安全地帯 (ロックバンド)

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安全地帯
基本情報
出身地 日本の旗 日本 北海道 旭川市
ジャンル ロック
AOR
ニューミュージック
フォークロック
J-POP
活動期間 1982年 - 1992年
2002年 - 2003年
2010年 -
レーベル キティレコード
(1982年 - 1992年)
ユニバーサル ストラテジック マーケティング ジャパン
(2010年 - 2012年)
ソニー・ミュージックエンタテインメント
(2002年 - 2003年、2012年 -)
共同作業者 星勝
金子章平
井上陽水
松井五郎
黒須チヒロ
公式サイト 公式サイト
メンバー
玉置浩二ボーカルギターパーカッション
矢萩渉(ギター・ベース
武沢豊(ギター)
六土開正(ベース・ピアノキーボード
田中裕二ドラムス・パーカッション)
旧メンバー
武沢俊也(ギター・キーボード)
玉置一芳(ドラムス)
宮下隆宏(ベース)
大平市治(ドラムス)

ビートルズ
レッド・ツェッペリン
ドゥービー・ブラザーズ
ザ・タイガース
ザ・スパイダース
ザ・テンプターズ

安全地帯(あんぜんちたい)は、1973年北海道旭川市で結成されたロックバンド

来歴[編集]

アマチュア時代[編集]

1972年
北海道旭川市出身の玉置浩二は、中学2年時のクラスに転入生だった武沢豊を迎える。中学進級時から自己流でギターを弾き始めていた玉置は、武沢の大きな掌に空手を稽古していると恐れを覚えるほどであったが、それがクラシックギターを習っているからだと知り、練習曲を上手く弾く武沢に惹かれ、バンド結成を誘う。
1973年1975年
4月、玉置浩二(ボーカル)、武沢豊(ギター)、武沢俊也(武沢の兄、ギター・キーボード)の3人でバンド『インベーダー』を結成する。フォークグループとしてスタートし、演奏曲目はガロの「学生街の喫茶店」を得意とした。後にロックグループへの志向から『安全地帯』へ名称変更する。これは、旭川市内に路線を持つ路面電車旭川電気軌道電停にある安全地帯の標識が、「Victory」の頭文字「V」に似ていたことに由来する。初期のバンドメンバー・進藤による命名という。他案に『危険地帯』も候補に上ったが、「ロック=危険(な音楽)」というイメージを連想させることが平凡なため、採用しなかった。11月、玉置一芳(玉置の兄、ドラム)、宮下隆宏(ベース)が参加した。レッド・ツェッペリンに憧れていた玉置一芳の影響でロックに傾倒する。ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)第6回に初出場を果たし、第11回を除く第13回まで連続出場する。
1976年
ポプコン第12回では「昔にみたもの」で北海道代表に選ばれ、嬬恋本選会に登録される。
12月25日、札幌市内にてFMラジオ番組の生放送に『安全地帯』として初出演する。5曲を披露する。
1977年
6月、玉置一芳が脱退し、大平市治(ドラム)が加入する。12月、オールマン・ブラザーズ・バンドレイナード・スキナードなどのサザン・ロックを演奏していた
親交の深いロックバンド『六土開正バンド(ろくどかいせい-)』を吸収合併する。これにより、六土開正(ベース、キーボード)、矢萩渉(ギター)、田中裕二(ドラム)が参加する。玉置(ボーカル)、武沢豊・矢萩(ギター)、武沢俊也・六土(キーボード)、宮下(ベース)・大平・田中(ドラム)の8名は、各楽器担当とも2名ずつの編成となった。音楽性はハードロックから、ドゥービーブラザーズジャクソン・ブラウンを中心としたアメリカンロックへと幅が広がった。オリジナル曲の制作も増え、作詞は初期に玉置、後に武沢俊也が担当。作曲は玉置浩二が行なった。
1978年
2月、旭川市郊外の永山地区にある廃農家を借り、居住空間を確保した音楽専用スタジオに改装する。『ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション』(略称MFP、「音楽を耕す農夫集団」の意)と命名する。屋根と壁に囲われた空間に床を張り、防音材を四方の壁に詰めて水道を引き込んだ簡素な改装であったが、費用500万円は借金したためにメンバーはアルバイトに精を出すこととなった。一方、四周300mに一軒の隣家のないMFPでは、連日連夜、1日7〜8時間にわたって演奏練習、楽曲制作・録音に励むこととなった。なお、この音楽専用スタジオは後に脱退する宮下隆宏オーナーのフランス料理レストランに変貌し、MFPは安全地帯が設立した事務所名となる。7月、第1回ステージフライト[1]に出場し、グランプリを獲得する。11月、田中裕二、宮下隆宏が脱退する。そのため、六土開正はベース担当へ復帰。この頃、デモテープに興味を持った金子章平(後にディレクター、エグゼクティブ・プロデューサー)がMFPを訪問し、パット・シモンズのような雰囲気を醸し出すバンドメンバーのパンチのあるストレートな想像以上の演奏に将来性の確信を得た。長期にわたる合宿により実力をつけ、数々のコンテストで入賞を果たし、北海道で実力No.1のアマチュアバンドとなった。
1979年
5月、キティレコードよりレコーディングが依頼されるが、バンドサウンドが未完成との判断で保留する。8月、カルメン・マキの旭川、札幌公演に前座として出演する。11月26日、武沢豊が乗った車に飲酒運転の車が衝突、肋骨全部を骨折する重傷を負い、入院。
1980年
4月、六土開正が病気のため入院。10月、キティレコードから再びレコーディングの依頼があり、六土は病院の特別許可を得てライブ参加。ライヴ当夜、キティレコードと仮契約を結ぶ。11月、六土が退院。12月、武沢豊が仮退院する。28日のライヴ終了後、元モップスのギタリスト・星勝を交えてミーティングを行なう。星は心身ともに優れず意気消沈しているこの時期の安全地帯の精神的支柱であった。
1981年
1月、キティレコードから正式にレコーディングが依頼される。3月、武沢俊也が脱退する。7月、井上陽水が星勝の紹介でMFPを訪問する。共演する。ロック以外に歌謡曲やポップスの幅広い音楽に自然に目を向けるように促される。その後、井上の招聘により安全地帯が上京する。東京での初ライヴを渋谷『屋根裏』で開催する。伊豆ポリドールスタジオ(後のキティスタジオ)にて、「オン・マイ・ウェイ」のレコーディングを開始し、その合間に東京、大阪、神戸のライヴハウスに出演する。8月、『'81井上陽水ツアー』にバックバンドに起用され、同行が決定する。MFPに戻り、ツアーのための練習に励む。22日、第4回ステージフライトにゲスト出演する。井上のツアーの最終リハーサルとレコーディングのため再び上京し、東京での合宿生活が始まる。9月24日、井上陽水ツアーが熊本市民会館からスタートし、12月10日の東京・渋谷公会堂の最終回まで全国23カ所の公演に参加する。ツアー衣装は、当初無給のため、渋谷のジーンズメイトで購入したものを履き、鉢巻きというスタイル。ツアーの経験から、自信のあった練習量、実力のある多くの同等バンドの存在に気付き挫折感を味わうが、さらに練習に励む。11月、「オン・マイ・ウェイ」がブリヂストンスノータイヤのCMソングに起用され、北海道、東北地方にて放映される。

メジャーデビュー[編集]

1982年
1月24日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に井上陽水のバックバンドとして初出演する。井上陽水の春・夏のコンサートのサポート・ミュージシャンとして参加し、秋から翌年1月までの全国ツアーのバックバンドを務めた。2月25日、シングル『萠黄色のスナップ』でデビュー。4月、キティレコード(現・ユニバーサルミュージック)と正式契約。メンバーは東京に転居して合宿生活を開始するが、大平市治が脱退する。田中裕二が再加入することで、デビュー以後の安全地帯の5人のメンバーが確立した。5月、東京・渋谷『エッグマン』でライヴ。7月、井上陽水のバックバンドとして、東京・日比谷野外音楽堂大阪城野外音楽堂のコンサートをサポートする。8月上旬、札幌市郊外で開催されていた『北海道博覧会』特設会場に、FM北海道の招きで出演する。下旬、1st.アルバム『安全地帯Ⅰ-Remember to Remember』のレコーディングを伊豆ポリドールスタジオで開始し、メンバーの合宿生活を終える。玉置は、東京・目黒の四畳半一間のアパートを借家。一人暮らしに馴染めず、売り上げの芳しくないレコード、コンサートが続くことも相まって、自暴自棄に陥りそうになる。苦しいなりにも自信は失っておらず、テレビコマーシャルか番組主題歌に起用される機会を窺っていた。10月25日、2nd.シングル『オン・マイ・ウェイ』を発表し、ブリヂストン・アイスコンパウンド・イメージソングに起用された。11月、井上陽水のツアーに翌年1月まで同行した。
1983年
1月25日、1st.アルバム『安全地帯I Remember to Remember』を発表する。その後、サントリーから発売された「赤玉パンチ」のCMソングに起用された『ワインレッドの心』が大ヒット。一躍全国にその名が知れ渡る。
1984年
恋の予感』、『熱視線』等の楽曲を立て続けにヒットさせる。
1985年
悲しみにさよなら』が大ヒット。TBSの『ザ・ベストテン』、日本テレビザ・トップテン』年間第1位に輝き、同年のNHK紅白歌合戦出場を果たした。また、FNS歌謡祭では史上初で唯一となる2年連続で最優秀歌唱賞を受賞した。
1986年
8月、神宮球場においては初となるコンサートを井上陽水と共に行う。12月、アナログ盤にして3枚組となるアルバム『安全地帯V』を発売。また、『ワインレッドの心』『恋の予感』『Friend』などが香港でカバーされ、それぞれヒットした。
1987年
安全地帯の活動の合間を縫って個別の活動も進められ、夏に玉置自身初のシングルとアルバムをリリースする。
1988年
秋、香港コロシアムでのコンサートを最後に活動休止を宣言。その原因として、メンバー個々の活動が活発化し、6th.アルバム『安全地帯VI〜月に濡れたふたり』以降の音楽性の追求方向のメンバー間の相違によるとされる。宣言後の5人は約2年間、個々の活動を行なう。
1990年
7月、約2年ぶりのオリジナルアルバムとなる『安全地帯VII〜夢の都』をリリースする。収録曲の『この道は何処へ』は1991年冬季ユニバーシアードテーマ曲。
1991年
12月、オリジナルアルバム『安全地帯VIII〜太陽』をリリースする。
1992年
12月、アコースティックスタイルでのコンサートツアーの終了時点で、実質的に長期活動休止に入る。

長期活動休止〜現在[編集]

1993年
2月10日、シングル『ひとりぼっちのエール』がリリースされる。活動休止を境に玉置は、ソロと俳優業を中心とした活動に移行し、武沢豊はプロデュース業に専念、他のメンバーも個々の活動に入る。この時、安全地帯の所属会社がキティレコードからソニー・ミュージックエンタテインメントに移るが、安全地帯名義の活動は約10年間休止したままだった。
1994年
武沢の脱退が発表。メンバー4人は玉置浩二のソロプロジェクトで当分の間活動することになる。玉置一芳(ドラム)、宮下隆宏(ベース)が一時的に復帰。しかし、実質的には玉置ソロ活動のサポート・ミュージシャンが帯同して、4名の活動となった。
1998年
7月19日、旭川市の野外ライブ『旭川ライブジャム'98in北彩都』で約5年ぶりにメンバー5人全員が揃う。
2001年
この頃より安全地帯としての音楽製作を本格的に再開する。
2002年
7月10日、10年ぶりのシングル『出逢い』がリリースされる。発売前日、5人揃って記者会見が行われた。8月7日に9thアルバム『安全地帯IX』が発売され、9月からツアーが始まったが、武沢は怪我のため参加できなかった。
2003年
10月22日、10th.アルバム『安全地帯X〜雨のち晴れ〜』がリリースされる。ツアーでは5人全員が揃い、80年代の活動の場であったライブハウス「Shibuya eggman」でもライブを行う。12月、ツアー全日程を終了。ツアー終了後約6年間、グループは再び長期休止状態となる。
2010年
1月8日、前年秋からメンバーによる楽曲製作の合宿を極秘裏に行っていたことが、フジテレビ系情報番組『とくダネ!』で放映され、シングル『蒼いバラ / ワインレッドの心(2010ヴァージョン)』のリリースと3月のイベント出演が公表された。所属レコード会社はユニバーサル ストラテジック マーケティング ジャパンに移籍(実質的には復帰)した。同日に『蒼いバラ』、2月3日にカップリング曲の『ワインレッドの心 (2010ヴァージョン)』の着うた配信がスタート。7月からは7年ぶりとなる全国コンサートツアーを開催し、9月下旬から10月上旬にかけて台湾香港韓国の海外公演も決定した。なお、9月12日に行われた福岡市での公演は、玉置浩二が体調不良の状態でステージを敢行したものの、観客とのトラブルが生じたため、コンサートは中止扱いとされた[2]。全国ツアー最終の10月5日・6日は、18年ぶり24回目となる日本武道館で公演を行った。
2012年
7月1日、ソニーに再移籍し、デビュー30周年を節目として初のレーベル『SALTMODERATE』を発足。8月22日にセルフカバー曲中心のアルバムを発売する。来年はオリジナルアルバムの発売や国内・海外のツアーも計画している。玉置自身のソロ活動も並行して行われる。

メンバーと担当楽器[編集]

作品[編集]

シングル[編集]

発売日 タイトル
1st 1982年2月25日 萠黄色のスナップ /一度だけ
2nd 1982年10月25日 オン・マイ・ウェイ /FIRST LOVE TWICE
3rd 1983年4月1日 ラスベガス・タイフーン /エイジ
4th 1983年11月25日 ワインレッドの心 /We're alive
5th 1984年4月16日 真夜中すぎの恋 /…ふたり…
6th 1984年7月25日 マスカレード /置き手紙
7th 1984年10月25日 恋の予感 /Happiness
8th 1985年1月25日 熱視線 /一秒一夜
9th 1985年6月25日 悲しみにさよなら /ノーコメント
10th 1985年10月1日 碧い瞳のエリス /彼女は何かを知っている
11th 1986年7月1日 プルシアンブルーの肖像 /チャイナドレスでおいで
12th 1986年9月25日 夏の終りのハーモニー /俺はシャウト!※井上陽水・安全地帯名義
13th 1986年10月21日 Friend /恋はDANCEではじめよう
14th 1986年12月3日 好きさ /思い出につつまれて
15th 1987年4月21日 じれったい /ひとりぼっちの虹
16th 1987年12月2日 Juliet /きっかけのWink
17th 1988年3月10日 月に濡れたふたり /時計
18th 1988年6月21日 I Love Youからはじめよう /Too Late Too Late
19th 1988年8月25日 微笑みに乾杯 /ナンセンスだらけ
20th 1990年11月7日 情熱 /Seaside Go Go
21st 1991年11月6日 いつも君のそばに /俺はどこか狂っているのかもしれない
22nd 1992年12月2日 あの頃へ /地平線を見て育ちました
23rd 1993年2月10日 ひとりぼっちのエール /あの頃へ(ライブ)
24th 2002年7月10日 出逢い /野蛮人でいい
25th 2002年12月4日 反省 /あの頃へ
26th 2003年9月18日 雨のち晴れ /ショコラ
27th 2010年3月3日 蒼いバラ /ワインレッドの心(2010ヴァージョン)
28th 2010年5月5日 オレンジ /恋の予感(2010ヴァージョン)
29th 2011年8月24日 結界 /田園

オリジナルアルバム[編集]

発売日 タイトル
1st 1983年1月25日 安全地帯I Remember to Remember
2nd 1984年5月1日 安全地帯II
3rd 1984年12月1日 安全地帯III〜抱きしめたい
4th 1985年11月24日 安全地帯IV
5th 1986年12月14日 安全地帯V
6th 1988年4月10日 安全地帯VI〜月に濡れたふたり
7th 1990年7月25日 安全地帯VII〜夢の都
8th 1991年12月11日 安全地帯VIII〜太陽
9th 2002年8月7日 安全地帯IX
10th 2003年10月22日 安全地帯X〜雨のち晴れ〜
11th 2010年5月26日 安全地帯XI ☆Starts☆「またね…。」
12th 2011年9月14日 安全地帯XII
13th 2011年11月16日 安全地帯XIII JUNK
14th 2013年3月6日 安全地帯XIV〜The Saltmoderate Show〜

ベストアルバム[編集]

発売日 タイトル
1st 1985年10月 浪漫歌集 (寶麗金[Polydor] 825 444-1(LP),4(CT)) ※香港のみで発売
2nd 1988年12月10日 安全地帯 BEST〜I Love Youからはじめよう ※日本版と香港版で収録曲や収録バージョンが一部異なる
3rd 1993年8月25日 安全地帯BESTII-ひとりぼっちのエール
4th 2001年6月21日 THE VERY BEST of 安全地帯
5th 2005年3月23日 安全地帯 COMPLETE BEST
6th 2006年7月5日 安全地帯 ゴールデン☆ベスト

ライブアルバム[編集]

発売日 タイトル
1st 1985年4月25日 ENDLESS
2nd 1986年11月5日 スターダスト・ランデヴー井上陽水・安全地帯LIVE AT 神宮
3rd 1987年6月10日 安全地帯LIVE
4th 1998年8月19日 ONE NIGHT THEATER 1985
5th 2005年11月9日 安全地帯VI LIVE 〜月に濡れたふたり〜
6th 2010年12月8日 安全地帯 “完全復活” コンサートツアー2010 Special at 日本武道館 〜Start & Hits〜「またね…。」

企画アルバム[編集]

  • プルシアンブルーの肖像(1986年)
    映画『プルシアンブルーの肖像』(東宝)のサウンドトラック
  • 安全地帯 アナザー・コレクション -アルバム未収録曲集-(1994年)
    デビューから当時の最新シングルまでの全B面を収録
  • 安全地帯 テーマソングス(1995年)
    映画やCM等のテーマソングとして使われた楽曲のみを収録
  • メモリアル・コレクション(1996年)
    安全地帯I〜VIIIまでのオリジナルアルバムに、アルバム未収録曲集2枚が加わった計12組のCDボックス
  • TREASURE COLLECTION(1999年)
  • Goro Matsui & Koji Tamaki Ballad Collection -Only You-(2002年)
    数ある安全地帯の楽曲の中から、作詞・松井五郎、作曲・玉置浩二のバラードのみを収録
  • 安全地帯 Hits(2010年)
    過去のヒットシングル曲をセルフカヴァーした作品
  • The Ballad House〜Just Old Fashioned Love Songs〜(2012年)
    過去のバラードをリレコーディングした記念盤。新譜2曲を収録。

タイアップ一覧[編集]

曲名 タイアップ
オン・マイ・ウェイ ブリヂストン「アイスコンパウンド」CMソング(北海道・東北地方のみ)
ワインレッドの心 サントリー「赤玉パンチ」CMソング
We're alive ブリヂストン「アイスコンパウンドII」CMソング(北海道・東北地方のみ)
恋の予感 JAL「ハワイツアー キャンペーン '84」CMソング
熱視線 フォード・レーザー」CMソング
悲しみにさよなら キリンビール秋味」CMソング
碧い瞳のエリス 大王製紙「エリス」キングコング篇CMソング
プルシアンブルーの肖像 同名映画(東宝)主題歌、大王製紙「エリス」もうはなさない篇CMソング
夢のつづき 大阪ガスガスファンヒーターCMソング
デリカシー TBS系ドラマ親にはナイショで…』主題歌
Friend 大王製紙「エリス」ミステリアスフィットネス篇CMソング
好きさ アニメめぞん一刻』2代目オープニングソング
思い出につつまれて 大阪ガスガスファンヒーターCMソング(関西地方のみ)
じれったい 太陽誘電「That's」CMソング
Juliet テレビ朝日系『CNNデイウォッチ』エンディングテーマ
月に濡れたふたり JTSOMETIME MIASS」CMソング
I Love Youからはじめよう 太陽誘電「That's」CMソング
Too Late Too Late 太陽誘電「That's」CMソング
微笑みに乾杯 JT「SOMETIME MIASS」CMソング
この道は何処へ 札幌ユニバーシアード冬季大会テーマソング
きみは眠る 東芝コードレスホン CMソング
情熱 テレビ朝日系ドラマ『火曜ミステリー劇場』エンディングテーマ
いつも君のそばに トヨタカリーナ」CMソング
朝の陽ざしに君がいて 味の素ほんだしCMソング
あの頃へ 月桂冠「花鳥風月」CMソング
地平線を見て育ちました ホクレンイメージソング
ひとりぼっちのエール 読売テレビ日本テレビ系)ドラマ『お茶の間』主題歌
出逢い 日本テレビ系ドラマ『火曜サスペンス劇場』主題歌
反省 ハウス食品「北海道シチュー&グラタン」CMソング
あの頃へ※2002年バージョン テレビ東京系新春ワイド時代劇ドラマ『忠臣蔵〜決断の時』主題歌
ショコラ 江崎グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング
オレンジ テレビ朝日系ドラマ『おみやさん』主題歌
結界 BSフジドラマ『フォルティッシモ〜また逢う日のために〜』主題歌

ソングブック[編集]

  • 安全地帯ベスト曲集 Guitar songbook(2002年)
  • 安全地帯X -雨のち晴れ- ギターソングブック(2003年)

安全地帯の曲をカバーした歌手[編集]

CDとして発表されたもののみ。

  • 国内
  • 韓国
  • POSITION(「재회(再会)」=「夢のつづき」)
  • パク・ヨンハ(「ワインレッドの心」)
  • 香港
  • アラン・タム(「酒紅色的心」=「ワインレッドの心」)
  • レオン・ライ(「一夜傾情」=「恋の予感」「如果這是情」=「ともだち」)
  • ジャッキー・チュン(「月半彎」=「夢の続き」「情不禁」=「Lonely far」「李香蘭(北京語版では秋意濃)」=「行かないで」)
  • ハッケン・リー(「夏日的神話」=「I LOVE YOUからはじめよう」「藍月亮」=「月に濡れたふたり」「一千零一夜」=「Juliet」「想妳的舊名字」=「Melody」「跳舞波鞋」=「Seaside Go Go」「懷念她」=「情熱」)
  • プリシラ・チャン(「痴情意外」=「碧い瞳のエリス」)
  • テレンス・チョイ(「誰最愛你」=「悲しみにさよなら」)
  • レスリー・チャン(「拒絶再玩」=「じれったい」)
  • ハッケン・リー、クリストファー・ウォン(「絶對自我」=「夏の終わりのハーモニー」)
  • ダニー・チャン(「細想」=「FRIEND」「冷風中」=「恋の予感」)
  • イーキン・チェン(「離不開」=「この道は何処へ」)
  • アーロン・クオック(「一顆心碎了」=「瞳を閉じて」)
  • ケン・チョイ(「月蝕」=「ワインレッドの心」「心中化妝」=「プルシアンブルーの肖像」)
  • サリー・イップ(「答案」=「夏の終わりのハーモニー」)
  • 台湾
  • 趙詠華(チョウ・エイカ)(「夢的延続」=「夢のつづき」)

他、多数。

脚注[編集]

  1. ^ ヤマハ イベントヒストリーアーカイブ「STAGE FLIGHT'78」
  2. ^ ろれつ回らぬ玉置浩二さん、客と口論・公演中止 読売新聞 2010年9月13日

外部リンク[編集]