&ゴードンメリー・ホプキンなどのアーティストにジョンとポールが曲を提供した際にもレノン=マッカートニーとクレジットされた。これらの曲は、1979年コンピレーション・アルバムThe Songs Lennon and McCartney Gave Away』としてEMIからリリースされた。一部の曲はビートルズとしても演奏・録音されており、『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』や『ザ・ビートルズ・アンソロジー』に収録されている。また、デビュー前にはデッカ社のオーディションにおいて「ハロー・リトル・ガール」(のちにザ・フォーモストに提供)、「夢のように("Like Dreamers Do")」(後にジ・アップルジャックスに提供)、「ラヴ・オブ・ザラヴド」(後にシラ・ブラックに提供)の3曲が録音された。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参照[編集]

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  1. ^ 『PLAYBOYインタビュー ジョン・レノン』、集英社(112頁)
  2. ^ a b c NOW!”. 2009年10月23日閲覧。
  3. ^ 1997年以降ジョン・レノン単独表記に変更。現在、著作権登録もジョン・ウィンストン・レノン単独になっている。