京都の恋
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『京都の恋』(きょうとのこい)は、ザ・ベンチャーズが日本で発表したシングル。渚ゆう子がカバーし、シングルとして発売した。
ザ・ベンチャーズ盤
[編集]「京都の恋」 | ||||||||
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ザ・ベンチャーズ の シングル | ||||||||
初出アルバム『ゴールデン・ポップス』 | ||||||||
A面 | 京都の恋 | |||||||
B面 | この道を歩こう | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | シングルレコード | |||||||
録音 | 1969年12月[1] | |||||||
ジャンル | インストゥルメンタル | |||||||
レーベル | 東芝音楽工業(LIBERTY) | |||||||
作曲 | ザ・ベンチャーズ | |||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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ザ・ベンチャーズ シングル 年表 | ||||||||
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ザ・ベンチャーズが発売したシングル。日本では1970年2月25日発売。A面曲・B面曲共にLP『ゴールデン・ポップス』(LIBERTY LP-8879)からのシングルカット。オリジナルシングル(LIBERTY LR-2445)のジャケットには「万博記念盤」と表記されている。アメリカでは1970年3月発売(LIBERTY 56153)。
ザ・ベンチャーズのインストゥルメンタル曲で同1970年開催の日本万国博覧会を記念して製作された。日本での英語題は"KYOTO DOLL"、米題は"EXPO'70"(EXPO SEVEN-O)。オリジナル・レコーディングにおいては主旋律の演奏にエレキ・シタール(彼らのコンサートも同様)が使われている。
収録曲
[編集]日本盤
- 京都の恋 (KYOTO DOLL)
- この道を歩こう (ON A NARROW STREET)
アメリカ盤
- 京都の恋(EXPO'70 / EXPO SEVEN-O)
- 白鳥の湖ロック(SWAN LAKE)
渚ゆう子盤
[編集]「京都の恋」 | ||||||||
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渚ゆう子 の シングル | ||||||||
A面 | 京都の恋 | |||||||
B面 | 宮崎の二人 | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | シングルレコード | |||||||
ジャンル | 歌謡曲 | |||||||
レーベル |
東芝レコード/東芝音楽工業 (17cmEP) 東芝レコード/東芝EMI (12cmCD) EXPRESS/EMIミュージック・ジャパン (紙ジャケット仕様12cmCD) | |||||||
作詞・作曲 |
作詞: 林春生 作曲: ザ・ベンチャーズ | |||||||
ゴールドディスク | ||||||||
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チャート最高順位 | ||||||||
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渚ゆう子 シングル 年表 | ||||||||
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1970年5月25日に渚ゆう子がカバーし、シングルとして発売した。発売元は東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)。
オリコンのシングルチャートで8週連続1位を獲得。渚自身初の85万枚を超える[2]最大のヒット曲となった。
当初の売れ行きは低調だったが、1970年9月から急に火がつき始めた。ヒットのきっかけは京都・大阪からである。1970年12月中旬までに120万枚(公称)を売り上げ、日本有線放送連盟の「シルバー賞」を受賞した[3]。
収録曲
[編集]- オリジナル盤
- 両楽曲共に、編曲:川口真、演奏:東芝レコーディング・オーケストラ
- 京都の恋 (Kyoto Doll)(2分45秒)
- 宮崎の二人 (Miyazakino Futari)(2分42秒)
- 東洋紡プレゼント企画盤(1972年)
- 両楽曲共に、演奏:東芝レコーディング・オーケストラ
- 京都の恋(2分45秒)
- 作詞:林春生、作曲:ザ・ベンチャーズ(ドン・ウィルソン、ジョン・ダリル、ジェリー・マギー、メル・テイラー)、編曲:川口真
- 遠くへ行きたい(3分5秒)
その他のカバー
[編集]- 1972年、織井茂子(アルバム『京都の恋』)
- 1991年、Mi-Ke(アルバム『懐かしのブルーライトヨコハマヨコスカ』)
- 1994年、香西かおり(アルバム『綴織百景 VOL.4 旅』)
- 2014年、桑田佳祐(DVD・BD『昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦』)
関連作品
[編集]脚注
[編集]- ^ ベンチャーズのシングル「京都の恋」ジャケット裏面の津久井洋による解説より。
- ^ “【1970年10月】京都の恋/大ヒットで結婚できなくなった渚ゆう子 38年後に…”. Sponichi Annex. (2011年10月5日) 2023年2月13日閲覧。
- ^ 『婦人生活』1971年2月号、160-161頁。NDLJP:2324757/81