渚ゆう子
渚 ゆう子 | |
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出生名 | 大江 千鶴子 |
別名 | 久葉真鶴 |
生誕 | 1945年11月8日(75歳) |
出身地 |
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ジャンル | 歌謡曲 |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 | 1964年 - |
渚 ゆう子(なぎさ ゆうこ、1945年11月8日 - )は、日本の歌手。大阪市浪速区出身。本名は大江 千鶴子。ハワイアン歌手としてレコードデビューの後、1970年にベンチャーズ作曲・演奏の「京都の恋」を日本語の歌詞で唄って、大ブレイクし一躍人気歌手となった。
経歴[編集]
母親が沖縄、父親は京都府出身。幼少より両親の熱心な教育を受け、沖縄民謡と琉球舞踊を習熟する。
1964年、久葉真鶴(くばまづる)の芸名[1]で芸能界入り。
1965年、和田弘とマヒナスターズの前唄で出演した。そのとき、リーダー和田弘のすすめがあり上京。作曲家浜口庫之助に師事し、ハワイアンを覚える[1]。
1966年、「渚ゆう子」に改名。命名当初は渚夕子だったが、日没のイメージは良くないということでゆう子となった。名付け親はマヒナスターズの松平直樹[2]。
1967年、ハワイアン歌謡「早くキスして」でレコードデビュー。そのB面は「ルアウの火も消えて」どちらも東芝レコードのスチールギター奏者でハニーアイランダースのリーダー大橋節夫が作曲した。
1970年、ベンチャーズ作曲の「京都の恋」「京都慕情」を、日本語の歌詞で唄って大ブレイク、人気歌手の仲間入りを果たす[1]。なお「京都の恋」は、オリコンシングルレコード売上げでは85万枚を超え[1]、さらに1970年年間第10位、翌1971年年間第27位にそれぞれランク、自身最大のヒット曲となった。また「京都慕情」も、翌1971年度オリコン年間第15位にランクされている。
1971年 筒美京平作曲の「さいはて慕情」で第13回日本レコード大賞歌唱賞を受賞[3]。第22回NHK紅白歌合戦に「京都慕情」で初出場[4]。又歌手としても、この年のシングルレコード売上げの年間第2位となった。
1972年、「風の日のバラード」で第23回NHK紅白歌合戦に2回目の出場[5]。
1981年、(歌手としての第一線から一時引退)
1993年、「北ホテル」をリリース。
1997年、「京都ひとり」をリリース。
近況[編集]
各地のディナーショーやイベントなどに出演。老人ホームのボランティア慰問なども行っている。
2006年には、1972年の日比谷公会堂のライブコンサートを収録した伝説のLPレコードがCD復刻版で発売された。
2008年、1970年に「京都の恋」が大ヒットし、渚が多忙になったために身を引いた当時の婚約者に再び求婚され、38年の時を経て結婚を決めた[1]。
2009年11月3日、第9回わが心の大阪メロディー(NHK総合)に出演。
2010年1月12日、NHK歌謡コンサート(NHK総合)に出演、「京都の恋」を歌唱。
2011年6月10日、1967年デビューからの全シングル26タイトルがMEG-CDで復刻された[6][7]。
音楽作品[編集]
シングル[編集]
発売日 | 規格 | 規格品番 | 面 | タイトル |
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1967年6月5日 | EP | TP-1463 | A | 早くキスして[8] |
B | ルアウの火も消えて | |||
1967年11月5日 | EP | TP-1546 | A | 女の指輪 |
B | こんな夜がつらい | |||
1968年5月1日 | EP | TP-1638 | A | 想い出はチラチラ |
B | 七夕の恋 | |||
1969年1月10日 | EP | TP-2106 | A | 二人の大阪 |
B | 恋のくちびる | |||
1970年1月10日 | EP | TP-2237 | A | とげのないバラ |
B | 愛にぬれたギター | |||
1970年5月25日 | EP | TP-2282 | A | 京都の恋 |
B | 宮崎の二人 | |||
1970年12月1日 | EP | TP-2357 | A | 京都慕情 |
B | 女の指輪 | |||
1971年3月25日 | EP | TP-2402 | A | さいはて慕情 |
B | しのび雨 | |||
1971年8月5日 | EP | TP-2500 | A | 雨の日のブルース |
B | 忘れな草をこの胸に | |||
1971年12月1日 | EP | TP-2557 | A | 長崎慕情 |
B | 幸福(しあわせ) | |||
1972年2月5日 | EP | TP-2615 | A | めぐり逢い |
B | おんなの日記 | |||
1972年4月25日 | EP | TP-2651 | A | 今日からひとり |
B | 愛のエトランゼ | |||
1972年7月25日 | EP | TP-2707 | A | 風の日のバラード |
B | あの人の居ない街 | |||
1972年12月1日 | EP | TP-2786 | A | 何処へ |
B | 愛ある束縛 | |||
1973年6月5日 | EP | TP-2860 | A | 東京に三日、田舎に四日 |
B | 恋の日が来るのね | |||
1973年10月20日 | EP | TP-2931 | A | 京おんな |
B | 花のいのち[9] | |||
1974年5月5日 | EP | TP-20002 | A | かえり道 |
B | 別れてそして | |||
1975年7月20日 | EP | TP-20151 | A | 北からの手紙 |
B | 恋人形 | |||
1976年8月5日 | EP | TP-10042 | A | 居酒屋「すずらん」 |
B | 砂丘 | |||
1976年12月1日 | EP | TP-10133 | A | 石を投げれば心に当る |
B | にごりえ | |||
1977年7月5日 | EP | TP-10254 | A | 大阪慕情 |
B | 途中下車 | |||
1979年5月5日 | EP | TP-10568 | A | おんなの語り唄 |
B | おんなの語り唄(カラオケ) | |||
1980年9月5日 | EP | TP-17039 | A | 愛をもとめて |
B | はなれない | |||
1981年10月21日 | EP | TP-17237 | A | しのび逢う京都 |
B | 朝日よ明日も | |||
1993年1月20日 | 8cmCD | TODT-2973 | 1 | 北ホテル |
2 | 春の雨 | |||
1997年7月24日 | 8cmCD | TODT-5003 | 1 | 京都ひとり |
2 | 港のエトランゼ |
オリジナル・アルバム[編集]
- 京都の恋(1970年12月21日)
- 南国の夜(1971年)
- さいはて慕情(1971年)
- 渚ゆう子 沖縄民謡を唄う(1972年)
- にほんの詩情(1972年12月20日)
- 京おんな 渚ゆう子京都を唄う(1973年)
ライブ・アルバム[編集]
- 渚ゆう子 リサイタル(1971年11月5日)
- 1971年9月2日、神戸国際ホールにて収録。
- 渚ゆう子オン・ステージ(1972年)
- 2枚組。1971年3月5・6日、日比谷公会堂にて収録。
- ナイトクラブの渚ゆう子(1973年10月5日)
- ラスベガスの渚ゆう子(1974年)
ベスト・アルバム[編集]
- GOLDEN☆BEST 渚ゆう子(2002年12月)
企画アルバム[編集]
- 渚ゆう子ベストコレクション 京都フェロモン菩薩~1201年京都の旅(1995年3月29日) ※みうらじゅん氏のトータル・プロデュースによるベスト・アルバム
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
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1971年(昭和46年)/第22回 | 初 | 京都慕情 | 19/25 | 千昌夫 |
1972年(昭和47年)/第23回 | 2 | 風の日のバラード | 04/23 | にしきのあきら |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
脚注[編集]
- ^ a b c d e “【1970年10月】京都の恋/大ヒットで結婚できなくなった渚ゆう子 38年後に…”. Sponichi Annex. (2011年10月5日) 2016年5月9日閲覧。
- ^ 『音楽CD検定公式ガイドブック(下)』音楽出版社〈CDジャーナルムック〉、2007年、171頁。
- ^ “第13回 日本レコード大賞”. 日本作曲家協会. 2016年11月12日閲覧。
- ^ “第22回紅白歌合戦”. NHK紅白歌合戦ヒストリー. NHK. 2016年5月9日閲覧。
- ^ “第23回紅白歌合戦”. NHK紅白歌合戦ヒストリー. NHK. 2016年5月9日閲覧。
- ^ “奥村チヨ、渚ゆう子、黛ジュン シングル盤71タイトルをMEG-CDにて復刻”. ドリームニュース (2011年6月9日). 2016年11月12日閲覧。
- ^ “渚ゆう子 - アーティスト個別ページ”. MEG-CD. 2016年11月12日閲覧。
- ^ 佐々木敢一(和田弘とマヒナスターズ)とのデュエット。
- ^ TBS系テレビドラマ「花のいのち」主題歌。
関連項目[編集]
- 1967年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手