カルメン・マキ
| カルメン・マキ | |
|---|---|
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1969年 | |
| 基本情報 | |
| 生誕 | 1951年5月18日(75歳) |
| 出身地 |
|
| 学歴 | 香蘭女学校高等学校中退 |
| ジャンル | ロック |
| 職業 | 歌手 |
| 担当楽器 | ボーカル |
| 活動期間 | 1969年 - |
| 共同作業者 |
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| 公式サイト | カルメン・マキ-Carmen Maki |
カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovelace[1]、1951年5月18日 - )は、歌手、ロックミュージシャンである。本名:伊藤牧[2][更なる説明が必要 1]。日本国籍を取得するまでの本名はMAKI ANNETTE LOVELACEであったが、現在の本名は非公表。
来歴
[編集]誕生〜歌謡曲時代
[編集]アメリカ人の父と日本人の母との間に神奈川県鎌倉市で生まれる[1]。父方の祖父はアイルランド人、祖母はユダヤ系ポーランド人[3]。生まれて間もなく、父が帰国。母は肺結核を患っていたため、一人っ子だったマキとともに日本に残った[4]。母方の祖父母がいる東京都大田区で育つ[5][リンク切れ]。
1968年、香蘭女学校高等学校を2年次で中退[2]。イラストレーターか役者になろうかと考えていた時期に友人に連れられて、アングラ演劇の寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」の舞台『青ひげ』を観に行く。その舞台に感銘を受けて入団を決意。同年8月の『書を捨てよ町へ出よう』(於:新宿厚生年金会館)が初舞台[1]。この時、CBSソニー関係者の目に止まり歌手契約。芸名の「カルメン・マキ」は、舞台の練習中にたまたま思い付いたもの。アングラ劇団から歌手が出るのは初めてのケースだった[2]。

翌1969年2月にシングル『時には母のない子のように』(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えない妖艶な雰囲気、歌唱力、哀愁のある歌いっぷりが話題を呼んだ。重い旋律が時代の雰囲気と合致して、累計100万枚を超える大ヒットを記録[6]。この曲で第20回NHK紅白歌合戦に出場する。ステージには裸足にジーンズ姿で登場して非難を浴びた[2]。司会者に「ジーパンもステージ衣装になる時代が来ました」と紹介された。
寺山は彼女を“天涯孤独な少女”として売り出すために、“空想的な体験を詩に書いていた劇団の新人女優をそのままデビューさせた”という設定を“捏造”した。実際の彼女は高校を中退したばかりで母親がいる少女だったが、寺山は彼女のミステリアスなハーフの容姿を活かし、劇的なバックストーリーを付与してプロデュースしたとされる[7]。
当時の楽曲は、作曲を武満徹やクニ河内ら、作詞を寺山修司や谷川俊太郎ら、錚々たる作家たちが手がけた。
以降も個性派歌手として活動し、7枚のシングルと3枚のアルバムをリリースする。前述の『時には母のない子のように』の他にも『山羊にひかれて』や『私が死んでも』、「戦争は知らない」(非シングルのアルバム曲)といったヒット曲を出した。
ロックへの転向
[編集]彼女のキャリアを語る上で欠かせないのはロックへの転向である。
そもそものきっかけは、『時には母のない子のように』の大ヒットでCBSソニー社長から御褒美としてレコードプレーヤーとLP盤数枚をプレゼントされた時のことである。そのLP盤の中にジャニス・ジョプリンがあり、それを聴いたマキは衝撃を受けて1970年に突然のロック転向を表明する。
直後に近田春夫や立川直樹らと「カルメン・マキ&タイムマシーン」というバンドを結成するが、すぐに解散。その後さまざまなバンドがバッキングについたが、最終的には当時の実力派バンドであった、ギタリスト竹田和夫が率いるブルース・クリエイション(第2期)に落ち着き、1971年8月にコラボレーション・アルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』を発表。それまでの黒人霊歌を基にしたフォークソングを歌っていたシンガーから、女性ロッカーへとイメージチェンジをした。
OZ結成〜解散まで
[編集]1972年には当時18歳であったギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキとOZ」を結成[8]。メンバーはマキ、春日、鳴瀬喜博(ベース)、元ブルース・クリエイションの樋口晶之(ドラム)であった。
樋口はクリエイションへ移籍(出戻り)する為にほどなくして脱退し[9]、後任には長谷川康之(後にハルヲフォンへ参加)が就いた[10][11][12]。長谷川は1973年に鳴瀬やCharとともにバッド・シーンでも活動してシングルを残すが、OZではデビューシングルやファーストアルバムの録音前に鳴瀬とともに脱退してしまったため、マキたちは改めてファーストアルバム録音の為のメンバー古田宣司(ドラム)、千代谷晃(ベース、後に山崎ハコのバックバンドへ参加)、石川清澄(キーボード、後にさだまさしや高中正義のバックバンドへ参加)を集めなくてはならなくなった。
このように結成当初から順風満帆とはいかず、所属事務所からはキャバレー回り(小規模会場のライヴ巡業)を強要され、時には客から「こんな曲では踊れない」とビンを投げつけられることもあったという。
しかし、こうした地道な活動が実を結び、1974年11月にポリドールからシングル『午前1時のスケッチ』でデビュー。翌1975年1月にはファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリース。10万枚以上を売上げ[13]、当時のロックアルバムとしては異例の大ヒットとなった。このファーストアルバムに収録されている約12分にも及ぶ大作の「私は風」は、のちに様々な歌手・ミュージシャンによってカバーされる。
一躍成功への道を歩み始めたかに見えたが、その裏側では相変わらず不安定な状態が続いていた。ファーストアルバム録音時にもバンドはライヴ活動を並行してこなしていたが、録音作業が終盤に差し掛かった頃の地方公演(新潟)でメンバー間の口論が起きてマキと春日以外のメンバーが全員辞めてしまう事態が発生。シングルカットする予定の曲の録音作業などが残っていたため、急遽ベースの鳴瀬、ドラムの西哲也(元ファニー・カンパニー、後に原宿クロコダイルの店長)、キーボードの深町純を招集して窮地を凌いでいる。何とか録音は完了したものの招集された3人もバンドに残ることはなく、ドラムに内藤正美(元DEW)、ベースに川上茂幸を新たに迎え入れることになった。このラインナップでデビューシングルとファーストアルバムのジャケット撮影を行っているが、新加入の2人は製作に関わっていないため顔が分かりづらくなっている。また契約はキティレコードと結ばれていたが事務手続きや各種準備に手間取ったため、デビューシングルとファーストアルバムに限っては親会社のポリドールがリリース代行するというドタバタも水面下で生じていた[14][15][16]。
そのようにしてレコード発売された後もキーボーディストを加えずに4人編成のままで、1975年5月にグランド・ファンクの来日公演で前座を務め、同年8月にジェフ・ベックやニューヨーク・ドールズらとともにワールド・ロック・フェスティバルに出演した[1][17]。
1976年には米国のロサンゼルスでセカンドアルバム『閉ざされた町』を約4か月かけて制作[8]。ファーストアルバムに引き続き「閉ざされた町」や「火の鳥」といった大作路線を継承しながらも風格を漂わせたものに仕上がっている。ここでドラムを担当したのは中山ラビのバックバンドにいた久藤賀一であり、川崎雅文(川崎真弘)がキーボードで参加している。
録音作業の合間には各地のコンサートを見て回り[8]、マキは「日本ではお客さんが構えて聴いてるところがあるでしょう。違うんだな、向こうは。もう生活の一部になってるみたいで武道館の二倍もあるようなホールに、子供づれの家族がギッシリ来てる。身障者が見る設備もあるんですよ」などと当時の日本のロックを取巻く現状を憂いた[8]。この時期にロックバンドとしては珍しくファンクラブが結成されている[8]。
1977年10月18日、新宿厚生年金会館でのステージを最後に解散。同年12月にはサードアルバム『III』を発表。前2作とは打って変わってポップな楽曲が並んだ。また翌1978年8月にはシングル『私は風(ショートバージョン)』、そして解散公演とその5か月前の日比谷野外音楽堂での公演を収録したアルバム『ライヴ』をリリース。『III』および『ライヴ』録音時のメンバーはマキ、春日、川上、川崎、武田治(ドラム)であった。
※元RCサクセションのドラマー新井田耕造が関わったことがあるとの情報がある[18][19][20]が、具体的な時期は不明。
OZ以降〜活動休止まで
[編集]OZ解散後、1979年に数回の渡米を経て、当時ロッド・スチュアート・バンドのドラマーであったカーマイン・アピス(元ヴァニラ・ファッジ→カクタス→BB&A)のプロデュースの下でソロアルバム『NIGHT STALKER』を発表[3][21]。また、この時期には村上龍 原作の映画『限りなく透明に近いブルー』のサウンドトラックに参加して、シングルカットされた『青白い夕焼け("リュウ"のテーマ)』を歌っている。
1980年には「カルメン・マキ&LAFF」を結成。同年6月にアルバム『カルメン・マキ&LAFF』をリリース。「60s:時には・・・、70s:OZ、そして時代は今・・・LAFF」とレコードの帯にあるようにレコード会社から期待が掛けられていたが結局ヒットが出ず、その上に同年9月に覚醒剤所持の現行犯で逮捕され[2]、さらに同年11月には大麻所持でも逮捕されてしまう[2]。これら事件のため、一時的にLAFFは活動停止を余儀なくされる[2]。
翌1981年に心機一転を図り、LAFFをヘヴィメタルバンド「カルメン・マキ&5X」へと発展的解消させる。1982年には5Xとしてのファーストアルバム『HUMAN TARGET』およびライヴ盤『LIVE X』、1983年にはセカンドアルバム『CARMEN MAKI'S 5X』をリリースするも解散。
1986年には、OZの初代ベーシストであった鳴瀬喜博や松本孝弘(のちにB'zを結成)などが在籍しているセッションバンド「うるさくてゴメンねBAND」[22]に参加してライヴを中心に活動。翌1987年にはライヴ盤『うるさくてゴメンねLIVE』を発表。その後、出産・育児に専念する為に一時的な音楽活動の休止を宣言した。
復帰〜現在
[編集]1993年に日本国籍を取得し[1]、音楽活動を再開。同年、寺山修司歿後十年の企画としてシングル『時には母のない子のように(新録音)』[23]を発表し、さらに久保田麻琴プロデュースによる子守唄のアルバム『MOON SONGS』も発表。
1994年には奥沢明雄(ギター)や吉田達二(ベース)らと「MOSES」を結成し、翌1995年にアルバム『VOICES OF MOSES』を発表。
1996年には、OZ時代の盟友である春日博文のプロデュースによるアルバム『UNISON』を発表。この時のセッションメンバーをもとに「UNISON UNIT」を結成してライヴを中心に活動。この頃に、後々ライヴやアルバム制作で組むことになるギタリストの鬼怒無月と出会っている。
1997年12月29日、「カルメン・マキ&OZ」の一夜限りの再結成を行う(於:京都大学西部講堂)[24]。このコンサートには、1977年の解散以来20年ぶりとなるOZを含む3組のバンドが出演した。
1998年には後藤次利、笹路正徳、春日博文、辻仁成など6人のプロデューサーを迎えてアルバム『SPLIT』を発表。同年に同タイトルの鼎談本『スプリット』を刊行[25]。
1999年には、Charとカーマイン・アピスが組んだ「CBA」のライヴツアーにゲストボーカルで参加[26]。
2000年にはライヴツアー「CARMEN MAKI 世紀末を歌う」を実施し、翌2001年にライヴ盤『CARMEN MAKI LIVE 世紀末を歌う』をリリース。
2003年には鬼怒無月らと共に「CARMEN MAKI & SALAMANDRE」を結成。同年に同名のアルバムをリリースし、ライヴ活動を活発化させていく。
2004年には全曲アコースティックのアルバム『ANOTHER WAY』を発表。
2007年にはピアノとバイオリンとのトリオで行ったライヴを収録したアルバム『時には母のない子のように2007』をリリース。
2008年には、初の朗読(ポエトリー・リーディング)アルバム『白い月』をリリース。中原中也、萩原朔太郎らの詩を水城雄(ピアノ)の即興演奏にのせて読み、歌に留まらない表現に新境地を開いた。
2009年にはバイオリン&ピアノをベースとして詩の朗読も織り交ぜたデビュー40周年記念アルバム『ペルソナ』を発表。
2010年には、寺山修司作の舞台演劇『星の王子さま』(於:吉祥寺シアター)に中山ラビらとゲスト出演[27]。
2012年には初のセルフプロデュース・アルバム『FROM THE BOTTOM』を発表。
その後もライヴハウスを中心に全国各地を精力的に回っている。以下ではそれ以外の比較的規模の大きいライヴを主に取り上げる。
2014年11月25日にはLIQUIDROOMにて「カルメン・マキ45周年記念VOL.1 〜ONE NIGHT STAND〜 《ROCK SIDE》」が行われた[28]。出演はカルメン・マキの他、春日博文 (g)、川上茂幸 (b)、武田治 (ds)、厚見玲衣 (kbd)、ジョージ吾妻 (g)、盛山キンタ (b)、大内貴雅 (ds)、Dr.kyOn (kbd)、澤田浩史 (b)、古田たかし (ds)、木暮武彦 (g)、金子マリ (vo)、Char (g) であった。1997年の時と同じメンバーでの「カルメン・マキ&OZ」(17年ぶり)や「カルメン・マキ&5X」の一夜限りの再結成が花を添えた。
2015年2月6日・7日の2日に渡って、ザムザ阿佐ヶ谷にて「カルメン・マキ45周年記念VOL.2《アングラSIDE》2days」が行われた。出演はカルメン・マキの他、春日博文 (g)、Dr.kyOn (kbd)、太田恵資 (vl)、桜井芳樹 (g)、佐藤正治 (ds)、清水一登 (pf)、西嶋徹 (b) であった。
2017年3月22日、すでにライヴで披露されていた楽曲であり、2010年代以降の音楽活動のキーワードにもなる『デラシネ』をアナログ盤でシングルリリース[29]。
2018年10月7日、「カルメン・マキ&OZ」名義の単独公演(前座や他の出演者がいないワンマンライヴ)を41年ぶりに開催[30][31]。ファンから多くの要望を受け、翌2019年11月~12月に5都市(6公演)でデビュー45周年記念再結成ツアーを実施[32]。好評につき翌2020年11月にもツアー実施(2都市で3公演)[33]。なお2020年はフジロック・フェスティバルにも出演予定であったが新型コロナウイルスの影響によりフェス自体が中止となった[34]。さらに翌2021年11月にもツアー実施(3都市で3公演)[35][36]。なお2021年もフジロック・フェスティバルに出演予定であったがPCR検査で陽性となってしまったため出演をキャンセルした[37]。翌2022年は、9月25日にCharとの対バンライヴを行い[38][39]、12月に単独で2公演を開催し[40]、いずれの公演にも過去に在籍したドラマー(古田たかし、内藤まさみ、久藤賀一)がスペシャルゲストで出演した。なお、これら全てのOZ名義のコンサートは、1997年や2014年の時と同じくマキ、春日、川上、武田、厚見玲衣(キーボード)というメンバーで行われた。
2022年4月15日、音楽人生50周年(2019年)[41]と55周年(2024年)との間に「カルメン・マキ古希ライヴ~生かしておいてくださってありがとう~」がCLUB CITTA'で開催された。出演はカルメン・マキの他、山本恭司(g)、上原裕(ds)、中村哲(sax,kbd)、OZ(春日、川上、武田、厚見)等、ビデオメッセージ(ジョージ吾妻、木暮武彦、金子マリ、坂田明などなど)を併せると膨大な人数であった[42]。
2023年には、外道結成50周年・加納秀人音楽活動55周年記念作品『外道50th Anniversary』BOXに収録の「 I’ll be standing by」に参加[43]。
2024年にはトリオユニット「花鳥風月」でライヴアルバムをリリース[44]。同年にアルバム発売&マキデビュー55周年のダブル記念ライヴツアーを実施。
エピソード
[編集]1978年、ギタリストのCharがある出来事をきっかけに芸能界で干されて四面楚歌状態にあった時に、救いの手を差し伸べたのが彼女である。当時、精神的に沈鬱状態で失意の底にあった彼を、自身のツアーにサイドマンとして誘ってギターを弾く機会と場を与えた。「救われたね。マキさんのおかげで再スタートさせてもらったから。」と、Charはデビュー20周年記念時のリットーミュージックのインタビューで答えており、その後も度々述懐している。この再スタートを足掛かりに、Charは一度頓挫しかけた「ジョニー,ルイス&チャー(後のピンククラウド)」を仕切り直して本格始動させた。[50]
ディスコグラフィ
[編集]カルメン・マキ
[編集]シングル
[編集]| 発売日 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| CBSソニー | |||||||
| 1969年2月21日 | A | 時には母のない子のように | 寺山修司 | 田中未知 | 山屋清 | EP | SONA-86024 |
| B | あなたが欲しい | 林亜湖 | 山路進一 | ||||
| 1969年7月 | A | 山羊にひかれて | 寺山修司 | 田中未知 | 山屋清 | EP | SONA-86042 |
| B | 二人のことば | クニ河内 | |||||
| 1969年10月 | A | 私が死んでも | 寺山修司 | 田中未知 | 山屋清 | EP | SONA-86068 |
| B | マキの子守唄 | スペイン民謡 | |||||
| 1969年 | A1 | かもめ | 寺山修司 | 和田誠 | 八木正生 | EP | SONB-76006 |
| A2 | 時には母のない子のように | 田中未知 | 山屋清 | ||||
| B1 | だいせんじがけだらなよさ | ||||||
| B2 | さよならだけが人生ならば | ||||||
| 1969年 | A | さらばサチオ
レーシング・ドライバー 福沢幸雄の光と影 |
安藤紘平 | 山本幸三郎 | EP | SONB-76009 | |
| B | のこされた人形の唄 | 水野礼子 | |||||
| 1970年2月 | A | 東京はみなし児 Town Of Orphans | いまいずみあきら | 郷伍郎 | 小谷充 | EP | SONA-86092 |
| B | ある少年の連想 | ||||||
| 1970年6月 | A | ノイジー・ベイビー | クニ河内 | EP | SONA-86116 | ||
| B | 燃えすぎた炎 | 古賀秀憲
補:クニ河内 |
クニ河内 | ||||
| 1970年8月 | A | 想い出にサヨナラ | 岩谷時子 | いずみたく | 渋谷毅 | EP | SONA-86145 |
| B | 誰かおしえて | クニ河内 | クニ河内 | クニ河内 | |||
| 1973年5月21日 | A | あなたが欲しい | 林亜湖 | 山路進一 | 山屋清 | EP | SOLB-34 |
| B | かもめ | 寺山修司 | 和田誠 | 八木正生 | |||
| キティレコード | |||||||
| 1979年 | A | 青白い夕焼け(リュウのテーマ)[51] | 村上龍 | 春日博文 | 星勝 | EP | DKQ-1050 |
| B | Queen Of Eastern Blues[52][51] | 村上龍 | 赤塚敏治 | ||||
| 1979年 | A | ラヴ・アゲイン / I Just Feel In Love Again | EP | DKQ-1060 | |||
| B | It's Only Rock'n Roll | ||||||
| 1979年9月 | A | 風に乗って | 糸井重里 | ジョージ・吾妻 | EP | DKQ-1067 | |
| B | Easy Come,Easy Go | James Diamond | |||||
| Metronome | |||||||
| 1980年 | A | It's Only Rock'n Roll | EP | 0030-275 | |||
| B | Never On A Monday | ||||||
| 東芝EMI・EASTWORLD | |||||||
| 1983年 | A | FANTASY | EP | TOCT-8062 | |||
| B | LOVE IS FADING | ||||||
| 1993年 | 1 | 時には母のない子のように・新録音 | 寺山修司 | 田中未知 | 8cmCD | TODT-3055 | |
| 2 | 波の音(詩・朗読) | ||||||
| ビデオアーツミュージック | |||||||
| 1995年6月25日 | 1 | 夜間飛行 | 8cmCD | VADB-2005 | |||
| 2 | カム・ダウン・モーゼス | ||||||
| パイオニアLDC | |||||||
| 1996年11月27日 | 1 | 星の河を渡ろう[53] | 8cmCD | PIDL-1207 | |||
| 2 | 人魚 | ||||||
| 1998年7月22日 | 1 | ワイルドフラワー | CD | PICL-19 | |||
| 2 | 百億の孤独 | ||||||
| 3 | 田舎に住みたい | ||||||
| 4 | ワイルドフラワー (Backing Track) | ||||||
| galabox | |||||||
| 2017年3月22日 | 1 | デラシネ | EP | glax-001 | |||
| 2 | 望みのない恋~挿入朗読詩:波の音 | ||||||
アルバム
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]| 発売日 | タイトル | レーベル | 規格 | 規格品番 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| CBS・ソニー | |||||
| 1969年8月 | カルメン・マキ真夜中詩集ーろうそくの消えるまでー
A面
B面
ボーナストラック
|
CBS・ソニー | LP | SOND-66010 | |
| 1991年6月15日 | ソニーレコード | CD | SRCL-1858 | ||
| 2016年4月20日 | SUPER FUJI | CD | FJSP-262 | 紙ジャケット仕様
ボーナストラック1曲入 | |
| 1969年11月 | アダムとイヴ
A面
B面
|
CBS・ソニー | LP | SOND-66013 | |
| 2016年4月20日 | SUPER FUJI | CD | FJSP-263 | 紙ジャケット仕様 | |
| 1970年7月 | 思い出にサヨナラ “カルメン・マキ'70”
Goodbye My Memories A面
B面
|
CBS・ソニー | LP | SOND-66029 | |
| 2016年4月20日 | SUPER FUJI | CD | FJSP-264 | 紙ジャケット仕様 | |
| 日本コロムビア / DENON | |||||
| 1971年8月 | カルメン・マキ / ブルース・クリエイション
A面
B面
|
日本コロムビア / DENON | LP | CD-5030 | |
| 1975年7月25日 | 日本コロムビア / DENON | LP | CD-7142-A | ||
| 1989年10月21日 | Blow Up | CD | CA-4054 | ||
| 1993年11月21日 | 日本コロムビア | CD | COCA-11149 | ||
| 2000年 | Black Rose Records | CD | BR-143 | 2000年デジタルリマスター盤
ドイツでの発売 | |
| 2012年 | SHOWBOAT | SHM-CD | SWAX-97 | 紙ジャケット仕様
2012年デジタルリマスター盤 | |
| 2012年 | Phoenix Records | CD | ASHCD-3053 | イギリスでの発売 | |
| 2015年 | Absinthe Records | CD | ARLP-515 | フランスでの発売 | |
| 2018年6月20日 | SHOWBOAT | CD | SWAX-97 | 紙ジャケット仕様 | |
| 2020年12月16日 | 日本コロムビア / HMV | LP | HMJA135 | ||
| キティレコード | |||||
| 1979年6月10日 | ナイト・ストーカー / NIGHT STALKER
A面
B面
|
キティレコード | LP | MKF-1050 | |
| 1989年6月25日 | キティレコード | LP | H25K-20151 | ||
| 1994年11月26日 | キティレコード | CD | KTCR-1522 | ||
| 2002年9月28日 | Hagakure Records | CD | ISCP-1114 | ||
| 2012年12月5日 | Tower To The People | CD | PROT-1032 | ||
| 東芝EMI / Eastworld | |||||
| 1993年7月21日 | MOON SONGS | 東芝EMI / Eastworld | CD | ||
| ビデオアーツミュージック | |||||
| 1995年6月25日 | VOICE OF MOSES
|
ビデオアーツミュージック | CD | ||
| パイオニアLDC | |||||
| 1996年12月21日 | UNISON
|
パイオニアLDC | CD | PICL-1135 | |
| 1998年8月26日 | SPLIT
|
パイオニアLDC | CD | PICL-1171 | |
| 2000年8月25日 | パイオニアLDC | CD | PICL-1171 | ||
| WESS IN | |||||
| 2003年7月16日 | カルメン・マキ&サラマンドラ
|
WESS IN | CD | BJCW-1002 | |
| W-IN RECORDS | |||||
| 2004年7月7日 | ANOTHER WAY
|
W-IN RECORDS | CD | BJCW-1003 | |
| Solid Records | |||||
| 2007年10月13日 | 時には母のない子のように2007
|
Solid Records | CD | CDSOL-1174 | |
| ジパングレーベル | |||||
| 2009年7月4日 | ペルソナ
|
ジパングレーベル | CD | ZIP-0030 | |
| 2012年4月17日 | FROM THE BOTTOM
|
ジパングレーベル | CD | ZIP-0040 | |
ライブ・アルバム
[編集]| 発売日 | タイトル | レーベル | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|
| アイネットワーク | ||||
| 2001年10月24日 | カルメン・マキ LIVE〈1999~2000世紀末を歌う〉
|
アイネットワーク | CD | EWCC-86035 |
| 2003年 | VAP | CD | ||
朗読
[編集]| 発売日 | タイトル | レーベル | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|
| アイ文庫 | ||||
| 2008年6月1日 | 白い月
|
アイ文庫 | CD | JRC51483 |
ベスト・アルバム
[編集]| 発売日 | タイトル | レーベル | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|
| 1976年 | カルメン・マキ・ストーリー
A面
B面
|
CBS・ソニー | LP | 25AH-141 |
| 1998年10月21日 | カルメン・マキ ベスト&カルト
Disc1
Disc2
|
ソニー・ミュージックレコーズ | CD | SRCL-4384 |
| 2001年12月19日 | スーパーバリュー カルメン・マキ
|
キティ・レコード | CD | UMCK-8007 |
| 2003年11月26日 | ゴールデン☆ベスト カルメン・マキ セブンティーズ・ロック
|
ユニバーサルミュージック | CD | UICZ-6032 |
| 2021年6月9日 | ユニバーサルミュージック | CD | UPCY-9282 | |
| 2014年5月28日 | Good Times, Bad Times 〜History of Carmen Maki〜
※ 2014年デジタル・リマスター版。 BLUE disc
RED disc
PURPLE disc
|
ユニバーサルミュージック | CD | UPCY-6830 |
カルメン・マキ&OZ名義
[編集]シングル
[編集]| 発売日 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ポリドール・レコード | |||||||
| 1974年11月21日 | A | 午前1時のスケッチ | 加治木剛 | OZ | EP | DR-1904 | |
| B | きのう酒場で見た女 | 加治木剛 | 春日博文 | ||||
| キティレコード | |||||||
| 1977年6月 | A | 空へ | 加治木剛 | 春日博文 | カルメン・マキ&OZ | EP | DKQ-1013 |
| B | 嘆きのチャールストン | ||||||
| 1978年8月1日 | A | 私は風 | Maki Annette Lovelace | 春日博文 | カルメン・マキ&OZ | EP | DKQ-1040 |
| B | とりあえず… (Rock'n Roll) | 加治木剛・春日博文 | |||||
アルバム
[編集]| 発売日 | タイトル | レーベル | 規格 | 規格品番 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| ポリドール・レコード | |||||
| 1975年1月21日 | カルメン・マキ&OZ
A面
B面
ボーナストラック
|
ポリドール | LP | MR-5053 | |
| 1989年2月25日 | ポリドール | CD | H25P-20305 | ||
| 1994年11月26日 | ポリドール | CD | POCH-1414 | ||
| 2000年5月31日 | ポリドール | CD | POCH-9028 | ||
| 2018年7月16日 | ユニバーサルミュージック | 配信 | FLAC, 24bit/96kHz | ||
| 2018年9月19日 | ユニバーサル ミュージック | UHQCD | UPCY-40023 | ボーナストラック入、2018年デジタル・リマスター版。 | |
| キティレコード | |||||
| 1976年7月10日 | 閉ざされた町
A面
B面
|
キティレコード | LP | MKF-1005 | |
| 1989年6月25日 | キティレコード | CD | H25K-20147 | ||
| 1994年11月26日 | キティレコード | CD | KTCR-1518 | ||
| 2002年9月28日 | Hagakure Records | CD | ISCP-1110 | ||
| 2018年9月19日 | ユニバーサル ミュージック | UHQCD | UPCY-40024 | 2018年デジタル・リマスター版。 | |
| 1977年12月1日 | カルメン・マキ&OZ 3
A面
B面
|
キティレコード | LP | MKF-1025 | |
| 1989年6月25日 | キティレコード | CD | H25K-20148 | ||
| 1994年11月26日 | キティレコード | CD | KTCR-1519 | ||
| 2002年9月28日 | Hagakure Records | CD | ISCP-1111 | ||
| 1978年8月1日 | カルメン・マキ&OZ LAST LIVE
1977年10月18日の新宿厚生年金会館解散コンサートと、同5月の日比谷野音ライヴを収録。
B面
|
キティレコード | LP | MKA 9003-04 | |
| 1994年 | キティレコード | CD | KTCR 1520-21 | ||
| 2018年9月19日 | ユニバーサル ミュージック | UHQCD | UPCY-40025-26 | 2018年デジタル・リマスター版。 | |
| 1982年 | ギャザリング
A面
B面
|
キティレコード | LP | 25MS0004 | |
| 1996年3月25日 | ベスト・オブ・カルメン・マキ&OZ
Disc1
Disc2
|
キティレコード | CD | KTCR-1366 | |
カルメン・マキ&LAFF名義
[編集]シングル
[編集]| 発売日 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| キティレコード | |||||||
| 1980年7月 | A | 恋はエクスタシー | Maki A Lovelace
George Azuma |
George Azuma | Laff | EP | DKQ-1089 |
| B | EVERYBODY NEEDS THE MUSIC | George Azuma | |||||
アルバム
[編集]| 発売日 | タイトル | レーベル | 規格 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|
| キティレコード | ||||
| 1980年6月1日 | カルメン・マキ&LAFF
A面
B面
|
キティレコード | LP | MKF-1064 |
| 1989年6月25日 | キティレコード | CD | H25K-20152 | |
| 1994年11月26日 | キティレコード | CD | KTCR-1523 | |
| 2002年9月28日 | ユニヴァーサルIMS | CD | ||
| 2004年11月1日 | ハガクレ | CD | JP0209-11 | |
| 2021年12月8日 | ユニバーサルミュージック | CD | UPCY-90008 | |
5X
[編集]アルバム
[編集]| 発売日 | タイトル | レーベル | 規格 | 規格品番 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 東芝EMI / Eastworld | |||||
| 1982年2月21日 | HUMAN TARGET
A面
B面
|
東芝EMI / Eastworld | LP | WTP-90152 | |
| 2012年1月25日 | EMIミュージックジャパン | CD(紙ジャケ) | TOCT-11424 | ||
| 1982年7月1日 | LIVE X
A面
B面
|
東芝EMI / Eastworld | LP | WTP-80151 | |
| 1990年7月18日 | EMIミュージック・ジャパン | CD | |||
| 2013年3月6日 | ディスク・ユニオン | CD(紙ジャケ) | |||
| 1983年2月1日 | CARMEN MAKI'S 5X
A面
B面
|
東芝EMI / Eastworld | LP | WTP-90213 | |
| 2013年3月8日 | B.T.H Records | CD | BTH-54 | 2013年デジタル・リマスター版。 | |
| 2021年12月8日 | ユニバーサルミュージック | CD | UPCY-90011 | 2013年デジタル・リマスター版。 | |
映像作品
[編集]| 発売日 | タイトル | レーベル | 規画 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|
| 1994年12月14日 | 日本ロック映像全集 Vol.1
※ オムニバス作品、カルメン・マキ&OZの「閉ざされた町」収録。 |
リットーミュージック | VHS | RMFR1 |
| 2003年9月10日 | カルメン・マキ〜スタジオライブ&インタヴュー〜ROOTS MUSIC DVD COLLECTION Vol.4 | 第一興商 | DVD | DVDK4 |
| 2016年1月27日 | CARMEN MAKI 45th Anniv. Live ~Rock Side & アングラSide~ | ZICCA RECORDS | 2DVD+CD | ZRCM-LR02 |
| 2016年1月27日 | ZICCA RECORDS | 2Blu-ray+CD | ZRCM-LR03 | |
| 2021年11月24日 | 50th Anniversary Live~デラシネって半世紀~ | NEXUS | Blu-ray | KIXM-473 |
主な出演作品
[編集]映画
[編集]- あらかじめ失われた恋人たちよ[54] - 自閉症の女役(1971年、日本アート・シアター・ギルド)
- 探偵はBARにいる - マキ役(2011年、東映)主題歌「時計をとめて」も担当。
テレビドラマ
[編集]NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]| 年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
|---|---|---|---|---|
| 1969年(昭和44年)/第20回 | 初 | 時には母のない子のように | 04/23 | アイ・ジョージ |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
ラジオ番組
[編集]- 真夜中のスケッチ(ニッポン放送)
CM
[編集]- 「ペンタックス オート110」(1979年、旭光学)。挿入歌「風に乗って」
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 後述されているように、日本国籍を取得したのが1993年らしいので、1981年の時点では正式な日本名は無かったはず。日本人として暮らすのに必要な通称・俗称のようなものなのか。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 “Carmen Maki Official Web”. carmenmaki.com. 2018年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月16日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 名田貴好; 橋倉正信『青春音楽グラフィティ タイガースからYMOまで』集英社〈集英社文庫 COBALT-SERIES〉、1981年4月、162–165頁。
- 1 2 “BIOGRAPHY - Carmen Maki | カルメン・マキ - UNIVERSAL MUSIC JAPAN”. カルメン・マキ. 2023年5月24日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキが語るデラシネの時代「歌って生き抜く」”. AERA DIGITAL(アエラデジタル) (2019年4月24日). 2026年8月2日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキ(歌手) ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~”. BS朝日. 2017年3月4日. 2021年7月4日閲覧.
- ↑ “カルメン・マキ(歌手) ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~”. BS朝日. 2017年3月4日. 2021年7月4日閲覧.
- ↑ “カルメン・マキをブレークさせた 「やらせ」と「捏造」の違いも言いましょうか 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<17>”. 田原総一朗(産経新聞) (2024年10月18日). 2026年2月16日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “ファンクラブもできました 人気のカルメン・マキとOZ再び活動 お客の心にお土産を”. 報知新聞. 報知新聞社. 1976年7月15日. p. 15.
- ↑ INC, SANKEI DIGITAL (2024年5月11日). “【JAPANESE ROCK ANATOMY解剖学】ミッキー「当時まだ高校生のCharの登場は衝撃的だった」 難波「バッド・シーンでナルチョと出会い新バンド結成」”. zakⅡ. 2026年7月17日閲覧。
- ↑ “長谷川康之『1枚の写真!!』”. 長谷川康之オフィシャルブログ「キング・オブ・ちょいワルオヤジの華麗なる日々」Powered by Ameba. 2026年7月17日閲覧。
- ↑ “長谷川康之『ロック誕生!!』”. 長谷川康之オフィシャルブログ「キング・オブ・ちょいワルオヤジの華麗なる日々」Powered by Ameba. 2026年7月17日閲覧。
- ↑ “長谷川康之『おいらは、ドラマー♪』”. 長谷川康之オフィシャルブログ「キング・オブ・ちょいワルオヤジの華麗なる日々」Powered by Ameba. 2026年7月17日閲覧。
- ↑ カルメン・マキによると、15万枚くらいはいっただろうとのこと。月刊オンステージ編集部『日本ロック&フォークアルバム大全 1968〜1978 (上)』白夜書房、1990年、260頁。ISBN 4-89367-186-3。
- ↑ 編集部, News Online. “OZデビュー曲「午前1時のスケッチ」制作秘話。1974/11/21レーベルはKITTYレコードという小さな会社だった【大人のMusic Calendar】”. ニッポン放送 NEWS ONLINE. 2026年7月17日閲覧。
- ↑ “1974. 2. 3”. www.asahi-net.or.jp. 2026年7月17日閲覧。
- ↑ 音楽画報_旧サリハナROCKチャンネル (2025-01-17), 春日 HACHI 博文# 1 /ギタリスト/ウクレレ奏者/ソングライター/カルメン・マキ&OZを振り返る_前編 2026年8月1日閲覧。
- ↑ “World Rock Festival - 飛龍のロック雑記帳”. rock70s.music.coocan.jp. 2026年8月6日閲覧。
- ↑ 剛, 佐藤. “暗黒時代のRCサクセションに活力を与えた若きチンピラ・プロデューサー~春日博文の静かなる復活⑤”. TAP the POP. 2026年7月21日閲覧。
- ↑ “メンバー/THE KING of LIVE RC SUCCESSION”. THE KING of LIVE RC SUCCESSION. 2026年7月21日閲覧。
- ↑ “RCサクセション(RC Succession)の徹底解説まとめ”. RENOTE [リノート] (2023年12月2日). 2026年7月21日閲覧。
- ↑ “�J�[�}�C���E�A�s�X���{�����E�F�u�E�T�C�g : �N�\”. www5.famille.ne.jp. 2026年8月7日閲覧。
- ↑ “URUGOME”. Naruchops.com BINDsite. 2026年8月6日閲覧。
- ↑ 『カルメン・マキ - 時には母のない子のように』1993年5月7日。2026年8月7日閲覧。
- ↑ “近頃足を運んだコンサート(97) - 飛龍のロック雑記帳”. rock70s.music.coocan.jp. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキ、名越康文、甲野善紀『スプリット』”. www.sam.hi-ho.ne.jp. 2026年8月7日閲覧。
- ↑ “近頃足を運んだコンサート(99-2) - 飛龍のロック雑記帳”. rock70s.music.coocan.jp. 2026年8月7日閲覧。
- ↑ “【プロジェクト・ニクス】- 過去作品 - 星の王子さま”. project-nyx.com. 2026年8月7日閲覧。
- ↑ “CARMEN MAKI 45th Anniv. Live 〜Rock Side & アングラSide〜|zicca.net”. zicca.net. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキが新作「デラシネ」を7inchヴァイナルでリリース - CDJournal ニュース”. 2026年8月9日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキ&OZ、41年ぶり単独公演が実現「ようやく再結成できました」”. BARKS (2018年10月10日). 2019年8月15日閲覧。
- ↑ 直前までここに書かれていた、再結成自体が21年ぶりという説明は誤りであり、2014年(ROCK SIDE)以来の4年ぶりというのが正しい。もし2014年の再結成が正式なものでなかったのならば、1997年以来の21年ぶりということになるが、2014年の時には「17~18年ぶりの再結成!」と喧伝していたので、正式な再結成であったことは間違いない。
- ↑ “カルメン・マキ&OZ、45周年記念で再結成&期間限定の全国ツアー開催”. Rolling Stone Japan (2019年7月17日). 2019年7月20日閲覧。
- ↑ “70年代私の行ったコンサート(48) 番外編 2020.11.29 カルメンマキ & OZ 2020 閉ざされた町 −コロナの時代を超えて再び− 芝メルパルクホール”. 横浜パラダイス (2020年12月8日). 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “【FUJI ROCK FESTIVAL’20】フジロック、新型コロナの影響により開催断念、来年8月への延期が決定|LIVE LOVERS – 音楽を愛する人々を繋ぐライブ・ラバーズ”. livelovers.jp. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキ&OZ 11月13日東京公演から「昔」「空へ」のライヴ映像公開”. amass. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキ&OZ「夢見る頃を過ぎて ~空へ 2021~」Zepp Haneda”. ウラKAN. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “XユーザーのFUJI ROCK FESTIVAL(@fujirock_jp)さん”. X (formerly Twitter). 2021年8月18日. 2026年8月4日閲覧.
- ↑ “『2022年9月25日(日)Char × カルメンマキ&OZ @ 昭和女子大学人見記念講堂』”. 日々酒とメシと音楽と映画と読書. 2026年8月11日閲覧。
- ↑ megmikke (2022年10月7日). “【ライブ】Char X カルメン・マキ&OZ 彼らの音楽を聴いて育ったのは宝物だとしみじみ思った夜”. 検索よりも実体験 (^^) 食べる 観る 見る 波に乗る ネコはミッケ. 2026年8月11日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキ&OZ 12月CLUB CITTA'公演に歴代ドラマー3人が集結”. amass. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ Inc, Natasha. “カルメン・マキ「50th Anniversary Live~デラシネって半世紀~」インタビュー|孤高のボーカリストを50年以上にわたり衝き動かしてきたものとは? - 音楽ナタリー 特集・インタビュー”. 音楽ナタリー. 2026年8月9日閲覧。
- ↑ oto-man (2022年5月8日). “2022-04-15 カルメン・マキ 古希ライブ”. 音楽ときどき腕時計. 2026年8月9日閲覧。
- ↑ “外道(Gedō)[外道50th Anniversary:TECS-15756] / TEICHIKU ENTERTAINMENT”. 株式会社テイチクエンタテインメント (2023年8月16日). 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “花鳥風月CDドネーション”. carmenmaki.jp. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ ワールド・ロック・フェスティバルやニュー・イヤー・ロック・フェスティバルなどで同日の別々の時間帯に夫々のバンドで出演したことは何度もあるが、対バン形式(ツーマンライヴ)や同時に(一緒に)ステージに立つ機会は無かったらしい。
- ↑ “CREATION WEB クリエイション” (英語). creation-web. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “CREATION 第二夜”. 原宿クロコダイル (2026年3月11日). 2026年8月6日閲覧。
- ↑ “55 years 伝説の夜 カルメン・マキ×竹田和夫 〜Vintage Makes Something New×CREATION〜|I'M A SHOW|アイマショウ”. I'M A SHOW|アイマショウ. 2026年8月4日閲覧。
- ↑ “カルメン・マキ【最新インタビュー 後編】世界でも稀なバンド “OZ” その本当の凄さを語る”. reminder.top. 2026年8月6日閲覧。
- ↑ “[通常版 評伝 竹中尚人 Charと呼ばれて]”. zicca.net. 2026年8月11日閲覧。
- 1 2 映画「限りなく透明に近いブルー」。
- ↑ 歌:アレックス・イーズリー。
- ↑ 筑紫哲也ニュース23エンディングテーマ。
- ↑ “Arakajime ushinawareta koibitotchiyo (1971) - IMDb”. The Internet Movie Database. 2012年3月14日閲覧。
関連項目
[編集]- 1969年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
外部リンク
[編集]- カルメン・マキ-Carmen Maki - 公式サイト
- カルメン・マキ (@maki_carmen) - X(旧Twitter)