オールマン・ブラザーズ・バンド

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オールマン・ブラザーズ・バンド
The Allman Brothers Band
The Allman Brothers Band (Beacon Theater, 2011).jpg
USA.ニューヨーク公演 (2011年3月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジョージア州メイコン
ジャンル サザン・ロック
ブルース・ロック
カントリー・ミュージック
活動期間 1969年 - 1976年
1978年 - 1982年, 1986年
1989年 - 2014年
レーベル アトコ・レコード
Capricorn Records
アリスタ・レコード
エピック・レコード
サンクチュアリ・レコード
公式サイト Official Website
メンバー グレッグ・オールマン (Vo/org/G)
ブッチ・トラックス (Ds)
ジェイモー (Ds)
マーク・キニョーネス (Per/Ds)
オテイル・バーブリッジ (B/Vo)
デレク・トラックス (G)
ウォーレン・ヘインズ (G/Vo)
旧メンバー デュアン・オールマン (G)
ディッキー・ベッツ (G)
ベリー・オークリー (B)
チャック・リーヴェル (Key)
ほか別記参照

オールマン・ブラザーズ・バンドThe Allman Brothers Band)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

母国南部特有の土着サウンド・サザンロックの代表的バンドとして知られる。カントリー・ミュージックの持つ明るく大らかな感覚、即興演奏的な音楽性などを取り込み、独自のスタイルを展開した。

1995年ロックの殿堂』入り。1996年度『グラミー賞』受賞。

歴史[編集]

バンド結成まで[編集]

若き日のグレッグ・オールマン (1975年)

デュアン・オールマンと弟のグレッグ・オールマンは、地元フロリダ州デイトナビーチ1963年、オールマン・ジョイズを結成し米国南東部のツアーを経験、シングル・レコードもリリースする。続いて60年代後半、2人はアワーグラスに参加するために、カリフォルニア州ロサンゼルスへ移住した。このバンドはリバティ・レコードより2枚のアルバムをリリースしたものの、希望する音楽をプレイできないことに不満を感じたデュアンはバンドを脱退し、フロリダに戻ってしまった。

フロリダ州ジャクソンビルで活動をするうちに、デュアンは31stオブ・フェブラリーというバンドのブッチ・トラックス(ドラムス)、またセカンドカミングのディッキー・ベッツ(ギター)とベリー・オークリー(ベース)、R&Bのドラマーとして実績のあったジェイ・ジョハンソン(ジェイモー)といった面々と出会い、セッションを重ねる。同時に、アラバマ州マッスルショールズフェイム・スタジオを中心にセッション・ギタリストとして名を上げ、アレサ・フランクリンウィルソン・ピケットなどのレコーディングに参加した。

1969年3月、まだロサンゼルスに残って活動を続けていたグレッグをデュアンが呼び寄せ、前述のセッション・メンバーに合流する。オールマン・ブラザーズ・バンドの誕生である。

レコード・デビュー[編集]

1972年のグループショット

1969年、地元のキャプリコーン・レコードと契約、同レーベルのフィル・ウォルデンの薦めによりバンドの拠点をジャクソンビルからジョージア州メイコンに移す。同年、ファースト・アルバム『The Allman Brothers Band』をリリース。プロデュースは、ハービー・マンクリームなどの作品でエンジニアを務めたエイドリアン・バーバーが担当した[1]。翌年にはデュアンと親交のあったトム・ダウドのプロデュースによる2作目『Idlewild South』をリリースするが、2作とも大きな成功を収めるには到らなかった。

彼らの存在を不動のものとしたのは、続いてリリースした1971年のライヴ盤『At Fillmore East』であった。デュアンの豪快なスライド・ギターをフィーチャーしたブラインド・ウィリー・マクテルのカバー"Statesboro Blues"、20分以上に渡るジャムが展開される"Whipping Post"などの演奏を収録した2枚組はビルボードのアルバム・チャートの13位を記録するヒットとなり[2]、ライブ盤の金字塔として知られるようになった。また、インストの「In Memory of Elizabeth Reed」にはこんなエピソードも。この曲はディッキー・ベッツが、よく行っていた川沿いの墓地でデートをしているときに作ったそうだが、その女性の名前をつける訳にはいかなかったので、ある墓碑銘に刻まれたIn Memory of Elizabeth Reedをそのまま拝借した。後日、このエピソードをデュアンがローリング・ストーン誌に暴露したそうである。

メンバーの死[編集]

デュアン・オールマン(G)

『At Fillmore East』の成功から間もない1971年10月29日、デュアン・オールマンがメイコンにてオートバイでトラックに追突し、24歳で死去する。バンドは、後任ギタリストを補充せず、レコーディング途中だったアルバム『Eat A Peach』をベッツが中心となって完成させた。以後、ベッツがデュアンに変わってバンドのリーダーを務めるようになる。

1972年には、キーボードにチャック・リーヴェルが新たに加入する。しかし、1972年11月11日、デュアンに続きベリー・オークリーもオートバイ事故により亡くなってしまう。デュアンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところでの事故であった。

1974年のグループショット

度重なるメンバーの死にも関わらず、残ったメンバーはバンド活動を続行する。オークリーの後任にはラマー・ウィリアムズが加入し、翌1973年8月1日、『Brothers And Sisters』をリリース[3]。ビルボード全米アルバム・チャートNo.1の大ヒットを記録し[2]、アメリカの国民的バンドとしての地位を確立した。また9月にシングルカットされた "Ramblin' Man" もポップ・チャート2位を記録した[2]

これに先立つ同年7月28日ザ・バンドグレイトフル・デッドとともにニューヨーク州ワトキンズ・グレンのワトキンズ・グレン・レース・サーキットにおけるライブ (サマー・ジャム)に参加。このイベントは、60万人もの観客が訪れた。

1975年8月、アルバム『Win, Lose or Draw』を発表し、全米アルバム・チャートで5位を記録[2]。同年11月25日、バンドはアメリカ民主党ジミー・カーターの大統領選挙キャンペーンを支援するコンサートに参加し[4]、カーターの支持母体サザン・バプティスト教会の支援を受ける。カーターの当選は南部のロック・バンドが最初に政治に深く関わった歴史的な一面も持つ[5]

活動停止と再開[編集]

1976年のグループショット

だがメンバー間の音楽的な意見の相違と個人的対立が徐々に大きくなり、バンドの結束は徐々に崩れてしまった。そして1976年、バンドは解散する。グレッグとベッツはソロ活動に転じ、リーヴェル、ジェイモー、ウィリアムズはシー・レヴェルというバンドを結成するに到った。

2年後の1978年、グレッグがベッツに和解を呼びかける形でバンドを再結成する。リーヴェルとウィリアムズはシー・レヴェルでの活動を続けたため再結成には加わらず、新たにデヴィッド・ゴールドフライズ(ベース)、ダン・トーラー(ギター)が加入した。1979年にはアルバム『Enlightened Rouges』をリリースし存在感をアピールするものの、この後、デビュー当時から所属していたキャプリコーン・レコードが倒産してしまう。バンドはアリスタに移籍し、更に2枚のアルバムをリリース。1981年の『Brothers Of The Road』からのシングル"Straight From The Heart"はポップ・チャートの39位を記録し[2]、まずまずの成功を収めるが、バンドは1982年に再度解散するに到った。

2度目の再結成[編集]

ディッキー・ベッツ(G)

1989年、ディッキー・ベッツ・バンドにいたギタリスト、ウォーレン・ヘインズとベーシストのアレン・ウッディ、それにジョニー・ニール(キーボード、ハーモニカ)を加え、バンドが再結成される。エピックと契約し、翌1990年、『Seven Turns』をリリース。1991年にはスパイロ・ジャイラなどで活動していたパーカッショニストのマーク・キニョーネスが加入。

1994年に『Where It All Begins』をリリースし、同年8月Woodstock '94に出演。1995年にはロックの殿堂入り[6]、さらに翌年には"Jessica"で第38回グラミー賞ベスト・ロック・インスト賞を受賞するなど、注目を集めていった。

1997年、ヘインズとウッディがガヴァメント・ミュールの活動に専念するためにバンドから脱退する。後任にジャック・ピアソン(ギター)、オテイル・バーブリッジ(ベース)が加入した。1999年には、ピアソンに替わり、ブッチ・トラックスの甥にあたるデレク・トラックスが迎え入れられる。

2000年には、デレク加入後としては初のライヴ盤『Peakin' at the Beacon』を録音するが、同年、メンバーとの対立からオリジナル・メンバーのベッツがグループから追い出される形で脱退。一時的にジミー・ヘリングが後任として加入した後、翌2001年にはウォーレン・ヘインズを再度迎え入れ、その後はニューヨークビーコン・シアターでの恒例ライヴ、9年ぶりのスタジオ録音アルバム発表(2003年ヒッティン・ザ・ノート』)、またジャムバンド・ミュージックの祭典ボナルー・フェスティバル2003年2005年)への出演など精力的に活動した。

USA.カナンデイグア公演 (2009年8月)

2014年1月、ウォーレン・ヘインズとデレク・トラックスが同年中の公演を最後にバンドから脱退することを表明。デレクは自身のバンド、テデスキ・トラックス・バンドの活動に専念するために脱退したのだった。同年10月にビーコン・シアターで、ウォーレンとデレクをメンバーとした最後の公演が行われた。

2014年11月現在、バンドとしての活動予定は発表されていない。

2017年1月24日、オリジナルメンバーの1人、ブッチ・トラックスが死去。69歳没。マイアミ・ヘラルド紙によると、ブッチはフロリダ州ウェストパームビーチにある自宅のマンションで拳銃で頭を撃ち自殺したという[7]

2017年5月27日、オールマン兄弟の1人、グレッグ・オールマンが死去。69歳没 ジョージア州サバンナの自宅で肝臓ガンの合併症。69歳没。

メンバー[編集]

最終ラインナップ[編集]

旧メンバー[編集]

  • デュアン・オールマン Duane Allman - ギター (1969-1971) RIP.1971
  • ディッキー・ベッツ Dickey Betts - ギター (1969-2000)
  • ベリー・オークリー Berry Oakley – bass, vocals (1969-1972) RIP.1972
  • チャック・リーヴェル Chuck Leavell - キーボード (1972-1976, 1986)
  • ラマー・ウィリアムズ Lamar Williams – bass, vocals (1972-1976) RIP.1983
  • デヴィッド・ゴールドフライズ David Goldflies – bass (1978-1982)
  • ダン・トーラー Dan Toler - ギター (1978-1986) RIP.2013
  • マイク・ロウラー Mike Lawler – keyboards (1980-1982)
  • フランキー・トーラー David "Frankie" Toler – drums (1980-1982) RIP.2011
  • ジョニー・ニール Johnny Neel – keyboards, harmonica (1989-1990)
  • アレン・ウッディ Allen Woody – bass, background vocals (1989-1997) RIP.2000
  • ジャック・ピアソン Jack Pearson - ギター (1997-1999)
  • ジミー・ヘリング Jimmy Herring - ギター (2000)

ディスコグラフィー[編集]

関連項目[編集]

情報源[編集]

  1. ^ Adrian Barber - Credits : AllMusic
  2. ^ a b c d e The Allman Brothers Band - Awards”. AllMusic. 2016年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月19日閲覧。
  3. ^ スコット・フリーマン 『オールマン・ブラザーズ・バンド』 音楽之友社、1997年5月10日、菅野彰子訳、176頁。
  4. ^ Harris, Art (1975年12月4日). “Candidate Jimmy Carter: Rock's Good Ol' Boy”. Rolling Stone. 2015年11月15日閲覧。
  5. ^ Stark, Steven (2007年2月28日). “Of pols and pop culture - Stark Ravings”. The Boston Phoenix. Phoenix Media/Communications Group. 2015年11月15日閲覧。
  6. ^ The Allman Brothers Band”. Rock & Roll Hall of Fame. 2016年11月20日閲覧。
  7. ^ “オールマン・ブラザーズ・バンドの創設メンバーでドラマーのブッチ・トラックスが死去”. amass.jp. (2017年5月27日). http://amass.jp/83912/ 2017年1月29日閲覧。 

外部リンク[編集]