TOTO (バンド)

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TOTO
TOTO live 2010 in Copenhagen in KB Hallen.JPG
2010年のツアーメンバー
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ロック
AOR
ソフトロック
ポップス
プログレッシブ・ロック
フュージョン
ハードロック
活動期間 1977年 - 2008年
2010年 -
レーベル ソニー・ミュージックエンタテインメント
1978年 - 1999年
TOTOレコーディングス(原盤権自主保有)
2002年 - 2008年
公式サイト Official TOTO Website
メンバー デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ルカサー
スティーヴ・ポーカロ
ジョセフ・ウィリアムズ
旧メンバー ジェフ・ポーカロ
ボビー・キンボール
デヴィッド・ハンゲイト
ファーギー・フレデリクセン
ジャン・ミシェル・バイロン
グレッグ・フィリンゲインズ
サイモン・フィリップス
マイク・ポーカロ

TOTO(トト)は、アメリカロックバンドである。

1977年にロサンゼルススタジオミュージシャンをしていたデヴィッド・ペイチジェフ・ポーカロ を中心に結成された。2008年3月ボズ・スキャッグスとの来日公演を最後に活動を無期限に休止すると宣言し、公式ウェブサイト7月23日に正式に解散が発表された。その後ALSを患ったマイク・ポーカロの救済目的で、2010年7月ヨーロッパ各地で期間限定としてツアーが行われた[1]。以降2011年9月には日本でもツアーが行われ、2015年にはオリジナルアルバムが発売されるなど、事実上恒久的な活動を再開している。

バンド名の由来[編集]

メンバーによって、またその時によって説明が異なっているため、正確には不明であるが、元メンバー、ボビー・キンボールの本名「ロバート・トトース(Robert Toteaux) 」をもじったもの、「全てを含む」を意味するラテン語英語風に変えたもの、日本の便器メーカーTOTOからとった[2](来日の際、TOTOの便器を欲しがったと言われる)など、複数の説、及びメンバーの説明がある。ただし便器メーカーのTOTOからとったという説明については、デビュー当時は日本での人気が先行していたため、日本のファンへのリップサービスがてらのジョークとして音楽雑誌『ミュージック・ライフ』のインタビューで語ったものである。また、キンボールの本名説に関しても、実際の本名はトトースではない。これもメンバーによるジョークであると考えられている。

なお、2012年まで公式ウェブサイト内のバンドヒストリーでは次のような説明がなされていた。

バンドがデモ・テープを作っていた際に、映画『オズの魔法使い』を見たばかりであったジェフが、映画に登場するの名前「トト」をテープに書いてすぐ判別できるようにした。その後、デヴィッド・ハンゲイトが詳しく調べたところ、「トト(toto)」はラテン語で「total」 、あるいは「all-encompassing(網羅的な)」を意味することが分かった。これは数々のセッションに参加していたメンバーの経歴やどんなジャンルの音楽にも対応できるバンドの演奏能力にぴったりであるということから、デビュー・アルバムのタイトル及びバンド名として採用された。
(参考:[6] 2012年8月時点、ウェブアーカイブによる)。

2014年現在はこの記述は削除されているが、オズの魔法使いの部分を除き同様の回答をしているインタビュー映像がDVD作品、グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モアに収録されている。

解散直前のインタビューで、スティーヴ・ルカサーが語るところによると「バンド名がブランドになってしまっているからもう変えられないけど、俺はこのバンド名が好きじゃないんだ。俺が命名に関わっている訳じゃないし、気がついたらそういう名前になっていたんだけど。イヤんなっちゃうよ、世界的に有名なトイレメーカーと同じ名前なんだぜ。皮肉っぽくてギャグとしては面白いと思うけどね」と語っている。同時に、ルカサー自身は「バット・ホール・サーファー(Butt hole surfer)の方が良かったが、もっとマジメにやれと拒否された」とも語っている[3]

なお、本国米国をはじめとするラテン文字圏では、見出し等特別な場合を除き通常「Toto」と一般的なバンド名同様先頭のみ大文字にして表記がなされるが[4]、日本では「TOTO」というアルファベットかつ全て大文字の表記をレコード会社が公式に採用しており、「トト」「Toto」といった表記が見られるのは稀である。本稿もこれに倣いバンド名を原則「TOTO」としている。

音楽的特徴[編集]

一般的には、典型的なAORサウンドと評されている。また、商業的な成功と聴きやすいサウンドを有していることから、産業ロックなどと表現されることがある。実際に、そういった趣が色濃い曲も数多く、それゆえヒット曲が多いのも事実である。ただし、作品全般を通して聴くと、ハードロックからプログレッシブ・ロックジャズ・フュージョンといった、さまざまなスタイルを内包しており、商業性を優先しているとは言いがたい幅広い音楽性を持っているという意見もある。

専任のボーカリストがいるにも関わらず、ギタリストのスティーヴ・ルカサーやキーボーディストのデヴィッド・ペイチがリード・ボーカルをとることが多い(実際、TOTO最大のヒット曲「Africa」はペイチのボーカルである)。また、スティーヴ・ポーカロも、リード・ボーカルをとる曲が存在し、2005年加入のグレッグ・フィンリンゲインズも、キーボーディスト兼リード・ボーカルとしての加入で、「Falling in Between」では、彼のリード・ボーカル曲も多くフィーチャーされ、ステージでは、休止中のペイチのボーカル曲を代行しているなど、ビートルズキッスさながらに、演奏陣が歌うバンドとしても知られている(ただし、ビートルズやキッスには、専任ボーカルはおらず、全員が兼任ボーカルである)。

デビュー当時がちょうど、汎用ICLSI(ICの高度集積化されたもの)の低コスト化が本格的に加速し始めた時期であった故、サウンド・エフェクターシンセサイザーという音楽関連テクノロジーも飛躍的に発達、普及した時期となり、これとぴったり重なっていたこと、及びこういった先進技術の恩恵を潤沢に受けられるロサンゼルスのスタジオミュージシャンからキャリアをスタートさせたことから、当時「スペイシー(Spacy) 」と音楽雑誌が称していた、空間的広がりに散乱するような華やかなサウンドで、ほぼ同時期にデビューしたボストン(Boston) と並んで、この後1980年代のアメリカン・ロック・サウンドの雛形となったサウンドを提起した。より具体的には、全体のエフェクトリバーブやゲート・リバーブ、ギターには、コーラスなどを多用し、アンプに通さず直接ミキサーインプットに入力した、クリスタル・クリーンなどと形容されるギターサウンド、ペイチのジャジーなピアノオルガンエレクトリックピアノ、そして、スティーヴ・ポーカロブラス系を含む、煌びやかなシンセサイザー・サウンドは、正に1980年代サウンドのお手本と言える。

しかしながら、初期TOTOにおいて一番その特徴としていえるのが、バンドの中心人物で、ドラマーのジェフ・ポーカロのリズムである。基本的に16ビート調の曲が多いのだが、通常の8ビートや16ビートでも独特のハネとウネりがあり、それが初期のTOTOをTOTOたらしめていると言っても過言ではない。特に顕著なのが「Rosanna」に代表されるような3連ゴースト・ノートを多用する16ビートのハーフ・タイム・シャッフルである。レッド・ツェッペリンジョン・ボーナムスティーリー・ダンプレイしたバーナード・パーディから影響を受け、ボ・ディドリーのパターンも加え、独自にアレンジしたというこれらのリズムは、未だに多くのドラマーの課題となっている(実際、ジェフ自身も、スティーリー・ダンでプレイした経験がある)。

全員が、マイケル・ジャクソンなどの大物アーティストから依頼の多いスタジオ・ミュージシャンであり、TOTOの成功にも関わらず、スタジオ・ワークを縮小せず、精力的だったこともあり、1980年代には、ジャンル問わず、彼らの関わった作品では良くも悪くもTOTOのようなサウンドが多産されていた。

バンド・メンバー[編集]

結成時メンバーの内キンボールとハンゲイトを除く全員が少年期からの旧知の仲であり、高校時代にはすでにバンドを組んでいた。時が経って1975年、ボズ・スキャッグスのアルバム『シルク・ディグリーズ』の制作時に再び集まったのがきっかけで、TOTOは結成された。メンバーチェンジは繰り返され、時代ごとにラインナップが異なる。

メンバー[編集]

オリジナル・メンバー。初期には楽曲のほとんどの作曲を担当し、ジェフと共にTOTOの音楽的方向性をリードしていた事実上の中心人物。代表的なヒット曲は彼の作品が多い。
父はジャズ・ミュージシャンとして著名なマーティ・ペイチ。
スティーヴ・ポーカロによる「スペーシー」と表現される典型的なサウンドに対して、オーソドックスでジャジーなピアノ、オルガンサウンドでボトムを支えた。
2004年より家族の病気を理由に、ツアーやライブには参加しておらず、レコーディングのみの参加となり、ペイチのヴォーカル曲はグレッグ・フィリンゲインズがほとんどを代行した。再結成を呼びかけた本人であり、ツアーにも完全復帰している。
オリジナル・メンバー。『キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜』以降の作品からは実質的なバンドリーダーとして活動。
ボーカリストとしては初期は柔らかく優しい、クリアなタイプの声質で、特にバラードをメインに歌っていたが、上記アルバムの頃から野太いハスキーボイスに変化している。
TOTO以外でもセッションミュージシャンとして広く活動している。
スティーヴ・ポーカロとは高校のクラスメートで、友人のスタジオ・ミュージシャン、ギタリストのマイケル・ランドウは一学年下の後輩である。ペイチ、ジェフ、マイクは高校の先輩である。
結成以後、唯一全てのステージ、作品に参加している(レコーディングでは、ペイチも全て参加している)。
オリジナル・メンバー。ポーカロ3兄弟の末っ子。
80年代、TOTOの派手で煌びやかなシンセサイザーサウンドは彼によるもので、TOTOのリズム、楽曲の方向性の中核がジェフとペイチならば、サウンド面の中核は彼の存在によるものとも言える。『Fahrenheit』を最後に脱退するが、次作『The Seventh One』でも正式メンバー並みに参加し、その派手なサウンドを聴かせてくれる。最近ではスティーヴ・ルカサーがインタビューで「俺はスティーヴには実際、正式に復帰してもらいたいと思っているんだよ」と語っている[5](脱退したとはいえ、『The Seventh One』以降の作品でもほぼ毎回ゲスト参加し、正式メンバー並に活躍しているので、単にクレジット表記を変更しただけとも言える)。
ボーカリストとしては、中音域中心の柔らかい歌声である。
TOTOにおいて自身の作った楽曲は全てスティーブが歌っているものと思われていたが、「リア」のリードヴォーカルはジョセフ・ウィリアムスである。
ルカサーとは高校のクラスメートである。
マイケル・ジャクソンのモンスターヒット・アルバム『スリラー』収録の「ヒューマン・ネイチャー」はスティーヴの作編曲である。無論、このアルバムの他の曲も含め数曲でキーボードも演奏している。
再結成では正式メンバーとして復帰、20年以上ぶりにオリジナルのツインキーボードとなった。
映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムズの息子。キンボールと並ぶバンドの代表的ボーカリスト。正式メンバーとしては2作の参加にも関わらず、彼をTOTO史上最高のボーカリストという声も大きく、復帰を望む声もあった。元々ボーカリストのみならず作曲家として活躍していたキャリアから、TOTO在籍時には楽曲の方向性の面でも非常に貢献した。『The Seventh One』を最後に脱退したが、その後もTOTOの作品に作曲やゲスト・ボーカルとして参加していた。2008年のボズ・スキャッグスとの来日公演では最終の2日間に参加。また、再結成ではボビーに代わり正式参加。TOTO以外でのキャリアなどは本人の項を参照のこと。

過去に在籍していたメンバー[編集]

オリジナル・メンバー。ポーカロ3兄弟の長男。結成から死去まで、TOTOの中心人物、リーダーとして活動。1992年、自宅の庭で殺虫剤を散布中にアレルギーによる心不全で死去。しかし、死因に疑わしい面が多く、コカインが検出されたため薬物中毒による死だという説もある[要出典]。「ジェフこそがTOTOである」「TOTOはジェフとペイチのバンドだ」などの声も多い。
オリジナル・メンバー。1984年『Isolation』制作中に脱退。1999年の『MindFields』より復帰し、解散まで籍を置いた。メンバーチェンジの多いTOTOにおいて、最盛期を担った代表的なボーカリストである。TOTOのバンド名の由来として「ボビーの本名、ロバート・トトース(Robert Toteaux)から」などというジョークがメンバーによって語られ、半ば真実として信じている人も多くTOTOを紹介する際に語られていた。実際の本名はロバート・トロイ・キンボール(Robert Troy Kimball)であり全くの冗談である。2010年の再結成には不参加。
オリジナル・メンバー。『TOTO IV』を最後に脱退。
ボズ・スキャッグス、スリー・ディグリーズアリス・クーパーなど数々のアルバムにもセッションベーシストとして参加。
2014年夏のツアーよりネイザン・イーストに代わり約32年ぶりにTOTOに復帰[6]。2015年のアルバムTOTO XIV〜聖剣の絆〜でも数曲レコーディング参加している。
2015年9月、体力の衰えからツアーに参加できないとして再び脱退[7]
1984年加入。元体操選手という経歴を持つ。TOTO加入前は、トリリオンやル・ルーに在籍。『Isolation』のみの参加で脱退したが、「Fahrenheit」にはコーラスで参加している。2014年1月18日、癌のため死去。
  • ジャン=ミシェル・バイロン(Jean-Michel Byron、10月13日 - ) - ボーカル
南アフリカ出身。メンバー初の外国人で唯一のアフリカ人。
ベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』で彼を売り出そうとした所属レコード会社の強い推薦によりメンバーに加入し、ベスト盤収録の新曲4曲のみ参加(本来はこの作品からキンボールが復帰する予定であり、その為のレコーディングも既に行われていた)。「Past To Present Tour」直後に脱退。なお、レコード会社主導の強制的な参加と短期間の在籍のためか、旧公式ウェブサイト(toto99.com)の旧メンバー紹介ページでは唯一彼だけ記載がなかった。スティーヴ・ルカサーらメンバーが後のインタビューで語ったところによると、レコード会社の意向で一方的に新メンバーに決められてしまったため、元々の音楽性から全く違っていた上に、ステージ上でのファッションやパフォーマンス、さらには人間性に関しても全く相性が合わず、メンバーとの間に大きな確執が生じてしまったこと、また、メンバーのみならず、TOTOファンからも彼の加入に対して猛反発が起きたということもあって、事実上の解雇に至ったとの事である。
前述の『グレイテスト・ヒッツ』で参加した新曲の4曲全てで、TOTOのメンバー、もしくは外部作曲家との共作という形で曲作りにも関わっており、スティーヴ・ルカサーとの共作「Out of Love」については脱退後のTOTOのライブや、ルカサーのソロツアーなどでも演奏されたことがある。
2005年より加入。マイケル・ジャクソンエリック・クラプトンなどのツアーメンバーとしても活動していた。2004年よりジョン・ジョッセルの後任サポートメンバーとしてツアーに参加していたが、その力量を買ったペイチの誘いで正式加入し、解散まで籍を置いた。正メンバーとしては交代ではなく、追加である。再結成にはオリジナルメンバーのスティーヴ・ポーカロが復帰したため不参加。レコーディング参加は2006年1月の『Falling in Between』からだが、次回作を作ることなく解散したため、この作品が唯一の参加アルバムとなった。コーラスなどのバッキング・ボーカルは長い間様々なアーティストのバックで経験しているが、リード・ボーカルはTOTOに加入してから初めての挑戦となる。中低音域からボビーやジョセフの音域にも迫るハイトーンまで、非常に広い音域を繰り高評価を得ている。また、それまでのTOTOのボーカリストにないタイプであるため、バンドに新しい血を導入することにも成功している。当時ツアー活動を休止していたペイチのヴォーカル曲や、彼の演奏パートもステージ上で代行していた。TOTO初のアフリカ系アメリカ人(外国人メンバーも含めればジャン=ミシェル・バイロンに次ぐ2人目のアフリカ系メンバー)。
死去したジェフの代役を務め、解散予定であったTOTOの起死回生を図った。『キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜』のツアーよりサポート・メンバーとして参加し、その後正式加入。レコーディング参加は『Tambu』から。
解散時のメンバーとしては唯一の外国人(イギリス人)メンバー(ジャンに次ぐ2人目)。
ジェフ・ベックマイケル・シェンカー・グループなどのレコーディングやサポートをはじめ、1989年のザ・フーの再結成ツアーにも、亡きキース・ムーンの代役として参加している。
レコーディング/ミキシング・エンジニアとしても活動しており、TOTOのアルバムも自身がレコーディングを手がけていた。
2014年、自己の活動のためTOTOを脱退する。在籍期間は再結成後も通算すると20年となり、結果的にジェフの在籍期間15年を超えることとなった。
ポーカロ3兄弟の次男。セッションとしては『TOTO IV』から既に参加しているが、正式加入はリリース直後のデヴィッド・ハンゲイト脱退から。同作に収録されている楽曲のプロモーション・ビデオはハンゲイト脱退直後に撮影されているため、映像に映っているのはマイクだが演奏自体はハンゲイトという状態になっている。ポーカロ3兄弟のうちバンドに最後まで参加していた。
ルカサーによれば、TOTOの本当のオリジナル・メンバーはマイクだという。デビュー時点のメンバー構成や、直接的にはボズ・スキャッグスのバックメンバーとして集まったのが結成のきっかけであったことを考慮すれば、ハンゲイトがオリジナル・メンバーであるが、恐らくTOTOのメンバーが高校時代に参加していたバンド「Ruaral Still Life」時代も含めての発言と考えられる。
2007年筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症したため療養に専念、リーランド・スカラーが代役を務めた。当初はALSであることは伏せられ「腕のトラブル」とだけ公表し、復帰は回復次第とされていたが、復帰は叶わずTOTOは解散、病気がALSであることが発表された。TOTOの解散は彼の病状が大きな原因とも言われており、ルカサーは「一緒にバンドを始めたペイチが引退したのはキツかった。何せハイスクール時代から数えたら35年も一緒にやってきたわけだから。そんな状況でマイクまで病気になって、バンドを続けるとすればもはや自分の為だけになってしまった。でも、ペイチがいなくなって、ポーカロ兄弟まで誰もいなくなったバンドを果たしてTOTOと呼んでいいものなのか?正直もうやりきったと思っている。これは活動休止じゃない。もう終わりだ。俺はもうどんな顔をして観衆の前で「ホールド・ザ・ライン」を演奏していいものか分からないんだ」と活動終了の経緯を語っている[8]。しかし、再結成もマイクの闘病支援が目的であり、解散・再結成共に彼の病気がきっかけとなっている。病気のため実際のツアーには不参加だが、再結成以降も正式メンバーに名を連ねている。なお、ライヴDVD『Live in Amsterdam』ではルカサーによるメンバー紹介の際に日本語字幕上では「リーダーのマイク・ポーカロ!」と紹介されているが、後にも先にもマイクがリーダーとされたのはこの時だけである。実際は「Groove Maestro」と発言したものを「Group Master」と聞き違えた誤訳の可能性が高い。もしくは、聞き違えでなくとも「Maestro(指揮者)」という意味からリーダーと訳者が誤認している可能性もある。8年に及ぶALSとの闘病の末、2015年3月15日に他界した[9]

主なサポートメンバー[編集]

サポートでの参加者はあまりにも多いため、ここでは特に参加していたことが有名な者や、後期の者に特化する。

  • デヴィッド・ハンゲイト
元メンバーで2014年以降はサポートとして復帰、詳細は過去に在籍したメンバーの節を参照。
  • レニー・カストロ(Lenny Castro) - パーカッション
初期から後期まで、アルバムからツアーまで多くの現場でTOTOを支えてきた。TOTO以外でも非常に有名なパーカッショニストの一人。
  • ジョー・ポーカロ(Joe Porcaro) - パーカッション
ジャズ・ドラマーでポーカロ兄弟の父。『TOTO IV〜聖なる剣〜』を初めとして幾つかの作品に参加し、息子たちとの共演を行っている。
1981年から1982年までのツアーに参加。
イーグルスのベーシスト。コーラス担当として1981年から1982年までのツアーに参加。
  • ジェニー・ダグラス(Jenny Douglas、本名:Jenny Douglas-McRae) - ボーカル
90年代にバックコーラスやリードボーカルで参加。当時TOTOは専任ボーカリストが存在しなかったため、ルカサーやペイチでは歌えない楽曲のシンガーを務め上げた。また、レコーディングでも『TAMBU』にて数曲リードボーカルを担っている。2011年 - 2012年にも参加[10]
  • ジョン・ジェームズ(John James) - ボーカル
ジェニーと同様、ツアーなどでのバックコーラス、リードシンガーとして専任シンガーのいない90年代TOTOのサポートとして参加。
1995年後半にサイモンの代役として参加。
1999年以降、解散までツアーにてほぼレギュラーでサポートでギターを演奏していた。また、曲によってはリード・ボーカルをとることも。
  • ジョン・ジョッセル(John Jessel) - キーボード、コーラス
2003年までサポートキーボードとして、ペイチのサポートを行っていた。ステージ袖でプレイしていたようで、彼の参加した映像作品でもメンバー紹介時に顔を出す以外はほとんど姿が見えなかった。フィリンゲインズが後任としてサポートに加わり後に正式メンバーとなる。
  • ジェフ・バブコ(Jeff Babko) - キーボード、ボーカル
以前よりサイモンのプロジェクトに参加していた関係で2000年頃サポートとして招かれる。当時若手でありながらTOTOのメンバーから高評価を得ていた。他にロベン・フォードなどのギタリストともプレイしている。
リーランド・スクラー、リー・スクラーとも。セッションミュージシャンとして、数々のアルバムやセッションに参加。2007年より病気療養に入ったマイクの代役を務めていた。2007年より病気療養に入ったマイクの代役を務めていた。2015年にハンゲイトが脱退すると再び参加する。
  • ジョン・ファリス(Jon Farriss) - ドラムス
INXSのドラマー。「Live Promos」参加時、サイモンが病気で入院したため、急遽サポートとして参加。
上記のジョン・ファリスの代役後にもサイモンの病状が思わしくなかったため、ファリスの後任サポートとして「Live Promos」にて代役を担った。
フォープレイのベーシスト。2010年のマイク・ポーカロ支援ツアーにマイクの代役として参加。2013年からのTOTO35周年ツアーにも2014年春の日本ツアーまで参加。この35周年のツアーにあたり公式ウェブサイトではサポートではなく正式メンバーとしてマイク・ポーカロの名前と共にクレジットされている。
2010年以降のツアーに参加[11]。2016年のツアーでジョセフが病欠したときは代わりにリードボーカルも務める。
2013年以降のツアーに参加[12]
スティングジョン・メイヤースティーリー・ダンジェームス・テイラードナルド・フェイゲンウォルター・ベッカーダイアナ・ロスフェイス・ヒルなどの専属ドラマーを経て、2014年にサイモンに代わり参加。
スティーリー・ダンのツアーに参加するため2014年夏のTOTOツアーに不参加のキースの代役[13]

メンバーの変遷[編集]

ボーカル ギター キーボード ドラムス ベース
1977-1982
TOTO〜宇宙の騎士〜/Hydra/
Turn Back/TOTO IV〜聖なる剣〜
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
ジェフ・ポーカロ デヴィッド・ハンゲイト
1982-1983
TOTO IV〜聖なる剣〜完成直後から
Isolation制作途中まで
マイク・ポーカロ
1983-1986
Isolation
ファーギー・フレデリクセン
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
1986-1988
FAHRENHEIT
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
1988-1990
The Seventh One〜第七の剣〜
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
デヴィッド・ペイチ
1990
Past to Present 1977 - 1990グレイテスト・ヒッツ
ジャン・ミシェル・バイロン
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
1990-1992
Kingdom of Desire
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
ジョン・ジェームズ
ジェニー・ダグラス
1992-1999
Absolutery Live/Tambu
サイモン・フィリップス
1999-2005
Mind Fields/Through The Looking Glass
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
2005-2008
Falling in Between
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
グレッグ・フィリンゲインズ
トニー・スピナー
スティーヴ・ルカサー
トニー・スピナー
デヴィッド・ペイチ
グレッグ・フィリンゲインズ
マイク・ポーカロ
リーランド・スカラー(代役)
2008-2010 解散中
2010-2013
再結成
In The Blink Of An Eye 1977-2011
35th Anniversary Tour
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
サイモン・フィリップス ネイザン・イースト
2014
35th Anniversary Tour日本ツアーまで
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
マヴート・カーペンター
キース・カーロック
2014-2015
35th Anniversary Tour夏のツアーより
TOTO XIV~聖剣の絆~
キース・カーロック
シャノン・フォレスト
デヴィッド・ハンゲイト
2016-
XIV Tour 2016
リーランド・スカラー

ディスコグラフィー[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

ベスト・アルバム[編集]

ライヴアルバム、未発表曲集等[編集]

DVD[編集]

  • 2003年-25th Anniversary: Live in Amsterdam(ライヴ・イン・アムステルダム~25TH ANNIVERSARY)
  • 2005年-GREATEST HITS LIVE AND MORE(グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モア)
  • 2008年-FALLING IN BETWEEN LIVE(フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライブ)
  • 2014年-35th Anniversary Tour: Live in Porland(35周年アニヴァーサリー・ツアー ライヴ・イン・ポーランド 2013)
1980年初来日時のステージの模様を収めた音源:ライブ・アルバム『Live in Tokyo (In Search For Hydra)』とタイトルの決定もされ、ジャケット・デザインも各音楽関連雑誌上に先行露出され、発売日を決定しこれに先立つかたちでNHK-FMでオンエアされもしたのにも関わらず、発売直前に「サウンドがノイジーでコンディションが良くない」との理由で土壇場で発売中止になった幻のアルバムが存在する。実際にオンエアされたものは特に問題の在るコンディションではなかったが真相は不明である。

脚注[編集]

  1. ^ TOTO、盟友マイク・ポーカロ闘病支援のための来日公演が決定 - BARKS
  2. ^ 松任谷由実がこの説をオールナイトニッポンで紹介していた
  3. ^ [スティーヴ・ルカサー インタビュー 2008年1月8日 http://www.woopie.jp/video/watch/4fc3283b6a358065]
  4. ^ Wikipedia諸言語版やバンド公式ウェブサイトもこの表記に倣っている
  5. ^ サウンドデザイナー誌2005年6月号、オリジナルアルバムのDSDリマスター発売に関するインタビューにて発言。
  6. ^ [1]
  7. ^ http://amass.jp/63098/
  8. ^ スティーヴ・ルカサー公式サイト2008年6月8日更新分、既にサイト上では削除されているためwebarchiveに記録されている履歴による。
  9. ^ 元「TOTO」マイク・ポーカロさん死去 - スポニチアネックス
  10. ^ [2]
  11. ^ [3]
  12. ^ [4]
  13. ^ [5]

外部リンク[編集]