ロキシー・ミュージック
ロキシー・ミュージック Roxy Music | |
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![]() マッセイ・ホール、トロント(1974年) Photo: Jean-Luc Ourlin | |
基本情報 | |
出身地 |
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ジャンル |
アート・ロック グラムロック ニュー・ウェイヴ ニューロマンティック プログレッシブ・ロック |
活動期間 |
1971年 - 1976年 1978年 - 1983年 2001年、2003年(共にツアー限定) |
レーベル |
EGレコード アイランド・レコード ポリドール・レコード ヴァージン・レコード リプリーズ・レコード ワーナー・ブラザース・レコード アトコ・レコード |
公式サイト | https://www.roxymusic.co.uk/ |
旧メンバー | メンバーと担当楽器を参照 |

ロキシー・ミュージック (Roxy Music)は、1971年にデビューしたイギリスのロック・グループ。ブライアン・フェリーの個性的なボーカルを中心に、芸術志向のグラム・ロックなどを発表した。 バンド名の「ロキシー」は、1950年代のイギリスで事業展開していた映画館チェーン「ロキシー」に因む[1]。
来歴[編集]
キャリア:1972年 - 1976年[編集]
ブライアン・フェリーは労働者階級(父は農業労働者)に生まれ、ザ・ガス・ボードなどのバンドで音楽活動をおこなった。彼は女子校の美術講師をしながら、陶芸の創作活動していたが1970年代に入って、ボーカリスト不足に悩むロバート・フリップらのキング・クリムゾンのボーカリスト・オーディションを受けることにした。オーデイションを受けたのは、ブライアン・フェリー、ボズ・バレル、クリムゾンのマネージャーらだったが、フェリーは落ちボズ・バレルが採用された[2]。しかしその際に、フリップらはバンドのイメージにフェリーは合わないが、良いセンスを持っていると感じ、EG(当時のクリムゾンの所属事務所)にフェリーを紹介したことで、彼の運が開かれることになる。
初期のバンドはこの時期既に存在していたらしく、メンバーはブライアン・フェリーとグラハム・シンプソン(ベース:彼らは大学時代からの友人だった)に、ロジャー・バン(ギター)、デヴィッド・オリスト(ギター、元ナイス)、デクスター・ロイド(ドラム)らがいたことが知られている。その後、キーボーディスト募集の雑誌広告を見て管楽器プレーヤーとして応募してきたアンディ・マッケイと、彼が連れてきた友人ブライアン・イーノが加入した。同時期にフィル・マンザネラがイーノの助手のような形で参加(当初の肩書きはサウンドミキサーである)、ロイドの脱退によってポール・トンプソンが参加(雑誌のメンバー募集広告を見て応募)。オリストの脱退を機にマンザネラがギタリストになって、デビュー時のラインナップが揃う。ここまでが1971年までに進行した。いわゆるメジャーデビュー前の「ハコ回り」の類がないというのは異例である。
1971年12月24日のファースト・ライブで、EG関係者を納得させ、翌年2月14日にマネジメント契約を勝ち取る。6月には1stアルバム『ロキシー・ミュージック』、7月には1stシングル「バージニア・プレイン」を発表。当時グラム・ロック・シーン全盛(彼らのメジャー・デビューはデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』発売直後だった)のロンドンで、グラムロック一派と見なされ、後世でもそう分類されている。ロキシーは、NMEによる各部門賞で新人賞を受賞した[3]。
その後、彼らはデヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」英国ツアーのサポート・アクトの傍ら精力的にレコーディングなどを行い、1973年3月には早くも2ndアルバム『フォー・ユア・プレジャー』を発表。「男装の麗人」アマンダ・レアが登場したジャケットが話題となるとともに、グラム・ノワール(Gram noir)と形容されたサウンドが注目を集め、英チャート上位に食い込む成功を収める。しかしこの頃、既に、フェリーとともにバンドの創設からのメンバーだったシンプソンが脱退(1st録音の段階で脱退していたという説もある。「バージニア・プレイン」のベースはリック・ケントン)しており、このアルバムでは後にスミスを手がけるジョン・ポーターがベースを担当している。なおこの後、ロキシーは解散までレギュラーのベーシストを加入させておらず、ジョン・ガスタフソン(1973年-1975年)、ジョン・ウェットン(1975年頃)、リック・ウィルス(1975年ツアー)、サル・メイダ(1975年ツアー)、ゲイリー・ティッブス(1978年-1980年)、アラン・スペナー(1979年-1983年)、ニール・ジェイソン(1980年-1983年)が出入りしている。そして、このアルバムをリリースした後、ロキシーの音楽を考える上で転機とも言えるメンバー・チェンジが発表される。ブライアン・イーノがセカンド・アルバムまでで脱退してしまったのだ。ブライアン・フェリーはグループと並行して、早くからソロ・アルバムも発表した。ソロではボブ・ディラン、プラターズ、ザ・ビーチ・ボーイズらをカバーし、好評だった。
バンドは元カーヴド・エアのマルチプレイヤーであるキーボーディスト兼ヴァイオリン奏者のエディ・ジョブソンを加え、1973年11月に3rdアルバム『ストランデッド』を発表。前2作の喧騒にあふれた未来派的なサウンドを薄める代わりに、「ヨーロッパ浪漫主義的方向」を目指しはじめる。実際「ノンプレイヤーのバンド」であったロキシーにあって確かな楽器の演奏技術を持つジョブソンの加入は大きな意味を持ち、この時期のロキシーはファンに根強い人気を誇っている。
1974年11月、4thアルバム『カントリー・ライフ』発表。更に耽美・叙情性を増した音楽性もさることながら、シースルーの下着を着けた女性2人というジャケットが物議を醸す。カナダでは女性2人が消され、ドイツでは1人の顔だけをアップにし、アメリカでは袋入りで発売される等、国ごとに様々な措置が取られた。右側の黒い下着の女性は、もとは男性である[4]。
1975年10月、5thアルバム『サイレン』発表。ジャケットに写っている女性モデル、ジェリー・ホールは、当時ブライアン・フェリーの恋人だったが、後年ミック・ジャガーと結婚。本作からの先行シングル「恋はドラッグ(Love Is the Drug)」は、全英2位・全米30位のヒットを記録し、一躍ロキシーの名を広めた。しかし、ツアー終了後にロキシーは一度解散。1976年発表のライブ盤『ビバ!』が、初期ロキシー最後のアルバムとなった。ブライアン・フェリーは76年から77年にかけてソロ・アルバムで、「レッツ・スティック・トゥゲザー」「東京ジョー」などの代表曲を発表した。
キャリア:1977年 - 1983年[編集]
ソロ活動をしていたフェリー、801やフェリーのバンドで活動したマンザネラ、TV番組『ロック・フォリーズ』の音楽監督などを務めたマッケイ、フェリーのバンドで活動したトンプソンの4人は、1978年にロキシー・ミュージックを再結成。キーボードとベースは固定メンバーを迎えず、セッション・メンバーで補うことにした。そして、1979年に復活作『マニフェスト』を発表。イーノもジョブソンも不在のため、以前よりもポップな音作りに変化したが、退廃的な美学は不変であった。しかし、1980年4月にトンプソンが指を骨折して脱退、アンディ・ニューマークが準メンバーとして加わる。
1980年にアルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』を発表。本作からのシングル「Same Old Scene」は、映画『タイムズ・スクエア』で使われる。そして、1980年12月8日に凶弾に倒れたジョン・レノンを追悼するため、1981年にジョンのカヴァー「ジェラス・ガイ」をシングルで発表。全英1位となった。
1982年、復活第3弾アルバム『アヴァロン』発表。かつての前衛的な色合いは、すっかり影を潜めたが、楽曲の充実度は高く、先行シングル「More Than This」は全英6位のヒットとなり、アルバム自体も全英1位を獲得。その後、大規模なワールド・ツアーを行う。ヨーロッパではキング・クリムゾンを前座に従え、1983年2月には、ロキシーとしては1979年以来2度目の来日も実現(フェリーは1977年、マンザネラとトンプソンをバックに従えてソロ名義で来日している)。その後、ライブ・ミニ・アルバム『The High Road』を最後に、ロキシーは再び眠りについた(後に、『アヴァロン』発表後のツアーの発掘ライブ盤『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』が発表される)。
バンドの変遷[編集]
(本節は特記以外、保科好宏「ロキシー・ミュージック・ストーリー」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p26 - p29)を参考文献とする。)
- 1960年代中頃 - ブライアン・フェリー(19歳)が、ニューカッスル大学の友人グラハム・シンプソン、ジョン・ポーターらとR&B系バンド「ザ・ガス・ボード」を結成する。
- 1968年7月 - ブライアン・フェリーとグラハム・シンプソンは大学を卒業して教師となり、休日は一緒に作曲を行い、またフェリーはシンプソンからピアノを習う。
- バンド・メンバー募集新聞広告を出す - グラハム・シンプソンが教職を失ったことを機に、フェリーとシンプソンは本格的にバンド活動をすることにし、新聞にバンド・メンバー募集広告を出す。
- 1971年初頭 - ロキシー・ミュージック結成。
- ロイド、バン脱退 - 左記2人の後任としてポール・トンプソンとデヴィッド・オリストが加入。フィル・マンザネラもオーディションに応募したがギタリストとしては採用されず、サウンド・ミキサーとしてバンドに採用される。
- 3ヶ月後、オリスト脱退 - バンドの音楽性がオリストと合わず脱退し、マンザネラが正式にギタリストとしてバンドに加入する。
- 1972年2月14日 - EGマネジメント(EGレコード[5])と契約し、プロのバンドとして歩み出す。キング・クリムゾンの作詞家ピーター・シンフィールドのプロデュースによるデビュー・アルバム『ロキシー・ミュージック』[6]を発表し、全英チャート10位となり、シングル「バージニア・プレイン」が4位となる。年8月デヴィッド・ボウイの前座として出演。ロキシー・ミュージックとして単独ツアーを行う。ジェスロ・タルの前座として全米ツアー。アメリカでの評判はよくなく、2007年時点でも同様。全米チャートでは、アルバムでは『マニフェスト』(1979年)の23位、シングルでは「恋はドラッグ(Love Is the Drug)」(1975年)の30位が最高。
- 1973年3月 - 2作目のアルバム『フォー・ユア・プレジャー』を発表し、全英4位となる。ブライアン・フェリー自身はこのアルバムが最も気に入っている[7]。また、シングルのみの「パジャマラマ」もトップ10入りする。 ブライアン・イーノ脱退。脱退理由は諸説流布されている。イーノの脱退によりバンドの人気に影響が出たため、EGプロダクションはバンドの中心にフェリーを置くことにして新な展開を図る。フェリーが初のソロ・アルバム『愚かなり、我が恋』(These Foolish Things)を発表し、全英5位になる。3作目のアルバム『ストランデッド』を発表し、初めて全英1位となる[8]。このアルバムからエディ・ジョブソンがバンドに加入しているが、ジョブソンは既にフェリーのソロ・アルバムに参加している。
- 1974年6月 - アンディ・マッケイが初のソロ・アルバム『In Search of Eddie Riff』を発表[9]。フェリーが2作目のソロ・アルバム『アナザー・タイム・アナザー・プレイス』(『いつかどこかで』『Another Time, Another Place』)を発表。4作目のアルバム『カントリー・ライフ』(Country Life)を発表し、全英3位となる。
- 1975年10月 - 5作目のアルバム『サイレン』を発表し、全英4位となる。このアルバムに収録された「恋はドラッグ(Love Is the Drug)」は全英2位となる。このアルバムは音楽評論家の間で1975年度のベスト・アルバムと評される[10]。
フィル・マンザネラが初のソロ・アルバム『ダイアモンド・ヘッド』(Diamond Head)を発表[11]。
- 1976年6月 - ロキシー・ミュージックの解散が発表される。
- 1976年7月 - 最後のアルバムとして、初ライブ録音の『ビバ!』(Viva!)を発表し、全英6位となる。
- 1977年 - ブライアン・フェリー・バンドが来日。このバンドにはマンザネラ、トンプソンのロキシー・ミュージックの元メンバーの他に、ジョン・ウェットン、クリス・スペディング、メル・コリンズも参加している。
- 1979年3月 - フェリーはマンザネラとマッケイにロキシー・ミュージック再結成の話を持ちかけ、3月に『マニフェスト』(Manifesto)を発表し、全英7位となる。4月に初来日公演を行う。以後レギュラー・メンバーをフェリーとマンザネラ、マッケイの3人とする。
- 1980年5月 - アルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』(Flesh + Blood)を発表し、全英1位となる。
- 1982年5月 - アルバム『アヴァロン』を発表し、全英1位となる。『アヴァロン』はロキシー・ミュージックのアルバムの中で最も評価が高く[12]、また最も人気があるアルバムである[7]。
キング・クリムゾンを前座として、フランス・フレジュスで公演[13]。
- 1983年2月 - ワールド・ツアーで再来日公演。
- ワールド・ツアー終了後 - ロキシー・ミュージック解散。その後、各メンバーはそれぞれ活動していくが、客演などで共演している。
- 2001年 - 再結成。ワールド・ツアー[14]。3度目の来日公演。
- 2010年 - フジロックフェスティバル '10(7月31日)[15]。にて4回目の来日。
- 2010年 - サマーフェスティバルツアー(6月17日 - 9月11日)[16]。
- 2011年 - 「For Your Pleasure」バンド結成40周年記念ツアー:英国アリーナツアー(1月25日 - 2月7日)・オーストラリア - ニュージーランド・ツアー(2月 - 3月)[17]。
- 2019年 - ロキシー・ミュージックとして、ブライアン・フェリー、ブライアン・イーノ、フィル・マンザネラ、ジョン・ガスタフソン、エディ・ジョブソン、アンディ・マッケイ、グラハム・シンプソン、ポール・トンプソンが、ロックの殿堂入りを果たした[18]。
エピソード[編集]
- ロキシー・ファッション
- 1972年の夏にフジテレビの若者向け番組『リブ・ヤング!』においてロンドンで注目されているファッションが取り上げられ、「ロキシー・ファッション 出演者募集」という企画があった。ジョニー大倉がこの企画に応募し、同年10月8日にキャロルが出演した。当時のブライアン・フェリーの衣裳や髪型は、1950年代のロックンロール・ファッションをリメイクしたデザイン、という印象を与えるものであった[1]。
メンバーと担当楽器[編集]
1970年 - 1976年[編集]
第1期
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース
- ロジャー・バン (Roger Bunn) - ギター
- デクスター・ロイド (Dexter Lloyd) - ドラム
第2期 1971年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース
- ロジャー・バン (Roger Bunn) - ギター
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
第3期 1971年 - 1972年:デビュー
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース
- デヴィッド・オリスト (David O'List) - ギター
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
第4期 1972年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- グラハム・シンプソン (Graham Simpson) -ベース
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
1stアルバム『ロキシー・ミュージック』録音。
第5期 1972年 - 1973年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- リック・ケントン (Rik Kenton) - ベース
- ジョン・ポーター (John Porter) - ベース (2nd)
- サル・メイダ (Sal Maida) - ベース
2ndアルバム『フォー・ユア・プレジャー』録音。
第6期 1973年 - 1976年

- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- エディ・ジョブソン (Eddie Jobson) - シンセサイザー、ヴァイオリン
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- サル・メイダ (Sal Maida) - ベース
- ジョン・ガスタフソン (John Gustafson) - ベース (3rd、4th、5th)
- ジョン・ウェットン (John Wetton) - ベース
- リック・ウィルス (Rick Wills) - ベース
3rdアルバム『ストランデッド』、4thアルバム『カントリー・ライフ』、5thアルバム『サイレン』録音。ライブ・アルバム『ビバ!』録音。
1978年 - 1983年[編集]
第7期 1978年 - 1980年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- ポール・キャラック (Paul Carrack) - キーボード (6th録音のみ)
- デヴィッド・スキナー (David Skinner) - キーボード
- ゲイリー・ティブス (Gary Tibbs) - ベース (6th)
- アラン・スペナー (Alan Spenner) - ベース (6th)
6thアルバム『マニフェスト』録音。
第8期 1980年 - 1981年

- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
+
- ポール・キャラック (Paul Carrack) - キーボード (7th)
- ニール・ハバード (Neil Hubbard) - ギター (7th)
- アラン・スペナー (Alan Spenner) - ベース (7th)
- ゲイリー・ティブス (Gary Tibbs) - ベース (7th録音のみ)
- ニール・ジェイソン (Neil Jason) - ベース (7th録音のみ)
- アンディ・ニューマーク (Andy Newmark) - ドラム (7th)
- アラン・シュワーツバーグ (Allan Schwaltzberg) - ドラム (7th録音のみ)
- サイモン・フィリップス (Simon Phillips) - ドラム (7th録音のみ)
7thアルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』録音。
第9期 1981年 - 1983年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード (8thではほぼ全てのkbdをフェリーが弾いている)
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
+
- ガイ・フレッチャー (Guy Fletcher) - キーボード
- ポール・キャラック (Paul Carrack) - ピアノ (8th録音のみ)
- ニール・ハバード (Neil Hubbard) - ギター (8th)
- アラン・スペナー (Alan Spenner) - ベース (8th)
- ニール・ジェイソン (Neil Jason) - ベース (8th録音のみ)
- アンディ・ニューマーク (Andy Newmark) - ドラム (8th)
- リック・マロッタ (Rick Marotta) - ドラム (8th録音のみ)
- ジミー・マレン (Jimmy Maelen) - パーカッション (8th)
8thアルバム『アヴァロン』録音。
ライブ・アルバム『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』録音。
2001年 - 2003年[編集]
第10期 (再結成) 2001年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- コリン・グッド (Colin Good) - キーボード
- ルーシー・ウィルキンズ (Lucy Wilkins) - ヴァイオリン、キーボード
- クリス・スペディング (Chris Spedding) - ギター
- ゼヴ・カッツ (Zev Katz) - ベース
- ジュリア・ソーントン (Julia Thornton) - パーカッション
第11期 2003年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- コリン・グッド (Colin Good) - キーボード
- ルーシー・ウィルキンズ (Lucy Wilkins) - ヴァイオリン、キーボード
- クリス・スペディング (Chris Spedding) - ギター
- マーク・スミス (Mark Smith) - ベース
- ジュリア・ソーントン (Julia Thornton) - パーカッション
ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
- 『ロキシー・ミュージック』 - Roxy Music (1972年 第4期)
- 『フォー・ユア・プレジャー』 - For Your Pleasure (1973年 第5期)
- 『ストランデッド』 - Stranded (1973年 第6期)
- 『カントリー・ライフ』 - Country Life (1974年 第6期)
- 『サイレン』 - Siren (1975年 第6期)
- 『マニフェスト』 - Manifesto (1979年 第7期)
- 『フレッシュ・アンド・ブラッド』 - Fresh + Blood (1980年 第8期-1)
- 『アヴァロン』 - Avalon (1982年 第8期-2)
ライブ・アルバム[編集]
- 『ビバ!』 - Viva! (1976年 第6期)
- 『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』 - Heart Still Beating (1990年 第8期-2)
コンピレーション[編集]
- 『ロキシー・ミュージック BOX 1972 - 1982』 - Thrill Of It All 72-82 (1997年 第4期~第8期-2)
シングル[編集]
- "Virginia Plain / The Numberer" (1972年 第5期 bass:リック・ケントン)
- "Pyjamarama / The Pride And The Pain" (1973年 第5期 bass:ジョン・ポーター)
- "Street Life / Hula Kula" (1973年 第6期)
- "All I Want Is You / Your Application's Failed" (1974年 第6期)
- "Love Is The Drug / Sultanesque" (1975年 第6期)
- "Both Ends Burning / For Your Pleasure (Live)" (1975年 第6期)
- "Trash / Trash 2" (1979年 第7期)
- "Dance Away / Cry Cry Cry" (1979年 第7期)
- "Angel Eyes / My Little Girl" (1980年 第7期)
- "Over You / Manifesto" (1979年 第8期-1(A面)、第7期(B面))
- "Oh Yeah (On The Radio) / South Downs" (1980年 第8期-1)
- "The Same Old Scene / Lover" (1980年 第8期-1)
- "Jealous Guy / To Turn You On" (1981年 第8期-1 bass:ゲイリー・ティブス(A面)、第8期-2(B面))
- "More Than This / India" (1982年 第8期-2)
- "Avalon / Always Unknowing" (1982年 第8期-2)
- "Take A Chance With Me / The Main Thing" (1982年 第8期-2)
脚注[編集]
- ^ a b 和久井光司「新しい時代を告げたロキシーの「リ・メイク/リ・モデル」」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p35中段)より。
- ^ http://ultimateclassicrock.com/king-crimson-in-the-wake-of-poseidon/
- ^ 翌1973年のNME誌の「Most Promising New British Name」部門でロキシーは1位、「Best UK single」で「バージニア・プレイン」が2位、「Best UK Male singer」部門ではフェリーが17位にランク。初期のロキシーは美術学校関係者が複数いて、楽器の演奏能力は不十分だったが、音楽的センスは優れていた
- ^ 「ロキシー・ミュージック & ブライアン・フェリー・アルバム・ガイド」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p9上段)より。
- ^ キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマーなどと契約していたレコード会社。
- ^ 『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p27上段)より。
- ^ a b 池田聡子「ブライアン・フェリー(インタビュー)」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p32下段)より。
- ^ 『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p28上段)より。
- ^ 鈴木祐「アンディ・マッケイのソロ活動」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p40)より。
- ^ 『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p28下段)より。
- ^ 松井巧「フィル・マンザネラのソロ活動」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p38)より。
- ^ 『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p29上段)より。
- ^ 鬼形智「ライヴの魅力と映像作品」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p37、4段目)より。
- ^ 『Roxy Music World Tour 2001』より。
- ^ 「フジロックフェスティバル '10【ラインナップ】」より。
- ^ ROXY MUSIC 公式サイト > TOUR DATES
- ^ “Bryan Ferry and Roxy Music Tour Dates – Live Concerts and Gigs”. Roxyrama.com. 2011年7月20日閲覧。
- ^ “ロキシー、ゾンビーズ、ジャネット、ロックの殿堂入りに喜びのコメント”. BARKS (2018年12月14日). 2019年2月2日閲覧。
参考文献[編集]
- ROXY MUSIC, TOUR DATES 2010年8月8日(日)閲覧。
- SMASH Corporation, フジロックフェスティバル '10【ラインナップ】 2010年8月8日(日)閲覧。
- Manzanera.com (2 Aug 2001), Roxy Music World Tour 2001 2009年12月30日(水)閲覧。
出版物
- 「特集 ロキシー・ミュージック」『ストレンジ・デイズ』No.98 2007年11月号、ストレンジ・デイズ、 p7 - p41。
関連文献[編集]
- Bracewell, Michael (April 2008), Re-make/Re-model: Becoming Roxy Music, USA: Da Capo Press, ISBN 978-0306814006
関連項目[編集]
- ナイス (デヴィッド・オリスト在籍)
- カーヴド・エア (エディ・ジョブソン在籍)
- 801 (マンザネラ、イーノが結成したバンド)
- エクスプローラーズ (マンザネラ、マッケイがジェイムズ・レイス(vo)と結成したグループ)
- エンターテイナー
外部リンク[編集]
- ロキシー・ミュージック - ユニバーサルミュージック・ジャパン
- ロキシー・ミュージック - ワーナーミュージック・ジャパン - ウェイバックマシン(2009年3月7日アーカイブ分)
- Manzanera.com - Roxy Music 2009年12月30日(水)閲覧。
- VIVA ROXY MUSIC.com 2009年12月30日(水)閲覧。