細川たかし

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細川 たかし
出生名 細川 貴志
生誕 (1950-06-15) 1950年6月15日(66歳)
出身地 日本の旗 日本北海道虻田郡真狩村
ジャンル 演歌
職業 演歌歌手
担当楽器
活動期間 1975年 - 現在
レーベル 日本コロムビア
事務所 バーニングプロダクション
新栄プロダクション
共同作業者 三橋美智也
公式サイト 細川たかし音楽事務所

細川 たかし(ほそかわ たかし、本名:細川 貴志[1]1950年6月15日[1] - )は、日本演歌歌手。血液型A型。身長173cm、既婚。三橋美智也に師事。2002年頃まではバーニングプロダクションに所属、その後は新栄プロダクションを経て、エフエンタープライズ系列の細川たかし音楽事務所に所属している。民謡三橋流の名取であり、三橋 美智貴(みはし みちたか)とも名乗る[1]

経歴・人物[編集]

北海道虻田郡真狩村(まっかりむら)出身[1]。歌手を志したきっかけとなったのは、井沢八郎のヒット曲『北海の満月』を聴いてからであった。中学校の卒業アルバムに『北海の心 満月の姿』と書いたほど少年時代の細川はこの曲が大好きであった。後に『北海の満月』の作詞&作曲コンビで『満天の舟歌』を歌っている。上京する前は、札幌すすきのクラブを中心に歌手活動を行っていた。雰囲気が森進一に似ていたことから“札幌の森進一”と呼ばれていた。その活動に東京の芸能プロダクションが着目し、上京してメジャーデビューする。歌手になるため、「1年で売れなかったら戻る」と約束して妻子を残し、北海道から上京した。

デビュー『心のこり』[編集]

1975年4月1日心のこり』(作詞なかにし礼、作曲中村泰士)で歌手デビューする。伸びやかな高音と民謡で鍛えられた肺活量で迫力を持った歌声は評価され、第6回日本歌謡大賞放送音楽新人賞第17回日本レコード大賞最優秀新人賞など、同年の音楽新人賞を多数受賞。1位〜10位のすべてにランクされるという記録を樹立し、80万枚を売り上げ大ヒットした。

また同1975年の音楽新人賞争いは、岩崎宏美の「ロマンス」と激しい一騎討ちとなり、当時話題ともなった[2] 。自身初出場を果たした同年末の「第26回NHK紅白歌合戦」では、白組のトップバッターを務めた。

なおデビュー曲の「心のこり」は、当初「私バカよね」というタイトルとなる予定だった。しかしデビュー曲であったために所属するレコード会社が、挨拶まわりをする際に「このたび『私バカよね』でデビューすることになりました細川たかしです」と言うのはマズい、とのことで「心のこり」に改題されたという。

「心のこり」以降は長い間大きなヒットが出なかった。しかしながら、ヒットが出ないとはいえ当時、1作数十万枚の売れ行きがあったという。また、この頃に三橋美智也と出会い民謡も極め、三橋流三橋美智貴の名も貰った。「津軽山唄」に至っては、60歳を超えた現在でも、未だ変わらぬ凄まじい高音でのパフォーマンスを披露している。

欽ちゃんファミリー[編集]

テレビ朝日の『欽ちゃんのどこまでやるの!』でレギュラーとなり、欽ちゃんファミリーの一員として人気を博した。出演のきっかけは、かつて度々ゲスト出演していたTBSの『8時だョ!全員集合』内であった坂道の上にある一軒家に駆け上がるコントの際に、細川が誤って転んだためにアキレス腱を切断、長期入院を余儀なくされたことであった。復帰後の仕事量が激減した細川は、ある日にゲスト出演した際、萩本欽一に「仕事ないの?じゃあ毎回来る?」といわれ、同番組にレギュラー出演することとなった。

また日本テレビの『カックラキン大放送!!』に出演するときは、何故か自転車に乗ったお巡りさんの役ばかりだった。

レコード大賞3冠[編集]

1982年(昭和57年)3月1日、「北酒場」(作詞:なかにし礼、作曲:中村泰士)を発表。デビュー曲「心のこり」以来7年ぶりの大ヒットとなり、オリコンでは1982年度年間5位に入り、第24回日本レコード大賞を初受賞した。

1983年(昭和58年)2月21日ちあきなおみ1976年に発表した「矢切の渡し」(作詞:石本美由紀、作曲:船村徹)のカバーを発表。オリコン1983年度年間2位のヒットとなり、史上初の第25回日本レコード大賞2連覇。大賞受賞年の翌年は売れないというジンクスを打ち破った。

1984年8月21日、「浪花節だよ人生は」(作詞:藤田まさと、作曲:四方章人)を発表、第26回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。3冠達成となる。同年の「第35回NHK紅白歌合戦」で「浪花節だよ人生は」を歌った際、歌い出しを「肩を抱かれて…」と誤り(正しくは「飲めと言われて…」)歌唱中に「あれっ、すいません、歌詞間違ってごめんなさい」と笑顔で謝罪、更に間奏・後奏でも「どうもすいませんでした」と繰り返した。細川の回想によれば、「『どうもすいません、間違えました』と言ったら会場がどっと明るくなって、それからふつうの人間は倒れるんだけど、立ち直って全部歌ってしまった」と語っている[3][出典無効]

1985年には真狩村に「細川たかしを讃える碑」、1994年には「細川たかし記念像」(別名「歌う銅像」)が建てられる。

2006年の第57回でも「浪花節だよ人生は」を歌ったが二番を歌唱の途中、「人の情けに…」と歌ったところで黙ってしまい「あ!歌詞忘れてしまった」と言い「御免なさい!」と笑顔で謝罪、その後気を取り直し最後まで熱唱した。

不祥事[編集]

2007年、出資法違反容疑で警視庁から家宅捜索を受けたエル・アンド・ジー円天の顧客獲得のために開いた会員向けコンサートの仕事を約50回にわたって引き受け、多額の出演料を得ていたことが発覚した。他にも多くの歌手を紹介し、彼らの出演料の一部(およそ4割といわれている)を紹介料としてピンハネしていた疑惑も判明。その結果、「多大なる心配を掛けた」ことを理由に第58回NHK紅白歌合戦出場を辞退した[4]。これにより連続出場記録は32回でストップした。

その後、円天被害者弁護団から“宣伝に関与した責任がある”として上級幹部会員1名及び大学教授と共に損害賠償請求訴訟を起こされている(棄却)。

2008年4月15日放送の「大御所ジャパン!」で、若手演歌歌手に対して「ジェロに負けるな!」と言い、ジェロの服装について「あの格好は止めて欲しい」と苦言を呈した。しかし、共演者で同じ演歌歌手の藤あや子は「見た目格好いい方が良いじゃないですか」と擁護した。2008年9月中旬に指定暴力団山口組後藤組組長とのゴルフコンペに参加したことが明らかとなり、NHKの番組出演が見送られ[5]、第59回紅白に不選出、2年連続して紅白に出場できなかった。

紅白歌合戦出場歴[編集]

紅白歌合戦』(NHK)にはデビュー1年目の1975年(第26回)に初出場して以来、2006年(第57回)まで32回連続して出場。上述の円天問題による影響で2007年(第58回)の出場を辞退したことで連続出場はストップしたが、森進一(2015年限りで紅白歌合戦勇退)、五木ひろし(2015年まで継続中)、小林幸子(2011年でストップ)に次いで歴代4位の連続出場記録を持つ。

2009年の第60回に3年ぶりに返り咲いて通算33回目の出場を果たし、2015年(第65回)まで7年連続出場。通算39回の出場であった。細川自身は紅白出場の継続に関し、「倒れるまでやった方がいいんじゃない」と述べていた[6]

2016年第67回に出場すれば40回出場の節目になるはずであったが、それを前に細川は11月21日に「(紅白も)世代交代が必要」として後身に道を譲るべく同年の第67回の出場を辞退し、2015年限りで紅白歌合戦から卒業(勇退)する意向を表明した[7]

スキー[編集]

北海道出身ということもあり、少年時代からスキーを得意にしていて全日本スキー連盟(SAJ)公認スキーバッジテストで一級を取得している。またSAJ教育本部アドバイザーも務めている[8]

2010年にはスキーのジュニア選手育成とスポーツ振興を柱としたNPO法人『特定非営利活動法人細川たかしとワールドスキージュニア』を設立[9]。2011年から細川自らの名を冠したジュニアスキー大会『細川たかし ワールドスキージュニア大会』を創設、現在では35歳以上のスキーヤーを対象にした『細川たかし マスターズ・テクニカルカップ』も創設して二つの冠大会を毎年開催するなどスキー振興にも力を入れている[10]

作品[編集]

1975年(昭和50年)

1976年(昭和51年)

1977年(昭和52年)

1978年(昭和53年)

  • 遠い灯り(作詞:東海林良、作曲:徳久広司、編曲:馬飼野俊一、3月1日
  • ぬくもり(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平、編曲:高田弘、7月1日)
  • 港夜景(作詞:大未野奈、作曲:大野弘也、編曲:小杉仁三、10月1日)

1979年(昭和54年)

1980年(昭和55年) 芸能生活5周年

1981年(昭和56年)

1982年(昭和57年)

1983年(昭和58年)

1984年(昭和59年)

1985年(昭和60年) 芸能生活10周年

1986年(昭和61年)

  • 湯けむり情話(作詞:石本美由紀、作曲:南郷孝、編曲:佐伯亮、4月21日
  • さだめ川(作詞:石本美由紀、作曲:船村徹、編曲:京建輔、8月21日)※ちあきなおみが1975年に発表した曲のカバー

1987年(昭和62年)

1988年(昭和63年)

  • 北緯五十度(作詞:中山大三郎、作曲:望月吾郎、編曲:斉藤恒夫、2月1日)
  • 正調 おそ松節(作詞:秋元康、作曲:見岳章、編曲:竜崎孝路、3月21日)※TVアニメ「おそ松くん」主題歌(オープニングテーマ曲)
  • おそ松くん音頭(作詞:森雪之丞、作曲:中山大三郎、編曲:竜崎孝路、3月21日)※TVアニメ「おそ松くん」主題歌(エンディングテーマ曲)

1989年(平成元年) 芸能生活15周年

  • 人生航路(作詞:なかにし礼、作曲:中村泰士、編曲:馬飼野俊一、3月21日
  • 北国へ(作詞:秋元康、作曲:高橋研、編曲:竜崎孝路、11月10日

1990年(平成2年)

  • 男の火祭り(作詞:池田充男、作曲:浜圭介、編曲:京建輔、4月17日
  • 星が見ていた(作詞:千家和也、作曲:市川昭介、編曲:竜崎孝路、8月21日)
  • うかれ節(作詞:なかにし礼、作曲:杉本真人、編曲:馬飼野俊一、9月21日

1991年(平成3年)

1992年(平成4年)

1993年(平成5年)

  • 恋の酒(作詞:たかたかし、作曲:弦哲也、編曲:佐伯亮、5月1日)
  • 人生希望と辛抱だ(作詞:大塚正士、作曲:馬飼野俊一、編曲:今泉敏郎、9月21日)※大鵬薬品「ソルマック」CM曲

1994年(平成6年) 芸能生活20周年

1995年(平成7年)

  • ふたり道(作詞:たかたかし、作曲:弦哲也、編曲:佐伯亮、8月19日

1996年(平成8年)

  • 女のしぐれ(作詞:たかたかし、作曲:弦哲也、編曲:佐伯亮、8月21日)

1997年(平成9年)

  • 冬の宿(作詞:たかたかし、作曲:弦哲也、編曲:佐伯亮、8月21日)

1998年(平成10年)

1999年(平成11年) 芸能生活25周年

2000年(平成12年)

  • 雪港(作詞:たかたかし、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明、1月1日)
  • 粋な酒(作詞:土田有紀、作曲:弦哲也、編曲:池多孝春、7月1日

2001年(平成13年)

  • 北の五番町(作詞:二宮康、作曲:弦哲也、編曲:馬飼野俊一、8月18日

2002年(平成14年)

  • この蒼い空には(作詞:柚木有紀、作曲:弦哲也、編曲:馬飼野俊一、3月1日)
  • 合掌 風の宿(作詞:里村龍一、作曲:叶弦大、編曲:南郷達也、7月20日

2003年(平成15年)

2004年(平成16年) 芸能生活30周年

  • 夫婦ごころ(作詞:たかたかし、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明、1月1日)
  • 下北漁歌(作詞:松井由利夫、作曲:聖川湧、編曲:石倉重信8月25日

2005年(平成17年)

  • 城崎恋歌(作詞:柚木由柚、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明、1月19日)※作詞の柚木由柚(ゆずきゆゆ)は細川の長男で、名前を「譲」(ゆずる)という。

2006年(平成18年)

  • あやいろの恋(作詞:柚木由柚、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明、2月15日
  • オジロ鷲(作詞:木下龍太郎、作曲:船村徹、編曲:蔦将包、9月20日

2007年(平成19年)

  • 満天の船歌(作詞:松井由利夫、作曲:大沢浄二、編曲:南郷達也、3月21日

2008年(平成20年)

  • 恋宿り〜銀山夜景〜 (作詞:柚木由柚、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明、5月21日

2009年(平成21年)芸能生活35周年

  • 櫻の花の散るごとく 〜ニューバージョン〜 (作詞:たかたかし、作曲:弦哲也、編曲:前田俊明、6月24日)

2010年(平成22年)

  • 北の男歌 (作詞:柚木由柚 作曲:櫻田誠一、編曲:伊戸のりお、2月3日)
  • 北岬 (作詞 : 千家和也 作曲 : 浜圭介、編曲:馬飼野俊一 10月13日)

2011年(平成23年)

  • ねぶた (作詞:なかにし礼 作曲:浜圭介、編曲:若草恵、6月22日)

2012年(平成24年)

  • 津軽へ (作詞:なかにし礼 作曲:浜圭介、編曲:若草恵、1月10日)

2013年(平成25年)

  • 屋久島 (作詞 :おのりく 作曲:井上慎一郎 、編曲:井上慎一郎、1月23日) - 世界遺産登録20周年記念曲 -

2014年(平成26年)

  • 艶歌船 (作詞:松井由利夫 作曲:増田空人、編曲:丸山雅仁、9月28日)

出演[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

1975年(第26回)から2015年(第66回)まで、途中2年の空白期間を除いて通算39回出場。白組トリかつ大トリを1983年(第34回)と1995年(第46回)の計2回務めており、また白組トップバッターかつ先攻トップバッターも1975年(第26回)と2005年(第56回)の計2回務めており曲順は年によって大きく変化している。2015年限りで紅白から勇退を決めている[7]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1975年(昭和50年)/第26回 心のこり 01/24 岩崎宏美 先攻トップバッター(1)
1976年(昭和51年)/第27回 2 置き手紙 02/24 西川峰子
1977年(昭和52年)/第28回 3 ひとり旅 04/24 西川峰子(2)
1978年(昭和53年)/第29回 4 港夜景 12/24 高田みづえ
1979年(昭和54年)/第30回 5 ゆきずり 11/23 研ナオコ
1980年(昭和55年)/第31回 6 ほたる草 17/23 石川さゆり
1981年(昭和56年)/第32回 7 いつかどこかで 10/22 牧村三枝子
1982年(昭和57年)/第33回 8 北酒場 18/22 森昌子
1983年(昭和58年)/第34回 9 矢切の渡し 21/21 水前寺清子 大トリ(1)
1984年(昭和59年)/第35回 10 浪花節だよ人生は 09/20 水前寺清子(2)
1985年(昭和60年)/第36回 11 望郷じょんから 15/20 水前寺清子(3)
1986年(昭和61年)/第37回 12 さだめ川 17/20 八代亜紀
1987年(昭和62年)/第38回 13 夢暦 16/20 大月みやこ
1988年(昭和63年)/第39回 14 北緯五十度 06/21 坂本冬美
1989年(平成元年)/第40回 15 北国へ 14/20 桂銀淑
1990年(平成2年)/第41回 16 うかれ節 22/29 松原のぶえ
1991年(平成3年)/第42回 17 応援歌、いきます 24/28 川中美幸
1992年(平成4年)/第43回 18 佐渡の恋唄 26/28 石川さゆり(2)
1993年(平成5年)/第44回 19 恋の酒 13/26 森口博子
1994年(平成6年)/第45回 20 夢酔い人 15/25 坂本冬美(2)
1995年(平成7年)/第46回 21 望郷じょんから(2回目) 25/25 和田アキ子 大トリ(2)
1996年(平成8年)/第47回 22 女のしぐれ 23/25 石川さゆり(3)
1997年(平成9年)/第48回 23 冬の宿 22/25 都はるみ
1998年(平成10年)/第49回 24 北緯五十度(2回目) 21/25 石川さゆり(4)
1999年(平成11年)/第50回 25 櫻の花の散るごとく 19/27 長山洋子
2000年(平成12年)/第51回 26 望郷じょんから(3回目) 25/28 石川さゆり(5)
2001年(平成13年)/第52回 27 北の五番町 09/27 香西かおり
2002年(平成14年)/第53回 28 津軽山唄(民謡) 24/27 香西かおり(2)
2003年(平成15年)/第54回 29 浪花節だよ人生は(2回目) 24/30 坂本冬美(3)
2004年(平成16年)/第55回 30 下北漁歌 20/28 (対戦相手なし)[11]
2005年(平成17年)/第56回 31 北酒場(2回目) 01/29 川中美幸(2) 先攻トップバッター(2)
2006年(平成18年)/第57回 32 浪花節だよ人生は(3回目) 06/27 藤あや子
2009年(平成21年)/第60回 33 望郷じょんから(4回目) 09/25 坂本冬美(4) 3年ぶりの出場
2010年(平成22年)/第61回 34 浪花節だよ人生は(4回目) 06/22 伍代夏子
2011年(平成23年)/第62回 35 ねぶた 06/25 藤あや子(2)
2012年(平成24年)/第63回 36 浪花節だよ人生は(5回目) 08/25 香西かおり(3)
2013年(平成25年)/第64回 37 浪花節だよ人生は 2013(6回目) 02/25 NMB48
2014年(平成26年)/第65回 38 応援歌、いきます(2回目) 08/23 香西かおり(4)
2015年(平成27年)/第66回 39 心のこり(2回目) 11/26 和田アキ子(2) 前半トリ前

対戦相手の()は対戦相手との通算対戦回数、備考の()はトリやトップバッター等を務めた通算出場回数を表す。曲目の(○回目)はその曲が紅白歌合戦に出場した通算回数を表す。出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

テレビ番組[編集]

他多数

映画[編集]

CM[編集]

  • ザルツライオン(ライオン
  • 五目ちらし(1992年、ミツカン
  • 追いがつおつゆ(1992年から1993年まで、ミツカン)
  • マスタックス(1983年から1985年まで、日立製作所
  • 宝焼酎宝っこ(2000年から放映中、東北地方限定販売、宝酒造
  • 焙炒造り松竹梅生貯蔵酒(1997年から1998年まで、宝酒造)
  • 北海道で日本よ、もっとうまくなれキャンペーン(2007年、サッポロビール

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 公式プロフィール - 細川たかし音楽事務所
  2. ^ 【1975年6月】心のこり/“つかみ”はOK!“札幌の森進一”こと細川たかしデビュー(スポニチアネックス)
  3. ^ 紅白名場面!感動熱唱編(1995年12月12日放送)
  4. ^ 細川たかし 芸能生命危機!?」 内外タイムス、2008年10月14日。
  5. ^ 細川たかしさんら5人、暴力団組長とゴルフでNHK降板[リンク切れ] 産経新聞 2008年10月8日
  6. ^ [1] スポーツニッポン 2014年12月30日閲覧
  7. ^ a b “細川たかし紅白卒業「世代交代必要」心境を明かす”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2016年11月21日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1740996.html 2016年11月21日閲覧。 
  8. ^ 細川たかし 新栄プロダクション時代のプロフィールより
  9. ^ 特定非営利活動法人細川たかしとワールドスキージュニア”. 内閣府NPOホームページ. 2016年11月25日閲覧。
  10. ^ 2016 細川たかしカップResult スキージャーナル
  11. ^ コーナーの形を取り藤あや子長山洋子鳥羽一郎、細川の順で歌唱したため、対戦相手がいない。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]