湘南電車

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初代湘南電車80系

湘南電車(しょうなんでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)東海道本線湘南地域で運用した電車愛称である。当初は1950年に運行開始しオレンジと緑のツートンカラーをまとって登場した80系電車の愛称であったが、その後、車両によらず東海道本線の東京駅 - 熱海駅沼津駅間の電車列車(中距離電車)の通称として用いられている。80系電車に用いられた緑色に窓まわりのオレンジを配した塗装は「湘南色」とも呼ばれ、「湘南色」をまとった電車に対する総称としても用いられている。一方、車両形式としての80系電車は「湘南形電車」などとも呼ばれた。

由来[編集]

「湘南電車」の表記が現存する大船駅2番線のグリーン車停車位置案内板(2011年5月24日)
2006年3月17日、東海道線東京口の113系運用最終日に一部車両に挿入されたサボ。

東京と小田原・熱海・沼津の間に運転されていた電気機関車牽引の客車列車の国鉄部内呼称である「湘南列車」[1] が、1950年3月から電車運転へと切り替えられる際に「湘南電車」と呼び変えられ[2]、一般にも用いられる様になった[1]。「湘南列車」が国鉄部内での呼称であったのとは異なり、「湘南電車」という呼称が一般に浸透したのは、車体の色彩によるところが大きい[3]。しかし、小田原以西では受け入れられず[2]、運用開始時の小田原駅の看板では「湘南伊豆電車」が用いられた[1][2]。計画段階では「湘南電動列車」という語も用いられ[4]、また、東海道本線電化当初、東京と小田原の間ならびに東京と横須賀の間に運転された列車には「湘南旅客列車」という呼称が用いられていた[5]

電車化の際、新たに開発された80系電車が専用に導入され、「湘南電車」の名はひいてはこの80系のことをも指すようになる。 80系は、機関車牽引の客車列車を加減速・高速性能に優れた電車に置き換える目的で開発された長距離運転用電車であった。このため、高速性能を確保しつつ、在来客車に近い水準の接客設備を備え、また当時日本の電車最長の16両編成が可能な仕様であった。 当時の国鉄では、電車は都市近郊での短距離運転向けのものと看做されていただけに、80系を使用し、120km以上の長距離を、在来電車では先例のない客車列車並みの長大編成で運行したことは画期的だった。投入当初は初期故障を連発させ[3]、新聞紙面で「遭難電車」と揶揄されもしたが[6]、ほどなく安定運用が可能となり、国鉄での電車による長距離列車運転は広く定着していった。1950年8月から京阪神間急行電車に用いられ[7] たほか、東海道本線の電化区間西伸にともない80系の運用区間も西進し、その後山陽本線上越線[8]東北本線[8]信越本線中央本線飯田線身延線でも運用され「湘南」の範囲に収まらなかったが、80系に対して「湘南形電車」という呼称が用いられた。80系電車によっていた準急「東海」用に開発された91系→153系電車が「新湘南」と呼ばれた時期もあったが、次第に「東海形」と呼ばれる様になり「新湘南」は定着しなかった[9]

1962年に登場した111系電車により「湘南電車」は順次置き換えられ、80系電車の東京駅乗り入れは1977年3月28日に終了したが、運行系統として「湘南電車」の呼称は以後も用いられた。しかし、1980年代以降、旅客案内上は湘南電車にかわり東海道線が使用されるようになっている[10]21世紀初頭の時点で、JRにおいて路線(もしくは区間)の愛称として「湘南電車」が使用されることは基本的にないが、大船駅東海道線ホームのグリーン車停車位置案内板には「グリーン車(湘南電車)はこの付近に止まります」という表示が存在している。ただし、英文での表現は、"Shōnan Train"ではなく"Tōkaidō Local Line"となっている。また、鉄道関係者や愛好者の間では慣用句として廃れずに用いられており、書籍などで表題に使われる場合もある[11]。80系投入当初より使用された車体塗装のカラーリングである、オレンジと緑のツートーンカラーを指す「湘南色」という呼び方は広く通用している。また、2021年現在も東海道線で運行されている「(湘南ライナー→)湘南」や「湘南新宿ライン」にもその名が引き継がれている。

2006年3月に藤沢駅ホームに設置された80系を模したキヨスクと113系電車の並ぶ姿がごく短期間見られた。

さらに2004年に国鉄時代から使用していた113系を本区間から運用撤退させる旨の発表がJR側からなされると、一部のマスコミが「湘南電車の引退」と報じた[12]2006年3月17日の営業運行終了に際して、JR東日本側でも「さよなら湘南電車」として沿線観光パンフレットを製作、最後まで運用した編成の先頭車前面に「ありがとう113系電車」と表記した4種類のステッカーを貼付の他、運用最終日には一部車両に「さようなら湘南電車」と書かれた横サボを挿入。さらには藤沢駅東海道線ホームのキヨスクを80系に擬装するなど、単なる「車両の引退」という枠を超えたPRも行っていた。これは近年の一般社会で用いられた珍しい例といえる。

湘南色[編集]

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湘南色
グレート・ノーザン鉄道の機関車

「湘南色」とは黄かん色(濃いオレンジ色緑2号(濃い緑色、ダークグリーン)のツートーンカラーの愛称である。

湘南色の登場[編集]

湘南色の始まりは、かつて東海道本線を走っていた80系まで遡る[13]。同系列は1950年に当初からオレンジ色と緑色の塗り分けで運行開始されたが、それ以前の国鉄旅客車両の塗装が一般に客車も電車も「ぶどう色」と称される焦げ茶色1色のみで精彩に乏しかった中、同系列の派手な塗装は世論をわかせた[1]。湘南色とその塗り分けパターンは、グレート・ノーザン鉄道の車両写真を見た島秀雄の意見がきっかけとなり[14]、宣伝として目立つ色であり、また遠方からも識別容易であることからオレンジ色が、それに調和する汚れの目立たない色として濃緑色が選ばれた[1]。しかし明るい色についての知見がなく小さい色見本で決定された当初の色はむしろ柿色に近く[1]サビ止め塗料かとの批判まであり[1][2]、みかん色に変更された[1]。この配色が「ミカンの実と葉の色にちなむ」というのは後付けの説明であるが[1][15]、この他にも「神奈川県西部や静岡県地方特産のミカンお茶にちなんだもの」といった沿線の風物に発祥しているとする解説がなされている場合がある。

また、その色合いから「かぼちゃ電車」「みかん電車」とも呼ばれる[16]

尚、湘南色及び同時期に明色化された横須賀線電車の塗色採用過程での試験塗装として、1949年末頃に横須賀線で運用されていた32系モハ32028を使用し、電気側側面を湘南色(本採用された色とは若干色調が異なる)、空気側側面と正面を横須賀色(スカ色)に塗装した実車試験が実施され、同車は一般乗客から「お化け電車」とあだ名された。

その後、国鉄は湘南色を直流電化区間の近郊型急行型電車における車両制式色とし、地域に関係なく広く用いた。その背景の一つには、広域的な車両の転配属を考慮した国鉄が、塗装に至るまでの徹底した標準化を図っていたことが挙げられる。

国鉄分割民営化後の動向[編集]

国鉄末期の1980年代になるとイメージチェンジを目論んで各地域ごとに独自の塗色変更が行われるようになり、国鉄分割民営化後にはその傾向が加速した。1990年代以降は新車への置き換えやリニューアル時の塗色変更などで全体を湘南色に塗装した鋼鉄製車体の車両は著しく減少している。

ただしJR東海に限っては、国鉄から引き継いだ車両に対しても多くが湘南色塗装のままで使われており、身延線にオリジナル色で登場した115系2600番台もJR化後に湘南色塗装に変更された。これ以外の国鉄型車両(オリジナル塗装をまとった119系キハ40系など)も、後述する「白地に湘南色の帯」へと変更されることとなる。また、JR東日本では全体を湘南色に塗装した車両は置き換えられたものの、東海道線や宇都宮線高崎地区の路線で運用される車両には引き続き湘南色の帯を採用している。

JR発足後も残った湘南色の車両は以下の通り。特記しない限り全体塗装または帯での塗装である。

東日本旅客鉄道[編集]

東海旅客鉄道[編集]

西日本旅客鉄道[編集]

塗り分けのパターン[編集]

80系では当初、車両前面の塗装塗り分けパターンに試行[1][2] も見られたが、最終的には窓上と窓下に円弧を描いた緑塗装とし、中央を菱形状にオレンジ塗装とするパターンとなった。こちらは「金太郎塗り」と呼ばれた[19]。尚、正面3枚窓の80系一次車については後に金太郎塗りをやめ、窓上を直線で塗り分けた[20]。また、中間車から改造のクハ85形については前面窓の上下とも直線塗り分けだった。

同系列以降に湘南色に塗装された電車としては、近郊形111系・113系115系、急行形では153系155系・159系163系・165系・167系・169系の各系列が該当する。これらは前面に貫通路を備え、ほぼ共通したデザインモチーフの車両だが、系列ごとに車両前面の塗り分けパターンが異なっていた。111系・113系と159系は貫通路脇に向かって斜めの直線塗り分け、115系は貫通扉脇に小さなRを付けた直角塗り分けで、これらの近郊形3系列と159系はいずれも前面屋根部分についても緑色塗装となっている。153系・155系は前面がオレンジ色1色で緑色は側面のみ、165系・167系・169系は前面の下半分全体を貫通扉まで含めて緑色としている。ただし、165系のうち、クハ153形から改造編入されたクハ164形については前面がオレンジ1色のままだった。

民営化前後に製造された211系[21]213系5000番台、JR東日本が製造したE231系E233系3000番台などはいずれもオールステンレス車両のため、湘南色の伝統を踏まえつつも、車体の全体塗装ではなく、窓下などに湘南色をイメージした帯を巻いている。基本的にこの色分けを踏襲した帯を使用しているが、民営化前後に導入された211系や213系5000番台とJR発足後に導入されたE231系やE233系3000番台などでは色分けなどが異なる。後者はJR東日本のコーポレートカラーである緑色の割合が多く、全体的に明るめの配色になっている[22]。また、JR東海はキハ11形に211系・213系5000番台で採用されたタイプの帯色を採用し、103系119系キハ40形などの国鉄型車両も同様の塗装に変更された。これらの車両の地色は白色であり、帯色はJR東日本とは逆にJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ色の割合が多い。この塗装は「(JR)東海色」とも呼ばれることがある[23][24]。この塗り分けは佐久間レールパークに保存されていた旧性能電車クハ66形のカットモデルにも施されていた(閉館により現存しない)。

また、111系・113系用のグリーン車のうち、2階建車両として製造された車両(サロ124・125形)の一部には、当初空港連絡列車である「エアポート成田」として運用される横須賀・総武快速線での使用を前提とした車両があり、これを東海道線に異動した際にそのまま踏襲した車両がある。そのため、車両のシールの張り方で差違が見られる。→こちらも参照されたい。

80系以前の戦前旧形国電52系など)や70系サハ75形も1960年代にイメージアップのために一時湘南色に塗装されて飯田線などの運行に充当された例があった。しかし、湘南色はスカ色と異なり戦前形との相性が良いとはいえなかったことから、比較的短期間で再変更されている。

旅客用ではないが、事業用車クモユニ74形、クモユニ82形、クモニ83形、クモユ141形、クモユ143形、クモニ143形、クモユニ143形、クモヤ143形の各形式も湘南色に塗装された。これらは切妻高運転台の80系クハ85形と共通するデザインモチーフの車両だが、正面塗り分け線は急行形の165系に準じ、上半分橙色、下半分緑色の塗り分けだった。

また、1962年から1968年にかけて、瀬野八越えをする153系急行列車に補機を連結する為の控車として使用されたオヤ35形客車も湘南色に塗装されていた。

国鉄・JR以外での湘南色[編集]

国鉄およびJRグループ各社以外で以下の事業者が湘南色の車両を保有している。

鉄道総合技術研究所(鉄道総研)[編集]

  • 国鉄から譲渡されたキハ30 15が湘南色に塗装されており、正面の塗り分け線が正面が前面強化板の上淵に達した独特なものとなっている。

しなの鉄道[編集]

  • JR東日本から譲渡された169系および115系に、国鉄時代同様の湘南色を塗装している。
    • 169系は2008年にS52編成が最初の湘南色塗装車となった。同編成は一旦しなの鉄道色に戻されたものの、2010年に再び湘南色となった。さらに2013年にはS54編成も塗装変更され、両編成とも同年の廃車まで湘南色で運行された。
    • 115系はリバイバル企画の一環として2017年にS3編成が、2019年にS25編成が湘南色に塗装された。ただし後者は2021年に廃車となった。

天竜浜名湖鉄道[編集]

  • 2018年TH2100形TH2101号車の車体全体に湘南色(正面塗り分け線は113系電車に準ずる)のラッピングを行い、「Re+」(リ・プラス)号として運転を開始した[25]

東海交通事業(全廃)[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j 星晃「誕生の頃の思い出あれこれ」鉄道ピクトリアル 1965年3月、「湘南電車の誕生」として交友社刊『回想の旅客車 上』に収録
  2. ^ a b c d e 沢柳健一「80 系湘南形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年3月号 鉄道図書刊行会
  3. ^ a b 弓削進「国電復興物語」鉄道ピクトリアル 1954 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 17 国電復興時代 1950』鉄道図書刊行会 (2009) 所収
  4. ^ 星晃「湘南電車誕生の思い出」レイル '83 エリエイ出版部 プレス・アイゼンバーン 1983年7月、「電動列車時代の幕開け」として交友社刊『回想の旅客車 上』に収録
  5. ^ 山本利三郎「東海道線電化を讃える」鉄道ピクトリアル 1975 年 12 月号 pp. 6 - 9
  6. ^ 「国電50年を偲ぶ 座談会」電気車の科学 1956-8 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 17 国電復興時代 1950』鉄道図書刊行会 (2009) 所収
  7. ^ 1958年に「湘南色」に変更されるまでは、ぶどう色3号とクリーム3号のいわゆる関西色塗装であった。『鉄道ピクトリアル』2004年3月号 p.27、星晃「湘南電車誕生の思い出」前掲。
  8. ^ a b のちに湘南新宿ラインや上野東京ラインとして、湘南電車が宇都宮線や高崎線と直通運転を行うようになり、運転系統として事実上一体化された。
  9. ^ 星晃「30年代の急行形『電車・気動車』」交友社刊『回想の旅客車 上』収録
  10. ^ 朝日新聞で同時代の東海道本線電車の意味で「湘南電車」が注釈なしに用いられたのは1987年7月3日朝刊が最後であり、以降は読者投稿での想い出としての言及や、車両の引退記事で用いられている。
  11. ^ たとえば、鈴木亨 (1988)『湘南電車歴史散歩』鷹書房 ISBN 4-8034-0339-2
  12. ^ たとえば、朝日新聞2006年03月18日朝刊 39 頁、2001年12月01日朝刊埼玉版35頁など。
  13. ^ ただし、80系以前に後述の試験塗装車が存在した。
  14. ^ 星晃・南井健治対談「時代が求める形と色」『図説 鉄道のプロフェッショナル』学習研究社 ISBN 978-4-05-605271-8 p. 21
  15. ^ 鉄道ファン』1977年7月号 p.17には80系の落成を報じる毎日新聞の記事が掲載されており、記事内ではこの時点で既に「ミカンの名所と山の色……」という文章が見受けられる。
  16. ^ “高崎支社管内を走る115系電車が本年3月に定期運行を終了します!” (PDF) (プレスリリース), JR東日本高崎支社, (2018年1月15日), http://www.jrtt.go.jp/08-2Press/pdf/H28/pressh280915.pdf 2018年1月15日閲覧。 
  17. ^ 基本的に湘南色の帯を巻くが、2013年7月に「高崎線130周年」として編成の一部分が車両全体の湘南色となった車両が登場し、同年末まで運用された。
  18. ^ 国府津車両センター所属車両の東京方に湘南色のブロックパターンが採用されていた。また、上記とは別に2010年から2013年まで、OM03編成が80系をイメージした湘南色塗装に塗り替えられていた。
  19. ^ 吉川文夫編 (1976) 『写真でみる戦後30年の鉄道車両』交友社 p. 26
  20. ^ 例外的にクハ86001のみ晩年まで金太郎塗りを維持していた
  21. ^ 国鉄末期に名古屋地区に投入された0番台は当初は湘南色ではなかった。
  22. ^ 一時的に東海道線で運用されたE217系宇都宮線に転用された205系600番台もこの塗色である。
  23. ^ バンダイ Bトレインショーティー キハ40+キハ48 東海色
  24. ^ プラッツ Zゲージ キハ40 2000番代 JR東海色 (動力なし)
  25. ^ 新ラッピング列車 『Re+(リ・プラス)』運行について 天竜浜名湖鉄道公式サイト 2018年5月15日

関連項目[編集]