キリスト発言

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ザ・ビートルズ(1965年)[注釈 1]

キリスト発言(キリストはつげん、: More popular than Jesus)は、1966年のジョン・レノン(ビートルズ)の「僕たちはキリストより人気がある」という発言とそれをめぐる論議のことである。1966年7月、「ロンドン・イブニング・スタンダード英語版」紙のレノンへのインタビュー記事の一部分であるキリスト教に対する発言が引用され、アメリカの雑誌「デイトブック」に掲載された。アメリカや多くのキリスト教国のラジオ局がビートルズの曲を放送禁止とし[1]、南アフリカ政府やスペインは公式に抗議声明を発表した。抗議の声はローマ教皇まで届いた[2][注釈 2]

背景[編集]

ビートルズ最後のアメリカ公演が行われる数カ月前の1966年3月4日、モーリーン・クリーブ英語版[3]とのインタビュー記事「How dose a Beatle live? John Lennon lives like this」が「ロンドン・イブニング・スタンダード」紙に掲載された。この内容はビートルズのメンバーの私生活についてのものである[4]。ここでレノンは以下のように発言した。

キリスト教は衰えていくだろうね。消えて縮小していく。議論の必要はないよ。僕は正しいし、そうだとわかるだろう。今では僕たちはキリストより人気がある。ロックンロールかキリスト教、どちらが先に消えるかは分からない。キリストは良かったけど、弟子は鈍くて平凡だった。僕にとっては、弟子が歪めてしまったせいでダメになったんだと思えるね。[5][6]
Christianity will go. It will vanish and shrink. I needn't argue about that; I'm right and I'll be proved right. We're more popular than Jesus now; I don't know which will go first – rock 'n' roll or Christianity. Jesus was all right but his disciples were thick and ordinary. It's them twisting it that ruins it for me.[5][6]

イギリスでは「いつものレノンの毒舌」という程度と受け止められ、問題にはされなかった[7]ニューヨーク・タイムズなどの世界中の出版社に配信された時も、特に問題も起こらなかった[2]

アメリカの反応[編集]

この記事がアメリカの雑誌「デイトブック」[注釈 3]にインタビューの抜粋として一部引用されると、アメリカで論議が巻き起こった[8]。「デイトブック」は、アメリカのティーン層の雑誌であったが、深刻な社会問題や政治を扱うといった側面ももつ雑誌であった。デイトブック誌のアーサー・ウンガー編集長は、ビートルズのことを単なるアイドルの記事として書かず、このことはビートルズ側からも好意的に受け入れられていた。イギリスからビートルズの独占記事を購入していた。「デイトブック」の表紙には記事からの引用2か所、レノンの「ロックンロールかキリスト教、どちらが先に消えるかは分からない」という発言と、ポール・マッカートニーの「黒人全員が汚れた×××と見なされる、うんざりする国」という発言が掲載された[9]。宗教と人種差別[10][注釈 4]を批判したのである[2]

この論議を、さらに大きくしたのは、アラバマ州バーミングハムWAQYラジオ局英語版であった。ディスクジョッキーのトミー・チャールズは、ビートルズの曲を放送禁止にすると宣言、「ビートルズ禁止」キャンペーンを開始した。また、レコードを焼き払うことも呼びかけた[4]。ニューヨーク州オグデンズバーグから遠くユタ州ソルトレイクまで、ラジオ局数十局がWAQYラジオに続き、ビートルズの曲を放送禁止にした。特にバイブル・ベルト地帯での反響が大きく、ビートルズのレコードも燃やされ、南部では大騒動となっていた[11]。アメリカの秘密結社「クー・クラックス・クラン」(KKK)はレコードを焼き払う運動を扇動した[4]。騒動が始まった頃、ビートルズのメンバーはまだ深刻に考えてはおらず、少し面白がっていた。だが、抗議行動は続き、ビートルズには深刻な脅迫状が多数送られてくるような危険な状況となる[2]

インタビューをしたモーリーン・クリーブは責任を感じ、レノンの発言は「最近のイギリスでのキリスト教の衰退の現実を見て憂いたもの」であると擁護した[12]。ビートルズの関係者は、レノンの発言が誤って引用されたなどの主張をし、決してクリーブに責任転嫁をしなかった[2]

マネージャーのブライアン・エプスタインは、7月のフィリピン公演の時、イメルダ・マルコス大統領夫人の歓迎パーティーへの出席をビートルズ側が辞退した[注釈 5]ことでトラブルに巻き込まれ、そのことが原因で病気療養中であった。だが、直ちに渡米し記者会見を行った[13]

1966年の初夏の頃にビートルズへの殺害予告がなされ、その後も繰り返されたことから、彼らはきわめて緊迫した状況に置かれることになったが、6月末に行われた日本ツアーの際に日本武道館で行われたコンサートは、アメリカなど世界とはまったく異なる雰囲気であった[14]ジョージ・ハリスンは、「武道館はマーシャル・アーツのスピリットのためにある場所だから、日本では、そう主張するたくさんの学生がストライキをやっていた。それでも武道館は、暴力とスピリチュアルだけでなく、ポップ・ミュージックも受け入れてくれた。」と回想した[14]。ビートルズはロックミュージシャンでも受けない殺害予告の脅迫を受け、ホテルから外出禁止を言い渡された[15]。コンサートの際にはオーディエンスを静めるためにオーディエンスと同じかそれよりも多いぐらいの警察官が護衛に就いた[15]

レノンの謝罪会見[編集]

ツアーの為にビートルズが渡米、1966年8月11日にシカゴでレノンが釈明会見をし、批判の真意を説明し謝罪の意を表明した。レノンは会見をするのを拒否していたが、ツアーもメンバー全員の命も危機的状況という事態に直面し会見することを決断した[2]

「イギリスでのキリスト教衰退の事実を指摘しただけ。反宗教的な、不愉快なことを言うつもりなど全くなかった。キリストを人として、自分たちと比べたりもしていない。発言に他意は無かった。口にしてしまったことを申し訳なく思っている。発言が間違って解釈された。」とレノンは釈明した[4]。この会見の後、レノンの弁明を受け入れたアメリカのほとんどの都市で怒りの行動が鎮まった[16]

最後のアメリカ公演[編集]

ミッド-サウス コロシアム(メンフィス・テネシー州)[注釈 6]

アメリカ公演は、1966年8月12日から17日間14か所、19回行われたが、その間もまだ抗議行動は続いていた。ワシントンDCの公演会場外で「クー・クラックス・クラン」のメンバーが数人デモを行ったが、公演への影響はなかった。メンフィス市議会は全会一致で採択し、ビートルズのメンフィスでの公演を公式に非難した[17]。エプスタインは連続して行われる公演を中止にしようと提案したがビートルズが受け入れず、警戒措置を強化して公演を続けることにした。「クー・クラックス・クラン」のメンバーが、メンフィスのテレビでビートルズを公に脅迫した。8月19日のメンフィス公演は予定通り行われたが、夜の公演での3曲目、ジョージ・ハリスンの「恋をするなら」の演奏時にライフル銃のような音が会場に響き渡った。子供が悪戯でバルコニー席から爆竹を投げ入れたのである。そして8月29日、サン・フランシスコのキャンドルスティック・パークで最後の公演が行われた[2]

その他[編集]

後にレノンは、「キリスト発言をしなかったら、今もまだ公演をしていただろう。僕は神に感謝する」と、クリーブに心境を語ったという[4]。1970年の曲「ゴッド」では、イエス・キリスト、聖書仏陀、『バガヴァッド・ギーター』もビートルズも信じないと歌っている[18][4]。1971年の曲「イマジン」では、「想像してごらん、天国は存在しないんだと」という歌詞に批評家たちが焦点を当てた[19]。1980年12月8日、「僕たちはキリストより人気がある」という発言に刺激され、この発言を冒涜と呼んでいたマーク・チャップマンによって、レノンは殺害された[20]。チャップマンは、「ゴッド」と「イマジン」の曲にさらに憤慨したと述べ、「イマジン」の歌詞を「想像してごらん、ジョン・レノンが死んだように」と変更していた[21]

2008年ヴァチカンの公式新聞「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」は、1966年に発表済みのジョンのキリスト発言の記事を再度掲載した。ビートルズの『ホワイト・アルバム』40周年記念を祝う長い社説とともにビートルズを称賛する内容で締めくくられている[4][22]2010年4月にも、ビートルズ解散40周年に合わせてビートルズを称賛する記事を掲載した[23][24]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 前列左からジョン・レノン、ポール・マッカートニー。後列左からリンゴ・スター、ジョージ・ハリスン。
  2. ^ 当時の教皇パウロ6世はヴァチカンの公式新聞「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」紙を通して、「ビートニクの世界のことであっても、冒涜的に語られるべきではないことがある。」と苦言を呈した。
  3. ^ 7月29日。
  4. ^ 1964年、ビートルズはアメリカ公演のために訪れた南部での記者会見で、「(観客席を白人と有色人種とに分離する)人種差別が行われる会場ではコンサートを拒否する」と宣言した。主催者側もこの発言を受けて観客席を分離することを中止した。
  5. ^ 諸説あり。
  6. ^ 1966年8月19日、メンフィス公演が行われた。

出典[編集]

  1. ^ ファスト 1976, p. 275-277.
  2. ^ a b c d e f g ジョン・レノンの「キリストより有名」発言論争の真実”. RollingStone JAPAN (2016年9月4日). 2017年7月14日閲覧。
  3. ^ Maureen Cleave, British journalist who championed the Beatles, dies aged 87”. The Guardian (2021年11月8日). 2021年11月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 斉藤 2017, p. 76-79.
  5. ^ a b Jonathan Gould(2008). Can't Buy Me Love: The Beatles, Britain and America. Piatkus. ISBN 978-0-7499-2988-6 , 308-309
  6. ^ a b Cleave, Maureen (2005年10月5日). “The John Lennon I knew”. The Daily Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/culture/music/rockandjazzmusic/3646983/The-John-Lennon-I-knew.html 2014年8月5日閲覧。 
  7. ^ ファスト 1976, p. 277.
  8. ^ ビートルズ 2000, p. 225.
  9. ^ Fifty Years Ago, John Lennon Declared The Beatles To Be ‘More Popular Than Jesus,” On This Day In 1966”. Live for Live Music (2016年3月4日). 2017年7月14日閲覧。
  10. ^ ビートルズ、コンサートの契約書に入れた「重要なこと」とは?”. frontrow (2020年6月8日). 2020年6月9日閲覧。
  11. ^ 立川 1975, p. 210.
  12. ^ ファスト 1976, p. 275.
  13. ^ 立川 1975, p. 210-211.
  14. ^ a b (The Beatles 2000, p. 215)
  15. ^ a b (Philip Norman 2010, p. 448)
  16. ^ ファスト 1976, p. 279.
  17. ^ 立川 1975, p. 212.
  18. ^ Wiener 1991, p. 6.
  19. ^ Wiener 1991, p. 161.
  20. ^ Jones 1992, p. 115.
  21. ^ Jones 1992, p. 118.
  22. ^ ローマ法王庁、J・レノンの「キリスト」発言を許す”. ロイター通信 (2008年11月23日). 2017年7月14日閲覧。
  23. ^ カトリック総本山、ついにザ・ビートルズを許す”. BARKS (2010年4月13日). 2017年7月14日閲覧。
  24. ^ Vatican Gets Around to Praising the Beatles”. The New York Times (2010年4月13日). 2017年7月14日閲覧。

参考文献[編集]

  • The Beatles (trad. Philippe Paringaux), The Beatles Anthology, Paris, Seuil,‎ , 367 p. (ISBN 2-02-041880-0)
  • Philip Norman (trad. Philippe Paringaux), John Lennon : une vie, Paris, Robert Laffont,‎ (1re éd. 2008), 862 p. (ISBN 978-2-221-11516-9)
  • Wiener, Jon (1991). Come Together: John Lennon in His Time. University of Illinois Press. ISBN 978-0-252-06131-8 
  • 斉藤早苗監修 『All You Need Is THE BEATLES』宝島社、2017年1月19日。ISBN 4-80026-523-1 
  • 『ザ・ビートルズ・アンソロジー(日本語版)』リットーミュージック、2000年9月30日。ISBN 4-8456-0522-8 
  • ジュリアス・ファスト 著、池央耿 訳 『ビートルズ』角川文庫、1976年6月30日。ISBN 4-04321-401-4 
  • 立川直樹 『怪傑ビートルズの伝説』シンコーミュージック、1975年7月1日。