Char

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Char
出生名 竹中 尚人
生誕 (1955-06-16) 1955年6月16日(64歳)
出身地 日本の旗 日本東京都品川区戸越
ジャンル ロック
職業 ギタリスト
シンガーソングライター
作曲家
音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカル
ギター
ベース
ドラム
ピアノ
パーカッション
活動期間 1971年 -
レーベル ZICCA RECORDS
共同作業者 スモーキー・メディスン
ピンククラウド
PSYCHEDELIX
BAHO
P-SMOKE
ACRI
三人の侍
公式サイト 公式サイト(ZICCA.net) (日本語)
著名使用楽器
フェンダー・ムスタング
フェンダー・ストラトキャスター
ギブソン・レスポール
イーエスピー
ゼマティス
オベーション
フェンダー・プレシジョンベース
フェンダー・ジャズベース
ローズ・ピアノ
ホーナー・クラビネット

Char(チャー、1955年6月16日 - )は、日本ミュージシャンギタリストシンガーソングライター音楽プロデューサーである。本名は、竹中 尚人(たけなか ひさと)。東京都品川区戸越出身。

来歴[編集]

耳鼻咽喉科眼科の開業医を母に持つ[1]。7歳(1962年)でピアノを習いはじめ、兄の影響から8歳(1963年)でギターを手にする。(ピアノは、本人曰く18歳まで継続し、将来、音楽大学に行きたかったとのこと。) 

ザ・ベンチャーズや、エリック・クラプトンジェフ・ベックジミ・ヘンドリックスなどから影響を受ける。日々、ピアノよりもギターに没頭するのを心配した父親が、Charの部屋に入って「お前は将来何になりたいんだ」と問い詰めたところ、Charは「これ」と、壁に貼ってあるジミ・ヘンドリックスポスターを指差した。

アマチュア時代[編集]

11歳 ~ 13歳(1966年 - 1968年)に同級生の新川博らと『FOX』結成。ヤードバーズドアーズローリング・ストーンズ等をレパートリーとしていた。 14歳 ~ (1969年)『JAH(ヤッハ)』結成。3人のバンドで、メンバーの名前の頭文字から命名。 ヤードバーズ、クリーム等をレパートリーとしバンド・コンテスト等にも出場。 この時、早くもプロ・デビューの話を持ちかけられるが、『生ギターでフォークみたいのやらない?』と言う条件に断る。

16歳(1971年)『GAS MASK』結成。ヤマハ・ライトミュージックコンテストに出場しオリジナル曲を演奏。地区ブロックで2位を受賞する。オリジナル曲以外は、グランド・ファンク・レイルロード等をレパートリーとしていた。

1971年(中学3年生 ~ 高校1年生)に、スタジオミュージシャンとしての初仕事をこなす。 レコーディング内容は、ギター奏法教材「ロック完全マスター」という譜面集と併売されるカセットテープのデモ演奏として、エリック・クラプトンなどの曲を収める為だった。 当時のスタジオミュージシャンはジャズ系スタイルの人が多く、ロック系ギタリストは少数だった為、練習していたスタジオで知り合ったスタジオ・ミュージシャンからの依頼だったそうである。 その時のエピソードとして、その当時の録音エンジニア達は~ロック・エレキギターの『歪み』『フィードバック奏法』を認識しておらず、戸惑ったと自身が回想している。

17歳(1972年)『Shock』結成。 別バンド『Bad Scene』のデビュー曲のレコーディングにも依頼され、並行して同バンドにも参加。 『Shock』でもプロ・デビューの話が出たが、レコーディング中にメンバーの音楽的指向性の食い違いから途中で解散してしまう。

1973年スモーキー・メディスンを結成。

『Shock』『Bad Scene』にて日比谷野外音楽堂でライブをしていた頃、金子マリも別のバンドで同じステージに立っていた。 ある日、街中で出会い連絡先を交換。 『Bad Scene』も解散してしまい、『Bad Scene』のベーシスト鳴瀬喜博、『Shock』の佐藤準藤井章司と共に新たなバンドの構想中、金子マリから『バックコーラスでもいいから参加したい』との電話を受けて迎え入れた。同年8月には合歓の郷で合宿をし本格的な活動準備に入る。

Charは、当時エレックレコード所属アーティストのレコーディングにも参加していた為、知り合いのディレクターから依頼を受け、バンドは企画アルバムのレコーディングもされていた(『ゴーゴー大パーティー第4回ロック・インパルス』:キング・レコード/1974年リリース盤に『マイティ・マウス』の変名でクレジットされている)。同時期、エレックレコードの若手レコーディングエンジニアから『どうしてもバンドの音を残したい』と依頼され、夜中にスタジオに入り、朝方にデモ・テープは完成。後日、そのテープを金子、鳴瀬の2人が各音楽関係会社に持ち込む。当時、鳴瀬喜博以外は高校生だったが、その圧倒的な演奏力やステージングがプロミュージシャンや音楽メディアの間でも話題となり、内田裕也の耳にも入る。当時、Char本人がチケットを購入して見に行く予定だった、とも言われていた内田裕也プロデュース・イベント第2回「フラッシュ・コンサート」(於:渋谷西武劇場)に於いてサディスティック・ミカ・バンドが出演予定だった、が同バンドは海外公演決定の為キャンセル。その空いた時間にスモーキー・メディスンは抜擢された。1974年5月号のニュー・ミュージック・マガジン誌では、アマチュア・バンドにも関わらず「期待の新グループ、スモーキー・メディスン」として数ページに渡り写真と内田裕也のコメントを掲載。共にその演奏力、新鮮さを好評価されていた。

以降は様々なロックイベントに出演し、日本で野外での大規模ロック・イベントとして有名な郡山ワンステップフェスティバル1974にも出演が決まっていたが、直前に解散してしまう。(解散理由は音楽的指向性の他にも諸説有り)

解散後Charはフォーク系グループのレコーディングやLIVEでのバックバンド・ギタリスト、楽器メーカー主催のギター・クリニック等の活動が主となるが『Mad Brothers』(jazz/fusion系)、『Charlie Funk Party』(パーティ・バンド)でも活動。

プロデビュー後[編集]

1976年6月『NAVY BLUE』でソロ・デビュー、9月にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。 1977年6月にリリースされた『気絶するほど悩ましい』は、外部の作詞(阿久悠)、作曲(梅垣達志)で自身のROCK指向とは異なる『歌謡ROCK』路線となりアイドル系ギタリスト&ボーカリストとして人気を博す。 1978年には『逆光線』『闘牛士』とヒットを飛ばし、同時期に登場した世良公則&ツイスト原田真二の3人(グループ)と共に『ロック御三家』と呼ばれる[2]

他の二組が自作曲で世に出たのとは違い、自身のシングル曲が職業作家からの提供曲だったことについては「俺がやったのは歌謡曲とロックの中間だよね。俺はロックの音楽家だけど、シングル盤は歌謡曲でいいと思ったわけよ。ロックやっててメジャーの世界に出るにはそれしかなかったじゃん」と当時のインタビューで述べている[2]。アイドル性を狙うもバンドのメンバーにルックスの悪いハーフがいたために若い女性ファンは取り込めなかったという[2]

この曲のヒットでテレビの歌番組に出演することが増え、そこで当時一世を風靡したピンク・レディーの想像を絶する忙しさと、五木ひろし新沼謙治といった演歌歌手と共演することで、歌謡界の本物のプロの凄さを目の当たりにし、自分の道を極めなければいけないと思ったと述懐している。

1978年7月に発表された自身3枚目のアルバム『Thrill』にてGodiegoと共に楽曲の半分にて共演。 リリース後に行われたGodiegoとの共演LIVEで、男性のみが入場可能だった『男だけのコンサート』を行う。

同年9月、音楽活動以外に俳優にも挑戦。TBSの時代劇特番『雲を翔びこせ(渋沢栄一伝)』にて主人公の渋沢栄一西田敏行)の嫁、千代(池上季実子)の兄、長七朗役を演じる。

同時期、本人の本来の指向とは異なるアイドル然とした歌謡界での活動に見切りを付け、新たに本格的なROCKバンド結成を構想。 Yellow~金子マリ&バックスバニーのジョニー吉長、ゴールデン・カップス~スピード・グルー&シンキ等のルイズルイス加部と共に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」を結成し活動準備の為、合歓の郷で合宿。

同年秋発売の『BLUE CHRISTMAS』は東宝映画『ブルークリスマス』劇中歌だが、第6シングルとしての日本語歌詞バージョンとは別にchar自身が歌う英語歌詞バージョン(こちらはBGM数曲を併せたシングルサントラ盤として構成)も同時発売されるという異色の体制となった。作曲は同映画の音楽監督である佐藤勝。映画の中では英国人バンドが歌う曲として扱われている。

その後のステージ・デビュー(芸術祭イベント)の模様はTV収録されたが、その放映前、自身に「ある事件(覚醒剤取締法違反)」の謂れのない嫌疑がかけられた為、活動休止を余儀なくされ、オンエアーされることなく御蔵入りとなってしまう。 同時期に予定されていたTour「JOHNNY, LOUIS & CHAR・ウルトラコンサート」も中止となってしまった。

1979年カルメンマキの支援を受け、彼女のツアーメンバーとして復帰。

同年に「JOHNNY, LOUIS & CHAR」が再始動。 7月14日に開催された『Free Spirit』と題されたフリー(無料)コンサートには雨天にも関わらず全国からファンが殺到し日比谷野外音楽堂の動員記録を樹立する。 (当日の模様は同年11月、3万枚限定盤LPとして『Free Spirit』のタイトルでリリースされた)

1980年5月『Trycycle』、1981年『OiRA』を発表。

所属レコード会社の移籍に伴いバンド名を「ピンククラウド」(PINK CLOUD)と改名。 1981年5月『KUTKLOUD』、9月『CLOUD LAND/桃源郷』、1983年11月『PINK CLOUD』、1984年11月『PLANT BLEND』を発表。 レコード会社との契約に『バンドとしてのアルバム4枚、各メンバーのソロ・アルバムを出す』と言う条件が有り、この時期は精力的な活動期間でもあった。 この間には東京・銀座に『Smoky Studio』を設立。 ジョニー吉長のソロアルバム『LOVE CHILD』がこけら落としとなりCharのプロデュースによる他アーティストのアルバムも数多生まれた。

1985年、「ピンククラウド」は2度目のレコード会社を移籍。7月、日比谷野外音楽堂で、観客を入れずに収録されたミニ・アルバムを発表。この頃、単身渡英し半年を過ごす。その為、PINK CLOUDとしてのバンド活動は年間でも数回となる。

1986年3月 忌野清志郎とアニメのサウンドトラックとして『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で『S.F』を発表。同年は『忌野清志郎、JOHNNY, LOUIS & CHAR』でのLIVEを学園祭や野外イベントで行なった。

一度目のレーベル立ち上げ[編集]

1988年 - 1997年 電話通販専門のインディーズレコードレーベル「江戸屋Record」を運営。 1988年6月 ソロ・アルバム『PSYCHE』を発表。6月7日には『JOHNNY, LOUIS & CHAR』名義で汐留PITにて久々のLIVEを行う。 (会場では『PSYCHE』が先行発売され、9月にはLIVEの模様を収録した『1988,6,7 JOHNNY, LOUIS & CHAR』のタイトルでビデオも発表)以後、『PINK CLOUD』としての活動と並行し新たなユニットでの活動も始める。

1991年にはイベントがきっかけで組まれた石田長生とのアコースティック・デュオ「BAHO」(馬呆)名義で『TREMENDOUS』を発表。以降も不定期ではあるが、活動を続けた。

1992年4月 - 「PSYCHEDELIX」を発表。 これは『PSYCHE』1988年にソロLIVEを行う際に佐藤準アンルイスジム・コウプリージャズ・ロッホリー、と組まれた『Char&PSYCHEDELIX』が元となったバンドである。フル・アルバムとしては3枚を発表。

1994年、PINK CLOUD/JOHNNY, LOUIS & CHARが解散。

1995年、PSYCHEDELIXの3枚目フル・アルバム『Stand』の製作途中に、ベースのジャズ・ロッホリーが方向性の違い等から脱退。PSYCHEDELIXはCharとジムのユニットとなり、ベースパートの収録は途中からcharが演奏している。

1996年、PSYCHEDELIXとしてミニ・アルバム『Smoky』を発表。

1998年、Char自身もレコード会社を移籍。2007年まで在籍しアルバム9作品(内、ベスト盤2枚、REMIX盤1枚も含む)をリリースした。

二度目のレーベル立ち上げ[編集]

2010年、ネット販売専門の新レーベルZiccaを立ち上げ、自身のルーツをアレンジし収録したTRADROCKシリーズとして『Eric』、『Jeff』、『The B』、『The V』、『Jimmy』、『Jimi』、『Char By Char』を発表した。

それまで行ったりライブをした事の無い地方都市会場を主に不定期ではあるが『TRADROCK By Char』ツアーで各所を廻っている。また、現在イベントのみで活動するユニットで奥田民生山崎まさよしとの『3人の侍』(Samurai‐3)がある。

2011年RSRでは斉藤和義も加わり、『4人の侍』として登場した。

人物[編集]

  • 「Char」の名前の由来は諸説あるが、本人談では「名前に「ひさ~」が付く人に多いみたい」と語られる事が多い。
(例1 = 本名:「尚人(ひさと)」 → 「ちゃと」 → 「ちゃー」。例2 = 本名:「久子(ひさこ)」 → 「ちゃこ」 → 「ちゃー」)
  • ファッション・モデルだった妻のKanna S. McFaddinは、作詞家としてChar関連作品に数多くの歌詞を提供。
Char曰く『公私ともに共同作業者』と語る事も多い。
  • ロックバンド、RIZEThe BONEZJESSEは長男。
  • デビュー初期にはフェンダーのギター、ムスタングを使用。そのムスタングを手にしたのは偶然で、解体現場のアルバイトで貯めたお金で友人のカズ南沢より手に入れたストラトキャスター(塗装を剥いだナチュラル/ローズ)を盗まれてしまい、同じフェンダーを買いなおしたかったが当時は高くて買えず、アメリカン・スクールの友人宅のガレージセールで安くムスタングを見つけたからである(1964年製のwhite)。
Charのデビュー当時は『Charの使用ギター』として注目を集めたがアメリカで人気は低く、1977年 - 1978年に生産されたムスタングの多くは日本に輸入された。ムスタングは、ストラトキャスターより弦長の短いショートスケールのため、他のフェンダーギターより弾きやすく、代表曲「SMOKY」のDm9のヴォイシングなどは、ムスタングでなければ思いつかなかったかもしれないと語っている(Charは、前述の名前の由来やムスタングの話題のように、何度も答えて飽きている質問であったり、雑誌のインタビュアーが釈迦に説法をするような人物で気に入らない場合は、冗談や遊びの答えではぐらかすことがままある)。しかしながら、21世紀に入ってからはストラトキャスターの使用も以前と比較すると格段に多くなっており、時期によってはムスタングよりも多く使用している。
2011年には米国フェンダー社とエンドースメント契約をし、Char Signature Stratocaster® "Charizma"が製作される運びになった。[3]
  • さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)ではギターに夢中な少年少女の憧れの的として出演、アドバイスやセッションをしている。そのうちの二人が並木瑠璃山岸竜之介だった。
  • 高校時代の音楽仲間には、クリス・ペプラーがいた。
  • 最近はジム・コウプリー(ドラムス、元UPP)と一緒に活動することが多いが、レコーディングで渡英した時にジムと親交のあるジェフ・ベックの家を訪問してセッションを行った。
  • 石井竜也とも親交が深く、米米CLUBの活動初期の頃は事務所の一部を貸していたり、米米のデビュー前のライブに急遽ドラマーとして参加したこともあった。曲にクレジットはないが、米米CLUBのヒット曲「浪漫飛行」をアレンジしている。
本人も石井竜也と共演した際に度々「まだギャラ貰ってないぞ」と発言している。[注 1]
  • 1991年には2人で覆面ユニット『P-SMOKE』としてminiアルバムを発表。(サントリーウイスキー『SMOKY』のCM曲として収録曲『ホワット・アー・ユー・アップ・トゥ・ネクスト』が使われた)1996年には石井竜也が監督を務めた映画『ACRI』に合わせた同名ユニットACRIも結成しフル・アルバム『ACRI』を発表。米米CLUB再結成のきっかけになったのが自身の誕生日パーティーだったこともあり、現在も石井竜也のコンサートなどにも客演するなどしている。
  • 石田長生とのユニット、BAHOのライブは、他のアーティストをおちょくったり、世相を笑い飛ばすなど、終始笑いが絶えない。演奏でも、「かえるの歌」をマジメに歌ったり、ベンチャーズの代表曲「ダイアモンド・ヘッド」がいつの間にか「マイムマイム」に変わっているなど、ほとんどジョークのような演奏を繰り広げている。2人が1、3、5弦と2、4、6弦の三本ずつだけ張ったギターを持ち、ベンチャーズの楽曲を演奏するという芸をしたことがある。
  • 2015年6月2日徹子の部屋』(テレビ朝日系)に初めてゲスト出演。なお、司会の黒柳徹子とはそれ以前に『ザ・ベストテン』(TBS系)でも共演経験がある(1978年5月4日放送にて「闘牛士」でスポットライトに出演した)。
『徹子の部屋』でのトークにて、親交のある松任谷由実最終回の出演を希望しているとのことを語った[4]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

発売日 タイトル c/w
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1976年6月25日 NAVY BLUE SHININ' YOU, SHININ' DAY
2nd 1977年6月25日 気絶するほど悩ましい FURUETE NEMURE
3rd 1977年12月10日 逆光線 TOKYO NIGHT
4th 1978年3月25日 闘牛士 マドンナを堕落させよう
5th 1978年8月21日 GIRL TOMORROW IS COMING FOR ME
6th 1978年11月5日 BLUE CHRISTMAS THE LEADING OF THE LEAVING
江戸屋レコード
7th 1989年8月 When I Wake Up In The Morning… Endless Dream
Shinin' You Shinin' Day
8th 1989年12月 BLACK SHOES 左胸の砂丘
ポリドール
9th 1998年8月1日 TODAY DAN DAN DANG
10th 1998年10月28日 LET IT BLOW YOU GOT THE MUSIC
11th 1999年2月24日 Touch my love again THRILL
12th 2000年2月2日 Share the wonder 11 years
Back then and Now
13th 2000年5月31日 R-1(Route One) HOPE
14th 2001年10月24日 Long Distance Call Water Business
Second Hand Jam
ユニバーサルミュージック
15th 2002年6月26日 A FAIR WIND Sacred Hills
16th 2005年10月19日 PIANO Moon Light Serenade
17th 2006年5月3日 OSAMPO Cat Food

コラボレーションシングル[編集]

名義 発売日 タイトル c/w
東芝EMI
HOTEI vs Char 2006年11月25日 Stereocaster

アルバム[編集]

オリジナルアルバム[編集]

発売日 タイトル
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1976年9月25日 Char
2nd 1977年11月 Char II have a wine
3rd 1978年8月10日 THRILL
4th 1981年2月 U.S.J
Vap
5th 1982年11月 MOON CHILD
江戸屋レコード
6th 1988年6月 Psyche
7th 1988年12月 PSYCHE II
ポリドール
8th 1999年3月31日 I'm gonna take this CHANCE
9th 2001年7月25日 BAMBOO JOINTS
ユニバーサルミュージック
10th 2002年9月25日 Sacred Hills 〜聖なる丘〜
11th 2003年11月26日 MR.70'S YOU SET ME FREE
12th 2005年12月7日 天邪鬼 Amano-Jack
ZICCA RECORDS
13th 2015年5月22日 ROCK+

ミニアルバム[編集]

発売日 タイトル
江戸屋レコード
1st 1989年8月 WHEN I WAKE UP IN THE MORNING
2nd 1989年12月 BLACK SHOES
3rd 1994年6月22日 MUSTANG

ベストアルバム[編集]

発売日 タイトル
キャニオン・レコード / SEE-SAW
1st 1982年7月 THE BEST OF Char
ポニーキャニオン
2nd 1987年12月5日 プレイバック・シリーズ Char
江戸屋レコード
3rd 1991年10月21日 FLASHBACK MEMORIES
4th 1993年9月1日 DAYS WENT BY 1988〜1993
ポニーキャニオン
5th 1996年11月21日 CHARACTER
BMGメディアジャパン
6th 1999年4月21日 CHAR EDOYA COLLECTION 1988-1997
7th 1999年12月16日 ALL AROUND ME 〜Char Plays Ballad〜
ユニバーサルミュージック
8th 2006年7月19日 SINGLES 1976-2005
ポニーキャニオン
9th 2011年5月18日 ゴールデン☆ベスト Char
10th 2013年6月19日 ザ・プレミアムベスト Char
11th 2014年11月19日 Light Mellow Char

ライブアルバム[編集]

発売日 タイトル
江戸屋レコード
1st 1997年3月 Char Electric guitar Concert
ポリドール
2nd 2000年2月2日 CHAR PSYCHE 1988
3rd 2000年6月28日 Char played With and Without
ZICCA RECORDS
4th 2011年6月16日 TRADROCK“Char”by Char
5th 2012年4月26日 ZIG ZAG ZONE
6th 2012年4月26日 TRADROCK“Acoustic”by Char
7th 2013年10月2日 414 -Live at Hibiya Open Air Concert Hall-
8th 2015年11月27日 "Rock+" Eve -Live at Nippon Budokan

リミックスアルバム[編集]

発売日 タイトル
ポリドール
1st 1999年6月23日 Mix-Char

カバーアルバム[編集]

発売日 タイトル
ZICCA RECORDS
1st 2010年2月22日 Eric By Char
2nd 2010年3月21日 Jeff By Char
3rd 2010年4月28日 The B By Char
4th 2010年6月16日 The V By Char
5th 2010年11月28日 Jimmy By Char
6th 2010年12月21日 Jimi By Char

CD SET[編集]

発売日 タイトル
ZICCA RECORDS
1st 2012年10月26日 ZICCA PICKER 2012 vol.1〜vol.20
2nd 2014年1月25日 ZICCA PICKER 2014 vol.1〜vol.28
3rd 2016年7月23日 ZICCA PICKER 2016 vol.1〜vol.24
4th 2018年3月28日 ZICCA PICKER 2018 "TOHOKU" vol.1〜vol.6
5th 2018年7月20日 ZICCA PICKER 2017 "Acoustic" vol.1〜Vol.8
6th 2018年7月20日 ZICCA PICKER 2018

映像作品[編集]

  • 20th Anniversary〜Electric guitar Concert〜(1999年12月23日)
  • THE CLIPS(2000年9月20日)
  • LIVE IN NIPPON BUDOKAN 2001〜BAMBOO JOINTS〜(2002年2月21日)
  • No Generation Gap(2004年7月7日)
  • 彩気 Psyche(2005年10月26日)
  • Amano-Jack Movin’ The documentary on studio work & Live tour of Char (2006年12月13日)
  • ROCK+EVE LIVE AT NIPPON BUDOKAN (2015年11月27日)
  • ROCK FREE CONCERT (2015年12月7日)

タイアップ曲[編集]

楽曲 タイアップ
Touch my love again よみうりテレビ日本テレビ系『どっちの料理ショー』エンディングテーマ
Share the wonder maxell 企業CMソング
R-1(Route One) ダイハツアトレーワゴン エアロダウンヒット』CMソング
HOPE Jスカイスポーツ 2000年サイクルロードレース世界4大会 イメージソング
Long Distance Call もしもし、ホットライン イメージソング
Round Trip ANA機内放送『White Room』テーマソング
Water Business ダノンevian』イメージソング
A FAIR WIND テレビ朝日系『ニュースステーション』オープニングテーマ
OSAMPO NHKみんなのうた
Stereocaster FMフェスティバル『LOCK ON ROCK』キャンペーンソング

参加作品[編集]

出演[編集]

テレビ[編集]

音楽番組[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

 同社チョコフレーク

  CFにも出演

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ この件については2008年6月3日に放送されたTV音楽番組THE M』(日本テレビ系)にて「浪漫飛行 制作秘話」的な再現VTRが流され、
    ~メロディーが浮かんだ石井はCharに曲を聴いてもらうため、自宅を訪問
    石井:「米米には合わないかな?」 Char:「今の米米にはこういう曲も必要なんじゃないの?」
    そして歌メロの ~WOW WOW~は Charアイディアだった~とも語られた。石井は後からココに歌詞をつけるつもりだったが、
    「そのまんまでいいや。」とそのままにした~とも語られていた。

出典[編集]

  1. ^ 星新一公式サイト 寄せ書き Char「First-magnitude star」
  2. ^ a b c 週刊朝日1978年6月30日号 p142-145「いま女の子に騒がれているロック御三家のカクメイ的音楽性」
  3. ^ http://www.fender.jp/topics/news/000860.php
  4. ^ “徹子の部屋|2015/06/02(火)放送”. TVでた蔵 (株式会社ワイヤーアクション). (2015年6月2日). http://datazoo.jp/tv/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B/861930 
  5. ^ TOKYO SESSION -Rockin' Gambler-”. フジテレビ ONE TWO NEXT. フジテレビ. 2019年4月13日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]