フランキー・ヴァリ

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Frankie Valli (2013)

フランキー・ヴァリ(Frankie Valli、1934年5月3日 - )は、アメリカ合衆国ポピュラー・シンガー。1960年に結成されたフォー・シーズンズのリード・ヴォーカルとして最もよく知られている。また非常に力強いファルセットの歌声でもよく知られている。

トップ40にフォー・シーズンズとして29曲、別名であるワンダー・フーとして1曲、ソロとして9曲がランクインしている。フォー・シーズンズの一員として第1位の曲は「シェリー (Sherry)」(1962年)、「恋のヤセがまん (Big Girls Don't Cry)」(1962年)、「恋のハリキリ・ボーイ (Walk Like a Man)」(1963年)、「悲しきラグ・ドール (Rag Doll)」(1964年)、「1963年12月 (あのすばらしき夜) (December, 1963 (Oh, What a Night)」(1975年)などがある。1967年、ヴァリのソロ「君の瞳に恋してる (Can't Take My Eyes Off You)」は第2位となった。1966年からソロでレコーディングしていた「You're Ready Now」はノーザン・ソウルとしてイギリスで驚異的にヒットし、1970年12月、イギリスのポップ・チャートで第11位となった。他にソロとして「瞳の面影 (My Eyes Adored You)」(1974年)、「Grease」(1978年)などが第1位となった。

フォー・シーズンズのオリジナル・メンバーであるヴァリ、トミー・デヴィートニック・マッシボブ・ゴーディオは、1990年にロックの殿堂[1]、1999年にヴォーカル・グループの殿堂[2]殿堂入りした。

生い立ち[編集]

ニュージャージー州ニューアークのファースト・ウォードでフランチェスコ・スティーブン・カステルチオ (Francesco Stephen Castelluccio)[3] として生まれた。理容師の父親はアンソニー・カステルチオ、専業主婦の母親はメアリー・リナルディ[4][5]。7歳の頃、母親に連れられニューヨークパラマウント・シアター英語版フランク・シナトラの公演を観て以来、歌手を志すようになった[6]。初期の頃のに目指していたのは女性歌手のテキサス・ジャン・ヴァリであり、後に時々スペルを変え最終的に彼女の姓を芸名に使うこととなる[5]。音楽業界で自立するまで理容師として働いた[6]

多くのセレブリティ同様、彼の生年については疑惑があった。2007年に彼が所属するユニバーサル・レコードによる彼の公式ホームページに掲載されるまで彼がこの問題について語ることはなかった[6]。それまでの公式プロフィールには1937年と書かれていた。若い観客にアピールするための措置であったと推測される。ベア・ファミリー・レコード出版『The Four Lovers 』 (BCD 15424)およびThe Smoking Gun で閲覧可能な1965年の顔写真[7]によると1934年生まれとなっている。

経歴[編集]

1950年代から1960年代[編集]

1951年、ニッキー・デヴィート、トミー・デヴィート、ニック・マシオシで結成されたバラエティ・トリオと共にプロとしての活動を開始した。ヴァリの歌を聴いた彼らがヴァリを自分達のグループに参加を要請したのである。1952年後期、バラエティ・トリオは解散し、ヴァリとトミー・デヴィートはニュージャージー州ニューブランズウィックにあるザ・スタンドの座付きバンドの一員となった。ここでヴァリはベースと歌を担当した。1953年、フランキー・ヴァレイとして1枚目のシングル『My Mother's Eyes 』を発表した。以降、好みの女性歌手テキサス・ジャン・ヴァリの姓を様々に変えて使用した。この頃ヴァリとトミー・デヴィートはザ・スタンドの座付きバンドを辞め、ハンク・メジャースキ、フランク・カトゥーン、ビリー・トンプソンと共にバリエイトーンズを結成した。1956年、女性歌手のバック演奏のオーディションでニューヨークのレコード会社のピーター・ポールの目に留まり、1週間後RCAレコードのオーディションを受けることとなった。フォー・ラヴァーズと名を変え、何枚かのシングルとアルバム1枚分の楽曲をレコーディングした。1956年、『You're the Apple of My Eye 』を発表し、そこそこのヒットで終わった。1958年、ニッキー・デヴィートとハンク・メジャースキが脱退し、ニック・マシオシ(現ニック・マッシ)とヒュー・ギャリティが参加した。マッシはバンドを出たり入ったりしており、時々チャーリー・カレロがアコーディオン奏者として参加した。1959年、ボブ・ゴーディオがメンバーとなった。いくつかの変遷を経て、1960年、「フォー・シーズンズ」と改名した[8][9][10][11]

フォー・シーズンズのリード・シンガーとして、1962年の『シェリー』を始めとして次々とヒット曲を生み出した。この頃のフォー・シーズンズは1965年、ベース奏者で編曲者のニック・マッシが脱退し、その代わりにチャーリー・カレロが参加し、その直後さらにジョセフ・ラブラチオ(芸名ジョー・ロング)に交代することとなった。

1960年代、ゴーディオと当時作曲仲間でプロデューサーのボブ・クリュー(1931年11月12日生まれ、出生名スタンリー・ロバート・クリュー)はヴァリのソロの曲を作曲した。当時有名バンドの歌手がバンドと別でソロ活動をすることはロック/ポップ界では珍しく(ザ・クリケッツバディ・ホリーは例外)他のバンドにも影響を与えた。バンドとソロの双方でチャート上位に入る可能性は高く、ヴァリ、ゴーディオ、クリューは演奏面でも商業的にも成功した。声の調子までコピーしたとされる、イングランドで活動するアメリカ人バンドであるザ・ウォーカー・ブラザーズが演奏した『太陽はもう輝かない(The Sun Ain't Gonna Shine (Anymore) )』は元々ゴーディオ&クリューの作曲でヴァリが歌った楽曲である。ウォーカー・ブラザーズ版は大ヒットを遂げた。ヴァリはソロ活動も継続し、『君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off You )』で遂に大ヒットを記録した。チャートでは第2位にしかならなかったが、後に広く多くのアーティストにカヴァーされるようになった。

ヴァリのソロ・デビュー・アルバムは多くのシングル曲と数枚の新曲で構成された。2枚目のアルバム発表前の1967年7月に発表したシングル『I Make A Fool Of Myself 』は第18位となった。2枚目のソロ・アルバム『Timeless 』はより明快で、ヴァリはじっくりとレコーディングに臨んだ。このアルバムの収録曲『To Give (The Reason I Live) 』は第40位以内にランクインした。

ソロとフォー・シーズンズが5曲ずつ収録したアルバム『Half & Half 』が1960年代最後の作品となった。このアルバムからのヒット曲は『The Girl I'll Never Know (Angels Never Fly This Low) 』が第52位となったのみである。

1970年代から現在[編集]

1966年にソロでレコーディングを行なった『You're Ready Now 』がイギリスでノーザン・ソウルとして驚異的ヒットとなり、1970年12月、イギリスのチャートで第11位となった。

1975年、ヴァリのシングル『瞳の面影(My Eyes Adored You )』が『ビルボード』誌のHot 100で第1位となった。同年、ディスコ調の『Swearin' to God 』が第6位となり、ガイ・フレッチャーとダグ・フレット作曲でボブ・ゴーディオによるプロデュースの『Fallen Angel 』がイギリスのチャートでヒットした。当時、イギリスのチャートではフォー・シーズンズでヴァリがリード・ヴォーカルでない『Silver Star 』も同時にヒットしていた。

1976年、ヴァリは音楽ドキュメンタリー『All This and World War II 』の中でビートルズの『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』をカヴァーした。

1978年、ヴァリは人気舞台の映画化『グリース』の主題歌ビージーズバリー・ギブ作曲の『Grease 』を歌い、第1位となった。さらに1978年11月、『Save Me, Save Me 』が『ビルボード』誌のイージー・リスニング・チャートに、1979年1月、『Fancy Dancer 』がポップ・チャートにランクインした[5]

1970年代、ヴァリは耳硬化症に悩まされ、1970年代後期は耳ではなく記憶を頼りに歌っていた。1980年、手術によりほぼ完治した[12]

1992年、フォー・シーズンズのアルバム『Hope and Glory 』が発表された。

2005年、ブロードウェイミュージカルジャージー・ボーイズ』が開幕した。フランキー・ヴァリとフォー・シーズンズのヒット曲が多用され、フォー・シーズンズのメンバーであるトミー・デヴィート、フランキー・ヴァリ、ニック・マッシ、ボブ・ゴーディオの4人がそれぞれの視点から語る伝記的物語である。1980年に亡くなったヴァリの娘など、ヴァリの人生に実際に起こった出来事が描かれている。この作品は広く評価され、商業的にも成功し、トニー賞6部門を受賞しただけでなく、2014年にクリント・イーストウッド監督により映画化されている。パリス・ラスベガスおよび世界中でツアー公演が行なわれている。

2007年10月、1960年代の彼の好きな曲のカヴァーおよび当時録音した『Sunny 』と『Any Day Now 』の2曲を収録したアルバム『Romancing the 60s 』を発表した[6]

2010年10月、ジュース・ニュートンのアルバム『Duets: Friends & Memories 』の収録曲『The Biggest Part of Me 』をデュエットした。

2012年10月19日より1週間、ブロードウェイでコンサートを行ない、これにより実質的にブロードウェイ・デビューとなった[3][13]

俳優業[編集]

HBOの『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』のシーズン5および6でマフィアのラスティ・ミリオ役(マンチキン・ランドの市長と語ったこともある)で出演した。この番組では『Big Girls Don't Cry 』のエピソードなどでヴァリやフォー・シーズンズの曲が何度か使用された。

また『フルハウス』シーズン8の『DJ's Choice 』のエピソードでスペシャル・ゲストとして本人役で出演した。

慈善活動[編集]

National Italian American Foundation (NIAF)などの慈善活動を行なっている。2006年、NIAFの創立記念ガラでNIAF特別功労賞を受賞した。2008年、NIAFは東海岸ガラで彼の名を冠した奨学金をイタリア系アメリカ人音楽学生に授与した。

2012年5月、彼の多くの人道的活動によりEllis Island Medal of Honor を受賞した[14]

ディスコグラフィ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Rock and Roll Hall of Fame entry for "The Four Seasons"
  2. ^ Vocal Group Hall of Fame entry Archived 2007年10月24日, at the Wayback Machine. for "The Four Seasons"
  3. ^ a b “Frankie Valli On Hair Products And Finding His Falsetto”. National Public Radio Weekend Edition Saturday (NPR.org). (2012年9月29日). http://www.npr.org/2012/09/29/161979742/frankie-valli-on-hair-products-and-finding-his-falsetto 2012年9月30日閲覧。 
  4. ^ “Frankie Valli's town Newark honors pop singer as favorite son”. The Record. (1987年10月29日) 
  5. ^ a b c Ruhlmann, William. “Frankie Valli biography”. Allmusic. 2015年6月23日閲覧。
  6. ^ a b c d Biography”. Official Frankie Valli Site. 2010年1月26日閲覧。
  7. ^ Frankie Valli mug shot”. The Smoking Gun. 2013年10月6日閲覧。
  8. ^ Walter Gollender, "The Four Lovers," Bim Bam Boom No. 8, December 1972
  9. ^ Ed Engel, "Frankie Valli & The Four Seasons," Time Barrier No. 23, August 1977
  10. ^ Rex Woodard, "Four Lovers," Goldmine No. 73, June 1982
  11. ^ Peter Grendysa, The Four Lovers, liner notes, "The Four Lovers", Bear Family Records BCD-15424, 1989
  12. ^ Fred Bronson, The Billboard Book of Number One Hits (3rd edition), Billboard Books 1992. ISBN 0-8230-8298-9
  13. ^ Gardner, Elysa (2012年10月19日). “50 years on, a Jersey Boy arrives on Broadway”. USA Today. 2013年5月17日閲覧。
  14. ^ 2012 Ellis Island Medal of Honor Recipients”. National Ethnic Coalition. 2012年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月14日閲覧。

外部リンク[編集]