ウェストコースト・ロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ウェストコースト・ロック (West Coast rock) は、ロックのサブカテゴリのひとつであり、ウェストコースト・サウンド (West Coast sound) とも称する。アメリカ合衆国西海岸を拠点とするアーティストや、同地のレコード産業が手がけた音楽などを指すが、ジャズの一形態を指す「ウェストコースト・ジャズ」や、アメリカ南部のアーシーな音楽群を指す「サザン・ロック」などの用語とは異なり、アメリカ本国ではあまり使用されず、音楽ジャンルを指すフレーズとしても一般的なものではない。[要出典]

概要[編集]

「ウェストコースト・ロック」という日本での音楽用語は、1960年代後半の、サマー・オブ・ラブの時代にドラッグヒッピー文化の担い手として活躍した一群(ジェファーソン・エアプレイングレイトフル・デッドなど)と、1970年代以降に音楽業界で大成功を収めたアーティスト(イーグルスリンダ・ロンシュタットドゥービー・ブラザーズなど)の両方を意味している。[要出典]

また、ジャクソン・ブラウンジェイムス・テイラージョン・デヴィッド・サウザーといったシンガーソングライターたちを指して使用する場合もあり、音楽形態としての統一的なフォーマットを指しているわけではない。[要出典]

しかし、当然のことながらこれらの人材は互いに楽曲提供を行ったり、レコーディングで協力し合うことで大きな人脈を形成している。音楽の1ジャンルというよりは「業界」として捉える方が正確である。[要出典]

歴史[編集]

1960年代[編集]

1960年代後半のベイエリアロサンゼルスは、反体制的なカウンターカルチャーの発信基地であり、ヒッピー的思想、マリファナLSDなどのドラッグ・カルチャーにより、全米に新時代の若者文化の中心地として広く知られるようになった。

当時のアメリカ西海岸におけるロック・シーンは、前述のジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ママス&パパスドアーズなどが活躍し、それまでのポップミュージックを中心とした時代から脱却しつつあった。また後に登場するクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)のメンバーを擁したバッファロー・スプリングフィールドなどもいた。この時代を象徴する歴史的音楽イベントのひとつ、モントレー・ポップ・フェスティバル1967年6月に開催されたが、その開催地も西海岸カリフォルニア州モントレーであり、西海岸で活動する多くのミュージシャンが出演した。

1960年代から1970年代を跨ぐ頃には、ともにバッファロー・スプリングフィールドの元メンバーが立ち上げたCS&N(CSN&Y)ポコが登場。モビー・グレープのスキップ・スペンスの仲介で、後にドゥービー・ブラザーズを結成するトム・ジョンストンパトリック・シモンズが対面した。カリフォルニアで結成され西海岸を本拠地としながら、アメリカ南部の泥臭い音楽を採り入れたジョン・フォガティ率いるクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルは、彼らの代表曲である「プラウド・メアリー」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「雨を見たかい」といったヒットを飛ばした。

1969年ラテン音楽をベースとした新感覚のサウンドを引っ提げてサンタナがデビュー、CS&N とともにウッドストック・フェスティバルに登場した。

1970年代[編集]

1971年デヴィッド・ゲフィンによりアサイラム・レコード(Asylum Records)が設立される。このレコード会社には、ジャクソン・ブラウン、イーグルス、J.D.サウザー、ジョニ・ミッチェル、リンダ・ロンシュタット、トム・ウェイツウォーレン・ジヴォンリッチー・フューレイクリス・ヒルマンら多くのミュージシャン、作家が顔を揃え、西海岸の音楽シーンをリードした。1974年にはリンダ・ロンシュタットの『悪いあなた』が全米1位、ジョニ・ミッチェルの『コート・アンド・スパーク』と『マイルズ・オブ・アイルズ』が全米2位の大ヒットとなる。

アサイラム派閥と双璧をなす形で、ロサンゼルスのやや北、バーバンクに本拠を置く世界的なビッグ・レーベル、ワーナー/リプリーズ陣営が手掛けるサウンドは「バーバンク・サウンド」と称され、レニー・ワロンカー、テッド・テンプルマンジョン・ケイルヴァン・ダイク・パークスランディ・ニューマンといった職人プロデューサー達が腕をふるい、ドゥービー・ブラザーズライ・クーダーハーパーズ・ビザールアーロ・ガスリーボー・ブランメルズゴードン・ライトフットリトル・フィートヴァン・モリソンキャプテン・ビーフハートロレイン・エリソンなどの作品を世に送り出している。

また、1976年にはイーグルスが『ホテル・カリフォルニア』 (Hotel California) で、1979年にはドゥービー・ブラザーズが「ある愚か者の場合」 (What a Fool Believes) でグラミー賞を受賞。ウェストコースト・ロックは地域の音楽性を指すのみならず、全米の音楽シーンを動かす存在となった。

しかし、1970年代末には日本でも「ウェストコースト・ロック」というカテゴライズ自体あまり用いられなくなっていった。この頃には、アメリカ西海岸はヘヴィ・メタルや産業ロックの供給地として注目されるようになる。サンフランシスコ出身のジャーニー(創設メンバーのうち2人がサンタナ出身)、ロサンゼルス出身のTOTOパサデナ出身のヴァン・ヘイレンが、世界中で商業主義的な成功を収めることになった。

1980年代以降[編集]

1980年代に入ると、ロサンゼルス出身のモトリー・クルークワイエット・ライオットW.A.S.P.グレイト・ホワイトガンズ・アンド・ローゼズL.A.ガンズらや、サンディエゴ出身のラットラフ・カットなどが中心となり、グラマラスな出で立ちでポップなヘヴィメタル・サウンドを展開する「LAメタル」、「グラム・メタル」と呼ばれる一大ムーヴメントを巻き起こす。サンフランシスコ出身のナイト・レンジャーがブレイクし、湾岸エリアではないがシアトル出身で、1970年代初頭から活躍してきたハートも、1985年にグラムメタル的イメージを前面に出したアルバム『ハート』で全米1位を獲得した。

現在のウェストコーストのロックシーンは、LAパンクやスケーター・ロックなどを全米に発信している。

アーティストの出身地[編集]

当然ではあるが、西海岸の音楽業界に関わっている人材がすべて西海岸出身のアーティストであるわけではない。全米各地から西海岸地域に移ってきて当地でデビューしたり、あるいはこの地域に活動拠点を据えて以降にブレイクするなど背景は様々である。

ママス&パパスはそもそもニューヨークで結成されたグループであるし(メンバーのジョン・フィリップスミシェル・フィリップスはカリフォルニア出身)、リンダ・ロンシュタットはアリゾナ州ツーソン[1]、ジェイムス・テイラーはボストン、J.D.サウザーはデトロイト出身である。ウエストコースト・ロックの象徴ともいえるイーグルスに至っては、1978年から途中加入したティモシー・B・シュミットサクラメント出身)以外、西海岸出身者はいない。

代表的なミュージシャン[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ツーソンはアリゾナ州中南部に位置する都市だが、アリゾナ州自体は西側州境の南約半分がカリフォルニア州と接しており、経済的、文化的にも交流は盛んで文化圏としては非常に近い。