ラヴィ・シャンカル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Example.of.complex.text.rendering.svg この項目にはブラーフミー系文字(インド系文字)が含まれています。環境によっては、フォントをインストールしていても、母音記号の位置が乱れたり結合文字が分かれたりします詳細
ラヴィ・シャンカル
KBE LH BR PV PB
Dia5275 Ravi Shankar.jpg
基本情報
出生名 ラヴィ・シャンカル
生誕
死没
ジャンル
職業
担当楽器 シタール
活動期間 1939年 - 2012年
レーベル
共同作業者
公式サイト ラヴィ・シャンカル 公式サイト

ラヴィ・シャンカルヒンディー語: रवि शंकर英語: Ravi Shankar1920年4月7日 - 2012年12月11日)はミュージシャンシタール奏者。イギリス領インド帝国(現:インド)、ヴァーラーナシー生まれ。ラヴィ・シャンカールラビ・シャンカールなどの表記もある。

日本では「ラヴィー」「シャンカール」といった長母音を示す「ー」を付け加えたカタカナ表記も多いが、原語の表記ではどちらも短母音である。

ジャズ歌手のノラ・ジョーンズと、シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカル英語版は異母姉妹で、娘である。また、ともに60歳前後で授かった子であるため、祖父と孫のように見られることが多い。シタール奏者のアナンダ・シャンカル英語版は甥。

来歴[編集]

ダンサーからシタールの奏者へ[編集]

師匠であるババ・アラウディン・カーン

シャンカルは幼少期から青年期にかけて、兄とともに舞踊団のダンサーとして、欧米諸国で活動していた[2]。シャンカルが15歳の時、舞踏団に参加したババ・アラウディン・カーン英語版からシタールを勧められた[2]。3年後、舞踏団の解散に伴い、カーンの元で7年半にわたり、修業をした[2]。シャンカルが産経新聞の石井健のインタビューで話したことによると、カーンは昔気質で気難しい人物だったが、シャンカルはダンサー時代に通訳兼ガイドとしてカーンに接していたため、自分だけには優しかったとされている[3]。 ダンサー時代は豪華なホテルに泊まったり、宴会が開かれることも珍しくなかったのに対し、シタールの修業に出ていたころはインドの不衛生な環境に置かれていた[4]。それでも、シャンカルはカーンの人柄の良さや、「自分を浄化したい」という気持ちが強かったため、逃げ出したいとは思わなかったと石井とのインタビューの中で振り返っている[4]。 カーンの元での修業を終えたシャンカルは、デビューしてすぐにシタール奏者として人気を博した[4]。シャンカルは石井とのインタビューの中で、ダンサー時代に西洋の知識や語学、ふるまい方を身に着けたことがスピード出世につながったと振り返っている[5]

世界各国での演奏活動・他ジャンルへの参加[編集]

アメリカで開催されたイベントのビラ
1970年のイランでのパフォーマンス
2009年のシャンカル

1950年代には、インド政府の派遣による文化使節のリーダーとなり、インド古典舞踊等の公演として、世界各国で演奏活動を行った。この一環として1958年(昭和33年)に来日した際、ラジオ東京テレビ(現・TBS)にてテレビ出演し、演奏も披露した(同年4月6日に『東芝日曜劇場』枠で放送)。 1963年には、まだ8歳だったチャンドラカント・サルデーシュムクを見出し、後に内弟子として受け入れる 1960年代には、当時人気だったロックバンド・ビートルズのメンバーであるジョージ・ハリスンを弟子として受け入れる。 1960年代には、モントレー・ポップ・フェスティバルウッドストック・フェスティバルといった大型フェスティバルにも参加[6]。インド音楽だけにとどまらず、ロックジャズ等のポピュラーミュージックにも影響を与える存在となる[6]。 その一方、シャンカル本人はハリスンが弟子入りしてからポップスターのように扱われることをよく思っていなかったとインタビューの中で振り返っており、ロックフェスへの参加も契約上の都合だったとしている[6]。加えて、モントレーに参加していたジミ・ヘンドリクスザ・フーが楽器に対して行った過激なパフォーマンスは、「楽器は神聖なものである」というシャンカルからしてみれば受け入れがたいものだった[6]。ウッドストックに至っては、モントレーのようなテーマ性を見いだせず、シャンカルが観客たちに苦言を呈する場面もあった[7]。 これらをきっかけに、シャンカルはロックに失望し、大規模ロックフェスへの参加停止を決意した[7]。 だが1971年、ハリスンの呼びかけに応じ、バングラデシュ飢饉のためにニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで開いたチャリティーコンサート『バングラデシュ難民救済コンサート』(The concert for Bangladesh)にて、リンゴ・スターボブ・ディランエリック・クラプトンらとともに共に参加している[7]。この様子はのちに『バングラデシュ・コンサート』としてアルバム化された。なお、この時にハリスンと再会した際、ハリスンはインド風の服装で来印し、シャンカル自身は西洋風の服装で出迎えたという。 また、サタジット・レイの監督作品や『まごころを君に』(『アルジャーノンに花束を』の映画版)、『ガンジー』など多くの映画音楽も手掛けた。 ジャン=ピエール・ランパルユーディ・メニューインといった西洋音楽の奏者との共演も積極的に行い、シタール協奏曲も作曲している。またフィリップ・グラスにも大きな影響を与えたことで知られている。他にも尺八奏者山本邦山奏者宮下伸と共演している。

1991年(平成3年)に第2回福岡アジア文化賞大賞[8]、1997年(平成9年)には第9回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門)を受賞[9][2]

2002年、ハリスンの追悼コンサートが開かれた際、娘アヌーシュカと参加した。

2012年12月11日、カリフォルニア州サンディエゴで死去[10]。92歳没。

2013年2月10日、第55回グラミー賞で功労賞が贈られる。授賞式には、アヌーシュカともう一人の娘ノラ・ジョーンズが出向いた[11]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d Hunt, Ken. Ravi Shankar | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月26日閲覧。
  2. ^ a b c d 【世界文化賞・歴代の巨匠】シタール奏者、ラヴィ・シャンカールさん (1)素晴らしかった師匠(1ページ目). インタビュアー:石井健. (2018年9月25日). 産経ニュース.. https://www.sankei.com/premium/news/180925/prm1809250003-n1.html 2021年2月6日閲覧。 
  3. ^ 【世界文化賞・歴代の巨匠】シタール奏者、ラヴィ・シャンカールさん (1)素晴らしかった師匠(2ページ目). インタビュアー:石井健. (2018年9月25日). 産経ニュース.. https://www.sankei.com/premium/news/180925/prm1809250003-n2.html 2021年2月6日閲覧。 
  4. ^ a b c 【世界文化賞・歴代の巨匠】シタール奏者、ラヴィ・シャンカールさん (1)素晴らしかった師匠(3ページ目). インタビュアー:石井健. (2018年9月25日). 産経ニュース.. https://www.sankei.com/premium/news/180925/prm1809250003-n3.html 2021年2月6日閲覧。 
  5. ^ 【世界文化賞・歴代の巨匠】シタール奏者、ラヴィ・シャンカールさん (1)素晴らしかった師匠. インタビュアー:石井健. (2018年9月25日). 産経新聞.. https://www.sankei.com/premium/news/180925/prm1809250003-n4.html 2021年2月6日閲覧。 
  6. ^ a b c d 【世界文化賞・歴代の巨匠】シタール奏者、ラヴィ・シャンカールさん (4)愛と平和…ロックフェスの実態に絶望. インタビュアー:石井健. (2018年9月25日). 産経新聞.. https://www.sankei.com/premium/news/180925/prm1809250007-n1.html 2021年2月6日閲覧。 
  7. ^ a b c 【世界文化賞・歴代の巨匠】シタール奏者、ラヴィ・シャンカールさん (4)愛と平和…ロックフェスの実態に絶望 (2ページ目). インタビュアー:石井健. (2018年9月25日). 産経新聞.. https://www.sankei.com/premium/news/180925/prm1809250007-n2.html 2021年2月6日閲覧。 
  8. ^ ラヴィ・シャンカール | 受賞者”. 福岡アジア文化賞委員会. 2020年12月26日閲覧。
  9. ^ 1997年(第9回)音楽部門 ラヴィ・シャンカール”. 日本美術協会. 2020年12月26日閲覧。
  10. ^ “ラヴィ・シャンカール、死去”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2012年12月12日). https://www.barks.jp/news/?id=1000085422 2020年12月26日閲覧。 
  11. ^ “ノラ・ジョーンズ参加!アヌーシュカ・シャンカールDG移籍第2作目”. TOWER RECORDS ONLINE (タワーレコード). (2013年8月9日). https://tower.jp/article/feature_item/2013/08/09/0101 2020年12月26日閲覧。 

外部リンク[編集]