糸井重里

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糸井重里
Shigesato-Itoi-Meguro-September20-2015.jpg
2015年
誕生 1948年11月10日(67歳)
日本の旗 日本群馬県前橋市
職業 コピーライターエッセイストタレント作詞家
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 法政大学文学部中退
デビュー作 『さよならペンギン』
配偶者 樋口可南子
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糸井 重里(いとい しげさと、1948年11月10日 - )は、日本コピーライターエッセイストタレント作詞家。株式会社東京糸井重里事務所代表取締役社長。フィールズ株式会社社外取締役。妻は女優樋口可南子。愛犬はジャック・ラッセル・テリアのブイヨン、日本モノポリー協会会長。血液型はA型[1]

来歴[編集]

生い立ち[編集]

群馬県前橋市出身。生誕後に両親はすぐに離婚し、司法書士であった父親の元に引き取られ祖母に育てられる。その後、実母と再会したのは1981年だという。小学校3年の時に父親が再婚。幼少時から漫画好きで、漫画家に憧れていた。中学時代は北杜夫に熱中した。

群馬県立前橋高等学校に入学。高校に入ると文学青年の友達ができ、アングラ文学などに目覚める。また、バンカラを気取って一本歯の下駄で学校に通った。高校1年の時にバンドを組みたくなり、お金を稼ぐためにオルガンやピアノのセールスマンの下請けとなり10台売ったという。また、文化祭の企画で「ハプニング」的なことをやりたくなり、江戸川乱歩の「赤い部屋」を再現したり、ベトナムの僧侶の焼身自殺を真似たりした。

法政大学文学部日本文学科に入学。1年ほどガテン系のアルバイトをする。寺山修司唐十郎横尾忠則らが当時のヒーローだった。

就職後[編集]

知人に薦められて「宣伝会議」のコピーライター養成講座に通っているうち、1968年にデザイン事務所「サムシング」に就職。1969年栗田工業主宰のTVCFアイディア賞で銀賞を、1971年には金賞を受賞するが、1973年に「サムシング」が倒産、そのままフリーとなる。同年、宣伝会議賞受賞。

1975年トーメンアパレルから発売されていたジーンズブランド「WELDGIN」の「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん、あなたは不幸な人だ!」のコピーで、東京コピーライターズクラブ新人賞受賞。同年、イラストレーター湯村輝彦に出会い、彼の主宰のORIGINAL FLAMINGO STUDIOの創設に参加。

1976年、湯村と共に制作した、「WELDGIN」の広告で、東京アートディレクターズクラブ賞(ADC賞)を受賞。同年、漫画雑誌『月刊漫画ガロ』の編集者の南伸坊からの依頼で、糸井が原作、湯村が作画の「ペンギンごはん」シリーズの発表を始める[2]。また、『ガロ』の編集部にいた南伸坊、渡辺和博らを介して、「赤瀬川原平人脈」との親交が始まる。同年7月、糸井原作、湯村作画で「さよならペンギン」を刊行。

1978年矢沢永吉の自伝本『成りあがり』の構成、編集を手掛ける。同書はベストセラーを記録した。

会社設立後[編集]

1979年沢田研二の「TOKIO」の作詞を担当。また、スナック等でちり紙やマッチなどで行う、気の効いた「芸」をまとめた著作『スナック芸大全』を刊行。自身の名義での処女出版となると共に、この年「東京糸井重里事務所」を設立。この事務所に、当時美大生でスタッフの友人であったみうらじゅんが盛んに出入りするようになり、糸井がみうらを『ガロ』編集部に紹介。みうらの漫画家デビューのきっかけを作った。

1980年9月から、サブカルチャー雑誌『ビックリハウス』において、読書投稿ページ「ヘンタイよいこ新聞」を担当。その「意味のない面白さ」で読者を熱狂させ、若者たちの教祖的存在となる。また、『ビックリハウス』に関係していた、新進気鋭のミュージシャン、アーティストとの交際も始まる。

1982年5月、新聞終刊記念イベントとして「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」を糸井と鈴木慶一らで企画[3]

また、1982年4月から1985年3月まで、NHKの若者向け番組「YOU」の司会も担当。

その後、西武百貨店の「不思議、大好き。」(1982)「おいしい生活」(1983)などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光を浴びる。仲畑貴志川崎徹らと共に注目を集め、「コピーライター・ブーム」を呼んだ。

1983年からは『週刊文春』において「家元」と名乗り、読者投稿型のコピー講評「糸井重里の萬流コピー塾」の連載を開始[4]

1984年有楽町マリオンの完成記念イベントとして「夕刊イトイ」を企画[5]

1989年、ゲーム製作のための会社「APE(エイプ)」を設立。制作した『MOTHERシリーズ』はカルト的なファンを生んだ。

1993年、女優の樋口可南子と再婚。

1998年、「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。

2001年、雑誌「インパク」の編集長を務めて話題となった。

人物[編集]

名前の重里(しげさと)はスタンダールの小説「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルにちなんで名付けられた(ジュリアン→ ジュリ→ 重里)。基本的に一人称は「ぼく」である。

モノポリーが趣味で、日本モノポリー協会会長でもある。2011年に雑誌の特集で「自身が書いた本の帯から(自薦で)一番を決める」という企画が組まれた際、糸井はかつてモノポリー専門書につけたコピー「天使と悪魔が徹夜する!」をナンバーワンに挙げている。バス釣りも趣味で、日本テレビバラエティ番組ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で年に1度開催される「芸能人釣り選手権」に糸井は毎年参加。開会式で田中直樹ココリコ)から「C級コピーライター」と罵倒されるのが恒例となっている。

ただし、バス釣りについては、1995年の『笑っていいとも』で木村拓哉が「趣味でやっている」と発言したことでブームになったが、糸井もそれで興味を持ってはじめ、一時は木村と一緒にバス釣りに行っていることを吹聴し、「バス釣り」ブームを仕掛けたことで批判を浴びた。1996年12月に刊行された糸井の著書『誤釣生活』は、雑誌『SINRA』に連載されたが、連載時の第1回の題名は「キムラくんに誘われて釣りに行くまで」となっていたが、単行本化時は木村サイドに拒否されて、その題名を使えなかったという[6]

また、プロ野球・巨人のファンとしても有名で、『ニュースステーション』ではファン代表としてキャッチコピーをつけたりしたが、1991年にはシーズン開幕前の同番組で「今年優勝を逃したら六本木一丁でランニングする」と宣言、そのシーズン巨人は優勝を逃したためにランニングする羽目になった。これは11月の深夜に行われ、「こんな愚かな真似はもう二度と繰り返さないでほしい」とコメントした。同番組ではそれ以前にも1989年久米宏が同様の賭け(巨人が優勝したら坊主になる)を行い丸坊主になっているが、これ以降そうした賭けは行われていない。

任天堂と関わりが深い。ファミコンソフト『MOTHER』を製作したのがきっかけで、それ以降、任天堂社長の山内溥宮本茂といった人物と交友を深める。後に社長となる岩田聡とは『MOTHER2 ギーグの逆襲』の製作をともにしており、HAL研究所時代からの付き合いになる。現在でも「ほぼ日」や任天堂公式ホームページ内で岩田・宮本と定期的に対談を行っている。

尊敬する人物や影響を受けた人物として吉本隆明藤田元司和田誠土屋耕一横尾忠則といった名前を挙げている。

妻の樋口可南子とは再婚である。1981年に一般女性と結婚。同年に娘が生まれたものの、翌1982年には樋口との不倫が発覚。以後、双方が公然と交際を認める不倫関係を約10年間続けた。糸井と前妻との離婚成立後に同居を始め、1993年、樋口と正式に結婚した[7]

ほぼ日刊イトイ新聞[編集]

糸井が代表を務める「東京糸井重里事務所」が運営するウェブサイトほぼ日刊イトイ新聞」は、一日の総ページビューが約140万の有名サイトで、1998年6月6日に開設された。略称は「ほぼ日」。
サイトの立ち上げには、糸井の友人で元任天堂社長である岩田聡が大きく携わっている[8]

著名人やクリエイターなどの連載、オリジナルグッズの販売などが主なコンテンツで、執筆陣は清水ミチコ鳥越俊太郎渡辺真理春風亭昇太天海祐希など多彩。他にも、タモリ萩本欽一矢沢永吉松本人志イチロー谷川俊太郎明石家さんまなど、多数の有名人との対談も掲載されている。サイト内での糸井の愛称は「ダーリン」。

本人は「今日のダーリン」やコラム・対談などで、自分の考えは、吉本隆明に影響を受けていると言っている。これは糸井が全共闘世代であることが大きい。吉本は、糸井が学生運動をやっていた当時の新左翼の間でカリスマ的存在であり、その後、「80年代消費社会」を肯定的に評価したことでも、糸井と共通点がある。[要出典]

メインのおさるのキャラクターはアートディレクター秋山具義によるもの。

評価[編集]

1995年にナンシー関が、テレビタレントとしての糸井について「誰かが『もうおもしろくねぇんだよ』とでも突っ込んでくれたら、どんなに気が楽になるだろう。糸井重里がテレビで尊重されている大きな理由のひとつに『80年代を捨てきれない大人になったヘンタイよいこ』というのがある気がする。『イトイ的なカンジ』にひかれた子供が、現在30代半ばになり、『あの、イトイさんと』の思いを遂げている結果が、『糸井重里よくテレビに出てる』ではないのか。」と批判。

1998年に「ほぼ日」において糸井は「たしかにぼくは『視聴者のちょっと知ってる人』という役割でしかテレビに貢献してない。こういうことを目ざとく発見するのが、ナンシー関という人の恐ろしいところである。自分で、『オレ、面白くなかったんだ!』とかなり痛いところに気づいてしまったのも、彼女のせいというかお陰なのである。」と発言している[9]

筑紫哲也による対談集『若者たちの神々(Part1)』(1984年)において、糸井は既に「自分は『場所を作る存在』で、その場所でみんなで遊んでもらえばいい」と発言している。

また、マンガ家の松田洋子は『秘密の花園結社リスペクター』に「となりのイトイ」という替え歌を載せ、矢沢永吉、宮崎駿、木村拓哉といった話題の有名人の隣に、なぜかいつも糸井がしっかり座っている現象を皮肉っている。

出演[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

雑誌連載[編集]

代表的なキャッチコピー[編集]

他多数。

スタジオジブリ作品キャッチコピー[編集]

西武百貨店[編集]

  • 1980年「じぶん、新発見。」
  • 1981年「不思議、大好き。」
  • 1982年 - 1983年「おいしい生活。」
    • 同名の矢野顕子(作曲・歌唱)の曲の作詞も行っている。
  • 1984年「うれしいね、サッちゃん。」
  • 1984年「狩人か。旅人か。」
  • 1985年「情熱発電所」
  • 1986年「元禄ルネッサンス」
  • 1987年「じゃない。」
  • 1988年「ほしいものが、ほしいわ。」
  • 1989年「より道主義だ。」
  • 1990年「いいにおいがします。」

※そのほか、1985年尼崎市に開店したつかしん店の店名を命名している。

その他[編集]

備考[編集]

以下のコピーは「糸井作」のものだと紹介されることがあるが、2007年7月10日、公式サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の日替わりコラム「今日のダーリン」内で、本人自らが否定した。

  • 「中国四千年の味」- 明星食品
  • 「愛は地球を救う」- 日本テレビ『24時間テレビ』サブタイトル
  • 「かつて人と竜はひとつだった。」- 映画 『ゲド戦記

作詞[編集]

曲名 作曲 備考
パパの歌 忌野清志郎 忌野清志郎
TOKIO 沢田研二 加瀬邦彦
恋のバッド・チューニング 沢田研二 加瀬邦彦
嘘はつけない 沢田研二 加瀬邦彦
クライマックス 沢田研二 沢田研二 編曲:松任谷正隆
恋は千里眼 山口百恵 来生たかお
あなたは「おもしろマガジン」 榊原郁恵 水谷公生
TVの国からキラキラ 松本伊代 筒美京平
君にメロメロディ 田原俊彦 森雪之丞
春咲小紅 矢野顕子 矢野顕子
自転車でおいで 矢野顕子 矢野顕子
ふりむけばカエル 矢野顕子 矢野顕子
夢のヒヨコ 矢野顕子 矢野顕子
赤ちゃんのおしり 矢野顕子 坂本龍一 編曲:坂本龍一
雪列車 前川清 坂本龍一
きみについて 坂本龍一 坂本龍一 編曲:坂本龍一
浮びのビーチ・ガール シーナ&ザ・ロケッツ YMO 編曲:YMO
ピンナップ ベイビー ブルース シーナ&ザ・ロケッツ 鮎川誠
いまのきみはピカピカに光って 斉藤哲夫 鈴木慶一
君はGANなのだ 有頂天 鈴木慶一
花咲く乙女よ穴を掘れ ムーンライダーズ 鈴木慶一
ニットキャップマン ムーンライダーズ 岡田徹
地平線を見て育ちました 安全地帯 玉置浩二
ワンナイト・ショー 矢沢永吉 矢沢永吉
天使たちの場所 矢沢永吉 矢沢永吉
あのひとは風の中 いしだあゆみ 大野克夫
さあ冒険だ 和田アキ子 カールスモーキー石井 森高千里との共作(森高千里 with S.Itoiと表記)、編曲:米米CLUB
GIANTS FIRE! 東京バナナボーイズ 読売ジャイアンツ60周年記念の楽曲
暗い部屋で ビートたけし 小田裕一郎
応援歌、いきます 細川たかし 岩崎元是 編曲:岩崎元是
SMILES and TEARS 2010 やくしまるえつこ 田中宏和、鈴木慶一
ナマケモノ 柄本明 小林亜星 編曲:鷲巣詩郎

ゲーム[編集]

音楽[編集]

  • ペンギニズム(1980年レコード発売。1995年CDで再発。2006年再々発)。

著書[編集]

単著[編集]

  • スナック芸大全 ごま書房 1979.10 のち角川文庫
  • ペンギニストは眠らない 文化出版局 1980.12 のち角川文庫
  • 私は嘘が嫌いだ 話の特集 1982.1 のち角川文庫、ちくま文庫
  • 牛がいて、人がいて 徳間書店 1983.2 のち文庫
  • 糸井重里全仕事 大増補大改訂版 マドラ出版 1983.10 (広告批評の別冊3)
  • こども用 One dozen adult stories(湯村輝彦画) 松文館 1984.1
  • 糸井重里の萬流コピー塾 文藝春秋, 1984.3
  • 糸井重里の萬流コピー塾U.S.A. 文藝春秋, 1984.9
  • 糸井重里の萬流コピー塾0880 文藝春秋 1985.4 のち文庫
  • こう生きるのが正しい! 糸井重里のオトナ相談室 小学館 1985.4
  • CHIKUWA 糸井重里画報(チクワ編集委員会と糸井重里 図画構成:赤瀬川原平) 学習研究社 1985.4
  • 糸井重里の萬流コピー塾 ワニ版 文藝春秋 1986.3
  • 家族解散 新潮社 1986.10(小説)のち文庫
  • 糸井重里の萬流コピー塾(基本編) 文藝春秋 1987.2
  • 糸井重里の天然の萬流コピー塾 文藝春秋 1988.3
  • おめでとうのいちねんせい(詩、日比野克彦絵)小学館 1989.12
  • 85点の言葉(知的で口べたなあなたに)ネスコ 1989.4
  • トイレをたすけたさるこ(トイレの絵本シリーズ 高畠純画) TOTO出版 1990.9
  • 糸井重里のイトイ式コトバ論序説 マドラ出版, 1992.9
  • ビリーブ・ユー 信じる信じない信じたい。(柴門ふみ絵) 小学館, 1993.2
  • 誤釣生活 バス釣りは、おもつらい ネスコ 1996.12
  • 豆炭とパソコン 80代からのインターネット入門 世界文化社 2000.11
  • 詩なんか知らないけど 詩集(中川いさみ画、水内喜久雄編)大日本図書 2000.2
  • ほぼ日刊イトイ新聞の本 講談社 2001.4 のち文庫
  • インターネット的 PHP新書 2001.7 のち文庫
  • ダーリンコラム 朝日出版社 2001.11 (ほぼ日ブックス)
  • 合コン&宴会芸大全 日本文芸社パンドラ新書 2005.2
  • 小さいことばを歌う場所 東京糸井重里事務所 2007.2
  • 思い出したら、思い出になった。東京糸井重里事務所 2008.2
  • ともだちがやって来た。東京糸井重里事務所 2009.3
  • ブイヨンの気持ち。東京糸井重里事務所 2009.3
  • イトイの通販生活 東京糸井重里事務所 2009.11
  • あたまのなかにある公園。東京糸井重里事務所 2010.4
  • ブイヨンの日々。東京糸井重里事務所 2011.4
  • 羊どろぼう。東京糸井重里事務所 2011.3
  • ボールのようなことば。東京糸井重里事務所 2012.5
  • 夜は、待っている。東京糸井重里事務所 2012.4
  • ぽてんしゃる。東京糸井重里事務所 2013.7
  • ぼくの好きなコロッケ。東京糸井重里事務所 2014.9
  • 忘れてきた花束。東京糸井重里事務所 2015.7
  • ふたつめのボールのようなことば。東京糸井重里事務所 2015.7

共編著[編集]

翻訳(絵本)[編集]

  • ミッケ!1 いつまでもあそべるかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロウォルター・ウィック写真) 小学館 1992.8
  • ミッケ!2 びっくりハウス おとなもこどももあそべるかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1993.10
  • ミッケ!3 クリスマス みんなであそべるかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1993.12
  • ミッケ!4 ミステリー たんていになってあそぼうかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1994.12
  • ミッケ!5 ファンタジー おとこのこもおんなのこもかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1996.1
  • ジミーとジャネット、ふたりはふたご(ビバリー・クリアリーやまわきゆりこ絵) あかね書房 1997.4
  • ミッケ!6 ゴーストハウス こわいけどおもしろいかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 1999.1
  • ミッケ!7 たからじま わくわくさせるかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 2002.1
  • ミッケ!8 がっこう あたらしくてなつかしいかくれんぼ絵本(ジーン・マルゾーロ文 ウォルター・ウィック写真) 小学館 2003.5
  • チャレンジミッケ!1(おもちゃばこ) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.1
  • チャレンジミッケ!2(ゆめのまち) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.3
  • チャレンジミッケ!3(コレクション) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.10
  • チャレンジミッケ!4(サンタクロース) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.12
  • チャレンジミッケ!5(むかしむかし) ウォルター・ウィック作 小学館 2006.12
  • チャレンジミッケ!6(こわーいよる) ウォルター・ウィック作 小学館 2008.11
  • チャレンジミッケ!7(パイレーツ) ウォルター・ウィック作 小学館 2008.11
  • チャレンジミッケ!8(おもちゃとっきゅう) ウォルター・ウィック作 小学館 2008.11
  • ちっちゃなミッケ! ジーン・マルゾーロ 小学館 2009.4
  • ちっちゃなミッケ! 動物 ジーン・マルゾーロ 小学館 2009.4

賞歴[編集]

  • 1975年 TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞
  • 1976年 東京アートディレクターズクラブ賞(ADC賞)
  • 1979年 TCC(東京コピーライターズクラブ)特別賞「あったかいなぁあったかいなぁって、兄貴は頭まであったかくなっちまった」
  • 1981年 TCC(東京コピーライターズクラブ)特別賞「いまのキミはピカピカに光って」
  • 1982年 TCC(東京コピーライターズクラブ)賞 「不思議、大好き」
  • 1984年 第1回ベストジーニスト賞(協議会選出部門)
  • 1989年 第6回日本アニメ大賞・アトム賞 声優部門特別演技賞
  • 2000年 第6回AMD Award 功労賞
  • 2001年 第3回eAT KANAZAWA 名人賞
  • 2007年 谷川俊太郎賞 受賞 「小さいことばを歌う場所」[14]
  • 2009年 第1回伊丹十三賞
  • 2012年 第15回みうらじゅん賞

参考文献[編集]

  • ザ・ヒーローズ 宝島ロング・インタビュー集 JICC出版局 1982年
  • 糸井重里全仕事 大増補大改訂版 マドラ出版, 1983.10 (広告批評の別冊3)

脚注[編集]

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  1. ^ >ニンドリドットコム〜糸井重里さんインタビュー〜
  2. ^ かわいいペンギンが登場するが、ストーリーは陰惨な内容という作品であった。
  3. ^ 「ヘンタイよいこバンド」(忌野清志郎チャボ矢野顕子坂本龍一鈴木さえ子どんべで構成)をはじめ、井上陽水高橋幸宏篠原勝之立花ハジメ南伸坊合田佐和子栗本慎一郎仲畑貴志ムーンライダーズブッチャーブラザーズコント赤信号浅葉克己東京乾電池三遊亭円丈等が出演。司会は和田又八だった。
  4. ^ 投稿が掲載されてポイントをためれば「名取」になり、自分の名前の一部に「井」「重」「里」の文字をいれた「萬名」を名乗ることが許された。さらにポイントがたまると「師範」を許された。この「現代によみがえった、江戸時代の俳諧遊び」のような楽しさに投稿者たちは熱狂し、川上宗薫山藤章二すがやみつるなども一投稿者として参加した。また、刊行元であるネスコ編集者の名女川勝彦(現・文藝春秋社取締役)が「番頭」役として参加していた。1988年に連載は終了。萬流コピー塾の師範出身者には、「萬名・小林井秀雄」(本名小林秀雄。のち、プロのコピーライターとなり、代表作は「私、脱いでもすごいんです」)、「萬名・重亀海昌次」(本名亀海昌次。糸井より年上のアートディレクター)、「萬名・戸田里昭吾」(本名戸田昭吾。作詞家としてポケットモンスターの主題歌などを作詞。広告コピーやシナリオ執筆)、「萬名・吉田浩之里」(お笑いプロデューサーになり、ヒロ吉田)、「萬名・原囲一也」(本名原口一也さくまあきらの弟子のゲーム・ライターとなった)等がいる。
  5. ^ 糸井が編集局長で、各号の編集長を、久住昌之みうらじゅん島地勝彦渡辺和博天野祐吉南伸坊秋山道男蛭子能収川上宗薫石原真理子泉麻人鈴木慶一巻上公一、小林井秀雄に依頼し、自由な誌面を作ってもらった。
  6. ^ 『噂の真相』1997年2月号
  7. ^ 糸井重里、10年以上公然不倫→離婚していた!【後妻は樋口可南子】”. LAUGHY-ラフィ- (2014年10月22日). 2015年6月13日閲覧。
  8. ^ ほぼ日刊イトイ新聞 任天堂、岩田聡社長と糸井重里が話す。” (日本語). 株式会社東京糸井重里事務所 (2007年9月14日). 2011年9月25日閲覧。
  9. ^ ほぼ日刊イトイ新聞-糸井重里の脱線WEB革命 http://www.1101.com/itoi/1998-09-04.html
  10. ^ 糸井はザ・ベストテンの司会・久米宏をイメージさせる格好に扮し、共演した清水ミチコも同じく黒柳徹子を思い起こさせる格好で登場している([あまちゃん]「ザ・ベストテン」を彷彿とさせる歌謡番組が登場! 司会は糸井重里&清水ミチコ -マイナビニュース<原出典:「まんたんWEB」> 2013年7月13日)。
  11. ^ 司会者役で糸井重里が「あまちゃん」に出演! - ほぼ日刊イトイ新聞 2013年7月17日付
  12. ^ となりのトトロ”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月5日閲覧。
  13. ^ この当時カネボウ化粧品のキャンペーンソングとなった、男性デュオ・SKYの「君にクラクラ」の曲名にも起用された。
  14. ^ 実在しない賞だが(谷川俊太郎は自分の名が使われる賞の創設を固辞している)、この本を読んだ谷川が「谷川俊太郎賞をあげたい」とメッセージを送ったことから贈呈が決まった。

外部リンク[編集]