フォリナー

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フォリナー
Foreigner
2016 Lieder am See - Foreigner - by 2eight - DSC4789.jpg
ドイツ・ニュルンベルク公演 (2016年8月)
基本情報
別名 Trigger (1976年)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州 ニューヨーク
ジャンル ロック
ハードロック
アメリカン・プログレ・ハード
ポップ・ロック
AOR
活動期間 1976年 - 現在
レーベル アトランティック・レコード
アリスタ・レコード
ライノ・エンタテインメント
Ear Music
公式サイト http://www.foreigneronline.com
メンバー ケリー・ハンセン (Vo)
ミック・ジョーンズ (G/Key)
トム・ギンベル (G/Sax)
ジェフ・ピルソン (B)
ブルース・ワトソン (G)
マイケル・ブルースタイン (Key)
クリス・フレイザー (Ds)
旧メンバー ルー・グラム (Vo)
イアン・マクドナルド (G/Key)
デニス・エリオット (Ds)
ほか別記参照

フォリナー (Foreigner) は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

1980年代の米国型産業ロックスタイル「スタジアム・ロック」で多大な成功を収めた先駆的バンドの一つ。アルバム総セールスは8000万枚以上を記録し、実力派シンガー ルー・グラムを輩出した事でも知られる。

概要[編集]

バンドのロゴ

[1] バンド名「フォリナー(=外国人)」は、英米が混在するメンバー構成を由来とする。活動初期はハードロックアメリカン・プログレ・ハードの範疇にあり、ルー・グラムの叙情的なヴォーカルを武器にデビュー当初から大きな成功を収めた。

1970年代末から、徐々にキーボードを前面に押し出したAOR的サウンドに変化していき、バラード曲を主体に更なる支持を得る。特に1980年代の音楽市場で莫大な利益を上げた。その巨大セールスの商業主義的手法が、スタジアム・ロック(産業ロック)の成功例として挙げられることも多く、「ミドル・オブ・ザ・ロックンロール」とも形容された。

略歴[編集]

創設メンバー(左)アル・グリーンウッドと(右)イアン・マクドナルド (2009年)

1970年代〜スーパーグループ誕生[編集]

[2] 1976年ニューヨークにて、「レスリー・ウェスト・バンド」で活動していたミック・ジョーンズ(元スプーキー・トゥース)や元「キング・クリムゾン」のイアン・マクドナルドが、セッション仲間のデニス・エリオット(元イフ)に、ルー・グラム(元Black Sheep)、アル・グリーンウッド(元Storm)、エド・ガリアルディのアメリカ人達と意気投合し発足した。

ロックバンド「Trigger」という暫定のバンド名でデモテープを各社に持ち込み、大手レーベル「アトランティック・レコード」と契約。名を「フォリナー」と改めデビューする。それぞれ名の通ったバンド・ミュージシャンが集った経緯から「スーパーグループ」の誕生と話題になった。

1977年、1stアルバム『Foreigner (邦題:栄光の旅立ち)』を発表。全米チャート4位を記録し400万枚を突破、デビュー作から早くも成功を手にする。

1978年リリースの2ndアルバム『ダブル・ヴィジョン』が前作を上回る500万枚に達して全米チャート3位を記録し、シングルカットした表題曲「Double Vision」が全米2位に上昇。同年に早くも初来日公演が実現する。

1979年、音楽性の相違からエドが脱退してリック・ウィルス(元スモール・フェイセス)に交代。3rdアルバム『ヘッド・ゲームス』は全米チャート5位を記録し、300万枚の安定したセールスを維持した。

1980年代〜隆盛期[編集]

若き日のルー・グラム (1979年)

1980年、次作の制作を開始する中、ミック・ジョーンズとルー・グラムの主導権が強くなり、不満を持ったイアン・マクドナルドやアル・グリーンウッドと対立。結局イアンとアルが脱退し、残る4人編成で活動を継続する[3]

1981年、発表した4thアルバム『4』が1500万枚以上の空前なヒットとなり、全米チャートで10週連続1位を記録。翌年のアルバム年間チャートでは第3位を記録した。シングル「ガール・ライク・ユー」も全米チャート10週連続2位を記録。翌1982年に初のコンピレーション作品『Records (邦題:ベスト・オブ・フォリナー)』をリリース。

1984年、5thアルバム『Agent Provocateur (邦題:プロヴォカトゥール)』をリリースし、翌1985年にシングル「アイ・ウォナ・ノウ」が初の全米シングルチャート1位(2週連続)を獲得、年間チャートでも第4位を記録する。しかしこの時期をピークに、バラード曲スタイルのマンネリ化も進んでいた。ルーはバンドの今後を危惧するようになる。

1987年、6thアルバム『インサイド・インフォメーション』を発表した頃には、バラード路線を維持したいミックと反対するルーとの確執が表面化する。

1990年代〜ルー・グラム脱退[編集]

3年後の1990年、ルーが正式に脱退し、代わりにジョニー・エドワーズ(Vo)が加入。翌1991年に心機一転の7thアルバム『アンユージュアル・ヒート』を発表するが、全米チャート100位以下の惨敗に終わる。

1992年、今度はオリジナルメンバー デニス・エリオットやリック・ウィルスら主力が脱退。そこでミックはルーと関係を改善してバンドに呼び戻し、新たに編成を組み直す。

1994年、8thアルバム『Mr.ムーンライト』を発表。ここから暫くオリジナルアルバムのリリースが途絶える。

1997年、ルーが脳腫瘍を患い活動が停滞する。手術を施して翌年に復帰するが、投薬やリハビリの影響もありパフォーマンスは芳しくなかった。

2000年代に入り、ようやくルーの体調が回復して活動が活発化し、2002年にはデビュー25周年に関連した多くの企画を実施した。そしてここを区切りに、翌年ルーが再び脱退する。これでオリジナルメンバーはミックだけとなった。

2000年代以降〜ミック・ジョーンズ主導体制[編集]

2009年のグループショット

2004年から2005年にかけ、大幅なメンバーチェンジを実行する。新ボーカリストにケリー・ハンセン(元ハリケーン)が就任。ジェイソン・ボーナム(Ds)やジェフ・ピルソン(元ドッケン)といった著名なミュージシャンが加入した。そしてデビュー30周年に向け大々的なライブを企画。翌2006年にライブ作品『Extended Versions』として発表した。

2007年、14年ぶりの来日公演を開催。

2009年、15年ぶりの9thアルバム『キャント・スロー・ダウン』をリリース。久々に全米チャートTOP30入りを果たした。以降はライブを主軸とした活動にシフトしていく。

2011年、ブルース・ワトソン(G)が加入し、この時点で7人編成の大所帯となる。翌2012年、ミックが心臓のバイパス手術を受けた[4]

2013年、『ソングライターの殿堂』授賞式にて、殿堂入りしたミックとルーが10年ぶりに共演[5]

ドイツ・ヴァッケン公演 (2016年8月)

2014年、オリジナルメンバー エド・ガリアルディが死去[6]。同年、かつて大ヒットした4thアルバム『4』を完全再現したライブ作品『The Best of 4 & More』をリリースする[7]

2016年、デビュー40周年を記念し、全40曲入りコンピレーション作品『40』をリリース[8]。またこの年、多くのライブフェスに参加した。

2017年、結成40周年を記念した夏のスペシャル・ツアーに、クラシックメンバーが参加の意向を示す[9]

メンバー[編集]

現ラインナップ[編集]

旧メンバー[編集]

  • イアン・マクドナルド Ian McDonald - ギター/キーボード/サクソフォーン (1976–1980) 元キング・クリムゾン
  • ルー・グラム Lou Gramm - ボーカル (1976-1990, 1992-2003)
  • エド・ガリアルディ Ed Gagliardi - ベース (1976-1979) RIP.2014
  • アル・グリーンウッド Al Greenwood - キーボード (1976-1980)
  • デニス・エリオット Dennis Elliott - ドラムス (1976-1992) 元イフ
  • リック・ウィルス Rick Wills - ベース (1979-1992) 元スモール・フェイセス
  • ジョニー・エドワーズ Johnny Edwards - ボーカル/リズムギター (1990-1992)
  • ジェフ・ジェイコブス Jeff Jacobs - キーボード (1991-2007)
  • ブルース・ターゴン Bruce Turgon - ベース (1992-2003)
  • マーク・シュルマン Mark Schulman - ドラムス (1992-1995, 2000-2002, 2011-2012)
  • スコット・ジルマン Scott Gilman - リズムギター/サクソフォーン (1993-1995)
  • ロン・ウィクソ Ron Wikso - ドラムス (1995-1998)
  • ブライアン・ティシー Brian Tichy - ドラムス (1998-2000, 2007-2012)
  • デニー・カーマッシ Denny Carmassi - ドラムス (2002-2003)
  • チャズ・ウェスト Chas West - ボーカル (2004-2005)
  • ジェイソン・ボーナム - ドラムス (2004-2008)
  • ポール・ミロービック Paul Mirkovich - キーボード (2007-2008)
  • ブライアン・ヘッド Bryan Head - ドラムス (2008)
  • ジェイソン・サター Jason Sutter - ドラムス (2010-2011)

ディスコグラフィ[編集]

スタジオアルバム
ライブアルバム
ほか
コンピレーション
ほか
シングル
同年年間チャート第4位。バンド唯一の全米No.1シングル。

日本公演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Foreigner プロフィール - ワーナーミュージック・ジャパン
  2. ^ Foreigner バイオグラフィ - BARKS
  3. ^ インタビュー補足
    あの時期はあまりにも忙しかった。だけどハッキリと覚えているのはエレクトリック・レディ・スタジオでフォリナーが『4』を製作していた事だ。僕らが『プライベート・アイズ』を製作したのと同時に彼らも製作をスタートさせていたんだ。ところが製作中にイアンとアルだけがスタジオに来て、2人が帰ると他の4人がやって来てアルバムを製作という事が繰り返された。そのうちイアンとアルはスタジオに来なくなった。まあ脱退したって事は後で知ったけどね…。それから僕らがアルバムを仕上げ、1年間のツアーに出て、次のアルバム『H2O』を製作する為にスタジオに戻って来てみると彼らはまだスタジオでアルバムを製作していたんだよ(笑)。それから僕らが『H2O』を仕上げてロードに出ても、まだ『4』を製作していたね。結局、彼らの方が僕らの約15倍ものレコードを売り上げる事になったけど — ダリル・ホール
  4. ^ フォリナーのミック・ジョーンズ、心臓のバイパス手術を受ける。順調に回復 - amass
  5. ^ フォリナーのミック・ジョーンズとルー・グラムが10年ぶりの共演パフォーマンスを披露 - amass
  6. ^ フォリナーのオリジナル・メンバー、エド・ガリアルディが死去 - amass
  7. ^ フォリナー 81年作『4』楽曲を現在の編成で再現したライヴ・アルバム『The Best Of Foreigner 4 & More』を発売 - amass
  8. ^ フォリナーが40周年を記念したベスト・アルバム『40』をリリース、新曲2曲も収めた全40曲入り - amass
  9. ^ ルー・グラム、フォリナーのツアー参加を認める - BARKS

外部リンク[編集]