ウッドストック・フェスティバル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ウッドストック・フェスティバル
Woodstock Music and Art Festival
初回開催の最終日
初回開催の最終日
概要
開催年 1969年、1979年1989年1994年1999年
会場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州サリバン郡ベセルホワイトレイク
主催 マイケル・ラング
ジョン・P・ロバーツ
ジョエル・ローゼンマン
アーティ・コーンフェルド
ジャンル ロックフォークブルースロックフォークロックサイケデリック・ロックブルースラテン・ロックインド音楽
外部リンク
公式サイト
テンプレートを表示
1984年に建立された開催から15周年の記念碑

ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間(あるいは、8月15日午後から18日午前にかけての4日間)、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に[1]、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれている[2]

概要[編集]

30組以上のフォーク歌手やロック・グループなどが出演し、入場者は40万人以上であった[1]。このロック・フェスティバルは、アルスター郡ウッドストックにおけるアート・ムーブメントに関連して名付けられた。近郊のサリバン郡ベセルのロシア系ユダヤ人個人農場主マックス・ヤスガーの息子の了解を得られ、所有する酪農農場が会場となった。この一帯は、「キャッツキルバレー」と呼ばれるアメリカインディアンの共同居住区(保留地ではない)である。

主催者となった若者たちは、ボブ・ディランなど往年の歌手やアーティストたちが暮らすウッドストックに自分たちのレコーディング・スタジオを設立する資金集めの目的で、このロック・コンサートを企画した[2]。当初、1万人から2万人程度の入場者を見込んでいたが、多くの人気ミュージシャンから出演の承諾が得られたことから、事前に18万6000枚のチケットが売れ、当日入場者は20万人を超えると予想された。実際はそれをはるかに上回る40万人以上が詰めかけ[1]、半数以上が入場料金を払わなかったため、事実上無料イベントの様相を呈した[2]

開催地周辺の地図

会場への高速道路は、会場に向かおうとする人々でごった返し、この週末は雨の上に、施設は人が混み合い、参加者は食べ物などを分け合っていた。暴力事件などは報告されていない。

度重なる雨による中断のためプログラムが遅れてしまい、最終日のトリを務めたジミ・ヘンドリックスが登場したのは月曜日の朝、8時30分だった[3]。それまでに帰った人もいて、彼らはヘンドリックスの演奏を見られなかった。この時のヘンドリックスの演奏は、1999年にほぼ全曲がアルバム『ライヴ・アット・ウッドストック』として発表された。

マックス・ヤスガーの農場

ウッドストック・フェスティバルは、カウンター・カルチャーを集大成した、1960年代のヒューマンビーインと呼ばれる人間性回復のための集会でもあり、音楽イベントとしてのみならず、ヒッピー時代の頂点を示す象徴と捉えられている。

このフェスティバル自体は赤字となったが、レコード映画化のため、最終的には収益にも結びついた[2]

ヒッピー・スタイルの入場者達

ウッドストックの会場では2名の死者と2件の出産があった(人数については諸説あり)。

このコンサートの模様は、『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』というドキュメンタリー映画として公開された。マイケル・ウォドレー英語版監督、マーティン・スコセッシ編集のこの映画は1970年に公開され、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。

ウッドストックの伝説と真実[編集]

当時の風景

ウッドストックには平和と愛を祝うために約40万人が集い、「幸せな時間を共有した」とはよく語られる神話である。

しかし、初の大規模な野外コンサートであったため、現代の観点で捉えれば、混雑も含めそれほど心地良いものではなかった。ヒッピーの中にはドラッグを使用する観客もいた。だが、規模と観客数の膨大さに比べれば、驚くほど暴力事件は少なかった[4]とはいえ、トラクターによる事故とドラッグの過剰摂取により2名が死亡した[4]

また食糧や清潔な水の供給、雨天を避ける手段も十分とはいえなかった上に、トイレや緊急用のテントなど必要な施設も多くなかった。また、フェスティバルの計画段階ではこれだけ多くの人が集まるとは考えられておらず、そのための準備が全くできていなかったのである。フェスティバル終了後のゴミ問題も大きな問題だったが、観客の中にはゴミを片付けて帰る者もいた。

また、町の住民からは「ヒッピーが集まるヤスガー祭」と警戒され、場所を提供した農場主のヤスガーには、反対派の住民によって開催前から牛乳の購入打ち切りなどの嫌がらせを受けた。

とはいえ、少なくとも同年12月6日に開かれ死者まで出したローリング・ストーンズによるフリー・コンサート(オルタモントの悲劇)とは対照的に、1960年代を体験した同世代アメリカ人の「輝かしい記憶の余韻」として生き続けたとされている。

そうしたヒッピーの理想の終焉を見せつけたのが、ウォーターゲート事件に起因する大統領リチャード・ニクソンの辞任であり、1975年に終戦を迎えたベトナム戦争におけるアメリカの敗戦である。

出演者[編集]

リッチー・ヘブンス
初日の風景

8月15日(金) 午後から深夜[編集]

土曜日の風景

8月16日(土) 午後から翌朝[編集]

ジョー・コッカー
大雨の様子

8月17日(日) 午後から翌朝[編集]

出演を断ったアーティスト[編集]

その後[編集]

1979年にウッドストック10周年記念コンサート(ウッドストック・リユニオン)が開かれたのに続き、1989年1994年1999年に記念コンサートが開かれている。とくに94年の25周年は「Woodstock II」と呼ばれ、ボブ・ディランやクロスビー、スティルス&ナッシュらが出演し、約30万人を集めた[4]。Woodstock IIIについてはウッドストック 1999を参照。

出典・脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯41度42分05秒 西経74度52分49秒 / 北緯41.70139度 西経74.88028度 / 41.70139; -74.88028