ザ・ベンチャーズ

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ベンチャーズ
(The Ventures)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントン州タコマ
ジャンル インストゥルメンタル
サーフ・ミュージック
活動期間 1959年 -
公式サイト www.theventures.com
メンバー ドン・ウィルソンリズムギター
ノーキー・エドワーズリードギターベース
ジェリー・マギー(リードギター、ベース)
リオン・テイラードラム
ボブ・スポルディング(ベース、リードギター)
旧メンバー ボブ・ボーグル(ベース、リードギター)
ジョージ・バビット(ドラム)
ホーウィー・ジョンソン(ドラム)
メル・テイラー(ドラム)
ジョー・バリル(ドラム)
ジョン・ダリル(キーボード)
ビフ・ビンセント(キーボード)
デイヴ・カー(キーボード)
サンディ・リー電子オルガン

ベンチャーズ (The Ventures)は1959年結成の、アメリカ合衆国インストゥルメンタルバンド。特に日本に於いてはビートルズと並び、後の日本の音楽界の全般の影響を与えたバンドとされている。2008年にはロックの殿堂入りを果たした。

メンバー[編集]

1999年以降、1月と夏の2回来日するようになったが(1月はノーキー、夏はジェリーがリードギターを務める)近年は夏全国横断ツアーのみである。

2005年1月公演より、ボブ・ボーグルに代わり、ボブ・スポルディングがベースを務めている。

デビュー時は、リードギターとリズムギターのデュオであったが、スカウトによりベース、ドラムが正式に加わり、このバンドの基本である4人編成となった。 レコード製作では無名のスタジオミュージシャンが多数加わり、例えば「テルスター」ではエレクトーンが主要メロディーを取り、「十番街の殺人」はアルトサックスに[エフェクター]を介して[シンセサイザー]風に加工した物を加えてみたり、女声コーラスを導入したり、ブラスセクションやオーケストラを起用する等、これらをサウンド面で主要アクセントにした。更にはギターよりキーボード[但し立派な物ではなくチープな電子オルガンなどが使われていた]をリードパートに多用した曲が多く、その後正式にキーボーディストをメンバーとして加え5人編成となった事もある。「5人体制時期は1968年~1975年である」ステージ上ではリードギターとベースが途中で交代する場面もある(最初期の演奏ではボブ・ボーグルだけでなくドン・ウィルソンがリードギターを担当するなど、現在と比べて演奏面やサウンド面も大きく異なっている)。

  • ドン・ウィルソン(Don Wilson 1933年2月10日 - ):ワシントン州タコマ出身。リズムギター(結成メンバー)。ベンチャーズのリーダー。[2015年来日を最後にツアー参加を引退(後述)]
  • ノーキー・エドワーズ(Nokie Edwards 1935年5月9日 - ):オクラホマ州ラホマ出身。2代目リードギター、ベース。「ウォーク・ドント・ラン」などのレコーディングにベースとして参加していたが、後に正式に加入。1967年に脱退するが1972年に復帰し、その後、1984年まで活躍する。その後再度脱退しソロ活動のみを行っていた時期もあったが、1999年以降、レコーディングや毎年1月の日本公演などに、リード・ギター(ベンチャーズ・オリジナルメンバー)として参加し続けている。夏の日本公演ではベンチャーズと行動を別にしており、冬の公演に参加してもスペシャルゲストとして紹介されているが、公式ホームページではメンバーとして掲載されている。
  • ジェリー・マギー(Gerry McGee 1937年11月17日 - ):ルイジアナ州ユーニス出身。3代目リードギター、ベース。夏の日本公演でリードギターを担当しており、ベンチャーズのメンバーとしての来日回数はノーキーよりも多い。2013年からはノーキーに代わり冬のツアーにも参加[1]
  • リオン・テイラー(Leon Taylor 1955年9月23日 - ):テネシー州ジョンソンシティ出身。ドラム。父親であるメル(後述)が急逝した1996年中野サンプラザにおける9月16日のメル・テイラー追悼公演で後任として紹介され、数曲披露。以降、正式にメンバーとなる。ちなみに、メルが他界した後、96年のツアーでのメインドラムは、元ナック(「マイ・シャローナ」)のメンバー、ブルース・ゲイリーが務めた。後に二人ともメル・テイラー追悼アルバム「ワイルド・アゲインII」に参加している。
  • ボブ・スポルディング(Bob Spalding 1947年2月10日 - ):カリフォルニア州サンバーナーディーノ出身。ベース、リードギター、リズムギター。1981年よりスタジオ録音に参加していたことから(そのため加入年も1981年として扱われている)、2005年1月の日本公演以降、腰痛が悪化し来日が困難となったボブ・ボーグルの代役としてツアーに参加「その後正式メンバーとなる」。スタジオ録音ではリードギターの他リズムギターを担当するケースもある。メル・テイラーがベンチャーズを一時離れていた頃結成したメル・テイラー&ザ・ダイナミックスではリズムギターを担当していた。1973年には来日もしている。作曲のほかアレンジなどでも現在のベンチャーズに多大な貢献をしており、"5人目のベンチャーズ"と呼ばれている。

旧(又はもと)メンバー

  • ボブ・ボーグル(Bob Bogle 1934年1月16日 - 2009年6月14日):オクラホマ州ワグナー出身。ベース、初代リードギター(結成メンバー)。2005年以降、腰痛療養のため日本ツアーは不参加する(但しレコーディングだけは参加していた)。しかし発病から12年間に渡る闘病生活の末、2009年に非ホジキンリンパ腫のため75歳で死去。
  • メル・テイラー(Mel Taylor 1933年9月24日 -1996年8月11日):ニューヨーク州ブルックリン出身。3代目ドラマーで、リオンの父である。1972年にソロ活動(メル・テイラー&ザ・ダイナミックス結成)のため脱退したが、1978年後半頃再加入した。1996年日本公演中に体調が悪化、検査の結果肺癌が発覚し緊急帰国、しかし帰国から僅か10日後に死去する。享年62歳。
  • ジョージ・バビット(George T. Babbitt, Jr. 1942年6月22日 - ):ワシントン州ブレマートン出身。初代ドラマー。未成年であったため、クラブなどでの活動が出来ずに退団。その後、米空軍の将軍になる。1998年3月1日に米空軍バンド英語版とともに、ベンチャーズと再共演。
  • ホーウィー・ジョンソン(Howie Johnson 1935年 - 1988年):2代目ドラマー。交通事故に遭い後遺症が残ったことからツアーへの参加が難しくなった為1962年に退団。その後は音楽ビジネスから身を退いていた。1989年死去。
  • ジョー・バリル(Joe Barile 本名バリル・ギオパン・デュセッペ。1947年7月 - ):イタリア出身、幼少期にアメリカへ移住。シャンゴ[Shango]というバンドで活動した後、4代目ドラマーとして1973年から1978年来日ツアー終了迄在籍。その1978年来日ツアー中にコカイン使用が発覚、逮捕される(但し不起訴処分となる)。このためイメージ悪化を避けたかったメンバーは彼を解雇。その後は表立った音楽活動からは遠ざかっていたが、1991年にリリースしたベンチャーズのCDアルバム『ふたりの海岸物語(play SEASIDE STORY)』収録曲「ウェイクアップ・ドリーム」などにパーカッションで参加しており、以後も時々レコーディングに参加している。
  • ジョン・ダリル(John Durrill 1941年8月2日 - ):テキサス州ヒューストン出身。もとファイヴ・アメリカンズのメンバーだった。初代キーボディスト、サンディ・リーの後任として1969年から1972年迄在籍。1973年、メル・テイラー&ザ・ダイナミックスへの参加しを経てその後作曲家へ転向。2008年の「ロックの殿堂」授賞式に、不参加だったジェリー・マギーの代理として久々にベンチャーズと合流した。
  • ビフ・ビンセント(Bif Vincent):4代目キーボード奏者として1975年から1976年迄在籍。離脱後はスタジオミュージシャン、編曲家、レコーディングエンジニア等で活躍。その後もベンチャーズと交流が有り、ビフが経営するレコーディング・スタジオでベンチャーズはレコーディングなどを行っている。
  • デイヴ・カー(Dave Carr 1943年8月4日 - 2011年7月14日) :イギリスロンドン出身、もとザ・フォーチュンズのキーボーディスト。ジョン・ダリルの後任として1972年から1974年迄参加「1974年にはメンバーとして来日」。その後も作曲家、編曲家、プロデューサーとして活躍する一方ベンチャーズとの交流は続き、レコーディングにも度々参加していたが、2011年に心臓発作によって死去。
  • サンディ・リー(Sandy Lee 生没年不詳):ジェリー・マギーと共に1968年から参加した初の女性メンバーで初代キーボーディスト。1968年度の来日ツアーにも同行していたが、健康上の理由によりベンチャーズを退団、1980年代頃死去。後に、在籍中ドラッグ不法所持が発覚したため解雇されていたことが明らかになった。

この他、1970年代半ば頃には、スーザン・シュレイバー、リーシャ・キャリー、ジョネル・カレンダーといった女性シンガーがツアーに参加したこともある。

メンバー変遷[編集]

来歴[編集]

1959年ドンとボブにより結成。結成時は「インパクツ」を経て「ヴァーサトーンズ」と名乗っていたが、すでに使われていたため、ドンの母親であるジョシーからの提案によって「ザ・ベンチャーズ」と名乗るようになる。当初の演奏スタイルは、リードギターとリズムギターを曲によって交代し、正式なベースとドラムは不在だった。フェンダー社製のストラトキャスタージャズマスターを主に使用していた。2人は昼間に建築業をしていたが、夜にはクラブに出演してキャリアを積み、音楽関係の人脈を作る中で、ノーキー、ホーウィーをメンバーとしてスカウトする。

デビュー曲は「ブルー・ホライズン」からリリースした「ザ・リアル・マッコイ/クッキーズ&コーク」であるが、続く全米メジャーデビューは1960年発売の「ウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)」で、地元シアトルのラジオ局がニュース番組のテーマ曲として起用したことから火が付き、瞬く間にビルボード誌のヒットチャート第2位を記録した。正式のドラマーが不在だったので、スキップ・ムーアというクラブミュージシャンが担当したほか、ベースを後に正式加入するノーキーが弾いている。程なくホーウィーが交通事故に遭遇し、後遺症が残ったことからツアーに同行することが難しくなったため(脊椎を損傷したことが原因と言われている)脱退、メル・テイラーを迎えて黄金時代の四人が揃うことになる。メルの加入以前に、リードギターの担当がボブからノーキーに交代している。バック・オウエンスのバンドメンバーとして、既にギタリストとしてのスタイルを完成していたノーキーに任せたほうがバンドの将来にもいいだろうとのボブの判断による交代で(ボブ自身もベースの楽しさ、自由度に開眼したことも理由である)、ノーキーも後のインタビューで「ボブがリードギターを担当しているのはせいぜい数曲だろう」という由の発言をしている。また、レオン・ラッセルもレコーディングに参加している。「十番街の殺人」のサックスソロ(サックス音をレズリースピーカーから出す)、ベンチャーズがカバーした「朝日のあたる家」のオルガンソロは、彼が弾いたものである。後にリードギタリスト、ノーキー・エドワーズがソロアルバム「Nokie!」をリリースした際にはライナーノーツを執筆し、ノーキーやベンチャーズの音楽性の豊かさに言及している。


初来日は1962年のことで、ドンとボブの2人が東芝音楽工業(のちに東芝EMI)のイベントに参加し、ベースとドラムは日本人が担当した。ボブの回想によると、ベースはなんとウッドベースで、「とにかく何もかも滅茶苦茶だった」とのことである(ほとんど演奏できなかったために結局ドンとボブ二人だけの演奏にすぐ切り替えたという)。ちなみに同時に来日したのはボビー・ヴィー(後に共作のアルバムをリリースする)、ジョー・アン・キャンベルであったが、観客のほとんどは日本側の出演者であったスリーファンキーズのファンだったという。また、当時四人ではなくドンとボブ二人だけの来日となった原因は、日本側が用意したギャラが二人分しか用意できなかったためである。この頃はパッケージツアーとして、オーストラリアニュージーランドなどをツアーし、米軍基地への慰問なども行った記録が残っている。

ベンチャーズが日本で人気が出たのは2回目の来日(1965年1月、アストロノウツなどとのパッケージツアー)で、ドン、ボブ、ノーキー、メルの4人で行った日本公演からであった。彼らは専用ギターである、モズライトのギターを真空管アンプにプラグ・インすることで生まれるラウドなサウンドで、たちまち日本の若者たちをとりこにし、日本に於いて一大エレキ・ブームサーフ・サウンド・ブームを巻き起こした。

アンプのリヴァーブをフルにし低音弦をスライドさせて、トレモロ・ピッキングを行う「ピッキング・グリスダウン」奏法(日本では一般的に「テケテケ」と呼ばれる。しかし開祖はキング・オブ・サーフ・ギターと謳われるディック・デイルであり、ベンチャーズが編み出したわけではない)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材にしたのが映画化もされた芦原すなお原作の『青春デンデケデケデケ』)、「10番街の殺人」、「ウォーク・ドント・ラン」、「キャラバン」など、数々のヒット曲を生み出した。彼らが本国米国で一番人気があったのは60年代までで、日本では長く人気を保ち来日回数は50回を超え、いわゆるビッグ・イン・ジャパンの代表例とされている。

1966年加山雄三の「君といつまでも」のカバーを日本で発売してヒットしたことをきっかけに、1960年代後半から1970年代前半にかけて日本を意識した曲を作るようになり、日本の作詞家が歌詞を付けて発売したことで、歌謡曲の作曲家としても注目されるようになる。越路吹雪のために書いた銀座の夜景をイメージした「GINZA LIGHTS」[2]が「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)としてリリースされたのを皮切りに、「北国の青い空」(奥村チヨ)、「京都の恋」「京都慕情」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)などの歌謡曲を送り出し、それらはベンチャーズ歌謡と呼ばれた。これには当時メンバーを離れたノーキーに代わって参加したジェリー・マギーの幅広い音楽性が作用しているとも言われている。特に「京都の恋」は、(1970年第12回日本レコード大賞企画賞を受賞している。

現在でも日本に於いて定期的にコンサートツアーを行っている。米国のバンドではあるものの、インストゥルメンタル主体のバンドであるが故、言語の壁を乗り越えてその明快な楽曲が受け入れられ、米国以上に日本のポップシーンに影響を及ぼした。日本におけるレコード等の総売上は4000万枚を超える[3]。そのため、アメリカ本国より日本で得た収入の方が圧倒的に多い。

1960年代当時、2ヶ月に1枚のハイペースでアルバムを出しながらツアーを回るというスケジュール事情から、ベンチャーズのメンバーが1960年代前半は基本的にステージメンバーであり、レコーディングでは過半数の音源がスタジオ・ミュージシャンによるものではないかと主張する者もいる。これは前述通りシングル盤リリースと同じペースでアルバム盤を制作、発売していたためで各メンバーの多忙なスケジュール制約等によって曲によってはメンバーが全面的に参加していない物も多く存在していると推測されている。

また、[悲しき闘牛/the lonely bull]のベンチャーズ盤が、実はハーブ・アルパートとティファナ・ブラスが先に録音した音源を拝借し、リズム・ギターとベース・パートのみドンとボブの演奏に差し替えたものである。 (ハーブ・アルパート盤のレコーディングに参加していたメル・テイラーが同曲を気に入り、これを基にベンチャーズ盤も作られたという)


2004年日米交流150周年記念外務大臣賞を受賞し、ドン、ボブ・ボーグル、ノーキーが授賞式に参加した。

2006年、彼らの最初の大ヒット曲である"Walk Don't Run"がグラミー賞の殿堂入りを果たす。

2008年ロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)入りを果たす。ドン、ノーキー、リオン、ボブ・スポルディング、ジョン・ダリル(ジェリー・マギーの代理として出席)がニューヨーク・ウォルドルフ・アストリアホテルで開催された授賞式に出演し、ベンチャーズの影響を受けていた事を公言したジョン・フォガティがプレゼンターとして登場。フォガティの紹介に続いてベンチャーズが登場し、「ウォーク・ドント・ラン」を基本編成の4人で、「ハワイ・ファイブ・オー」をブラスセクション付きで演奏した。

現在も世界各国にファンがおり(アメリカ本国では多くはない。ただしエアロスミスがリスペクトを抱いている事は有名)、コピーバンドも多数存在する。特に日本では老若男女、さらには子供までいるほどである。しかし、日本との特別な関係や、与えた影響という観点から、日本の音楽史に無くてはならない存在ともなっている。1996年にメル・テイラーが、2009年に結成時のメンバーであるボブ・ボーグルが他界したが、今もなお現役でステージに立ち続けている。2009年に結成50周年、2014年に結成55周年を迎えた。

2010年春の叙勲にて旭日小綬章を受章した。

2015年度のジャパンツアーをもって、結成メンバーであるドン・ウィルソンがツアーからの引退を正式に表明、同年ジャパンツアー最終日において、ボブ・スポルディングが以後リズムギターを担当し、ベーシストとしてボブ・スポルディングの息子であるイアン・スポルディングを迎えることが正式に発表された。 また同年より、リオン、ボブ、イアンのスポルディング親子を中心とするニューバンド[V-2]が活動を開始した。

サウンド・スタイル[編集]

最初のヒットシングルとなった「ウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)」は、ドン・ウィルソンのインタビューによると、チェット・アトキンスが自身で編み出した「ギャロッピング奏法」をベース、メロディ、コードバッキングに分解し、それにドラムパートを加え、ロックンロールのリズムに乗せた物であり、この単調かつ明快なスタイルが以後のベンチャーズの基本的な演奏パターンとなって現在に至っている。

ベンチャーズが登場して翌年、西海岸を中心にサーフ・ミュージックギター・バンドが出現、そのほとんどのバンドがベンチャーズから直接的、間接的な影響を受けていたのは明白である

二代目のリード・ギタリスト(初期はベーシスト)であるノーキー・エドワーズは2回目の来日公演(1965年1月)で「電気ギターの王様」と紹介され、天才的で卓越したテクニックは多くの日本人ギタリスト達に影響を与えた。彼はカントリー・ピッキング(親指にピックを固定し、人差し指や中指を同時に利用する多指奏法)を基本としたテクニックで、トレモロアームをアクセントとして使用し、モズライトギターの高出力ピックアップを活かしたラウドで金属的なサウンドを作り出していた。特に1965年7月来日時の録音を収めた赤盤ライブの、「クルーエル・シー」、「ペネトレイション」、「ドライビング・ギター」、「キャラバン」などはその特徴が顕著である。その後、彼は1980年代にベンチャーズを脱退(2度目の脱退)し、ソロ活動が中心となっているが、公式ホームページでは脱退扱いにはなっておらず、実際本国では何度か、ノーキーがベンチャーズに参加して活動している。近年は、オリジナルモデルのギターを用い、よりカントリースタイルを意識した演奏となっており音色もソフトなものとなっている。

1968年にノーキーが1度目の脱退をし、三代目リード・ギタリストとして加入したのがジェリー・マギーである。ジェリーのサムピックを使用した奏法(ノーキーも1972年に復帰したときからレコーディングやステージでサムピックを使用するようになった)や彼の出身地ルイジアナをルーツとした南部色の強いソウルフルなサウンドが特徴的である。「朝日のあたる家」は、ベンチャーズが1960年代からもともとレパートリーとしているが、1980年代にジェリーが再加入した後のステージでは彼独特のアドリブによるブルージーなサウンドが、新たな聞かせどころとなっている。また元来スタジオミュージシャンとしてエミルー・ハリスエルビス・プレスリーモンキーズなど多数のレコーディングセッションなどの経験を積んで来たため、幅広いスタイルの音楽に柔軟に対応できる懐の深さを持ち合わせている。近年は、中音域をブーストさせる回路付きのフェンダー・ストラトキャスターを用いており、曲によってブーストのかかり具合を微調整して、音色にバリエーションを持たせる工夫をしている。

ステージでは2部構成のプログラム進行を採り、アンコールで必ず「キャラバン」が演奏されこれがお約束となっている。

ディスコグラフィ[編集]

  • Walk Don't Run(1960年7月)
  • The Ventures(1960年10月)
  • Another Smash(1961年)
  • The Colorful Ventures(1961年)
  • Twist With The Ventures(1962年)
  • Twist Party Vol.2(1962年)
  • Mashed Potatoes And Gravy(1962年)
  • Going To The Ventures Dance Party(1962年)
  • THE Ventures Play Telstar/The Lonely Bull AND Others(1963年)
  • Surfing(1963年)
  • Play The Country Classics(1963年)
  • Let's Go(1963年)
  • The Ventures in Space(1964年)
  • The Fabulous Ventures(1964年)
  • Walk Don't Run Vol. 2(1964年)
  • Knock Me Out !(1964年)
  • The Ventures On Stage(1965年)
  • A Go Go(1965年)
  • The Ventures Christmas Album(1965年)
  • Where The Action Is(1966年)
  • Batman Theme(1966年)
  • Go With The Ventures(1966年)
  • Wild Things(1966年)
  • Guitar Freakout(1967年)
  • SuPER Psychedelics(1967年)
  • Golden Greats BY THE VENTURES(1967年)
  • $1,000,000 Weekend(1967年)
  • Flights Of Fantasy(1968年)
  • The Horse(1968年)
  • Underground Fire(1969年)
  • Hawaii Five-0(1969年)
  • Swamp Rock(1969年)
  • More Golden Greats & Others(1970年)
  • The Ventures 10th Anniversary Album(1970年)
  • New Testament(1971年)
  • Theme From Shaft(1972年)
  • Joy-Ventures Play The Classics(1972年)
  • Rock And Roll Forever(1972年)
  • PLAY SEASIDE STORY (1991年)
  • 2000 Pound Bee - Parts 1 & 2
  • Chameleon(1980年)
  • The Ventures Greatest Hits(1980年)
  • NASA 25th Anniversary Album
  • Wild Again II
  • Live in Seattle
  • Surfin To Baja(2003年)
  • ROCKY! THE VENTURES! (2007年)

代表曲[編集]

  • Walk Don't Run(1960年)
  • パーフディア(1960年)
  • 十番街の殺人
  • ダイアモンド・ヘッド
  • Walk Don't Run 64(1964年)
  • ハワイ・ファイブ・オー(1969年)

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1991年(平成3年)/第42回 10番街の殺人-ダイアモンド・ヘッド-パイプライン 05/28 欧陽菲菲
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

脚注[編集]

  1. ^ ベンチャーズ ♪THE VENTURES FOREVER 「ベンチャーズ Winter Japan Tour 2013 」
  2. ^ 和泉雅子インタビュー銀座地下街ラジオくんー第四配信・レトロ銀座特集
  3. ^ “ベンチャーズ:マドンナらとロックの殿堂入り 日本でも「テケテケ」で大ヒット”. 毎日jp (毎日新聞社). (2008年3月13日). オリジナル2008年3月15日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080315080500/http://mainichi.jp/enta/music/news/20080313mog00m200001000c.html 

外部リンク[編集]