萠黄色のスナップ

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萠黄もえぎ色のスナップ
安全地帯シングル
初出アルバム『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜
B面 「一度だけ」
リリース
規格 7インチレコード
ジャンル ポップス
ロック
AOR
時間
レーベル Kitty Records
作詞・作曲 作詞:安全地帯、崎南海子
作曲:玉置浩二
プロデュース 星勝
安全地帯 シングル 年表
萠黄色のスナップ
(1982年)
オン・マイ・ウェイ
1982年
安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜 収録曲
ALL TIME BEST 収録曲
EANコード
EAN 4988031003633
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萠黄色のスナップ」(もえぎいろのスナップ)は、1982年2月25日にリリースされた安全地帯デビューシングル。発売元はキティレコード(現・ユニバーサルミュージック)。

背景[編集]

幼少期より歌手になる事を志望していた玉置浩二は、中学校に進学した頃にグループ・サウンズへの興味から武沢豊と共に「インベーダー」というバンドを結成する[1]。その頃の玉置はグループ・サウンズや歌謡曲を好んで聴いていたが、武沢の勧めによりビートルズなどの洋楽を聴くようになった[1]

バンドに武沢の兄である武沢俊也が加入し、バンド名を変更する話となり、当時ベースを担当していた同級生が交通教本を見て「安全地帯」という名を提案、また当時ピースサインが流行しており、交通規則の安全地帯のマークが「V」であった事、さらに頭脳警察四人囃子などの漢字4文字のバンドに影響されて正式に「安全地帯」と改名された[1]。バンド結成時は武沢の兄が曲を製作し、それを玉置が歌うスタイルであったが「負けてられない」との思いから玉置は自ら作詞、作曲を行うようになる[1]

1972年にはヤマハポピュラーソングコンテストに出場し、優秀賞を獲得する[1]。この時の事を後に中島みゆきは「安全地帯っていう恐ろしい中学生バンドがいたのを覚えてますよ」と発言している[1]。その後ロックに傾倒していた玉置はドゥービー・ブラザーズを好んで聴いており、その影響から武沢の兄がドラム、宮下隆宏がベースを担当する形で5人編成となり、後の安全地帯の原型が出来上がった[1]

1977年には六土開正矢萩渉田中裕二が所属していた「六土開正バンド」に玉置が声を掛け、安全地帯への参加が決定する[1]。この事で一時メンバーが8人となったが、後に宮下、武沢の兄、田中が脱退し、代わりにドラムスとして大平市治が加入し5人編成となった[1]

この頃すでに安全地帯は北海道内では著名になりつつあったため、本格的な音楽活動を行うために玉置は高校を1学年で中退する[1]。さらにメンバーは永山にある廃屋を借り、自分たちで木材を購入するなどして寝室付きのスタジオに改造、そこでの生活を始めた[1]。ここでの生活は3年におよび、その間メンバーはアルバイトをしながらデモ・テープの作成に勤しんでいた[1]。そのスタジオは「音楽農夫になって田んぼのまんなかで音楽を耕していくのもいいじゃないか」との思いから「ミュージカル・ファーマーズ・プロダクション (MFP)」と名付けられた[1]。また定期的にライブを行っており、チケットはメンバーが手売りしていたが、800人収容のホールが満席になることもあったという[1]

その後、武沢の親戚にあたる人物が安全地帯のデモ・テープをキティレコードの社長に届け、後に安全地帯のディレクターを担当する事となる金子章平の手に渡り、興味を抱いた金子は旭川まで訪れメンバーと邂逅する事となった[2]。また、同時期に後にプロデューサーとなる星勝も旭川を訪れており、玉置に対し「僕と10年いっしょに音楽をやりましょう」と告げた[2]

1981年7月、星の紹介により井上陽水がMFPを訪れセッションを行う事となった[2]。これが切っ掛けとなり、井上は金子からのアイデアを受け安全地帯をバックバンドとして全国ツアーを行う事を打診[2]。これに対し玉置は戸惑いを覚えていたが、「チャンスなんだから行こう」と東京へ向かう事を決定した[2]。同ツアーにはキーボード奏者の中西康晴BAnaNAも参加していた[2]

その後安全地帯としてのデビューが決定し、玉置自身が「絶対売れると思っていた」との自信から、アマチュア時代のレパートリーから厳選する形で本作がデビュー曲として選ばれた[3]

録音[編集]

本作のプロデューサーは星勝が担当している。星はロックバンド「ザ・モップス」のメンバーであり、またアレンジャーとしてザ・ピーナッツ井上陽水RCサクセションなどの作品に参加していた。

その他、本作のオリジナル盤では、元メンバーでドラムスの大平市治がクレジットされている。なお大平は1982年4月に脱退。田中裕二が再加入する。

音楽性[編集]

玉置浩二の自伝本『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』では、「大陸的な広がりを感じさせるメロディや、エレキ・ギターのカッティングを前面に出した音作りからは、たしかにドゥービー・ブラザーズの影響が感じられる」と表記されている[3]

1980年頃、フジテレビで放送されていた紀行番組『わが旅わが心』(プロデューサー:石田弘)にて、クリスタルキングがMFPを訪問して本曲の演奏を聴いた際、曲名や詞を「北海道ならでは」「(クリキンの本拠地である)九州じゃあの言葉は絶対出てこない」と評していた。

リリース[編集]

1982年2月25日キティレコードよりリリースされた。

1985年当時夏のコンサートで歌った本人達が「幻のデビュー曲」と明かす。同時期に安全地帯の人気を受けてシングル盤が製造再開される。

1988年12月10日に初めてCD化されてリリースされた[4]

オリジナルアルバムには収録されず、発売から約11年の時を経た1993年発売のベストアルバム『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』で初めてアルバムに収録された。

シングル収録曲[編集]

全作詞: 安全地帯崎南海子、全作曲: 玉置浩二、全編曲: 安全地帯、星勝
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.萠黄色のスナップ安全地帯崎南海子玉置浩二
2.一度だけ安全地帯崎南海子玉置浩二
合計時間:

スタッフ・クレジット[編集]

安全地帯[編集]

スタッフ[編集]

  • 星勝 - プロデューサー
  • 喜多浩二 - ディレクター
  • ブルース・シェーファー - ミキサー
  • チャンピオン・スタジオ - デザイナー
  • 渡辺重史 - フォトグラファー

リリース履歴[編集]

No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1982年2月25日 キティレコード 7インチ 7DK 7026 -
2 1988年12月10日 キティレコード 8センチCD H10K-30030 -

収録アルバム[編集]

萠黄色のスナップ
一度だけ

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 志田歩「第2章 幼きカリスマ」『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』雲母書房、2006年4月30日、20 - 39頁。ISBN 9784876722006
  2. ^ a b c d e f 志田歩「第3章 ワインレッドの心」『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』雲母書房、2006年4月30日、40 - 61頁。ISBN 9784876722006
  3. ^ a b 志田歩「第4章 スターダム」『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』雲母書房、2006年4月30日、62 - 85頁。ISBN 9784876722006
  4. ^ 安全地帯 / 萠黄色のスナップ [廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年2月9日閲覧。

外部リンク[編集]