メタリカ

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Metallica
メタリカ
Metallica (6350334052).jpg
インド・バンガロール公演 (2011年10年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州
ロサンゼルス/サンフランシスコ
ジャンル ヘヴィメタル[1][2][3]
スラッシュメタル[1][2][3]
ハードロック[1][2][3]
スピードメタル[1][3]
オルタナティヴ・メタル[4]
活動期間 1981年 - 現在
レーベル メガフォース
エレクトラ・レコード
SME (日本)
ヴァーティゴ
ワーナー・ブラザース・レコード
ユニバーサル/Blackened
公式サイト https://www.metallica.com
メンバー ジェイムズ・ヘットフィールド (Vo/G)
カーク・ハメット (G)
ロバート・トゥルージロ (B)
ラーズ・ウルリッヒ (Ds)
旧メンバー ロン・マクガヴニー (B)
デイヴ・ムステイン (G)
クリフ・バートン (B)
ジェイソン・ニューステッド (B)
バンドのロゴ

メタリカ (Metallica) は、アメリカ合衆国にて結成されたのヘヴィメタルバンド

1981年にロサンゼルス カルフォルニアにて結成し、2017年現在も活動中。ヘヴィメタルバンドとしては最も知られ、『グラミー賞』9回受賞。2009年ロックの殿堂』入りをしている。

1990年代に全米アルバム総売り上げ4位、2016年までに世界中で1億1000万枚を記録するなど、ヘヴィメタル・バンドのトップに君臨し続けている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第61位。 「ローリング・ストーン誌の読者が選ぶ『最高のメタル・バンド』ベスト10」においては1位を獲得している。

バンド名の由来[編集]

ラーズの友人であるサンフランシスコ地区メタル・プロモーターのロン・クインターナが新しいメタル雑誌の名前を、ラテン語で「金属」を意味する『Metallica』にしようとした際、ラーズがすぐに別の名前『Metal Mania』を提案し、『Metallica』という名前は自分とジェイムズが始めたバンド名にすることを決めた[5]

各アルバムでの楽曲構成の変化[編集]

[6]スラッシュメタルというジャンルの先駆者としても知られ、1stアルバム「Kill'em All」ではダイアモンド・ヘッドなどのNWOBHMモーターヘッドの両者の影響を存分に受けた、ハードコア的でもあるヴァイオレントさの横溢するスピードメタルの作品。

2ndアルバム「Ride the Lightning」3rdアルバム「Master Of Puppets」では叙情的なフレーズを盛り込み、楽曲に構成を持たせるようになった。

4thアルバム「...And Justice For All」では、オーソドックスよりも変化を加えた複雑な拍子の楽曲にチャレンジする。

5thアルバム「Metallica」(一般的にBlack Albumと呼ばれている)では、スピードよりもグルーヴを重視した作風に変化し、当時のヘヴィメタルに留まらず、後のニューメタルラウドロック等のロック・シーンに多大な影響を与えた。

このグルーヴへの傾倒は6thアルバム「Load」、7thアルバム「Reload」において決定的となり、メンバーの音楽的なバックグラウンドを反映させた多彩なアプローチを盛り込んだオルタナティヴ・ロックに傾斜し、ヘヴィメタルシーンにおいて広く影響を与える作品となった。

1998年にはカバー曲だけを収録したアルバム「Garage Inc.」を発表する。

ダイヤモンドヘッド、シン・リズィ、ブラックサバス、ミスフィッツなど27曲をカバー。多彩なアーティストのカバーをメタルらしくヘヴィに仕上げ、各ライブではいずれかの曲が演奏されることが非常に多い。

2003年のグループショット

2003年にリリースした8thアルバム「St.Anger」は2017年現在になっても彼らのキャリアの中で異色のアルバムであり、大きなターニングポイントとなる作品となる。全曲を通じてギターソロがなく、リフだけに徹底して作りこまれている。

当時は7thアルバムまで在籍していたベーシスト、ジェイソン・ニューステッドが脱退した後であり、正式なベーシストが不在であった。現在のベーシスト、ロベルト・トゥルージロが参加する直前に作成されており、プロデューサーのボブ・ロックがベースを担当している。

2音下げのチューニングで演奏し、非常に重く仕上げられている。

この後の9thアルバム「Death Magnetic」発売以降は、このアルバムからの曲がライブで演奏されることはほとんどない。

2008年リリースの9thアルバム「Death Magnetic」では、プロデューサーも変更し、新ベーシストが参加する初のアルバムとなる。

2008年のグループショット

ロベルトは、5弦ベースをフィンガーで演奏するスタイルでバリエーションの広い表現が盛り込まれ、シンプルなリフが多く、プロモーションも手助けし広い分野でのアーティストから高く評価される1枚になっている。

2011年にヴェルヴェット・アンダーグラウンド の ルー・リードと共作のアルバム「LuLu」を発表。

全曲を通じて、メタリカのヘヴィなサウンドにルーの独特な歌い回しを乗せるもので、昨今のロックシーンをリードした人物同士によるコラボレーション作品として、高い評価を得ている。またこのアルバムでのサウンド作りは、その後のアルバム「Hardwired...To Self Destruct」の基盤になった。

10thアルバム「Hardwired...To Self Destruct」は前作よりもシンプルなリフ構成で作られ、ヘヴィメタルでありながらもストレートでキャッチーなリフやメロディの楽曲が多く、発売から数か月間で全世界140カ国の音楽チャートで1位を記録した。

2015年12月に他界したモーターヘッドのレミー・キルミスターをトリビュートする楽曲「Murder One」も同アルバムに収録。

歌詞の題材は、自己の内面や死、孤独、狂気、核戦争、司法システムの矛盾、表現の自由などシビアな内容が多く、その中で文学作品や映画からのインスパイアも少なくない。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズフリーは、「彼らは、どのピース&ラブ・バンド以上に、人々をひとつにした」と評している[7]

バイオグラフィ[編集]

「Damaged Justice」ツアー
  • 1988年9月、4thアルバム『...And Justice for All (邦題:メタル・ジャスティス - ) 』発表。「One」を収録し、映画『ジョニーは戦場へ行った』とのコラボレーションとなった初のミュージック・ビデオも発売され、アルバム プロモーションツアーでは、CDジャケットの石像が崩れ落ちる大仕掛けなセットであった。
  • 1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に「One」がノミネート。
  • 1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で「One」が受賞。グラミー賞授賞式においては、フォーマルスーツの慣例を無視して自然体のジーンズ姿で登場した。
    • 10月より、アルバム制作にとりかかる。
  • 1991年8月、5thアルバム『Metallica - (邦題:メタリカ) 』(通称 Black Album (ブラック・アルバム))を発表。全米初登場1位を4週連続獲得し、全世界で2000万枚を超える大ヒットを飛ばす。3年に亘る長期間のワールドツアーを終えた後、暫く休養期間に入る。
  • 1992年8月8日、ジェイムズが、ガンズ・アンド・ローゼズとのスタジアムツアーでのメタリカのステージで、"Fade to Black"のオープニングにおいてパイロテクニクスの事故が発生し、腕や顔などにII〜III度の大やけどを負う。事故後わずか17日でステージへと戻り、その後4週間、ライヴではジェイムズがヴォーカルのみを担当し、リズム・ギターをメタル・チャーチのギタリスト、ジョン・マーシャルが代行した。
  • 1996年6月、6thアルバム『Load』を発売し、全英・全米1位を記録。
  • 1997年11月、7thアルバム『Reload』発表、全米1位を獲得するものの、2作続けてのこの路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言。ただし、収録曲のほとんどが『Load』のアウトテイクであり、実際は2枚組で発売する案もあった。
  • 1998年11月、カヴァー曲を集めたアルバム『Garage Inc. - (邦題:ガレージ・インク) 』発表。
  • 1999年11月、メタリカ本拠地のオーケストラサンフランシスコ交響楽団との競演ライヴアルバム『 S&M - (邦題:シンフォニー&メタリカ)』発表。
  • 2000年4月、ナップスターを相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こす。
  • 2001年1月、ジェイソン・ニューステッドが脱退。
US.イリノイ公演 (2004年4月)
  • 2003年2月、新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズオジー・オズボーンバンドのロバート・トゥルージロが加入
    • 6月、8thアルバム『St. Anger - (邦題:セイント・アンガー』発表。来日公演ではツアー前にキャンセル誤報があったものの、大成功を収めた。ロバートがオーディションにより加入したのは、このアルバムがほぼ完成した後であり、MTVアイコン・アワード英語版を受賞する際に加入が公表された。このアルバムでベースを弾いているのは、90年代からのプロデューサーであるボブ・ロックである。
  • 2004年、8thアルバム『St. Anger』が完成するまでの3年間に密着した(1600時間もの膨大なテープを編集した)映画『Some Kind of Monster -(邦題:メタリカ:真実の瞬間- )』が製作され、日本では2005年7月より限られた劇場でのみ上映された。
  • 2006年8月、千葉と大阪で行なわれたサマー・ソニック'06へ参加。アルバム『Master of Puppets』の発表から20周年を迎えるこの年を記念して、アルバム全曲を曲順通りに演奏した。演奏終了時にヴォーカルのジェイムズ・ヘットフィールドは「Master Of Puppets! Happy 20 years anniversary!」と咆哮、モニタ画面には故クリフ・バートンの遺影が映しだされた。
  • 2006年12月、1989年から2004年までの間にリリースされた21曲のPVを収録したDVD、「ザ・ビデオズ 1989-2004」を発表。ビルボードビデオチャート3位を獲得。
UK.ロンドンO2アリーナ公演 (2008年9月)

メンバー[編集]

2013年のグループショット

現ラインナップ[編集]

旧メンバー[編集]

デイヴ・ムステイン (2009年)
  • デイヴ・ムステイン (Dave Mustaine, 1961年9月13日 - ) - リードギター (1982-1983)
    メガデスのデイヴ・ムステインも初期メンバーの一人であり、デビュー前まで所属していたが、アルコール摂取時の行動や言動があまりにも常軌を逸していたことで、1stアルバムのレコーディング直前に解雇された。脱退時にムステインは自分が携わったレパートリーをレコーディングしないよう求めたというが、1st・2ndにはムステインのクレジットされた楽曲が収録されている。
    バンドと並行してドラッグの売人をしていたデイヴは、犬にドラッグの番をさせていたのだが、その犬が、ロンの車を引っ掻いたところを見たジェイムズがそれを止めさせようと怒鳴った(デイヴ曰く、ジェイムズが犬を蹴った)ことから、メンバー達とデイヴの確執が始まる。酒癖が悪いデイヴは、あるとき酔っ払ってロンのベースにビールを流し込み、それを知らないロンが電源を入れ感電するという事件があった。それがきっかけでロンは脱退する。それ以降も、酒癖が悪くなる一方のデイヴは、レストランで人に絡み乱闘騒ぎを起こすなど、トラブルメーカーだった。このようなことから、自分達の身にも危険が及ぶのではないかと感じたメンバーにより、解雇される。
    しかし別れの際、ジェイムズは涙を流し、デイヴはバンドをクビになったことを親の死よりも辛い体験だったと語るなどから、お互いに辛い別れで生活態度と人間性により止むを得ず解雇されたことが分かる(「メガデス ドキュメンタリー 狂気の旋律」より)。
    この解雇により長年確執を抱いていた両者だったが、近年公開されたメタリカのドキュメンタリー映画「Some Kind OF Monster」内で、過去の出来事を真摯に受け止め、和解に至る様子を見る事が出来る。
死没地スウェーデンにあるクリフの墓碑
  • クリフ・バートン (Cliff Burton, 1962年2月10日 - 1986年9月27日) - ベース (1982-1986) RIP.1986
    1st〜3rdアルバムのベーシストであるが、1986年の事故死以来『伝説のベーシスト』としてカリスマ視されている。ベルボトムジーンズは、彼のトレードマークでもあった。メタリカ以前には、トゥラウマというバンドに在籍していた。
    初期メタリカの音楽性に大きな影響を与えたコンポーザーであり、その影響はクリフの手が入る前の1stアルバムと2nd〜3rdアルバムを聴けば判るとおり、最初期のスポンテニアスでややもすると平板だったサウンドに、叙情的ながら冷ややかなニュアンスやプログレッシブな構成美を導入させた。
    また、ベースのジミヘンとも呼ばれる程、奇妙奇天烈且つアグレッシヴなプレイをする個性的なベーシストでもあった。
    1986年9月27日(現地時間)、スウェーデンをツアー中のバスが交通事故を起こし、クリフは不運にもバスの下敷きになり死亡する。そのときのエピソードとして、その日たまたまカークがクリフとベッドの位置をかけてカードをやり、クリフが勝ってベッドを交換、そして帰らぬ人となったのだと言う。後に初期メタリカアイテム、クリフ追悼ビデオ、「クリフに捧ぐ」(素材はライブをファンがカメラで撮影(海外ではコンサートの撮影は違法ではない)したものなどが採用され編集されている)が発売されている。
ジェイソン・ニューステッド (2013年)
  • ジェイソン・ニューステッド (Jason Newsted, 1963年3月4日 - ) - ベース (1986-2001)
    フロットサム・アンド・ジェットサムの元リーダー兼ベーシスト。ピック奏法をメインにハードながら堅実なプレイをこなす、クリフとは正反対のプレイスタイルだった。クリフの死後にその穴を埋めるべく加入したが、加入が決まった際にメタリカの一員になれることに大変喜んだという。このことで、クリフの死の悲しみを拭えないメンバーから反感を買い、加入直後に制作されたアルバム「メタル・ジャスティス」に自身の演奏するベース・ギターパートを収録されない(実際のベース・パートはジェイムスが演奏)、自身のコンポジションがバンドに反映されない(在籍中に作曲者としてクレジットされたレパートリーはわずかに三曲のみであった)などの陰湿なイジメにあった。しかし後に、メンバーがそのことについて認め謝罪し和解している。「自身のサイド・プロジェクトが認められなかった」ことを理由にメタリカ脱退。脱退後はエコーブレインオジー・オズボーンヴォイヴォドで活躍し、現在は自身のバンド、ニューステッドを率いて活動している。
    2009年、ロックの殿堂入りでのスピーチを担当した。

ディスコグラフィ[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

補足備考[編集]

成功の軌跡

1980年代のMTV黎明期にあって、4thアルバムまでビデオクリップ制作をしなかった事で有名である。また、過激な音楽性であったため、大手ラジオ局でもほとんどエアプレイされなかったが、バンドを『ファンとの共同体』と位置づけ、ひたすらツアーを重ねることでファンのクチコミにより人気を獲得していった。

全世界でのアルバム・セールスが1億枚以上を誇ることながら、グラミー賞を8回受賞するなど、社会的な認知度も高い。コンサートの動員力も高く、1990年代の北米でのコンサート動員数で1位を記録する。また、大手マネージメントQプライムに10年以上マネージメントを任せてきたことも、彼らの成功に寄与しているといわれている。

ナップスター論争

2000年4月に、メタリカがナップスターおよび大学3校を相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こしたのが発端。一部のユーザーから「メタリカはBIGになって金の亡者となった」と非難を受ける一方、ミュージシャン側からは「メタリカの主張に賛同する」という動きが出るなど、一連の社会問題に発展。

2000年7月にナップスターの運営するウェブサイトに対して北カリフォルニア連邦地裁が閉鎖命令を下すものの、2001年2月にサンフランシスコ第9巡回区連邦控訴裁判所が北カリフォルニア連邦地裁の判決を覆し、サイトの継続を認める判決を下す。

2001年7月に、メタリカとナップスターが双方歩み寄る形で決着(詳細は公表されず)。

直接の関連はないが、アル・ヤンコビックが2006年に『Don't Download This Song』という楽曲でこの論争に触れている。

日本公演[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]