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カントリー・ジョー・マクドナルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カントリー・ジョー・マクドナルド
ウッドストック再会コンサートにて(1979年9月7日)
基本情報
出生名 ジョセフ・アレン・マクドナルド
生誕 (1942-01-01) 1942年1月1日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州エルモンテ
死没 2026年3月7日(2026-03-07)(84歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州バークレー
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1965年 -
レーベル
共同作業者 カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ
公式サイト countryjoe.com

ジョセフ・アレン・マクドナルドJoseph Allen McDonald1942年1月1日 - 2026年3月7日)は、カントリー・ジョー・マクドナルドCountry Joe McDonald)の名で知られるアメリカ合衆国の歌手。1960年代のサイケデリック・ロックバンドであるカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのリード・シンガー[2]として知られる。

概要

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マクドナルドはその40年以上のキャリアの中で33枚のアルバムを録音し、何百もの曲を書いてきた。彼がバリー・メルトン(Barry Melton)と結成したカントリー・ジョー&ザ・フィッシュは、サンフランシスコThe Avalon BallroomThe Fillmoreでの活動やモントレー・ポップ・フェスティバル1967年)やウッドストック・フェスティバル1969年)への出演によって、サイケデリック・ロックの先駆的なバンドの一つとなった。

経歴

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生い立ち

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マクドナルドはワシントンD.C.で生まれ、ロサンゼルス郊外のエルモンテ育ち[3]。父親のウォーデン・マクドナルド(Worden McDonald)はスコットランド長老派教会の流れを汲んでおり、母親のフローレンス・プロトニック(Florence Plotnick)はロシアユダヤ人移民の娘で、永くバークレー市役所に務めていた。

17歳のときにアメリカ合衆国海軍に徴兵され、3年間日本に駐留した[3]。除隊後、ロサンゼルス・シティ・カレッジで1年間学ぶ。1960年代初めに、カリフォルニア州バークレーの有名なテレグラフ・アヴェニュー(Telegraph Avenue)で、バスキング(路上演奏)を始めた[2]

カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ

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フィッシュ・チアー/アイム・ フィクシン・トゥ・ダイ・ラグ

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カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ(以下、ザ・フィッシュ)のセカンド・アルバム”I-Feel-Like-I'm-Fixin'-to-Die”(1967年)に収録された「フィッシュ・チアー/アイム・ フィクシン・トゥ・ダイ・ラグ (The "Fish" Cheer/I-Feel-Like-I'm-Fixin'-To-Die Rag)」は、ベトナム戦争を歌ったブラック・コメディノベルティ・ソングnovelty song)である。マクドナルドとメンバーのバリー・"ザ・フィッシュ"・メルトンが共作した同曲は、彼等の最も有名な曲であり、コーラス部分"One, two, three, what are we fighting for?"(「1..2..3..何のために戦ってるんだ」の意)は1960年代から1970年代にかけてウッドストック世代の若者たちやベトナム帰還兵たちの間で広く親しまれた。

この曲のライブ演奏は、オリジナルのスタジオ録音にも含まれている冒頭の「The "Fish" Cheer」でバンドがコール・アンド・レスポンスによって聴衆にザ・フィッシュの綴り(F-I-S-H)を叫ばせ、続いてマクドナルドが「What's that spell?(何の綴りかな?)」と2回叫び、次に「What's that smell?(何か臭いぜ?)」と叫んでから本編の演奏に入るという趣向であった。この「The "Fish" Cheer」は有名になり、ザ・フィッシュのコンサートでは聴衆が F-I-S-H と叫ぶのが定番となった。やがてバークレーにおけるフリー・スピーチ運動Free Speech Movement)の後、「The "Fuck" Cheer」へと展開していった。

1968年夏、ザ・フィッシュはシェーファー・ミュージック・フェスティバルSchaefer Music Festival)のツアーに出た[4]。途中で、メンバーのゲイリー・"チキン"・ハーシュGary "Chicken" Hirsh)がF-I-S-HではなくF-U-C-Kと叫ばせたらどうだろうと提案した。「The "Fuck" Cheer」は聴衆には大いに受け入れられたがスポンサーのシェーファー・ビールの上層部の不興を買い、ザ・フィッシュはツアーから永久追放されてしまった。既に出演が決まっていたテレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』は予定をキャンセルし、うちの番組には決して呼ばないから支払った金は返さなくていい、と伝えて来た[4]。「The "Fuck" Cheer」はウッドストック・フェスティバル[注釈 1]ワイト島音楽祭を含め、その後のほとんどのライブで繰り返された。マサチューセッツ州では、公共の場で「fuck」と言ったことを理由にマクドナルドに500ドルの罰金が科された[5]

2003年、マクドナルドは、"One, two, three, what are we fighting for?" の部分がキッド・オリーらが1926年に共作したトラディショナル・ジャズ初期の古典的作品「マスクラット・ランブル (Muskrat Ramble)」から無断で採られているとして、著作権侵害で訴えられた。この訴訟を起こしたのは、故オリーの娘で当時「マスクラット・ランブル」の著作権を所有していたベベット(Bebette Ory)だった。マクドナルドが1965年に同曲を作曲してから既に何十年もが経過していたため、ベベットは彼が1999年に録音した新しいバージョンに絞って訴えを起こした。しかし法廷は、ベベットも故オリーも1967年に発表された同曲のオリジナルに権利侵害の疑いがある箇所が含まれていたことを知りながら30年以上も法的措置をとらずに放置していた[注釈 2]ことを指摘し、マクドナルド側が主張した、然るべき適切な時期に権利を行使しなかった者は救済しないという原則である懈怠の法理を支持した。2006年、ベベットはマクドナルドに対し弁護費用相当額として75万ドルを支払うよう命じられ、この支払いのために著作権を売却しなければならなくなった。

その後

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2004年、ザ・フィッシュのオリジナル・メンバーだったブルース・バーソルBruce Barthol)、デヴィッド・ベネット・コーエンDavid Bennett Cohen)、ゲイリー・"チキン"・ハーシュとカントリー・ジョー・バンド(Country Joe Band)を結成して活動を始め、アメリカとイギリスでツアーを開催した。

2005年春、マクドナルドは、当時カリフォルニア州知事だったアーノルド・シュワルツェネッガーの歳出削減提案に反対してカリフォルニア州会議事堂California State Capitol)で行なわれた大規模な抗議行動に参加した。同年秋、政治評論家ビル・オライリーはマクドナルド[6]キューバフィデル・カストロ議長になぞらえながら、彼が2003年イラク戦争に反対したシンディ・シーハンCindy Sheehan)の反戦運動に関わっていたと述べた[7]

2026年3月7日、パーキンソン病のためカリフォルニア州バークレーで死去。84歳没[8]

私生活

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2009年現在、マクドナルドは以前と変わらずバークレーに住んでいる。娘セヴン(Seven)は雑誌『LA Weekly』のコラムニストである。彼の子どもには他にデヴィン(Devin)、タラ(Tara)、ライアン(Ryan)、エミリー(Emily)がいる。

ディスコグラフィ

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カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ

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ソロ

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  • Tonight I'm Singing Just for You (1969) - ☆
  • Thinking of Woody Guthrie (1969)
  • War War War (1971) - ☆
  • Hold On It's Coming (1971) - ☆
  • Paris Sessions (1972) - ☆
  • Incredible! Live (Live Album) (1972)
  • Country Joe (1975)
  • Love Is a Fire (1976)
  • Paradise With an Ocean View (1976)
  • Goodbye Blues (1977)
  • Rock N Roll from Planet Earth (1978)
  • Leisure Suite(1979)
  • On My Own (1980)
  • Into The Fray (1982)
  • Child's Play (1983)
  • Peace On Earth (1984)
  • Best of Country Joe—on Vanguard(1986)
  • Classics Best Of (1989)
  • Superstitious Blues (1991)
  • Vietnam Experience (1995)
  • Carry On (1996)
  • Eat Flowers And Kiss Babies—Country Joe and Bevis Frond at the QEH-Live (1998)
  • Something Borrowed, Something New (The Best Of) (1998)
  • www.countryjoe.com (2000)
  • A Reflection On Changing Times (box) (2003) - 上記の☆印のアルバム4枚を集めたもの[9]
  • Natural Imperfections—Joe McDonald and Bernie Krause (2005)
  • Vanguard Visionaries (2007)
  • Country Joe Live At The Borderline(2007)
  • Tribute To Woody Guthrie (2007)
  • War, War, War (Live) (2007)

脚注

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注釈

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  1. マクドナルドはザ・フィッシュのメンバーとしての出演に加えて、単独出演して同曲を披露。映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年)に収録。
  2. オリーは1973年死去。

出典

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  1. 1 2 3 Harris, Craig. Country Joe McDonald Biography, Songs & Albums - オールミュージック. 2022年1月2日閲覧。
  2. 1 2 Brenneman, Richard (2004年4月16日). “Country Joe McDonald Revives Anti-War Anthem”. Berkeley Daily Planet. 2007年7月18日閲覧.
  3. 1 2 Brodsky, Greg (2026年3月8日). 'Country Joe' McDonald, Who Urged the Crowd at the '69 Woodstock Festival to 'Gimme an F,' Dies (英語). Best Classic Bands. 2026年3月9日閲覧。
  4. 1 2 Country Joe McDonald, "That Notorious Cheer", accessed October 10, 2007.
  5. ジャック・アタリ『ノイズー音楽・貨幣・雑音』に言及されている、Daufouy, Philippe; Jean-Pierre Sarton (1972). Pop-music/Rock. Champ Libre による。
  6. Countryjoe.com
  7. Mediamatters.org
  8. Brodsky, Greg (2026年3月8日). 'Country Joe' McDonald, Who Urged the Crowd at the '69 Woodstock Festival to 'Gimme an F,' Dies (英語). Best Classic Bands. 2026年3月9日閲覧。
  9. A Reflection on Changing Times, Country Joe McDonald”. AllMusic. 2012年7月15日閲覧。

文献

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外部リンク

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