ジェファーソン・エアプレイン

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ジェファーソン・エアプレイン
Jefferson Airplane
Starship2010.jpg
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
ジャンル ロック
サイケデリック・ロック
フォークロック
ハードロック
活動期間 1965年 - 1973年
1989年 - 1990年
レーベル RCAGruntEpic
共同作業者 ジェファーソン・スターシップ
スターシップ
KBCバンド ほか
公式サイト Official website for Jefferson Airplane
メンバー
該当項目を参照
旧メンバー
該当項目を参照

ジェファーソン・エアプレインJefferson Airplane)は、アメリカ合衆国ロックバンド。のちジェファーソン・スターシップJefferson Starship)に改名し、スターシップStarship)などへ派生する。

メンバーの離脱、再加入、ポール・カントナー(en)のソロ・プロジェクト、名称変更と再編成、80年代に起きた「ジェファーソン」名義継承権訴訟をへて、現在ではミッキー・トーマスが結成したスターシップStarship featuring Mickey Thomas)と、ポール・カントナーが再結成したジェファーソン・スターシップJefferson Starship - The Next Generation)という似通った名の二つバンドが並立して存在している。前者は、エアプレインとは分立したバンドとして認識されている。

ジェファーソン・エアプレインは1960年代後半のサンフランシスコサイケデリック文化を代表するバンドであり、1996年ロックの殿堂入りを果たした。

バイオグラフィ[編集]

概説[編集]

ジェファーソン・エアプレイン自体は1965年から1972年まで活動したバンドだが、「ジェファーソン」と名乗るバンドの鍵を握るのは、創設メンバーであるマーティ・バリン、ポール・カントナーであり、その2人の活動歴を軸に40年を超える変遷全体に触れる必要がある。この項では、エアプレインにとどまらず時代ごとに現在までの流れを記す。

  1. 「ジェファーソン・エアプレイン」は、アメリカン・ロック・シーンの黎明期、フォーク・リバイバル運動をへて、フォーク・ロックに、サイケデリック・ロックの代表格と捉えられ、1960年代後期のカウンター・カルチャーを象徴するバンドのひとつになった。
  2. 「ジェファーソン・スターシップ」は、ポール・カントナーとグレイス・スリック、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア、ビル・クルーツマン、ミッキー・ハートに、グラハム・ナッシュデヴィッド・クロスビー達のセッション・プロジェクトとして1970年に始めたプラネット・アース・ロック・アンド・ロール・オーケストラが元で、クロスビーのソロ・デビュー・アルバム「イフ・アイ・クッド・オンリー・リメンバー・マイ・ネーム」などが作られている。1974年にパーマネント・バンドとして正式にデビューして、ロック・ビジネスが成長して行く時流に乗る事にも成功し、1970年代を代表するアメリカン・バンドのひとつになった。
  3. リード・シンガーをミッキー・トーマスに替えたバンドは、1980年代に入ると「第二のジャーニー」を探すレコード会社の要求によってサウンドを模索、次第に活動は低迷する。
  4. さらに「MTV時代」に入り、1985年にグレイス・スリックとミッキー・トーマスを看板にコンテンポラリーなポップ・スタイルを持つ「スターシップ」として再スタートする。
  5. この時期、脱退した創設メンバーのポール・カントナーは自己のスタイルで再始動し、「KBC」「ジェファーソン・エアプレイン・リユニオン」「ソロ活動」を経て「新編成ジェファーソン・スターシップ」として現在に至る。
  6. 「スターシップ」の最後まで在籍したミッキー・トーマスが、1990年代初頭に自己のバンドを「スターシップ」名義で再編成し、現在までポール・カントナーの「ジェファーソン・スターシップ」と同時に存在している。

マーティ・バリン/ポール・カントナーの創始メンバーによる『ジェファーソン・エアプレイン』~『ジェファーソン・スターシップ』~『現在のジェファーソン・スターシップ』、『グレイス・スリック在籍の時期のスターシップ』~『スリック脱退後のスターシップ』、及び『ミッキー・トーマス率いる現在のスターシップ』は、それぞれ異なるファン層を持ち、時代の変化や新たな世代、音楽のジャンルや嗜好から別の流れを汲むバンドと見るのが妥当である。

  • 作品タイトル、チャート実績、参加メンバーについての詳細は、別掲の各項目を参照

ジェファーソン・エアプレイン 1965-1973[編集]

1960年代に吹き荒れたビートルズ旋風/ブリティッシュ・インヴェイジョン、その影響下で続々と誕生したアメリカンバンド第一世代を代表するグループ。反体制や薬物体験を歌った歌詞などにより、60年代カウンターカルチャーの申し子とされる。また、ドラッグカルチャーやライトショウを駆使したステージに象徴されるサイケデリアの時代にバンドは最初のピークを迎えたというイメージからか、日本では単に「サイケデリック・ロック」の代表格として語られる事も多いのだが、実際にはその時期は短く、もっと幅広い音楽的要素を持っていると言える。

バンド創設者、マーティ・バリン1962年ポップス/R&Rシンガーとしてシングル・デビューし、その後サンフランシスコに移りダンサーで活躍したり、フォーク・グループに参加していたが、バンド・スタイルで自分のグループ結成を目論む。一方、根っからのフォーキーであるポール・カントナーはフォーク・シンガーとしてサンフランシスコのコーヒーハウスなどで活動していた。この2人が出会い中心に、1965年にジェファーソン・エアプレインの母体が出来上がりライブ・デビュー。やがて、サンフランシスコ初のメジャー契約バンドとして1966年にはRCAからシングル/アルバム・デビューを果たし、一躍注目を集める。当初はバリンのボーカルを中心にしたストレートなフォーク・ロックのバンドではあったが、そのベースにはフォーク/R&R/R&B/ブルースが混ざり合い、男性/女性3人のボーカルに個性的でハイレベルなギター/ベース・サウンドが絡むスタイルはすでに確立されていた。

1967年の『Surrealistic Pillow』制作前にはグレイス・スリックが加入してバンドに一大飛躍をもたらす。そのカリスマ性を体現するかのような強力な歌声で、アルバムから「White Rabbit」「Somebody To Love」の大ヒットが生まれた。また各メンバーも強烈に主張し始め、バリン作のメランコリックな曲、すでにホット・ツナを予感させるヨーマ・カウコネンの曲、3人のボーカルが絡み合うスリリングな曲など、その後長らくバンドを彩る多様なスタイルがすべて現れている。そして、モンタレー・ポップ・フェスティバルへの出演によりエアプレインの名前は全米に広まった。

高い演奏力とオリジナリティ溢れる創作力を持つメンバーが集まったことにより、これ以降、実験的な試みをスタジオ作品やライブで繰り広げ、サウンドは目まぐるしく変化し、音楽的クオリティも高まって行く。当初はバリンがリーダーだったが、3rdアルバムを制作する頃からは、独創性を発揮し始めたカントナーのリーダーシップや他メンバーの主張も台頭し、バンド内の力関係も変化し始める。傍目には危ういとさえ感じられるこの個性のぶつかり合いこそが、バンドを時代の頂点に押し上げる原動力になった。ちなみに、バリンはポップ・ソングやR&R/R&B、カントナーはフォーク・ミュージック、ギターのカウコネンはトラディショナルなブルースの追求者、ベースジャック・キャサディはR&B、ブルーズ、R&R、ジャズと幅広く好み、ドラムススペンサー・ドライデンはジャズ出身という多様性を持っていた。

当時の一大ムーブメントになった大掛かりなフェスティバルにもくまなく参加し、1968~1969年にかけて人気はピークに達する。ひたすら新しい音楽表現を追求したサイケデリアの時代が過ぎ、1969年ウッドストックに出演する頃にはベトナム戦争が泥沼化、バンドは反体制メッセージの代弁者としての存在感が増して行く。その中心は、政治的メッセージを発するカントナーとカリスマ性が頂点に達したスリックに移っていた。また、演奏スタイルも1970年代に入る頃にはストレートでよりヘヴィなものに変化して行った。

一方、ビジネスとして巨大化し余りにも過酷になった活動の中で、よりパーソナルな音楽活動を望むカウコネンとキャサディは1969年ごろからブルーズ・デュオHot Tunaの原型をスタート。西海岸のミュージシャンとPlanet Earth Rock and Roll Orchestraと呼ぶセッションを活発に行なっていたカントナーは、1970年に自己のプロジェクトユニット、Paul Kantner Jefferson Starship名義でのアルバムを発表した。(ここでスターシップという次のコンセプトが生まれた。理屈の通らない権力者などは相手にせず理想を追求する人達で宇宙に脱出しようというストーリーは、1969年発表の曲「Wooden Ships」が原点。)さらに、オルタモントでの事件やジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンの死を契機に、バリンは音楽活動自体を見直したいと考えるようになり、自分が作ったバンドから1971年に脱退。

RCAとの契約期間が終了したバンドは、このような状況においても1971年に自分達のインディペンデント・レーベル「GRUNT(グラント)」を設立し、同年、エアプレインとしてミリオンセラーのスタジオ作『Bark(バーク)』を制作。他のアーティストとも契約して作品をリリースするなど、チャレンジは続けた。しかしこの時期、L.A.勢力の台頭など音楽シーンの新旧交代も影響してエアプレインとしての活動は停滞。カントナーはスリックのソロを含むプロジェクト作品を1973年までに更に3枚制作してスターシップのコンセプトを発展、Hot Tunaもアルバム制作を続けるなど、各々のソロ活動が本格的になり、外に向かって行った。

1972年に最後のツアーが行なわれた後、翌1973年にはそのライブ盤がリリースされた。しかし、Hot Tuna組の2人は完全にバンドを離れてしまい、ジェファーソン・エアプレインは正式に解散した。

ジェファーソン・スターシップ 1974-1984[編集]

エアプレイン解散の翌1974年、カントナー・プロジェクト(1970-1973)のメンバーをベースにグレイス・スリックの1stソロをプロモートするツアーを行なう事になり、バンド名をパーマネントバンドとしてのジェファーソン・スターシップに決定。メンバーは、ポール・カントナー、グレイス・スリック、ディヴィッド・フライバーグ、パパ・ジョン・クリーチ、ジョン・バーベイタのエアプレイン最終組に、ギタリストのクレイグ・チャキーソ、ベーシスト/ギタリストにピーター・カウコネン(ヨーマの実弟)を加えたもの。この公演の後、ピーター・カウコネンがピート・シアーズに交代して1stアルバム『Dragon Fly』 が制作された。

このように、ある時期を境にエアプレインからスターシップに単に改名されたのではなく、「エアプレイン」と「カントナーのスターシップ」が平行して活動し、エアプレインが解散した後でスターシップが改めてデビューしたのが経緯だった。1stアルバムとライブにはマーティ・バリンが早くもゲスト参加し、その曲「Caroline」はFMステーションでヘビーローテーションになる。2ndアルバム『Red Octopus』(エアプレイン以来初の全米最高1位獲得)からはバリンがフルタイムで復帰し、彼の作品「Miracles」(シングルチャート最高3位)が大ヒット。さらに77年から78年にかけては、「カウント・オン・ミー」もヒットした。復活したバリン/スリック/カントナーのコーラスワークを新しいバンド・アンサンブルに載せて、一気に人気グループの座を奪還した。エアプレインとは大幅に異なる音楽を取り入れて1970年代ロックシーンの本流に踊り出た形だが、この時はメンバー自身が主導して掴んだ成功であり、1980年代に起きた変化(後述)とは異なっていたと言える。1970年代のロックシーンで通用する音楽作りという面では、作曲・編曲で大活躍を見せたピート・シアーズの手腕が大きく貢献した。また、カウコネンとは全く違ったコンテンポラリーなスタイルを持つクレイグ・チャキーソも演奏・作曲で活躍する。

4年余り続いたこの体制での全盛期にはバリンの存在感が圧倒的になり、エアプレイン結成以来ようやく彼の理想的なバンドが実現した時代でもあった。そして彼だけでなく、グレイス・スリックの歌唱力を生かした曲や、エアプレイン以来のボーカル・ワークを生かした曲も数多く生まれ、4枚のアルバムが成功を収める。バンドとしての調和もとれた時期だった。しかし、長らくバンドのシンボルであり続けたスリックが、精神的不安定から深刻なアルコールのトラブルを抱え一時脱退を余儀なくされる(1978年-1981年)。リードシンガーはマーティ・バリン一人という体制でツアーも続け、1978年にはこの編成での最終シングル「Light The Sky on Fire」を発表。これは、アメリカのTV版『Star Wars Holiday Special』のテーマ曲になり、バンドも演奏シーンで出演した。この後、ドラマーのジョン・バーベイタが自動車事故で活動できなくなり、エインズレー・ダンバーが参加する。

バンドは、ラブ・バラード等を極力減らしてより強力な音楽でイメージチェンジを図ることを決め、新作のためのリハーサル/レコーディングに入る。しかし、再びバリンがバンドを離れる事態になり、後任として南部出身のミッキー・トーマスを起用。完成された1979年の『Freedom At Point Zero』は、トーマスの声質を生かしたハードロック路線だった。シングル盤はまずまずの成功を収めたが、60年代以来のファンからは産業ロック志向であるとの否定的な評価を受けた。その延長線上で創られた1981年の『Modern Times』にはグレイス・スリックがゲストとして参加、さらに1982年の『Winds Of Change』では正式復帰した。バンドは万全の体制に回復したかに見えたのだが、1980年代初頭から方向性の模索を続けなければならない状況に陥っていた。レコード会社は、当時のメインストリームになったジャーニー/ボストン/ヴァン・ヘイレン/カンサス/スティクス/ナイト・レンジャー/TOTOといったスタジアム・ロック/アリーナ・ロックスタイルのヒット曲を要求。そして、さらに急速に変化する音楽シーンはMTV全盛期に突入し、音楽ビジネスの先端は、ビジュアル戦略にも重きを置いたマドンナ/シンディ・ローパー/マイケル・ジャクソン/カルチャー・クラブ/デュラン・デュランなどのポップ・ソングに移って行った。

会社は1960年代以来のベテラン・アーティストに厳しい対処をするようになり、ジェファーソンらしい音楽は急激に失なわれ、メンバー間の対立も深刻になった。それは一般的に伝えられたような、カントナーひとりが浮いてしまったという単純なものではなかった。より若いターゲットに向けてコンテンポラリーなMTV路線を志向するようになったミッキー・トーマス/クレイグ・チャキーソ/ドニー・ボールドウィン、それに対して、シンセサイザー/コンピューターを多用しながらも従来通りのコアなロック・ファンにアピールしたいと考えるポール・カントナー/ピート・シアーズ/ディヴィッド・フライバーグの2派に別れ、最後の切り札を握るのがグレイス・スリックという構図だったと伝えられる。

この間、カントナーは13年ぶりにソロ・プロジェクトでの制作を復活、「Planet Earth Rock And Roll Orchestra」名義でのソロ・アルバム『Planet Earth Rock And Roll Orchestra』を発表、こちらの方が、本来のジェファーソンサウンドが展開されている作品だった。続くジェファーソン・スターシップの『Nuclear Furniture』では、当時最新のエレクトロ・ポップを大幅に導入。ここで本来のコンセプト・メーカーであったカントナーが突出してバンドと対立するようになる。

スターシップ / KBCバンド / 再結成ジェファーソン・エアプレイン 1985-1990[編集]

この時期はレコードセールスの要因もあって、特に日本では「スターシップ」についての情報しか入らず、長いジェファーソンの歴史で単に最後のバンドがスターシップだった、という認識が強い。しかし、1985年以降の数年間は、スリックやトーマスを看板とするスターシップと、カントナーを中心としたKBC/再結成エアプレインに分裂していた。

スターシップ[編集]

やがて、レコード会社やプロデューサーが求めるような、MTV時代に生き残るためのスタイルを受け入れようと考えたスリック/トーマスがバンドの方向性を握るようになる。バンドの変容は進み、あるライブでは女性バック・コーラスを配置する案まで出て、これにカントナーは激怒。また、最も勢いに乗っていた後進バンドジャーニー前座を務めるという提案もあったが、かつて一緒にツアーをした時に比べ極度に安い報酬を提案されたために拒否、という話も残っている。このような経緯から、もはや主導権が取れなくなったカントナーは、もう1枚アルバムを制作した後に解散するという意思を表明するが、他メンバーは存続を要求。1984年、結局カントナーが単独で脱退し、残ったメンバー達にバンド名「ジェファーソン・スターシップ」を使わないように訴訟を起こす。(公判中、一時スターシップ・ジェファーソンと名乗って公演を続けたといい、事態の混乱を物語っている)1985年の判決の結果、両者とも使えないことになり、折衷案として「ジェファーソン」をはずして「スターシップ」となり、新たにRCAと4枚のアルバム制作の契約を結んで再出発した。

バンドは当時先端のエレクトロ・ポップを全面的に取り入れ、シングル「シスコはロックシティ(We Built This City)」(これは邦題だけで実際は特定の街を歌ったものではない。)は、エアプレイン時代から通算してもシングル初となる全米1位(1985年11月16日付 - 23日付)を獲得。アルバム『Knee Deep in the Hoopla』も成功を収め、エアプレイン以来果たせなかった日本公演も実現している。

アルバム制作中に、元々脱退も考えていたディヴィッド・フライバーグが脱退。次のアルバム発表前には、1974年以来事実上の音楽的リーダーだったピート・シアーズも音楽性の変化に不満を感じて脱退。これにより外部ライターの楽曲を中心に完全にマーケティング主導型の制作をする体制になり、全く新しいファン層の獲得に成功。さらに勢いは衰えず「Sara」(1986年3月15日付)、「Nothing's Gonna Stop Us Now(愛はとまらない)」(1987年4月4日付 - 11日付)の2曲のNo.1ヒットを生み、セカンド・アルバム『No Protection』も成功した。しかし1988年に年齢と音楽性の不一致を理由に、ジェファーソン・エアプレイン時代から在籍した最後のメンバーである、グレイス・スリックがライブ活動からの引退を表明、そのまま脱退してしまう。中心メンバーがミッキー・トーマスとクレイグ・チャキーソだけになったバンドは、メンバーを補充しながら活動を継続し、もう1枚のアルバム『Love Among The Cannibals』(最高64位)、シングル「It's Not Enough」(最高12位)、「I Didn't Mean to Stay All Night」(最高75位)がヒットして健闘を続ける。しかし、ドラマーのドニー・ボールドウィンが脱退した後の1990年に解散を決めた。次のアルバムではトーマス以外は全てスタジオミュージシャンを起用する事を要求する程にレコード会社のコントロールは熾烈になり、「バンドの音楽性もミュージシャンのパーソナリティも破壊されてしまった」と、1974年のジェファーソン・スターシップデビューから在籍し続けた最後の一人であったチャキーソが後に語っている。

KBC バンド[編集]

一方、カントナーは本来自分が目指してきた音楽をやる為に動き始めた。ソロ活動をしていたマーティ・バリンのライブで1984年中には早くも共演し、SVT(Hot Tuna解散後ジャック・キャサディが結成)が解散していたジャック・キャサディも加わって1985年にKBC(カントナー・バリン・キャサディ)BANDを結成。1986年にアリスタからアルバム『KBC BAND』(全米最高75位)を発表した。シングル「It's Not You, It's Not Me」が辛うじて最高89位などレコードセールス的には振るわなかったが、アルバム中数曲で8年ぶりにカントナー/バリンの共作も復活してジェファーソンの正統な流れを汲む演奏を聴かせ、事実上のファミリー再結集としてライブで人気を博した。当時、アメリカの抱える諸問題をストレートに取り上げたブルース・スプリングスティーンの「Born In The USA」やジャクソン・ブラウンの「For America」などがヒットしていた。KBC BANDでは1969年当時のエアプレインを思わせるような、カントナー/バリン共作のシングル「America(Arista AS1 9572)」を発表(12inchシングルやプロモーションビデオも作られたがチャートインはならず)。これは、ベトナム戦争後の問題や権力への批判を織り込みながらも未来を肯定するという内容で、商業成績という重石が取れ、晴れて軽やかに世の中に目を向けて歌えるようになった久々のカントナーらしいメッセージの曲だった。

1987年、カントナーはアルバムに収録されていた曲「Mariel」がきっかけで、シンガーソングライターのクリス・クリストファーソンと共にニカラグアに長期滞在し、帰国後、ペーパーバック『Paul Kantner's Nicaragua Diary』を出版した。バンドは活発なライブ活動を続け、2ndアルバムにとりかかったがレコード会社のサポートは得られず解散した。短期間の活動に終わったが、この時のメンバーが、現ジェファーソン・スターシップ(JEFFERSON STARSHIP -The Next Generation)再結成の基盤にもなった。

再結成ジェファーソン・エアプレイン[編集]

カントナーはKBC解散後、ヨーマ・カウコネン、ジャックキャサディと共に「Hot Tuna with Paul Kantner」としてツアーを行い、これが次の再編劇の幕開けとなる。1988年、ここに引退したはずのグレイス・スリックも加わり、エアプレインの4人が16年ぶりに顔を合わせた。そして1989年にはマーティ・バリンも参加を承諾し、かつてのドラマーだったスペンサー・ドライデンを除く全盛期の5人でジェファーソン・エアプレイン再結成が実現した。これは、スリックを含むメンバーでバンドにもうひと華咲かせようと望んだカントナーが奔走して実現したリユニオンであり、決してレコード会社主導のイベントではなかった。アルバム『Jefferson Airplane』は最高85位、シングル「Planes」「Summer Of Love」はチャートインを果たせなかったが、全米ツアーは成功を収める。東海岸でも数度のアリーナ公演をソールドアウト、地元ゴールデンゲイト・パークでは65,000人を動員するが、その直後にまた活動停止した。ホット・ツナ再始動に向けて動き始めたヨーマ・カウコネンとジャック・キャサディの再びの脱退が直接の原因になったとされる。ちなみに、カントナーの初来日となるはずだった日本公演は中止になっている。音楽メディアの反応は冷ややかで、1990年発表のRolling Stone誌の"Unwelcome-Back Band"(歓迎されない再結成)にビー・ジーズらとともに選出された。

このように1985年から1989年にかけては、かつての仲間同士が裁判沙汰になったり、再び手を組んだりという離合集散の動きが激しく、これに対してスターシップに残ったメンバーは激怒したといわれる。1989年のスターシップのアルバム『Love Among The Cannibals』は彼等を皮肉ったタイトルであるとトーマスはインタビューで語っていた。1989年、「スターシップ」「再結成ジェファーソン・エアプレイン」2グループのチャート実績は、前述のようにアルバム・チャートでは比較的拮抗するものの、シングル・チャートでは大きく明暗が分かれた。

ジェファーソン・スターシップ/スターシップ 1990-2007[編集]

1990~1991年にかけては、カントナーはKBC BANDのキーボーディスト、ティム・ゴーマンと、ギタリスト、スリック・アギラーらとソロ・アコースティックユニットPaul Kantner's Woodenshipを組み全米でライブ活動を行なった。この当時のライブは日本向けに収録され、NHK-BSで放映されたことがある。

また、Paul Kantner&Female Singers Projectを立ち上げてデモ音源まで制作したが正式には発表されないままになっている。但しここには、Jefferson Starship-The Next Generationに参加する女性シンガー、ダービー・グールドも参加し、この時の楽曲は後のスタジオ作でも取り上げられている。

1992年、Paul Kantner's Woodenshipの3人に、ベースのジャック・キャサディ、フィドルのパパ・ジョン・クリーチ、新女性シンガーに地元シスコで活動していたダービー・グールドを加え、ジェファーソン・スターシップ(Jefferson Starship-The Next Generation)が結成された。翌1993年にはバリンも再合流し、1994年にはようやくの初来日(福岡・大阪・東京)を果たしている。権利関係の問題でエアプレインを名乗る事はできないが、ライブでは1965年デビュー以来の各ソロ作品も含めた膨大な楽曲を網羅し、1992-2007年までに21か国で計900回近くが行なわれている。またフル編成のJefferson Starship-The Next Generation、マーティとドラムスが外れたカントナーのソロステージに近いJefferson Starship-Acoustic Exprolerの2種類があり、セットリストが大幅に異なる。1995年、新曲を含むライブCD(グレイス・スリックもゲスト参加)を発表。一部収録曲・ミックスの異なるスタジオ作品(グレイス・スリックもゲスト参加)を1998年(ドイツ盤)、1999年(アメリカ・日本盤)に発表。1999年には2度目の東京公演も行なった。2000年以降には、ライブCDやDVDをマイナーレーベルや公式サイトから数多く発売している。2005年以降は、ファミリーのデビュー40周年を祝うツアーを全米・ヨーロッパで続けている。

2007.1現在のメンバーは、マーティ・バリン、ポール・カントナー、ディヴィッド・フライバーグ(2005年正式復帰)、ダイアナ・マンガーノ、スリック・アギラー、プレイリー・プリンス、クリス・スミス。ツアーによって、ダービー・グールド、トム・コンスタンテン、リンダ・インペリアル(クイックシルバー・ファミリーで、フライバークの夫人)、ピート・シアーズ、ピーター・カウコネン、ボビー・ヴェガ(ベーシスト)などがゲスト参加している。

ソロ活動に転向していたミッキー・トーマスは、1992年に自己のソロバンド“Starship featuring Mickey Thomas”を編成。他にジェファーソン・ファミリーとして繋がりのあるメンバーは、かつてKBC BANDに在籍していたドラマーがひとり居るのみで、エルビン・ビショップ・グループ時代や、1979年以降に自分が関わった曲をパッケージしたツアー活動を続けている。2004年(東京)の日本公演はDVD/CDも発売され、2006年(米軍厚木基地内)にも来日した。一時、レコード会社と契約をしていたがスタジオ新作の発売は実現していない。2007年1月現在、女性シンガーを新たに加えて"Starship starring Mickey Thomas"と若干改名している。

ジェファーソン・スターシップ 2008-[編集]

2008年に入り、歴代5人目になる新女性シンガー、キャシ・リチャードソン(Cathy Richardson)が加入した。

彼女は自分のバンドも持ち、ブロードウェイのヒット・ミュージカル「Love Janis」の主役も務めた経歴を持つ。また、彼女自身が長年のグレイス・スリック・ファンとの事である。

前任のダイアナ・マンガーノはツアー活動を休止しているようだが完全に脱退した訳ではなく、さらに前任のダービー・グールドと同様、今後ツアーによっては再帰することもあり得る模様で、レギュラー/セミレギュラーの女性シンガーが合計3人いる状態になったとも言える。また、2005年からシンガーとして復帰したディヴィッド・フライバーグの夫人でシンガーのリンダ・インペリアル(Linda Imperial)もバックシンガーとしてライブには頻繁に参加しており、ジェファーソン・スターシップは再び、カントナーを中心に厚いボーカル陣を擁するプロジェクト的性格のバンドに変貌して来た。

また、2005年以来ツアーに同行しているトム・コンスタンテンも、セミレギュラーメンバーとしての参加が続いている。プレイリー・プリンスは2007年より、The New Carsのツアー参加を続けているが、脱退してはない。

現在のツアーメンバーは以下の通りの大所帯となっている。

  • ポール・カントナー(Paul Kantner) - Vocal/Guitar
  • マーティ・バリン(Marty Balin) - Vocal/Guitar
  • ディヴィッド・フライバーグ(David Freiberg) - Vocal/Guitar
  • キャシ・リチャードソン(Cathy Richardson) - Vocal
  • ダービー・グールド(Darby Dould) - Vocal
  • リンダ・インペリアル(Linda Imperial)- backing vocal
  • クリス・スミス(Chris Smith) - Keyboards
  • ドニー・ボールドウィン(Donny Baldwin)- Drums
  • トム・コンスタンテン(Tom Constanten)- Keyboards/vocal

2008年4月現在、バンドはカリフォルニアのインディペンデント・レーベル、GRA(Global Recording Artists)にて、久々のスタジオアルバムを制作中。タイトルは『Jefferson Tree Of Liberty』で、2008年9月リリースの予定。

歴代メンバー(正式に在籍した経歴があるもの総て)[編集]

マーティ・バリン(Marty Balin) - Vocal/Acoustic guitar(1965-'71, '75-'79, '93-)
ソロでレコードデビュー、フォーク・グループ「タウン・クライアーズ」での活動等を経て、1964年、クラブ「マトリックス」を開設、ポール・カントナーとの出会いからエアプレインを結成。独特なハイトーンボイスを持つシンガー。R&Bも好み、初期のエアプレインでウィルソン・ピケットの「In The Midnight Hour」、1970年頃にはシル・ジョンスンの「You Wear Your Dresses Too Short」をカバーしている。1971年に一時脱退し、サンフランシスコ・バンドの「グルートナ(Grootna)」をプロデュースし、自身のバンドである「ボデイシャスDF(Bodacious DF)」でアルバムを発表した後、ジェファーソン・スターシップに復帰。ソロ転向後は1981年に「ハート悲しく」などのヒットを放った。ジェファーソン・スターシップにヒット曲を提供した友人、ジェシ・バリッシュのアルバム2枚でプロデューサーも務めている。ソロ・キャリアでの成功もおさめたが、セッション・ミュージシャンを従えた完全なソロ・シンガーとしての道は行かず、常に気心知れたバンドで歌うことを選んだ。結局、1993年よりジェファーソン・スターシップに再合流し、ソロ活動も並行して継続。画家としても制作活動をしている。ベイリン、ないしベーリンと表記される事が多かったが、実際の発音はバラン~バリンの間であり、本稿ではバリンで統一した。
ポール・カントナー(Paul Kantner) - Vocal/Guitar (1965-'84, '89, '92-)
エアプレイン中期から実質的にバンドのオーガナイザーとなり、1984年から脱退していた時期を除いて現在までの中心人物。自身は独特のスタイルを持つが、新しいサウンドを導入する事については、意外な程許容範囲の広いプロデュース感覚を持つミュージシャンでもある。エアプレインから大幅に変化してさらに商業的成功を収めた、1970年代のジェファーソン・スターシップも、各メンバーの能力を的確に活かす事ができた彼の手腕による所が大きい。しかし、自身のスタイル自体を変える事を要求された1980年代の変化は受け入れる事ができず、バンド脱退に至った。
ルーツはフレッド・ニールなどに憧れた根っからのフォーキーであり、1960~1970年代のロック・レジェンド、詩人、作家、ユニークな12弦ギター奏者。サイエンスフィクションを愛し、ここからスターシップのコンセプトも生み出された。C,S,&Nグレイトフル・デッドをはじめとするカリフォルニア州のアーティストに広い人脈を持ち、彼らとの交流から数々の作品を生み出した。
ヨーマ・カウコネン(Jorma Kaukonen) - Guitar/Vocal (1966-'72, '89)
同じクラブに出入りしていたカントナーに誘われてエアプレインに参加。厳密には、彼とバリン/カントナーの3人がオリジナルメンバー。1969年にジャック・キャサディとともに「ホット・ツナ(Hot Tuna)」を結成。1990年に再結成して現在も活動を続ける。平行してソロ活動も精力的に行なう。また、ギターキャンプを運営してギターを教える活動も行なっている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第54位、2011年の改訂版では削除された。
ボブ・ハーヴェイ(Bob Harvey) - Bass (1965)
ごく初期に在籍したベーシスト。アップライトベースを使いオーソドックスなブルーグラスやフォーク・スタイルのバッキング演奏をした。レコーディング以前にジャック・キャサディに交代した。
ジェリー・ペロクィン(Jerry Peloquin) - Drums (1965)
ごく初期に在籍したドラマー。軍隊のバンドでドラムを担当した経歴を持ち、自身はジャズのバックグラウンドを持つと伝えられる。レコーディング以前にスキップ・スペンスに交代した。
シグニー・トリー・アンダーソン(Signe Toly Anderson) - Vocal (1965-'66)
結成時の女性ヴォーカリストでフォーク/ジャズにバックグランドを持つスタイル。歌唱力も優れていたが、ファースト・アルバムを発表した直後、子育てに専念する為に引退・脱退。 ジェファーソン・スターシップTNGでは何度かステージに登場している。
ジャック・キャサディ(Jack Casady) - Bass (1966-'72, '89, '92-2000)
エアプレイン以前はリード・ギタリストだったが、カウコネンに請われてベーシストとして参加。エアプレイン解散後も、カントナーとの交流は続いてKBC BANDやジェファーソン・スターシップTNGにも参加した。2000年以降は、サザン・グループのガヴァメント・ミュールにゲスト参加していたが、現在はHot Tunaメインの活動を続けている。
アレックス・スキップ・スペンス(Alex Skip Spence) (en)- Drums (1965-'66)
カナダ出身。本名アレクサンダー・スペンスと表記される場合もある(アレックスはアレクサンダーの愛称)。ニックネーム「スキップ」は、類い希な音楽の才能と破天荒な人柄(破綻者)に由来する。本来はギタリストで、エアプレイン加入前は西海岸のフォーク・クラブ、コーヒーハウスを渡り歩きその中、ごく初期のクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスで活動していたことがあるとも言われている。(クイックシルヴァーの歴史においては、ほとんど重要視されていない。)ハイスクールのブラスバンドやアマチュアR&Rバンドでドラムスを叩いていた経験がある程度だったが、バリンに「君は僕のバンドのドラマーだ。」と言われてドラムを担当することになった。この時、本人はギタリストだとしか自己紹介せず、バリンも彼の経歴は全く知らずに誘ったという。ジェファーソン・エアプレイン脱退後、モビー・グレイプに参加、のち一人多重録音(ドラムスも担当)した1971年ソロアルバムOar(en)を発表する。1999年に死去。
グレイス・スリック(Grace Slick) - Vocal/Piano (1966-'79, '81-'88, '89)
マトリックスに出演していたバンド、グレート・ソサエティから引き抜かれてライブデビュー。アルバムは『シュールリアリスティック・ピロー』(1967年)から参加。以降バンドを象徴する重要人物になり、女性ロックスターの草分け的存在。また、常にエキセントリックな言動が注目を浴びた。伝説的な歌声は言うまでもないが、数々のアルバムで聴かれるピアノも独特なセンスが光り、強力なバッキングは聴き物。ジェファーソン・スターシップTNGでは、1995年・2001年とステージに登場しているが、原則的には音楽界からは引退して画家などの活動をしている。
スペンサー・ドライデン(Spencer Dryden) - Drums (1966-'70)
全盛期ジェファーソン・エアプレインのリズムセクションを支えた実力派ドラマーで、喜劇王・チャップリンの甥。ジャズ出身らしいシャープなドラミングがバンドサウンドに特色を与えた。脱退後はグレイトフル・デッドのスプリンター・バンドであるニュー・ライダース・オブ・パープル・セイジに参加してカントリーロックを長らく演奏。元クイックシルヴァーのジョン・シポリナとも活動を共にした。1989年の再結成ジェファーソン・エアプレインには不参加。KBCバンドや現在のジェファーソン・スターシップのライブにはゲスト参加した事がある。2005年に死去。
パパ・ジョン・クリーチ(Papa John Creach) - Violin (1971-'75,1992-'94)
友人だったジョーイ・コヴィントンに紹介されて加入。フィドラーのいるバンドと言えばカンサスイッツ・ア・ビューティフル・デイも思い出されるが、こちらはブルース/カントリー/ジャズなどのルーツ・ミュージックが得意な黒人フィドラーが西海岸バンドに参加というのがユニークだった。並行してHot Tunaや自分のバンド、ズールーでも活動。現在、第一線で活躍するブルーズ・ギタリスト、ケブ・モ(ケビン・ムーア)は、かつてズールーの一員だった。1992年から1994年の死去まで、現ジェファーソン・スターシップTNGに参加。クリーンヘッド・ヴィンスンスリム・ゲイラードなどの有名ブルーズ/ジャイヴ・ミュージシャンとの交流もあり、若い頃の録音も残っている。
ジョーイ・コヴィントン(Joey Covington) - Drums/Vocal (1970-'72)
スペンサー・ドライデンの後任としてエアプレインに参加。バンドが望んだ、よりロック的でタイトなリズムをもたらした。エアプレインを辞めた後も、サンフランシスコのミュージシャンなどと活動を続けている。
ジョン・バーベイタ(John Barbata) - Drums/Vocal (1972-'79)
タートルズ、C,S,Nとの活動などを経て、エアプレインに参加した名ロックドラマー。伝説のL.A.スワンプバンドLAゲッタウェイ(通称)での活動も知られる。西海岸らしいカラっとした音色で端正なビートを叩き出す。交通事故で1978年に活動休止。現在は、自分のバンドでローカルな活動をしている。
ディヴィッド・フライバーグ(David Freiberg) - Bass/Keyboards/Vocal (1972-'85,2005-)
クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのオリジナルメンバーで、バリン脱退の穴を埋める為にシンガーとしてエアプレインに参加。デビュー前には、カントナー、デビッド・クロスビーと共同生活をしていたという、西海岸人脈における隠れたレジェンドのひとり。ジェファーソン・スターシップではピート・シアーズと、Bass,keyboardsのパートを分け合って担当。シンガーとしても個性的な魅力があるといわれる。脱退後、1986年頃からはゲイリー・ダンカン(Gary Duncan)が再編成したクイックシルヴァー(Gary Duncan Quicksilver)のアルバム/ライブに参加。2005年からジェファーソン・スターシップにシンガーとして正式復帰している。
グレイグ・チャキーソ(Craig Chaquico) - Guitar (1974-'92)
ハイスクール在籍中にプロとして初レコーディングを経験、1971年からカントナー&スリックのプロジェクトに参加。エアプレインが運営するグラントレーベル所属のバンド、ジャックトレイラー&スティールウインドに在籍してレコードもリリース。カントナーに才能を認められ、後に19歳でジェファーソン・スターシップに加入。個性的でカラフルなギターワークでバンドに新風を吹き込んだ。スターシップ解散後はソロに転向し、アコースティックアルバムを精力的に発表してグラミー賞ノミニーとなっている。自己のバンドでライブ活動も行なっている。
ピーター・カウコネン(Peter Kaukonen) Bass,Guitar (1974)
ヨーマ・カウコネンの実弟で、グラントレーベルからソロ作品をリリース、カントナーのプロジェクト経てジェファーソン・スターシップ初期のツアーに参加した。1989年の再結成エアプレイン・サマーツアーにはギタリストとして参加、1990年代からジェファーソン・スターシップTNGのツアーではジャック・キャサディの代役として度々登場している。近年もシンガー・ソングライターとして、ソロアルバムをインディペンデントからリリースしている。
ピート・シアーズ(Pete Sears) - Bass/Keyboards (1974-'87)
ニッキー・ホプキンス等と同じく英国から西海岸に渡って来たミュージシャンのひとり。60年代にはLes Fleur De Lysに一時期在籍。ロッド・ステュアートとの仕事でも知られ、ジャーニー結成以前のニール・ショーン、ドラマーのグレッグ・エリコとHappy Birthdayというトリオを組んだこともあるが、このユニットは実質的にほとんど活動しないまま空中分解している。サンフランシスコの名シンガー、キャシ・マクドナルドのソロにも参加。1973年、グレースの1stソロアルバムからファミリーに加わり、ジェファーソン・スターシップのメンバーになる。また、コパーヘッドで元クイックシルヴァーのギタリスト、ジョン・シポリナと活動したこともある。あらゆるキーボード類、ベース、ギターを弾きこなし、作曲/アレンジにも優れる。近年は、一時期Hot Tunaに正式参加したり、ジェファーソン・スターシップTNGのライブにゲスト参加したりしている。
ミッキー・トーマス(Micky Thomas) - Vocal (1979-1990,1992-)
南部出身で、黒人ゴスペルシンガーのバックコーラスなどを経て、エルビン・ビショップ・バンドで活躍。スリック、バリンの後釜としてジェファーソン・スターシップに参加。1985年頃、ピーター・セテラが抜けたシカゴ参加の打診も受けたが実現しなかった。近年では自己のスターシップ以外に、プロジェクト=オーヴァー・ジ・エッジ(2004年)のCDにも参加している。
エインズレー・ダンバー(Aynsley Dunber) - Drums (1979-'82)
名門ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ出身で、ジェフ・ベック・グループジャーニーにも在籍していた英国人の名ドラマー。ジャーニー脱退後、ピート・シアーズの推薦でジェファーソン・スターシップに参加。 脱退後は、英国バンド中心の活動に戻り、ホワイトスネイク(Whitesnake)に参加、度々とりざたされたレッド・ツェッペリン再編成の話題では参加も噂された。近年は再編されたアニマルズのライブに参加している。
ドニー・ボールドウィン(Donny Baldwin) - Drums (1982-'92)
通算で6代目のドラマー。エルビン・ビショップ・バンドではミッキー・トーマスの僚友。2005年には、久しぶりにジェファーソン・スターシップTNGにゲストとして登場。2006年現在、再結成したベイエリアの名ファンクバンド、リディア・ペンス&コールド・ブラッドでアルバム/ツアーに参加。また、2007年以降プレイリー・プリンスが、The NEW CARS(後述)のツアーによりジェファーソン・スターシップTNGを離脱した際には、代役のドラマーとして復帰している。
ブレット・ブルームフィールド(Blett Bloomfield) - Bass (1988-1990,1992)
1987年、グレイス・スリックのソロ・アルバムに参加した後、ピート・シアーズが抜けたスターシップに参加。1992年には再編成スターシップに一時参加した。
マーク・モーガン(Mark morgan) - Keyboards (1988-'90)
ピート・シアーズの脱退後、スターシップに参加。
ダービー・グールド(Darby Dould) - Vocal (1992-'95, 2005-)
サンフランシスコで人気のあった、ワールド・エンタテインメント・ウォー(World Entertainmennt War)から、ポール・カントナー&フィーメイル・シンガーズ・プロジェクトに参加した後、ジェファーソン・スターシップTNGに。ライヴ・アルバム『Deep Space/Virgin Sky』でCDデビュー。その後脱退するが『ウィンドウズ・オブ・ヘヴン』にもトラック8でゲスト・ヴォーカルとして参加。近年再びライブに登場し、ダイアナ・マンガーノとのツインボーカルも復活している。
ダイアナ・マンガーノ(Diana Mangano) - Vocal (1993-)
1993年に開催されたWoodstock-Mexicoでジェファーソン・スターシップTNGのシンガーとしてデビュー。カントナーにデモ・テープを渡してファンからメンバーになった。当初はダービー・グールドとのツインヴォーカルでステージに立ったが、ダービー脱退後はメインヴォーカルとなる。
マーク・スリック・アギラー(Slick Aguilar) - Guitar/Vocal (1985-'87,1990-)
ジェファーソン・スターシップTNGのリードギタリスト。マイアミスタジオミュージシャン出身で、KC&The Sunshine Bandなどに参加。1980年代にバリンのソロ、デビッド・クロスビー等と活動。1985年KBC参加以降、カントナー、バリンの右腕として活動を共にしている。
ティム・ゴーマン(Tim Gorman) - Keyboards/Vocal (1985-'87,1990-'95)
1980年代のザ・フーに参加、1985年KBC BAND参加。1992年ジェファーソン・スターシップTNG参加。ニッキー・ホプキンスやピート・シアーズを思わせるピアノプレイが秀逸。
ゲイリー・キャンブラ(Gary Cambra) - Keyboards (1995-'96)
ジェファーソン・スターシップTNGから参加。西海岸では、TV番組の音楽監督としても知られる人物。
T・ラヴィッツ(T Lavitz) - Keyboards (1996-'98)
ジェファーソン・スターシップTNGから参加。スティーヴ・モーズ (現ディープ・パープル)が在籍していたディキシー・ドレッグスの元メンバー。
クリス・スミス(Chris Smith) - Keyboards (1998-)
ジェファーソン・スターシップTNGから参加。ダイアナ・ロス・バンド等、R&B系のアーティストのサポートをしていたミュージシャン。
プレイリー・プリンス(Prarie Prince) - Drums (1992-)
ジェファーソン・スターシップTNGから参加。通算7人目で、一番長くドラマーの座についている。かつてジャーニーのメジャー・デビュー以前の前身バンドであったゴールデン・ゲート・リズムセクションに在籍。サンフランシスコのニューウェイブ・グループであったThe TUBESのオリジナルメンバー。ジェームズ・ギャングやディープ・パープルのギタリストだったトミー・ボーリン(Tomy Bolin)の1stソロアルバムにも参加。トッド・ラングレン(Todd Rundgren)のサポートでも活動。現在は、リック・オケイセク(Ric Ocasek)抜き・トッド・ラングレンをフロントマンに据えて再結成したThe NEW CARSのアルバム/ツアーにも正式参加しているなど、多彩な活動歴を持つ。
キャシ・リチャードソン(Cathy Richardson) - Vocal (2008-)
2008年3月より加入し、1999年以来久しぶりに開始された新作スタジオ盤のレコーディングに参加している。今後はツアーにも加わり、主力の女性シンガーとして活動する。

以上、通算すると合計は31名となる。

ディスコグラフィー[編集]

  • アルバムはベスト盤を除く/初リリース年を記載/太字はオリジナルスタジオ作品

(シングルはUS初回リリース通常盤のみ)

ジェファーソン・エアプレイン アルバム[編集]

  • 1966/RCA Jefferson Airplane Takes Off
  • 1967/RCA Surrealistic Pillow
  • 1967/RCA After Bathing at Baxter's
  • 1968/RCA Crown of Creation
  • 1969/RCA Bless Its Pointed Little Head
  • 1969/RCA Volunteers
  • 1971/GRUNT Bark
  • 1972/GRUNT Long John Silver
  • 1973/GRUNT Thirty Seconds Over Winterland
  • 1974/GRUNT Early Flight (スタジオ未発表曲集)
  • 1990/Thunderbolt Live At the Monterey Festival
  • 1998/BMG Live At The Fillmore East 1968
  • 2006/CHARLY At Golden Gate Park, May 7 1969
  • 2007/CHARLY Last Flight at Winterland Arena 22/09/1972
  • 2007/Legacy-SONY USA Sweeping Up the Spotlight At the Fillmore East 1969
  • 2007/CHARLY At The Family Dog Ballroom sept.1969 feat. Jerry Garcia

ポール・カントナーのプロジェクト アルバム[編集]

  • 1970/GRUNT Blows Against The Empire / Paul Kantner Jefferson Starship
  • 1971/GRUNT Sunfighter / Paul Kantner& Grace Slick
  • 1973/GRUNT Baron Von Tollbooth & The Chrome Nun / Kantner,Slick & Freiberg
  • 1973/GRUNT Manhole / Grace Slick
  • 1983/GRUNT Planet Earth Rock And Roll Orchestra / Paul Kantner(feat,JS)

ジェファーソン・スターシップ アルバム[編集]

  • 1974/GRUNT Dragon Fly
  • 1975/GRUNT Red Octopus
  • 1976/GRUNT Spitfire
  • 1978/GRUNT Earth
  • 1979/GRUNT Freedom At Point Zero
  • 1981/GRUNT Modern Times
  • 1982/GRUNT Winds Of Change
  • 1984/GRUNT Nuclear Furniture

スターシップ アルバム[編集]

  • 1985/GRUNT Knee Deep In The Hoopla (フープラ)
  • 1987/GRUNT No Protection
  • 1989/RCA Love Among The Cannibals

KBC バンド アルバム[編集]

  • 1986/ARISTA KBC Band

ジェファーソン・エアプレイン(再結成) アルバム[編集]

  • 1989/EPIC Jefferson Airplane

ジェファーソン・スターシップ(再結成) アルバム[編集]

  • 1995/INTERSOUND Deep Space/Virgin Sky (新曲を含むLive)
  • 1998/SPV Windows Of Heaven (GER Ver.)
  • 1999/CMC Windows Of Heaven (USA Ver./Japan Ver.)
  • 1999/CMC Greatest Hits Live At The Fillmore (Live)
  • 2001/CIA B.B.King's Blues Club 10-31-00 (Live)
  • 2001/CIA Vinoy Park 11-11-00 (Live)
  • 2001/ZEBRA Across The Sea Of Suns (Live)
  • 2003/RAINMAN Deeper Space/Extra Virgin Sky (Live)(1995年盤の完全収録版)
  • 2008/GRA Jefferson Tree(仮題) (リリース予定)

(以下は限定発売・CD-R仕様)

  • 2003/CIA Post 911-9.19.2001 Vincent's at Randolph,Ma. (Live)
  • 2003/CIA Post 911-9.21.2001 NJ Harley Pistol Grip Rally-Seaside Heights,NJ (Live)
  • 2003/CIA Post 911-11.02.2001 Mystic Theatre-Petaluma,CA (Live)
  • 2003/CIA Post 911-11.10.2001 Chameleon Club-Lancaster,PA (Live)
  • 2003/CIA Post 911-11.13.2001 Rechter Theater-Towson,MD (Live)
  • 2003/CIA Post 911-11.19.2001 The Turning Point-Piermont,NY (Live)
  • 2003/CIA UK 10-27-2002 Cardiff,Wales (Live)
  • 2003/CIA UK 10-28-2002 The Stables Wavendon (Live)
  • 2003/CIA UK 10-29-2002 Newcastle Opera House (Live)
  • 2003/CIA UK 10-31-2002 The Mean Fiddler London (Live)
  • 2003/CIA UK 11-01-2002 Bilston,England Robin2 (Live)
  • 2003/CIA UK 11-02-2002 Southampton,England The Brook (Live)
  • 2003/DISCLIVE Live 6/6/2003 (Live)
  • 2003/DISCLIVE Live 6/7/2003 8:00PM (Live)
  • 2003/DISCLIVE Live 6/7/2003 10:30PM (Live)

ジェファーソン・エアプレイン シングル[編集]

  • 1966 It's No Secret / Runnin' Round This World
  • 1966 Come Up the Years / Blues from An Airplane
  • 1966 Bringing Me Down / Let Me In
  • 1967 My Best Friend / How Do You Feel
  • 1967 Somebody to Love(あなただけを) / She Has funny Cars #5 US
  • 1967 White Rabbit / Plastic Fantastic lover #8 US
  • 1967 Ballad of You and Me and Pooneil / Two Heads #42 US
  • 1967 Watch Her Ride / Martha #61 US
  • 1968 Greasy Heart / Share A Little Joke #98 US
  • 1968 Crown of Creation / Lather #64 US
  • 1969 The Other Side of This Life / Plastic Fantastic Lover
  • 1969 Volunteers / We Can Be Together #65 US
  • 1970 Have You Seen the Saucers? / Mexico
  • 1971 Pretty as You Feel / Wild Turkey #60 US
  • 1971 Long John Silver / Milk Train
  • 1972 Twilight Double Leade / Trial By Fire

プロジェクト シングル[編集]

  • 1970 Child Is Coming / Let's Go Together
  • 1971 Sunfighter / China

ジェファーソン・スターシップ シングル[編集]

  • 1974 Ride the Tiger / Devils Den #84 US
  • 1975 Caroline / Be Young You
  • 1975 Miracles / Ai Garimasu #3 US
  • 1975 Play on Love / I Want To See Another World #49 US
  • 1976 With Your Love / Switchblade #12 US
  • 1976 St. Charles / Love Lovely Love #64 US
  • 1977 Count on Me / Show Yourself #8 US
  • 1977 Runaway / Hot water #12 US
  • 1978 Crazy Feelin / Love Too Good #54 US
  • 1978 Light the Sky on Fire / Hyper Drive #66 US
  • 1979 Jane / Freedom At Point Zero #14 US
  • 1980 Girl with the Hungry Eyes / Just The same #55 US
  • 1980 Rock Music / Lightning Rose
  • 1981 Find Your Way Back / Modern Times #29 US
  • 1981 Stranger / Free #48 US
  • 1981 Save Your Love / Wild Eyes
  • 1982 Be My Lady / Out of Control #28 US
  • 1982 Winds of Change / Black Widow #38 US
  • 1983 Can't Find Love / I Will Stay
  • 1984 No Way Out / Rose Goes to Yale #23 US
  • 1984 Layin' It on the Line / SHow Down #66 US

スターシップ シングル[編集]

  • 1985 We Built This City(シスコはロック・シティ) #1 US
  • 1985 Sara(セーラ) #1 US
  • 1986 Tomorrow Doesn't Matter Tonight #26 US
  • 1986 Before I Go #68 US
  • 1987 Nothing's Gonna Stop Us Now (愛はとまらない) #1 US - 映画マネキン主題歌 (ダイアン・ウォーレン作)
  • 1987 It's Not Over Til It's Over #9 US
  • 1987 Beat Patrol #46 US
  • 1987 Set the Night to Music
  • 1988 Wild Again #73 US
  • 1989 It's Not Enough (CD single) #12 US
  • 1989 I Didn't Mean to Stay All Night (CD single) #75 US
  • 1989 I'll Be There (CD single)
  • 1991 Good Heart (CD single) #81 US

KBC バンド シングル[編集]

  • 1986 America/WRECKING CREW
  • 1986 It's Not You, It's Not Me / Dream Mortorcycle
  • 1986 Hold Me

ジェファーソン・エアプレイン(再結成) シングル[編集]

  • 1989 Summer of Love
  • 1989 Planes
  • 1989 True Love

ジェファーソン・スターシップ(再結成) シングル[編集]

  • 1999 Let Me Fly

参考文献[編集]

Take Me to a Circus Tent: The Jefferson Airplane Flight Manual / Craig Fenton著 (Infinity Pub, USA 2006)

Got A Revolution! The Turbulent Flight of Jefferson Airplane / Jeff Tamarkin著 (ATRIA BOOKS, USA 2003)

We All Are One / Gianluigi Blasi 著 (Sonic Book - Stampa Alternativa, Italy 1996)

ストレンジ・デイズ 2008年3月号 / ジェファーソン・スターシップ記事 (ストレンジデイズ刊, 2008)

ストレンジ・デイズ 2005年9月号 / ジェファーソン・エアプレイン特集 (ストレンジデイズ刊, 2005)

レコード・コレクターズ 1987年8月号 / サンフランシスコ・サウンド(1) ジェファスン・エアプレイン (ミュージック・マガジン刊, 1987)

レコード・コレクターズ増刊 / アメリカン・ロック Vol.1 (ミュージック・マガジン刊, 1992)

POP-SICLE (ポップシクル) Vol.4 No.10, December 1979 (ポップシクル 木崎義二 刊, 1979)

外部リンク[編集]