ラヴィ・シャンカル

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ラヴィ・シャンカル
KBE LH BR PV PB
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基本情報
出生名 ラヴィ・シャンカル
生誕
死没
ジャンル
職業
担当楽器 シタール
活動期間 1939年 - 2012年
レーベル
共同作業者
公式サイト ラヴィ・シャンカル 公式サイト

ラヴィ・シャンカルヒンディー語: रवि शंकर英語: Ravi Shankar1920年4月7日 - 2012年12月11日)はミュージシャンシタール奏者。イギリス領インド帝国(現:インド)、ヴァーラーナシー生まれ。ラヴィ・シャンカールラビ・シャンカールなどの表記もある。

日本では「ラヴィー」「シャンカール」といった長母音を示す「ー」を付け加えたカタカナ表記も多いが、原語の表記ではどちらも短母音である。

ミュージシャンでシタール奏者のアヌーシュカ・シャンカル、ジャズ歌手のノラ・ジョーンズは、腹違いの娘である。また、ともに60歳前後で授かった子であるため、祖父と孫のように見られることが多い。シタール奏者のアナンダ・シャンカルは甥。

来歴[編集]

幼少期から青年期にかけて、兄とともに舞踊団のダンサーとして、欧米諸国で活動していた。インドへ帰国後、シタールの奏法を習得したとされる。1950年代には、インド政府の派遣による文化使節のリーダーとなり、インド古典舞踊等の公演として、世界各国で演奏活動を行った。この一環として1958年(昭和33年)に来日した際、ラジオ東京テレビ(現・TBS)にてテレビ出演し、演奏も披露した(同年4月6日に『東芝日曜劇場』枠で放送)。

1960年代には、モントレー・ポップ・フェスティバルウッドストック・フェスティバルといった大型フェスティバルにも参加。インド音楽だけにとどまらず、ロックジャズ等のポピュラーミュージックにも影響を与える存在となる。

サタジット・レイの監督作品や『まごころを君に』(『アルジャーノンに花束を』の映画版)、『ガンジー』など多くの映画音楽も手掛けた。

1991年(平成3年)に第2回福岡アジア文化賞大賞[2]、1997年(平成9年)には第9回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞[3]

2012年12月11日、カリフォルニア州サンディエゴで死去[4]。92歳没。

2013年2月10日、第55回グラミー賞で功労賞が贈られる。授賞式には、アヌーシュカ・シャンカルとノラ・ジョーンズの2人娘が出向いた[5]

多様な活動と交友関係[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d Hunt, Ken. Ravi Shankar | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月26日閲覧。
  2. ^ ラヴィ・シャンカール | 受賞者”. 福岡アジア文化賞委員会. 2020年12月26日閲覧。
  3. ^ 1997年(第9回)音楽部門 ラヴィ・シャンカール”. 日本美術協会. 2020年12月26日閲覧。
  4. ^ “ラヴィ・シャンカール、死去”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2012年12月12日). https://www.barks.jp/news/?id=1000085422 2020年12月26日閲覧。 
  5. ^ “ノラ・ジョーンズ参加!アヌーシュカ・シャンカールDG移籍第2作目”. TOWER RECORDS ONLINE (タワーレコード). (2013年8月9日). https://tower.jp/article/feature_item/2013/08/09/0101 2020年12月26日閲覧。 

外部リンク[編集]