湘南

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湘南海岸と江の島

湘南(しょうなん)は、神奈川県西部の相模湾沿岸地方を指す名称である。語源は、かつて中国に存在した長沙国にあった洞庭湖とそこに流入する瀟水湘江の合流するあたりを瀟湘と呼び、その南部に似ていたことから、瀟湘と(洞庭)湖南より一字ずつを取り湘南としたとされている[1][2]。現在は「相模国の南部」という意味あいで使用される場合も多い。この場合、地理的には、現在の神奈川県のうち武蔵国に属していた川崎市横浜市の多く、旧相模国で「西湘」と呼ばれる小田原市周辺を除いた、神奈川県中部および南東部の三浦半島北西部の海岸部にある市町体全般(自治体や境界線の関係で寒川町二宮町も含まれる)三浦郡葉山町から中郡大磯町二宮町までを指す。

歴史[編集]

「湘南」の発端[編集]

国内文献における「湘南」の初出は『倭名類聚抄』で、かつて中国に存在した長沙国湘南県である。中世中国の湘南では禅宗が発展し、その中心地であった。 現在の日本では「湘南」とは主に神奈川県相模湾沿岸を指すが、うち禅宗を保護した鎌倉幕府があった鎌倉」は、現在も禅宗臨済宗建長寺派および臨済宗円覚寺派の大本山である建長寺円覚寺の所在地であり、鎌倉時代には夢窓疎石らにより日本の禅宗の中心地ともなった、禅宗と非常に密接な関係を有する土地でもある。

鎌倉の市街地や内陸部には鎌倉時代に起源を持つこうした古刹が残るが、現在において湘南という呼称が喚起するのは、太陽が降り注ぐ相模湾沿岸の浜辺や、そこで盛んなサーフィンの聖地というイメージである。それらが形成されたのは太平洋戦争後の1961年昭和36年)7月、鵠沼海岸でサーフィンを楽しんでいた厚木基地所属の在日米軍パイロットが地元の青年らに教えたことで全国的な普及のきっかけとなり、「日本のサーフィン発祥の地」と呼ばれるようになったことが大きい。1978年にはサザンオールスターズが、江の島茅ヶ崎といった湘南の地名を謳い込んだ『勝手にシンドバッド』でデビューし、現在に続く湘南のイメージを広げた[3]

平成期に神奈川県は、海をレジャーやスポーツの場として活用する「かながわシープロジェクト」[4]を展開した。これにより湘南の定義は、神奈川県の市町村単位ではなく沿岸地区地方を指す名称となり、新湘南・湘東西湘からなる。

上記のように鎌倉や江の島茅ヶ崎などはネームバリューや観光資源が豊富で観光集客力が高く、昭和期のマスコミによる形成されたイメージが残る。明治期に遡れば山と川が織りなす相模川西の景観が主眼だったが、昭和期は「海」「太陽」「若者」などが連想されるようになっていった。

「湘南」の由来[編集]

「湘南」という言葉の由来には、二つある[5]。一つは、神奈川県の中西部は令制国としては相模国であり、その「相」に「さんずい」を加えて「湘」として「相模国の南部」の意味としたというもの。他は、中国の長沙国(現在の湖南省)湘南県にちなむというもの。

歴史的には「湘南」は元々は現在の中国の湖南省を流れる湘江の南部のことで、かつては長沙国湘南県が存在し、中世には禅宗の本場だった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと考えられ、[要出典]禅宗を保護した鎌倉幕府の北条得宗家が居し、国内初の禅寺である建長寺や円覚寺を擁した鎌倉周辺の地域が、中国の「湘南」にちなんで名付けられたといわれる[* 1]。実際に、円覚寺の僧夢窓疎石の周辺には「湘南」を冠する人物・建築が散見される。また、江戸時代に入った1664年頃、室町時代に中国から日本に移住した中国人の子孫が小田原に居してういろう商人となり(崇雪という人物)、自ら創設した大磯鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、現在の神奈川県周辺域における呼称の起源ともいわれる。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している[* 2]

明治~昭和初期の「湘南」[編集]

江戸期に大磯発祥の命名とされる「湘南」は、明治期に政治結社名や合併村名に用いられた。 当時、相模川以西地域が湘南。相模川以東地域は湘東または新湘南という認識だった。 明治期の「湘南」は、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる[* 3]

明治維新により、当時西欧で流行していた海水浴保養地が日本にも流入し、適した保養地として葉山逗子鎌倉藤沢茅ヶ崎寒川平塚大磯二宮など相模湾沿岸が注目されて別荘地となり、湘南文化が芽生える。

1897年、東京の赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花が、逗子の自然を『國民新聞』に『湘南歳余』として紹介する。翌1898年元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂して、随筆集『自然と人生』(1900年)を出版[* 4]する。これを端緒に「湘南」は、当初の相模川西岸から、相模湾沿岸一帯を表すように変化する。

太平洋戦争前の1930年(昭和5年)、神奈川県は観光開発振興と大衆文化などをめざして、江の島対岸から大磯まで海岸沿い16.7キロメートルの道路設計に着手。1936年(昭和11年)に完成し、「湘南遊歩道路」などと呼ばれた(「神奈川県道片瀬大磯線」参照)。この名称が湘南という広域地名を普及させるのに大きく寄与した。戦後は三浦半島東部(東京湾側)の横須賀市三浦市から延びる国道134号西半分の母体となり、国道134号は「湘南のメインストリート」と看做されるようになった[3]

年表[編集]

1664年に宗雪とい人が鴫立庵を再建して、東海道を行き来する人々に「著盡湘南清絶地」と紹介して、江戸時代には既に「湘南」という言葉を使っている、と大磯町は主張している。
「ここは湘南」の碑(藤沢市片瀬海岸)

江戸時代以前[編集]

明治時代[編集]

  • 1891年(明治24年)7月 : 有栖川宮が葉山のマルティノ別邸を購入し、有栖川宮別邸とする[6]/(熱海御用邸のような温泉保養地の別荘などは別として)海浜別荘の設置は、これが皇族として史上初であった[6]
  • 1892年(明治25年)
  • 5月 : 葉山にて北白川宮別邸が着工[6](皇族の海浜別荘の新築はこれが史上初)。
  • 11月 : 英照皇太后が葉山の有栖川宮別邸に滞在[6]
  • 1894年(明治27年)2月 : 葉山にて皇室の別邸(葉山御用邸)の竣工[6]
  • 1896年(明治29年)6月 : 葉山御用邸南付属邸の竣工[6]
  • 1897年(明治30年) : 徳富蘆花が赤坂から逗子柳屋へ転居する。
  • 1898年(明治31年) : 『國民新聞』に『湘南歳余』(徳富蘆花)が掲載される。
  • 1900年(明治33年) : 『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版され、逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を西洋画風に紹介。
  • 1902年(明治35年):江之島電氣鉄道藤澤駅‐片瀬駅(現・江ノ島駅)間が開業。
  • 1910年(明治43年):江之島電氣鉄道の藤澤駅‐小町駅間が開業。

大正時代[編集]

昭和時代[編集]

平成時代[編集]

「湘南」の範囲[編集]

「湘南」の範囲は本来地形であるが、人や時代により様々に呼称されており、行政等における範囲を下記する。

行政[編集]

県の行政区域
[* 5]
気象区分
[* 6]
ナンバープレート
[* 7]
推計人口合計
(2021年10月1日)
1,043,150人 1,643,887人 1,647,911人
平塚市
藤沢市
茅ヶ崎市
秦野市 ×
伊勢原市 ×
大和市 × ×
海老名市 × ×
座間市 × ×
綾瀬市 × ×
小田原市 × ×
南足柄市 × ×
寒川町
大磯町
二宮町
中井町 × ×
大井町 × ×
松田町 × ×
山北町 × ×
開成町 × ×
箱根町 × ×
湯河原町 × ×
真鶴町 × ×

その他[編集]

湘南市構想[* 8]
平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、大磯町、二宮町
平成の大合併期の合併推進圏域[* 9][7]
湘南西圏域…平塚市、秦野市、伊勢原市、大磯町、二宮町、中井町およびその周辺地域[* 10]
湘南東圏域…鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町およびその周辺地域[* 11]
鎌倉湘南学区[* 12]
藤沢市、茅ヶ崎市、鎌倉市、寒川町

鎌倉郡

現在の鎌倉市全域、逗子市全域、葉山町北部、横浜市のうち、戸塚区栄区泉区の全域、瀬谷区港南区金沢区南区の一部地域、藤沢市南西部(西富、大鋸、藤が丘、弥勒寺、渡内、村岡東、川名、片瀬、片瀬山、片瀬目白山、片瀬海岸、江の島、大字大富、小塚、宮前、高谷、柄沢)、後に逗子市全域、葉山町北部は相模国三浦郡に編入、横浜市金沢区の一部地域は武蔵国久良岐郡に編入。
湘南村
現在の相模原市緑区のうち小倉[* 13]、葉山島[* 14]の両地区。「相模川」の「南」にあることから名付けられて、現在の湘南地域とは離れている[8]

「湘南」を冠する主なもの[編集]

教育[編集]

湘南国際村[* 15]
横須賀市葉山町[* 16]
湘南工科大学
藤沢市
日本大学 湘南キャンパス
藤沢市
慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス
藤沢市
多摩大学 湘南キャンパス
藤沢市
文教大学 湘南キャンパス
茅ヶ崎市
神奈川大学 湘南ひらつかキャンパス
平塚市
東海大学 湘南キャンパス
平塚市
松蔭大学 湘南キャンパス
平塚市
産業能率大学 湘南キャンパス
伊勢原市
神奈川県立湘南高等学校
藤沢市
学校法人湘南学園(幼稚園、小学校、中学校、高等学校)
藤沢市
学校法人湘南白百合学園(幼稚園、小学校、中学校、高等学校)
藤沢市
湘南学院高等学校
横須賀市

スポーツ[編集]

湘南ベルマーレ(サッカーJリーグのチーム)ホームタウン
平塚市、藤沢市、厚木市、茅ヶ崎市、小田原市、秦野市、伊勢原市、鎌倉市南足柄市、寒川町、大磯町、二宮町、大井町開成町中井町箱根町松田町真鶴町山北町湯河原町
湘南シーサイドカントリー倶楽部ゴルフ場
茅ヶ崎市
国本哲秀および有限会社湘南[9]冠名
ショウナンパントルショウナンアデラショウナンパンドラショウナンカンプなど。
湘南ひらつかマルユウベースボールクラブ社会人野球クラブチーム
平塚市
湘南国際マラソン
湘南で行われているマラソン大会。

交通・経済[編集]

湘南モノレール - 湘南町屋駅湘南深沢駅湘南江の島駅
鎌倉市、藤沢市
湘南電気鉄道京浜急行電鉄の母体会社の一つ)
横須賀市、逗子市[* 17]
湘南京急バス京浜急行バスの子会社
鎌倉市、逗子市鎌倉営業所、横須賀市堀内営業所 (一部は横浜市)
湘南馬車鉄道(後に湘南軽便鉄道を経て湘南軌道となる)
秦野市、中井町、二宮町
湘南電車(正式名ではないが、昭和初期には湘南電気鉄道の電車の愛称、戦後は東海道本線中距離電車の愛称。東海道線 (JR東日本)参照)
鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市、真鶴町、湯河原町。列車は静岡県まで直通する。
湘南スタイル
地域ではなく、国鉄の初代湘南電車(80系)第二次製造車のデザインに由来する。流線形の前面2枚窓のデザインで、1950年代から1960年代頃まで日本の鉄道車両デザインのトレンドとなり、空前絶後とも言える影響を与えた。JR東日本藤沢駅ホーム上のキヨスクが、80系のほぼ原寸大のレプリカとなっている他、2017年時点でも全国の私鉄でこのデザインの車両が活躍している。1998年創刊の同名の雑誌は全く無関係[* 18][* 19]
湘南色
前述の国鉄初代湘南電車(80系)で初めて採用された窓周りが橙色、上下を深緑色で塗り分けた塗色の通称名。この塗色は国鉄時代、直流電化区間を走行する急行形・近郊形電車の標準色となり主に本州の関東甲信越地方以西地域で広く見る事が出来た。2018年時点もJR東日本群馬栃木新潟エリアとJR西日本山陽エリアで僅かに見られ、第三セクター鉄道しなの鉄道ではリバイバルカラーとして採用されている。発祥の地である湘南電車エリアの現在活躍中のステンレス製車両の帯色はやや鮮やかな色調に変更されてはいるが、「オレンジと緑」の組み合わせは健在である。
湘南[* 20](湘南電車の特急[* 21]
鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、二宮町、小田原市。
湘南新宿ライン
鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市、逗子市。鎌倉市は東海道本線・横須賀線双方、逗子市は横須賀線系統のみ、他は東海道本線系統のみ。
湘南急行小田急江ノ島線にかつて存在した列車種別)
大和市、藤沢市(小田原線沿線の自治体を除く)
湘南ナンバー
横浜湘南道路
藤沢市(起点の横浜市を除く)
新湘南バイパス
藤沢市、茅ヶ崎市
湘南新道
藤沢市、茅ヶ崎市(神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線
平塚市、寒川町(神奈川県道44号伊勢原藤沢線別線)
湘南遊歩道路
藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町
湘南道路
逗子市、鎌倉市、藤沢市
湘南大橋
平塚市
湘南港
藤沢市
湘南信用金庫本店
横須賀市。この名称は旧横須賀信用金庫が鎌倉信用金庫を併合したことによる。

農産物[編集]

湘南ポモロン
神奈川県が開発したトマトで、生食でも加熱でもおいしく食べられる。色は、レッドとゴールドの2色がある。
テレビ朝日ごはんジャパン[10]でも取り上げられた。
湘南ゴールド
神奈川県が開発した柑橘類品種
湘南レッド
神奈川県が開発した赤たまねぎ
湘南の輝き
湘南で栽培されるハウスみかん

加工品[編集]

湘南みかんジュース
神奈川県で作られているみかんのジュース。
湘南みかんシャーベット
神奈川県で作られているみかんシャーベット。

その他[編集]

神奈川県立 湘南海岸公園
藤沢市
湘南公園墓地 茅ヶ崎霊園
茅ヶ崎市
湘南鎌倉総合病院
鎌倉市
湘南病院
横須賀市
旧湘南美容外科クリニック藤沢院
藤沢市、横浜市、東京都新宿区など
湘南玉手箱(駅弁)
鎌倉市大船駅など
湘南水道株式会社
鎌倉市、藤沢市
1933年(昭和8年)に神奈川県に買収されるまで存在した民営水道。

湘南ハイツ

 横浜市栄区公田町にある大規模開発住宅地域。

栄湘南桂台地区

 昭和40年代から50年代にかけて開発 された大規模な戸建て住宅地で、湘南桂台自治会区 域とそれに隣接するネオポリス自治会区域からなり、 区画数は約1,700区画である。

 横浜市栄区犬山町、桂台北、桂台中、桂台 西一丁目、桂台西二丁目、桂台東、桂台南 一丁目、桂台南二丁目他。[11]

各地域の特色[編集]

藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町[編集]

県の行政区域では「湘南地域」に含まれ、江の島や姥島(烏帽子岩)を中心とした海岸風景は、いわゆる「湘南」の代表的なイメージである。神奈川県立湘南高等学校、私立湘南学園(幼稚園 - 高等学校)は藤沢市に位置し、江ノ電沿線の大正時代に開発された住宅地である鵠沼片瀬地域では比較的広い邸宅も見られる。

しかし、北部は海からも遠く、現代の「湘南」というイメージとはほど遠い工業・田園地帯である。地理的にも、町の雰囲気からみても、湘南と呼べるのは事実上東海道本線以南の沿岸地域だけといえるが、キャンパスの名称やマンション・アパート名など、大学や不動産業者のネーミング戦略的な理由により、かなり広い範囲で「湘南」「新湘南」が当てられている。

藤沢市北部に小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線横浜市営地下鉄湘南台駅があり、その西に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと文教大学湘南キャンパスがある。やや南の六会にも日本大学湘南キャンパス(旧・藤沢キャンパス)があるが、いずれも海岸からかなり離れた田園・丘陵地帯に位置する。

藤沢市西部、茅ヶ崎市北部にまたがる区域には「湘南ライフタウン」と呼ばれるニュータウンが存在するが、海岸地域ではなく、北部の丘陵地域を開発したものである。

昭和の「湘南」のイメージが一般にも定着している加山雄三は横浜生まれだが茅ヶ崎育ち、またサザンオールスターズ桑田佳祐は茅ヶ崎市の出身であり、現在は茅ヶ崎海水浴場も「サザンビーチ」と呼ばれている。

1940年(昭和15年)、藤沢町片瀬町に合併を呼びかけた際、片瀬町が条件として市名を「湘南市」とする案が挙げられたが実現せず、「藤沢市」となった経緯がある(片瀬町が藤沢市に合併するのは1947年)。

1956年(昭和31年)、寒川町藤沢市茅ヶ崎市に合併の上「湘南市」とする話を持ち掛けるが実現に至らなかった。

明治期より相模川に接した東側の茅ヶ崎・寒川の一部地域は湘東と呼ばれていた。「湘東」は、湘江に見立てた相模川の東の意味[要出典]である[* 22]

平塚市[編集]

湘南平(平塚市・大磯町)

県行政区域では「湘南地域」に含まれ、県の出先機関である「湘南地域県政総合センター」を始め、湘南ナンバーを発行する「湘南自動車検査登録事務所」など湘南地域を管轄する行政機関が多く所在し、行政的に見れば湘南地域の中心と言える。政治的にも「湘南市」として合併し政令指定都市を目指す構想の中心的役割を果たすが、リーダー役であった平塚市長が2003年に落選し、構想は挫折する。

海岸は急に深くなる地形的理由から海水浴に適さないが、「湘南」のイメージ戦略もあり、海岸工事により近年海水浴場を開設した。相模湾を一望する湘南平は湘南海岸を俯瞰できる場所として知られる。夜景も美しく、天気が良い日には東京スカイツリーまで見ることができる。湘南地域のデートスポットとして有名である。 関東三大七夕祭りの1つ「湘南ひらつか七夕まつり」が7月7日を中心とした3日間に開催される。サッカーJリーグ湘南ベルマーレ」の本拠地は平塚競技場である。市西部に東海大学湘南キャンパス・神奈川大学湘南ひらつかキャンパス(旧・平塚キャンパス)が存在する。

大磯町、二宮町[編集]

県行政区域では「湘南地域」に含まれる。江戸時代、崇雪が大磯の東海道筋にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えた言葉を刻んだことから、湘南発祥の地とされており、その碑が城山公園内の大磯町郷土資料館に保存されている。

大磯は、律令制以前に豪族の師長(磯長)国造が支配する地域だが、中央集権体制の整備に伴い朝廷に仕えた渡来人が移住したと考えられ、高麗山や高来神社など、アジア大陸からの文化を広めた高句麗からの渡来人に由来する地名もある。明治以降には伊藤博文吉田茂が別荘を構える。二宮は手狭な海水浴場で観光集客力は高くないが、温暖な気候で交通の便も良く、堤義明邸も所在する。

明治期の「湘南」は「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、大磯、二宮近辺には湘南馬車鉄道や、大磯町の湘南大磯病院、二宮町の湘南牛乳株式会社、など「湘南」を冠する企業[12]が存在した。

伊勢原市[編集]

県行政区域上「湘南地域」に含まれ、伊勢原市などを山麓とする大山は江戸時代に「湘山」「湘岳」と呼称される。経済面では車両交通に優れる平塚市と関連深く、小田急小田原線国道246号で結ばれる厚木市など県央地域と関係が深化している。

秦野市[編集]

秦野市は県行政区域では「湘南地域」に含まれるが、山に囲まれた秦野盆地にあり、さらに大磯丘陵で湘南海岸地域と分離されており、地理的・経済的に連携は分断されている。そのため、一般に「湘南」の扱いはほぼ無い。

小田原市[編集]

県行政区域上は「湘南地域」に含まれず、大磯 - 小田原間を結ぶ西湘バイパスの様に湘南の中の「西湘地域」と呼称される。小田原市は市町村合併で市域を拡大した事により、小田原沿岸は西湘地域最大の割合となっている。

城下町をはじめ独自色が強く、海や山川を生かした保養地と観光地の特色が強いが、現在もメディアや行政的ではなく広範囲な地形的である小田原市の一部地域は湘南と認識されている場合がある。

小田原市国府津地区は、昭和29年まで国府津町であった。小田原市の中でも国府津地区には湘南とされる大磯町、二宮町から連なる大磯丘陵「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」のある地形となっている。 明治期は国府津から海を見下ろす丘陵地を中心に政財界人の別荘が置かれた。 避暑避寒の地として大隈重信大鳥圭介加藤泰秋等、華族や政財界要人が別荘を構えた。徳川慶喜は大鳥別荘を、西園寺公望は加藤別荘に滞在するなどの人的交流もあった。数多くの文人達もよく訪れていた。 国鉄時代は国府津機関区電車基地湘南電車が配属されていた。 この電車に用いられた緑色に窓まわりのオレンジを配した塗装とは「湘南色」も呼ばれた。

小田原には「湘南」を冠したものが多く存在[* 23]した。

鎌倉市、逗子市、葉山町[編集]

披露山公園(逗子市)

県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「横須賀三浦地域」と呼称される。現在の逗子市域は昭和初期に湘南電気鉄道沿線となる。「湘南」育ちの印象が強い石原裕次郎は、9歳より逗子市で過ごしている。「歴史の街」や「御用邸」などの印象が強く、「湘南」ではなくそれぞれ「鎌倉」「逗子」「葉山」と呼称される。

横須賀市、三浦市[編集]

湘南国際村(葉山町・横須賀市)

県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「横須賀三浦地域」と呼称される。相模湾側は1000年以上昔から「湘南」と呼ばれ、鎌倉時代以降は幕府直轄領漁港として繁栄し、東京湾側と一線を引くように逗子市が横須賀市から分離する以前から最寄駅は逗子駅である。横須賀市中心部は相模湾ではなく東京湾に接し、湘南の基本的な定義である「相模湾沿岸」に該当しない。経済活動も横浜横須賀道路京急線で結ばれる横浜とつながりが深い。相模湾に面する横須賀市や三浦市西部では、長者ヶ崎を挟み葉山に接する秋谷海岸などで「湘南」を訴求する住宅地や避暑地も近年見られる。湘南鷹取湘南国際村湘南信用金庫、横須賀市中心部に所在する湘南学院高等学校など地名や企業名などに湘南を採用する例も多く、古くは昭和初期の湘南電気鉄道がある。プロ野球球団横浜ベイスターズ(2010年当時)二軍チームは、2000年から2010年シーズン終了まで湘南シーレックスとして横須賀を本拠地に活動した。

南足柄市と足柄上郡・足柄下郡[編集]

南足柄郡足柄上郡足柄下郡は県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「西湘地域」と呼称され、一般的に「湘南」として扱われる事は無いが、自動車登録番号標の「湘南ナンバー」適用エリアである。

相模原市[編集]

県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称される。市内城山町小倉、城山町葉山島の両地区は、かつて湘南村という行政区が存在した。これは1889年に旧小倉村と旧葉山島村の合併で生じ、1955年に旧川尻村、旧三沢村と合併し旧城山町が成立して消滅する。2007年、旧城山町は旧藤野町とともに相模原市に編入され、現在に至る。旧村名の由来は「相模川を文人が湘江と呼んでいることにちなみ、湘江の南側の村」[13]である。現在、1906年に創立された城山町小倉の小学校名[14]にその名を留める。

大和市、海老名市、座間市、綾瀬市[編集]

大和市海老名市座間市綾瀬市は県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称され、一般的に「湘南」の扱いは殆ど無いが、気象予報区における二次細分区域「湘南」適用エリアである。

厚木[編集]

厚木市は県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称され、一般的に「湘南」の扱いは殆ど無いが、湘南ベルマーレのホームタウンの一つである。

国道134号[編集]

海沿いに延びる国道134号は様々な映画、ドラマ、楽曲で取り上げられ、葉山御用邸、鎌倉高校前駅、江の島、烏帽子岩など「湘南」をイメージとさせる地点も多く、有数のドライブコースとして知られる。

湘南・鎌倉地域による合併案[編集]

鎌倉市、藤沢市、平塚市、茅ヶ崎市、およびその周辺地域の合併が、神奈川県推進の「期待されている合併の一つ」に湘南東圏域として[15][* 24][16]紹介されている。

湘南を舞台とした作品[編集]

小説[編集]

漫画[編集]

アニメ[編集]

ゲーム[編集]

音楽[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ この地域が、景勝地でもある湘江の南部並みの絶景であったという説や、相模国の南部のため本来「相南」と略称するべきところ、佳字を当てる意味もあって中国の湘南にちなんだという説もある。
  2. ^ 語源は仏教語であるともいわれる。中国の湘南地方(洞庭湖湖南の地域)は仏教の禅が発展した地方であることから、禅に関連した古典や事象に「湘南」の文字を見ることができる。『碧巌録』『湘南葛藤録』や西芳寺湘南亭など。
  3. ^ 「湘南社」(大磯を本拠地とする自由民権運動のための政治結社)、湘南村(現在の相模原市城山町の小倉・葉山島の両地区)など(出典「『湘南』はどこか」)。
  4. ^ 蘆花がこの随筆の中で描写した自然の一例として、「逗子から相模湾越しに望んだ富士山の山並み」が挙げられる。
  5. ^ 神奈川県の出先機関である「湘南地域県政総合センター」の所管区域。
  6. ^ 横浜地方気象台の二次細分区域。横浜地方気象台市町村別区域一覧
  7. ^ 関東運輸局神奈川運輸支局の出先機関である「湘南自動車検査登録事務所」の管轄区域。
  8. ^ 2005年までの合併を目標としていたが、参加自治体の首長交代などにより白紙化され、事実上消滅。
  9. ^ 神奈川県の市町村合併推進時における「圏域」。
  10. ^ ただし、中井町は県西圏域と重複。
  11. ^ ただし、鎌倉市は三浦半島圏域と重複。
  12. ^ 県立高校の学区神奈川県立湘南高等学校も1980年まで属していた。この学区は1981年の学区細分化によって「鎌倉藤沢学区」と「茅ヶ崎学区」に分割され、2005年には県立高校学区自体が撤廃された。ただし、地区校長会や部活動の地区としては残っている。
  13. ^ 「おぐら」。郵便番号は220-0115。
  14. ^ 「はやまじま」。郵便番号は220-0114。
  15. ^ 総合研究大学院大学や民間企業の研修所を含む国際研究拠点。
  16. ^ 横須賀市と葉山町にまたがっているが、郵便番号は240-0107で横須賀市の一部として扱われている。
  17. ^ 起点の横浜市を除く。
  18. ^ 内容が鉄道車両とは一切関係無い。
  19. ^ その後、2011年に同一出版社から『鉄道湘南スタイル』というタイトルの書籍が刊行されたが、誤記が目立つ不完全な内容である。
  20. ^ 2021年3月のダイヤ改正以前は湘南ライナー
  21. ^ 2021年3月のダイヤ改正以前はホームライナー
  22. ^ 1883年、寒川・茅ヶ崎地域の資産家を出資者とする貸金会社「湘東社」が設立。1925年、「高座郡茅ヶ崎町湘東耕地整理組合」の名にも用いられ、現在は茅ヶ崎市に「湘東橋」という橋名に残っている。(出典「『湘南』はどこか」)
  23. ^ 湘南煙草合名会社(小田原市)、湘南度量衡器製作株式会社(小田原市)、湘南介立社(小田原市)など(出典「『湘南』はどこか」)。
  24. ^ 鎌倉市は他にも三浦半島圏域案にも上っている。

出典[編集]

関連項目[編集]