平和を我等に

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平和を我等に
平和を我等に」録音中のジョンヨーコ 後姿:トミー・スムーザー、中央:ティモシー・リアリー
プラスティック・オノ・バンドシングル
初出アルバム『シェイヴド・フィッシュ〜ジョン・レノンの軌跡
B面 ヨーコの心
(Remember Love)
リリース
規格 7インチシングル
録音 1969年6月1日
カナダの旗モントリオール, クイーン・エリザベス・ホテル 1742号室
ジャンル ロック
時間
レーベル アップル・レコード
作詞・作曲 レノン=マッカートニー
プロデュース ジョン・レノン
オノ・ヨーコ
チャート最高順位
プラスティック・オノ・バンド シングル 年表
-平和を我等に
(1969年)
冷たい七面鳥(コールド・ターキー)
(1969年)
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平和を我等に」(へいわをわれらに、原題:Give Peace a Chance)は、1969年ジョン・レノンプラスティック・オノ・バンド名義で発表した楽曲である。

ベトナム戦争に対する反戦歌、平和のメッセージソングとして制作され、狙い通りヒットした[注釈 1]

解説[編集]

クレジット[編集]

本曲のクレジットはレノン=マッカートニーとなっているが、実際にはレノンとオノ・ヨーコの共作である。レノンは彼女をクレジットに含まなかったことを「罪」だったと語っている[1]

ポール・マッカートニーは本曲の作曲にもレコーディングにも一切関与していない。レノンは1980年のインタビューで「なぜポールの名前が出ているのか、僕にも分からないくらいだよ。ポールの名前が出ているのは、別にシングルを出したことと - 最初の物だけどね - ビートルズから本気で離れようとしていたことで、僕がちょっと後ろめたく思っていたからなんだ」と語っている[2][注釈 2]

1997年に発売されたベスト・アルバム『レノン・レジェンド』以降、レノンの単独名義になり、著作権登録もジョン・ウィンストン・レノンになった。

録音[編集]

平和を我等に」を練習するジョン・レノン
ギター:ギブソン J-160E

本曲は、モントリオールで行なわれた第2回の「ベッド・イン[注釈 3]の最終日に当たる1969年6月1日、会場だったクイーン・エリザベス・ホテルの1742号室で録音された。

レノンはビートルズの広報担当であるデレク・テイラーに録音技師を探すように頼み、テイラーは地元のレコーディング・スタジオのオーナーであるアンドレ・ペリーを見つけた。レコーディングは4本のマイクとペリーが持参した4トラックのテープレコーダーを用いて行われた[3]

レノンはリード・ボーカルとアコースティック・ギター(ギブソン・J-160E)を担当。トミー・スムーザー(ザ・スムーザー・ブラザーズ)がアコースティック・ギター、ヨーコ、テイラー、ティモシー・リアリー(心理学者)と妻のローズマリー、ジョセフ・シュワルツ(化学者)、ペトゥラ・クラーク(歌手)、ディック・グレゴリー(コメディアン)、アレン・ギンズバーグ(詩人)、マレー・ザ・K(ラジオDJ)、フィル・スペクター(音楽プロデューサー)、「ベッド・イン」の取材に来ていた報道陣などがコーラスで参加した。

録音テープはEMIに送られ、セッション・ミュージャンなどの手によりダビングが施された[注釈 4]。シングルは1969年7月4日に発表された[注釈 5]。B面収録曲はオノ・ヨーコがボーカルを担当した「ヨーコの心」(Remember Love)だった。

クレジット[編集]

チャート・パフォーマンス[編集]

Chart (1969) Peak
position
Austria Ö3 Austria Top 40[4] 2
Belgium Ultratop[5] 2
Canadian RPM Singles Chart[6] 8
German Media Control Charts[7] 4
Netherlands MegaCharts[8] 1
Norway VG-lista[9] 11
Switzerland Music Charts[10] 4
UK Singles Chart[11] 2
US Billboard Hot 100[12] 14
US Cashbox Top 100[13] 11

収録アルバム[編集]

オリジナル録音[編集]

ライブ録音[編集]

ライブ・パフォーマンス[編集]

同年9月13日、レノンとヨーコはザ・プラスティック・オノ・バンドとして、トロントで開催されたコンサート『ロックンロール・リヴァイヴァル』に出演して本曲を披露した。当日の音源はライブ・アルバム『平和の祈りをこめて』(1969年)と映像作品『スウィート・トロント』(1971年)に収録された。

1972年8月30日マディソン・スクエア・ガーデンで開催された知的障害児の為のチャリティー・コンサート『ワン・トゥ・ワン・コンサート』で本曲を披露[14]。この模様はレノンの死後、1986年に発売されたライブ・アルバム『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』や同名の映像作品に収録されている[14]

他バージョン[編集]

ヨーコは1991年湾岸戦争への抗議として多くのミュージシャンと「平和を我等に1991」を制作。2003年には9.11アメリカ同時多発テロに対しリミックスを発表。2008年にも40年記念のリミックスを発表した。

2020年に発売されたレノンのベスト・アルバム『ギミ・サム・トゥルース.』には、2020年最新のリマスタリングと、マルチトラックからのリミックスを施されて収録された[15]

カバー[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 出典:ジョン・レノン 著、森田義信 訳『空に書く~ジョン・レノン自伝&作品集』筑摩書房、2002年、p. 20頁。ISBN 4-480-87336-8 
  2. ^ 出典:「ジョン・レノン PLAYBOY インタビュー」1981年 集英社 111 - 112頁。
  3. ^ John Lennon + Yoko Ono: Give Peace A Chance”. beatles.ncf.ca. 2022年12月17日閲覧。
  4. ^ Hung, Steffen. “Plastic Ono Band – Give Peace A Chance”. austriancharts.at. 2012年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月24日閲覧。
  5. ^ Plastic Ono Band – Give Peace A Chance”. ultratop.be. 2013年3月24日閲覧。
  6. ^ Item Display – RPM – Library and Archives Canada”. Collectionscanada.gc.ca. 2012年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月24日閲覧。
  7. ^ charts.de”. charts.de. 2014年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月24日閲覧。
  8. ^ Hung, Steffen. “Discografie John Lennon”. dutchcharts.nl. 2013年3月24日閲覧。
  9. ^ Hung, Steffen. “Plastic Ono Band – Give Peace A Chance”. norwegiancharts.com. 2012年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月24日閲覧。
  10. ^ Hung, Steffen. “Plastic Ono Band – Give Peace A Chance”. hitparade.ch. 2013年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月24日閲覧。
  11. ^ JOHN LENNON | Artist”. Official Charts. 2013年3月24日閲覧。
  12. ^ John Lennon. “John Lennon – Awards”. AllMusic. 2013年3月24日閲覧。
  13. ^ Blaney, John (2005). John Lennon: Listen to This Book (illustrated ed.). [S.l.]: Paper Jukebox. p. 326. ISBN 978-0-9544528-1-0 
  14. ^ a b Madinger, C. & Easter, M. (2000). Eight Arms to Hold You. 44.1 Productions. pp. 36, 39, 79–84. ISBN 0-615-11724-4.
  15. ^ ジョン・レノン生誕80周年記念、最新ベスト・アルバム『GIMME SOME TRUTH.』発売決定”. uDiscoverMusic (2020年8月26日). 2022年12月17日閲覧。
  16. ^ セレナ(1991/06~1999/06・C23型)(1999/06~2005/05・C24型) CMについて教えて。”. 日産自動車. 2022年12月17日閲覧。
  17. ^ Kulik, Irina (2006年9月13日). “Madonna Saddles and Rocks Moscow”. Kommersant. オリジナルの2022年12月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151122024256/http://www.kommersant.com/page.asp?idr=530&id=704411 2015年11月21日閲覧。 

注釈[編集]

  1. ^ ジョーン・バエズ(Joan Báez)の「勝利を我等に」(We Shall Overcome)に並んで広く歌われた。
  2. ^ 一説によれば、マッカートニーが「ジョンとヨーコのバラード」を急いで発表したいというレノンの希望に応じて、2人だけの録音に協力してくれた事に対する礼に本曲のクレジットを贈った。
  3. ^ レノンとヨーコがベッドに入って平和をアピールするイベント。第1回は結婚直後の同年3月末にアムステルダムのホテルで行なわれた。当初マスメディアは、2人が公開でセックスをすると誤解していた。
  4. ^ ただし、契約上の事情で当時原盤権はアップル・コアが管理しており、後に原盤権はEMI一時預かりを経て現在はヨーコの元に渡った。
  5. ^ 当時ビートルズはアルバム『アビイ・ロード』を制作中で、2カ月半後の9月26日に発売した。
  6. ^ レノンに捧げられた。
  7. ^ マッカートニーは本曲をそれ以降も幾度かライブで披露しており、ここ数年はこのメドレーで演奏することもある。

外部リンク[編集]

John Lennon