スージー・クアトロ

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スージー・クアトロ
Suzi Quatro
Suzi Quatro 15.JPG
ドイツ. バート・キッシンゲン公演 (2011年8月)
基本情報
出生名 Susan Kay Quatrocchio
生誕 (1950-06-03) 1950年6月3日(67歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州デトロイト
ジャンル ハードロック
ポップロック
ガレージロック
職業 シンガーソングライターベーシスト音楽プロデューサー女優ラジオパーソナリティ
担当楽器 ボーカルベースピアノ
活動期間 1964年 - 現在
レーベル EMI/Rak Records
RSO/Dreamland
ポリドール・レコード
First Night/Pinnacle
Generation Record
Bellaphon Records
Connoisseur Collection
CMC International
Liberty Records
キャロライン・レコード
チェリーレッド・レコード
共同作業者 The Pleasure Seekers
Cradle
クリス・ノーマン (en
公式サイト Official Website
著名使用楽器
フェンダー・プレシジョンベース など

スージー・クアトロSuzi Quatro, 1950年6月3日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性ロックミュージシャンシンガーソングライターベーシストラジオDJ女優

50年以上のキャリアを誇る、女性ロック界の先駆者として知られる[1]。女性がエレキ弦楽器を奏でながらハードロックをプレイし、ガールズバンドも率いた草分け的存在として、音楽界に大きな影響を与えた。

概要・略歴[編集]

ガールズバンド時代 (1964年 - 1971年)[編集]

プレジャー・シーカーズ時代 (1960年代)

本名スーザン・ケイ・クアトロッチオ(Susan Kay Quatrocchio)。ミシガン州デトロイト生まれ。ミュージシャンだった父アート・クアトロッチオはイタリア系であり、母ヘレン・レベルはハンガリー系であった。

8歳の頃、父親が率いるグループ「アート・クアトロ・トリオ」に参加[2]1964年からキャリアを本格スタートし、スージー・ソウルの芸名で姉パティらとガールズバンド「ザ・プレジャー・シーカーズ(The Pleasure Seekers)」を結成(後にアーリーン、ナンシーの二人の姉も加わる)。地元デトロイトを拠点に、「MC5」や「ジェファーソン・エアプレイン」らとアメリカ各地をツアーで回った[3]。この頃にまだ駆け出しのテッド・ニュージェントやボブ・シーガーといった、同郷のロックミュージシャンとも交流を深めている。

1969年に「クレイドル(Cradle)」と改名し、ベトナムなど海外ツアーも行った[3]

1970年6月にデトロイトで歌っている際、ジェフ・ベックのモータウン・スタジオでのレコーディングのために同地に来ていた音楽プロデューサーのミッキー・モストによって高い評価を受け、1971年末、同氏を頼って渡英する。

ソロに転向 (1972年 - 1981年)[編集]

オランダTV出演時 (1973年12月)

1972年7月、ミッキー自身のレーベルRAKレコードからソロ名義のファースト・シングル「Rolling Stone」を発表。フォークソング調の曲で、ポルトガルではチャート1位となるものも[4]、他国ではさほど売れなかった。

1973年に入ってからハードロック路線へのイメージチェンジのためソングライティングチームにニッキー・チンとマイク・チャップマンを迎え、芸名もSuzie QuatroからSuzi Quatroに変わった。セカンドシングルの「キャン・ザ・キャン」はイギリスを含むヨーロッパ及びオーストラリアでナンバーワン・ヒットを記録する[5]。続いてリリースされた、「48クラッシュ」(1973、UKチャート3位)、「デイトナ・デモン」(1973、UKチャート14位)も大ヒットし、この年のイギリスのBest Selling Artist/Female/Singleの第1位となった。

1974年にも「悪魔とドライブ」(UKチャート1位)[5]、「トゥ・ビッグ」(UKチャート14位)、「ワイルド・ワン」(UKチャート7位)が英国で大ヒットした。彼女のファースト及びセカンド・アルバムはヨーロッパとオーストラリアで大成功を収めた。日本でも1970年代の終わりまで大きく支持され、74年から78年まで5年連続で来日[3]1977年には、大都市だけではなく中都市も回る大規模な日本ツアーを成功させ、関連したライブアルバムも発表している。

しかしながら母国のアメリカにおいては、1970年代中頃にアリス・クーパーと共にツアーを行うなどの努力をしたにもかかわらず、それほどヒットしなかった。1975年以降彼女のヘビーで妖しい魅力を伴ったスタイルは受け入れられなくなっていき、人気は1978年まで好転しなかった。同年に「If You Can't Give Me Love(邦題・涙のヤング・ラヴ)」がリリースされると、同作はイギリスとオーストラリアでトップ10ヒットを記録する[5]。アメリカでは引き続いて成功はしなかったが、1979年にスモーキー(en:Smokie (band))のクリス・ノーマンと共に「Stumblin' In(邦題・メロウな二人)」をRSOレコードからリリースすると、同作は4位とアメリカで初の大ヒットを記録することとなる。この成功は短期間のものであった。彼女の最後の(オーストラリアでのみの)ヒットは1981年前半にリリースされた「Rock Hard」であった。

女優業に進出〜以降 (1982年 - 現在)[編集]

オーストラリア・キャンベラ公演 (2007年9月)
ドイツ. バート・キッシンゲン公演 (2011年8月)

1980年代に入ると女優業にも本格進出し、主にテレビドラマやミュージカルの分野で活躍した。

1987年、日本のロックバンド「BOØWY」のシングル曲「Marionette」のB面曲として「THE WILD ONE」を、BOØWYのボーカリスト氷室京介とデュエットしたバージョンを発表。しかし、同時にレコーディングした訳ではなく、日本で録音したオケをイギリスに送りスージーに歌わせ、その後日本に送り返しミキシングすると言う手法で作られた。

2006年2月、アルバム『Back To The Drive』をスウィートのギタリスト、アンディー・スコットのプロデュースでリリースした。アルバムのタイトル・トラックはマイク・チャップマンによって書かれたものである。2009年、BBCの"Queens of British Pop"において12人の内のひとりに選ばれた[6]

2009年、本国の英BBC放送から『Queens of British Pop』に選出される。

2010年 - 2011年、かつて姉達と共に率いていたガールズバンド「The Pleasure Seekers」や「Cradle」のコンピレーションをリリース。

2014年、音楽活動50周年を迎え、記念を祝したBOXセット『The Girl from Detroit City』をリリース。同年と翌年に、20年ぶりの来日公演を開催[7]

2016年、長年の音楽に対する貢献を讃え、アングリア・ラスキン大学英語版より名誉博士号を授与。

私生活[編集]

1978年に長年バック・ギタリストを務めていたレン・タッキーと結婚し、二人の子供(ローラ(1982年生)およびリチャード・レナード(1984年生))がいたが、1992年に離婚した。1993年にドイツの興行プロモーターと結婚した。

女優シェリリン・フェンの叔母にあたる。

後年はイギリスドイツで暮らし、BBCラジオ2で毎週ロック・プログラムのDJを務める。

使用楽器[編集]

基本的にフェンダー社「ジャズベース」「プレシジョンベース」や、近年はStatus Graphite社のカスタムモデルも使用している。過去にはギブソン社の各モデル「EB2」「レスポールベース」「グラバー」「サンダーバード」「リッパー」、Jaydee Custom Guitar社「Supernatural」モデル、 B.C.リッチ社の変形モデルらを扱う場合もあった。

ディスコグラフィ[編集]

()内はリリース時の邦題

アルバム[編集]

  • 1973 Suzi Quatro (サディスティック・ロックの女王)
  • 1974 Quatro(陶酔のアイドル)
  • 1975 Your Mama Won't Like Me(ママに捧げるロック)
  • 1977 Aggro Phobia(クアトロ白書)
  • 1978 If You Knew Suzi(スージーからの伝言)
  • 1979 Suzi...And Other Four Letter Words(フォー・レター・ワーズの秘密)
  • 1980 Rock Hard(ロック・ハード)
  • 1982 Main Attraction(メイン・アトラクション)
  • 1991 OH,Suzi Q(OH、スージーQ)
  • 1996 What Goes Around
  • 2006 Back To The Drive
  • 2011 In the Spotlight

The Pleasure Seekers / Cradle名義

  • 2010 Cradle「The History
  • 2011 The Pleasure Seekers「What a Way to Die

主なシングル[編集]

  • 1973 Rolling Stone/Brain Confusion
  • 1973 Can The Can(キャン・ザ・キャン)/Ain't Ya Somethin' Honey
  • 1973 48 Crash(48クラッシュ)/Little Bitch Blue
  • 1973 Daytona Demon(デイトナ・デモン)/Roman Fingers
  • 1974 Devil Gate Drive(悪魔とドライヴ)/In the Morning
  • 1974 The Wild One(ワイルド・ワン)/Shake My Sugar
  • 1974 Too Big(トゥ・ビッグ)/I Wanna Be Free
  • 1975 Your Mama Won't Like Me(ママのファンキー・ロックン・ロール)/Peter, Peter
  • 1975 I Bit Off More Than I Could Chew(ビット・オフ)/Red Hot Rosie
  • 1975 I May Be Too Young(恋するヤング・ガール)/Don´t Mess Around
  • 1976 Make Me Smile(やさしくスマイル)/Same As I Do
  • 1976 Harf As Much As Me(スリルがいっぱい)/American Lady
  • 1977 Roxy Roller(ロキシー・ローラー(サケ・ロック))/It'll Grow On You
  • 1977 Tear Me Apart(恋はドッキリ)/Close Enough To Rock'n'Roll
  • 1978 If You Can't Give Me Love(涙のヤング・ラヴ)/Cream Dream
  • 1979 She's In Love With You(愛のゲーム)/Space Cadets
  • 1979 Stumblin' In(メロウなふたり)/A Stranger To Paradise
  • 1980 Mama's Boy(ママズ・ボーイ)/Mind Demons
  • 1980 I've Never Been In Love(ネバー・ラヴ)/Starlight Lady
  • 1980 Rock Hard(ロック・ハード)/State Of Mind

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

声優[編集]

日本公演[編集]

ほか多数来日

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ フィリップ・オースランダー、"I Wanna Be Your Man: Suzi Quatro's musical androgyny" 、2004、[1]
  2. ^ Suzi Quatroプロフィール”. TOWER RECORDS (2012年7月30日). 2017年11月28日閲覧。
  3. ^ a b c 赤岩和美 監修 『ブリティッシュ・ロック大名鑑』、ブロンズ社、1978年、佐田智博
  4. ^ answers.com "Suzi Quatro" [2]
  5. ^ a b c Official Charts Company [3]
  6. ^ Suzi Quatro talks about her iconic image [4]
  7. ^ 20年振りの来日!スージー・クアトロが王道のロックンロール・クイーンの実力を見せつける”. E-TALENTBANK (2014年5月31日). 2017年11月28日閲覧。元祖ロックンロール・クイーン、スージー・クアトロ、再来日公演決定”. E-TALENTBANK (2014年5月31日). 2014年11月13日閲覧。

外部リンク[編集]