高石ともや

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高石 ともや
Tomoya Takaishi IMG 3913 20140117.JPG
「1.17ひょうご安全の日のつどい」交流ひろばでのミニライブにて
基本情報
出生名 尻石 友也
生誕 (1941-12-09) 1941年12月9日(75歳)
出身地 日本の旗 日本 北海道雨竜郡雨竜町
学歴 立教大学文学部日本文学科卒業
ジャンル フォークソング
ブルーグラス
職業 シンガーソングライター
担当楽器
アコースティックギター
フィドル
マンドリン
バンジョー
活動期間 1966年 -
レーベル EMIミュージック・ジャパン
ビクターレコード
共同作業者 ザ・ナターシャー・セブン
公式サイト 高石ともやのページ

高石 ともや(高石 友也、たかいし ともや、1941年12月9日 - )は、日本フォークシンガー

人物と略歴[編集]

1960年代後半の日本のフォークソングの創世期以来、現代に至るまで歌い続けている。また、マラソンランナーとしても活躍。本名は尻石友也。プロテスタントクリスチャン京都市在住。

1960年代後半、全国各地でメッセージ・フォークを歌い、「受験生ブルース」などの話題作も発表。1970年代に入り、ブルーグラスやトラディショナル・フォーク、日本の民謡などを歌い始める。ザ・ナターシャー・セブンとして活動の他、宵々山コンサートを始める。

使用する楽器は、ギターフィドルバンジョーハーモニカオートハープ、ベース、ドブロ・ギターマンドリントロンボーンボーラン(アイリッシュドラム)と多彩。

TVでは1980年代、NHK(中部地方)の番組「北陸東海」において、高石が東海・北陸7県を旅する「高石ともやの味な旅」に出演していた(なお番組出演者は後年、安田文吉(文さんの味な旅)を経て河島英五(英五のろまんちすと紀行)へと引き継がれている)。

ランナーとしても活躍し、国内外のマラソントライアスロンの大会にも数多く参加している。ホノルルマラソンには、第5回の1977年(36歳)の初参加以来、毎年連続出場している[1]

また、日本初のトライアスロン大会(第一回全日本トライアスロン皆生大会)にて優勝を飾っているほか、トランス・アメリカフットレース(アメリカ大陸横断レース)の第二回大会に参加し日本人初の完走者となっている。

1967年結婚。一女、一男あり。

琵琶湖ジョギングコンサートを27年続けている。

2012年7月、これから先20年走るために、狭窄症の手術を受ける。手術は40歳の時の胆石の手術以来で2回目。2回とも北山修の勧めで手術することになった。

活動の記録[編集]

1960年代後半 関西フォーク・アングラフォーク[編集]

1941年12月9日、北海道空知管内雨竜郡雨竜町に生まれる。家業は鮮魚店。北海道滝川高等学校卒業後、1960年に立教大学文学部日本文学科に入学。学費を稼ぐため、新潟県赤倉スキー場や釜ヶ崎で土木作業員、屋台のラーメン屋などをやりつつ、ピート・シーガーボブ・ディランらの歌を訳しフォークソングを歌い始める。1966年7月の大阪YMCAキャンプで初めて人前で歌い、1966年9月19日の大阪労音フォーク・ソング愛好会のコンサートが初ステージ。

1966年10月10日、アート・プロモーション主催のコンサート「第2回フォーク・フォーク・フォーク」に飛び入りで参加し、ここで秦政明に見出される。秦は高石を自宅に居候させ、マネジメントとプロモーションを始めた。

1966年11月頃より「高石友也」の名で活動を開始。各地の労働組合や学校のイベント、労音、反戦集会、などに出演し、社会運動の支援者やシンパを増やしていくかのように、高石とフォークソングを日本各地に広めていった。また、1966年12月20日、シングル「かごの鳥ブルース」でレコードデビュー。1967年4月28日、最初の「高石友也リサイタル」を毎日ホール(大阪)で開催する。同年7月29日、京都・高雄での第1回フォークキャンプに参加。

1967年9月、秦は高石事務所を開設。より本格的に高石のマネジメントを行う。また、イベントやコンサートの企画や開催、新たなアーティストの発掘を始めた。この高石事務所には、岡林信康五つの赤い風船中川五郎ら、関西フォーク陣の他、東京で活動していた高田渡遠藤賢司ジャックスも所属し、その中心人物であった高石は、フォークソング、関西フォーク、アングラ・フォークの元祖、旗手などとも呼ばれるようになる。

ボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」に、中川五郎が受験生を題材にした替え歌をのせて、中川自身のコンサートで歌っていた「受験生ブルース」に、高石が新たな曲を付けて、高石もコンサートで取り上げた。高石の「受験生ブルース」が1968年2月25日にレコード化されると、累計で90万枚[2]の大ヒット。広く名が知られるようになる。

しかし、1969年12月7日 の冬眠コンサート(大阪・フェスティバルホール) を最後に、一旦、音楽活動を停止する。この背景には、過度なイベントやコンサートに追われ、また、反戦活動・学生運動と共にあったメッセージ・フォークを歌う者としての存在への疲弊感があったといわれる。

そして高石事務所も、1970年1月1日に音楽舎と社名を変更する。

1970年代以降 フォークソングの原点へ[編集]

高石は、フォークソングの原点を探し始める。1969年12月16日、福井県遠敷郡名田庄村(現在の大飯郡おおい町)に移り住み、年が明けた1月7日、一人アメリカへと渡る。アメリカを旅をする中、自然を基盤とした生活に目覚める。同年5月17日に帰国の後、音楽活動を再開。ブルーグラスやトラディショナル・フォーク、日本の民謡、あるいは自身の生活を歌い、特に野外でのコンサート活動を中心として全国各地を廻り始める。

1971年1月30日に「バックステップ・カントリーバンド」を結成。同年2月28日に「ザ・ナターシャー・セブン」と改名する。ザ・ナターシャー・セブンとしての活動は1984年頃まで続いた。また、1973年から永六輔らと始めた「宵々山コンサート」は京都の夏の風物詩となった。1977年からはヒューマン ズーに参加。

名田庄村には1982年まで住み、その後は京都市に移る。しかしスタイルは変わらず、今もフォークソングを歌い続けている。

1982年のホテルニュージャパンの火災でザ・ナターシャー・セブンを影で支えた榊原詩朗が死去し、心痛で引退も考えたという。

ディスコグラフィ[編集]

注意:ザ・ナターシャー・セブン名義の作品は掲載していない。

シングル[編集]

  • かごの鳥ブルース / 恋のノンキ節1966年12月20日、ビクター)
  • 想い出の赤いヤッケ / 白い傘1967年3月、ビクター)
  • 高石がまだデビューする前、アルバイト先のスキー場のロッジの主人から想い出の赤いヤッケを教わった。慶應義塾大学山岳部の菊池平三郎作詞、三沢聖彦作曲。
  • 受験生ブルース / 受験生ブルース(ライブ)1968年3月、ビクター SV-681)
  • B面は第2回高石友也リサイタル(1968年1月12日、大阪サンケイホール)のライブ。「受験生ブルース」は後に坂本ちゃんがカバーした。
  • 北の国へ / 主婦のブルース (1968年11月、ビクター SV-758)
  • 坊や大きくならないで / もしも平和になったなら (ビクター SV-810)
  • ホーチミンのバラード / ベトナムの空(URC)
  • かけてゆく君は風(長い道 / 君はランナー)(高石ともや事務所)
  • 何とか元気をやっています / 陽気にゆこう1995年、AM KOBE AM KOBE-001)
  • 「何とか元気をやっています」は、のちに映画『笑え』(2009年/太田真博)の主題歌となる。
  • Good Day For You1999年6月20日、マクランサ)
  • サロマ湖100kmウルトラマラソンのテーマ曲
  • もう一歩 / 明日へ2002年3月、ABCラジオ ABCR-4343)

アルバム[編集]

  • 想い出の赤いヤッケ 高石友也フォーク・アルバム(1967年、ビクター SJV-279)
想い出の赤いヤッケ / 明日は知れない / 白い傘 / 生きのこり / 俺らの空は鉄板だ / かごの鳥ブルース / 一人の手 / 冷たい雨 / 小さな箱 / 死んだ女の子 / 学校で何を習ったの / 死んだ男の残したものは / チューインガム一つ
  • 受験生ブルース 高石友也フォーク・アルバム第2集(1968年、ビクター SJV-354)
受験生ブルース / あの人の日曜日 / お父帰れや / とび職ぐらし / のんき節 / 時代は変る / 想い出の赤いヤッケ / 一人の手 / 旅立つ人 / あるおっさん云いはった / 拝啓大統領殿 / 橋を作ったのはこの俺だ / 新しい日 / WE SHALL OVER COME
  • 第2回 高石友也リサイタル実況(1968年1月12日 大阪 サンケイホール)
  • 坊や大きくならないで 高石友也フォーク・アルバム第3集1969年、ビクター SJV-405)
坊や大きくならないで / お捨てメリンダ / 竹田の子守唄 / ハッシュ・リトル・ベビィ / 血まみれの鳩 / 明日なき世界 / ランブリン・ボーイ / 北の国へ / 労務者とは云え / おいで僕のベッドに / ときは流れる / 青年は荒野をめざす / もしも平和になったなら
  • 東風1972年、ポリドール MR5023)
張子の虎 / 賛成・反対 / 東風の吹く国 / きちんと物を考えよう / 流れる水 / 青年は午前9時の太陽だ / 梨の実をかじる歌 / 重い荷物と軽い荷物 / 上手なピアニスト / フェニックスは火から生れる / 調査なくして発言権なし / 毛沢東と話してみたい
  • 高石ともやのファミリー・フォーク 12曲集(1992年 JFPA TAKA-1)
たづるさん/君よそよ風になれ/私を待つ人がいる/街/春を待つ少女/そのままでそのままで/はじまりの日に/君はランナー/長い道/オレンジの木/NAMES ネイムズ/野の花の歌が聞こえますか
  • さあ、陽気にゆこう(1993年 大月書店 CDブック)
想いでの赤いヤッケ/拝啓 大統領殿/受験生ブルース/死んだ男の残したものは/ちっちゃな箱/わらぶきの屋根/陽気にゆこう/おひさまソング(田舎ぐらし)/私の子どもたちへ/黒い機関車チューチュー/街/ホノルル・モーニング・ラン/私に人生といえるものがあるなら/八ヶ岳/サイド・バイ・サイド/長い道(Long Way)/十字架に帰ろう/西園小学校校歌/母は年老いて/さあ、お祭りだ!/川よ/ヘイ・ミスター・キム/We Shall Overcome/マイ・ランブリン・ボーイ/ロンドンデリーの歌/ネイムズ/野の花のうたが聞こえますか/旅の途中
  • あわてなさんな 高石ともやとザ・サファリンゲール(1997年 マクランサ MAC-7)
川よ/父の唄/あわてなさんな/リール/春を待つ少女/ひとりぼっちの裸の子ども/イマジン/私の子どもたちへ/ジグ(Jig)/初恋/じゃあね/Ondo-よさぶら(音頭与三郎)/ワクワク/シアトルへ行こう/谷間の虹
  • 自分をほめてやろう(1999年 マクランサ MAC-11)
ホノルル・モーニング・ラン/孤独のマラソン・ランナー/長距離ランナー/サマー・タイム・ドリーム/君はランナー/自分をほめてやろう/蝉しぐれ/エイド・ステーション/グット・ディ・フォー・ユー/長い道/かけのぼれ夢よ/君よそよ風になれ
  • 巡礼歌集 (2008年 高石ともや事務所 CD付きSONG BOOK)
山青く海青く/花ざかり/衣更え/行く人来る人/蓮華合掌/仲よく仲よく/明日香を横切って/訪ねよう/不空羂索/宇治・花ものがたり/山深く上醍醐/水の音/石山詣/三井寺の鐘 Gone On/静かなり/それぞれの秋・清水/捨ててこそ・空也さん/姉・三・六角/革堂の屋根/全山紅葉/亀岡・涅槃像/Now & Here すべてよし/信仰・観光・健康/安産祈願/紅紫の九輪草/陽だまりの縁側/ラスト・サムライたちは/美人観音/若狭路/ひとつの船に/檜皮葺/平成開眼/旅の終り
  •  - もう一歩 - 高石ともや 詩歌集 (2008年 高石ともや事務所 )
もう一歩/水は頑張らない(水のものがたり)/Run River Run!(いび川マラソン・テーマ曲)/街

作品[編集]

テレビドラマ主題歌[編集]

校歌[編集]

テレビ出演[編集]

著書[編集]

  • 『気分はいつもトライアスロン 高石ともや・running・book1』ランナーズ 1986
  • 『高石ともやの挑戦 気分は陽気なウルトラマン 高石ともや・running・book 2』ランナーズ 1989
  • 『さあ、陽気にゆこう フォーク・ソング年代記』大月書店 1993
  • 『Song of the runner アメリカ横断マラソン64日の物語』紫翠会出版 1994
  • 『さあ、陽気にゆこう 2』ナナ・コーポレート・コミュニケーション 2002
共著
  • 『フォークは未来をひらく 民衆がつくる民衆のうた』高石友也,岡林信康,中川五郎共著 社会新報 新報新書 1969

脚注[編集]

  1. ^ 公式サイトによれば、2008年現在、32回連続出場している。高石ともやの主な大会出場歴
  2. ^ 富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、33頁。ISBN 978-4-636-82548-0

宵々山コンサート関連人物[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]