グラムロック

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グラムロック(glam rock)は、主にイギリスで1970年代前半に流行した、ロックのジャンル。由来は、魅惑的であることを意味する英語の"glamorous"から来ている。日本のロックやファッションにも影響を与えた。

概要[編集]

グラム・ロックは、男性でも濃いメイクを施したり、煌びやかでけばけばしい、古い映画やSFをモデルにしたような、懐古趣味的な衣装をまとったりすることもあった。1970年代前半には、ラウドなハードロックや、演奏技術や楽曲の構成力を強調していたプログレッシブ・ロックが流行していた。それらとは異なった中性的なファッションや振る舞いと、ノリの良いビートやキャッチーなサウンドを奏でていたのがグラムロックのミュージシャンたちであった(グラム・ロックは70年代後半のパンク・ロックの一部にも影響を与えることになる)。また、Tレックス、モット・ザ・フープル[1]やロキシー・ミュージックのヒット曲のように、サックスリフを刻む楽曲も、グラム・ロックの一部に見られた。

グラム・ロックは、音楽性よりもルックスやステージングなどの面で区別されることが多かった。Tレックスやゲイリー・グリッターはブギー[2]、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックはアート系、スレイドやスウィートはハードなポップ・ロックといったように、サウンドや楽曲、音楽的志向などはかなり異なり、共通点はあまり見られない。

詳細・歴史[編集]

マーク・ボランとTレックス[3]デヴィッド・ボウイ[4]ロキシー・ミュージックモット・ザ・フープルが英国における代表的なアーティストである。日本でもグラムロックは人気があり、オールジャパン・ポップ20のような番組のチャートを賑わせていた。

だが、マーク・ボランは、グラムロックの盛衰と自身の音楽活動が同時進行してしまい、グラム・ロックの衰退期の1977年、交通事故により29歳で死亡してしまった[5]

デヴィッド・ボウイはグラムロック衰退以降も音楽活動を継続した。また、彼は映画『地球に落ちて来た男』(1976年)にも出演した。ボウイはモット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども」(1972年)を作曲している。ボウイがジギー・スターダストというキャラクターを作った際には、スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』や『2001年宇宙の旅』をモデルにした。またボウイはこの頃、ザ・ストゥージズの『ロウ・パワー』やルー・リードの『トランスフォーマー』などのプロデュースも担当した。

他にも、スウィートスレイドシルヴァーヘッドホークウィンドジョーディーなどがグラムロック系のバンドとされている。

73年のオイル・ショックやその後の不況、ロック・ファンの世代交代などが重なり、グラム・ロックのブームは75年ごろには終焉を迎えた。その後、1970年代後半のパンク/ニュー・ウェイヴが勃興することとなる。

時代背景としては、それまでのヒッピーウッドストックなどに代表される自然回帰運動への反動として、「人工的なもの」への志向が生じたのではないかとする説もある。ポップ・アートのアンディ・ウォーホール[6]の「Pork」という映画・舞台がグラム発生に影響を与えたという説もある。ウォーホールは異性装(トランスヴェスチズム)を好んでおり、またアンディ・ウォーホルの映画に数多く出演していたイーディ・セジウィックも中性的なイメージを持っていた。

また、1960年代後半のロンドンのアンダーグランド・シーンの影響も見られる。UFOクラブなどのナイトクラブ、ライブハウスでの演奏を通じて、メジャー・シーンへと進出を果たしたアーティストも多い。中でも、シド・バレット[7]ピンク・フロイドの存在は大きく、デヴィッド・ボウイマーク・ボランに影響を与えた。

グラム・ファッションの影響を受けたローリング・ストーンズも、当時は濃いメイクをしていた。ヴィジュアル面では、グラム・ロックが80年代前半に起こったニューロマンティックや後の日本のヴィジュアル系の先駆けとなったという見方もある。しかし、音楽的にはクラッシュのミック・ジョーンズがモット・ザ・フープルの追っかけであったことが良い例だが、パンク・ロックへの影響が見られる。なお、ヘヴィメタルのAC/DCのボーカリスト、ブライアン・ジョンソンは、かつてイギリスのグラムロック・バンド、ジョーディ(Geordie)に所属していた。

アメリカにおいて、グラムロックでの商業的な成功を収めたのはアリス・クーパーだった。さらに1973年にはニューヨークドールズがデビューし、ルー・リードイギー・ポップなどもグラムロックに影響されたステージを見せた。ほかにはラモーンズのメンバーがTレックスやスレイドを愛聴していることを、少年ナイフによるインタビューで答えたことがある[8]

日本への影響[編集]

国内では、1970年代半ば以降の沢田研二[9]忌野清志郎[10]らがいた。また1980年代前半には、土屋昌巳一風堂[11]が登場した。しかし、いずれも「グラム・ロック」とは呼ばれず、「ヴィジュアル系」バンドの登場によって、メイクした音楽家が大勢登場したことが認識された。1980年代以降のミュージシャンでグラマラスなメイクをしていたのは、安全地帯マルコシアス・バンプROLLY率いるすかんち吉川晃司毛皮のマリーズX JAPAN、などがいた。

なお、毎年マーク・ボランの命日である9月16日に「マーク・ボラン追悼~グラムロックイースター」というイベントが行われる。常連参加者には、頭脳警察にいたPANTAのほか、ROLLY、マルコシアス・バンプの旧メンバーなどがいる。

代表曲[編集]

グラムロック・アーティスト[編集]

映画[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ http://www.allmusic.com/album/mott-mw0000652911
  2. ^ http://www.allmusic.com/album/bolan-boogie-mw0000649907
  3. ^ http://www.discogs.com/artist/255047-T-Rex
  4. ^ http://www.discogs.com/ja/artist/10263-David-Bowie
  5. ^ http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/2651733.stm
  6. ^ ベルベット・アンダーグラウンドやローリング・ストーンズのアルバム・ジャケットを手掛けた。
  7. ^ 精神疾患のために音楽業界を去った
  8. ^ 93年のタワー・レコード「バウンス」による
  9. ^ 70年代にも簡単なメイクをしたことがあるが、本格的なメイクは80年代からで「OH!ギャル」はその代表的な曲である。
  10. ^ ライブでもテレビ出演でもメイクで登場していたが、「いけないルージュ・マジック」でのメイクは有名。
  11. ^ 「すみれセプテンバー・ラブ」でのメイクで知られる

出典[編集]