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ジェーン・フォンダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Janeジェーン Fondaフォンダ
Jane(ジェーン) Fonda(フォンダ)
キネマ旬報』1965年10月増刊号より。
本名 Jayne Seymour Fonda
生年月日 (1937-12-21) 1937年12月21日(86歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
職業
ジャンル
活動期間 1960年 -
配偶者
著名な家族
主な作品

映画


テレビドラマ

受賞
アカデミー賞
カンヌ国際映画祭
ヴェネツィア国際映画祭
全米映画批評家協会賞
主演女優賞
1971年『コールガール』
ニューヨーク映画批評家協会賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞
放送映画批評家協会賞
AFI賞
生涯功労賞
2014年
英国アカデミー賞
主演女優賞
1977年『ジュリア』
1979年『チャイナ・シンドローム
エミー賞
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ部門)
1971年『コールガール』
1977年『ジュリア』
1978年『帰郷』
有望若手女優賞
1961年『のっぽ物語』
セシル・B・デミル賞
2020年
その他の賞
備考
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
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ジェーン・フォンダ(英語: Jane Fonda、本名:ジェーン・セイモア・フォンダ[1]、1937年12月21日 - )は、アメリカ合衆国出身の女優、作家、政治活動家。父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダ、姪のブリジット・フォンダも俳優である。これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している[2][3]

経歴

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女優になる前はヴァッサー大学で絵画を学び、パリに滞在したこともある。大学は中退し[4]ヴォーグのカバーを2度飾るなど、モデルとして活躍した[5]。その後、リー・ストラスバーグのもとで演技を学ぶ[6]

1950年代後半より舞台に立ち、1960年に『のっぽ物語』で映画デビュー。これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している。

私生活では、1965年に映画監督ロジェ・ヴァディムと結婚したが、1973年に離婚。直後に社会政治活動家のトム・ヘイデン(Tom Hayden)と再婚する。1970年頃から1975年頃までベトナム戦争に対する反戦運動に傾倒し[7]、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた。ロジェ・ヴァディムとの間に1子、トム・ヘイデンとの間に2子があり、俳優として活躍中のトロイ・ギャリティはヘイデンとの間に生まれた長男。

1979年に原発事故を題材にした映画『チャイナ・シンドローム』に主演し、ジャック・レモンマイケル・ダグラスと共演した。この映画のセットで足首を骨折してバレエの練習が出来なくなり、代わりに始めたエクササイズが後年大ヒットする[8]

1982年からエアロビクスビデオJane Fonda Workout』シリーズを発表し、ベストセラーとなる。

1989年にヘイデンと離婚。1991年にCNNの創設者でケーブルテレビチャンネル・映画制作会社オーナーのテッド・ターナーと3度目の結婚をするも、2001年に離婚を迎えた。離婚の慰謝料は天文学的数字とされる。

1990年代後半に一度引退したが[9]、2005年に女優復帰した[10]

2018年、口唇にガンが発症したことを告白[11]

政治活動

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ベトナム戦争中のアメリカでは、「リベラル」系の作家や評論家などの文化人や俳優、歌手などの芸能人による反戦運動が盛んに行われていた。 フォンダも活動に加わるようになり、1970年には反戦を訴えるヒッピーのグループとともに軍の基地に侵入を試み逮捕されている[12]。また同年に行われたワシントン特別区で行われた反戦集会にも参加した。1971年にベトナム戦争復員軍人による反戦活動VVAW (ベトナム反戦帰還兵の会)の公聴会を支援し、資金集めのために全米各地で集会を開く[13]。共に運動を行った政治活動家のトム・ヘイデン[14]とは1973年に結婚している。

VVAWの活動には2004年に民主党から大統領選挙に出馬したジョン・ケリーも深く関わっており、後の大統領選で争点となった。この間、フォンダはビラ撒きや薬物所持の容疑で数回逮捕されている(薬物所持の罪状については後に取り下げられた)。1970年5月からFBI当局、CIA当局からの監視対象となり、最終的に2万ページにも及ぶジェーン・フォンダに関するファイルが作成された。

1972年7月にベトナム民主共和国を訪れた際、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた高射砲に座り、北ベトナム軍ヘルメットを被ってポーズをとった[15][16]。さらにハノイに抑留されているアメリカ兵士の戦時捕虜を「死刑にすべき」と発言した。

後にこの時の写真と記事は世界中に配信され、その後フォンダは「祖国への裏切り行為で自分の判断の誤りだった」と釈明したものの、「ハノイ・ジェーン(Hanoi Jane)」と呼ばれ、長年に渡りベトナム退役軍人とその家族を中心に「売国奴」、「裏切り者」として大きな批判を浴び続ける。

二度目の日本訪問だった1981年には、4月28日から5月10日までの2週間、プライベートの旅行を兼ねて日本に滞在[17]。『9時から5時まで』の日本での公開に合わせた宣伝キャンペーンを含めたものだったが、1971年の初来日の際にはベトナム反戦劇団を率いての来日で、羽田入国許可が降りず[17]、3日間空港で押えられた前科があり、招いた20世紀フォックスも「反原発」発言を恐れ、神経を尖らせた[17]。会見やインタビューでは必ず「あなたの生き方は我々の理想、憧れです。何か日本の女性にアドバイスを」と聞かれ、その度に当惑し「それぞれの立場や経験がみな違うでしょう。私が具体的な助言をするのはかえって失礼ではありませんか」などと諭した[17]。当時の夫・トム・ヘイデンが反原発・代替エネルギー開発推進の運動家だったことから、京都府を観光した後、1981年5月5日に香川県三豊郡仁尾町(当時)の「仁尾太陽博」会場を訪れ、世界初の太陽熱発電所を見学[17]。翌5月6日には広島県広島市平和記念公園を親子3人で訪れ、原爆資料館を見学し、慰霊碑で黙とうした[17]。ヘイデンは「この息子(トロイ・ギャリティ、当時7歳)に人類最大の過ちを見せる」と、ジェーンは「すぐには理解できないかもしれないけれど、この体験は将来きっとためになると思う」と話した[17]

1988年にはバーバラ・ウォルターズのインタビュー番組で反省の弁を再び述べたが、退役軍人の怒りは収まらず、2005年4月には自叙伝のサイン会で退役軍人から唾を吐きつけられた。

2019年10月・11月、ワシントン特別区において気候変動政策についてデモ禁止の連邦議会前で政府に抗議中、逮捕された。

2019年には、連邦議事堂周辺で毎週金曜日に行われている気候変動問題を訴えるデモに参加。10月11日、10月18日、10月25日、11月1日と毎週逮捕されることとなった[18]

父親との確執

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幼い頃、実母が父ヘンリー・フォンダの浮気を苦にして自殺したと知って以来、父との確執が始まった。父はその後も別の女性との再婚・離婚を繰り返した。ジェーンはことごとくヘンリーに背き、ヴァディムとの結婚も父に知らせないままだった。和解したのは、フランスから帰国してからだという。「フランス行きが私を自立させたのです。私は父を克服しました」とのちに語っている。

アカデミー賞と無縁だったヘンリーがアカデミー特別功労賞を受賞した際、ヘンリーは「私の人生の一番のハイライトです」と語ったものの、父の本当の胸の内は「現役俳優として主演男優賞が欲しい」と願っていたことをジェーンは知っていた。ブロードウェイで人気を博した家庭劇の佳作『黄昏』の映画化権をジェーンは買い取り、主人公をヘンリー、主人公の妻役をキャサリン・ヘプバーンが演じる。夫婦愛と親子の和解がテーマであるこの作品で、ジェーンは主人公の娘役で出演。完成した『黄昏』は、アカデミー賞で主演男優・主演女優両賞を獲得した。

ギャラリー

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主な出演作品

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映画

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公開年 日本語版の題名
原題
役名 備考
1960年 のっぽ物語
Tall Story
ジューン・ライダー
1962年 荒野を歩け
Walk On The Wild Side
キティ・ツイスト
チャップマン報告
The Chapman Report
キャスリーン・バークレイ
1963年 ニューヨークの休日
Sunday in New York
アイリーン・テイラー
1964年 危険がいっぱい
Les félins
メリンダ
輪舞
La ronde
ソフィー
1965年 キャット・バルー
Cat Ballou
キャット・バルー
1966年 逃亡地帯
The Chase
アンナ・リーヴス
獲物の分け前
La curée
レネ
水曜ならいいわ
Any Wednesday
エレン・ゴードン
1967年 夕陽よ急げ
Hurry Sundown
ジュリー・アン・ウォレン
裸足で散歩
Barefoot in the Park
コリー
世にも怪奇な物語
Histoires extraordinaires
フレデリック
1968年 バーバレラ
Barbarella
バーバレラ
1969年 ひとりぼっちの青春
They Shoot Horses, Don't They?
グロリア
1971年 コールガール
Klute
ブリー・ダニエル アカデミー主演女優賞 受賞
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) 受賞
1972年 万事快調
Tout Va Bien
スザンヌ
1973年 人形の家
A Doll's House
ノラ
1976年 青い鳥
The Blue Bird
ザ・ナイト
1977年 おかしな泥棒 ディック&ジェーン
Fun with Dick and Jane
ジェーン・ハーパー
ジュリア
Julia
リリアン・ヘルマン ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) 受賞
英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞
1978年 帰郷
Coming Home
サリー・ハイド アカデミー主演女優賞 受賞
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) 受賞
カムズ・ア・ホースマン
Comes a Horseman
エラ・コナーズ
カリフォルニア・スイート
California Suite
ハンナ・ウォレン
1979年 チャイナ・シンドローム
The China Syndrome
キンバリー・ウェルズ 英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞
出逢い
The Electric Horseman
アリス・マーティン
1980年 9時から5時まで
Nine to Five
ジュディ
1981年 黄昏
On Golden Pond
チェルシー
華麗なる陰謀
Rollover
リー・ウィンタース
1985年 アグネス
Agnes of God
マーサ・リヴィングストン
1986年 モーニングアフター
The Morning After
アレックス
1987年 ビル・コスビーのそれ行けレオナルド
Leonard Part 6
本人 クレジットなし
1989年 アイリスへの手紙
Stanley & Iris
アイリス・エステル・キング
私が愛したグリンゴ
Old Gringo
ハリエット・ウィンスロー
2002年 デブラ・ウィンガーを探して
Searching for Debra Winger
- ドキュメンタリー
2005年 ウェディング宣言
Monster-In-Law
ヴィオラ・フィールズ
2007年 幸せのルールはママが教えてくれた
Georgia Rule
ジョージア
2011年 みんなで一緒に暮らしたら
Et si on vivait tous ensemble?
ジャンヌ
2013年 大統領の執事の涙
Lee Daniels' The Butler
ナンシー・レーガン
2014年 禁断のケミストリー
Better Living Through Chemistry
本人 日本劇場未公開、WOWOWで放映
2015年 パパが遺した物語
Fathers and Daughters
グランドフィナーレ
Youth – La giovinezza
ブレンダ・モレル
2017年 夜が明けるまで
Our Souls at Night
アディー・ムーア
2018年 また、あなたとブッククラブで
Book Club
ヴィヴィアン
2023年 80 For Brady:エイティ・フォー・ブレイディ
80 for Brady
トリッシュ 日本劇場未公開
ブッククラブ/ネクストチャプター
Book Club: The Next Chapter
ヴィヴィアン 日本劇場未公開
ルビー・ギルマン、ティーンエイジ・クラーケン
Ruby Gillman, Teenage Kraken
グランママ 声の出演
日本劇場未公開

テレビシリーズ

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放映年 日本語版の題名
原題
役名 備考
2012年 - 2013年 ニュースルーム
The Newsroom
レオナ・ランシング 計7話出演
2015年 - 現在 グレイス&フランキー
Grace and Frankie
グレイス・ハンソン Netflixオリジナル作品

受賞歴

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アカデミー賞

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作品名 結果
1970年 アカデミー主演女優賞 ひとりぼっちの青春 ノミネート
1972年 アカデミー主演女優賞 コールガール 受賞
1978年 アカデミー主演女優賞 ジュリア ノミネート
1979年 アカデミー主演女優賞 帰郷 受賞
1980年 アカデミー主演女優賞 チャイナ・シンドローム ノミネート
1982年 アカデミー助演女優賞 黄昏 ノミネート
1987年 アカデミー主演女優賞 モーニングアフター ノミネート

英国アカデミー賞

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作品名 結果
1968年 最優秀外国女優賞 裸足で散歩 ノミネート
1971年 主演女優賞 ひとりぼっちの青春 ノミネート
1972年 主演女優賞 コールガール ノミネート
1979年 主演女優賞 ジュリア 受賞
1980年 主演女優賞 チャイナ・シンドローム 受賞
1983年 助演女優賞 黄昏 ノミネート

ゴールデングローブ賞

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作品名 結果
1962年 有望若手女優賞 - 受賞
1963年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) Period of Adjustment ノミネート
1966年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) キャット・バルー ノミネート
1967年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 水曜ならいいわ ノミネート
1970年 主演女優賞 (ドラマ部門) ひとりぼっちの青春 ノミネート
1972年 主演女優賞 (ドラマ部門) コールガール 受賞
1973年 ヘンリエッタ賞 - 受賞
1978年 主演女優賞 (ドラマ部門) ジュリア 受賞
1979年 主演女優賞 (ドラマ部門) 帰郷 受賞
ヘンリエッタ賞 - 受賞
1980年 主演女優賞 (ドラマ部門)  チャイナ・シンドローム ノミネート
ヘンリエッタ賞 - 受賞
1982年 助演女優賞 黄昏 ノミネート
1985年 女優賞 (ミニシリーズ・テレビ映画部門) The Dollmaker ノミネート

ニューヨーク映画批評家協会賞

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作品名 結果
1969年 主演女優賞 ひとりぼっちの青春 受賞
1971年 主演女優賞 コールガール 受賞

その他の称号

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授与者
2007年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール・ドヌール
2014年 アメリカン・フィルム・インスティチュート 生涯功労賞

参照

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  1. ^ 英語: Jayne Seymour Fonda
  2. ^ Jane Fonda Wins Best Actress: 1972 Oscars”. Oscars. 2020年12月17日閲覧。
  3. ^ Jane Fonda winning an Oscar for "Coming Home"”. Oscars. 2020年12月17日閲覧。
  4. ^ Sonneborn, Liz (2002). A to Z of American women in the performing arts. New York: Facts on File. p. 71. ISBN 0-8160-4398-1 
  5. ^ Browne, Pat; Browne, Ray Broadus (2001). The guide to United States popular culture. Bowling Green, OH: Bowling Green State University Popular Press. p. 288. ISBN 0-87972-821-3 
  6. ^ Foster, Arnold W., and Blau, Judith R. Art and Society: Readings in the Sociology of the Arts, State Univ. of N.Y. Press (1989) pp. 118–119.
  7. ^ Jane Fonda wants a revolution, 1970: CBC Archives”. CBC. 2020年12月17日閲覧。
  8. ^ The China Syndrome (1979) - Trivia - IMDb
  9. ^ Solomon, Deborah. “Jane Fonda”. The New York Times. http://topics.nytimes.com/topics/reference/timestopics/people/f/jane_fonda/index.html July 19, 2011閲覧。 
  10. ^ Stated in interview on Inside the Actors Studio.
  11. ^ 【イタすぎるセレブ達・番外編】ジェーン・フォンダ、下唇のガン発症を告白<動画あり> - ライブドアニュース
  12. ^ 米国防長官を訴える ジェーン・フォンダ『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月17日夕刊 3版 10面
  13. ^ Nicosia, Gerald (2004). Home to war: a history of the Vietnam veterans' movement. Carroll & Graf. p. 73. ISBN 978-0-7867-1403-2. https://books.google.co.uk/books?id=5hq2_JFvV0kC&dq=%22jane+fonda%22+%22honorary+national+coordinator%22+-wikipedia&client=firefox-a&hl=en 
  14. ^ USA - Fonda Hayden News Conference on Hanoi bombings”. AP Archive (2015年7月22日). 2020年12月17日閲覧。
  15. ^ [1]
  16. ^ Roberts, Laura (July 26, 2010). “Jane Fonda relives her protest days on the set of her new film”. The Daily Telegraph (London). http://www.telegraph.co.uk/news/celebritynews/7911158/Jane-Fonda-relives-her-protest-days-on-the-set-of-her-new-film.html July 19, 2011閲覧。 
  17. ^ a b c d e f g 佐藤由紀「同行ルポ 良妻賢母で過ごしたジェーン・フォンダ 日本の2週間」『サンデー毎日』1981年5月24日号、毎日新聞社、171–175頁。 
  18. ^ J・フォンダ、毎週金曜に逮捕で4度目 気候変動デモで”. CNN (2019年11月2日). 2019年11月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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