スティーヴ・ペリー

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スティーヴ・ペリー
Perry in 1986.jpg
スティーヴ・ペリー(1986年)
基本情報
出生名 スティーヴン・レイ・ペリー
(Stephen Ray Perry)
生誕 (1949-01-22) 1949年1月22日(69歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ハンフォード
ジャンル ハード・ロックポップ・ロックポップ
職業 シンガーソングライター音楽プロデューサー
担当楽器 ヴォーカル、ギター、ベース、ピアノ、ドラム
活動期間 1961年-現在
レーベル コロムビア
事務所 Associated_acts = ジャーニー、エイリアン・プロジェクト、USAフォー・アフリカ

スティーヴン・レイ・“スティーヴ”・ペリー(Stephen Ray "Steve" Perry、1949年1月22日 - )は、アメリカ歌手ミュージシャン。ロックバンドジャーニーの元ヴォーカリスト

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第76位[1]

来歴[編集]

カリフォルニア州出身でポルトガル系。父はシンガーであり、音楽やミュージシャンに慣れ親しんで育ったが、両親の離婚後母親に引き取られたため、彼の心に深い傷となって残った。1970年代からエイリアン・プロジェクトというバンドで音楽活動を始め、メジャーデビューを控えていたが、その直前にベーシストが事故死したことによりバンドは解散。それを機に音楽活動を諦め、その後は郷里で農業を営んでいたが、業界関係者を通じてエイリアン・プロジェクトのデモテープを耳にした、当時のジャーニーのマネージャー、ハービー・ハーバートが白羽の矢を立てた。ほどなくしてオーディションに合格したペリーは、ジャーニーの初代ヴォーカリスト、ロバート・フライシュマンとツアー中に入れ替わる形でバンドに加入した。

その後のジャーニーは、それまでのプログレッシブ・ロック風の音楽性をポップな方向に変えていく。加えて精力的なツアーをこなして人気の地歩を固め、1980年代前半にはバンド史上類例のない多数のヒット曲をチャートへ送り込む原動力となった。

ジャーニーが、アルバムエスケイプ』並びに『フロンティアーズ』でスターへの仲間入りを果たした後、ネームバリューを得たペリーは、1984年にソロ活動も始めた。その中でも、当時交際中だった女性への想いを歌った「Oh,シェリー」は、ソロ・デビューアルバム『ストリート・トーク』の人気を牽引し、一説には「アメリカで知らない人が居ない」と言わしめる程のヒット曲となった(ちなみに、時期は前後するがペリーは以前にもケニー・ロギンスネッド・ドヒニーのアルバムにゲスト参加したことがあった)。アルバム『ストリート・トーク』は、ジャーニーの楽曲とは一風異なるR&B寄りの作風で、彼独自の持ち味を広く訴求することに成功し、上述の「Oh, シェリー」の他にも「フーリッシュ・ハート」や「ストラング・アウト」などのヒット曲を生み出している。

1985年にはUSAフォー・アフリカのアルバムにも参加し、メイン曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではマイケル・ジャクソンレイ・チャールズスティーヴィー・ワンダーボブ・ディランポール・サイモンダイアナ・ロスブルース・スプリングスティーンライオネル・リッチーなど、数多の人気ミュージシャンと共演しつつ、新曲「モーメント・ガール」も提供している。

1986年のジャーニーのアルバム『Raised On Radio〜時を駆けて』ではプロデュースも担当するなど、ヴォーカリストに留まらない活躍を見せたが、1987年のツアー中にジャーニーを脱退。その後はしばらく表舞台から遠ざかっていたが、およそ7年の時を経て1994年にソロ・アルバム『ストレンジ・メディスン』を発表し、ファンの注目を集めた。ペリーは、このアルバムを引っ提げてツアーを行い、日本での公演も予告されていたが肺の感染症[2]が原因で体調を崩しツアーを中断。療養生活の中で、彼は自身が脱退後に空中分解の状態となっていたジャーニーの再結成へ向けて可能性を模索し始め、やがてメンバーとの合流を果たす。

1996年に再結成したジャーニーの中核としてアルバム『トライアル・バイ・ファイアー』で腕を振るうが、退行性骨関節疾患を患いツアーへの参加が困難な状態となった。メンバーとの協議の末、1998年に正式にバンドから脱退。その後は、ワーナー・ブラザースのアニメ映画『魔法の剣 キャメロット』のオリジナルサウンドトラックにおける主題曲の競演や、2003年には映画『モンスター』のサウンドトラックのプロデュースも手掛けたほか、デヴィッド・パックの作品にゲスト・ヴォーカルとして参加している。それ以外は表立った音楽活動を殆ど行っていなかった。

2014年6月、何の前触れもなくEelsのライブにゲスト参加し、その際に、2015年12月に3枚目のソロアルバムをリリースすることを表明したが、予定の実現はなかった。2017年4月にはロックの殿堂入りしたジャーニーの旧メンバーとして授賞式に参加した。ステージに上では、ジャーニーに在籍した者として、受賞の喜びと在籍中に関わったメンバーへの感謝を伝え、現ヴォーカリストアーネル・ピネダには、ジャーニーで10年間頑張っている事への賛辞を送った。受賞式ではメッセージのみで、受賞式後のライブには出ていない。また、ニューアルバムを秋にリリースすると言及したが叶わなかった。

2018年8月15日、それまで準備中だった公式サイトで、黒画面のバックに「I Know It’s Been A Long Time Comin’…(長らく待たせていたのはわかってる)」の文字動画が現れた。一部でAmazonがリークしたとされているが、ニューアルバム「TRACES」の2018年10月5日に全世界同時リリースとシングルカット曲No Erasin」も発表された。前作「FOR THE LOVE OF STRANGE MEDICINE」から、約四半世紀を経ての3枚目のソロアルバムとなる。

ディスコグラフィー[編集]

ジャーニー[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

ライヴ・アルバム[編集]

  • LIVE IN HOUSTON 1981 ESCAPE TOUR/ライブ・イン・ヒューストン 1981 エスケイプツアー (2005)
  • GREATEST HITS LIVE/グレイテスト・ヒッツ・ライヴ (1998)
  • CAPTURED/ライヴ・エナジー (1981)

ベストアルバム[編集]

  • GREATEST HITS VOL.2/グレイテスト・ヒッツ VOL.2 (2011)
  • THE ESSENTIAL JOURNEY/エッセンシャル・ジャーニー (2002)
  • TIME3/TIME3 (1992)
  • GREATEST HITS/グレイテスト・ヒッツ (1988)

ベスト・アルバム(日本発売のみ)[編集]

  • OPEN ARMS~GREATEST HITS/オープン・アームズ~グレイテスト・ヒッツ (2004)
  • THE JOURNEY CONTINUES.../ザ・ジャーニー・コンティニューズ (2001)
  • JOURNEY THE BALLADE/ジャーニー・ザ・バラード (1991)

ソロ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • TRACES/トレイシズ(2018/10/5)
    • NO ERASIN' TRACES収録(2018/8/15)
  • FOR THE LOVE OF STRANGE MEDICINE/ストレンジ・メディスン (1994)
  • STREET TALK/ストリート・トーク (1984)

ベスト・アルバム[編集]

  • THE VERY BEST OF STEVE PERRY/ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・スティーヴ・ペリー(2009)
  • GREATEST HITS + FIVE UNRELEASED/グレイテスト・ヒッツ+5 (1998)

脚注[編集]

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Steve Perry”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ 『Burrn!』1997年1月号 p116

関連項目[編集]

外部リンク[編集]