ノーベル平和賞

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ノーベル平和賞受賞者を決定するノルウェー議会
オスロ市庁舎外観
1974年(昭和49年)、佐藤栄作に贈られたノーベル平和賞の金メダル(国立公文書館所蔵)

ノーベル平和賞(ノーベルへいわしょう、スウェーデン語ノルウェー語: Nobels fredspris、英語: Nobel Peace Prize)は、ノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された5部門のうちの一つ[1][2]

ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルスウェーデンノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。平和賞のみ、スウェーデンではなくノルウェー政府が授与主体である。

概要[編集]

創設者のノーベルは遺言で、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしとしているが[2][1]、近年の選考委員会では「平和」の概念を広く解釈しており、受賞対象者は国際平和、軍備縮減、平和交渉だけでなく、人権擁護、非暴力的手法による民主化や民族独立運動、保健衛生、慈善事業、環境保全などの分野にも及んでいる。他のノーベル賞と異なり、団体も授与対象となっているのが特徴である[2]。政治情勢の影響を受けやすく、第一次世界大戦第二次世界大戦の時期等、授与者がないことも見られた[2]

また、これまでの実績だけではなく、政治的情勢や受賞後の影響を期待したメッセージを発信するために贈られる場合もある。賞は、12月10日午後1時(現地時間)からオスロオスロ市庁舎で授賞式が行われる。

受賞者[編集]

1900年代[編集]

1910年代[編集]

1920年代[編集]

1930年代[編集]

コーデル・ハル

1940年代[編集]

ラルフ・バンチ

1950年代[編集]

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

1960年代[編集]

マザー・テレサ

1970年代[編集]

1980年代[編集]

アウンサンスーチー

1990年代[編集]

バラク・オバマ

2000年代[編集]

2010年代[編集]

選定方式[編集]

毎年の受賞は最高3者まで。選考はノルウェー国会が任命する政治的に独立した機関であるノルウェー・ノーベル委員会(5人)が行う[5]。各国に推薦依頼状(通常非公表)を送り、推薦された候補者より選ばれる。2013年には259の個人と組織(うち50の組織)の推薦があり、過去最大の数とされている[6]。受賞が決まるのは、例年10月頃。候補者の名前は50年間公表されない[6]。個人の場合は生存していることが条件であり、死後この賞を受けたのはダグ・ハマーショルドのみ。これはハマーショルドが受賞者に決まった直後に事故死(公務移動中のことで事実上の殉職)したことによる[6]

トマーシュ・マサリクウィリアム・ハワード・タフトなどの政治家、ニコライ2世ハイレ・セラシエ1世といった君主、レフ・トルストイピエール・ド・クーベルタンなどが候補となっていたことが公表されている[6]。また、1939年にはアドルフ・ヒトラーが推薦されているが、これは反ファシズムの立場を取るスウェーデンの国会議員によるもので、皮肉を意図したものであった[6]ベニート・ムッソリーニヨシフ・スターリンフアン・ペロン夫妻といった独裁者もノミネートされているが、受賞には至っていない[6]

ジェーン・アダムズは1916年に初めて推薦を受けて以来、1931年に受賞するまでにのべ91回の推薦を受けた。これは推薦を受けた回数としては最多のものである[6]

日本人では1974年に受賞した佐藤栄作以外に、賀川豊彦(1954年 - 1956年、1960年)、岸信介(1960年)、鈴木大拙(1963年)、吉田茂(1965年 - 1966年)、湯川秀樹(1966年)が候補となっていたことがノルウェー・ノーベル委員会の公表した資料により明らかになっており[7][8][9]、吉田については関係者の残した手記等から1967年にも推薦がおこなわれたとみられている[7]

ガンディーが受賞しなかった理由[編集]

マハトマ・ガンディーはノーベル平和賞を受賞しなかった。死後数十年経ってからノーベル委員会が公表した事実によると、ガンディーは1937年から1948年にかけて前後5回ノーベル平和賞にノミネートされていた(1948年は暗殺の直後に推薦の締め切りがなされた)。これについてノーベル委員会は、ガンディーが最終選考に残った1937年、1947年、1948年の選考に関しウェブサイト上で以下のように述べている (Mahatma Gandhi, the Missing Laureate)。

  • 1937年には、彼の支持者の運動が時として暴力を伴ったものに発展したことや、政治的な立場の一貫性に対する疑問、彼の運動がインドに限定されていることへの批判があった。
  • 1947年は、当時インドですでに起きていたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立への対処に関し、ガンディーが非暴力主義を捨てるかのような発言をしたことで、選考委員の間に受賞に対する疑問が起きた。
  • 1948年は最終候補3人の1人で選考委員からは高い評価を得ていたが、故人に対してノーベル賞を与えられるかどうかで議論が起きた。当時は規定で除外されていなかったが、何らかの組織に所属していなかったガンディーの場合賞金を誰が受け取るかが問題になった。最終的に、受賞決定後に死亡した場合以外は故人に賞を与えるのは不適切だという結論となった。ガンディーがもう1年長生きしておれば、賞を与えられていたと考えるのが合理的であろう。
  • ガンディーがそれまでの他の平和賞受賞者とは異なるタイプの平和運動家であったこと、1947年当時のノーベル委員会には今日のように平和賞を地域紛争の平和的調停に向けたアピールとする考えがなかったことが影響している。委員会がイギリスの反発を恐れたという明確な証拠は見当たらない。

賞金[編集]

賞金額は1901年当時の賞金額を、その年の貨幣価値に換算されたものが贈られる[10]。2012年以降、平和賞の賞金は一つの賞あたり、800万スウェーデン・クローナとされている[6]。このため共同受賞となった場合には、受賞金額を受賞者達で分け合うことになる。1976年に受賞したベティ・ウィリアムズマイレッド・コリガン=マグワイアの組織は、賞金の分配でもめてバラバラになってしまった。

物議を醸した受賞例[編集]

医学・物理・化学の科学三賞は業績に対し、ある程度客観的な評価と期間を経て選考決定される。しかし、ノーベル平和賞は「現在進行形の事柄に関わる人物」も受賞対象になり、毎年選考に向けて、選考委員に対するロビー活動や政治行動が多く起こるため、選考結果を巡り、世界中で度々論議が起こる。科学三賞と比しては勿論、賞そのものに対して批判のあるノーベル経済学賞と比べても、やはり『ノーベル平和賞』は政治色が根強い。

ノーベル平和賞受賞者の一部は、戦争を助長したとしか思えない行動を取ったこともあり、「ノーベル平和賞でなくノーベル戦争賞と呼ばなければいけない」という皮肉もある[11]。特に中東和平問題について広瀬隆は、イスラエルパレスチナ解放機構の秘密会談が行われた背景にアラブ人が不利になる可能性を指摘していた[12]

以下の事例も見ても判るが、ノルウェー外交による政治アピールの側面もあるといえる。2015年10月9日付けの『ディ・ヴェルト』は「ノーベル平和賞における巨大な誤った決定」との見出しで、同紙が疑問に思う『ノーベル平和賞受賞者』を列挙した。

脚注[編集]

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  1. ^ a b ノーベル賞の国際政治学 -ノーベル平和賞の歴史的発展と選考過程-,吉武信彦,高崎経済大学地域政策学会,地域政策研究,vol.13-4,pp.23-40,2011-02
  2. ^ a b c d ノーベル平和賞,在ノルウェー日本国大使館
  3. ^ ノーベル公式サイト ノーベル平和賞歴史(英語)
  4. ^ The Nobel Peace Prize for 2015 - ノルウェー・ノーベル委員会
  5. ^ ノーベル平和賞 (Norway the official site in Japan)
  6. ^ a b c d e f g h Facts on the Nobel Peace Prize - ノーベル賞公式サイト(英語)
  7. ^ a b 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学―ノーベル平和賞と日本:1960年代前半の日本人候補― (PDF) 」『地域政策研究』第17巻2号、高崎経済大学、pp.1 - 23
  8. ^ 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学――ノーベル平和賞と日本:吉田茂元首相の推薦をめぐる1966年の秘密工作―― (PDF) 」高崎経済大学地域政策学会、2016年
  9. ^ Nomination Database - ノーベル賞公式サイト
  10. ^ The Nobel Prize Amounts - ノーベル賞公式サイト(英語)
  11. ^ “今回はマララさん…「ノーベル平和賞は論争を呼ぶ賞」”. 中央日報. (2014年10月13日). http://japanese.joins.com/article/214/191214.html 2014年10月13日閲覧。 
  12. ^ 広瀬は根拠を示すために、まず当事者のイスラエル、会場の山荘を提供したen:Orkla Group、その実質的な支配者であるen:Nobel Industriesハンブローズ銀行ヴァレンベリ家、そしてロスチャイルドを家系図と役員兼任関係で纏め上げた。
    『地球のゆくえ』 集英社 1994年 系図8 一九九三年中東和平秘密会談の内幕
  13. ^ 「金大中ノーベル賞は工作」暴露の元情報員、米国に亡命へ=韓国 サーチナ2012年1月25日
  14. ^ ノーベル平和賞はしばしば政治的に使われていた ロケットニュース24
  15. ^ Federation of Social Workers (IFSW) – IFSW supported nomination of Irena Sendler for Nobel Peace Prize. IFSW. 2010年12月10日閲覧
  16. ^ “オバマ大統領へのノーベル平和賞授与に批判-「早まった聖人化」” (日本語). ブルームバーグ. (2009年10月10日). http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=a1Yq5eJ2DR7U 2011年1月29日閲覧。 
  17. ^ クリストファー・ヒッチェンズ (2009年12月22日). “あまりに軽いオバマのサプライズ受賞” (日本語). ニューズウィーク. http://newsweekjapan.jp/stories/2009/12/post-849.php 2011年1月29日閲覧。 
  18. ^ “Obama: Nobel Peace Prize is call to action”. CNN. (2009年10月9日). http://articles.cnn.com/2009-10-09/world/nobel.peace.prize_1_norwegian-nobel-committee-international-diplomacy-and-cooperation-nuclear-weapons?_s=PM:WORLD 
  19. ^ “アフガン病院誤爆 国連、「戦争犯罪の可能性も」” (日本語). CNN (CNN.co.jp). (2015年10月5日). http://www.cnn.co.jp/world/35071433.html 2016年4月26日閲覧。 
  20. ^ 『中国新華社「平和賞の名声損なう」と批判論評』 産経新聞2012年10月13日
  21. ^ 『授賞は「悲劇的過ち」チェコ大統領」と批判論評』産経新聞2012年10月13日
  22. ^ “「政治的」また批判の声 実績より期待感後押し”. 産経新聞. (2012年10月13日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/121013/erp12101300480003-n1.htm 
  23. ^ “イラン国会、「西側は、ノーベル平和賞を政治的に利用」”. イラン・イスラム共和国放送. (2012年10月13日). http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/32455-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E3%80%81%E3%80%8C%E8%A5%BF%E5%81%B4%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E%E3%82%92%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%80%8D 
  24. ^ 「若過ぎる」と懸念も=マララさん、一躍人権のヒロインに―ノーベル平和賞 時事通信2014年10月10日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]