ダイアナ・ロス

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ダイアナ・ロス
Nobel Peace Prize Concert 2008 Diana Ross1.jpg
2008年12月、オスロノーベル平和賞コンサートでパフォーマンスするダイアナ・ロス(写真:Harry Wad)
基本情報
出生名 Diane Earle
出生 1944年3月26日(71歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
ジャンル R&Bソウルポップディスコジャズ
職業 歌手音楽プロデューサー女優
活動期間 1959年 - 現在
レーベル Lu Pine Records、モータウンRCAレコード
共同作業者 スプリームスマーヴィン・ゲイジャクソン5マイケル・ジャクソンライオネル・リッチーシックフリオ・イグレシアステンプテーションズ

ダイアナ・ロスDiana Ross、Diane Ernestine Earle Ross、1944年3月26日 - )は、アメリカ合衆国の歌手。アメリカで最も成功した黒人女性歌手の一人であり、ブラックミュージック界の大御所である。

略歴[編集]

1959年-1970年、シュープリームス[編集]

ミシガン州デトロイト出身。ハイスクール時代の1959年に、女性4人組のコーラス・グループ、プリメッツを結成。プリメッツは、1961年モータウンと契約、3人組となってシュープリームスとしてデビュー。

ダイアナは、シュープリームスのリードシンガーとして『ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ』『恋はあせらず(You Can't Hurry Love)』『キープ・ミー・ハンギン・オン』『恋ははかなく』など、数々のヒット曲を放ち、トップスターの仲間入りを果たす。ほとんどのヒット曲は、モータウンの看板作曲家チームのホーランド=ドジャー=ホーランドの作品である。元々、ダイアナ一人が目立っていたスプリームスだったが、1967年にはメンバーチェンジを機に、ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスと正式にグループ名が変わった。

1970年-1981年、ソロ活動開始[編集]

スプリームスの人気が一段落した1970年に、ダイアナはグループを脱退。ソロ歌手として活動を始める。ソロ転向後も、同年リリースの『エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ』を皮切りに、『タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング』『マホガニーのテーマ(Theme From 'Mahogany'(Do You Know Where You're Going To))』(日本では、ネスカフェのCM曲としても有名)などの全米1位ヒットを放ち、スーパースターとしての地位を確立した。

1972年-1999年、映画出演[編集]

1971年ビリー・ホリデイの伝記映画『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』に主演として起用され映画女優デビューした。この配役に関して批判もあったが、1972年10月に映画が公開されるとその演技は批評家の称賛を得た。ジャズ評論家でホリデイの友人であるレナード・フェザーは「レディ・デイ(ホリデイの愛称)のエッセンスを的確に表現している」と称賛した。ロスの演技によりゴールデングローブ賞およびアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞新人賞を獲得した。サウンドトラックもヒットし、Billboard 200で2週連続第1位を獲得し、発売後8日間で30万枚を出荷し当時の記録を破った。200万枚近くを売り上げ、ロスのアルバムのベストセラーの1つとなった。

1976年8月

1975年に公開された、ロスの2本目の映画『マホガニー物語』でも主演を務めた。前作で共演したビリー・ディー・ウィリアムズと再共演し、ロス自身が衣裳デザインを担当した。ファッション・デザイナーを志望する女性がトラブルに巻き込まれながらランウェイ・モデルとなり業界最高峰となる話であった。監督は当初トニー・リチャードソンであったが製作途中で降板し、ベリー・ゴーディが引き継いだ。ゴーディとロスは撮影の最中衝突し、ロスは撮影終了前にプロダクションから離脱したためゴーディは秘書のエドナ・アンダーソンをボディ・ダブルに起用した。興行収入の上では成功したが批評家からの評価は低く、『タイム』誌はゴーディを「アメリカで最も才能のある者の1人であるダイアナ・ロスの無駄遣い」と非難した[1]。1976年、『ビルボード』誌のランキングでロスが歌う主題歌が第1位を獲得した。

1977年、モータウンはライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』を全員アフリカ系アメリカ人出演者によりブロードウェイで上演していた『ザ・ウィズ』の映画化権を獲得した。当初映画には舞台出演者が多く出演することになっていた。しかしドロシー役は舞台版ではステファニー・ミルズが演じていたが、ロスが映画プロデューサーのロブ・コーエンに自分を配役するよう掛け合ったためにドロシー役はロスが配役された。このためドロシーは学生から学校の先生に脚本が変更された。カカシ役も舞台で演じた役者ではなく元モータウンのマイケル・ジャクソンが配役された。映画『ウィズ』は2,400万ドルで製作されたが、1978年10月公開以降興行収入は2,105万ドルであった[2][3][4]。公開前にCBSにテレビ放映権を1千万ドルで売却していたが、モータウンとユニバーサルは1,040万ドルの損失となった[3][4]。当時ミュージカル映画で最も高額な製作費であった[5]。この映画の失敗により、ロスの大作映画での短いキャリアは終了し、1970年代初頭から中期にかけてのブラックスプロイテーション時代に人気のあった全員黒人出演者による映画製作はハリウッドから遠のいていった[6][7][8]。『ウィズ』はロスにとってモータウンで最後の映画となった。

ロスは映画のテーマ曲で成功をおさめている。1973年初頭、ホリデイの『Good Morning Heartache 』のロス版はあまりヒットしなかったが、1975年後期、『Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To) 』はロスにとって3枚目の第1位となった。3年後、ロスとマイケル・ジャクソンの『Ease on Down the Road 』はまずまずのヒットとなった。彼らの2枚目のデュエットで『ウィズ』のアンサンブルの一部であった『Brand New Day 』は海外でもヒットした。1980年後期、映画『It's My Turn 』のテーマ曲がトップ10にランクインした。1981年、元コモドアーズシンガーソングライターであるライオネル・リッチーと映画『エンドレス・ラブ』のテーマ曲をコラボレートした。テーマ曲『エンドレス・ラブ』はアカデミー賞主題歌賞にノミネートされ、モータウン・レコード最後のヒット曲となり、年間第1位の曲となった。1988年、ロスは『リトルフット』のテーマ曲をレコーディングした。テーマ曲『If We Hold on Together 』は世界的なヒットとなり、日本では第1位を獲得した。

1993年、テレビ映画『Out of Darkness 』に出演し、女優業を再開した。この演技は称賛され、ゴールデングローブ賞3回目のノミネートとなった。1999年、ブランディと共にテレビ映画『Double Platinum 』に主演し、その直後にアルバム『Every Day Is a New Day 』がリリースされた。

1981年-1999年、ソロ活動の発展[編集]

1980年の『アップサイド・ダウン』では、ナイル・ロジャースのプロデュースによるディスコ・サウンドとセクシーなイメージ戦略で新境地を開いた。翌1981年には、ライオネル・リッチーとのデュエット曲『エンドレス・ラブ』が全米1位を記録。現在も、デュエット・バラードの定番となっている。

1984年に不慮の死を遂げたマーヴィン・ゲイ1973年にデュエット作をリリース)に捧げた『ミッシング・ユー』の後は、アメリカではヒットに恵まれていないが、イギリスでは引き続き安定した人気を誇っていたほか、日本でも1990年に『イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー』がテレビドラマ『想い出にかわるまで』の主題歌や、いすゞ自動車「BIGHORN」、『とんねるずのみなさんのおかげです』の挿入歌として起用され、洋楽では異例のヒットを記録している。

1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリード・ボーカルを採った。

1990年代以降は、公私に渡るトラブルもあり第一線からは退いているが、ポピュラー音楽界の偉人であることから、記念イベントなどで時折顔を見せている。

2000年以降[編集]

2000年には、ニューヨークマディソン・スクウェア・ガーデンで行われた「ディーヴァズ・ライヴ“ダイアナ・ロス・トリビュート”」に、マライア・キャリードナ・サマーらと共に出演し、2005年にはアイルランドのアイドルグループ、ウェストライフがダイアナとのデュエット曲をリリース、久々の現場復帰を果たした。

また、幼い頃から親交が深いマイケル・ジャクソンの、遺言書にマイケルの子供達の後見人であるマイケルの母キャサリン亡き後の後見人に指名されているが、マイケルの追悼式や埋葬式には出席しておらず、これを受けるかに関しても公に発言していない。

2014年1月に息子で歌手のエヴァン・ロスアシュリー・シンプソンと婚約、8月に挙式。2015年に女児が誕生[9]

ナンバーワン・ヒッツ[編集]

ダイアナはシュープリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のビルボード1位のヒットを放っている。これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。

シュープリームス時代[編集]

  • Where Did Our Love Go (1964)
  • Baby Love (1964)
  • Come See About Me (1964)
  • Stop! In the Name of Love (1965)
  • Back in My Arms Again (1965)
  • I Hear a Symphony (1965)
  • You Can't Hurry Love (1966)
  • You Keep Me Hangin' On (1966)
  • Love is Here and Now You're Gone (1967)
  • The Happening (1967)
  • Love Child (1968)
  • Someday We'll Be Together (1969)

ソロ[編集]

  • Ain't No Mountain High Enough (1970)
  • Touch Me in the Morning (1973)
  • Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To) (1975)
  • Love Hangover (1976)
  • Upside Down (1980)
  • Endless Love (1981)

日本公演[編集]

出演映画[編集]

影響を受けたアーティスト[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Posner, Gerald. Motown : Music, Money, Sex, and Power, pg. 286.
  2. ^ Sharp, Kathleen (2003). Mr. and Mrs. Hollywood: Edie and Lew Wasserman and Their Entertainment Empire. Carroll & Graf Publishers. pp. 357–358. ISBN 0-7867-1220-1. 
  3. ^ a b Harpole, Charles (2003). History of the American Cinema. Simon and Schuster. pp. 64, 65, 219, 220, 290. ISBN 0-684-80463-8. 
  4. ^ a b Adrahtas, Thomas (2006). A Lifetime to Get Here: Diana Ross: The American Dreamgirl. AuthorHouse. pp. 163–167. ISBN 1-4259-7140-7. 
  5. ^ Skow, John (1978年10月30日). “Nowhere Over the Rainbow”. TIME (Time Warner). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,912236,00.html 2007年11月6日閲覧。 
  6. ^ Moon, Spencer; George Hill (1997). Reel Black Talk: A Sourcebook of 50 American Filmmakers. Greenwood Press. xii. ISBN 0-313-29830-0. 
  7. ^ Benshoff, Harry M.; Sean Griffin (2004). America on Film: Representing Race, Class, Gender, and Sexuality at the Movies. Blackwell Publishing. p. 88. ISBN 0-631-22583-8. 
  8. ^ George, Nelson (1985). Where Did Our Love Go? The Rise and Fall of the Motown Sound. St. Martin's Press. p. 193. 
  9. ^ アシュリー・シンプソン、エヴァン・ロスとの間に女児を出産”. T-SITE (2015年8月1日). 2015年8月4日閲覧。

外部リンク[編集]