ロキシー・ミュージック
ロキシー・ミュージック Roxy Music | |
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![]() マッセイ・ホール、トロント(1974年) Photo: Jean-Luc Ourlin | |
基本情報 | |
出身地 |
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ジャンル |
アート・ロック グラムロック ニュー・ウェイヴ ニューロマンティック プログレッシブ・ロック |
活動期間 |
1971年 - 1976年 1978年 - 1983年 2001年、2003年(共にツアー限定) |
レーベル |
EGレコード アイランド・レコード ポリドール・レコード ヴァージン・レコード リプリーズ・レコード ワーナー・ブラザース・レコード アトコ・レコード |
公式サイト | https://www.roxymusic.co.uk/ |
旧メンバー | メンバーと担当楽器を参照 |

ロキシー・ミュージック (Roxy Music)は、1971年にデビューしたイギリスのロック・グループ。ブライアン・フェリーの個性的なボーカルを中心に、芸術志向のグラム・ロックなどを発表した。 バンド名の「ロキシー」は、1950年代のイギリスで事業展開していた映画館チェーン「ロキシー」に因む[1]。
来歴[編集]
キャリア:1972年 - 1976年[編集]
ブライアン・フェリーは労働者階級(父は農業労働者)に生まれ、ザ・ガス・ボードなどのバンドで音楽活動をおこなった。彼は女子校の美術講師をしながら陶芸の創作活動していたが、1971年に、ロバート・フリップ率いるキング・クリムゾンの新しいボーカリストに応募した。オーディションを受けたのは、フェリー、ボズ・バレル、クリムゾンのマネージャーらで、採用されたのはバレルであった[2]。しかしフリップともう一人の中心メンバーのピート・シンフィールドの二人は、フェリーはクリムゾンのイメージには合わないが良いセンスを持っていると感じたので、自分達の所属事務所であったEGに彼を紹介した。これをきっかけに、彼の運が開かれることになる。
ロキシー・ミュージックはこの時期に既に存在していたようで、メンバーにはフェリー(ボーカル、キーボード)、彼の大学時代からの友人のグラハム・シンプソン(ベース)、ロジャー・バン(ギター)、デヴィッド・オリスト(ギター、元ナイス)、デクスター・ロイド(ドラム)らがいたことが知られている。その後、キーボーディスト募集の雑誌広告を見て管楽器プレーヤーとして応募してきたアンディ・マッケイ(サックス、オーボエ)と、彼が連れてきた友人ブライアン・イーノ[注釈 1](シンセサイザー)が加入した。またフィル・マンザネラがサウンドミキサーの肩書きでイーノの助手のような役割で参加し、さらにロイドの脱退に伴ったドラマー募集の雑誌広告を見て応募してきたポール・トンプソンが加入した。そしてオリストの脱退を機にマンザネラがギターを担当。かくしてメジャー・デビューの時のラインナップが1971年末までに揃った。いわゆるデビュー前の「ハコ回り」の類がないというのは異例である。
ロキシー・ミュージックは1971年12月24日のファースト・ライブでEG関係者を納得させ、翌1972年の2月14日にマネジメント契約を勝ち取る。6月には1stアルバム『ロキシー・ミュージック』[注釈 2]、7月には1stシングル「バージニア・プレイン」を発表。彼らのメジャー・デビューはデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』が発売された直後のグラム・ロック・シーン全盛期のロンドンにおいてであり、彼らはグラム・ロック一派と見なされた[注釈 3]。この年のNMEによる各部門賞で新人賞を受賞した[注釈 4]。
その後、彼らはボウイの「ジギー・スターダスト」英国ツアーのサポート・アクトの傍ら精力的にレコーディングなどを行い、1973年3月には早くも2ndアルバム『フォー・ユア・プレジャー』を発表。「男装の麗人」アマンダ・レアが登場したジャケットが話題となるとともに、グラム・ノワール(Gram noir)と形容されたサウンドが注目を集め、英チャート上位に食い込む成功を収める。しかし、フェリーとともにバンドの創設時からのメンバーだったシンプソンは既に脱退[注釈 5]しており、このアルバムでは後にスミスを手がけるジョン・ポーターがベースを担当した[注釈 6]。そしてアルバムが発表された後、フェリーと並んで注目を集めていたイーノが脱退した。
イーノの脱退はロキシーの音楽の大きな転機と言えた。バンドは元カーヴド・エアのキーボーディスト兼ヴァイオリ二ストのエディ・ジョブソンを迎えて、1973年11月に3rdアルバム『ストランデッド』を発表。前2作の喧騒にあふれた未来派的なサウンドを薄める代わりに、「ヨーロッパ浪漫主義的方向」を目指しはじめる。「ノンプレイヤーのバンド」であったロキシーにあって確かな演奏技術を持つジョブソンの存在は大きな意味を持ち、この時期のロキシーはファンの根強い人気を誇った。フェリーはグループ活動と並行して、1973年10月にソロ・アルバムを発表。ボブ・ディラン、プラターズ、ザ・ビーチ・ボーイズらをカバーし、好評を得た。
1974年11月、4thアルバム『カントリー・ライフ』発表。更に耽美・叙情性を増した音楽性もさることながら、シースルーの下着を着けた女性2人というジャケットが物議を醸す。カナダでは女性2人が消され、ドイツでは1人の顔だけをアップにし、アメリカでは袋入りで発売される等、国ごとに様々な措置が取られた。右側の黒い下着の女性は、もとは男性である[3]。
1975年10月、5thアルバム『サイレン』発表。ジャケットに写っている女性モデル、ジェリー・ホールは、当時フェリーの恋人だった[注釈 7]。本作からの先行シングル「恋はドラッグ(Love Is the Drug)」は、全英2位・全米30位のヒットを記録し、一躍ロキシー・ミュージックの名を広めた。しかし、ツアー[注釈 8]終了後にロキシー・ミュージックは解散。1976年発表のライブ盤『VIVA!ロキシー・ミュージック』が最後のアルバムとなった。フェリーは1976年から1977年にかけてソロ・アルバムで「レッツ・スティック・トゥゲザー」「東京ジョー」などの代表曲を発表し、1977年にはマンザネラとトンプソンをバックに従えて来日した[注釈 9]。
キャリア:1977年 - 1983年[編集]
ソロ活動をしていたフェリー、801やフェリーのバンドで活動したマンザネラ、TV番組『ロック・フォリーズ』の音楽監督などを務めたマッケイ、フェリーのバンドで活動したトンプソンの4人は、1978年にロキシー・ミュージックを再結成。キーボードとベースは正式メンバーではなくセッション・メンバーで補うことにした。そして、1979年に復活作『マニフェスト』を発表。以前よりもポップな音作りに変化したが、退廃的な美学は不変であった。同年4月にロキシー・ミュージックの初来日公演。しかし、1980年4月にトンプソンが指を骨折して脱退、アンディ・ニューマークが準メンバーとして加わる。
1980年にアルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』を発表。本作からのシングル「Same Old Scene」は、映画『タイムズ・スクエア』で使われる。そして、1980年12月8日に凶弾に倒れたジョン・レノンを追悼するため、1981年にジョンのカヴァー「ジェラス・ガイ」をシングルで発表。全英1位となった。
1982年、復活第3弾アルバム『アヴァロン』発表。かつての前衛的な色合いは、すっかり影を潜めたが、楽曲の充実度は高く、先行シングル「More Than This」は全英6位のヒットとなり、アルバムも全英1位を獲得。その後、大規模なワールド・ツアーを行う。ヨーロッパではキング・クリムゾンを前座に従え、1983年2月には2度目の来日公演が実現。その後、ライブ・ミニ・アルバム『ザ・ハイ・ロード』を最後に、ロキシー・ミュージックは再び眠りについた[注釈 10]。
バンドの変遷[編集]
(本節は特記以外、保科好宏「ロキシー・ミュージック・ストーリー」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p26 - p29)を参考文献とする。)
- 1960年代中頃 - ブライアン・フェリー(19歳)が、ニューカッスル大学の友人グラハム・シンプソン、ジョン・ポーターらとR&B系バンド「ザ・ガス・ボード」を結成する。
- 1968年7月 - フェリーとシンプソンは大学を卒業して教師となり、休日は一緒に作曲を行い、またフェリーはシンプソンからピアノを習う。
- バンド・メンバー募集新聞広告を出す - シンプソンが教職を失ったことを機に、フェリーとシンプソンは本格的にバンド活動をすることにし、新聞にバンド・メンバー募集広告を出す。
- 1971年初頭 - ロキシー・ミュージック結成。
- ロイド、バン脱退 - 後任としてポール・トンプソンとデヴィッド・オリストが加入。フィル・マンザネラもオーディションに応募したがギタリストとしては採用されず、サウンド・ミキサーとしてバンドに採用される。
- 3ヶ月後、オリスト脱退 - オリストがバンドの音楽に合わず脱退、マンザネラがギタリストとなる。
- 1972年2月14日 - EGマネジメント(EGレコード[注釈 11])と契約し、プロのバンドとして歩み出す。元キング・クリムゾンの作詞家ピーター・シンフィールドのプロデュースによるデビュー・アルバム『ロキシー・ミュージック』[4]が全英チャート10位となり、シングル「バージニア・プレイン」が4位となる。年8月デヴィッド・ボウイの前座として出演。ロキシー・ミュージックとして単独ツアーを行う。ジェスロ・タルの前座として全米ツアー[注釈 12]。
- 1973年3月 - 2作目のアルバム『フォー・ユア・プレジャー』が全英4位となる。フェリー自身はこのアルバムが最も気に入っている[5]。また、アルバム未収録の新曲「パジャマラマ」もトップ10入りする。 イーノ脱退。その理由は諸説流布されている。イーノの脱退によりバンドの人気に影響が出たため、EGレコードはバンドの中心にフェリーを置くことにして新たな展開を図る。フェリー初のソロ・アルバム『愚かなり、我が恋』(These Foolish Things)が発表されて、全英5位になる。3作目のアルバム『ストランデッド』が初めて全英1位となる[6]。このアルバムからエディ・ジョブソンが加入しているが、ジョブソンは既に『愚かなり、我が恋』に参加している。
- 1974年6月 - マッケイが初のソロ・アルバム『In Search of Eddie Riff』を発表[7]。フェリーが2作目のソロ・アルバム『アナザー・タイム・アナザー・プレイス(いつかどこかで)』(Another Time, Another Place)を発表。4作目のアルバム『カントリー・ライフ』(Country Life)が全英3位となる。
- 1975年10月 - 5作目のアルバム『サイレン』が全英4位、収録曲の「恋はドラッグ(Love Is the Drug)」は全英2位となる。このアルバムは音楽評論家の間で1975年度のベスト・アルバムと評される[8]。
マンザネラが初のソロ・アルバム『ダイアモンド・ヘッド』(Diamond Head)を発表[9]。
- 1976年6月 - ロキシー・ミュージックの解散が発表される。
- 1976年7月 - 最後のアルバムで最初のライブ録音の『VIVA!ロキシー・ミュージック』が全英6位となる。
- 1977年 - フェリーが初来日公演。マンザネラ、トンプソンの他に、ジョン・ウェットン、クリス・スペディング、メル・コリンズらが参加。
- 1979年3月 - フェリーはマンザネラとマッケイにロキシー・ミュージック再結成の話を持ちかけ、3月に『マニフェスト』(Manifesto)を発表し、全英7位となる。4月にロキシー・ミュージックとしての初来日公演を行う。以後レギュラー・メンバーはフェリー、マンザネラ、マッケイの3人となる。
- 1980年5月 - アルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』(Flesh + Blood)が全英1位となる。
- 1982年5月 - アルバム『アヴァロン』が全英1位となる。本作はロキシー・ミュージックのアルバムの中で最も評価が高く[10]、また最も人気がある[5]。
キング・クリムゾンを前座として、フランス・フレジュスで公演[11]。
- 1983年2月 - ワールド・ツアーで2度目の公演。
- ワールド・ツアー終了後 - ロキシー・ミュージック解散。その後、各メンバーはそれぞれ活動していくが、客演などで共演している。
- 2001年 - 再結成。ワールド・ツアー[12]。3度目の来日公演。
- 2010年 - フジロックフェスティバル '10(7月31日)[13]。にて4度目の来日。
- 2010年 - サマーフェスティバルツアー(6月17日 - 9月11日)[14]。
- 2011年 - 「For Your Pleasure」バンド結成40周年記念ツアー:英国アリーナツアー(1月25日 - 2月7日)・オーストラリア - ニュージーランド・ツアー(2月 - 3月)[15]。
- 2019年 - ロキシー・ミュージックとして、ブライアン・フェリー、ブライアン・イーノ、フィル・マンザネラ、ジョン・ガスタフソン、エディ・ジョブソン、アンディ・マッケイ、グラハム・シンプソン、ポール・トンプソンが、ロックの殿堂入りを果たした[16]。
エピソード[編集]
- ロキシー・ファッション
- 1972年の夏にフジテレビの若者向け番組『リブ・ヤング!』においてロンドンで注目されているファッションが取り上げられ、「ロキシー・ファッション 出演者募集」という企画があった。ジョニー大倉がこの企画に応募し、同年10月8日にキャロルが出演した。当時のブライアン・フェリーの衣裳や髪型は、1950年代のロックンロール・ファッションをリメイクしたデザイン、という印象を与えるものであった[1]。
メンバーと担当楽器[編集]
1970年 - 1976年[編集]
第1期
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース
- ロジャー・バン (Roger Bunn) - ギター
- デクスター・ロイド (Dexter Lloyd) - ドラム
第2期 1971年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース
- ロジャー・バン (Roger Bunn) - ギター
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
第3期 1971年 - 1972年:デビュー
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- グラハム・シンプソン (Graham Simpson) - ベース
- デヴィッド・オリスト (David O'List) - ギター
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
第4期 1972年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- グラハム・シンプソン (Graham Simpson) -ベース
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
アルバム『ロキシー・ミュージック』録音。
第5期 1972年 - 1973年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - シンセサイザー、キーボード、テープ
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- リック・ケントン (Rik Kenton) - ベース
- ジョン・ポーター (John Porter) - ベース (2nd)
- サル・メイダ (Sal Maida) - ベース
アルバム『フォー・ユア・プレジャー』録音。
第6期 1973年 - 1976年

- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- エディ・ジョブソン (Eddie Jobson) - シンセサイザー、ヴァイオリン
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- サル・メイダ (Sal Maida) - ベース
- ジョン・ガスタフソン (John Gustafson) - ベース (3rd、4th、5th)
- ジョン・ウェットン (John Wetton) - ベース
- リック・ウィルス (Rick Wills) - ベース
アルバム『ストランデッド』『カントリー・ライフ』『サイレン』録音。ライブ・アルバム『VIVA!ロキシー・ミュージック』録音。
1978年 - 1983年[編集]
第7期 1978年 - 1980年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- ポール・キャラック (Paul Carrack) - キーボード (6th録音のみ)
- デヴィッド・スキナー (David Skinner) - キーボード
- ゲイリー・ティブス (Gary Tibbs) - ベース (6th)
- アラン・スペナー (Alan Spenner) - ベース (6th)
アルバム『マニフェスト』録音。
第8期 1980年 - 1981年

- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
+
- ポール・キャラック (Paul Carrack) - キーボード (7th)
- ニール・ハバード (Neil Hubbard) - ギター (7th)
- アラン・スペナー (Alan Spenner) - ベース (7th)
- ゲイリー・ティブス (Gary Tibbs) - ベース (7th録音のみ)
- ニール・ジェイソン (Neil Jason) - ベース (7th録音のみ)
- アンディ・ニューマーク (Andy Newmark) - ドラム (7th)
- アラン・シュワーツバーグ (Allan Schwaltzberg) - ドラム (7th録音のみ)
- サイモン・フィリップス (Simon Phillips) - ドラム (7th録音のみ)
アルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』録音。
第9期 1981年 - 1983年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード (8thではほぼ全てのkbdをフェリーが弾いている)
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
+
- ガイ・フレッチャー (Guy Fletcher) - キーボード
- ポール・キャラック (Paul Carrack) - ピアノ (8th録音のみ)
- ニール・ハバード (Neil Hubbard) - ギター (8th)
- アラン・スペナー (Alan Spenner) - ベース (8th)
- ニール・ジェイソン (Neil Jason) - ベース (8th録音のみ)
- アンディ・ニューマーク (Andy Newmark) - ドラム (8th)
- リック・マロッタ (Rick Marotta) - ドラム (8th録音のみ)
- ジミー・マレン (Jimmy Maelen) - パーカッション (8th)
アルバム『アヴァロン』録音。ライブ・アルバム『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』録音。
2001年 - 2003年[編集]
第10期 (再結成) 2001年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- コリン・グッド (Colin Good) - キーボード
- ルーシー・ウィルキンズ (Lucy Wilkins) - ヴァイオリン、キーボード
- クリス・スペディング (Chris Spedding) - ギター
- ゼヴ・カッツ (Zev Katz) - ベース
- ジュリア・ソーントン (Julia Thornton) - パーカッション
第11期 2003年
- ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) - ボーカル、キーボード
- フィル・マンザネラ (Phil Manzanera) - ギター
- アンディ・マッケイ (Andy Mackay) - サクソフォーン、オーボエ
- ポール・トンプソン (Paul Thompson) - ドラム
+
- コリン・グッド (Colin Good) - キーボード
- ルーシー・ウィルキンズ (Lucy Wilkins) - ヴァイオリン、キーボード
- クリス・スペディング (Chris Spedding) - ギター
- マーク・スミス (Mark Smith) - ベース
- ジュリア・ソーントン (Julia Thornton) - パーカッション
ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
- 『ロキシー・ミュージック』 - Roxy Music (1972年 第4期)
- 『フォー・ユア・プレジャー』 - For Your Pleasure (1973年 第5期)
- 『ストランデッド』 - Stranded (1973年 第6期)
- 『カントリー・ライフ』 - Country Life (1974年 第6期)
- 『サイレン』 - Siren (1975年 第6期)
- 『マニフェスト』 - Manifesto (1979年 第7期)
- 『フレッシュ・アンド・ブラッド』 - Fresh + Blood (1980年 第8期-1)
- 『アヴァロン』 - Avalon (1982年 第8期-2)
ライブ・アルバム[編集]
- 『VIVA!ロキシー・ミュージック』 - Viva! (1976年 第6期)
- 『ザ・ハイ・ロード』 - The High Road (1983年 第9期) ※EP。4曲収録
- 『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』 - Heart Still Beating (1990年 第8期-2)
- 『ベスト・ライヴ』 - Concert Classics (1998年 第7期) ※タイトル違いの再発盤多数。日本盤は『ライヴ・イン・アメリカ 1979』としても再発
- Valentine (2000年)
- Vintage (2001年) ※1972年-1975年ドイツ録音
- 『リフレクション』 - Reflection (2001年) ※上記アルバムの増補盤
- 『ライヴ』 - Roxy Music Live (2003年 第10期)
- 『マンチェスター・マニフェスト』 - Manchester Manifesto (2011年 第7期)
コンピレーション[編集]
- 『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1977年)
- The First Seven Albums (1981年)
- 『アトランティック・イヤーズ』 - The Atlantic Years 1973–1980 (1983年)
- 『ストリート・ライフ (20グレート・ヒッツ)』 - Street Life: 20 Great Hits (1986年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
- 『ジ・アルティメイト・コレクション』 - The Ultimate Collection (1988年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
- The Early Years (1989年)
- The Later Years (1989年)
- 『ロキシー・ミュージック BOX 1972 - 1982』 - Thrill Of It All 72-82 (1997年)
- 『ザ・ベスト・オブ・ブライアン・フェリー・アンド・ロキシー・ミュージック』 - More than This (1995年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
- 『TOKYO JOE-ザ・ベスト・オブ・ブライアン・フェリー / ロキシー・ミュージック』 - Tokyo Joe - The Best Of Bryan Ferry & Roxy Music (1997年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
- 『ザ・グレイテスト』 - The Greatest (1998年)
- 『ベスト・オブ・ロキシー・ミュージック』 - The Best of Roxy Music (2001年)
- The Platinum Collection (2004年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
- 『コンプリート・スタジオ・レコーディングス 1972-1982』 - The Complete Studio Recordings 1972–1982 (2012年)
シングル[編集]
- 「ヴァージニア・プレイン」 - "Virginia Plain" / "The Numberer" (1972年 第5期 ベース:リック・ケントン) ※日本盤は「パジャマラマ」とのカップリング
- "Pyjamarama" / "The Pride And The Pain" (1973年 第5期 ベース:ジョン・ポーター)
- 「ロキシー・ストランド」 - "Do The Strand" / "Editions Of You" (1973年 第6期)
- 「ストリート・ライフ」 - "Street Life" / "Hula Kula" (1973年 第6期)
- 「オール・アイ・ウォント」 - "All I Want Is You" / "Your Application's Failed" (1974年 第6期)
- 「恋はドラッグ」 - "Love Is The Drug" / "Sultanesque" (1975年 第6期)
- 「ボス・エンズ・バーニング」 - "Both Ends Burning" / "For Your Pleasure (Live)" (1975年 第6期)
- "Trash" / "Trash 2" (1979年 第7期)
- 「ダンス・アウェイ」 - "Dance Away" / "Cry Cry Cry" (1979年 第7期)
- 「エンジェル・アイズ」 - "Angel Eyes" / "My Little Girl" (1980年 第7期)
- 「オーヴァー・ユー」 - "Over You" / "Manifesto" (1979年 第8期-1(A面)、第7期(B面))
- 「オー・イエ」 - "Oh Yeah (On The Radio)" / "South Downs" (1980年 第8期-1)
- 「セイム・オールド・シーン」 - "The Same Old Scene" / "Lover" (1980年 第8期-1)
- 「ジェラス・ガイ」 - "Jealous Guy" / "To Turn You On" (1981年 第8期-1 ベース:ゲイリー・ティブス(A面)、第8期-2(B面))
- 「夜に抱かれて」 - "More Than This" / "India" (1982年 第8期-2)
- 「アヴァロン」 - "Avalon" / "Always Unknowing" (1982年 第8期-2)
- "Take A Chance With Me" / "The Main Thing" (1982年 第8期-2)
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ a b 和久井光司「新しい時代を告げたロキシーの「リ・メイク/リ・モデル」」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p35中段)より。
- ^ http://ultimateclassicrock.com/king-crimson-in-the-wake-of-poseidon/
- ^ 「ロキシー・ミュージック & ブライアン・フェリー・アルバム・ガイド」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p9上段)より。
- ^ 『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p27上段)より。
- ^ a b 池田聡子「ブライアン・フェリー(インタビュー)」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p32下段)より。
- ^ 『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p28上段)より。
- ^ 鈴木祐「アンディ・マッケイのソロ活動」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p40)より。
- ^ 『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p28下段)より。
- ^ 松井巧「フィル・マンザネラのソロ活動」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p38)より。
- ^ 『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p29上段)より。
- ^ 鬼形智「ライヴの魅力と映像作品」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p37、4段目)より。
- ^ 『Roxy Music World Tour 2001』より。
- ^ 「フジロックフェスティバル '10【ラインナップ】」より。
- ^ ROXY MUSIC 公式サイト > TOUR DATES
- ^ “Bryan Ferry and Roxy Music Tour Dates – Live Concerts and Gigs”. Roxyrama.com. 2011年7月20日閲覧。
- ^ “ロキシー、ゾンビーズ、ジャネット、ロックの殿堂入りに喜びのコメント”. BARKS (2018年12月14日). 2019年2月2日閲覧。
注釈[編集]
- ^ 当時は単に『イーノ』(”Eno”)。
- ^ プロデューサーは前年の暮れにキング・クリムゾンを去ったピート・シンフィールドが務めた。
- ^ この分類は、50年後の現在でも採用されている。
- ^ 翌1973年のNME誌の「Most Promising New British Name」部門でロキシーは1位、「Best UK single」で「バージニア・プレイン」が2位、「Best UK Male singer」部門ではフェリーが17位にランク。初期のロキシーは美術学校関係者が複数いて、楽器の演奏能力は不十分だったが、音楽的センスは優れていた
- ^ 1stアルバムの録音の段階で脱退していたという説もある。「バージニア・プレイン」のベースはリック・ケントンが担当した。
- ^ この後、ロキシーは解散までレギュラーのベーシストを加入させておらず、ジョン・ガスタフソン(1973年-1975年)、ジョン・ウェットン(1975年頃)、リック・ウィルス(1975年ツアー)、サル・メイダ(1975年ツアー)、ゲイリー・ティッブス(1978年-1980年)、アラン・スペナー(1979年-1983年)、ニール・ジェイソン(1980年-1983年)らが客演した。
- ^ 1990年ミック・ジャガーと結婚したが、後年離婚した。
- ^ 1976年1月27日のストックホルム公演をSR International – Radio Swedenが収録して放映した約45分の番組が、同年12月30日にNHK総合テレビの『ヤング・ミュージック・ショー』で放映された。リック・ウィルスがベース・ギター担当。曲目はThe Thrill Of It All, Mother Of Pearl, Nightingale, Out Of The Blue, Street Life, Diamond Head, Wild Weekend, The 'In' Crowd, Virginia Plain, A Hard Rain's A-Gonna Fall。(https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A197612301600001300100)
- ^ 1977年6月5日と9日中野サンプラザ、6月6日大阪厚生年金会館。メンバーはフェリー(Vo, Key, Harmonica)、マンザネラ(G)、トンプソン(Dr)、クリス・スペディング(G)、ジョン・ウェットン(B, Vo)、アン・オデール(Key, Vo)、メル・コリンズ(Sax)、マーチン・ドローヴァー(Trumpet)、クリス・マーサー(Sax)。また6月9日には、中野サンプラザ公演に加えて、渋谷のNHK放送センターの101スタジオで総合テレビの『ヤング・ミュージック・ショー』の公開録画を行い Let's Stick Together、 Shame Shame Shame, In Your Mind, Casanova, Love Me Madly Again, Love Is The Drug, Tokyo Joe, This Is Tomorrow, A Hard Rain's A-Gonna Fall, The Price Of Loveの10曲を演奏。放送日は同年9月10日。
- ^ 解散後に、『アヴァロン』発表後のツアーの発掘ライブ盤『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』が発表された。
- ^ キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマーなどと契約していたレコード会社。
- ^ ロキシー・ミュージックはアメリカではイギリスほどの高い評価や人気は得られなかった。全米チャートでは、アルバムでは『マニフェスト』(1979年)の23位、シングルでは「恋はドラッグ(Love Is the Drug)」(1975年)の30位が最高。
参考文献[編集]
- ROXY MUSIC, TOUR DATES 2010年8月8日(日)閲覧。
- SMASH Corporation, フジロックフェスティバル '10【ラインナップ】 2010年8月8日(日)閲覧。
- Manzanera.com (2 Aug 2001), Roxy Music World Tour 2001 2009年12月30日(水)閲覧。
出版物
- 「特集 ロキシー・ミュージック」『ストレンジ・デイズ』No.98 2007年11月号、ストレンジ・デイズ、 p7 - p41。
- Bracewell, Michael (April 2008), Re-make/Re-model: Becoming Roxy Music, USA: Da Capo Press, ISBN 978-0306814006
- 城山隆 『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』情報センター出版局、2005年。ISBN 978-4795843622。
関連項目[編集]
- ザ・ナイス (デヴィッド・オリスト在籍)
- カーヴド・エア (エディ・ジョブソン在籍)
- 801 (マンザネラ、イーノが結成したバンド)
- エクスプローラーズ (マンザネラ、マッケイがジェイムズ・レイス(vo)と結成したグループ)
- エンターテイナー
外部リンク[編集]
- ロキシー・ミュージック - ユニバーサルミュージック・ジャパン
- ロキシー・ミュージック - ワーナーミュージック・ジャパン - ウェイバックマシン(2009年3月7日アーカイブ分)
- Manzanera.com - Roxy Music 2009年12月30日(水)閲覧。
- VIVA ROXY MUSIC.com 2009年12月30日(水)閲覧。