ドリス・トロイ

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ドリス・トロイ
Doris Troy
出生名 Doris Elaine Higginsen
生誕 (1937-01-06) 1937年1月6日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨークブロンクス区
死没 (2004-02-16) 2004年2月16日(67歳没)
ジャンル R&Bドゥーワップ
職業 歌手ソングライター
担当楽器 ボーカル
活動期間 1962年 - 1974年
レーベル アップルアトランティック、ピープル
著名な家族 ヴァイ・ヒギンセン
共同作業者 ピンク・フロイドシシー・ヒューストンディー・ディー・ワーウィックバーバラ・ルイス

ドリス・トロイDoris Troy1937年1月6日 - 2004年2月16日[1][2]は、アメリカ合衆国R&B歌手、ソングライター。多くのファンに「ママ・ソウル」として知られている。

彼女の最大のヒット曲は「ジャスト・ワン・ルック」で、1963年のトップ10ヒットとなった。彼女はまた、ピンク・フロイドのアルバム『狂気』における4人の女性バックコーラスの1人でもあった。

経歴[編集]

ブロンクス生まれ。本名はドリス・エレイン・ヒギンセン[1]。父はバルバドス系のペンテコステ派牧師[3]。後に祖母の姓を名乗り、ドリス・ペインとして育つ[4]。両親はリズム・アンド・ブルースのような「反体制的」な音楽を認めなかったため、彼女は父親の聖歌隊で歌い始めた。16歳のとき、彼女はアポロ・シアターで案内係として働き[5]、そこでジェームス・ブラウンに見いだされた[6]。ドリス・ペインという名前で作曲を始め、1960年にディー・クラークのヒット曲「How About That」で100ドルを稼いだ[3][5]

レコード業界に入ったトロイは、アトランティック・レコードディオンヌ・ワーウィックディー・ディー・ワーウィックと並んでバックアップ・ボーカリストとして活躍した。

1963年には、シシー・ヒューストン、そしてヒューストンの姪にあたるワーウィック姉妹とともに、スウィート・インスピレイションズのオリジナル・ラインナップのひとりとなった。

トロイは「トロイのヘレネー」から芸名を取り、ソロモン・バークドリフターズ、ヒューストン、ディオンヌ・ワーウィックのバックアップボーカルを歌い、その後「ジャスト・ワン・ルック」を共作してレコーディングした(作曲者クレジットはドリス・ペイン)。この曲は、1963年にBillboard Hot 100で10位となった。

「ジャスト・ワン・ルック」は、トロイにとって唯一の米国でのヒットだった。1962年10月、プロデューサーのバディ・ルーカスと共にデモとして10分で録音されたものだったが[7]、これを聴いたアトランティック・レコードは再レコーディングせずにリリースした。この曲は、ホリーズリンダ・ロンシュタットアン・マレー他多くのアーティストにカバーされている。

ソロ・キャリアがピークに達しても、彼女は複数のアーティストやバンドのバックコーラスを歌い続けた。ローリング・ストーンズの1969年の曲「無情の世界[2][8]ピンク・フロイドの『狂気[2]、そしてカーリー・サイモンの「うつろな愛[9]。さらに、彼女はハンブル・パイケヴィン・エアーズ[10]、エドガー・ブロートン[10]ジョージ・ハリスンジョニー・アリディ、ヴィヴィアン・スタンシャル、ダスティ・スプリングフィールド[6]ニック・ドレイク、ジュニア・キャンベルのためにも歌った。

1969年にロンドンに移住し、ビートルズアップル・レコードと契約。翌年、トロイとジョージ・ハリスンの共同プロデュースによるアルバム『ドリス・トロイ』をリリースした。1974年、トロイはイギリスからアメリカに戻り、カジノやナイトクラブで演奏するようになった。

ミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』は、彼女の人生をベースにしている[2]。妹でニューヨークの人気ラジオ・パーソナリティ、ヴァイ・ヒギンセンによって制作された。スパニッシュ・ハーレムのヘクシャー劇場で1,500回にわたって上演され、トロイは自身の母親のジェラルディン役を演じた。『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』は映画化もされ、2012年にDVDでリリースされた[11]

トロイはネバダ州ラスベガスの自宅にて肺気腫により67歳で亡くなった[2]

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 『ジャスト・ワン・ルック』 - Sings Just One Look & Other Memorable Selections (1963年)
  • 『ドリス・トロイ』 - Doris Troy (1970年)
  • Stretchin' Out (1974年)[12]

ライブ・アルバム[編集]

  • Rainbow Testament (1972年)

コンピレーション・アルバム[編集]

  • Just One Look - The Best Of Doris Troy(1994年)
  • 『アイル・ドゥ・エニシング : アンソロジー1960-1996』 - I'll Do Anything - The Doris Troy Anthology 1960-1996 (2011年)

脚注[編集]

  1. ^ a b Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 567. ISBN 1-904994-10-5 
  2. ^ a b c d e Sisario, Ben (2004年2月19日). “Doris Troy, Pop Singer Whose Life Inspired a Show, Dies at 67”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2004/02/19/arts/music/19TROY.html 2015年3月9日閲覧。 
  3. ^ a b “Doris Troy”. The Telegraph. (2004年2月20日). ISSN 0307-1235. https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1454837/Doris-Troy.html 2019年3月30日閲覧。 
  4. ^ Doris Troy”. soulfulkindamusic.net. 2019年3月31日閲覧。
  5. ^ a b Sweeting, Adam (2004年2月20日). “Obituary: Doris Troy”. The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/news/2004/feb/20/guardianobituaries.artsobituaries1 2019年3月30日閲覧。 
  6. ^ a b Doris Troy – Apple Records”. applerecords.com. 2015年3月9日閲覧。
  7. ^ Bernard "Pretty" Purdie, Let The Drums Speak!, 2014 pages 69–70.
  8. ^ R&B star Doris Troy dead at 67”. CNN (2004年2月19日). 2019年3月30日閲覧。
  9. ^ Troy, Doris | Encyclopedia.com”. www.encyclopedia.com (2004年). 2019年3月31日閲覧。
  10. ^ a b Doris Troy – Credits”. AllMusic. 2015年3月9日閲覧。
  11. ^ MAMA, I WANT TO SING! Ciara, Patti LaBelle, Lynn Whitfield & Hill Harper Hit All the Right Notes on DVD February 14”. www.prnnewswire.com. 2015年3月9日閲覧。
  12. ^ Doris Troy Discography”. AllMusic. 2022年2月20日閲覧。

外部リンク[編集]