イーディ・セジウィック

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イーディ・セジウィックEdie Sedgwick、本名:イーディス・ミンターン・セジウィック、Edith Minturn Sedgwick1943年4月20日 - 1971年11月16日)はアメリカ合衆国女優ファッションモデル[1]イーディー・セジウィックと表記されることもある。

1960年代に制作されたアンディ・ウォーホルの映画に数多く出演。60年代のファッション・アイコンとして注目された。

クローザーで主演をしている女優のキーラ・セジウィックは親戚(はとこ)にあたる。

2006年にはイーディの半生を描いた映画『ファクトリー・ガール』が公開、イーディ役はシエナ・ミラーが、ウォーホル役はガイ・ピアースが演じた[2]

生涯[編集]

生い立ち[編集]

カリフォルニア州サンタバーバラにて、名門の旧家セジウィック家の8人兄妹の7番目の子供として生まれる。牧場主でもある父は、当時、その精神疾患の遺伝体質から「子供をもうけることを禁じられた」ことがある。

1957年、拒食症のため寄宿学校を1年で中退。 1962年、父の浮気現場を目撃してしまった事に父が激怒し、シルヴァー・ヒル精神科病院に入院させられる。弟は「この時に受けた心の傷がイーディをおかしくしてしまった」と「イーディ」の中で述べている。 1963年、兄のミンティが自殺。イーディーは美術を学ぶため、マサチューセッツ州ケンブリッジからマンハッタンに移る。1964年、ニューヨーク東60丁目に住み始めパーティーに明け暮れる日々を送り、社交界では有名な女性となっていた。

ウォーホルとの出会いと決別[編集]

1965年3月、映画プロデューサーのレスター・パースキー宅でポップアートの旗手アンディ・ウォーホルと出会う。その出会いを機に、彼女の友人チャック・ウェインとともにウォーホルのスタジオである「ファクトリー (The Factory、工場の意)」 に通いはじめ、ウォーホルの映画に出演することになる。

主演作は、『Poor Little Rich Girl』『ビニール』『Beauty #2』『チェルシー・ガールズ』など。 イーディーはポップカルチャーの最前線に立ち、その独特なファッションとともにヴォーグライフなどで取り上げられ「ユース・クエイカー(若者が起こした揺さぶり)」と呼ばれた。1965年の「ガールズ・オブ・イヤー」にも選ばれる。

しかし、彼女がロックミュージシャンのボブ・ディランとの付き合いを始めた頃から、彼女とウォーホルの間に距離が生じ始める。(ボブ・ディランの曲「ヒョウ皮のふちなし帽Leopard-Skin Pill-Box Hat)」「Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again」等は彼女を歌にしていると言われる。)その頃ウォーホルは、ファクトリーの常連となっていたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのプロデュースを始め、また、ファクトリーの新しいスター、イングリッド・スーパースターという女性の出現もあり、二人の関係は悪化していく。

1966年、イーディはボブ・ディランと破局。ドラッグに溺れていた彼女はタバコの消し忘れによる火事で火傷を負う。

晩年[編集]

1967年、最後の映画『チャオ!マンハッタン』に出演。様々なアーティストが集う有名なチェルシーホテルに転居するが薬物依存症により入院。家族のいるカリフォルニアへ戻る。精神科病院からの脱走・再入院を経て、牧場である実家で家族とともに過ごすことになる。

1969年、病院にて患者のマイケル・ポストと出会い、のちに結婚。ドラッグを絶とうとする。

1971年11月15日の夜、サンタバーバラ美術館のファッションショーに行ったイーディはドラッグに手を出してしまう。翌朝、夫であるマイケル・ポストが彼女の部屋に様子を見に来た時には、すでに息はなかった。薬物の過剰摂取による死。わずか28年の生涯だった。

関連書籍[編集]

  • ジーン・スタイン&ジョージ・プリンプトン『イーディ』青山南・堤雅久・中俣真知子・古屋美登里訳、筑摩書房、1989年、ISBN 4-480-85468-1[3]、“Edie An American Biography”(1982)の翻訳[4]

脚注[編集]

外部リンク[編集]