ドナルド・フェイゲン

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ドナルド・フェイゲン
Donald Fagen
Steely Dan With The Doobie Brothers - The O2 - Sunday 29th October 2017 SteelyDanO2291017-22 (38016655002).jpg
スティーリー・ダン - ロンドン公演(2017年10月)
基本情報
出生名 Donald Jay Fagen
生誕 (1948-01-10) 1948年1月10日(71歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州パサイク郡
学歴 バード大学
ジャンル ロック
ジャズ・ロック
AOR
職業 ミュージシャンシンガーソングライターキーボーディスト
担当楽器 ボーカルキーボード
活動期間 1971年 - 現在
レーベル ワーナー・ブラザース・レコード
リプリーズ・レコード
共同作業者 スティーリー・ダン
ウォルター・ベッカー
公式サイト donaldfagen.com

ドナルド・ジェイ・フェイゲン(Donald Jay Fagen、1948年1月10日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャンシンガーソングライターキーボーディスト

ジャズ・ロックバンドスティーリー・ダン」の創設者として知られる。

来歴[編集]

フェイゲンとウォルター・ベッカーは、1971年にグループを結成した。彼らはバンドの中核を構成し、共同で曲を作曲した。ツアーやレコーディングではフェイゲンはキーボード演奏を担当し、またレコーディング曲ほぼ全てのリードボーカルも担当している。

歯切れの良いコード進行や印象的なコード転調などが彼の楽曲の主な特徴である。

1974年に3番目のアルバムを発表した後ほかのメンバーはバンドを離脱し、スティーリー・ダンはフェイゲンとベッカーが率いるスタジオプロジェクトに変化し、以降アメリカのジャズ、ロックのスタジオミュージシャンの精鋭を集めてレコーディングするのが主要な活動となる。1977年にはアルバム『彩(エイジャ) Aja』がプラチナディスクに選ばれるという大成功を収めた。

1981年にスティーリー・ダンが解散した後、フェイゲンは初のソロ・アルバム『ナイトフライ The Nightfly 』(1982年)を発表、スティーリー・ダン時代の作品に勝るとも劣らない評価を得た。なおこの作品は、日本のレコーディング・エンジニアやPA/SRエンジニア達が調整用に使用する"リファレンス・ディスク"として愛用する者も未だに多い[要出典]。フェイゲンは短期間『プレミア英語版』誌に寄稿したことがあり、ヘンリー・マンシーニエンニオ・モリコーネの機知に富んだ作品などについて論評している。1980年代、フェイゲンは映画や多くの他のアーティストのための作曲や、ニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビュー英語版に参加してのツアー活動などを行った(彼はニューヨーク・ロック・アンド・ソウル・レビューのプロデューサーであったリビー・タイタス英語版と1993年に結婚している)。フェイゲンのソロ・アルバム第2作『カマキリアド Kamakiriad』(1993年)はベッカーによってプロデュースされた。これがきっかけで彼らの作曲チームとしての再結成と、スティーリー・ダンとしての新たなツアー活動の創造が実現した。翌年にはフェイゲンはベッカーのソロ・デビュー作品『11の心象 11 Tracks of Whack』を共同でプロデュースしている。

この2人組によってスティーリー・ダンは新たな体系でより確固としたものとなり、スティーリー・ダンとしての新しい2つのアルバム『トゥー・アゲインスト・ネイチャー Two Against Nature』(2000年)と『エヴリシング・マスト・ゴー Everything Must Go』(2003年)やライブCD「アライヴ・イン・アメリカ Alive in America」、ライブコンサートDVDなどをリリースした。フェイゲンは2006年に3作目のソロ・アルバム『モーフ・ザ・キャット Morph the Cat』を、2012年10月には4作目のソロ・アルバム『サンケン・コンドズ Sunken Condos』をリリースしている。

2017年9月、同僚ウォルター・ベッカーが死去[1]。フェイゲンはスティーリー・ダンを継続し、以降も精力的に活動している[2]

ディスコグラフィ[編集]

著書[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]