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ザ・ベンチャーズ

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ベンチャーズから転送)
ザ・ベンチャーズ
左からボブ・ボーグル、ノーキー・エドワーズ、メル・テイラー、ドン・ウィルソン(1967年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州タコマ
ジャンル
活動期間 1959年 -
レーベル
メンバー
旧メンバー

ザ・ベンチャーズ英語: The Ventures)は、アメリカ合衆国出身のインストゥルメンタルロック・バンドである。1959年にドン・ウィルソンボブ・ボーグルにより結成され、メンバーチェンジを重ねつつ現在も活動中である。

故郷アメリカではサーフ・サウンドの元祖とされ、また日本においてはビートルズと並び、日本のポップスロックに多大な影響を与えたバンドとされている[5][6]。 2008年にはロックの殿堂入りを果たした。代表曲には「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」「ダイアモンド・ヘッド」「10番街の殺人」「パイプライン」「キャラバン」「ハワイ・ファイブ・オー」など、多くの既製曲を中心としたものが有名である[7]

来歴

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1950年代後半 - 1960年代

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1959年、ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルのギタリスト2人により結成。結成時は「ジ・インパクツ」を経て「ヴァーサトーンズ」と名乗っていたが、すでに使われていたため、ドンの母親であるジョシーからの提案によって「ザ・ベンチャーズ」と名乗るようになる。当初の演奏スタイルは、リードギターとリズムギターを曲によって交代するギターデュオで、ドラム、ベースなどはいなかった。結成前の1958年、ドンは自動車のセールスマン、ボブは昼間に建築業をしていた。ボブがドンに仕事を紹介し、一緒に仕事をするようになり、夜にはナイトクラブに出演してキャリアを積み、音楽関係の人脈を築き上げていく[8]。またこの頃から既にフェンダー社製のジャズマスターストラトキャスターを主に使用していた[9]。後にベーシストにノーキー・エドワーズ、ドラマーに、後に米空軍大将となるジョージ・バビットをメンバーとして迎え入れた。しかし、ジョージは当時未成年でナイトクラブでの演奏が許可されずデビュー前に脱退し、後任としてホーウィー・ジョンソンが加入する[10]。 デビュー曲は、ドン・ウィルソンの母親が設立した「ブルー・ホライズン」レーベルからリリースした「ザ・リアル・マッコイ(The Real McCoy)/クッキーズ&コーク(Cookies & Coke)」である[11]。続く1960年発売の「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」でドラムは、スキップ・ムーアというクラブミュージシャンが担当し、ノーキーがベースを弾いている。地元シアトルのラジオ局がニュース番組のテーマ曲として起用したことから火が付き、米メジャーデビューを果たす。瞬く間にビルボード誌のシングル・チャート第2位を記録した[12]。「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」は、メジャーレーベルのドルトン・レコードから再発売されている[13]

1962年、ホーウィー・ジョンソンが交通事故に遭い、脊椎損傷が原因と言われている後遺症でツアー同行が難しくなり脱退。後任ドラマーにメル・テイラーを迎え1960年代全盛期の4人が揃った[14]。またメルが加入する前にリードギター担当がボブからノーキーになった。この交代は、元バック・オウエンスのメンバーとして既にギタリストとしてのスタイルを完成させていたノーキーにリードギターを任せた方がバンドの将来にもいいだろうというボブの判断によるものだった。またボブがベースの楽しさや自由さに開眼したことも理由の一つだった。ノーキーは後のインタビューで「ボブがリードギターを担当しているのはせいぜい数曲だろう」と発言している。デビュー前のスタジオ・ミュージシャンだったレオン・ラッセルが「テルスター」でオルガン[15]、「朝日のあたる家」でオルガン・ソロ、「十番街の殺人」でアルト・サクソフォーンの音をレスリー・スピーカーから出す手法を用いてソロを演奏した。この時期、ドラマーのメル・テイラーはハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスの1stシングル曲「悲しき闘牛/the lonely bull」に参加している。セッション・ドラマーのハル・ブレインは自分が演奏したと自伝の中で主張しているが、それは同タイトルのアルバム収録曲の方である[16]

1962年5月、ドンとボブの2人はオーストラリアニュージーランドアメリカ香港フィリピンのツアー後に初来日し、東芝音楽工業(のちに東芝EMI)のイベントに参加した。ウッドベースとドラムは日本人が担当。ボブの回想によると「別に悪いミュージシャンではなかったが、ビートの感覚が違っていた」。この時米軍基地への慰問演奏なども行った記録が残っている[17]。同時に来日したのは後に共作アルバムを発表するボビー・ヴィー、ジョー・アン・キャンベルだった[18][19]

ベンチャーズが日本で人気が出たのは1965年1月、アストロノウツなどとのパッケージ・ツアーとしてドン、ボブ、ノーキー、メルの4人で行った2回目の日本公演からだった[20]。彼等は専用ギターであるモズライトのギターを真空管アンプにプラグ・インしてラウドかつ強烈なサウンドを生み出して、たちまち若者達たちを虜にして一大エレキ・ブームを巻き起こした。この時の東京公演の模様は『VENTURES IN JAPAN』として発売された。少なくとも2公演を収録し、ベストなテイクを選んでレコードとした物である。レコードには採用されなかったテイクを、一般個人が客席から録音した物が存在している[21][22]。特に違いがあったのが「ブルドッグ」でのブリッヂ外奏法によるアドリブ。そして予定外にドン・ウィルソンが弾き始めてしまった「イエロー・ジャケット」の存在。ノーキーは困惑して、Aの開放弦を弾き続けながらドン・ウィルソンの方を向き、何の曲を弾くのかと確認していたという成毛滋による目撃談が残っている。「ワイプアウト」と「キャラバン」はレコードに収録されたテイクと同一であったが、「ワイプアウト」の出だしのドラムソロが一小節長い。これはギターかベースによる雑音が入っている部分を、レコードに収録する際にカットしたからである。また、「キャラバン」が始まる直前のMCも全く違っており、レコードに収録されているMCは別途作った物を使った事が判る。1月14日(木)のリキスポーツパレスでの追加公演は、翌15日(金)にフジテレビで放送された。

1965年7月から8月にかけて、東芝音楽工業に所属する加山雄三と複数のTV番組で共演し、加山との長年に渡る交友関係のきっかけを作った[23]。7月28日の「花椿ショウ スターの広場」に出演時、加山雄三はブラックサンドビーチを「僕が3日前にこの番組の為に作曲した」と言っている[24]。7月22日から9月2日にかけて、前座を入れずにベンチャーズ単独で2ステージのコンサート・ツアーを全国28都市にて実施。この模様は、70mmシネマスコープで収録され、1966年3月、映画『愛すべき音の侵略者』として全国ロードショー公開された。後にソフト化されて販売されたが、これはあくまでも「映画」であり、音と映像は別録りである。録音用のマイクがアンプの前に置かれている「クルエル・シー」、「テルスター」、「ブルドッグ」に関しては、撮影と同時に録音した可能性があるが、それを裏付ける資料等は残っていない。東京公演ではグヤトーンのアンプが使われたが、この映画ではアンプが映らないアングルから撮影したり、映っている場合はオプチカル合成により黒く塗り潰して隠されて、グヤトーンのアンプは完全に排除されている。画面右下、ノーキーとボブの太腿辺りに、アンプヘッドが黒く塗り潰された領域が確認出来る。(ワイプ・アウト、パイプライン、ダイアモンド・ヘッド)フェンダーのアンプが映っている場面は、全て無観客の状態で撮影されている。この時の東京公演の模様は『ALL ABOUT THE VENTURES』として発売されたが、複数の公演を収録してベストなテイクを選んでレコードとした物である。使用したアンプと会場が異なる事で、ギターとベースの音の歪具合が曲によって違っている。ドン・ウィルソンが歌う『悲しき街角』と『フィール・ソー・ファイン』は収録されなかった。8月1日にはフジテレビの「日曜お好み劇場」として『ベンチャーズ・ショウ』が放送された。内容は東京厚生年金会館或いはサンケイホールでのコンサートであり、ドン・ウィルソンが歌う『悲しき街角』と『フィール・ソー・ファイン』、ビン・コンセプションのMC、花束贈呈の場面を含めて、ほぼノーカットであった[25][26]。事前に録画収録されていた物の放送であり、9月17日に再放送されている。8月25日の北海道札幌中島スポーツセンターでのコンサートを、一般個人が客席から録音した物が存在している[27]。同じく7月のサンケイホールでのコンサートを、一般個人が客席から録音した物が存在している[28]。東京公演ではグヤトーンのアンプが使用され、それ以外の地域ではフェンダーのアンプが使用された。聞き比べると音色の違いが良くわかる。ザ・ベンチャーズが使用したmosrite(モズライト)のギターは、全ての日本公演終了後に、経緯は不明ながら加山雄三に渡り、映画『エレキの若大将』で使用された。主なTV番組出演は、7月23日にフジテレビ『スター千一夜』、7月27日にフジテレビ『ザ・ヒットパレード』[29]、7月28日と8月4日にフジテレビ『スターの広場』[30][31][32]、8月9日にフジテレビ『ミュージック・フェア65』。

1966年、加山の「君といつまでも」のカバーを日本で発表[33]。 3月20日から31日にかけて、東京・静岡・福井・富山・石川・神奈川でコンサート・ツアーを実施した。加山雄三が経営に関わっていたパシフィックパーク茅ケ崎が宿泊場所として選ばれており、そこにあった「加山雄三&ザ・ランチャーズ」の練習部屋で、オフタイムには合同練習会が行われていた。この時の模様はザ・ランチャーズのサポートメンバーであった堤光生によって録音されていた[34]。4月7日には日本テレビ『ビッグ・ヒット・ショー』でベンチャーズと加山雄三&ザ・ランチャーズが共演、これはパシフィック・パーク茅ヶ崎での収録であった。3月30日にはフジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』にゲスト出演して「蜜の味」を演奏した[35]。その他の主なTV番組出演は、3月23日にフジテレビ『スター千一夜』、4月5日にフジテレビ『ザ・ヒットパレード』、4月6日に再度フジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』。この来日時には公式ライブレコーディングは行われなかったが、東京公演を一般個人が客席から録音した物が存在している[36]

7月には再度来日し、前年の夏同様に9月まで全国コンサート・ツアーを実施した。8月30日の釧路公演でメルが負傷して演奏不能となり、日本人のクラブ・ドラマーが代役を務めた。息子の急死によりドンが一時帰国。数箇所で、寺内タケシと、ブルー・ナイツの古賀民也が代役を務めた。フジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』でベンチャーズ特集が放送された。大磯ロングビーチでの特別プログラムで一般の出場者は無し、「蜜の味」「バットマン」「秘密諜報員」「二人の銀座」「キャラバン」を演奏した[37]。 「THE VENTURES on stage ENCORE!」が日本実況録音盤として発売されたが、スタジオ録音された音源に歓声等を被せた疑似ライブである。

1967年7月25日から8月17日にかけて全国コンサート・ツアーを実施した。8月16日の東京厚生年金会館では、奥村チヨがゲスト出演して「北国の青い空」を歌った。この公演の模様は『THE VENTURES LIVE, AGAIN!』として発売されたが、数曲カットされただけでなく、『THE VENTURES on stage ENCORE!』と同じ音源が収録されている等、とてもおかしな内容になってしまっていた。この公演の模様はほぼ完全な内容でテレビ放送されており、オープニング・ナンバーはパイプラインであった[38]

ベンチャーズ歌謡の背景

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東芝音楽工業は5大レコード会社(キングコロムビアビクターテイチクポリドール)に次ぐ新興のレコード会社で、当初は専属作曲家がいなかった[39]

ベンチャーズ歌謡をプロデュースした[40]東芝音楽工業草野浩二によると、ベンチャーズは来日時に日本の歌謡曲を聞いて研究した上で、「こういうメロディを作ったから聞いてくれ」と売り込んできた[39]。そのメロディ・ラインは「外国人が作ったとは思えないほど日本人の好みに合致する歌謡曲」だったため、日本語の歌詞をつけるのを企図するようになる。

1966年、「GINZA LIGHTS」(銀座の灯り)はベンチャーズが銀座の夜景をイメージして書いたものを、経緯は不明ながら越路吹雪(東芝所属)に提供した物であったが、曲を聴いた越路は「これは自分が歌うより、もっと若い人が歌った方がいい」と青春映画スターである和泉雅子山内賢に曲を譲り、「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)としてリリースされ、大ヒット[23]。作詞は永六輔が担当、軽快な曲調と爽やかな歌声でミリオンセラーの大ヒットとなり、翌年、二人の主演で同名の映画も製作される。この成功により、東芝は他の所属歌手の曲制作もベンチャーズに依頼するようになる[23]。「二人の銀座」には続編が制作され「東京ナイト」という曲をベンチャーズが作曲し、同名の映画が和泉雅子&山内賢主演で制作されている。 なお、本来は岩谷時子が詞をつける予定だった[41]。1966年7月に、ザ・ベンチャーズが勝ち抜きエレキ合戦に出演した際、審査員で音楽評論家の福田一郎が「二人の銀座」は岩谷時子が詩を書いて加山雄三が歌うと予告していたが(twitterに投稿された録音)、結果的には日活の山内賢&和泉雅子コンビが歌った。

続いて1967年には「北国の青い空」(奥村チヨ)をリリース。

1968年、ノーキー・エドワーズが一度脱退し、後任ギタリストにジェリー・マギーが加入すると、より本格的に日本をテーマにした楽曲を作り始め、「京都の恋」(1970年)、「京都慕情」(1970年)、「長崎慕情」(1971年)(いずれも渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(1971年)(欧陽菲菲[23][40]など、次々とヒット曲が生み出され、それらは「ベンチャーズ歌謡」と称されるようになった。その日本情緒豊かな楽曲は「アメリカ人にこんな日本的な曲が書けるのか」と当時の日本の音楽評論家たちを驚かせた[42]。中でも「京都の恋」は(1970年)第12回日本レコード大賞企画賞を受賞している[43]

1970年代 - 1990年代

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1972年、ジェリー・マギーとメル・テイラーの脱退後、ノーキー・エドワーズが復帰し、メルの後任には元SHANGOのジョー・バリルが加入した。脱退したジェリーとメルは新たなバンド「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成し、2005年よりベンチャーズの一員となったボブ・スポルディングも同バンドにてリズムギターを担当しており、翌1973年に初来日を果たした。

1978年、ジョー・バリルがコカイン所持の疑いで警視庁に逮捕された[44]後に脱退(解雇)。メル・テイラー&ザ・ダイナミックス解散を経てメル・テイラーが復帰し、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人が再び勢揃いする。その後、ジェリー・マギーも復帰し、1984年にボブ・ボーグルが入院したため、その代役としてリードギタリストであるジェリーとノーキーが交互にツアーでベースを担当していた。その後、ノーキーがソロ活動等のために再び脱退し、以降はジェリーがリードギターに専念するようになる。1991年大晦日には、ドン、ボブ、ジェリー、メルの4人で第42回NHK紅白歌合戦に出場し、10番街の殺人、ダイアモンド・ヘッド、パイプラインの3曲を演奏した[45]

1996年、夏の来日ツアー中にメル・テイラーが体調を崩しアメリカへ緊急帰国したが、それから僅か10日後に死去。ザ・ナックのドラマーであったブルース・ゲイリーが代役を務める。同年の中野サンプラザで追悼公演が行われ、後任となるメル・テイラーの息子リオン・テイラーの紹介がなされ、数曲、ドラマーとして演奏し、以後、現在も在籍しドラマーとして活動を続けている。

1998年、赤坂BLITZにて開催された「永遠のギターキッズ」にて、加山雄三、ハイパーランチャーズ、Dr.K Project、中シゲヲと共演。ドン、ボブ、ノーキー、ジェリー、リオンが同じ舞台に立ち、歴史的共演を行った。なお、この公演の2日目には、山下達郎もゲスト出演した。1999年以降はジェリーが夏、ノーキーがスペシャルゲストとして冬にそれぞれ日本公演でリードギターを演奏するようになり、ノーキーが来日ツアーを引退する2016年までほぼ毎年夏期と冬期両方に来日していた。

2000年代 - 2010年代

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2004年、日米交流150周年記念外務大臣賞を受賞[46]し、ドン、ボブ、ノーキーが授賞式に参加。2005年にボブ・ボーグルが体調悪化によりツアー参加が難しくなったため、ボブ・スポルディング(元メル・テイラー&ザ・ダイナミックスのリズムギタリスト)がサポートメンバーとして加入した。

2006年、彼らの最初の大ヒット曲である「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」がグラミーの殿堂入りを果たし[47]、2008年にはロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)入りを果たした[48]。ドン、ノーキー、リオン、ボブ・スポルディング、ジョン・ダリル(ジェリー・マギーの代理として出席)がニューヨーク・ウォルドルフ・アストリアホテルで開催された授賞式に出演し、プレゼンターとしてベンチャーズの影響を受けていたことを公言したジョン・フォガティが登場。フォガティの紹介に続いてベンチャーズが登場し、「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」を基本編成の4人で、「ハワイ・ファイブ・オー」をブラスセクション付きで演奏した。

2009年、結成50周年を迎え、同年6月14日にボブ・ボーグルが死去[49]。以後はボブ・スポルディングが後任として正式メンバーとなった。2010年春の叙勲にてメンバーのうち5人が旭日小綬章を受章[50]

2014年、結成55周年を迎えたが、翌2015年度の来日ツアーをもって、結成メンバーであるドン・ウィルソンがツアーからの引退を正式に表明し[51]、同年のツアー最終日において、2016年からドンに代わりボブ・スポルディングがリズムギターを担当し、ボブの息子であるイアン・スポルディングをベーシストに迎え活動していくことが発表された。 また、同年からボブとイアンのスポルディング親子にリオン・テイラー、そして、前年からベンチャーズのサポートメンバーとしてアメリカ国内で活動していたベーシスト、ルーク・グリフィンによるニューバンド「V-2」が活動を開始。

2016年、前年のドン・ウィルソンのツアー引退に続き、ノーキー・エドワーズも自身の高齢と体力低下により、同年の来日ツアーが最後の来日となることを表明した。2017年8月の来日ツアー中にジェリー・マギーが入院。その連絡を受け、「V-2」のメンバーであるルーク・グリフィンが急遽来日し、ベースで7公演ほど残りの日本公演に初参加したことで、結成55周年ジャパンツアーを無事終えた。2018年にドン、ノーキーに続き、ジェリーも自身の高齢化のためツアー引退を発表。それに伴い、同年以降の来日公演は、昨年来日しジェリーの代わりに日本ツアーに初参加したベーシストのルークを正式メンバーに迎え、前述の通りである「V-2」のメンバーによる新体制ベンチャーズとして、7月より来日ツアーが新たに開始された。同年3月12日にノーキー・エドワーズが死去[11]

2019年、結成60周年を迎えた[52]が、同年10月12日にジェリー・マギーが日本で死去[53][54]

2020年代 -

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2020年と2021年、新型コロナウィルスの影響でアメリカからの入国が制限されている為、来日ツアーが2022年以降に延期となる[55][56]

2022年1月22日、リーダーのドン・ウィルソンが死去[57][58]。ドンの死去により、結成メンバーは全員故人となった。

ドン・ウィルソン死去に伴い、バンド名を封印するのではと推測や推察がなされたようだが、バンド名は継続して名乗る模様。

2022年、初来日から60周年を迎えるにあたり、またアメリカからの入出国規制が緩んだこともあり、記念ツアーを開催することが決定した。

2023年、長らく招聘元となっていたM&Iカンパニーが前年末を持って閉業、その後任となる招聘先が決まらなかったため、当年の来日公演は開催されないことが公式に発表された。

2024年、新しい招聘先が未決のため、当年度の来日公演は昨年に続き開催されない。

来日公演データ

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1965年1月

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1965年1月
曜日 エリア1 エリア2 会場
2 来日
3 東京都 新宿区 東京厚生年金会館
3 東京都 渋谷区 リキスポーツパレス
4 東京都 渋谷区 リキスポーツパレス×2
5 大阪府 大阪市 大阪フェスティバルホール×2
6 愛知県 名古屋市 愛知県体育館
7 東京都 千代田区 サンケイホール
8 東京都 新宿区 東京厚生年金会館
8 神奈川県 横浜市 横浜文化体育館
9 東京都 渋谷区 リキスポーツパレス×2
10 東京都 新宿区 東京厚生年金会館×2
11
12
13 北海道 札幌市 札幌市民会館
14 東京都 渋谷区 リキスポーツパレス

1965年夏

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1965年7月24日(土)東京厚生年金会館

第1部

01.10番街の殺人 02.ペネトレイション 03.クルーエル・シー 04.ウォーク・イン・ザ・ルーム 05.朝日のあたる家 06.ラップ・シティ 07.夢のマリナー号 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.サマータイム 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.悲しき街角(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.キャラバン

第2部

15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌 16.悲しき闘牛(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アウト・オブ・リミッツ 22.アパッチ 23.アイ・フィール・ファイン 24.サーフ・ライダー 25.星への旅路 26.ブルドッグ 27.バンブル・ビー・ツイスト 28.ダイアモンド・ヘッド アンコール 29.ワイプ・アウト

1965年7月25日(日)東京厚生年金会館

第1部

01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ウォーク・イン・ザ・ルーム 04.10番街の殺人 05.朝日のあたる家 06.ラップ・シティ 07.夢のマリナー号 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.アウト・オブ・リミッツ 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.悲しき街角(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.ワイプ・アウト

第2部

15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌 16.悲しき闘牛(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アパッチ 22.アイ・フィール・ファイン 23.サーフ・ライダー 24.ブルドッグ 25.バンブル・ビー・ツイスト 26.ダイアモンド・ヘッド アンコール 27.キャラバン

1965年7月26日(月)東京サンケイホール

第1部

01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ウォーク・イン・ザ・ルーム 04.10番街の殺人 05.朝日のあたる家 06.ラップ・シティ 07.夢のマリナー号 08.ピンク・パンサーのテーマ 09.アウト・オブ・リミッツ 10.イエロー・ジャケット 11.ラヴ・ポーションNo.9 12.悲しき街角(Vo:ドン) 13.ウォーク・ドント・ラン'64 14.ワイプ・アウト

第2部

15.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌 16.悲しき闘牛(LG:ボブ) 17.テルスター(LG:ボブ) 18.ドライヴィング・ギター 19.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 20.パイプライン 21.アパッチ 22.アイ・フィール・ファイン 23.サーフ・ライダー 24.ブルドッグ 25.バンブル・ビー・ツイスト 26.ダイアモンド・ヘッド アンコール 27.キャラバン

1965年8月25日(水)札幌 中島スポーツ・センター

第1部

01.クルーエル・シー 02.ペネトレイション 03.ブルドッグ 04.アイ・フィール・ファイン 05.朝日のあたる家 06.ラップ・シティ 07.アウト・オブ・リミッツ 08.10番街の殺人 09.べサメ・ムーチョ・ツイスト 10.ラヴ・ポーションNo.9 11.悲しき街角(Vo:ドン) 12.ウォーク・ドント・ラン'64 13.ワイプ・アウト

第2部

14.ベンチャーズ・メドレー(LG:ボブ) ...........ウォーク・ドント・ラン~パーフィディア~木の葉の子守歌 15.悲しき闘牛(LG:ボブ) 16.テルスター(LG:ボブ) 17.ドライヴィング・ギター 18.フィール・ソー・ファイン(Vo:ドン) 19.アパッチ 20.パイプライン 21.バンブル・ビー・ツイスト 22.ダイアモンド・ヘッド アンコール 23.キャラバン

1965年7月
曜日 エリア1 エリア2 会場
21 来日
22 東京都 豊島区 池袋東武デパートにてサイン会
23
24 東京都 新宿区 東京厚生年金会館×2
25 東京都 新宿区 東京厚生年金会館×2
26 東京都 千代田区 サンケイホール
27 東京都 千代田区 サンケイホール
27 東京都 台東区 台東体育館
28 東京都 新宿区 フジテレビ ザ・ヒットパレードに出演
29 京都府 京都市 京都会館×2
30 京都府 京都市 京都会館×2
31 大分県 別府市 別府観光会館
1965年8月
曜日 エリア1 エリア2 会場
1 福岡県 福岡市 九電記念体育館
2 京都府 京都市 京都会館×2
3 兵庫県 神戸市 神戸会館×2
4 大阪府 大阪市 大阪フェスティバルホール×2
5
6 愛知県 名古屋市 名古屋市公会堂
7 東京都 東京音協例会×2
8 石川県 金沢市 金沢観光会館×2
9 富山県 富山市 富山市公会堂
10 神奈川県 横浜市 横浜文化体育館
11 神奈川県 葉山市 葉山マリーナ
11 神奈川県 平塚市 平塚市民センター
12 静岡県 浜松市 浜松市民会館
13 静岡県 静岡市 駿府会館
14 群馬県 高崎市 高崎音楽センター
15 福島県 福島市 福島県営体育館
16
17 山形県 山形市 山形県民体育館
18 宮城県 仙台市 仙台市公会堂×2
19 秋田県 秋田市
20
21 北海道 室蘭市 室蘭文化センター
22 北海道 旭川市 旭川国際劇場×2
23 北海道 帯広市 帯広市民会館
24 北海道 釧路市 釧路体育館
25 北海道 札幌市 札幌スポーツセンター
26 東京都 八王子市 八王子市民会館
27 東京都 新宿区 東京厚生年金会館×2
28 京都府 京都市 京都会館×2
29 広島県 広島市 広島市公会堂×2
30 大阪府 北区 サンケイホール×2
31 東京都 大田区 大田区民会館
1965年9月
曜日 エリア1 エリア2 会場
1 東京都 新宿区 東京厚生年金会館×2
2 神奈川県 川崎市 川崎市民会館
3 帰国

1966年3月

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1966年3月20日(日)東京厚生年金会館

01.10番街の殺人 02.蜜の味 03.ラ・バンバ 04.若さでゴー・ゴー 05.青い渚をぶっとばせ 06.テン・セカンス・トゥ・ヘヴン(パラダイス・ア・ゴー・ゴー) 07.カミン・ホーム・ベイビー 08.ナポレオン・ソロのテーマ 09.秘密諜報員 10.ビートでOK 11.君といつまでも 12.夜空の星 13.パイプライン アンコール 14.キャラバン

1966年3月
曜日 エリア1 エリア2 会場
18 来日
19
20 東京都 新宿区 東京厚生年金会館×2
21 東京都 新宿区 東京厚生年金会館×2
22
23 静岡県 静岡市 駿府会館
24 東京都 新宿区 東京厚生年金会館
25 福井県 福井市 福井体育館
26 富山県 富山市 富山市公会堂
27
28 石川県 金沢市 金沢観光会館
29 神奈川県 横浜市 横浜文化体育館
30 東京都 大田区 大田公会堂
31 東京都 新宿区 東京厚生年金会館×2

1966年夏

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1966年7月
曜日 エリア1 エリア2 会場
13 来日
14 台湾へ
15
16
17 再来日
18 東京都 港区 ヒルトンホテル記者会見レセプション
19 東京都 テレビ出演
20 東京都 渋谷区 渋谷公会堂
21 新潟県 新潟市 新潟市体育館
22 新潟県 長岡市 長岡市厚生会館
23 山形県 酒田市 酒田市民会館
24
25 宮城県 仙台市 スポーツ・センター
26 岡山県 岡山市
27 兵庫県 姫路市
28 高知県 高知市 高知県民ホール
29 愛媛県 松山市 愛媛県民ホール
30 静岡県 富士市 吉原市民会館×2
31 静岡県 伊東市 観光会館×2
1966年8月
曜日 エリア1 エリア2 会場
1 愛知県 名古屋市 名古屋市公会堂
2 大阪府 大阪市 大阪フェスティバルホール
3 静岡県 静岡市 駿府会館×2
4 福岡県 北九州市 北九州市体育館
5 山口県 山口市 山口市体育館
6 島根県 出雲市 出雲市民会館
7 鳥取県 米子市 米子市民会館
8 熊本県 熊本市 熊本市体育館×2
9 福岡県 大牟田市 大牟田市公会堂
10 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島市体育館
11 福岡県 飯塚市 飯塚市嘉穂劇場
12 佐賀県 唐津市 唐津市体育館
13 長崎県 佐世保市 佐世保市体育館
14 長崎県 長崎市 長崎市公会堂
15 大分県 別府市 別府観光会館
16 宮崎県 宮崎市 宮崎市体育館
17 山口県 下関市 下関市体育館
18 山口県 岩国市 岩国帝人会館
19 京都府 京都市 京都会館
20 京都府 京都市 京都会館
21
22 富山県 高岡市 高岡市民会館
23 石川県 小松市 小松体育館
24 福島県 福島市 福島県民会館
25 北海道 札幌市 道新ホール
26 北海道 苫小牧市
27 北海道 室蘭市
28 青森県 弘前市
29 北海道 帯広市
30 北海道 釧路市
31 北海道 旭川市
1966年9月
曜日 エリア1 エリア2 会場
1 神奈川県 横浜市 横浜文化体育館
2 兵庫県 神戸市 神戸国際会館
3 東京都
4 東京都 渋谷区 渋谷公会堂×2
5 岩手県 盛岡市 岩手教育会館
6 青森県 八戸市
7
8
9 沖縄
10 沖縄
11 沖縄

1967年夏

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1967年7月25日(火)東京厚生年金会館

01.恋はちょっぴり 02.ブルー・シャトー(mosrite12弦:ノーキー) 03.ブラック・サンド・ビーチ 04.ウーリー・ブリー 05.ダイアモンド・ヘッド 06.二人の銀座 07.サイケデリック・ドリーム 08.恋のハレルヤ 09.ハッピー・トゥゲザー 10.夕日は沈む 11.ヴァイブレーションズ 12.涙のギター 13.パイプライン アンコール 14.キャラバン

1967年8月16日(水)東京厚生年金会館

01.パイプライン 02.ブルー・シャトー(mosrite12弦:ノーキー) 03.ブラック・サンド・ビーチ 04.10番街の殺人 05.北国の青い空(Vo:奥村チヨ) 06.恋はちょっぴり 07.二人の銀座 08.ウーリー・ブリー 09.アパッチ 10.涙のギター 11.蜜の味 12.ウォーク・ドント・ラン'64 13.ワイプ・アウト 14.ヴァイブレーションズ 15.夕日は沈む 16.ダイアモンド・ヘッド アンコール 17.キャラバン

1967年7月
曜日 エリア1 エリア2 会場
25 東京都 新宿区 東京厚生年金会館
26 京都府 京都市 京都会館
27 京都府 京都市 京都会館×2
28 福岡県 福岡市 九電記念体育館
29 鹿児島県 鹿児島市 鹿児島市体育館
30 岡山県 岡山市
31 広島県 広島市
1967年8月
曜日 エリア1 エリア2 会場
1
2
3 神奈川県 横浜市 横浜文化体育館
4 愛知県 名古屋市 中日劇場
5
6 大阪府 大阪市 フェスティバルホール
7 北海道 函館市 巴座
8 北海道
9 北海道
10
11 香川県 高松市
12 静岡県 浜松市
13 新潟県 新潟市
14 長野県 長野市
15 長野県 松本市
16 東京都 新宿区 東京厚生年金会館
17 静岡県 静岡市 駿府会館

評価

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現在も世界各国にファンがおり、コピーバンドも多数存在する。特に日本では老若男女問わず存在し、さらには子供のコピーバンドまでいるほどである。これは、日本との特別な関係や与えた影響という観点から、日本の音楽史になくてはならない存在とされる。彼らがアメリカ本国で一番人気があったのは1960年代までだが、日本では長く人気を保ち続けている[59]。米国のバンドではあるものの、インストゥルメンタルグループであり言語の壁を乗り越えその明快な楽曲が受け入れられ、米国以上に日本のエレキギターブームやポップスシーンに影響を及ぼした。日本で発表されたレコードなどの総売上は4000万枚を超える。現在も定期的に日本公演を行っている[60]。 1965年夏のステージは2部構成のプログラム進行を採ったが、1966年3月以降は暫く1部構成に戻った。(1971年頃より2部構成となった)アンコールでは「キャラバン」が演奏されるのが恒例である。(1965年7月24日の東京厚生年金会館等、一部例外あり)さらに長尺のドラムソロと、ドラムスティックでベースの弦を叩くパフォーマンスが行われる。

メンバー

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  • リオン・テイラー (Leon Taylor、1955年9月23日 - ):テネシー州ジョンソンシティ出身。5代目ドラム。父親であるメルが急逝した1996年、中野サンプラザにおける9月16日のメル・テイラー追悼公演で後任として紹介され、数曲披露。以降、父の後任として正式メンバーとなる。ちなみにメルが死去した後、96年のツアーでのメインドラムは、元ブルージーンズの竹田尚司、その後、元ナック(「マイ・シャローナ」)のブルース・ゲイリーが急遽務めた。後に2人ともメル・テイラー追悼アルバム「ワイルド・アゲインII」に参加している。2018年にジェリー・マギーのツアー引退後、ベンチャーズの現役来日ツアーメンバーとしては在籍歴が最長となった。
  • ボブ・スポルディング (Bob Spalding、1947年2月10日 - ):カリフォルニア州サンバーナーディーノ出身。4代目ベース、4代目リードギター、2代目リズムギター。1981年よりスタジオ録音に参加していたことから、加入年も1981年として扱われている。2005年1月の日本公演以降、腰痛が悪化し来日が困難となったボブ・ボーグルの代役としてツアーに参加し、2009年6月にボーグルが死去して以降は正式メンバーとなる。スタジオ録音ではリードギターの他リズムギターを担当するケースもあり、メル・テイラーがベンチャーズを一時離れていたころ結成した「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」ではリズムギターを担当し、1973年には来日もしている。作曲のほかアレンジなどでも現在のベンチャーズに多大な貢献をしており、"5人目のベンチャーズ"と呼ばれている。2015年にツアーから引退したドン・ウィルソンに代わりリズムギターを担当するが、2018年にジェリー・マギーもツアー引退を発表し、後任リードギターの座に就いた。
  • イアン・スポルディング (Ian Spalding、1973年8月15日 - ):カリフォルニア州出身。5代目ベース、3代目リズムギター。ボブ・スポルディングの息子であり、父の影響で9歳からギターを始め、高校時代にはバンド活動を行い、2枚のアルバムをリリースしている。2007年からベンチャーズと活動を共にし、レコーディングではリズムギター、ベース、キーボードを担当している。2015年にドン・ウィルソンがツアーから引退後、ベーシストとして正式メンバーとなり、2018年にはジェリー・マギーのツアー引退により、リズムギターへ転向。
  • ルーク・グリフィン (Luke Griffin、1978年3月25日 - ):バージニア州ノーフォーク出身。6代目ベース。2014年頃よりベンチャーズのサポートメンバーとしてアメリカ国内のライヴに参加していた。それ以前にはテキサス州のバンドで音楽活動を行っていたが、ボブ&イアン・スポルディングの親子、リオン・テイラーらと結成したバンド「V-2」のメンバーとして携わって以降、ベンチャーズのメンバーと知りあう仲になった。2017年夏の日本ツアーでジェリー・マギーの入院報告を受け急遽来日し、ベースで日本公演初参加を経て、翌2018年にジェリー・マギーのツアー引退発表後、ボブ・スポルディングがリードギター、息子のイアンがリズムギターへ転向する事になり、ベーシストとして正式加入することが決定した。また、2018年以降の来日ツアーで2曲ほどリードギターも担当。

旧メンバー

  • ドン・ウィルソン (Don Wilson、1933年2月10日 - 2022年1月22日):ワシントン州タコマ出身[61]。リズムギター(結成メンバー)。ベンチャーズのリーダーである。2015年来日を最後に日本ツアー参加を引退(ただし本国での活動やレコーディング等は継続していた)。2022年1月に老衰のため88歳で死去。
  • ボブ・ボーグル (Bob Bogle、1934年1月16日 - 2009年6月14日):オクラホマ州[61]ワグナー出身。初代リードギター(結成メンバー)、2代目ベース。2005年以降、腰痛療養のため日本ツアーには不参加(ただしレコーディングだけは参加していた)。1997年の非ホジキンリンパ腫の発病から12年に渡る闘病生活の末、2009年6月に75歳で死去。
  • ノーキー・エドワーズ (Nokie Edwards、1935年5月9日 - 2018年3月12日 ):オクラホマ州ラホマ出身[62]。初代ベース、2代目リードギター。張力の弱い細い「ライト・ゲージ弦」を考案[63]し、チョーキングが一般的なテクニックとして世界中で使用されるようになった功労者。1960年頃、当初は「ウォーク・ドント・ラン」などのレコーディングにベースで参加していたが、後にベーシストに転向したボブ・ボーグルに代わりリードギターに専念する。[968年に一度脱退するが1972年に復帰、1984年まで活躍する。その後再度脱退し、ソロ活動のみを行っていた時期もあったが、1999年以降、レコーディングや毎年1月の日本公演などにリード・ギター(ベンチャーズ・オリジナルメンバー)として参加し続けている。夏の日本公演ではベンチャーズと行動を別にしており、冬の公演に参加してもスペシャルゲストとして紹介されているが、公式ホームページではメンバーとして掲載されている。ドン・ウィルソンに続き、2016年の来日を最後に日本ツアーを引退するが、2018年3月に前年に受けた臀部手術後の細菌感染合併症のため82歳で死去。
  • ジェリー・マギー (Gerry McGee、1937年11月17日 - 2019年10月12日):ルイジアナ州ユーニス出身[64]。3代目リードギター、3代目ベース。デラニー&ボニーと活動した後、ノーキー・エドワーズの後任として1968年に加入するが、1972年に脱退。メル・テイラーやボブ・スポルディングらと「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」を結成。解散後、1980年代前半頃ベンチャーズに復帰し、1984年の日本公演ではノーキーとアコースティックギターデュオ演奏をしたり、入院したボブに代わってノーキーと交代でベースを演奏した。ノーキーが脱退した後は夏の日本公演で毎年リードギターを担当しており、ベンチャーズのメンバーとしての来日回数はノーキーよりも多い。2013年からはノーキーに代わり冬のツアーにも参加。2017年夏の来日ツアー中に体調不良で入院し、高齢による体力の衰えを理由に翌年以降の日本ツアーに参加しないことが発表された。2019年10月にソロ・ツアーで2年ぶりに来日したが、心臓発作で倒れ東京都内の病院に緊急搬送され、4日後に81歳で死去。
  • メル・テイラー (Mel Taylor、1933年9月24日 - 1996年8月11日):ニューヨーク州ブルックリン出身[64]。3代目ドラマーで、リオン・テイラーの父である。1972年にソロ活動「メル・テイラー&ザ・ダイナミックス」結成のため脱退したが、1978年後半頃再加入した。1996年の日本公演中に体調が悪化し、検査の結果肺癌が発覚したためアメリカへ緊急帰国したが、帰国から僅か10日後に62歳で死去する。
  • ジョージ・バビット (George T. Babbitt, Jr.、1942年6月22日 - ):ワシントン州ブレマートン出身。初代ドラマー。未成年であったため、クラブなどでの活動が出来ずに脱退[65]。その後、アメリカ空軍の大将になる。1998年3月1日にはアメリカ空軍音楽隊英語版とともに、結成以来約40年ぶりにベンチャーズの結成メンバーであるドン・ウィルソン、ボブ・ボーグルと再び共演した[66]
  • ホーウィー・ジョンソン (Howie Johnson、1935年 - 1989年):ワシントン州出身[67]。2代目ドラマー。在籍中、交通事故に遭い後遺症が残ったことからツアーへの参加が難しくなったため、1962年に脱退。その後は音楽ビジネスから身を退いていたが、1989年に死去。
  • ジョー・バリル (Joe Barile、本名バリル・ギオパン・デュセッペ。1947年7月 - ):イタリア出身、幼少期にアメリカへ移住。トミー・レイノルズが結成したシャンゴ(Shango)というバンドで活動した後、ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズからの誘いを蹴って4代目ドラマーとして1973年から1978年来日ツアー終了まで在籍。1978年の来日ツアー中にコカイン使用が発覚、逮捕される(ただし不起訴処分となる)。このためイメージ悪化を避けたかったメンバーは彼を解雇。その後は表立った音楽活動からは遠ざかっていたが、1991年にリリースしたベンチャーズのCDアルバム『ふたりの海岸物語(play SEASIDE STORY)』収録曲「ウェイクアップ・ドリーム」などにパーカッションで参加しており、以後も時々レコーディングに参加している。
  • ジョン・ダリル (John Durrill、1941年8月2日 - ):テキサス州ヒューストン出身。元ファイヴ・アメリカンズのメンバー。初代キーボディストであるサンディ・リーの後任として1969年から1972年まで在籍し、1973年にメル・テイラー&ザ・ダイナミックスへの参加を経て、その後作曲家へ転向。2008年の「ロックの殿堂」授賞式に、不参加だったジェリー・マギーの代理として久々にベンチャーズと合流した。
  • ビフ・ビンセント (Bif Vincent):4代目キーボード奏者として1975年から翌1976年まで在籍。離脱後はスタジオミュージシャン、編曲家、レコーディングエンジニアなどで活躍。その後もベンチャーズと交流があり、ビフが経営するレコーディング・スタジオでベンチャーズはレコーディングなどを行っている。
  • デイヴ・カー (Dave Carr、1943年8月4日 - 2011年7月14日):イギリスロンドン出身、元ザ・フォーチュンズのキーボーディスト。3代目キーボード奏者として1973年から翌1974年まで参加し、1974年にはメンバーとして来日。その後も作曲家、編曲家、プロデューサーとして活躍する一方ベンチャーズとの交流は続き、レコーディングにも度々参加していたが、2011年に心臓発作によって死去。
  • サンディ・リー (Sandy Lee、生没年不詳):ジェリー・マギーと共に1968年から参加した初の女性メンバーで初代キーボーディスト。1968年度の来日ツアーにも同行していたが、健康上の理由によりベンチャーズを脱退後、1980年代に死去。後に、在籍中ドラッグ不法所持が発覚したため解雇されていたことが明らかになった。

この他、1970年代半ばころには、スーザン・シュレイバー、リーシャ・キャリー、ジョネル・カレンダーといった女性シンガーがツアーに参加したこともある。また、1984年のライヴではレア・アースやナイト・シティのギタリストだったポール・ウォーレンがボブ・ボーグルの代理で一時的にベースを弾いている。

メンバー変遷

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サウンド

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レコーディングでは無名のスタジオ・ミュージシャンが多数加わり、例えば「テルスター」ではキーボードが主要メロディーを取り、「ダイアモンド・ヘッド」、「十番街の殺人」ではアルト・サックスエフェクト・ペダルレスリー・スピーカーを介して後のシンセサイザーを連想させる音色に似たサウンドを加えたり、曲によっては女声コーラスを導入したり、ブラスセクションやオーケストラを起用するなど、これらをサウンド面の主要アクセントにした。さらにはギターよりキーボード(当時ファルフィッサ製電子オルガンなどが使われていた)をリードパートに多用した曲が多く、その後正式にキーボーディストをメンバーとして加え5人編成となった時期もある[68](5人体制時期は1968年から1972年前半および1974年から1976年である)。ステージ上ではリードギターとベースが途中で交代する場面もある(最初期の演奏ではボブ・ボーグルだけでなくドン・ウィルソンがリードギターを担当するなど、現在と比べて演奏面やサウンド面も大きく異なっている)。

最初のヒットシングルとなった「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」は、チェット・アトキンスが自身で編み出した「ギャロッピング奏法」をベース、メロディ、コードバッキングに分解し、それにドラムパートを加えロックンロールのリズムに乗せるといった初期のベンチャーズの基本的な演奏スタイルとなっている[69]

アンプ内蔵或いは外付けのリヴァーブをフルにし低音弦をスライドさせて、トレモロ・ピッキングを行う「トレモロ・グリスダウン」奏法(日本では一般的に「テケテケ」と呼ばれる。しかし開祖はキング・オブ・サーフ・ギターと謳われるディック・デイルであり、ベンチャーズが編み出したわけではない)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材にしたのが映画化もされた芦原すなお原作の『青春デンデケデケデケ』)、「10番街の殺人」、「急がば廻れ '64(ウォーク・ドント・ラン '64)」、「キャラバン」など、数々の名演を生み出した。ベンチャーズは最初にサーフ・ミュージックを演奏したバンドとも言われている[70]。1965年1月、7~9月、1966年3月、7~9月の来日公演では、「トレモロ・グリスダウン」奏法時にアンプ内蔵及び外付けのリヴァーブは使用していない。

2代目のリード・ギタリスト(初期はベーシスト)であるノーキー・エドワーズは2回目の来日公演(1965年1月)(4人のフルメンバーとしては初来日)で「電気ギターの王様」と紹介され、天才的で卓越したテクニックは多くの日本人ギタリスト達に影響を与えた。彼はカントリー・ピッキング(親指と人差し指でピックを固定し、中指と薬指を同時に利用する多指奏法)を基本としたテクニックで、トレモロアームをアクセントとして使用し、モズライトギターの高出力ピックアップを活かしたラウドで金属的なサウンドを作り出していた。特に1965年1月来日時の録音を収めた「VENTURES IN JAPAN」の「ドライヴィング・ギター」の強烈なアームダウンと、「ブルドッグ」のブリッヂ外奏法によるソロはモズライトギターならではのサウンドである。その後、彼は1980年代にベンチャーズを脱退(2度目の脱退)し、ソロ活動が中心となっているが、公式ホームページでは脱退扱いにはなっておらず、実際本国では何度か、ノーキーがベンチャーズに参加して活動している。近年は、オリジナルモデルのギターを用い、よりカントリースタイルを意識した演奏となっており音色もソフトなものとなっている。

1968年にノーキーが1度目の脱退をし、3代目リード・ギタリストとして加入したのがジェリー・マギーである。ジェリーはエミルー・ハリスエルビス・プレスリー、デラニー&ボニー、モンキーズなど多数のレコーディングセッションなどで経験を積んで来たスタジオ・ミュージシャンである[71]。ジェリーのサムピックを使用した奏法(ノーキーも1972年に復帰したときからレコーディングやステージでサムピックを使用するようになった)や彼の出身地ルイジアナをルーツとした南部色の強いソウルフルなサウンドが特徴的である。「朝日のあたる家」は、ベンチャーズが1960年代からもともとレパートリーとしているが、1980年代にジェリーが再加入した後のステージでは彼独特のアドリブによるブルージーなサウンドが、新たな聞かせどころとなっている。その後は、中音域をブーストさせる回路付きのフェンダー・ストラトキャスターを用いており、曲によってブーストのかかり具合を微調整して、音色にバリエーションを持たせる工夫をしている。

ディスコグラフィ

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主なアルバム

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  • Walk Don't Run(1960年11月)
  • The Ventures(1961年6月)
  • Another Smash(1961年9月)
  • The Colorful Ventures(1961年10月)
  • Twist With The Ventures(1962年1月)
  • Twist Party Vol.2(1962年5月)
  • Mashed Potatoes And Gravy(1962年8月)
  • Going To The Ventures Dance Party(1962年11月)
  • The Ventures Play Telstar/The Lonely Bull AND Others(1963年1月)
  • Surfing(1963年5月)
  • Bobby Vee Meets The Ventures(1963年4月)※Caravan 収録(ノーキー・エドワーズ版)
  • Play The Country Classics(1963年6月)
  • Let's Go(1963年8月)※Wipe Out 収録
  • The Ventures in Space(1964年1月)
  • The Fabulous Ventures(1964年6月)
  • Walk Don't Run Vol. 2(1964年10月)
  • Knock Me Out!(1965年2月)
  • The Ventures On Stage(1965年6月)
  • Ventures in Japan(1965年8月)
  • A Go Go(1965年9月)
  • The Ventures Christmas Album(1965年11月)
  • Where The Action Is(1966年2月)
  • All About The Ventures(1966年3月)※邦題:Ventures in Japan 第二集
  • Batman Theme(1966年3月)
  • Go With The Ventures(1966年6月)
  • Wild Things(1966年9月)
  • The Ventures On Stage Encore!(1967年1月)
  • Guitar Freak Out(1967年2月)
  • Super Psychedelics(1967年6月)
  • Golden Greats BY THE VENTURES(1967年9月)
  • $1,000,000 Weekend(1967年11月)
  • The Ventures Live Again!(1968年1月)
  • Flights Of Fantasy(1968年5月)
  • The Horse(1968年8月)
  • The Ventures in TOKYO'68(1968年12月)
  • Underground Fire(1969年1月)
  • Hawaii Five-0(1969年5月)
  • Swamp Rock(1969年12月)
  • More Golden Greats & Others(1970年3月)
  • The Ventures 10th Anniversary Album(1970年3月)
  • Live! The Ventures(1970年10月)
  • New Testament(1971年4月)
  • The Ventures on Stage '71(1971年11月)
  • Theme From Shaft(1972年1月)
  • Joy-Ventures Play The Classics(1972年3月)
  • Rock And Roll Forever(1972年9月)
  • The Ventures on Stage '72(1972年11月)
  • The Ventures Only Hits!(1973年3月)※邦題:グループ結成15周年アルバム!「西暦2001年」という邦題が付けられた。
  • The Ventures on Stage '73(1973年9月)※来日公演中にリリースし話題となる。
  • The Ventures The Jim Croce Song Book(1974年4月)
  • The Ventures Play The Carpenters(1974年6月)
  • The Ventures on Stage '74(1974年10月)
  • Rocky Road(1976年3月)※ラリー・カールトントム・スコットキム・カーンズ、ウィルトン・フェルダー、デニス・ウィリアムス等が参加。
  • 裕也 Meets The Ventures(1975年10月20日)※内田裕也が参加したヴォーカル・アルバム。インストルメンタル版が『Hollywood Metal Dinamic Sound 3000』という題名で海外で発売される。
  • Hollywood Metal Dinamic Sound 3000(1975年)※「朝日のあたる家」のアコースティック版など貴重な音源満載。『裕也 Meets The Venures』のインストルメンタル版も収録。国内未発売。
  • The Ventures on Stage '75(1975年)※大阪フェスティバルホール、札幌厚生年金会館(現ニトリ文化ホール)で収録。音質にこだわった最高のライヴアルバムと評されている。
  • The Ventures on Stage '76(1976年12月)※渋谷公会堂
  • T.V. THEMES(1977年)
  • The Ventures on Stage '77(1977年11月)
  • Surfing U.S.A. '78(1978年)
  • The Ventures on Stage '78(1978年10月)
  • Latin Album(1979年3月)
  • The Ventures Original Four(1979年11月)- 初レコーディング2曲(太陽の彼方に、空の終列車)以外は再レコーディング
  • Chameleon(1980年6月21日)※坂本龍一細野晴臣高橋ユキヒロ竹田和夫等が曲を提供し、糸井重里がアルバム名や曲名を担当する。
  • 60's Pop(1981年3月)
  • The Ventures Super Live'80(1980年9月)
  • The Ventures Greatest Hits(1980年)
  • Live in L.A.(1981年)
  • Tokyo Callin'(1981年8月1日)
  • Pops In Japan'81(1981年8月1日)
  • NASA 25th Anniversary Album(1983年6月)
  • ORANGE SISTERS with The Ventures(1983年)
  • ORIGINAL MEMBER LIVE ´1984(1984年)※ノーキー・エドワーズとジェリー・マギーの共演。
  • PLAY SOUTHERN ALL STARS(1990年 6月30日)
  • LIVE IN JAPAN1990(1990年12月12日)
  • PLAY SEASIDE STORY(1991年6月14日)
  • PLAY MAJOR MOTION PICTURE(1991年7月26日)
  • SAY YES(1992年5月20日)
  • FLYIN’HIGH(1992年6月24日)
  • プレイ・大ヒット決定盤(1993年7月7日)
  • '93 IN JAPAN(1993年12月14日)
  • POPS A LA CARTE(1995年6月16日)
  • WILD AGAIN(1996年6月12日)
  • WILD AGAIN II - Tribute to Mel Taylor - (1997年6月18日)
  • WILD AGAIN CONCERT‘97(1998年6月17日)
  • WALK DON'T RUN 2000(1999年5月19日)
  • V−GOLD(1999年5月19日)※デビュー時からの既存曲を再録音したアルバム。
  • PLAY RUNAWAY(1999年6月17日)※全曲1960年代〜90年代に録音されたドン・ウィルソンによるボーカルの曲を集めたアルバム。
  • SPACE 2001(1999年6月17日)
  • "V−GOLD"LIVE!(1999年12月17日)
  • V−GOLD Ⅱ(2000年6月21日)※デビュー時からの既存曲を再録音した第二弾。
  • ACOUSTIC ROCK(2000年6月21日)
  • THE VENTUERS IN JAPAN LIVE 2000(2000年12月20日)
  • V−GOLD Ⅲ(2001年5月16日)※デビュー時からの既存曲を再録音した第三弾。
  • PLAY SOUTHERN ALL STARS 〜 TSUNAMI(2001年5月16日)
  • 60'S ROCKIN' CHRISTMAS(2001年)※ノーキー&ジェリーの共演。ドン・ウィルソンのヴォーカルも収録(「京都慕情」のクリスマス版)
  • V−GOLD LIVE Ⅱ(2001年11月21日)
  • HYPER V−GOLD(2002年5月16日)※デビュー時からの既存曲を再録音した第4弾。
  • LIVE IN SEATTLE U.S.A(2002年12月18日)
  • Surfin To Baja(2003年)
  • YOUR HIT PARADE 60s(2003年6月18日)
  • IN JAPAN LIVE 2002(2003年6月18日)
  • THE VENTUERS SUMMER & WINTER LIVE(2004年)
  • DELUXE DOUBLE(2005年)※1960年代と1990年代の日本公演のDVD付属の2枚組ベスト盤。
  • YOUR HIT PARADE Ⅱ(2006年6月21日)
  • LIVE IN TOKYO 2006(2007年6月20日)
  • ゴー・ゴー・ベンチャーズ(2007年)※新しくレコーディングした「ダイアモンド・ヘッド」収録と、1960年代と1990年代の日本公演のDVD付属の2枚組ベスト盤。
  • 50周年記念ライブ!(2009年6月17日)
  • ROCKY! THE VENTURES!(2007年6月27日)
  • プレイ 加山雄三(2009年6月17日)
  • IN MY LIFE(2010年7月7日)
  • 60's ROCKIN‘CHRISTMAS(2010年11月3日)※1965年の「The Ventures Christmas Album」の再録バージョン。
  • アリガト ジャパン! ドン・ウィルソン・スペシャル・ボックス(2015年)※ドン・ウィルソンの来日ツアー引退を記念して作られた5枚組ベスト盤。未発表曲も収録。
  • IN JAPAN LIVE 2010(2011年5月18日)
  • HITS & NEW(2016年)※新曲5曲を追加したベスト盤。
  • Here We Go Again(2018年)※現メンバーのラインナップによる初のオリジナルアルバム。2枚目に旧メンバーによるベスト盤付属。
  • LIVE AT DARYL'S HOUSE CLUB(2019年6月19日)※現メンバーでの初のライブ盤。
  • 主なシングル

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    • 急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)(1960年) - 全米2位
    • パーフィディア(1960年) - 全米15位
    • 木の葉の子守唄(1961年) - 全米69位
    • ラム・バンク・シャッシュ(1961年) - 全米29位
    • ブルー・ムーン(1961年) - 全米54位
    • シルヴァー・シティ(1961年)
    • ブルー・ムーン(1961年)
    • イエロー・ジャケット(1961年)
    • インスタント・マッシュト(1962年)
    • ロリータ・ヤ・ヤ(1962年)
    • 2000パウンド・ビー(パート1&2)(1962年) - 全米92位
    • エル・クンバンチェロ(1963年?)
    • ナインス・ウェーヴ(1963年)
    • ザ・サベージ(1963年)
    • 星への旅路(1963年)
    • 逃亡者(1963年)- アメリカでは「スクラッチン」、日本では「クルーエル・シー」のカップリング。
    • クルーエル・シー(1964年) - 日本のみA面で、アメリカでは「急がば廻れ '64」のB面。
    • 急がば廻れ '64(ウォーク・ドント・ラン '64)(1964年) - 全米8位
    • 10番街の殺人(1964年) - 全米35位
    • ダイアモンド・ヘッド(1965年) - 全米70位という結果だったが、日本ではベンチャーズ曲の中で最も人気の高い曲。日本版シングルのカップリングは「朝日のあたる家」、同アメリカ版は「ロンリー・ガール」。
    • スウィンギン・クリーパー(1965年)
    • パラダイス・ア・ゴー・ゴー(1965年)
    • ジェミニ(1965年)
    • 楽しい橇すべり(1965年)- アメリカのみシングルカット。
    • パイプライン(1965年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。
    • キャラバン(1965年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。
    • 秘密諜報員(1966年) - 全米54位
    • ブルー・スター(1966年) - 全米120位
    • 二人の銀座(1966年) - アメリカでは「Ginza Lights」というタイトルで、「Arabesque」のB面として発表された曲。和泉雅子山内賢の歌唱でヒット。日本版シングルのB面は「霧の8マイル」(エイト・マイルズ・ハイと曲名表記されたものもあり)。
    • ペネトレイション(1966年)
    • 青い渚をぶっとばせ(1967年) - 日本のみA面で、アメリカでは「Theme From 'The Wild Angels'」のB面。
    • ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー(1967年)
    • 恋の散歩道(1968年)
    • フライト・オブ・ファンタジー(1968年)
    • ウォーク・ドント・ラン'68~ダンス天国(1968年)
    • ハワイ・ファイブ・オー(1968年) - 全米4位
    • 夏の日の恋(1969年) - 全米83位
    • 京都の恋(1970年)
    • ジャガーのテーマ(1970年)
    • ストアフロント・ロイヤー(1971年)
    • インディアン・サン(1971年)
    • さすらいのギター(1971年) - 日本のみのシングルカットで、アメリカではシングル未発売。
    • 黒いジャガーのテーマ(1971年)
    • ジョイ(1971年)

    ベンチャーズ歌謡

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    • 1966年
      • 二人の銀座 - Ginza Lights - (和泉雅子、山内賢) - 「Ginza Lights」として作曲され、日本語の歌詞がついた。
    • 1967年
    • 1970年
      • 京都の恋 - Expo '70 (Kyoto Doll) - (渚ゆう子) - アメリカでは「Expo '70 (Kyoto Doll)」というタイトルで発表された。
    • 1971年
    • 1972年
      • 北国の別れ - Don't Leave Me - (三枝マモル)
      • 雨降る雨降る港町 - Stormy Night - (桐山和子)
      • ひとりゆく さすらい旅 - Endless Journey - (青木リカ&アルファード)
      • 明日へ走る - Electric Monsoon - (里見洋と一番星)
      • あの人は今札幌 - Bondlero - (李朱朗)
      • マジックナイト - Magic Night - (李朱朗)
      • 回転木馬 - Prima Vera - (牧葉ユミ
    • 1973年
      • そよ風の世界 - (須藤とし子)
    • 1976年
    • 1992年
      • 夏の海より好きよ - Speeding Throufapace - (オリーブ)
      • 共犯者 - Hollywood Punk - (玲奈)
      • 六本木ストーリー - Midnight Lights - (LILIKO
      • さよならを言わないで - (エミー・ジャクソン
    • 1993年
      • 風が笑う - Until the End - (鈴木幸治)[72][73]

    NHK紅白歌合戦出場歴

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    年度/放送回 曲目
    1991年(平成3年)/第42回 10番街の殺人-ダイアモンド・ヘッド-パイプライン

    脚注

    [編集]
    1. ^ Bush, John. The Ventures Biography - オールミュージック. 2021年5月16日閲覧。
    2. ^ Lacitis, Erik (2010年6月29日). “Tacoma band The Ventures receives award from emperor of Japan”. The Seattle Times. Seattle TImes Company. 2024年5月28日閲覧。
    3. ^ Rosenberg, Stuart (2009). Rock and Roll and the American Landscape: The Birth of an Industry and the Expansion of the Popular Culture, 1955-1969. Bloomington, Indiana: iUniverse. p. 55. ISBN 978-1440164583 
    4. ^ Kielty, Martin (2018年3月13日). “Ventures Guitarist Nokie Edwards Dead at 82”. Ultimate Classic Rock. 2024年5月28日閲覧。
    5. ^ The Ventures: still rocking after 50 years”. Japan Times. Japan Times. 2018年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。12 September 2018閲覧。
    6. ^ Influences Ventures official site
    7. ^ K&K 1995, p. 120-131.
    8. ^ K&K 1995, p. 19-24.
    9. ^ K&K 1995, p. 139.
    10. ^ K&K 1995, p. 24-32.
    11. ^ a b The Ventures AllMusic
    12. ^ K&K 1995, p. 32-36.
    13. ^ K&K 1995, p. 36.
    14. ^ The Ventures Rock & Roll Hall of Fame
    15. ^ K&K 1995, p. 62,68.
    16. ^ K&K 1995, p. 56.
    17. ^ K&K 1995, p. 60.
    18. ^ K&K 1995, p. 147.
    19. ^ 月報 東芝(東芝音楽工業)東芝Record Monthly 1961〜1962
    20. ^ K&K 1995, p. 148.
    21. ^ ピッチ修正 プライベート録音 ベンチャーズ・ライブ・イン・ジャパン '65
    22. ^ プライベート録音 ベンチャーズ・ライブ・イン・ジャパン '65
    23. ^ a b c d チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師) (2016年6月12日). “「テケテケテケ…」ベンチャーズ歌謡 ここがポイント!”. ニッポン放送 NEWS ONLINE 編集部. ニッポン放送. 2023年7月6日閲覧。
    24. ^ 加山雄三&ザ・ランチャーズ 1965年7月28日 花椿ショウ スターの広場 ブラックサンドビーチ ザ・ベンチャーズ THE VENTURES 若大将
    25. ^ 1965年夏にTVで放映された本物のライブ演奏 「ザ・ベンチャーズ・ショウ」第1部
    26. ^ 1965年夏にTVで放映された本物のライブ演奏 「ザ・ベンチャーズ・ショウ」第2部
    27. ^ THE VENTURES 1965年夏札幌公演(個人録音) ザ・ベンチャーズ モズライト mosrite
    28. ^ プライベート録音 ベンチャーズ・ライブ・イン・ジャパン 65年
    29. ^ THE VENTURES ザ・ベンチャーズ 1965年7月27日 ザ・ヒット・パレード ブルドッグ mosrite モズライト
    30. ^ THE VENTURES ザ・ベンチャーズ 1965年7月28日 花椿ショウ スターの広場 ダイヤモンド・ヘッド キャラバン
    31. ^ THE VENTURES ザ・ベンチャーズ 1965年8月4日 花椿ショウ スターの広場 ウォークドントランメドレー リードギターはボブ・ボーグル
    32. ^ THE VENTURES ザ・ベンチャーズ 1965年8月4日 花椿ショウ スターの広場 10番街の殺人
    33. ^ K&K 1995, p. 188.
    34. ^ THE VENTURES 1966年3月来日時 パシフィックパーク茅ケ崎 加山雄三&ザ・ランチャーズとのセッション会から、THE VENTURESによる模範演奏 堤光生氏より頂きました
    35. ^ ザ・ベンチャーズ 1966年3月 勝ち抜きエレキ合戦
    36. ^ 1966年3月の東京公演の隠し録り
    37. ^ ザ・ベンチャーズ 1966年7月 勝ち抜きエレキ合戦
    38. ^ 本物のライブ演奏 TVで放映された1967年8月16日 東京厚生年金会館
    39. ^ a b 濱口英樹. “「ヒットソングを創った男たち」伝説のヒットメーカー 草野浩二氏、酒井政利氏が語った制作現場”. シンコーミュージック・エンタテイメント. 2023年7月6日閲覧。
    40. ^ a b 鈴木啓之 (2015年9月5日). “台湾の星・欧陽菲菲、44年前の本日9月5日、「雨の御堂筋」でデビュー。”. 大人のミュージックカレンダー. 2023年7月6日閲覧。
    41. ^ ベンチャーズのシングル「二人の銀座/エイト・マイルズ・ハイ」ジャケット裏面の福田一郎による解説より。
    42. ^ K&K 1995, p. 9.
    43. ^ K&K 1995, p. 150-153.
    44. ^ 容疑不十分で不起訴 コカイン所持バリルを釈放『朝日新聞』1978年(昭和53年)9月2日朝刊、13版、23面
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    46. ^ 日米交流150周年記念外務大臣表彰 受賞者リスト 外務省
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    50. ^ 春の叙勲、4021人 日本経済新聞(2010年4月29日)
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    61. ^ a b K&K 1995, p. 18.
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    70. ^ K&K 1995, p. 68-70.
    71. ^ K&K 1995, p. 144.
    72. ^ ベンチャーズ歌謡曲
    73. ^ K&K 1995, p. 193-223.

    参考文献

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    外部リンク

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